23.横浜ラナウェイ

 

 『葉月さん』

 「──!?」

ぱきん……! 葉月の耳の側でそんな音が弾くように聞こえた気がした。

 

「…………」

目を開けると……暗くて白い天井が出窓の夜灯りの中、ぼんやりと映って見えた。

「……うん? 隼人さん?」

いつもの右側にいるだろう彼を確かめようと、腕を伸ばすと……

スッとシーツの冷たい部分の感触だけが返ってきただけ。

(あら?)

葉月はそっと首だけ右側に向けた。

「うーん……まだ、シャワー?」

耳を澄ましたが、そんな音が聞こえなくて……ただ、眠い目をこすった。

 

「うーん……」

まだ眠りから覚めない重い頭に唸りながら、葉月は額の栗毛をかき上げながら起きあがる。

ふと、時計を見ると……

寝る前に確かめた時間から……一時間も経っていなかった。

「薬……効いているはずなんだけど?」

その通りのはずで……やっぱりすぐに横になりたくなるほど、頭が重くて目が冴えない。

隼人が何故、側にいないのかなんて、あまり気にしなかった。

彼も久し振りの実家……父親と話しているか知れない?

ちょっと外に出ただけで……すぐに帰ってくるところなのかもしれない?

まだ、夢うつつの葉月は……それぐらいしか今は思いつかない。

だけど……

「ああ……おトイレ、さっき行きそびれたんだわ……」

尿意のせいで、目覚めたのだと思った。

その通りで、起きるとなんだか行かなくてはいられない感触を得て……

葉月はこの室内にあるトイレにとりあえず向かうことにした。

 

『パタン……』

 

用を済ませたので、また、薬の効果に赴くまま寝ようとベッドに腰をかける。

 

「……23時ね……」

時計を確かめた。

まだ額を抱えて……暫くジッとしていた。

 

隼人の気配は一向に近づいてこない……。

 

「……?」

 

目が覚めてくると……なんだか落ち着きない『予感』が閃き始めた。

 

『葉月さん』

 

なんだかそんな女性の声で目覚めた事を思い出した。

 

「…………」

 

そっと部屋のドアを見つめていると……自然と身体がそちらに向かった。

葉月は自分が寝ていた跡に置き去りにされているカーディガンを手にとって……

そっと肩にはおりドアに向かう。

 

「…………」

 

二階の廊下は静かだったが……

幾つか前の和之の書斎から……男性二人の軽やかな声が聞こえてきた。

 

「やっぱり……お話中なのかしら?」

 

ドアを閉めて、大人しく寝ようと思ったのだが──。

和之の書斎の隣……そこの扉が少しだけ開いていた。

僅かに……その部屋からの灯りの筋が廊下に筋を写している。

『ボン、ボン、ボン』

ベース音が聞こえてくる。

(和人君の部屋みたいね……)

コンポの音が漏れているらしい。

『ボン、ボン、ボン……』

その音は、葉月が今手にしているドアを閉めれば聞こえなくなる。

でも……

『ボン、ボン、ボン』

微かに聞こえてくる英語のラップ音楽。

ドアの隙間から……延々と聞こえて来るばかり。

年頃の男の子が……部屋のドアを少しだけ空かしたままにしているなんて違和感が走った。

 

『ボン、ボン、ボン』

 

葉月はそっと……裸足のまま……廊下に出てみる。

その音につられるように……

 

『ボン、ボン、ボン』

 

「……!?」

 

その部屋の前に辿り着くと、階段が見えた。

あの白い手すりの階段だ。

『ボン、ボン、ボン』

そこに……この音が聞こえてくる部屋の『主』が……

階段の中腹で座り込んでいて、何か下を真剣な顔で覗いていたのだ。

 

「和人君?」

 

葉月がそっと声をかけると……

 

「!!」

茶髪の少年が……昼間とは違う思い詰めた顔で……

そして、警戒した顔つきで振り返った。

 

「……あの、お兄様がいないけど、知っている?」

葉月が何気なく……とりあえず思いついた事で話しかけてみると……

 

