-- 緋花の家 -- 
 
* ミツバチは花が好き *

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5-15 やっぱり貴女は人妻です

 

 花は毎年、咲く。同じように咲く。咲いても咲いても変わらずに、毎年毎年その麗しさも変わらない。

 そして。この薔薇の家も、『変わらない初夏』をまた迎える。

 

 鳴海家、薔薇の家。その緑の垣根に一台の四輪駆動車が停まる。
 運転席のドアが開き、そこからアメリカンなキャップを被ったティシャツとデニムパンツ姿の青年が降りてくる。
 ドアをバタリと閉めると、青年は庭にいる彼女に声をかけた。

「リコさん。来たよ」

 彼女も相変わらず。若さに合わない陽射し除けのほっかむり帽子で顔を包み込み、野良仕事姿。
 でもそんな彼女が幸樹を見つけてニコリと微笑んでくれた。

「有り難う、幸樹さん。今すぐ行くから待っていて」
「いいよ。慌てなくても」

 手先で車のキーをクルクル回しながら幸樹も笑い返す。

 暫くして、彼女もラフなデニムパンツ姿でバッグ片手に庭を出てきた。
 運転席には幸樹が、そして助手席には当たり前のようにして彼女『凛々子』が乗り込む。

「いつも助かるわ」
「なにいってんの。薔薇のためなら、なんでも俺に言いつけてよ」

 いまからホームセンターに行って、薔薇栽培に必要なものを買い揃えにいく。凛々子、いや……厳密には『姪凛々子の身体を借りて生きている、叔母の緋美子さん』は車の免許を持っていないので、この坂の上にある薔薇の家まで自転車であれこれ買い足したり、力がいる運搬は大変とのこと。
 だから免許を取り、車の運転が出来るようになった幸樹がこうして協力していた。

「幸樹さんが大学生、そして、車の運転をするようになるだなんて。早紀さんも頼りがいある息子さんで嬉しいでしょうね」
「あー、もう。嬉しいって言うより、息子だから当たり前? 駅前のデパートやら、そこらのスーパーやら、ほんっと使われるもんなー」
「ごめんなさいね。ご近所の私まで」
「ううん。いいんだ、リコさんなら」

 隣で笑っているのは……。『リリ』じゃなくて『リコさん』。やっぱり笑い方も違う。
 でも、幸樹の心は落ち着いていた。そんな凛々子に見えない凛々子は凛々子じゃない。やはり彼女は『緋美子さん』。母親の親友の。幸樹から見れば『若い姿をしているが母と同世代の奥さん』だった。

「今日は拓真さん、帰ってくるんでしょ」
「どうかしらね……」

 途端に。『リコさん』の目が車窓の外へと遠く馳せる。

 こちらの夫妻も進展なし。
 拓真は非番の日によくやってくるが、来ない日もあった。それでも凛々子が急に現れはしないか、または、伯父正樹の霊に襲われていないか。そこは心配のようで放ってはおけないようだった。

 緋美子さんとしては、拓真と半同棲みたいな生活をしているのに『以前のような夫婦生活が取り戻せない』という、もどかしい日々を送っているようだった。
 そして拓真はそれを懸命に避けている。二度と、姪凛々子の身体を借りた『夫婦生活』に戻らないために。

「今日も、うちの書斎でお勉強していくわよね」
「うん。レポートがあるし。それに盛り塩もしておかないと」
「この一年。毎日欠かさずに有り難う」

 『別に構わないよ』。気の良い笑顔で返すが、幸樹にとっては、これは結構重要な任務でもあった。
 正樹伯父の霊に襲われるのは緋美子叔母さんだけじゃない。凛々子の身体まで弄ばれると知ったからには、伯父の悪い気が起きても絶対に入ってこられないよう『結界』は強化しておかなくてはならない。
 緋美子さんが戻ってきてしばらくすると、彼女が『幸樹さんはなにもしなくても素晴らしい気をもっているけれど、念のためのお守りよ』と、黒い数珠を幸樹に贈ってくれた。緋美子さんも『私も気休めだけど、作ったのよ』と水晶の数珠をいつも身につけるようになっていた。それどころか、母までもが毎朝仏壇で唱えている経を教えてくれるようになり、今では幸樹もなるべく朝は仏壇に経を上げる。
 端から見ると『マジでそんなこと信じているのかよ』と指さされて笑われそうなことを、幸樹は真剣に毎日繰り返していた。
 それもこれも、凛々子と不思議な体験をし、そこでの出来事が幸樹にとって一番思い出深いものとなったから。
 だから今は誰もが信じられないことでも、彼女達にとっては極当たり前だったことを、幸樹も本気で信じて過ごしている。

