21.妙な誓い

 

 美沙と供に男達と隼人が慌ててそこへ行くと……

トイレの一歩手前、廊下で葉月がうつ伏せで倒れている状態だった。

 

「急に私に寄りかかってきたから……どうしたのかと思ったら……

膝から落ちるように、急に気を失っちゃって……」

美沙が狼狽えながらも、すぐに葉月の側に跪いて肩を揺らす。

「葉月さん? 葉月さん??」

「どいて! 美沙さん……ガーゼがあったら治療用テープと一緒に持ってきてくれないか?」

隼人が素早く美沙の隣に座り込み、うつぶせている葉月の顔を覗き込む。

「解ったわ!」

美沙はサッと動き始めた。

「和人! 部屋から、お姉さんの小さな黒いバッグを持ってきてくれ!」

お兄ちゃんに急に言い付けられて和人は硬直していたが……

「うん! 行ってくる!」

表情を引き締めて階段へと走って行く。

「隼人……肩か!?」

和之も隼人の横に座り込んで、葉月の顔色を覗いた。

昭雄も一緒に覗き込む。

「救急車……は、いらないかな? たぶん、貧血だ」

「貧血?」

隼人は伯父の落ち着いた一言に振り向いた。

「きっと和人を投げ飛ばした時に、痛めたんだろうね?

夕食の雰囲気を壊しちゃいけないと、気遣って我慢していたんじゃないかな?

痛みをかなり堪えていたんじゃないだろうか?

『沙也加』も昔、こう言うことがあったよ。

痛い事に耐えられなくなったりすると気を失うものなんだよ。

頭から血が引くように知らない間に気を失ったりするらしくて……

沙也加自身も倒れた瞬間のことなど、覚えていなかったりしていたぐらいだ。

暫くしたら、気は戻すだろう……。だけど、肩の傷は見ておいた方が良い」

伯父の落ち着いた説明に隼人は、やっと自分も落ち着きを取り戻せそうになりそうだった。

 

しかし……

(俺が……あの時、放ってしまったから!)

『しまった!』と、隼人は目をつむって拳を握った。

「ライフルで撃ち抜かれることも、いとわず、帰還したぐらいの女性だ。

それぐらいの痛みは、我慢していたかもしれないな」

和之も……なんだか申し訳なさそうに葉月の横で俯いてしまった。

隼人は、そっと葉月を腕の中にお越しあげて頬を軽く叩く。

「葉月? 葉月!」

隼人が駆けつけたときは確かに真っ青な顔でうつぶせていたのだが

徐々に頬に赤味が差してきた。だが……額には汗が滲んでいる。

「葉月君!」

和之も隼人の頭の上から一声叫ぶと……

「……」

葉月の茶色のまつげがそっとうごめいた。

「ん……」

まぶたが静かに開いて、葉月が景色を確かめるように瞳を動かす。

「葉月」

隼人が顔を覗き込んでも、葉月はまだうつろな眼差しで隼人を見つめるだけ。

だが……

「はっ……! なに!?」

額に手を当てて、周りの男達の表情を確かめながら隼人の腕から身体をお越しあげた。

「何って……お前、気を失っていたぜ!? 大丈夫なのか? 気分は? 肩は??」

葉月は、隼人の気迫ある質問攻めに会い、余計に混乱したように周りを見渡す。

 

「隼人ちゃん! 持ってきたわよ!」

美沙が救急箱を持って駆けつけてきた。

「兄ちゃん! 葉月さんのバッグってこれ!?」

和人も階段の上から、葉月のプラダのバッグをぶら下げて叫んでいる。

 

「え? え??」

 

一人、訳が解らないのは葉月自身。

だけど……隼人が『気を失っていた』と今、言っていた!?

