この前は妻が出張、今度は夫の俺が出張。
隼人はそう思いながら、妻の実家である横須賀の御園家を訪ねた。
横須賀基地の工学科には良く出向く。
その際の宿泊先は、日本で新しくできた妻の実家。彼女の両親の住まいだった。
この度の出張も、隼人はそこに身を寄せる。その時、楽しみにしていることがひとつある。
「なに。クリスマスカード?」
「ああ、そうだ」
妻の両親が住まうマンションの隣部屋は、義兄純一の住まいでもある。
こういうと、快く迎えてくれる葉月の両親には申し訳ないのだが、実は隼人──こちらの義兄の部屋を訪ねることを楽しみにしていた。
やはり同じ若さの男同士というべきか。少しは婿養子の重圧があるのか。義兄の部屋にいる方が気楽だったり、言いたいことを気楽に言えたり。自分より大人である彼の生き方を垣間見て驚いたり、そんな彼の意見を聞いて、自分にない世界や知らなかった世界を見せてくれて、とても刺激を与えてくれたり……。そんな楽しさがあるのは否めず、御園の両親と暫しの会話を楽しんだら、つい、こちらに身を寄せてしまうのだ。
そんな義兄の部屋を早速訪ねてみると、彼はダイニングテーブルで仕事をしているところだった。
息子の真一は、数年前に志望校に合格。今は医大生。帰りは遅いとかで、今日も父親の純一が夕食を作り、それが終わって一人で帰りを待っているとのことだった。
そんな義兄の周りには、赤や緑、そして金色に縁取られた美しいカードが散らばっていた。
「今度、お前の家でやるパーティの招待状だ」
今年もファミリーで盛大に行うことになり、その幹事というか準備を義兄が一手に引き受けてくれたのだ。
どうやら既に発送済みではあるようだが、つい最近まで、その作業に没頭していた痕跡がそこにあるようだった。
隼人はパーティを開催する家の主人なので、招待状は届かない。だから、ファミリーの手元に既に届いているだろう招待状を初めて目にして驚いた。
すごく綺麗なカードだった。これを家族が手にして、喜んでくれているだろうかと思うだけでも、自分も嬉しくなった。
「義兄さんが選んだのかよ」
「ああ、デザインはエドに頼んだが。こんな風にして欲しいという案は俺が」
義兄は気が付いていないかも知れないが、彼は右京とは異なる品あるセンスを持ち合わせている。
右京はエレガントな華やかさなのだが、義兄の純一はノーブルで正統的なセンスがとても光る時がある。それは右京のようにぱっと目立つものではないが、よく見ればとても心地良い美しさというのだろうか……。
「すごくいいじゃないか。真っ白に赤いリボン、雪を連想させるな」
今年は少し大人っぽいデザイン。どこかのワインのラベルのようでお洒落だなと、隼人は『流石、義兄さん』と微笑みながら唸った。
するとその他の候補となったサンプルカードの側に、小さな靴下型のカードも……。他の大人っぽい落ち着きあるカードとは違い、とても可愛らしい……。
「それはチビ達に送ってみた。もうすぐ、サンタが来るからってね」
それを聞いて隼人はとても驚いた。この厳つい義兄が、こーんな可愛らしいキッズ向けのカードまで作っていたって!? しかもチビ達にサンタが来るよなんて夢の演出をこの『お義兄様』が!? 隼人は笑い出しそうになったが堪えた。だって、目の前の義兄は仕事の顔で、淡々とノートパソコンのキーボードを打っているからだ。
なのに、純一から小さく吹き出すように笑い出したではないか。
「なに、義兄さん」
「あはは。だってな、それ、真一と和人君にも出してやったんだ」
隼人は『はあ!?』と目を丸くした。
二人とも成人した立派な青年になったというのに。真一は学生だが、弟の和人はもう社会人。大手メーカーの開発部に勤めているというのに、兄貴の子供達と同じ扱いとは、この義兄はなんという悪戯をするんだと!