「環境のお勉強はどう」
「楽しいよ。この地元にぴったりの学部だと思う」
「幸樹さんは、東京や広島、大阪とか。大きな都市には興味がないみたいね」
「ないよ。俺……。なんだろう。ここから出るって気がしなかった」
「それでも、先生達が、もっと良い大学に行けると言ってくれたんでしょう?」

 本当のことだった。なんでも易々とこなせるし、受験中もそんな苦労はなかった。志望大学を地元の国公立に私立を並べたら、教師達が揃って驚き『本気か。他に希望はないのか。家を継ぐにしても大学ぐらいは地元を離れてみたらどうだ。親御さんに遠慮しているのか』と口を揃え、何人もの教師にかなり問いつめられた。『すべて自分自身の希望です。地元に役立てる大人になりたい』と言ったら、教師達が絶句。そしてそれは母親の早紀にも追及されたようだった。しかしあの母だけあっていつものほのぼのあっけらかんとした大らかさで『息子が決めたことに父親共々異存はありません。特に地元だとか都会だとか名門大学に入れるとか。何処かにいれば息子にとってこれがいちばん良いだなんて押しつけたことはありません』と答え、また教師達も唖然としたとのこと。
 『俺、会社とこの家は継ぐよ。地元で頑張るからいいよな』。幸樹の進路に、父親の英治も。『そうだな。お前には、いや……我が家には風土というものが根付いているのかもしれない』と言ってくれた。どちらかと言うと、父はとても現実的でシビアな男だと息子の幸樹も感じている。自分の冷静で冷めている部分はこの父から受け継いだと思っていた。でも父も『不思議な世界』を一部分でも目の当たりにしている経験者、そして関係者。だから『この家は土地にあるべき』と抽象的なものを捨てきれずにいるようだった。
 長谷川の家と、薔薇の家の正岡家(いまは鳴海家)。どちらもこの土地に古くから根付いている家柄。そして近所。その縁をもつ限り、両親は正樹伯父の死を、悪行を、また彼が抗えなかった『運命と古(いにしえ)』を忘れることが出来ない。長谷川の家は、この土地に尽くすことにあるのでは……。両親はそう思っている。この家の者はこの土地だからこそ栄えるのだと。
 凛々子が言うように、正樹伯父だけ相が違う異端児だったのかもしれない。そでも母は、顔も性格も似ていると感じずにはいられない息子が、兄と同じように土地を捨てて出て行ったらいけないのではないかという思いが拭えなかったようだった。

 しかし家族の意見は一致し、幸樹は地元の大学に進学。環境の勉強をしながら、薔薇を守っていく勉強もしていた。

「俺はこの土地にあって、俺であるって気がするんだよな」

 坂を下る車。ハンドルを回す幸樹を見て、リコさんが微笑んでいる。

「そうね。幸樹さんはお祖父様やお父様のように、地元一筋でも大成できる相をこの土地から恵んでもらっているということなのね」
「薔薇の家もほっとするな。特に亡くなったお祖父さんの書斎。すっごく集中できる」
「そう言えば、ちち……いえ、祖父もあの部屋に篭もるとすごい集中力で、なかなか出てこなかったのよ」

 聞き逃さなかった。お祖父さんなのに『父』と言いかけ、言い直した緋美子さんの呟きを。でも幸樹は聞き流す。

「俺もあやかっています。お祖父さんがそこにいてくれるのかな。時々、そんな気がしちゃって」
「かも、しれないわね……」

 歯切れが悪くなるリコさん。幸樹もわかっている。そこに出入りしている気配は正岡のお祖父さんじゃない。きっと伯父だって。あの部屋は言葉通りに『とても穏やかになれる』。そういう部屋。正岡のお祖父さんがあの部屋で亡くなったらしいが、そんな彼の優しさや勤勉な気を残して守っているように思えた。なのに。どうもあの伯父が入りやすいポイントのよう。元々正岡のお祖父さんと伯父は親しく言葉を交わしていたようだから、お祖父さんが優しくなってしまうのだろうか? 悪さをする伯父を跳ね返してくれた良いのに……。優しすぎて乗り越えられてしまうのかもしれない。
 だからここで張り付くようにして、幸樹は大学の勉強をしに部屋を毎日借りている。母とも話し合った結果だった。ただし成績が落ちたら実家の元々の部屋に戻る――という約束で。