葉月は覚えている所までを一生懸命、思い出そうとする。

 

『皆が楽しそうにお食事しているみたいでホッとしたわ』

トイレを案内してくれる美沙の安堵の表情を見て、葉月もそこは『同感』と微笑んだ。

自分が来たばかりに、妙な雰囲気になることを恐れていたから。

美沙とは、上手い具合に『うち解けられた安心感』もあったのだろうか?

肩の痛みが気になっていたのは『夕方』から。

暫くは、我慢が出きると思っていた。

夕食後、薬をいつも通りに服用すれば我慢できる痛みで頑張れると思った。

 

でも……話が思わず進んでいた。

途中で席も立てたと思うが、雰囲気的に立てなかった。

時間はアッという間に過ぎて、いつもの服用時間が過ぎた。

だけど……『気が張っていた』のだろうか?

肩の痛む感覚が短くなっているのは『自覚』していたのだが……

いよいよになったら席を立とうと決めていた。

丁度良く話が途絶えた隙に席を立って、とりあえず用を済ませて

そっと二階に上がって薬を飲もうと……

美沙と並んで廊下を歩いていて、先程の会話までの記憶はある。

その直後、感覚が短くなった痛みが、強めに来たのは覚えているのだが?

 

「?えっと??」

葉月は肩をそっと押さえる。今は痛みは僅かだった。

 

「大丈夫なのか?」

隼人がお越しあげてくれている腕の中、葉月の顔を覗き込む。

「葉月さん……あなた、急に気を失ったのよ?」

美沙もかなり狼狽した眼差しで葉月を上から覗き込んでいるし

「葉月さん……! 俺のせい?? 俺を投げたから!?」

和人が階段を駆け降りてきて、葉月に訳もなくバッグを差し出してくれている。

 

「美沙さん。コップ一杯の水をくれ」

「水ね?」

美沙が救急箱を置いて、サッとキッチンに向かった。

「和人、そのバッグ兄ちゃんに貸して」

「うん!」

和人も機敏に隼人にバッグを渡した。

 

「薬の時間も過ぎていたな。悪かった。気が付かなくて」

隼人が苦い表情でプラダのバッグを開けて、

葉月が『毎度のピル』を入れているモザイクの小物入れを探って出した。

「すぐに飲むんだ」

「う、うん……」

葉月もやっと状況が飲み込めて……

いつもの『兄様言い付け』の顔した隼人に言われるまま、ピルケースから

『鎮痛剤』のカプセルを手にする。

「はい……お水」

美沙があの優しい手つきで、ガラスコップを差し出してくれた。

 

和之も和人も……皆が見守るので、葉月はおずおずとしながら

鎮痛剤を口に放り込んで、飲み干した。

「傷の具合を見よう」

隼人に抱きかかえられたので、葉月はびっくり人の目を気にして硬直。

「お、おろして! 自分で歩けるって……!」

「何言っているんだ? また、気を失うだろ?」

「もう、痛くないって!」

足をばたつかせたが、隼人は呆れながらも、両腕に力を込めて

葉月の身体を折り畳むように押し込んでしまい、言う事は受け入れてくれない。

 

「美沙さん、手伝ってくれる?」

毅然とした表情の隼人が……美沙に、初めて『頼み事』をした!

「いいわよ」

美沙は一瞬、呆けた表情を灯していたが、すぐにこちらも毅然とした顔になる。

「二階にいるから」

隼人は父親にそう言うと、和之も昭雄も一緒に頷いた。

葉月は、隼人に連れられて美沙と一緒に『ゲストルーム』に連れられることになった。

 

 

 『ゲストルーム』に入ると、すぐさま隼人にベッドにおろされた。

 

「美沙さん、彼女のワンピースの後ろ開けてくれないか? まだ、手が届かないから」

「解ったわ。葉月さん……さぁ、横になって?」

「…………」

(大丈夫なのに──)

葉月はそう思いながらも……これが隼人に言われたのなら、

いつもの気強さで『反抗』していただろうに?