「それだけじゃない。チビ大佐にも送ってやったんだ」
「葉月にも! おい、兄さん。それ喧嘩を売っているって言うんだぞ! 俺、知らないからな。葉月と真一はめちゃくちゃ怒ると思うな!」
そして、隼人は嫌な予感。まさか、俺にも送ったとか言うなよ、この黒兄貴め……。と聞きたいところだが、きっと含み笑いだけ見せられて終わりそうだ。それを見るのも腹が立つので、隼人はそこでやめておく。
それでも、手のひらに収まりそうな可愛らしいカード。それだけで、微笑ましい気持ちにさせてくれる。
開いてみると中には『サンタさんが来るよ』と、……フランス語。凝っているなあと、隼人ももう笑っていた。
「杏奈は一歳になったばかりでわかるもんか」
「毎年やるんだ。一歳から取っておいてくれると嬉しいな」
そんな義兄の甥に姪を思う気持ちに、徐々に隼人の心も温まってくる。
「有難う、義兄さん。海人も晃もきっと楽しみになっていくと思うよ」
「俺も楽しみたいんだよ。こんなことしたことがなかったしなあ……」
「それで、真一に? そんなことをしてあげられなかったから? 今からでも、子供カード?」
義兄は煙草を口の端にくわえ、ただ黙って微笑んでいるだけ。
彼が今、傍に置いているぬくもりの存在が伝わってくるようだった。
きっと真一も最初は怒るだろうが、最後には嬉しくて大事に取って置くだろうと……。隼人はそう思った。
カードを手のひらにつつんで、隼人もそっと目をつむる……。幸せに包まれていた。とてつもなく。ファミリーでクリスマスができるだなんて。去年は盛大だった。新築の家で初めて迎えたクリスマスだったものだから、去年は隼人が張りきって取り仕切ってしまったのだ。今年はどうしようかと思っていたら、今度は義兄が仕切ってくれると言ってくれ……。
(今年も、大丈夫そうだな……)
上手く『乗り越えられそうだ』と隼人は安堵した。
すると、今の隼人の気持ちを見透かしたような一言を義兄が口にした。
「この時期は、じっとしていられない……だろ。特にお前は」
隼人はギクリとし、そこで固まる。
椅子に腰をかけている義兄を無言で見下ろしたのだが、彼は目が合うと直ぐに液晶モニターに目線を移してしまった。
彼の口元から燻る紫煙。それが隼人の胸元を通り過ぎていく……。
「それ、分かる気がする。俺も、二月と九月と……。そしてお前と同じだ。この時期は俺も滅法弱い」
彼はそう言いながら、リビングのサイドボードの上にある写真立てへと目を向ける。そこには義姉皐月の笑顔がある。
純一のその仕草を見て、隼人は思った。
義兄は、この時期に毎年襲ってくる隼人の心の中の『寒さ』を知ってくれていると。
「それでなのかね。それほどお祭り騒ぎを好むわけでもないお前が、去年、あんなに張りきってこの時期に家族を呼んでパーティーを開いたのは……」
隼人は何も言えなくなり、子供達の行く末を願うような幸せに満ちたクリスマスカードを、そっと義兄の側に返した。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・・
翌朝、隼人は早速、定期便にて小笠原に帰る。
「やはり、本島に出てくると寒いな」
横須賀基地の定期便が出る滑走路へと隼人は一人向かう。
今朝も、御園の両親が丁寧に送り出してくれた。隣の義兄宅にも挨拶に出向いたが、純一は夜遅くまで仕事をしていたとかで、自室で眠ったまま。『しょうもない親父でごめんね』と起きもしない父親に呆れながら隼人に謝ってくれたのは甥っ子の真一。彼も丁度、学校に行く支度をしているところで忙しそうだった。
隼人が出る頃、真一も白衣と教科書を片手に大学へと向かうところだった為、ここまで車で送ってくれた。真一も立派な青年になった。一人前の医師になるまではまだ時間がかかるが、もう立派な成人だった。
そんなことを思いながら、隼人は定期便の待合室までまっしぐらに向かう。
脇目もふらず、寄り道もせず。そして時間もきっかりチェックインを済ませたら、直ぐに搭乗という時間を狙ってきた。
本来なら時間に余裕を持って……というのが、隼人のモットーではあるが、今日は駄目だ。絶対に駄目だと自分でもそう思ってこの時間に来た。
真一が送ってくれた車は、滑走路の駐車場ではなく、わざわざ基地の正面門まで付けてもらった。
そこからわざわざ横須賀基地を訪ねるかのようにチェックインし、基地の中から滑走路の改札まで向かう。
つまり。駐車場を通りたくないのだ。その理由については、昨日、義兄に見抜かれたように、ここまで車で送ってくれた真一も隼人の意図に気が付いてくれ、すんなりと遠回りの正面門まで送り届けてくれた。
『そうだよね。この時期だったよね』
大人になった真一が、凛々しい眼鏡の横顔を見せていたのに、そこは数年前の少年に戻ったように哀しい顔を隼人に見せた。
『ごめん。真一にも思い出させた』
『ちっとも。俺も気が付かなくて、ごめんね。そうだよね、忘れられないよね』
彼はそう言って、しょぼくれてしまったので、送ってもらった叔父さんはかえって困ってしまった。
『今度のクリスマスパーティもチビ達と小笠原で待っているから、弟の和人と一緒においで』と笑顔で言うと、真一もやっといつもの明るい笑顔を見せてくれ、気分良く大学へと向かって行ったのでほっとした。
だから、隼人はこれ以上、自分も嫌な気分に染まらないよう、改札だけを目指す。
その滑走路待合室へと向かう廊下を歩いている。横の窓には駐車場が見えてきた。目をつむりたくなる……。
