27.大佐嬢参上

 

 

 その晩……。

 葉月と隼人は22時頃までゆっくりフォスター家でくつろいで

隼人は自転車をそのまま貸してもらえることとなり……

二人で一緒に自転車で帰宅した。

達也は、そのままフォスター家に泊まるという事になった様だ。

この日だけでなく、達也はフォスター家にしょっちゅうお世話になっているらしく……

 

「アイツ、やっぱ寂しいのかもな?」

隼人がポツリとこぼした一言を、葉月も否定出来なくて黙り込んだ。

 

家に帰ると、登貴子がちょっと疲れた顔をしていた。

亮介に隼人が尋ねると……

 

「夕食の支度を張り切ってしていたからね……。

君達がフォスター家に招待されているって知って力が抜けちゃったんだよ」

『気にしなくていいよ。明日の晩ご飯にするって言っていたから』

亮介もなんだか妙に疲れているようで……そのまま二階の寝室に消えてしまった。

 

「ママ……ごめんね? 突然帰ってきて……ご飯も用意してくれていたのに。

これからは……ちゃんと連絡するからね?」

黙って帰ってきた事を葉月が丁寧に詫びていた。

「あら……久し振りの『台風ちゃん』でちょっと驚いただけよ。

気にしないの……。さ……明日はあなたが大好きな物よ?

今日準備したから明日は楽だわ」

登貴子の優しい母親としての言葉に、葉月は申し訳なそうに俯いていたが……

「ミートパイは具もパイ生地も……一日寝かせた方が美味しくなるのよ。

これで良かったのよ。さぁさぁ! 気にしないの! 葉月らしくないじゃない」

「なぁに! それって!! 私、うんと気にしているのよ!?」

葉月がいつもの口調になると登貴子もやっと元気に微笑んで……

二階の寝室へと消えていった。

「さて──私も、疲れちゃった」

「だろうな? ゆっくり追求したいことがいっぱいあるけどな?

今夜の所は見逃してやるぜ」

隼人が呆れて溜息をつくと、葉月が早速『偉そう』と反抗してきた。

「もう、俺も寝る! 疲れた」

「隼人さん……」

一階の借りている部屋に戻ろうとすると、そんなしおらしい声が届いた。

「……素っ気ない見送りって思っていたかも知れないけど……

すぐに会えると思ったの。 おやすみ……」

そういって葉月が二階に上がろうと階段に向かって行く。

 

(最初から……こっちに来るつもりだったのか!)

『そうとなったら……私も『思うところ』は沢山あるから、さっさと片づけるように動くわ』

あの時の言葉が隼人の脳裏に蘇る。

それが……この『フロリダ帰省』だったようだ。

 

「葉月……一人で仕事していても、お前の引っかき回しが恋しくなってさ……。

来てくれて嬉しかったよ」

階段を上がる葉月の背中に隼人は投げかける。

葉月もそっと振り返ったのだが無表情だった。

「……フレンチトースト、明日、焼いてくれる? アレが……私の今の朝なの」

直球な言葉ではないが……葉月のちょっと変化した顔が……

『寂しかった』と言っているのが隼人には伝わった。

隼人はそっと階段を……葉月がいる位置まで登った。

俯く葉月の腕をそっと手にとって……その手の甲に口付けると葉月が珍しく頬を染めてまた俯く。

「今夜はここまで……パパママがいるからな。オヤスミ」

それでも隼人は葉月の頬に軽く口付けて階段を降りた。

隼人が一階の部屋のドアの前に立つと、二階の葉月の部屋のドアが閉まる音がした。

 

そうして部屋に入って、隼人は制服を脱ぐ。

葉月が贈ってくれたシルクパジャマを袖に通そうと、スラックスを脱ごうとすると……。

 

『コンコン』

ドアからノックが聞こえた。

隼人は上半身裸のまま、葉月だと解った上でドアを開けた。

葉月はまだ制服姿だった。

「どうした?」

葉月が無言で青色の書類封筒を差し出した。

「見てくれたら……隼人さんなら『長い説明無し』で解ってくれると思うから。

帰省したり、兄様が休暇をくれた『理由』の『一つ』はそれだから……」

「あ、そう……」

隼人は妙に硬い面もちの葉月が気になりつつ、その封筒を受け取った。

「私の言葉では説明しにくいわ……」

「解った、寝る前に見ておく」

「それから……有り難う」

「?──なにが??」

「リョウタのこと……。ママが言っていたわ……。

そこにいるのは解っていたけど、自分の存在を上手に消そうと気遣っていたって……」

登貴子の観察力に隼人は驚いたが……

「ああ、気にするなよ」

葉月が、自分の目の前で、『娘』という素の姿を見せてくれたから。

別に『煩わしい』なんて一つも思っていなかったのだが

葉月としては、家族のぶつかり合いに隼人を巻き込んだと思っているらしい。

「でも……ほら。良かったじゃないか?