美沙に優しく言われると、なんだか逆らえなくなって渋々横になった。

 

横になると、美沙が静かにワンピースのファスナーを降ろしていくのが伝わる。

「怪我は、左肩ね?」

美沙に左肩だけ、袖から腕が抜けるようにそっと手をもたれて

あれよあれよと言う間に、左肩だけはだけさせられた。

 

「……あら?」

 

美沙が左肩の脱脂綿を目にして……一瞬、目を凝らしている……凝視している様子。

葉月は目をつむった。

『見られた』

なのに……男性に『知れる』より、『嫌悪感』がないのは女性だからかも知れない?

隼人も何故? 美沙の同行を許したのか?

葉月はそこも解らない。

 

だけど、美沙は特に表情に出すわけでもなく、静かに視線を逸らして

何事もなかったように葉月の身体に毛布を掛けてくれた。

 

「俺がやる。ガーゼを正方形に同じように切ってくれるかな?」

「いいわよ」

 

『どれ?』

隼人がベッドに腰をかけて、葉月の左肩を覗き込んだ。

 

『ぺり……』

ガーゼが剥がされる。

 

「……特に傷は開いてはいないみたいだな? 驚かすなぁ」

「…………でも……」

「久し振りに、大きく動かした衝撃かもな。お転婆には良い薬の『激痛』

少しは反省しろよ?」

いつもの『お小言』に葉月はムッとした顔で隼人の視線からそっぽを向く。

「良かったわ。出血などもないみたいだし」

美沙がベッドの横、隼人の側で手際よくガーゼを言われた通りに真剣に形を整えている。

「はい、お兄ちゃん」

美沙がニッコリ、隼人に脱脂綿を差し出した。

「……あ、ありがとう……」

(隼人ちゃん……じゃなくて、『お兄ちゃん』って言ったわ!?)

葉月は、そこでガーゼを挟んで見つめ合っている二人の男女の間で

何か様子が変わったような雰囲気を少しだけ……嗅ぎ取った気がした。

「本当に……お前に何かあったら、俺、中隊の皆にどやされるよ。

側近失格だってね! 見ろ? 少しだけ血が滲んでいるぞ?

訓練の復帰が遅れても良いなら、何も言わないけどな」

剥がした脱脂綿を仰向けになっている葉月にヒラヒラと隼人はちらつかせるのだ。

いつものしらけた兄様顔で。

「それくらい。何よ……」

葉月がふてくされると、隼人は益々呆れたため息をこぼす。

「別に構わないけどな? 甲板に早く上がりたいなら大人しくする事だ」

「…………」

『確かに……』と、思いながらも葉月はムッスリ口を尖らせるだけ。

夏には、訓練復帰をしたかった。

何故なら……隼人とロベルトの『メンテチーム結成』の仕事が徐々に本格化してきていたからだ。

メンバー候補を選ぶところまで進んでいて、近頃は……

『そろそろ見定めと引き抜きの出張に行きたい』とロベルトが言い出したことを

隼人から聞いていた。

そのチームが早々に出来るのであれば、葉月も隊長として『空復帰』をしたいからだ。

 

