26.さよならベア

 

 『ザーン……ザザーン……』

 夕闇に染まり始めたフェニックスの海岸。

広い砂浜のずっと遠くに寄せて帰っていく波の跡が遠くに霞み始める。

潮騒が漂う白い家の芝庭──。

そこで、栗毛の父娘が向かい合い。

黒髪の母親が静かに固唾を呑んで見守っている光景。

芝庭の隅で隼人も……自分の存在を消すようにそっと息をひそめて見守っていた。

 

父親の固い冷淡な態度……。

沈黙を破ったのは栗毛の娘……葉月。

 

「そ、そうよね……? 私……パパがせっかく買ってくれた『リョウタ』を……

訓練校に入るから、いらない、見えないところに捨ててって……言ったんだものね」

葉月が……そっと微笑み、何か諦めたように俯いた。

「……それが、なんだ急に今更……」

亮介が任務で見せていた凛々しい男の顔……落ち着いた口調で葉月に問い返す。

「それでもパパが捨てないで、パパのベッドの横にずっとあったから……。

この前、ここに帰ってきた時はまだ、あったから……」

葉月が、また苦しそうな顔をして肩を落としていた。

「……それで? どうしたかったんだ? 葉月」

亮介が、問い詰めるように、でも……淡泊に娘に尋ねる。

 

「……私が可愛がってあげられなかったから……

『リョウタ』……今から可愛がってもらおうと思って。

私が……『捨てた10歳』から、可愛がって貰おうと思って……」

 

「!!」

隼人は『やっぱり!』と思うと供に、葉月がその……

少女の頃、本当は大切にしていたのに捨てようとした人形を

『リリィ』に譲ろうとしているのだと解ったのだ!

そして、葉月は『やっぱり』リリィによって……何か心に取り戻そうとしているし……

痛くて思い出すことすら拒否していた事を受け入れようと……

『帰ってきた』のだ!──と……確信した!!

 

「……アイツはお前に可愛がってほしかったと思うぞ」

亮介はまた……葉月に背を向けてゴルフクラブを振り始める。

「……私はもう、大人で……10歳じゃないわ。

リョウタは……子供から大人になる女の子の側にいたかったと思うから。

あの……パパ。あの時はごめんなさい……。

でも、別に『リョウタ』が嫌いになった訳じゃ……」

「……」

亮介は黙ってスウィングを続けている。

「パパ……」

登貴子も恐る恐る……亮介に声をかける。

「…………」

それでも亮介は、何喰わぬ冷たく固い態度でゴルフクラブを降り続ける。

しかし──二回ほど……素振りをすると、ピタリと動きが止まった。

 

そして──

亮介が呆れたように、また素振りを止めて振り返る。

 

「なんだ、葉月……。あのクマは『リョウタ』って名前だったのか」

 

あんなに冷淡な表情をしていた亮介が、急に可笑しそうにクスリを頬を緩めたのだ。

 

「!!」

葉月の白い頬が急に真っ赤に染まった。

隼人はそれを見て……驚いた。

どうやら、『リョウタ』というのは葉月だけが心で名付けていた秘密の名前だったようだ。

それを思わず口にしていた葉月が、本当に『子供』に見えてしまったのだ。

「だって……パパが! 青いリボン付けて買ってきたからじゃない!

男の子だと思ったのよ! パパが買ってきたから『リョウタ』なの!」

 

『アハハハ!!』

庭の隅で急に笑い出した隼人に皆が驚いて振り向いた。

「な、なによ!」

子供の頃の自分を垣間見せた事に急に我に返ったのか

葉月がさらに真っ赤になって隼人に叫んだ。

「だ、だって……お前が……パパが買ってきたからリョウタって……あはは!!」

隼人が大笑いをすると、やっとベッキーが登貴子を顔を見合わせて笑いをこぼした。

そして──亮介も……やっとホッと顔をほころばせた。

 

「お前の部屋のクローゼットに、片づけたんだ……。

お前が、大人になったから……と思ってね」

亮介がゴルフクラブを肩に掛けてやっと娘に向かって微笑んだ。

 

父親が微笑んだ途端に葉月が……

 

泣きそうな顔で亮介に抱きついた!