そうだ。こんな寒い日だった。クリスマス前の十二月だった。妻と北海道の幸せな旅行から帰ってきたあの時は……。
この時期の滑走路駐車場は、隼人にとっては忌まわしいトラウマでしかない。
今でも忘れるものか。血塗れで真っ青な顔になって息もしなくなってしまった愛する女性が倒れていたその場所を、その光景を。
この時期でなかろうが、やっぱりあの場所に目を向けられることは少ない。
あの場所は、悪いことがあった場所ということで、当時在った蘇鉄の木は撤去され平らに潰されアスファルトが塗り込められた。それでも何故かそこだけ車は停められるようにはせず、空白の場になっている。知らぬ者がいれば、ここも一台停められるようにすればいいのにと文句を言うだろうが、知っている者は決してそこには車を停めることはあるまい。なにせ、あの大佐嬢が瀕死を負った場所だ。
今だって、あの蘇鉄の植え込みがなくなって平らになったからといっても、その空白が妙に白々しい。特に隼人には、今でも蘇鉄があるのと同様に、一目で分かる目印だった。
仕方なく車でそこを通ることもある。
仕方なく側を通ってしまうこともある。
それでもその仕方がない場合を除いて、隼人自ら、そこは決して通らない。
ほら、震えてきた……。
これは師走の寒気からではないと隼人には分かっていた。
拳をぎゅっと握りしめ、隼人は目を閉じてそこを通り過ぎようと思った。
妻がくれたマフラーを深く巻いて、顔を半分隠すようにして……。
見えなくても、なんておぞましいことだろうか。
まだ穏やかな春なら、賑わいの夏なら、黄金に染まる秋なら……。だが、このきりっとした寒さに包まれるこの時期のこの場所だけは、符合ががっちり合い隼人の忌まわしい記憶を鮮烈に蘇らせてしまう。
今回はまさにそれだ。だから来る前から気合いを入れてきた。
『それ、分かる気がする。俺も、二月と九月と……。そしてお前と同じだ。この時期は俺も滅法弱い』
昨日、義兄が共感してくれた言葉を隼人は思い浮かべていた。
二月。姉妹が襲われた時。
九月。義姉の皐月が、義兄の腕の中で息絶えた時。
十二月。俺達の葉月が、血に染まり、もう少しで逝ってしまいそうだった時。
義兄もその時がくれば、今の隼人のように震えるほどの嫌な思いをしてきたのだろう。
それも、隼人より長く、何年も何年も。幽霊という男が突きつけていた忌まわしい試練にもがく中でも、特に思いだしては辛いばかりの、死にたいほどの瞬間を何度も通り過ぎて来たのだろう。
(そうだ。義兄さんも血塗れの義姉さんを抱きしめて……)
看取ったんだった。
隼人はそれを思い、ふと瞳を濡らした。
自分もまさにそれだった。運良くと言うべきか。妻の葉月は、血塗れにはなったがなんとかこの世に戻ってきた。
だから。この時期にこの場所は隼人にとってはまさに最悪の時期に場所なのだ。
なんとかその場を通り過ぎ、隼人は無事に待合室にある窓口で搭乗手続きを済ませた。
ほっと一息。直ぐ側にある待合い用の椅子に腰をかけた。停まっていた呼吸が再開したような気分。
妻がくれたマフラーを解いて、大きく息を吸う。
その時、思った。
このマフラー。妻がこの出張に出かける時にくれたことを。
(そういえば、珍しいなあ?)
あの妻が、この前の出張で見つけたからと言っていた。
出張なんて良くあることで、しかも横須賀ばかり。彼女にしてみれば、実家に帰省するようなもの。いちいち土産なんか買わない。それは隼人も同じこと。まだ子供達も小さいので土産をねだられることもまだないのに……。あるとすれば、葉月が自分が好きな菓子を買い込んできて『一緒に食べましょう』と彼女の甘い甘いお茶タイムに付き合わされることだろうか。それぐらいだ。
出かける時に『あっちはもうだいぶ寒いだろうから、暖かくなれるものでも買おうか』なんて言ったら、彼女がそれが分かっていたかのように『丁度、貴方に似合いそうなものを見つけたのよ』と、急にこのマフラーを持ってきて出かけ際に首に巻いてくれたのだ。
その時、隼人はある時のことを直ぐに思い出した。
思い出の北海道旅行。
新婚旅行も出来なかった二人にとっては、あれが今までの中で一番の二人旅の思い出。
彼女が新千歳空港で買ってくれたマフラーを、洞爺湖駅でプレゼントしてくれた。それを思い出した。
だけれど先に隼人が彼女の首に巻いてあげた若草色のマフラーは……事件の時に血に汚れ、そのまま警察行き。今はどうなっていることか。
マフラーもある意味トラウマだったか。しかしそこだけは良い思い出故か、今年の寒さに負けて、隼人は何の気もなく自然にマフラーが欲しいと思っていたようだ。
それを察していたかのような妻の勘? いやあ、流石だなあと驚いて、有り難く頂いてきた。
そう思うとまったく……。
天国と地獄の思い出だと、素敵な瞬間まで遠く押しやられていたような気になって、隼人は一人顔をしかめた。
搭乗への誘導が始まった。
機内に入る為、妻がくれたマフラーは綺麗にたたみ、アタッシュケースにしまう。
ああ、早くお前に会いたい。
一目、そこにいると確かめないと気が気じゃない。
この時期は、そうなる。
彼女の名を呼べば、『なあに、貴方』と振り向いてくれる笑顔を確かめないと。
そこで彼女が確かに生きていることを確かめたくなる。
無性に。
そんな気持ちにさせられる時期。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
小笠原ではマフラーは必要なさそうだ。
羽織っていた紺色の軍コートも暑苦しい。