そんな事を頭に描いて、大人しくしている内に

美沙と隼人が言葉も交わさないのに、通じ合っているように……

まるで『ドクターとナース』のようにして、肩の手当を進めてくれている。

「ごめんなさい」

一言、騒がせた事について謝った。

「……いつもの事だろ? まだ、ちょろいもんだ」

隼人は、いつもの穏やかさでそっと微笑んでくれた。

その笑顔にホッとして葉月も微笑むと、なんだか身体の力が抜けるように落ち着いてくる。

美沙が隼人の後ろで『クスクス』と、笑っていた。

「なんだか、基地での二人を見ている感じ。

大佐って『若様』って感じね? お兄ちゃんは『お目付じい』かしら?」

「じい!? ってなんだよ? ひどいなぁ!!」

隼人は思ってもいない事を言われて驚いたのか、美沙に本気で食ってかかったのだ。

それを見て、葉月も可笑しくなって微笑みをこぼしてしまった。

「本当〜。若いクセにおじさんみたいに口うるさいものね」

「このやろ! もう一度、言ってみろ!?」

隼人に鼻をつままれて、しかも左右に振られて葉月はビックリ、首を振った。

「やめてよ!! 何するのよーー!」

「もう、やめなさいよ? 華の若大佐と若中佐がみっともないわよ?」

大きいお姉さんに笑われたようで、隼人も葉月も揃って頬を染めて俯いた。

「……なんだか、眠くなってきたみたい……」

葉月は、美沙の前でも気兼ねがなくなってきたせいと、

澤村家の団らんが無事に落ち着いたように思えた瞬間。

横になると、急に眠気が襲ってきた。

鎮痛剤の効果と、一日の疲れも手伝って落ち着いてきたのだろうか?

 

「そう? 一日、疲れたでしょ? うちの小僧ちゃんにも振り回されて」

美沙が隼人の肩越しからニッコリ、葉月を見下ろした。

「振り回されたなんて……」

葉月はまた……姉様のような美沙に覗かれて、子どものようにしてはにかんだ。

そんな葉月を見て、隼人が首を傾げている。

「小僧ちゃんってなんだよ?」

「和人の事よ」

「ああ、なるほどね。っていうか、和人とお嬢さんが騒がせたって感じだけどな」

「まぁ。末っ子同士って事?」

隼人のしらけた一言に、美沙がおかしそうに笑った。

(わぁ。二人がそれらしく会話している!)

葉月は、やっとそれらしい光景を見ることが出来たのだが……

小笠原を出てくる時の『覚悟』程……気構えていた気持ちより、嫌な気持ちは湧かなかった。

違和感だってなかった。

「おやすみなさい……一日、疲れたでしょう?」

美沙が隼人の横に並んで、そっと葉月の肩まで毛布を被せてくれる。

「あの、着替えてから……休みます。お世話になりました」

葉月はその柔らかい手先が掛けてくれた毛布からそっと起きあがって

美沙に頭を下げて御礼をする。

「……いいのよ。こちらこそ。小僧君が少し素直になって助かったわ。

じゃぁ……『おにいちゃん』、葉月さんとごゆっくり……」

美沙はにっこり、屈託ないあの笑顔をこぼすと、

そっと……『先妻の寝室』から急ぐように出ていった。

 

 

美沙が出ていくと、隼人がひとつため息。

「さぁ、着替えたらゆっくり眠ったら良いよ。うちの事はもう、何も気にせずに……。

風呂も明日の朝にしなよ」

毛布を剥いで、ベッドを降りようと隼人の横に腰掛けると

隼人がいつもの笑顔で葉月の栗毛を撫でてそう言った。

「うん……あのね?」

「なに?」

彼を見上げても……彼は小笠原でいつも一緒にいる時と変わらない笑顔。

『継母様とゆっくり話したら?』

そう言いたかったけど……。

なんだか言えなかった。

「美沙さん……素敵なお姉様ね。皐月姉様を思い出しちゃって……。

大人で懐が深くて……甘えたくなるっていうか……」

葉月がそっと俯いてそうこぼすと……隼人の驚いた息づかいが伝わってきた。

「そ、そうかな? に、似ていないと思うけど」

「……?」

妙に取り繕うような彼らしくない反応だったので葉月が隼人を再び見上げると……

「……早く着替えろよ」

サッと──視線を逸らされてしまった。

葉月が……『継母様とゆっくり話したら?』……と、

快く言えなかった訳がそこにあるような気がした。

 

隼人は何故? 美沙をこの寝室に入れたくないような素振りを見せたのに……

何故? 葉月の手当のためにここに入れたのだろう?

それも……『私の古傷』を見られることを解っていて……

美沙に手伝いをさせたのだろう??