「……親父と話しているんじゃないの?」

彼はなにか、固まった表情でぶっきらぼうにそう言ったのだ。

そして……ズボンのポケットに手を突っ込んで立ち上がった。

「肩、痛いんだろ? 早く寝た方が良い……」

「あ、有り難う……」

あんなにちゃらけていた男の子が……

まるで隼人のような眼差し、強い言葉でそう言う物だから……

葉月もつい……押されてそう応えた。

「なに? 早く、戻りなよ。兄ちゃんもその内にくるさ」

「……うん。その……」

なんだか……和人がその階段の位置から立ちはだかって動かない。

「なんでそこに座っているの?」

「別に?」

葉月が一歩近寄ると……

「……来ないでくれる? その恰好で近寄られると俺、ちょっと変な気になるかもよ?お姉さん」

和人が『にやり』と笑った。

昼間、葉月を生意気にからかったように。

だけど……唇の端が少し震えたようにも見えた。

昼間の笑顔とは必ずしも一致にしないと葉月の『勘』がそう言っていた。

「お母様……そこにいるの?」

「いない」

「…………」

即キッパリ返ってきた返事の裏側。

『いるよ』……葉月にはそう聞こえた。

 

徐々に嫌な予感がしてきた。

 

「お水が欲しいの」

「じゃぁ、俺が後で持っていく」

「それぐらい自分で出来るわ? 部屋、開いているわよ? いいの?」

「…………」

なかなか下がらない葉月に、和人が苦い表情を一瞬浮かべる。

 

(そこに……美沙さんと隼人さんがいるのね!?)

 

葉月はすぐにそう思った!

和人が全然、そこを動かない、通してくれない。

 

そんな顔で……何を見届けていたというのだろうか!?

 

葉月がサッと階段を降りようとすると、和人が上がって

葉月の前に立ちはだかった!

「…………」

和人が無言で何かを訴えているよう──?

だけど、年上の葉月としてはその表情で充分『確信』してしまった!

「そうなるって覚悟してきたんだもの……」

立ちはだかる和人にそっと呟くと……

彼は、葉月の無表情な一言に驚いたようで、息づかいが止まった。

 

『美沙さん……俺こそ……』

 

隼人の声が……切なそうな詰まった声が耳の良い葉月にハッキリと届いた。

「解っているなら、見ない方が……『楽』って事もあるんじゃない?」

和人が、泣きそうな顔でそう言った。

「そうかもしれないって心の何処かで思っていても……

目の当たりにする方が『残酷』だって事もあるじゃないか?」

和人はそこでやっと……苦しそうな表情を灯して唇を噛みしめていた。

(見てしまったって事ね!?)

それ以上に……葉月が驚いたことがもう一つ。

(和人君……お母様とお兄様の……危うい関係を予感していたって事!?)

そう……和之さえもが……

『そうなっても良い覚悟はしていたんだよ』

そう言っていたぐらい……。

美沙と隼人の関係は……

『母子じゃない』、『姉弟じゃない』……血の繋がりがない男女。

『家族になりきれない』

葉月さえもが、横浜に来る前から『不安』を描いていたぐらいだ。

側にいる……大人になりつつあり和人が『感じない』なんて事はなかったと言うことだ!

感情を現した和人を押しのけるのは、今となっては簡単な事。

葉月は和人をそっと自分の前から除けて……

和人が座っていた階段の手すりに身をかがめた。

 

『!!』

 

キッチンの流し台の前……。

そこに見慣れた彼の逞しい背中が見える。

葉月の愛している背中に……

女性の白い指が彼のカットソーを引きちぎりそうにしがみついている!

彼の肩に美しい黒髪を貼り付けて

彼は……その髪の中に頬を埋めていた!

 

『…………』

何故? 解っていた事。

和人に割り切った事を言い放ってまで見た光景。

 

──『解っているなら、見ない方が……『楽』って事もあるんじゃない?』──

 

和人の言葉、彼がたった今『実感』した言葉の

『本当の意味』を葉月は『体感』してしまった!!

 

(違う……隼人さんは、絶対に……違う!)

