15.バックアップ

 

  隼人が明け方旅立って、葉月はこの日は隼人の自転車で出勤した。

駐車場に赤い車を隼人が置いていったので、夕方は一人でそれに乗る予定だった。

 

「いっちゃったね〜……隼人兄」

隼人が不在の間は、ジョイが『空軍管理』を取り仕切ってくれる事に。

ジョイと山中には、まだ、『達也引き抜き』の事は伝えていない。

「そうね」

隼人の机にある書類を取りに来たジョイが、葉月に話しかけたのだが

葉月は、いつも通り、最終捺印をしなくてはいけない書類のチェックに真顔で勤しむだけ。

「あーあ。お嬢は、相変わらずだね〜。

寂しそうな顔の一つでもして見送ってあげたという感じじゃないね?

隼人兄、拗ねて出かけたんじゃないの?」

ジョイのいつものしらけた……そして、呆れた視線が葉月に注がれる。

「余計なお世話」

平淡な表情で、毎度の如く、サラッと流した冷たい葉月の受け答えに

ジョイは突っかかる訳でもなく、本当に呆れたため息をこぼして大佐室を出ていった。

 

(リッキー……どうしてくれたかしら?)

目下、葉月が気になっているのは、リッキーに頼んだ『調査』

(もう依頼してから一週間は経っているわ?……今日、一日、待ってみて……)

これだけの時間がかかっているという事は?

(プライベートまで調べていそうね……)

そう葉月は『予感』した。

葉月は、ボールペンのノック先を顎にあてて、宙に視線を泳がせた。

 

今度の『もの思い』は……

 

『ママ──彼が泊まるって快諾してくれたわよ』

隼人の出張準備が整いつつあるある日。

葉月はフロリダの両親に、先日と同じ様な時間に連絡を入れた。

『本当に!? お泊まりの準備をしなくちゃ! いつ!?』

母の驚き声に、また父がテレビの前からすっ飛んできたとの返事。

葉月は苦笑いしつつ『日程』を報告。

母の声の向こうで、なにやら言葉を挟みたがっている父の小声にさらに苦笑い。

『ママ──あのね? 彼、ママの手料理を楽しみにしているみたい……』

『──!!』

葉月がそう伝えると、何故か母・登貴子が一瞬言葉を止めた空気を葉月は感じ取った。

だけど──

『そう……だったら、腕をふるわなくちゃね?』

『肉じゃがが食べたいって……』

『そう』

母の落ち着いた優しい声。

きっと、頭の良い母は気が付いただろう。

隼人の『母親思慕』を……。

『ママ──宜しくね』

『もちろんよ♪ 作り甲斐あるわ♪』

いつもの穏やかな声に秘められていても、母の嬉しそうな声。

『なぁ? なぁ? 葉月はなんと、言っている??』

父の声が時々、母の声の向こうから聞こえてきて、葉月はそっと微笑んだ。

『もうちょっとお待ちになってくださらない? 亮介さん??』

母が子供のような父に、一睨みする様もクッキリ浮かんで、葉月は笑いを噛み殺す。

そして──もう一つ、母に頼んでおかなければならない『あの事』

受話器の前で、そわそわとしている両親のやり取りを耳にしながら、葉月は深呼吸。

『ママ。私の机の上にある純兄様の写真を何とかしておいて』

単刀直入に言ってみた。

『──!!』

当然、父と供にウキウキ来客に心を弾ませていた母が……受話器の向こうで息を止めたのだ。

『そ、そうね? あのね? 葉月──真一が遊びに来るときもあるから……

ジュンちゃんの写真は外せないけど、その写真の上に真一の写真を入れて置いたの……。

そのままにしているわ……』

『ああ、そうだったの? それならいいの』

少し慌てた母に対して、葉月はいつもの平淡な反応。

『ジュン』──。

その一言が出たが為に……母の向こうではしゃいでいた父の声まで聞こえなくなった。

『葉月──私だ』

母が、何かを思ったのか父に受話器を渡したのだろう?

急に威厳を放った父の声に代わった。

『なに? パパ』

『そろそろ尋ねようかと思っていたのだが……これからどうするつもりなんだい』

『どうするって? 結婚って事? 今、それどころじゃないわ』

『そうじゃない……お前にとってジュン坊は……』

──『純一は葉月にとって……』──

その先の答えを父は知っている!

(言わないで! パパ!)

葉月は、きゅっと目をつむって……サッと父の言葉を遮る!

『パパはどうなの? 知られても構わないの? 兄様がどんなお方かよくご存じじゃない?』

葉月の『本心』とは、また別の要素を含む『知られたくない訳』を、葉月はサッと父に投げつける。

『だが──真一の父親だ』

『解っている……家族になるなら言えるわ。

でも──私と隼人さんだって……今は上手く行っていても、また、いつどうなるとも解らないし』

『……それでもいいのじゃないか?』

父のいつものサラッと軽いアドバイス。

『でも!……』

『パパは良いと思うよ? お前が信じているなら、結婚している、していない……。

家族である、家族じゃない──。関係ないと思うけどな?』

『でも──パパ……』

『決めるのは葉月だよ。それでも言い難いなら……お前の中で……

まだ、知られたくない何かがあるのかもな? そこはよく考えなさい。

それまでは……パパもママも……葉月より先に何も隼人君には言わないよ。安心しなさい』

『…………』

なんだか……父に突き放された気がした。

いいや? 『家族でなくては知ってはいけないこと、知られてはいけないこと』

そういう『都合のいい理由』を、はぎ取られたという事を葉月は感じたのだ。

──『家族じゃなくても、信じているなら言えばいい』──

と──、言う事は?