お父さんだって新しい友達を捜してくれるって言ってくれて」

「うん……」

葉月がちょっと嬉しそうに頬を染めて微笑んだ。

その顔がなんとも……可愛らしかったので……隼人は息が止まりそうになった。

「あのさ……」

隼人はそっと葉月の手首を掴んだ。

「なに?」

「さっき……あんな事言ったけど」

「あんな事?」

キョトンと隼人を葉月は見上げていた。

でも──隼人は思いきり葉月の手首を引っ張った。

 

『バタン……』

ドアが閉まる──。

 

「は……隼人さん」

一階の部屋の中に葉月は引き込まれ、日焼けした隼人の胸の中に抱きしめられていた。

勿論……お互いに視線は絡み合っていた。

夜灯りの中……隼人の瞳は黒く揺らめいて……

葉月の瞳はガラス玉のように透明に深く透き通る。

どちらからという訳でもなく、唇が重なった。

寂しかったとか……恋しかったとか……。

そんな言葉はいらなかった。

おたがいが唇だけでそれを表現していた。

 

「あーダメだ……」

やっぱりここは……お邪魔している彼女の家だからと思って

隼人は葉月の唇からそっと離れようと呟いたのに……。

「ダメって……もう遅いの」

どうした事か? 葉月の方から隼人の首に腕を巻き付けて

唇を離そうとしなかった。

だけど、葉月も我に返ったのか……

『チュ……』

最後にそんな小さな音を立て、隼人の唇をいつも以上に強く吸い

額の栗毛を照れたようにかき上げやっと隼人の素肌から離れた。

 

暫く、お互いが向き合って俯いたのだが……

 

「そうしてお前はいっつも俺を誘惑するんだな」

「引き入れたのはそっちじゃないの?」

一緒にお互いを睨み付けたのだが……

隼人がそっと葉月を引き寄せて……背中から抱くすくめる。

 

「お前さえよければ……」

隼人が葉月のカッターシャツの襟元に手を置く。

「声は出すなよ……お父さんも耳が良さそうだ」

ボタンを外しながら、葉月のスカートの裾を隼人はスッとまくり上げたが

葉月は何も抵抗はしなかった。

「……解ったわ」

夜灯りの中……葉月の乱れた制服姿を隼人は見下ろした。

 

あんなに愛らしい少女のような顔をして帰ってきた娘を

今は隼人がこんなに淫らな艶っぽい女性に変えてしまう。

息をひそめて、夜灯りの中……

小さなシングルベッドで交わりは、日常で分かち合う結び合いより変に刺激的に感じた。

「汗、いっぱいかいたのに」

ベッドの上で、まだシャツも脱がされていない葉月が

急ぐような手つきで葉月に触れる隼人の胸の下でもがいていた。

「それがどうした……」

実際葉月は、新たな汗をうっすらと……白い肌に滲ませていた。

葉月がベッドの角に手を持っていくいつものクセ。

葉月が剥がす前に、隼人がベッドのシーツを剥がして口元にあてがった。

「ふ……ふっ・・うん……!」

シーツを噛みしめて、葉月が身体をよじり、隼人から顔を背ける。

頬が紅潮していて、なんとも艶めかしい表情で声を堪えている。

はだけたシャツの胸元から覗く白い乳房、

波打ってめくられたスカートから伸びる白い足……それだけしか目の前はうつらない。

ベッドが『ギシ』と時折音を立てていたようだが……

隼人は無我夢中になっていて気が付かなかった。

どれだけ葉月に力を注いでいたかは解らないが、

隼人の腕にも葉月が押しのけたがった食い込むような爪痕が少し残ったようだ。

 

その再会の結び合いは、服も全て取り払う間もない……短い時間だった。

 

 