 

葉月は……静かに立ち上がる。

そして、そっと階段を一段上がり……そっともう一段……ゆっくりと上がり……

「だから、言っただろう?」

俯く和人の前に辿り着くと、少年は悔しそうに呟いた。

「……いいのよ」

「言葉と顔が違うみたいだけど?」

「そうね……でも、差し向けたのはきっと……私」

「そうかな?」

「そうでなければ……今までと一緒だもの」

葉月は和人とは目も合わせずに……そっと微笑んで階段を上がりきる。

向かう先は……一つしかない。

眠らなくてはならない。

泣かずに彼を信じて待つ……眠っていた事にしなくてはならない。

廊下をそっと歩き始めると、和人が心配そうについてくる。

「葉月さん? 大丈夫?」

「…………」

「葉月さん?」

葉月はそっと、廊下の窓から夜空を見上げた。

半月が、レモンの様に黄色く揺らめいている。

(泣きたいのに……)

葉月は、胸が感じた事ない程、締め付けられているのに……

いつもの冷めた眼差しで、ただ……月を見上げていた。

そんな葉月が身動きせずに窓際でぼんやりしているのが気になったのか?

「俺が止めるまま見なければ良かったんだ」

和人がそう言う。

「そうね……」

葉月は力無く微笑むだけ。

(泣く感情も、ばらけているの? 私……)

そう思った。

だが──葉月の『ショック』は『男女が抱き合っていたから』ではないような気が自分でしてきた。

「隼人さんが……あんなに弱く見えるなんて。たまにはあったけど、あんなの初めて……」

自分の力なさに嘆く彼を見たことはあっても……

何かを頼るように寄りかかりたがる力無い彼を剥き出しにしているのは初めてだと思ったのだ。

「……そうだね。俺もあんな兄ちゃん見たくなかった」

「私──彼に頼られた事、ないかも?」

「男はそうは見せないよ」

「……わたし、あんな風に……包み込んであげていない」

「年下だからいいんじゃないの?」

和人の幼くも精一杯の慰めに……葉月はやっと微笑んでいた。

 

「俺もうすうす予感じていたよ。

だって、母ちゃんと兄ちゃんはいっつも仲良くなくて、ワザと冷たくしあっていて

ガキの頃は『仲が悪いから兄ちゃんは出ていったんだ』と思っていた。

だけど……母ちゃんは困った時は兄ちゃんに頼み事はしていたし

兄ちゃんも冷たい振りして、結局は助けていたみたいだし……。

反発が裏返しだったのなら、それってなんだろうって」

「そう……」

葉月は、この子ももう『子供じゃない』と解ってため息をついた。

「ばっかばかしい!」

和人は自分の部屋の前に着いてドアノブに手をかけた。

部屋にはいるのかと思ったら……?

コンポの音を遮断させるように部屋にも入らず、そっとドアを閉めたのだ。

「俺、この家、嫌い」

「ええ!?」

「こんな泥っぽい家が嫌いだ。兄ちゃんは大好きだけど……。

家族が揃うと『変な空気に歪み』を感じて居心地ワル!

年が離れていないのは継母と義理息子のほう。

だからって、それが耐えられないのって俺の存在バカにしているから!」

「…………」

『もっともな所』と、葉月は和人の『本音』に反論が出来なかった。

「それを見逃そうとしている、悟りきった親父も嫌い」

「……そう」

葉月はただ、和人の気持ちを噛みしめながら頷くほかない。

まつげをそっと伏せて裸足の自分を見つめた。

年上の女性の存在に寄りかかる隼人。

そして……彼を満足させてあげられない自分勝手な『自分』を

力無く……思っていた。

「でも、お兄様は……決着をしているだけで……。

私の所に戻って来るって信じる」

「当たり前だろ!? 兄ちゃんが葉月さんの所に戻らないって事は

うちにとっても一大事だよ! 冗談じゃないぜ!」

「あの姿は……子供の頃に取り残してきた姿なのよ」

「……だけど、俺にとってはいい迷惑! 葉月さんだって、今まで迷惑していたはずだよ」

「それ以上の迷惑かけているから、私」

「ああ! もう!! あのさ? 変に物わかりいいと後で後悔するよ?

嫌と思ったなら、普段、我が儘と思っていても、そうじゃないと思っていても

肝心な時こそ我が儘にならないと!」

(うわ……生意気!)

ごもっともすぎて、葉月は反論が出来ない。

 

「そういうわけで。葉月さん! 車だしてくれる?」

「ええ!? 何故???」

 

突拍子もないことを和人が真顔でいうので葉月はびっくりおののいた!

 

「今夜は葉月さんの為に俺は、食事にとりあえず出たけどね?