隼人はそれを小脇に抱え、ひとまず、自分のデスクがある工学科科長室へと帰る。そこでいったん、留守にしていた間の業務をチェックし、ひとまず自宅に戻ることにした。
……いつもなら戻らないのだが、この日の隼人はどうも落ち着きなく、自宅に戻りたくて仕様がなかった。
いや、本当に見て安心したいのは妻の姿なのだが。まさか大佐室に行く訳にも行かず。ただ、どうしてか。この気持ちを落ち着けるには一度、自宅に寄りたいという気持ちだった。
どうしたことか、いつもは早退などには口うるさい小夜が、一発でOKをしてくれた。しかも意味深な笑みを見せて。
後輩部下のその笑みの意味を、自宅に戻って隼人はやっと知ることになる。
昨年、娘が生まれる前に建った新居へと戻ると、そこには私服姿の妻がいたのだった。
隼人は呆然とした。平日の日中、自宅のキッチンに妻がいる。
彼女はいつもと違って、しっとりとした黒いニットワンピースを来た姿でキッチンにいた。
「は、葉月?」
何故か、恐る恐る声をかけてみると、彼女が振り返った。
「おかえりなさい」
まるで夫が帰ってくるのが分かっていたかのような、待っていたかのような笑顔を見せてくれた。
そこには、いつでも大佐嬢である葉月ではない、優雅な佇まいで奥様の顔をしている葉月がいた。
それを見ただけで……。隼人は腰から力が抜けそうになる。それはやっと心が安堵した瞬間と言うべきか。横須賀で覆われてしまった過去の暗黒から、妻の優雅な姿と変わらぬ笑顔のおかげでさあっと柔らかい光が降り注ぎ、凍っていたものがあっと言う間に溶けていくような感触だった。
そう、これを待っていた。これを感じたくて早く帰ってきた。ただ、彼女に直ぐに会えるとは思ってはいなかったが。
そのまま毒気を抜かれたかのように、隼人はキッチン台にある椅子に力無く静かに座った。
葉月はそんな夫を見て、ただにっこりしているだけ。帰ってきた夫が一息ついていると思っているのだろう? そのまま今度は珈琲カップを手にしてお茶を入れ始める。
葉月はてきぱきと湯を沸かし、珈琲を淹れ、最後にはミルクを手にしてカフェオレを作っている。
隼人は海が見えるキッチンで、妻が軽やかに動いている姿をただ見つめていた。
それはここだからこそ。夫の自分だからこそ見られる彼女の姿だった。
決して大佐室では見られることのない……柔らかい微笑みを浮かべている妻の……。
やがて、その一杯が隼人の目の前に置かれた。
「お疲れさま、貴方」
「あ、有難う。葉月」
お帰りの一杯を手にして、一口。上出来のカフェオレに隼人はさらに安堵する。
熱いカフェオレ。たった一口でもそれはじんわりと胸のあたりから身体中へと温めてくれる。
そのカップを置いて、隼人は隣に立っている妻を見上げた。
「うまいよ。ほっとした……」
さらに微笑みかけてくれる妻。
葉月はそうして暫く、黙って隼人を見つめてくれていたのだが。
「思ったんだけど……」
葉月がやっと何かを呟いたので、隼人も『何を思ったんだ?』と耳を傾ける。
「思ったんだけれど、貴方……何かあったの? 出かける前、様子が変だった気がして」
「いや……、なにもないよ」
これは夫の嘘。
妻は気付くだろうか? しかし、既にもう、隼人の様子がいつもと違っていたことは見抜かれている。マフラーはその為だったのだろうか? 隼人はそう思った。
するとそんな隼人の横で静かに微笑んでいた妻が、ちょっと困った顔で言った。
「……実はね。あのマフラー、クリスマスプレゼントの予定だったの」
隼人は『え』と驚いて、妻を見上げた。
すると葉月は、やはり何か待ち構えていたのか。キッチンの片隅に置いている『包装紙』を手にして、隼人に差し出した。
それはクリスマス用の包装紙、そしてリボン。だが、中身はなかった。既に開けられて空だ。
しかし隼人はそれでやっと分かった。今、アタッシュケースの中にたたんでしまっているマフラーが、出張前にはそこに包まれていたのだと……。
「……寒そうだったから」
葉月の声が少しだけ、震えていた気がした。
隼人も固まった。
『寒そう』──。それは季節柄、出張に行く夫の身なりが寒そうだったから……。そう聞こえそうだ。だが隼人と葉月の間では、もっと深いところに急に二人で飛び込んでしまったような緊張感に包まれる『重いひとこと』だった。
この時期に、隼人の様子が少しだけ変わる。重苦しそうに、切羽詰まったように。あの時の悪夢を思い出して、『貴方は寒そうにしている』。
妻がそんなふうに気が付いていたこと、そっと見守ってくれていたことを隼人は知る。
彼女なら、その『寒さ』誰よりも味わってきたから分かってくれたのだろう……。隼人はやっとそう飲み込めた。
そんな妻がそのように気が付いてるならば、安心をさせてやらねばと隼人は葉月に微笑んだ。
「有難う。暖かいマフラーだったよ」
そして忌まわしい場所も、お前が目隠しをしてくれたよ。
隼人は心の中で呟いて、ただただ妻に微笑む。
「そう、良かった」
目の前で微笑む、葉月。
顔色も良く、三十代を迎えても益々その微笑みは優美で隼人の心を捕らえてしまう。
彼女と出会って愛し合って恋人になって。愛しているから傷つけあってしまった日々もあった。
だからこそ。今目の前に隼人の妻として存在している葉月は、若い時よりもずっと綺麗だった。
そんな妻を確かめ、隼人はその気になる。
妻が入れてくれたカフェオレを飲みながら、彼女にやっとその気持ちを伝える気になった。
「……寒いんだ。葉月」