「部屋に帰るのか?」

ベッドに暫く二人で……息を整えながら横たわっていたのだが

葉月がむっくり起きあがった。

「そりゃ……いつものように朝まで一緒に眠りたいけど」

乱れた制服姿のまま、葉月がベッドの縁に座り直す。

汗で張り付いた額の栗毛を葉月が、なにか爽やかにかき上げて微笑んだ。

「そうだな……疲れていただろうけど……悪かったな」

「別に……」

葉月が床に落ちたショーツを手にとって……

めくりあげられたタイトスカートを引き下ろして立ち上がり……足に通し始める。

はだけた白いシャツのボタンをゆっくり丁寧にとめて……

シャツの皺を伸ばして見繕いをしているのを隼人は横になったまま見つめた。

 

「見ておいてね……明日も基地へ行くから……」

隼人がベッドの横に落とした書類袋を葉月は拾い上げ……

上半身素肌になっている隼人の胸元にそっと置いた。

「解った……」

そして……

葉月の手首を握って……その手首に隼人は口付けた。

「グッナイ……マイ・レイ」

隼人が英語でそういうと、葉月がそっと微笑む……。

『グッナイ……ダーリン』

葉月も英語でそっと……お返しに隼人の手首を握り直して口元に持っていった。

柔らかい弾力の……しっとりしたピンク色の唇がジェルのように吸いつくような感触を残して……。

 

葉月は外にそっと息をひそめて出ていった。

 

「あーっ。俺って何やっているんだ?」

急に我に返った。

いつもの隼人ならここで『理性』を固く守るところなのだが……。

離れていた効果もあったのだろうか?

葉月が妙に素直で、それで……『大人の女性』らしく隼人を受け入れてくれたような気がして

まだ、胸が熱く騒いでいた。

それはそうと──?

隼人はそんな『後悔』から逃れるかのように

葉月が胸元に置いていった書類の中身を確かめる。

 

「──!!」

中身の内容を確かめて……今の今まで持っていたとろけるような熱がすっ飛んだ。

急に冷房の風をヒンヤリと背中に感じた。

 

 

 次の朝──。

 

マリアはため息をつきながら……昨日まで上手く事が運べていた白い紙を眺めていた。

 

マリアは達也と別れると決めてから『実家』に帰ってきていた。

いや……この近所に達也と住んでいた『新居』から……

『俺が出ていく』

マリアとどう話し合ってもすれ違うばかりだから……

話も聞こうともしないのに、実家にも逃げ出さなかったマリアの

そんな意固地な態度に達也が疲れて出ていく準備を始めたのだ。

『夫に出て行かれた妻』

そんな恥は耐えられなかったから……マリアが黙って達也より先に出ていったのだ。

 

『俺と別れると言う意思表示なのか……それとも……』

実家まで訪ねに来た達也に問い返された……。

『……このまま側近職を辞すという気持ちが変わらないなら戻らないわ』

マリアのその言葉に……達也は

『何度も言った。変わらない。そんなに側近に就く男が必要だったなら

もう……俺は論外だな』

疲れた表情だけ残して達也は去っていったのだ。

 

そんな実家に帰ってきて、父親のリチャードに言われることはただ一つ。

『達也の気持ちを、彼の立場になって考えられないのか? なにも側近でなくても彼は優秀だよ』

パパは何度かそう言ったのだが。

『それで──彼が望んでいる部署というのが許せないの』

遠回しにマリアが言いたい『ある部署』の事……父親は困ったようにして

そこには触れず……

『別の部署なら納得行くのか?』

『…………』

マリアは少し考えた。

だが──頭の中には優雅でそして凛々しい将軍側近の夫しか思い浮かばない。

汗くさい現場の男より、女性隊員の憧れの象徴は『秘書室の男』が最高級なのだ。

 

そんな事を朝日の中……コーヒーをすすりながら考えていると。

 

「あなた……ジョンが見えましたわよ」

金髪の母親が……赤いワンピース姿で父親を呼んでいた。

父の主席側近……『ジョン=トンプソン中佐』が車で迎えに来るのが日課。

以前は……達也がその役をしていた。

ジョンは大人しい男だが、達也を影から支えてくれた年上の二番手の側近だった。

今回、達也の『側近辞退』でジョンが年功者であり、二番手だったため、

彼は初めての『主席側近』の座を獲得したのだ。

ジョンは、達也を何度も引き留めたと聞いているが……

マリアはコーヒーをすすりながら、黒塗りの車を降りて……

後部座席の扉を開けて……規律正しく待っているジョンの素晴らしい姿を眺めた。

(半年前は……達也がああしていたのに……)

達也の身のこなしは……やっぱり素晴らしかったとマリアはため息をついた。

彼を初めて見初めたのも……こうして父を迎えに来た姿を見てからだった。

『パパの新しい側近? 日本人なの?』

『ああ……小笠原から来たんだ。今度の秘書室は若手で固めてみたんだ。

主席に置いた彼はマリアとあまり年は変わらないけどしっかりしている。

他の秘書官も若手で……彼等の成長が楽しみでね……。私からお願いしたんだ』

父親から頼んだとあって……達也は来たときから妙に優雅で落ち着いた男だった。

礼儀作法にはうるさいとかいう東洋的な日本から来たせいだろうか?