 母も言う。『兄さんは、霊になると兄さんじゃなくなる。ママ、あの時、緋美子さんを拘束していた兄さんの悪魔のような顔が忘れられないの』。
 昨年。凛々子が消えてしまった後、母が少しずつ過去の話をしてくれるようになった。
 美紅が出来てしまった経緯。それは正樹伯父が緋美子さんを無理矢理襲って出来たのだと、母が話してくれた。だけれども実は緋美子さんもそれは『避けていたが必然だった』と言っていたことも、それが母早紀も父英治も理解は出来なかったが凛々子が言うところの『つがい』という話を緋美子さんも当時自ら口にしていたということも。いろいろな事情が絡んでいたことを、少しずつ話してくれた。
 そんな忌まわしい部屋が残っているのが母には我慢できなかったらしい。あの綺麗な薔薇の家への憧れもあったが、父との新婚生活を実家同居がどうの以前より、兄が禁忌を犯した忌まわしい部屋との同居が耐えられなかったこともあり新婚生活と幸樹の幼少時の育児は薔薇の家で過ごしたとのこと。だから、いまの新しい家に『建て直した』ともいう。

 『幸樹。もうこれ以上、兄さんが悪いことが出来ないよう。甥のあなたからしっかり意思表示して』
 そのつもりだった。
 『俺。伯父さん自身は悪い人じゃないと思っているよ。凛々子が伯父さんと間違えて俺をあっちに引っ張り込んでしまった時、伯父さんは言ったんだ』。『はやく、連れて帰ってくれ。早紀が泣く』。『妹の早紀が泣くから甥っ子の俺を連れ戻して欲しいと凛々子に頼んでくれたのが、本当の正樹伯父さん。でも六地蔵の入り口でつがいの女を待っている男は伯父さんじゃない執念深い男、別人だと思っている』。息子が実の兄を受け入れた様子に、母が涙を流したぐらい。本当は母も『正樹という兄』を今でも慕っているのだとよく分かった。

 だから心底邪険に出来ない。それが向こうも判っているのか、こちらが懸命に阻止している結界を破ってこようとしないまま一冬を越すことが出来た。
 その間、幸樹は受験勉強も含め度々薔薇の家を訪れては、お祖父さんの書斎に入り浸り、違和感ある気配がしたら絶対に緋美子さんを一人にしないようにしてきた。

「そういえば、最近の拓真さん。疲れていません?」
「そうかしら。暑い気候になってきて寝付きが悪いと言っていたから。それだけだと思うわよ」

 いつも元気はつらつ、中年男だけど若々しい拓真。体育会系のおっきな声で周りを活気づけて、オジサンのくせにちょっと少年ぽい無邪気な笑顔で、いつだってそこにいる者達を明るくしてしまう。
 彼がいるとぱあっと明るくなる。夫婦仲はギクシャクしているだろうが凛々子の姿をしている緋美子さんも良く笑う。母の早紀も良く笑う。そして幸樹も、大声で笑ってしまう。
 目に見えない問題がそれぞれの胸の中で重くのしかかっているだろうに。彼の夏の陽射しのようなパワフルな明るさは、そんなことを一瞬でも忘れさせてくれる。そんな拓真が幸樹は好きだった。まるで『親戚のおじさん』な気分。そしてリコさんも。姿は若いが、やはり正体を知っている身としては『親戚のおばさん』という感覚になっている。
 薔薇の家に行くと、どんなに難しい問題に囚われている者同士でも、明るくなれる。やはりこの家は妖しい気が時たま紛れ込んではくるが、基本的には幸樹の体質にマッチした『浄化された空気に満ちた家』。そんな家で過ごす大人の彼等との日常もまた楽しいひととき。今となっては薔薇の家の人々は、幸樹にとって『もう一つの家族』とも言えた。

 凛々子の姿をした緋美子とも、うまく過ごせるようになっていた。『貴女が凛々子じゃない女性だって知っている』という事実を胸の奥にしまったまま、幸樹は愛しい凛々子の姿をしている女性が目の前にいても、『母の親友』という心積もりでつき合えるようになっていた。