妻もやっと、なにが寒いか伝えようとしている夫を察して、泣きそうな顔になった。
隼人はまだぬくもりが残っている空になったカフェオレカップを手にして、さらに呟く。
「……この時期は、駄目なんだ」
「そうね。きっと身体が傷ついた私より悲惨な物を貴方は見てしまったのだと……」
「だから。この時期は、俺の目の前で笑っていてくれないか。俺の傍にいてくれ。目の前にいてくれ……」
横にいる泣きそうな顔をしている妻の手を、そっと取った。
「それが、葉月に願う、たったひとつのことだよ」
そう、お前が確かにそこにいる。
それだけで充分なんだ。いてくれなくちゃ困るよ。
いつまでも傍で笑って生きていてくれないか。
「分かったわ、貴方」
取った手をぎゅっと握り返してくれる葉月。
隼人の中に広がるぬくもり──。
やっと心の寒さが消えていった。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
リビングは朝から華やかに飾り付けられ、片隅には背の高いオレゴンツリー。
昨年、達也が張りきって買い付けてきた物だった。長身の達也より背が高い。
十二月に入って、隣の達也が梯子片手にこの家のリビングに持ち込んでツリーだけ先に飾り付けをしてくれた。
彼の家には彼の家のものを飾っているのだが、この御園家には人が沢山集まるからと、ゴージャスなツリーを達也は選んでくれたのだ。
クリスマスイヴ当日。
招待されたファミリーは、義兄が決めた時間、正午を目処に小笠原入り。続々と御園若夫妻の新居にやってきて、全員集合。
今、集まったファミリーは、そのリビングで大きなツリーを囲んでいた。
そこで、妻の葉月が二歳半になった息子の海人に、クリスマスのオーナメントをひとつ手に持たせた。
「ほら海人。これを、横浜のお祖父ちゃまに『はい、どうぞ』って」
「はいっ、じいじ!」
「おー、有難う! 海人」
横浜の父が、初孫の海人とクリスマスの飾り付けを楽しんでいる。
達也がお祖父ちゃんとお祖母ちゃんも孫と飾った方が楽しいだろうと、この日の為に飾りを少しだけ残していたのだ。
「ばあまま、はい」
「まあ、有難う。カイちゃん。ばあママと飾ってくれるの」
「うん!」
義理の関係ではあるが、若いお祖母ちゃんになってしまった美沙。なので隼人は美沙のことを『祖母ちゃんママ』にしようと息子に『ばあママ』と教え込んだのだ。その美沙も海人から飾りをもらってとっても嬉しそうだ。海人を抱き上げて、大きなモミの木に飾りをつけている美沙の幸せそうな横顔。隼人はそれを見てキッチンでそっと微笑む。
父の和之も、まだ一歳になったばかりの、まるまるころころと成長した杏奈を抱き上げると、もうどうしようもなく崩れたお祖父ちゃんの顔。黒髪で昔亡くした妻の面影がある孫に巡り会えて、また格別に可愛いようだった。杏奈を抱き上げた和之は海人からもらったオーナメントを高い位置に飾っている。
妻の葉月も、御園の両親とそこを囲んで、親子で孫で、最後の飾り付けに賑わっていた。
真一と和人も。二人とも気取ってきたのか、揃って洒落たスーツで『大人の顔』で来た割には、二人で肩を並べて童心に返ったように飾り付けている。
ソファーでは、右京とジャンヌがもてなしの紅茶を片手に、子供達と家族を微笑ましく眺めて、とても楽しそうだった。
達也も母親の八重子と晃を挟んで……。それだけじゃない。この日は遠くから、泉美の父も宮崎から出てきてくれ、晃と一緒に飾り付けをしている。
「泉美さん、お父さん嬉しそうだね。よかったね」
「本当。純兄さんが、まさか宮崎の父にまで招待状を出してくれていただなんて……」
今、キッチンは隼人と泉美の仕事場。
御園家と海野家の『食』は、この二人で守っているようなもので、今は仕事を辞めてしまった泉美だがキッチンに立てば大佐室で同僚だった時と同じ気持ちで繋がっているのを隼人はいつも感じている。
その泉美も今日は顔色がよい。やはり実父が可愛い息子と楽しそうにしている姿を目にするのは、母親になった娘としても嬉しいものなのだろう。
「父もびっくりしたみたいだけれど、こんな綺麗なカードの招待状をもらったら行きたくなったって、直ぐにこっちに来ちゃって……。本当、隼人君の義理のお兄さんは気遣いが上手ね」
「いやいや。なんていうか……そう。まあ、気の付く人だと思うよ」
泉美が純一を褒めてくれ、何故か隼人は自分が褒められたように照れてしまった。
ただ、ひとつ。家族にはちょっと鈍感になって間が悪いこともあるんだけれど? という事実は、ここでは言わないことにしておく。
だが、純一が気が付くというのも事実。本当に、今回はなにからなにまでやってくれ、隼人は料理に集中することが出来た。
その義兄さんは何処にいるかというと……。
こんな時まで御園の影婿とばかりに、皆が囲むツリーの輪には入らず、キッチンの入り口でテーブルの状態をチェックしている。振り返っては、隼人と泉美が準備する料理の進み具合を眺め、時には時計まで眺め、テーブルの隅から隅まで少しでも乱れたらきちんと直し、常に『美しい会場』であるように神経をとがらせているようだ。
まあ、今朝からこんな感じだ。
まだクリスマスの意味も楽しみも分からないだろう息子達だが、人が沢山集まってなにやら楽しいことになっているのは分かっているよう。