 

葉月はベッドを降りて、旅行鞄から余所で着ても恥ずかしくない『ハウスウェアワンピース』を出した。

「それ、懐かしいな」

グレーのジャージワンピースのアンサンブルを出すと隼人が優しくそっと微笑んだ。

ベッドの縁に腰をかけている彼の優しい視線に葉月はそっと胸がときめく。

「……そうね。去年、フランスに行ったときホテルで着ていた部屋着だったわ。そういえば」

美沙がファスナーを降ろしてくれたので、そのまま右京が贈ってくれたワンピースを脱いだ。

そして、ノースリーブのワンピースを頭からくぐらせて……

ちょっと痛いが、肩をすぼめながら腕を袖に通した。

カーディガンには腕を通さずに、肩に羽織らせて立ち上がると、

隼人もベッドから立ち上がった。

そして……また、葉月の目の前に立ちつくして見下ろしてくる。

「なに?」

「……」

眼鏡の奥から、また熱っぽい眼差し。

葉月は、美沙と会話をしていた彼が『別人』に見えたせいか恥ずかしくなって視線を逸らした。

だが……彼はいつもの手つきでそっと、短くなった栗毛の横髪を撫でてくる。

「……去年は、髪が長くて……」

「……仕方がないじゃない」

去年の髪の長い女性……それを惜しんでいるのかと葉月はむくれて

隼人の手を払いのけそうになったが……

「少し大人びたお嬢さんだった。今は……また違うお嬢さんに見えるけど

葉月は……髪が短くなっても一緒。

だけど……去年より、ちょっと子どもみたいに可愛くて憎めないと見えることが多くなって

なのに……髪が短くなっても、あの長かった時と同じ。

急に大人びた妖艶さも……変わらない」

「……ど、どうしたの? 急に???」

小笠原の自宅で二人きりの時は……隼人の甘い言葉にすぐにしんなり寄りかかれるのだが……。

落ち着かないよその寝室で急に熱っぽく語られて戸惑った。

今にも……ベッドに連れ込まれそうな気がしたのだ。

予感は的中?

隼人が急に葉月を抱きしめる。

昼間、抱きつかれたあの妙な子どものように思い詰めた力はなくなっていて

左肩を囲む彼の右腕は……いつも通り力が加減されている優しい抱き方。

「……は、隼人さん?」

「懐かしくなったんだよ……この一年。もうすぐ一年……色々あったって。

そうしているうちに……とうとう、一緒に横浜の実家にこうしているなんて。

あの時……考えられただろうかって?」

隼人の黒髪が……葉月の首筋をくすぐるように……。

彼の鼻先が葉月の肩筋をそっと静かにさすっている。

「この香りも……定着した。俺の香りだ」

鼻筋に残っている『ラストノート』を隼人が堪能していた。

隼人の感慨深げな言葉の一つ、一つを葉月も汲み取ろうと……

何も言えずにジッとしていると……彼が先程のように葉月を抱き上げた。

膝に手を回されて……ザッと力強く。

初めてこうして抱き上げられたのは……『花見の前』

あの時はふざけた葉月だったが……今は彼が何を思っているの『怖さ』を感じていた。

昼間、子どものように抱きつかれたから……。

『暫くは触れないからね』

そういって昨夜、自宅で抱かれたばかりなのに

落ち着いている彼が、今日は感情の起伏が激しいと感じているばかりに……

ベッドに連れられて『子どもみたいな勢い』で、どうされるかという『怖さ』だ。

隼人にベッドに寝かされた。

やっぱりすぐに覆い被されて……唇を塞がれた。

「……ん、ん……ねぇ?」

思った通り……いつもの胸が締め付けられるような熱い口づけじゃなかった。

吸い込まれるように……きつくて息苦しい……それでいて激しい口づけは

昼間の思い詰めたように抱きつかれた隼人を思い起こして仕方がない……!