 一年前。この『リコさん』に『緋美子さん』だとも知らずに投げつけた『一緒に住もう』という勢いだけの告白を思い出すと、幸樹はどこかに消えたくなる。
 なんて子供だったんだろう。『なんでも冷静に出来る長谷川君』? なんだそれ。どこが冷静なんだ。そして幸樹は思う。『恋をしたことがないから、今まで冷静でいられたんだ』と。
 本当に胸が灼ける程の恋に出会ったら、冷静でなんかいられるはずがなかったのだ。緋美子に突進したように。後先考えずに『一緒に住もう』とぶつかったような、あの慌て振り。あれが本当の恋する姿だったのだ。
 そんな緋美子さんに今の幸樹はこう言う。『この家には住みたいけど。やっぱりリコさんは、拓真さんの奥さんだから』――と、彼女に言うようになっていた。
 凛々子と入れ替わり戻ってきた緋美子さんは、そんな落ち着いた幸樹を知って、ホッとした顔をしていた。
 それから彼女も幸樹とは避けるような距離をとらず、『親友の息子』という心積もりで気兼ねなく接してくれるようになった。

 ホームセンターにたどり着き、リコさんが購入した園芸用土の大袋を肩に担いで車のトランクへ。

「本当に男の子が一人いると助かるわ。『うちの一馬』なんて、こんなに手伝ってくれないかも」

 凛々子としてはひとつ年下の従弟になるはずだが。やはり今のリコさんが一馬さんのことを口にすると『息子』にしか聞こえなかった。
 それでも幸樹は素知らぬふりをして微笑み返す。

「リコさん。スーパーも寄れるよ。俺も買い物があるし」
「行きたいわ。本当に助かる。有り難うね、幸樹さん」

 彼女とはこうして良く買い物に出かける。
 端から見ると年頃の女性と青年が、まるで恋人同士のように買い物に来ているように見えるに違いない。――本当はそうであるはずなのに。
 こんな時。隣で並んで歩いている『凛々子』を見ると、幸樹の胸は張り裂けそうになる。……まるで抜け殻の彼女と歩いているようで。
 そこにいるのは確かに幸樹の胸を鷲づかみにした黒髪の撫子女なのに。ふとした横顔が、叔母と姪のせいなのか、凛々子か緋美子さんか判らなくなることもしばしばある。そうすると幸樹は自制心を忘れ、凛々子じゃない凛々子に抱きついてしまいそうな衝動に駆られることもある。

 初めて凛々子を見てから、もう一年。初夏の風になびく長い黒髪は変わらない。でも彼女ではない。匂いも微かに異なる叔母と姪。

 今度、アイツに会ったら、絶対に言いたいことがあるのに。

 幸樹の前を歩く【抜け殻の凛々子】にときめいて、でも違う女性だと諦めて、そしてずっと待っている。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 リコさんと買い物をして薔薇の家に帰ると、勤務中のはずの拓真が帰ってきていた。

「なんか、体調が良くないから帰ってきた」

 あんなに頑丈そうなレスキュー隊員(しかも元ハイパー!)で、風邪ひとつひいたことがないという健康なオジサンが!
 幸樹も驚いたが、それ以上に妻のリコさんがとても青ざめた顔で、旦那に駆けよっていった。

「信じられない。貴方がそんなことになるだなんて」
「だから。寝付きが悪いって言っただろう? 俺、二十年もこの生活をしてきたけど、こんなこと初めてだよ」
「やだ。タクの目の下、クマができているじゃない」

 その通りで、いつだって顔色満点の元気良いオジサンが疲れた顔。

「そうなんだよなー。だから大隊長も他の後輩達も帰れていうんだ。これで出場でもして現場で事故を起こしてもかえって迷惑をかけるし」

 だが。幸樹には奇妙な予感が働いた。
 しかしそれはリコさんも同じようで。つい……目が合ってしまった。
 なのに彼女が分かっていることを確かめ合うのを避けるようにして、目線も反らしてしまった。

「拓真さんが寝ている和室。盛り塩やり直しておきましょうか」

 予感の通りに言ってみた。そしてリコさんも諦めたように頷いてくれた。

「そうね。お願いします」

 その綺麗な姿で楚々と言われると、今でもドッキリしてしまう。
 なんていうんだろう。ある意味、凛々子の姿をした緋美子さんは、中身はともかく、そのムードが幸樹の初恋でもあるから。