だからといって日本的な固さはなくて西洋的な身のこなしも達也は素晴らしかった。

日本人らしいお辞儀の角度から……父を乗せてからのドアの閉め方も……。

敬礼の姿も……。

背も高かったから、遠目に見ても日本人には見えなかった程だった……。

 

「ああ……今、行く」

マリアと同じ金茶毛の父親が凛々しく制服を着込んで階段を降りてくる。

マリアはサッとサイン書を手にして父親の前に立ちはだかった。

「少将……お願いいたします」

「マリア──またか。その事については昨夜話しただろう? ダメだ」

リチャードは娘が差し出したサイン書を片手で優しく払いながら歩き始める。

「パパ! ジャッジ中佐が何故サインしてくれたか考えてみてよ!

あの中佐がサインしてくれたのよ!!」

マリアは玄関へ向かう父親の背を追いかける。

「まったく恥ずかしいにも程がある。サワムラ君にどれだけ迷惑をかけたと思っているんだ?

彼は今、大事なプロジェクトで大変な仕事を、短期間で済ませなくてはいけないんだ!

それを……そんな自分の気持ちの為に!

お前は工学科の教官で、まったく関係ないではないか!?

私はね。マリア……彼の事も良く知っているけどね。

彼が私を指名したなら、マイクがサインをしても、私が最後の砦。絶対にしない。

それから──」

リチャードは追いかけてくる娘に振り返らずに歩きながら……

昨夜、娘に突きつけた『返事』を呟いた。

そして──

 

「ブラウン大尉。プライベートでのアットホームな雰囲気ではなおさら許可はしない。

出直してきなさい」

 

振り向いた父の顔は『パパ』ではなくて『将軍』だった。

マリアはふてくされてサイン書を下げた。

父親は、ジョンのエスコートで黒塗りの車に乗り込んで颯爽と出かけていった。

 

「マリア……いい加減に諦めなさい。

あなたの気持ちも解るけど……お仕事上で人に迷惑をかけるのは一番いけない事よ?」

母が困ったように呟いて、そっとテーブルを片づけ始める。

「行ってきます」

マリアはコーチの赤いバッグを手にして、自分の車に乗って出勤した。

 

(……諦めなんかしないわよ。私にはこれで最後なんだから!)

ここで隼人を帰してしまったら……二度と『彼女』に関わることが出来ないと思った。

マリアはそこでフッとある事を思いついたが首を振った。

(彼女に頼めるくらいなら……昔からこんな事に必死にならなくても上手く行っているわ)

それに……自分の力でなんとかしたい。

だが──

(もし、パパが許可してくれてもハヅキは許可してくれないかも)

葉月が帰省してきたのを思い出してガックリ……

信号待ちになり、うなだれハンドルに頭を付けた。

自分の元夫が元彼女の葉月の部署に行きたがっている事だって許せないのに

自分は……彼女の恋人である『側近』の男と仕事をしたいだなんて……

『棚上げ』も良いところだ……。

それぐらいマリアだって解っている……だけど、気持ちが収まらない。

それに……マリアは葉月には避けられている。

それもどうしてかは解っていなかったし、さして自分が虐めた記憶もないし

むしろ『仲良くしたかった』のに……彼女が逃げて行くのだ。

他の皆は、マリアが寄らなくても向こうから寄ってくるのに……

マリアから逃げる『人間』は後にも先にも彼女だけで……

「もう一人……いたわ。逃げた人が──!」

それは『元夫』

それも唯一逃げられた人間『葉月』と同期生だ。

「もう一人──いたわ!!」

今度は、マリアをキッパリはね除けたあのサワムラ中佐だ。

その男も……葉月の現側近だ!

 

「ああん! もう!!」

どうあっても葉月と関わる人間が自分とどう違うのかと考えても考えても思いつかない。

それが『価値観の違い』なのか? 自分が気が付かない『欠点』なのか?

マリアはそれが知りたいのだ!!