本当なら、いつもの如くすぐにトンズラか、参加しなかったの!

今からそれを実行する!」

「な、何言っているのよ??」

だが、和人の黒い瞳は徐々に強い輝きを放ち真剣そのものだった。

「だいたいにして、彼女が寝ているのを見計らって、妙な触れ合いをしているのが気にくわない」

「それ、私のセリフ……でも、別にもう何ともないし」

驚愕心が収まると、隼人と美沙がああでもしないと

わだかまりも解けないだろうと落ち着いてきた。

乗り越えるのであれば、仕方のない『一場面』と思えてくる。

これは『見届ける約束』をした葉月に対する『試練』だと思わないと割り切れない。

「別に割り切ったなら、それでいいよ? 葉月さんはね。

俺はもう、そうもいかないの! 俺が止めるのも関わらず現場を目撃した『共犯』だろ?」

『だから、俺に付き合え!』と、言う事が解って葉月は益々おののいた。

「きょ、共犯って」

「じゃなきゃ、俺、今すぐキッチンに殴り込みに行く」

(ええーー! それも余計な混乱を招くじゃないーー!)

葉月は、戦々恐々として和人の勢いにすっかり飲み込まれてしまった!

 

「わ、解ったわよ。従兄の車のキー持ってくるから」

「そうこなくっちゃ♪」

せっぱ詰まった顔で迫ってきたくせに……調子よく和人が微笑んだので

葉月は呆れたため息を一つ、ついて部屋に戻った。

 

部屋に戻って、葉月は……隼人がクローゼットにかけた制服のスラックスのポケットを探った。

『あった』

カルバン=クラインのキーホルダー……。

葉月が何年か前に、右京にプレゼントした物。

それを握りしめて……プラダのバッグをとりあえず手にする。

ジャージワンピース姿のまま、葉月が部屋を出ると

和人が階段の上で下の気配を確かめながら……

『いこ!』

言葉は発せずに、手合図を送ってくる。

なんだか、任務で秘密潜入をしている気分に葉月はなってくる。

二人の末っ子同士は……階段をそっと降りる。

『最悪の現場』を覗いた位置で、何故か二人揃って足が止まる。

 

『……』

『……ごめん、いきなり』

『ううん』

 

抱き合っていた二人が、やっと腕の囲いを解き合っていたが

まだ……間近で向き合って、見つめ合っていた。

隼人が泣きはらした美沙の頬にまとわりつく黒髪を……

葉月の髪を撫でてくれるときのように、指でそっとのけてあげるのが見えた。

 

やっぱり……胸が少し痛んだ。

 

「ほうっておきなよ。信じているなら、あれ以上の事はもうないよ」

「そうね」

和人こそ……心を乱しているはずなのに……

そんな少年に慰められて葉月はそっと和人の後を追って階段を降りる。

 

玄関の扉を和人が息を殺して開ける。

 

「ぱたん……」

 

小さな音でドアが閉まる。

「……鍵、あいたまま」

「あー、オートロックだから大丈夫だよ」

(そうなんだ……)

 

「あー。外の空気は美味しいなぁ。こんなクソ家の空気なんかよりずっと!」

夜空に向けて、和人がのびのびと両手を広げて天を仰ぐ。

そんなゲンキンさを見せた少年を見て葉月は思わず、微笑んでしまう。

笑っている場合ではないのだが……

「本当ね」

葉月は月が従えている星を眺めて……五月の心地よい涼風に誘われて……

少年の気持ちに共感してしまった。

いや……結局自分も居心地が悪かったのかもしれない。

 

「まずはベイブリッジかしら〜」

葉月がプラダの手持ちバッグをぐるぐる振りながら歩き始めると

「いいね〜♪ 乗ってきたジャン。葉月さん」

「ところで、和人君ってなんでそんなに私と似ているの?」

「困ることなの?」

和人が、プッとむくれる。

「トンズラって……私もよく使う手。あんまり似ているから、つい……」

「つい? なに?」

──『つい……言わなくても良い気持ちを口にして、顔に出した』──

(なんだか同級生みたい?)