『凛々子の姿をした緋美子は魅惑的だろう』

 酒に酔った拓真さんがぽろりとこぼした言葉を幸樹は良く覚えている。
 そんなことあからさまに言葉することは憚るのだが、実際、幸樹もそう思っていた。
 凛々子は凛々子で勿論麗しいのだが。緋美子という大人の女性が若い綺麗な女性としてそこにいるのはかなりの魅力であるのは間違いない。
 でも幸樹としては、本体の凛々子と真っ白に抱き合った記憶があるので、やはり中身が緋美子さんであるのは意味がないだけで。
 それでも、夫であり凛々子の身体を男として重ねただろう拓真は少し違うと幸樹は思うようになっていた。

「タク。今夜、私も貴方の部屋で寝てもいい?」

 リコさん、いや、『事実上妻』である緋美子さんからの申し出に、拓真の顔色が変わる。そして幸樹にも衝撃が走る。

 ダメだ。どんなに拓真さんが『幸樹君が嫌がることはしない。凛々子はもう俺の女じゃない』と言ってくれても。こんな魅惑的な女性を一度は味わい尽くした男が、これだけ愛している妻を懸命に避けているのに。幸樹は同じ男として拓真が隠し持っている気持ちを見抜いているつもり。
 ――『拓真さんは、凛々子の姿をした緋美子さんをとても気に入っていたはずだ』と。
 拓真自身も言っていた。『凛々子の亡くなった母親、義姉さんはとっても美人だったから。叔母の緋美子とミックスしている凛々子は不思議な気持ちにさせてくれるよ』と。
 中身が母と同世代の奥さんだと分かった幸樹でも、若く麗しい女性の姿で楚々としている『リコさん』は確かに魅惑的だ。
 我慢している男が一晩添い寝などされて、本当に我慢できるのか。

 だが、そこは曲がったことが嫌いという真っ直ぐな男のオジサン。

「いや。幸樹君と寝る」

 幸樹もリコさんも目を丸くした。

「頼む、幸樹君。今夜、俺の部屋にきて泊まっていってくれよ」
「え。俺!?」
「あら。いいじゃない!」

 隣にいるリコさんが、いつになく大笑い。

 冗談じゃない。このクソ暑くなってきた季節に、こんなオジサンと一緒にお泊まりだあ?
 しかし笑っていたリコさんが、小さく耳打ちをしてきた。

 幸樹さん。数珠を忘れないでね。

 同じことを予感していただけに、幸樹も無視できず。オジサンの願い通り、泊まることになった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 初夏の夜。薔薇の家の和室で拓真と共に横になると、急に彼が言いだした。

「おかしいんだ。最近、凛々子の夢ばかり見るんだ」

 妻である緋美子さんの前でもそんなことを発言しなかったので、幸樹は驚いて起きあがってしまった。

「それって。リリのことですか」

 彼が『たぶん』と頷いた。

「別になにも言わないんだ。ただ俺の前をうろうろしているだけで。本当にそれだけ。一時うろうろすると消えて、俺も目が覚めてしまうんだ」

 だから余計に寝不足になると拓真が目頭を押さえる。

「もしかして幸樹君を連れてこいってことなのかなあと」
「そんな素振りあったんですか」
「ないけど。うろうろしているだけで、特に目が合うわけでもなく、こっちに語りかけるわけでもなく。でもこんな短期間に同じ夢を見るのはおかしいと思うんだ」

 『そうですね』と幸樹も同感だった。

 だが幸樹はどこか舞い上がる思いに包まれていた。もしかしたら……。俺に会いに来てくれるんじゃないかと。

 その期待を胸に、幸樹も眠りにつく。

 

 この家は時に妖しい気を含む。
 夜が幸樹に迫る。音もなく、気配もなく。

 

『こっちだ。こっちに来れば彼女がいる』

 

 寝入り端か。それとも深く眠りに落ちた時なのか。
 気が付くと、幸樹は白装束の男に腕を引っ張られ起こされていた。

 その男の顔を見て、ハッと目が覚める。

「思った通り。あの小娘をちらつかせたらやってきた」

 『正樹伯父さん!』
 また声が出ない世界に引きずり込まれている!

 

 

 

Update/2011.1.12
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