だが──それを父親にぶちまけるとマイクが最初にマリアをねじ伏せたように

『私情だ!!』と、怒鳴られる。

マリアはやぶれかぶれにアクセルを踏んだ。

 

今日も快晴──。

マリアが飛ばす車は、颯爽と海岸線を基地へと向かうのだが、

マリアの心はここの所ずっと……曇り空。

それに工学科の中で過ごすことにも神経が少しすり減っていた……。

『理解ある上司』がいなければ……マリアはもうとっくに逃げ出していたかも知れない。

 

 

「はぁ……昨日は疲れたな」

隼人は机に座って一息ついて日本語で呟いた。

朝起きると、葉月は起きていなかった。

 

「疲れたんだろうね? 放っておきなさい」

亮介は、妙に爽やかな笑顔でコーヒーを飲んで出かけていった。

「後で慌てて基地に来るわよ。あの子がジッとしていると思う?」

登貴子も、『あの子は休暇だから……寝かせている方が安心だわ』

なんて……冗談なのか本気か解らないがそういって出かけていった。

この日、隼人は自転車で通うことにしてみたから、パパママとは別に出かけた。

 

「母艦見学も終わったし──今日は全ての打診をして、交渉の段階に持っていかないと」

パソコンを開けて、小笠原の本部に『質問メール』を返信して

後で気が付いたが、『ジョイと山中』が葉月の帰省について

一緒になって黙っていた事について軽い抗議と、無事に彼女が辿り着いた事を報告した。

 

あちこちのメンテチームのキャプテンと『会合』出来るのが午後からという日程になった。

今までまとめた『ランクチェック表』を、エクセルでまとめていると……

 

「ふーん、眺めの良い所ね」

隼人は女性の声が聞こえてビックリ!顔を上げた。

上着を羽織っていない葉月が何喰わぬ表情で立っていたのだ。

「お前……起きたのかよ」

「ひどいわね。皆して……私が起きたら大事でも起きると思って

放って出かけちゃうんだから」

母親が言った事を娘が解っているようにシラっと呟いたので隼人は苦笑い。

「少しは疲れは取れたのか?」

「まぁね……」

葉月は、空いている椅子を勝手に持ってきて隼人の横に座り込んだ。

本部員が……隼人の横になんなく座り込んだ女性を気にしている視線に隼人は気が付く。

ドナルドは今日は珍しく……どこかへ営業に行っていて長いこと席にいなかった。

彼がいたら即突っ込まれる所なのだが……。

 

「お前……どうやって、ここにはいった?」

「ちゃんと補佐を通して、先程ランバート大佐室でご挨拶したわよ?

私はあなたの上司ですもの。いつでも出入りOKって言ってくれたわ」

「気が付かなかった。お前が来たの……」

「まぁね。騒がれるのは好きじゃないから」

葉月は腰に裏返しにした上着を巻き付けていた。

隼人はそんな葉月が彼女らしくてそっと笑った。

「フランスでもそうだったな」

「そうだったかしら?」

葉月が照れているのか、とぼけた口調で椅子をクルリと回して背を向けて

窓辺から見える海を眺め始める。

隼人も休暇という名目でのんびりとしている葉月に呆れて

自分の仕事に集中力を戻した。

 

「見ても良い?」

隼人が入力を終えた『候補メンテ員訓練チェック表』を葉月が指さす。

「どうぞ? 大佐に断る理由なんてどこにもありませんし」

隼人が冷たく言うと葉月がふてくされた顔をしたが放っておいた。

「ふーん……キャンベラとクーパーはビンゴだったみたいね」

「ああ……訓練ではね」

「二人のキャプテンへの打診も終わっているわね」

「ああ……手応えはなし」

「これからよ」

葉月はなにやらニヤリと微笑み、その書類を隼人の横に置いた。

隼人の書類をなんなく覗く大きな態度の若娘。

皆がそれが『大佐嬢ではないか?』と囁き始めているのに隼人は気が付く。

「お前さ……思い切って上着を着た方が皆も落ち着くと思うけどな?」

「…………」

葉月はまた椅子をクルリと反転させて、背を向けてしまった。

「皆には俺から……仕事も兼ねて休暇で帰省したって上手く言うから」

「……解ったわよ」

葉月が渋々腰から上着をほどいた。

そして気だるそうにゆっくり……袖を通す。

日に焼けたくないから長袖? そう思ったのは葉月の場合なのだが……。

亮介もマイクもそうだが、きちんとした『上の』者達は

長袖で業務をこなしている。

(俺も薄物もってきたから上着だけでも長袖にして羽織ろうかな?)