「パパ……ごめんなさい!」

 

隼人は勿論……笑い声が止まって驚き……

登貴子もベッキーも幻でも見るかのように目を丸くしていたのだ。

でも……登貴子だけは……すぐに笑顔になった。

 

「葉月……誰か、可愛い後継者でも見つけたの?」

葉月の背に寄って、登貴子は娘の背をそっと撫でた。

葉月は亮介に抱きついたまま……パパの肩越しで『コクン』と頷くだけ。

「パパ……ごめんなさい。せっかくパパが買ってくれたのに『捨てて』なんて言って!

でも……私、もう……女の子ではいたくないって……おもっ……て……」

葉月が亮介に抱きついて、構うことなく泣き始めたので

隼人は……また驚いて……そっと影を潜めるように庭の隅、一歩引いた。

 

すると亮介は穏やかに微笑み、葉月の小さな頭を大きな手で撫でた。

 

「お前に『ごめん』……なんて、言わせているのはパパだよ。

お前に……女の子を捨てさせたのも全部……パパのせいだ」

葉月が声をしゃくり上げながら……『違う!』といいたげに、声にならずただ頭を振っている。

 

隼人はそれを見て……もの凄い場面に立ち会わせたと急に身が引き締まった。

葉月が……今まで言えなかった事を……

そう、素直に父親に向かってぶつかっていた事に気が付いたのだ!

その上……いつも大人びて冷たい顔ばかりの隼人のウサギが……

子供のように父親に抱きついて甘えている姿に……。

急に目頭が熱くなったのだ。

隼人だけじゃなく、登貴子もベッキーも涙を浮かべているじゃないか……。

 

「さぁ。葉月、部屋へ行って届けてあげなさい」

亮介が葉月をそっと身体から離すと葉月がやっと微笑んだ。

「ちょっと名残惜しいけど……」

「……だったら」

亮介が照れたように背を向けて……ピンに乗せていた白球を

『シュッ!』と素晴らしいフォームでネットへと打ち込んだ。

「今度は、今から可愛がってくれるレイのお友達をパパがプレゼントしても良いぞ?」

「本当!?」

葉月は急に笑顔になって、また亮介の背中に抱きついた。

「パパ! 有り難う!!」

葉月はそういうと、またバタバタと元気良く家の中へと入って行ってしまった。

 

「ったく。お騒がせな所はかわらんな……」

亮介の顔もいつもの気楽なパパの砕けた表情に戻っていた。

「隼人君、手伝ってあげて? 大きなクマの人形なのよ『リョウタ』は」

登貴子も嬉しそうに、隼人に勧めてくれた。

 

「……はい!」

 

隼人も葉月と一緒に、その人形をリリィの元に届けるために

彼女を家の中へと追いかけた!

 

 

 「葉月?」

 隼人はこのフロリダ御園家にお世話になって始めて二階に上がった。

一番手前の白いドアが開けっ放しになっていたので、そこが彼女の部屋と解って覗く。

 

「あった!」

そんな声がドアと平行した壁の奥から聞こえた。

一歩中にはいると……そこには金色の取っ手に白い大きなクローゼットがあり……

そこで葉月が尻を突き出すような姿勢で首を突っ込んでいた。

「もう……持っていけるかしら!?」

葉月がそれでも尻を突きだした恰好で『うんしょ、うんしょ』と唸りながら何かを引っ張っている。

 

隼人もそっと近づいてクローゼットを覗いた。

ボーイッシュな洋服に、お嬢様らしい洋服が半々、バーに掛けられていて

その服の下から大きな影が……。

 

「それが『リョウタ』!?」

葉月の身体、三分の二はありそうな大きなクリーム色のぬいぐるみだった。

フワフワとした手触りが良さそうな深い毛並みで……

首にロイヤルブルー色の太いリボンが大きく結ばれていた。

隼人は葉月の腕をひっつかんだ。

「どけよ……」

「あん!」

葉月は力任せにクローゼットから引き出されて、代わりに隼人が首を突っ込む。

隼人は小麦色に焼けた逞しい腕で、難なくリョウタを引っぱり出した。

 

「でっかいなーー」

隼人が抱き上げて床に降ろすと、葉月が『久し振り!』とリョウタに抱きついた。

 