朝から隣の海野一家も準備の手伝いに来てくれ、達也パパがリビングを賑やかに飾っているわ、隼人パパは忙しそうに泉美ママとキッチンでご馳走をつくっているやら、葉月ママは綺麗にお洒落してテーブルを整えているやら。果てには昨日から小笠原入りしている背の高い黒スーツの純おじさんも、あれこれとパーティーのチェックにうろうろしているやらで、晃と海人はもうはしゃいでご機嫌な状態が続いていた。とにかくリビングをくるくると回って時には二人で『きゃー、うわー』と声を出したり、ちょっぴりお兄ちゃんの晃と手を繋いであちこちを覗いて、上手く回らない口で『ぱぱ、ごはん』、『まま、じゅんび』と純おじさんがチェックする真似をして二人で遊んでいた。
その純一がまた時計を眺めて、キッチンに入ってきた。
「そろそろ、シャンパン。いいだろう」
そういうと、自分が用意したシャンパンを手にした純一。
ローストビーフを盛りつけていた隼人も、子供用の唐揚げを可愛らしくデコレーションしていた泉美も、黒いスーツのすうっとした男が静かにボトルを手にする姿に見入ってしまった。
綺麗な白いナプキンを片手に、姿勢の良い義兄がきゅっとシャンパンボトルの口を握る。
慣れた手つきで、ゆっくりと、なんなく栓を開ける姿。白いナプキンをボトルの口にあてて、並べられている数々のグラスに金色のシャンパンを注いでいくその姿が……。
「まあ、素敵ね。純一さん」
何度もそれをこなして磨かれてきた姿勢に、泉美までもがうっとりしている。
隼人も一瞬、うっとり……。でも気を取り直す。
「なーんだ、兄さんも出来るんだあ。いつもジュールやエドがパーフェクトにやっているから、兄さんは出来ないのかと思っていた」
「なんだと、この野郎。やつらに出来て俺に出来ないわけがないだろう。俺が教えたんだぞ。お前まで葉月と真一と同じ事を言うだなんて、がっかりだ」
「えー、本当かな。それにしては、可愛い妹の好物であるロイヤルミルクティーは、ジュールや俺より下手くそらしいじゃん」
「はあ? もう一度、言ってみろ」
「事実だろ。葉月がそう言っているんだから」
いつもの義兄弟の憎まれ口合戦が始まって、泉美が側で笑い出す。
「もう。純兄さんも隼人君も、本当に仲良しね」
二人同時に泉美に向かって『違う』『そんなことあるもんか』と口を揃えたので、また彼女が笑い出す。
こちらも賑やかになるキッチンに、泉美の父親が晃と手を繋いでやってきた。
「泉美、晃が……」
「ママ、ぼく、しー、出ちゃった」
「まあ、大変。着替えましょう」
トイレに間に合わなかった晃に泉美は駆け寄って、慌ててキッチンを出て行った。
宮崎から出てきた泉美の父は、そんな娘と孫を笑顔で見守っている顔。その笹川の父が、純一と隼人を見て言った。
「お兄さんに、隼人君。今回は本当に有難う。身体の弱い娘なのに、このような離島にある基地で働きたいと我を張って宮崎を出ていったものですから心配をしておりましたが……。まさか結婚して母親になれるとは思わなかったですよ。頼もしい達也君に貴方達がいてくれるので、安心しておりますが、どうぞこれからもよろしくお願い致します」
初老の男性に頭を下げられてしまい、隼人と純一は顔を見合わせた。
だが純一が直ぐに笑顔になり、グラスをひとつ。笹川の父に手渡す。
「お父さん、これからも大丈夫ですよ。メリークリスマス」
「有難う、純一君」
「さあ。そろそろ始めますから、そちらでゆっくりしていてください」
幸せそうな笹川の父を見て、純一と隼人も微笑む。
笹川の父は、達也と八重子の元へ行き、また楽しそうに家族の会話を楽しんでいるようだ。
純一は再び、残りのグラスにシャンパンを注いでいる。
キッチンに二人きり。隼人はそんな義兄の手つきに見入っていた。
「隼人」
男二人の沈黙の中、急に呼ばれて、隼人はドキリとする。
いつもの厳つい顔で真剣にシャンパンを注いでいるせいかもしれないが、純一の顔がいつもより強張っている気がした。
先ほどまで、誰にも穏やかで落ち着いた笑みを見せていたのに……。
「なに、義兄さん」
「やっぱり、葉月が不機嫌なんだよなあ」
「ああ。子供用のカードを送りつけたからだろう」
「まあ、そうなんだが〜」
義兄のちょっとした悪戯。それが息子と娘に届いた可愛いカードとまったく同じ物が義妹である自分の手元にまで届いたので、それはもう、葉月はおかんむり。しかも葉月のカードにだけは『おちびさんにもサンタが来ますように』なんて書かれていたそうだ。
まったくこの義兄さん、自分が何歳で義妹がどれだけ大人になったか自覚しているのだろうかと、この悪戯を知っていて見逃した隼人ではあるが呆れてものも言えない。
だから隼人は言ってやる。
「言っただろう。そりゃ幾らなんでも葉月も怒るって」
「……そりゃあ、俺も分かっていてやっているのだが? まさか、こんなに怒るだなんてなあ。今朝から何度か無視された。昔からお馴染みの悪戯をしてあそこまで怒っているとなると……」
「無視。それはかなり不機嫌じゃないか」
「だから、言っているではないか」
確かにと、隼人も首を傾げた。
義兄妹の、昔からの『お兄ちゃんと、おちび』の悪戯なら葉月も一時怒って、すぐに笑い飛ばしているはずなのだが。『無視』とはそれは他に何か怒っているのではないかと思ったほどだ。
「義兄さん、他にもなにか悪戯したんじゃないか? ほら、この前、葉月が横須賀出張した時に一緒に食事をしたんだろう。その時にうっかりなにかしたんじゃないか?」
「それがなあ。その食事の時、既に機嫌が悪かったんだ。昔話をしているうちに、葉月も機嫌が直って『気が付かないなら良いの』と、俺がなにをしたか判らないが許してくれたようだったのだが……」
横須賀出張の前から、機嫌が悪い?