そんな口づけがずっと続けられても、隼人は葉月の胸の膨らみに手を当てなければ

ワンピースの裾をたくし上げるような行為もしなかった。

だから、抵抗が出来ずにただ受け入れた。唇だけ──。

「はぁ……」

やっと隼人が我に返ったように……黒髪をかき揚げて、葉月から離れる。

そして静かに……葉月を寝かせたまま、ベッドの縁に背を向けて座った。

「葉月……俺を信じてくれるか?」

「……え?」

葉月は……『信じてくれる?』というお願いのような一言を呟く彼に驚いて

思わず、起きあがった。

隼人は振り向かずに、背を向けたまま、また一言。

「俺を信じて……小笠原に連れて帰ってくれよ」

(……!? 何言っているの!?)

思わず……冗談を言っているのじゃないかと笑い出したくなったけれど……

「あ、当たり前じゃない」

突然襲ってきた『不安』が何なのか……葉月は解っていながら

『強がってしまった』のだ。

 

『彼は……美沙さんとの決着の決心がついたのだ!』

 

それが、どのような形で……どんな時、どんな対面で実行するかが解らない。

だけど

『信じてくれ。俺は彼女と接しても揺れない』

『でも──揺れたら俺を連れ戻してくれ!』

そう言う意味だと解って……葉月は急に泣きたくなった。

泣きたくなった自分にも驚いた。

『私……今まで居てくれて当たり前だと思っていた!』

そんな甘い自分に初めて気が付いて。そして──

『誰にも触られたくない。譲りたくない。私の彼』

初めてそう実感したような気がした。

 

でも──!

彼を見送って、見守って、戻ってくることを信じるしかない。

 

葉月のその時の……不安な顔は自分自身でも解らなかった。

いつもの如く、無表情であることを祈った。

隼人がやっと振り返った……『笑顔』で。

その笑顔はいつもの笑顔だった。

すると──

「そんな心配しなくても」

隼人が可笑しそうに笑った。

「……なんだか、嬉しいな。お前がそんな子どもみたいな顔で……

心配してくれるのって初めてじゃない?」

また、彼が笑った。

どうやら……顔に出ていたようだった。

 

「さ。横になって……俺、風呂に入ってくる。すぐに一緒に寝てあげるよ」

横髪をいつも通りに頬に沿って撫でてくれる手、笑顔にそっと頷いて……

葉月は横になって身体に毛布を巻き付ける。

「……一緒に……今日も寝てね?」

「ほら。子どもみたいに……。いつもはそんな事、言わないクセに。

お前も、どうしたんだよ? 言わなくても、いつもそうしているじゃないか?」

横になった葉月の顔の上。

隼人がまた可笑しそうに微笑んで、また……髪を撫でてくれる安心感。

『じゃ。すぐに来るよ』

隼人はそう言って立ち上がり……この部屋にあるバスルームに向かっていった。

 

「…………どうするのかしら? 私も……どうすればいいの? 沙也加お母様?」

 

毛布にくるまって……美しいこの部屋の白い天井を見上げていた。

 

彼が使っているシャワーの音も……小笠原で聞いている夜の音。

同じだった……。

そうして彼のシャワーの音を聞いているうちに葉月はまどろんできた。

横浜の美しい夜景が出窓から見えていた。

その雰囲気がとても優雅であったはずなのに……。

それでも葉月は今日一日の沢山の出来事を思い返す間もなく寝付いたようだった。

 

その後……

シャワーから上がってきた彼が……

毛布からはみ出ている葉月の丸い肩に放っていたカーディガンをそっと掛けてくれて……

そっと口づけをしてくれたことは眠っていた葉月は知らない。

 

そして──約束を破って一人……この寝室を出ていってしまった事も──。

眠ってしまった葉月は知らない……。

 

隼人の『妙な誓い』……。

『信じていれば、それでいいと思うわよ?』

『そうよね? 沙也加ママ……』

葉月は夢の中……。