「ごめんね……ほったらかしにして……。

そして……ごめんね……。今日でお別れなの。許してね……」

 

まるで、子供に話しかけるように……暖かな眼差しでクマを撫でる葉月。

 

隼人は、そんな葉月が『いたなんて……』と、ちょっと驚きが隠せない。

『女性らしい小物』に関しては、葉月は『エレガント系』なら自分の中で持っているようだが

『女の子らしい小物』に関しては葉月は本当に興味が無いように

そんな気配は見せたこともない。

丘のマンションにだって、そういう『ファンシーロマンス』系の物は見あたらなかったから……。

 

『ふーん。葉月も昔はそういうの好きだったんだ』

と……いつものようにからかいたい所だが……。

 

先程の亮介とのやりとりを見た後は、不用意にそんな事言えなかった。

本当は葉月にだってそういう『好み』はあったのに

『もう、女の子にはなりたくない!』

そんな志を秘めて訓練校に入る前に……父親からもらった『女の子らしさの象徴』を

父親に『捨てろ』とプレゼントを突き返しただなんて……。

 

そんな……事件後の複雑な『御園家』の急激な変化が

この家の中で繰り返されたのだろう。

 

ふと……葉月の部屋を見渡すと……。

白でまとめられた少女らしく愛らしい部屋で……。

白いレエスのカーテンは、水色のリボンでまとめられ、

ベッドカバーもシンプルだが、小さな水色の小花柄。

レエスが付いたピローカバーに包まれた枕。

クローゼットのように白い木製で金色の取っ手が付いた机。

机の上には、ピンク色の薔薇の粘土細工があしらわれているフォトスタンド。

ベッドの側には、絵本でお姫様が使っているような……

猫足で、メルヘンチックな曲線を描く白いドレッサーが……。

丘のマンションで、クールな海辺の雰囲気を醸し出している

青と白色が基調の『ミコノス八帖部屋』でくつろいでいる葉月の感覚からは

想像が出来ない『乙女チック』な部屋だった。

 

「どうしよう……自転車でもって行けるかしら??」

葉月がそんな隼人の『観察』にも気が付かないようで

リョウタを持っていくことで頭がいっぱいのようだった。

「なぁ? どうしていきなり……それをリリィに譲ろうと思ったわけ?」

隼人はまた、葉月を押しのけてリョウタを軽々と抱き上げた。

 

「え……?」

 

やっと……葉月と隼人は視線をジッと合わせることが出来た。

だけど……葉月が恥ずかしそうにサッとすぐに逸らす。

だけど……隼人はいつもの落ち着きでジッと葉月を見下ろした。

「べつに……大事にしていたなら無理に譲らなくても……」

葉月の『十代から可愛がって欲しい』という気持ちを解った上で……

隼人は亮介と同じく『リョウタは葉月に可愛がられたいんだ』という事を強調した。

 

「リリィのお部屋にはたくさんの人形があったわ。

とっても可愛らしいお部屋で……私の昔の部屋を思い出したの。

リリィは……おおきなクマのぬいぐるみが欲しいけど……

高くてパパとママは買ってくれないって……」

「それで? でも、それならいずれフォスター隊長も買ってくれんじゃないかな?」

「それ……結構高いのよ?」

「そんな、たかが人形じゃないか?」

「何万円しても?」

「え!? そんなにするのかよ!? コレ!!」

隼人は驚いてリョウタを落としそうになった。

「しかも……それパパがオーダーメイドで注文したらしいの」

「そ、そうなんだ?」

時々、ほんとうに『ブルジョア的』なモノが飛び出してくるので、隼人は驚いてしまう……。

「リリィが欲しがっているのを教えてもらって……

私ってなんて『贅沢なんだろう』……って思ったわ。

勿論……パパがリョウタを連れてきた日のことは今だって覚えているわ」

葉月は隼人の目の前で、そっと微笑みながらまた俯いた。

 