葉月はこんな少年に、あまり気構えしていない自分の素直さが

『同レベル?』と思えたりして、腑に落ちなくなったりした。

「うーん。私の同期生に似ているかなって?」

「俺とその人が?」

「うん」

「その人って、やっぱ、軍人って事だよね? 兄ちゃんより男前?」

葉月はサッと『達也』の顔を思い浮かべた。

「……うーん、和人君の方が男前かしら?」

「ふふん、やっぱり?」

生意気に胸を張る少年に葉月は思わず『くすり』と、こぼしてしまった。

「末っ子同士なのかしらね?」

そう……よく考えると達也も『二人兄弟の次男坊、末っ子』だった。

「あー。そういう分析、もうやめようぜ?? いこ、いこ♪ 途中でなんか美味いモン買おうよ」

和人はサッサと門を出て、ガレージのシャッターも手慣れた手つきで開けてしまった。

中から、白く輝く右京の『愛車』が登場。

 

「やほ♪ オープンで走るよね!」

「そうね。寒かったら閉めてもいい?」

「もちろん……その……身体、大丈夫かな?」

勢いで葉月を連れ出した和人は、やっと葉月の怪我の具合が気になりだした様子。

「へっちゃらよ! 誰がここまで私を連れだしたのよ? 今更、私も戻りたくないわよ!」

「そうこなくっちゃ♪」

和人は、葉月の活きの良いお返しに、安心したのか

サッと助手席に乗り込んだ。

(肩──大丈夫そうね)

葉月はそっと左肩を回してみる。

少し不安は募ったが……少々の『ドライブ』なら大丈夫だろうと

程々で帰る軽い気持ちのまま運転席に座ったのだ。

 

『ブルルン!』

 

白いBMWがガレージから、そっと姿を消した。

澤村家の坂の下……横浜の夜景と、姿なきBMWが残す排煙のみ。

 

内緒の逃亡ドライブが始まる……。

 

 

「ヒュゥー! サイコー♪」

ステアリングを快調に回す葉月の横……。

右側の助手席で、和人が伸びをしながら夜風を満喫中。

「違う! 違う! 葉月さん、道が違うよ。あっち、あっち!!」

「え? こっち? 前はこんな道なかったわよ」

「何年前の話だよ。それ!」

「こっちに来たら、大抵、誰かが運転してくれるんだもの」

和人の道案内で、『ベイブリッジ』を目指す。

(とにかく橋をドライブして、何処かで買い物して帰れば丁度いい頃かしら?)

そんな事を一応、頭に描きつつ……葉月は運転を続ける。

夜風が涼しくて……肩の痛みに籠もっていた熱も退いて行く感じがして

葉月も、先程の心の痛みを振り払うようにアクセルを踏む。

「せっかく『ナビ』がついているのに、使わないなんてもったいない。

結構、良いナビ、付けているジャン? 従兄さん」

「でも、地元の人の案内の方が確実だもの」

「なんだよ。パイロットのクセに」

「関係ないじゃない」

「葉月さん、普段、パソコンとか使うの嫌いでしょ」

その通りなので、葉月は思わず……驚いて和人がいる助手席に顔を向けてしまった。

「普段、機械を操っているから。日常では自然に生きたいって事かなって」

「そういうわけじゃないけど。相手できる機械は……まぁ……飛行機ぐらいかしらね?」

「パイロットは『機械屋』とは違うもんね。

兄ちゃんは整備員で『裏方仕事』だけど……俺、そういうのがやっぱり『機械屋』の姿だって思うよ」

「そうね。設計する人がいて、整備する人がいて……そして私が『飛ばす人』」

「パイロットってさ……『本体』がなくちゃ、パイロットじゃないじゃん?」

「んん?」

和人が妙な語りを始めたので、葉月は眉をひそめる。

「飛行機がなくちゃ、パイロットの意味ないじゃん」

「え?……そうね? 言われてみると……」

「つまり……俺。『本体』を造る方になりたいんだよね。

パイロットは華々しいけど……それを華々しく盛り立てる裏方って好き。

勿論、俺が飛行機造る専門になりたいわけじゃけど……。

造って、役に立てて欲しいって所かな〜」

「…………」

生意気で……茶髪の少年が……

その時、出逢ってから初めて……優しい瞳で微笑んだような気がした。

「……和人君って、お父様とお兄様を見て育ったのね。本当に……」

葉月は、まさにそこに『澤村の男』を見た気がした。

「でもさ……なんでかな? 俺って『親父似』じゃいけないのかな?