確かに半袖よりかは長袖はフォーマルに見えるなと……感心した。

 

葉月が背を向けて上着を着終わると、本部中のヒソヒソ声が高まった。

「ちょっと! サワムラ君!!」

ドナルドでない先輩が、隼人を手招きしたのだ。

(早速か……)

仕方がない……と、隼人は立ち上がった。

葉月は、本部内に背を向けたまま窓辺の景色をジッと眺めているだけで

隼人はため息をついた。

だからといって、大佐の葉月が出張で来たわけでもないのに

大佐から皆に挨拶をするというのも可笑しいし……隼人はそこは側近として

皆に事情を説明する役を押しつけられたようだ。

 

「えっ! やっぱり大佐嬢!?」

隼人の周りに集まった数名の先輩達が驚きの声をあげた。

「申し訳ありません。ああやって度々来て迷惑かけるかもしれませんけど、お手柔らかに」

隼人はまるで妹が遊びに来て、頭を下げているような気分になってくる。

「と、とんでもないっ! えっと……挨拶した方がいいのかな?」

皆が本当に戸惑っていて隼人は苦笑い。

「いえ、私の仕事の具合を覗きに来ただけで……。

今は自由気ままな休暇の身ですから彼女も皆さんに迷惑かけたくなくて

ああやって上着を脱いで知らぬ振りしているだけなんですよ」

「そうなんだ……?」

大佐なら大佐で堂々としている方が皆しっくりくるらしかったが

年若い娘がそうして『素性』を隠す気持ちがどうも解らないようだった。

隼人も仕方がないなと思う。

そんな葉月の気持ちを計れる男というのはそう多い物でもないから──。

そうして、隼人が色々と皆を落ち着かせようと説明をしている横を……

葉月が上着をまた脱いで、肩に掛けてスタスタと本部を出ていこうとしていた。

「おい! 何処に行くんだよ!」

日本語で呼び止めたのだが、そうして大佐嬢になんなく声をかける隼人を

皆がもの凄い事をしている男とばかりに驚いて見つめたので隼人は引いてしまった。

「パパの所よ。ここに入り浸るぐらいなら、パパの所を拠点にするように

さっきマイクに言われたの。マイクがノートパソコン設置して

小笠原と連絡付けられるようにしてくれるっていうから」

「あ。そうなんだ……」

放っておくと何処へ何しに行くか解らない。

あのマイクが暫くは『お目付』を亮介から言い使ったようで隼人はホッとした。

それなら隼人も自分の仕事に集中が出来る。

「中佐が言い出した出張だもの。変な手出しはしないわよ」

葉月はニヤリと微笑んで本部の入り口に向かっていった。

 

その時だった──。

 

「いた! いるじゃないか!!」

本部の入り口に数名……男が葉月を指さして叫んだのだ。

何事かと?隼人も身を乗り出すと。

「昨日はそんな女はいないと言ったがいるじゃないか! あの女だ!」

やって来た男が入り口にいる本部員に食ってかかっていた。

「ええ!? 君達が捜していた女性って……あの方!?」

入り口の本部員が半ば顔色を変えて……葉月を見つめた。

「飛んでもない! あの女性は……」

その本部員が半分怒ったように彼等に言い返そうとすると……

「黙って。下がっていてちょうだい」

葉月はその本部員を手で制した。

「……あ、はい……」

葉月の瞳が急に冷たく輝き、その本部員を冷たい表情で見つめた。

その視線の強さに気圧されたのかその本部員はスッとデスクに戻った。

隼人も胸騒ぎがして、そっと入り口に向かった。

 

「お前の直属の上司を出してもらおうか!?」

本部の外廊下で、三人の男と葉月が火花を散らして向かい合っていた。

「ちょっと……おい!? どうしたんだ?」

隼人が割ってはいると、男達の鋭い視線が隼人に向けられた!

「アンタがこの女の上司か!?」

「え……?」

「この女に、昨日乱暴されたんだよ!」

隼人が驚いて葉月を確認すると、葉月は腕を組んで……

今にも飛びかかりそうな燃えた瞳で彼等に立ち向かっていた。

 

「お前……なにしたんだよ」

「報告書見たの? そういう『輩』 私が許せないの解っているでしょ」

葉月の瞳が冷ややかに燃えた。

隼人はヒヤリとしたが……

その目の前の男達が、『マリアに触った』というのがすぐに解った。

 

何の騒ぎかと……本部員もザワザワと廊下外の光景に息を呑んでいた。