「私がアメリカに来て……部屋にばかり籠もっていて……。英語も喋れなくて……。

パパはその時、今の右京兄様ぐらいの歳でとても若くて格好良かったわ。

お髭もなくて……。

そんなパパがとても困った顔ばかりしていた。

ある日、パパが……とっても元気な笑顔でリョウタを連れてきたの。

『レイ! お前の友達をパパが連れてきたよ!』って……。

青いリボンを付けてね……」

隼人の頭の中で……右京の姿が浮かんだ。

ああいう貴公子のような若パパだったと言われると、右京と似ている亮介だけに納得した。

そして──

葉月が心の底で父親に対してもの凄い『憧れ』を抱いているのを見た気がした。

『ああいう風になりたいんだ』

達也の先程の言葉を思い出す。

格好良いパパに全面的に甘える娘。

きっと昔はお互いに何も考えなくてもそういう愛らしい娘と輝くパパだったのだろうと……。

それに葉月が自ら……昔の自分と家族の話を隼人に話してくれるから

隼人も神妙な面もちで、そっと耳だけを傾ける。

すると……葉月がいつもの落ち着いた微笑みを隼人に向けた。

「……贅沢な愛を贅沢な形でもらっている自分が恥ずかしかったわ。

パパに『いらなから捨てて欲しい』なんて突き返して……。

あの時のパパの顔だって今だって覚えているわ。

長いこと忘れていたけどね……でも、思い出したの……。

リリィはあんなに欲しがっているのに……。

だから──」

葉月がまた苦しそうに俯いた。

閉じた瞳の茶色いまつげにポチポチと光る小さな雫が浮かび上がる。

 

「よっしゃ! 可愛い後継者にリョウタを可愛がってもらおうか。いくぞ!」

『俺が自転車に乗せて行く』

隼人が元気良く叫ぶと葉月もそっと目元を拭って……隼人に微笑んでくれた。

「まって……リボンはちょうだい」

葉月が隼人が抱えているリョウタの首から……光沢がある太いリボンをほどき始める。

「今でも思うのよね? なんでパパは青いリボンを選んだのかしらって?」

シュルシュルとリョウタの首から青いラインが消えていった。

「それは……洋服と一緒じゃないのか? ほら、お前には青って事なんだろう?」

カーテンに結ばれているリボンを見ても……そう思えたのだ。

「そうなのかしら? 小さい頃から……姉様も兄様も私には青色を選ぶのよ」

「きっと、そうだよ。リトルレイのシンボルカラーって所なんだろうな?」

葉月はそのリボンだけは大切そうに畳んで、タイトスカートのポケットに閉まった。

「リリィに好きな色のリボンを付けてもらって……新しい名前を付けてもらうのよ?」

『さよなら……リョウタ』

葉月が隼人に抱きつくようにリョウタに抱きついてきた。

葉月の……フサフサしたぬいぐるみの毛並みに埋めた顔が

急に愛らしい少女のように見えて隼人は戸惑った。

 

 

見送る亮介がちょっとばかり寂しそうにリョウタを見つめていたが……。

 

「そうか、こいつが家を出て行くのか。時が経つわけだな」

なんて……。

亮介も見ると哀しい何かが募るようで……また一人ゴルフクラブを振り始めるだけだった。

「今度はパパが連れてくるお友達はどんなお友達かしら? 楽しみよ」

葉月がそうパパの背中に叫んでも──

亮介はただ、白球をネットに打ち込むことに集中していた。

 

 

「さ……急ごう」

「うん」

 

突然飛び出してきた為、リリィは置いて行かれたと不安に思っているだろう。

二人でそう言い合って急いで家を飛び出した。

 

 

「来たっ!!」

すっかり日が暮れて……葉月と隼人が自転車で遅々と進みながら

フォスター家の前に辿り着くと……

達也とリリィが待ちくたびれたように手を繋いで待っていた。

 

「なにしていたんだよ! 一報ぐらいしてくれても良いんじゃないのか!!」

リリィが今にも泣きそうな顔で待っていた事に

達也が本気で怒ったので、葉月がちょっと申し訳なさそうに俯いた。

でも──

「おねえちゃん……これ……!?」

隼人が貸してもらった自転車のサドルに大きなクマの人形。

それを見つけたリリィが駆け寄ってきた。

「私がリリィぐらいの歳の時に可愛がっていたの。

でもね……パイロットの勉強をするようになってかわいがれなくなって……。

この子、とっても寂しい想いをさせていたのよね……」

「おねえちゃん……あの、リリィが欲しいって言っていたから?」

リリィがちょっと申し訳なさそうに俯いた。

「可愛がってくれる子にあげたら『この子』、もう一度幸せになれると思って」

「リリィに……くれるの!?」

葉月が笑顔でこっくり頷くと、リリィが嬉しそうに葉月に抱きついてきた。

「うんと大事にするから!!」

葉月も嬉しそうだった。

そして……葉月は二度とこの人形のことを『リョウタ』とは呼ばなかった。

 