『もっといろいろな道がある』って皆が言うんだよね?

なのに……兄ちゃんは『機械屋で当たり前』みたいに扱ってもらえてさ。

俺が……『美沙母』の子供ってだけでさ」

「──!」

一緒にドライブを始めたのは良いが……

和人がそんな『心内』を垣間見せ始めたので、葉月は『ひやり』としてきた。

でも──

自分も……和人の前である程度の姿を『さらけ出してしまった』

そのせいかもしれない。

和人が今……葉月の前で『警戒心』を解き放ち始めている……。

「信じる道を……行けばいいんじゃないの? 自分に『嘘』をつくのは……辛いわよ?」

『辛い』──。

そう言える立場じゃないので、葉月は少し、語尾を弱めてしまった。

いや……違う。

自分が『辛い』と言う中に……『大好きだったヴァイオリン』への『未練』を知っているからこそ……。

そう言える言葉だと、葉月は思い改める。

「それに、今ならまだ……選べるから『慎重』にと、皆が大切にしてくれているのよ」

「ふ〜ん。そんなものかな」

若い和人には『大人のありきたり説』と取れたらしく……

頭の後ろに腕を組んで、鼻白むような受け答え。

「美沙母とか沙也加母とか分けられるのも、俺、嫌なんだよね」

「まぁ……そうよね? でも、お兄様とは確かに兄弟なんだし。そんな過敏に……」

『ならなくても』と、言おうとすると……

「俺は……『過敏』になっていないよ。なっているのは大人達の方だろ!?」

先程の事を思い出したのか、和人はまた身体を起こして鼻息を荒くしたのだ。

「…………」

また、元の気分になると葉月は何か他の話題を探そうとした。

だが──

「俺は、『沙也加お母さん』の存在は大切にする。

『沙也加お母さん』が死んでしまったから『俺がいる』のだから──!」

「……え?」

和人の口から、母親でない女性のことが初めて口から出て葉月は固まった。

「そうだろ!? もし……沙也加お母さんが生きていたら……。

和之という男性と美沙という女性の出逢いもなかったし……

『結婚』もなかったし……『澤村和人』という俺も生まれなかった事になるじゃない?

俺は……沙也加お母さんの事も『お母さん』だと思っているぜ。

『お母さんの死』が『俺の存在する出発点』だから。

だから俺はお母さんの『冥福』も祈っているし、これからも丸ごと大切にするつもり!」

「──!!」

(本当に18歳!?)

葉月はそう思った!

自分より……ずっと考えている思慮深い少年の出現にビックリしたのだ!

「すごい! 和人君って素晴らしい考えの持ち主ね!

流石……和之パパの息子!」

葉月が笑顔で絶賛すると初めて……和人が頬を染めた。

「べ、別に……」

『余計なこと言っちゃった』とぼやきながら……和人は頬杖、外にそっぽを向く。

葉月はそんな和人の照れ隠しを……隼人と似ていると微笑みをこぼす。

 

「わぉー! 来た来た♪」

 

BMWのフロントウィンドウの前に雄大なイルミネーションのベイブリッジが現れる。

「やっぱり、夜は綺麗ねー」

葉月も運転をしながら……その景色にため息をこぼした。

 

(なんだ……ふざけてばかりかと思ったけど……)

 

これだけ『根』がしっかりしている少年なら……

これからも大丈夫だろうと葉月は思えてきた。

皆は色々と心配しているだろうが……

 

『オチビはオチビなりに一生懸命なのよ』

そんな和人の『ひねくれ』が、どうも自分と重なってしょうがなかった。

 

だから……

「ちょっと飛ばしちゃおうかな〜」

「ひゅう、ひゅう♪ いけいけ、パイロット♪」

この少年とドライブが出来て良かったと葉月は思う。

 

『付き合ってあげるよ』

和人の逃亡に……共犯になることぐらいなんでもないような気がしてきた。

そして──

『ありがとう……こんな私に付き合ってくれて』

 

葉月はアクセルを思いっきり踏んだ。

同じ『オチビ』である和人が、コロコロと笑い出す声に乗せられるように──。

 

ミッドナイトラナウェイ──横浜!