隼人はさらに首をひねり……。だったら出張前に何があっただろうかと、少し前の日々を思い返してみて──『閃いた』。
「あー、たぶん。あれじゃないかなあ」
「あれ? なにか心当たりあるのか?」
この兄さんは、本当に己に心当たりはないのかと、あることに気が付いた隼人は呆れた。
「義兄さん、『あの話』を葉月に報告していないだろう。来年、義兄さんが決意したあの話だよ」
「ああ、あれか。真一が独立することになったから、その後、俺がこの小笠原に移住することに決めたってあれか」
そうなのだ。真一が都内で自活をする決意。そんな息子の後押しの言葉もあり、この義兄はついに……義妹が『我がホーム』と決めた小笠原に、自分も生涯を共にしたいと決意したのだ。
その決意。一番に報告してくれたのは、隼人のところだった。
隼人も驚いた。何故、義妹の葉月ではなく、義弟の俺なのだと。だが分からなくもない。夫の隼人の気持ちを差し置いて、小笠原に行くことは出来ないと義兄は思ってくれたのだろう。
だけれど、隼人は大賛成だった。妻が義兄とどうしようもなく愛していたのはもう過去のことと割り切っている。それよりも、こんなに頼もしい男が側に来てくれるのは御園の婿養子としてはとても心強いこと。さらに妻もとても喜ぶだろうと思ったのだ。
この時、隼人は純一に言った。『義兄さんからちゃんと葉月にも報告しろよ』と。純一も『分かった』と言ってくれ、安心していたのだ。
そして出張に出かける妻に、隼人はつい言ってしまったのだ。
『今度、義兄さんと会う時、きっと良いことがあるよ』
『なに。それ』
『会えば、分かるって』
『また、隼人さんだけが知っていることなの!?』
結婚後、義兄弟になった純一と隼人は、互いに婿養子として密に連絡を取り合っていた。
その中には、御園の本当の娘である葉月が知らない大事なことを、男二人だけで相談していることもある。そんな相談を男二人がとっくに先にしていたことを葉月が後から知ると、もの凄く怒る。『長年の義妹にひとことも相談もしてくれないのか。妻の私にも知らせてくれなかったのか!』と、葉月はとても過敏だった。
だからこそ『きっとなにか報告があるよ』と夫としても『妻に内緒にしている訳じゃない』と、ほのめかしたのだ。
夫の隼人から『義兄さんとこれからこの島で暮らせるよ』と言ってしまうよりかは、大好きなお兄様から報告された方がきっと妻も嬉しいだろうと……。だから『ほのめかし』だけで済ませておいた。きっと義兄はその食事の時に、葉月に報告するだろうから、今はまた義兄弟に蚊帳の外にされてしまって不機嫌でも、直ぐに喜びいっぱいになって、隼人が全てを教えなかったことも許してくれるだろうと。
なのに、この義兄は報告をしなかったようだった。
それでも出張から帰ってきた妻は、取り立てて不機嫌な訳でもなく『義兄様とのお食事、昔話が出来てしみじみできて良かった』と楽しそうに報告してくれたので安心していたのだが。
さらに隼人は気が付いた。
妻の葉月はきっと、昨日パーティーの準備の為に小笠原入りした義兄が今度こそなにかを教えてくれるかと期待していたのに、また教えてくれないことに気が付いて怒っているのだと。
気が付いたことそのまま、隼人は純一に教えてやった。
「だから、機嫌が悪いんだよ。さっさと報告してやれよ」
「あれは……。こっちに引っ越す寸前に教えてやろうと思っているんだ。全ての準備が整ってから。その方がびっくりするだろう」
なにを呑気なことを言っているんだ、この馬鹿兄貴!! そんな大がかりなサプライズで義妹を焦らして喜ばすより、今すぐ報告してやった方が喜ぶに決まっているだろう! ──隼人は心でそう叫んで、かなり苛立った。
そうして派手な演出で、焦らしに焦らした義妹がとっても驚いて喜ぶ顔を楽しみにしている計画なのだろうが、それが『間が悪くなる』ということが解らないのかーー!! と、隼人もおかんむり!