もう……リリィの『子』だから……。

リョウタではないから……。

 

でも隼人は思った。

きっと……葉月の中でリョウタはずっといるんだ、残るのだと……。

それで良いと思った。

葉月のポケットに青いリボンはまだ残っている。

 

 

「まぁ……申し訳ないわ。大佐……。うちの子の我が儘な欲求のために」

マーガレットがダイニングテーブルに料理を並べながら申し訳なさそうに呟いた。

「いいえ……もう随分前に手放したも同然で……。

クローゼットにしまいっぱなしでしたから……。

あの子も、もう一度日の目を見て可愛がってもらえれば喜びますでしょう?」

 

『リリィ、良かったな。大事にするんだぞ』

リビングのソファーで……リリィはリョウタを片時も離さずに抱きしめていた。

父の親のクリスも喜ぶ娘の笑顔をソファーの後ろから眺め降ろして

娘の頭を愛おしそうに撫でている。

『リリィ……その子は男の子? 女の子?』

『リリィ! 名前、付けようぜ!!』

そうして隼人と達也がリリィを挟んで、あれこれと話しかけている。

そこで、ティシャツにハーフパンツに着替えたクリスが

女二人がいるダイニングテーブルに戻ってきた。

 

「参ったな。お嬢さん……あれ、オーダーメイドだな」

めざといクリスに葉月は『どっきり!』

「いえ……その」

やっぱり父親としてクリスが一度はそんな商品を考えた事があるのだと……

葉月は悟って、余計なことをしたかと俯いた。

「有り難う……。どうも、人形如きにそこまで高価な物は俺には解らなくて……」

「いえ……父が勝手に」

「でも、大佐が可愛がっていたと言うならば……。

リリィはきっと新しく買ってもらった物より、より一層大切にしますわ。

憧れなのよね? 女の子にとってああいうお人形は」

マーガレットが助けてくれて葉月はやっと微笑むことが出来た。

「なかなか手に入らないお品でしょう?

あんなに綺麗な形で残っているって事は……お品がよいのね?

お品の高価さも勿論だけど、大佐から譲って受け継いだという事の大切さを

リリィにちゃんと教えますわ」

マーガレットの『受け継いだ』という言葉に葉月はまた救われる。

ただ……『綺麗に残っている』のは父親が大切に取って置いたという事は言えなかった。

「じゃぁ……リリィが受け継いだベアを大切にしていたら……

俺達も『ベアの友達』を買ってあげても良いかな?」

「まぁ……あなた、大きく出たわね」

「なんだよ? マーガレット。リリィがあんなに欲しがっていたとは解らなかったんだ」

「男ってそういう物なのよね? 嫌になっちゃうわ?

ミゾノ中将を見習いなさいよ。お嬢様の為にあんな素晴らしい事をしてくれていたのよ?

これは高価であるかどうかではなくて、『してくれる』という点で言っているのよ」

「小さい人形は俺が買ってあげたんだぞ?」

「グランパとグランマのも入っていますけどね」

夫妻の会話に葉月はクスリと微笑むと、二人が揃って頬を染めて止めてしまった。

「……でも、父のそういう気遣いを私は当たり前に思って……。

そして粗略にしていたかもしれません……」

フォスターファミリーに触れて葉月は改めて思った。

でも……

「あら、そんなの子供は皆そうよ?