この義兄はきっとこうやって、葉月を困らせ焦らして泣かせてきたんだと思うと、益々腹が立ってきた。
そこで義兄が注ぎ終わったシャンパングラスをひとつ手にとって、隼人は純一に差し向けた。
なんのつもりかと言いたそうな顔の義兄にそれを持たせる。
「そんな長く隠し通せる訳ないだろう!? さっさと今すぐ、大事な義妹に報告してこいっつーの! この馬鹿兄貴!」
今度は遠慮なく、義兄に蹴りを入れ、キッチンから追い出そうとした。
だが義兄は『俺はまだ報告しないぞ』と言うことをきかない。
「ああ、いいぜ。このまま義兄妹の仲がこじれて、兄さんが二度と葉月と会わなくなる方が俺はいいもんなー」
「なんだとー? 俺には俺のやり方が──」
「うるさい! さっさとそれをクリスマスプレゼントにして言ってこいっつーの!」
『クリスマスプレゼント』という言葉に、義兄がどうしてか固まってしまった。
意外な反応だったが……。
「そ、それも……そうだな……」
「そりゃ、義兄さんは葉月になにか素敵な洋服やアクセサリーを用意しているんだろうけれど? 葉月は……そっちの方が何百倍も喜ぶと思うよ……」
大好きな義兄さんが傍で見守る生活をする。
その方が、何年も彼の帰りを待っていた義妹には幸せなはずなんだと……。
「わ、分かった。い、行ってくる」
急に。いつもはビシッとしている大人の義兄が、シャンパングラス片手にぎくしゃくとしながら葉月のもとへと向かっていく。
「頑張れよー」
まったく世話の焼ける兄貴。
隼人は純一の実弟『真』が、この義兄の後押し役をしていたというのが……なんだか妙に頷けたりした。
真さん、とっても苦労したんですねーと言いたくなる。
キッチンからそっと見守っていると、ツリーの下でいきなり純一からシャンパングラスをもらった葉月が戸惑った顔をしてる。
やがて──。葉月がとても驚いた顔。そしてちょっと恥ずかしそうに互いに俯いているのが見えて、隼人はなんだか『勝手にしてくれ』と呆れた溜息をこぼしてしまった。
さあ、準備が整った。
今からは皆が楽しい気持ちになるイヴを共に過ごそう。
隼人はシャンパングラスのトレイを抱え、賑やかなファミリーの輪の中に入っていく。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
「メリークリスマス!!」
御園若夫妻のホーム。
皆の笑顔が弾ける乾杯。
誰もが金色のシャンパンを片手に笑っていた。
テーブルに集って和やかな食事会が始まると、和人がそれを待っていたとばかりに、テーブルに何かをばんっと置いた。
その勢いに、皆がちょっと驚いた顔で食事をする手を止めた。
「ちょっと、純兄さん! 俺にまでこれってひどくないっ!?」
和人が拗ねながらテーブルの置いたのは、あの可愛らしい靴下の招待カード。
子供用だったことで純一本人に抗議を叩きつけたようだ。
だが、そこで皆がわっと笑いに湧いた。
すると真一も葉月も。
「俺もだよ! 息子が何歳になったかわからないだなんて、このぼけ親父!」
「しんちゃんだけじゃないわよ。私もよ、私も!! 私のこといつまでおちびって馬鹿にするのよ!!」
『サンタが来るよ』なんてカードを送りつけられた『オチビ軍団』は猛烈な抗議。
だが今度はママになった葉月までもが送られていたことを知って、ファミリーは大爆笑だった。
なるほど。義兄さん、上手く盛り上げる為の作戦だったのかと思ってしまった。
そんな義兄も楽しそうに笑いながら言った。
「いいのか、そんなに怒って。靴下のカードが届いた人には、俺と右京からプレゼントがあるんだぞ」
「そうだぞー。真一は時計を欲しがっていたな? 和人君は靴だったかなあ〜。葉月は……」
右京がテーブルに豪勢なリボンがかかった箱を並べ始め、それを見た和人に真一に葉月は途端に『うわあ』と大喜び。
隼人は苦笑い。なんとまあ。ウサギが増えたことかと……。
それでも、そんなファミリーを見て、隼人の心のかかっていた暗雲が綺麗に散っていく。
今年も、黄金色のイヴに迎えられ、隼人は生き返っていた。
リビングの賑わいを側に、料理長はまだまだ仕事が残っている。
一人きりのキッチン。そろそろデザートでも出そうかと準備をしていると、そこへ葉月が入ってきた。
シャンパングラスを両手に持ち、海がよく見えるシンクで佇んでいる隼人のそばへと来てくれる。
そして無言で差し出されるグラス。彼女は隼人が愛している微笑みを浮かべ、ただ、黙って……。
隼人もそっと微笑み返し、そのグラスをただ黙って受け取る。
「貴方、メリークリスマス」
「メリークリスマス、葉月」
二人の青い楽園に雪は降らない。
金色のシャンパングラスに、青い海が透き通って見える。
でもそのグラスを見つめる妻が言った。
「泡が雪みたいよ」
「ああ。思い出すな。北海道の白い花を──」
「本当ね」
最高の想い出だけを二人で思い返し、乾杯。
夫妻は、どちらがというわけでもなく──。キッチンの片隅で、グラス片手にお互いの身体を寄せ合う。
そして静かに見つめ合い、柔らかな唇に吸い寄せられ……。
この男の隣にいつまでもいて欲しい。
妻との乾杯も口づけも、いつまでも黄金色。