私だってそうでしたもの。なにも大佐だけのことではないわ?」

「そうそう。俺もガキの頃、オヤジに買ってもらった飛行機の模型とか……

いつ何処で手放したかなーって、今思ったもんな」

「そうそう、私も『バービー人形』とかね? 何処にやったのかしら?」

そんな大人二人の言葉に葉月はまた救われて……やっと一緒に笑い出していた。

 

ふと──

リビングでリリィを相手していた若い中佐二人の声が聞こえなくなって……

葉月がダイニングテーブルから振り返ると。

クマの人形をしきりに抱いたり触ったりしているリリィの向かい側のソファーに

並んで座って……しきりにヒソヒソと話し込んでいるのだ。

葉月はそっと耳を澄ませると……。

 

『お父さんが……昔買ってきた人形で……』

『え!? あの人形を持ってくるのにそんないきさつがあったのかよ!?』

『それで……葉月が……お父さんに向かって』

 

(あー。隼人さんたら達也に話しちゃってる)

葉月は目を細めて、フッと溜息を落とした。

もう一度肩越しに振り返ると……

男二人額を付き合わせ『日本語』で……本当に真剣に話し込んでいる。

その内に、ダイニング側に身体を向けていた達也と

『ぱっちり』視線がかち合った。

葉月がそのまましらけた眼差しを送り続けると……

達也は慌てて隼人の膝をさり気なく叩いて立ち上がった。

隼人もハッとしたように振り向いて……何事もなかったように

いつもの落ち着きで達也の次に立ち上がった。

 

「マーガレット! 腹減ったよ!」

「あら、もうすぐよ? タツヤ」

「お前な、人の女房をなんだと思っているんだよ?」

さも当たり前にマーガレットにご飯をねだる後輩にクリスが呆れた顔をしながら

妻の支度をテーブルで手伝っていた。

「だーって。俺、リリィの兄貴だもんな。当然ジャン? 俺、ここの子!」

「相変わらずね」

葉月がポツリと淡泊に呟くと、達也がムッとした顔で……

葉月の隣の席に座り込んだ。

 

「お前もな! お前は本当に突拍子もなくて皆を驚かすのが楽しいんだろう〜?」

「そっちこそ。私に隠していて報告してないことがあるんじゃないのー?」

達也のからかうお返しに葉月はシラっと言い返す。

それが『離婚』の事だと達也は解ったようで、グッと顔をしかめて引いてしまった。

「まぁまぁ……そろそろ食べようか? サワムラ君も座って」

「はい。お邪魔します」

葉月を挟んで、達也と隼人が同じ列に座った。

向かい側にはフォスターファミリーが……。

 

『そうそう! 通気口から飛び出してきたんだ!』

『それでさー! あんときの俺達の驚きったら!!』

結局、フォスター家での食事は『任務』の時の話になってしまって

自分じゃないような自分を語られて葉月は穴があったら入りたいくらい……。

でも──

フォスターも達也も……あの黒い男に捕まった話は絶対に口にしなかった。

リリィの前では……達也の一番の活躍どころであった『狙撃』の話も絶対にしなかった。

『大丈夫か?』

隼人も口数が少ないのはいつものことだが……

フォスターと達也が何処まで面白可笑しく話すのか注意深く聞き入って

葉月が嫌なことを思い出さないように誰よりも気遣ってくれているのが伝わってきた。

「大丈夫よ」

葉月がニッコリ……マーガレットの料理を頬張ると隼人もホッとした顔。

隣を見ると、元気良く喋っていた達也もそんな隼人の静かな気遣いに気が付いたようで……

 

「お前さ……最近、トレーニング始めたんだって?」

「ええ……隊長にこの前みっちりしごかれたの」

 

達也がそっと話題を逸らしてくれた事に気が付いた。

「早く、甲板に復帰できるといいな。リリィ! おねえちゃんのアクロバット飛行は男顔負けなんだ!」

「すっごい! 今度、見てみたいな!」

それで飛行機に乗るのはどういう気持ちなんだとリリィの質問攻めにあって

葉月もやっと会話の波に乗ることが出来た。

 

葉月を挟んで……黒髪の男二人が無言で視線を合わせて……

『良かった』と頷きあっているのを葉月は見逃さなかった。

隼人は静かに相づちを入れて聞き上手のタイプだから

そっと話題をそらしたのはムードメーカータイプの達也の役目といった所の様だった。

隼人も達也も……

変に二人の息が合っている事を、葉月は初めて目の当たりにしたような気がした。

ちょっとだけ……

隼人の『ずれた決断』が理解できなかった部分が……

『男同士って……こんなものなの?』

今度は妙な疑問として葉月の中を駆けめぐったのだ。