今すぐにだって、隼人を信じているなら言えるはずなのだ。

だけど……葉月の答えは『NO』

何故? 『NO』なのか?

それを考えると……葉月はやっぱり泣きそうになった。

『まだ……言えない……』

葉月のくぐもった、自信のない声。

『葉月──それがお前の中で嘘のない無理のない答えなら、今はそうしておきなさい』

父の穏やかで寛大な微笑みを浮かべた表情が葉月にはクッキリ頭に描けた。

──『ジュン坊を忘れられないんだね? そのままでいいんだよ……今は、まだ』──

父は、そうとは言わなかったが、そういう事をほのめかして言葉を換えていると……

葉月はそう思った……。

パパは優しい。

パパは何も言わないけど……本当は解ってくれている。

葉月は、久し振りに父の胸に抱きつきたくなる程の衝動に駆られた。

『いつか自然に言えるよ。それが……一番だ』

『そうよ……葉月』

父の優しい声の向こうで、母もそっと神妙に呟いたのが聞こえた。

『さぁ──御園大佐。涙を拭いて……お仕事に戻りなさい』

父のすこしからかった声……でも、優しい声。

『泣いてなんか……いないわよっ!』

いや……ちょっとだけ、涙はこぼれなくても瞳は潤んでいた。

いつもの父への強がりなお返し。

『おやおや……じゃじゃ馬の参上かな? こりゃ、失礼いたしました。

わたくしめ、ちょっと大佐殿を買いかぶっていたようで♪』

『パパのバカ!』

『あはは♪』

いつまで経っても少年のような笑い声をたてる父。

昔は、いつまでも若々しく、右京のように貴公子のような父が本当に自慢だった。

素直になれなくて、父を避ける様な態度ばかり続けてきたが

心の中では葉月にとって最高の男性だった。

今だって……。

『あ、ありがとう……パパ。ママも……』

しんなり葉月が涙声で呟いても、父はもう驚きもせずに、ちょっと笑っただけ。

『グッラック……レイ。隼人君のことは任せなさい』

『パパ……も、グッラック……』

ちゃらけてばかりのパパで、いつも呆れることが多いのだが

いざというときは……父・亮介は本当に心より頼もしく安心させてくれる。

だからこそ──17年前、絶望した。

絶望したのは『あの時』だけ。

そして──それだけに大きくこだわっていた。

少しは癒えた、任務の際……だいぶ癒えた。

そんな娘の『変化した態度』に、両親は近頃大満足のようで

しんみりとしてしまった娘との連絡をまた濁すかのように、大はしゃぎに騒いで電話を切った。

 

そんな数日前、隼人がいない間に取った連絡のことを葉月は、この朝……。

一人きりの大佐室で思い出していた。

そして──『その事について』……珍しくやや深く考え込んだ。

暫く──

葉月が書類の紙面にあてているペン先は上手く滑らなかった。

やっと、気持ちも落ち着いて、いつもの『集中力』が蘇り……ペンが走り出した頃……。

 

「邪魔するぞ」

「兄さ……じゃ、なくて……連隊長。いらっしゃいませ?」

ロイが……たった一人で葉月を尋ねてきたのだ。

 

「今日は、お前のロイヤルミルクティーを頂こうか?」

ロイは我が家のように、物怖じもせずに大佐室に入って……

そして、葉月が勧めない内に応接ソファーにサッと座り込んでしまったのだ。

「かしこまりました」

葉月は、ソファーに座るなり、煙草をくわえたロイの横顔が

いつものように氷の様に固かったのですこし……怯えながらキッチンに入る。

 

「とうとう、隼人は出かけたか」

やっと、いつものロイ兄様らしい穏やかな声が葉月に届いた。

「そうですわね」

「お前達が二週間も離ればなれは……初めてじゃないのか?」

「ああ、言われてみれば?」

「本当にお前は……素っ気ない女だな? まぁ、そこが男にはそそられるのかもな〜?」

「まぁ……兄様ったら。もう少し言い方ありませんの?」

なんだか、麗しいロイが男臭い事をいうと葉月は時々『俗っぽい』気がしてガッカリするときがある。

だけど──そういう所もあるからロイの中に通う『人間味』を感じる事も出来るのだが。

「ま。これでも俺もそれなりに男なんでね? 仕事一徹の坊ちゃん将軍だとでも?」

「兄様ったら……そんな事、思っていませんわよ」

葉月が笑いながら、冷蔵庫から出した牛乳をミルクパンに注ぐと

ロイも楽しそうに笑い出した。

(なにをしに来たのかしら?)

リッキーも伴わずに来ると言うことは、葉月と個人的に何か向き合いたいから?

そうとれる……。

葉月は、ミルクを泡立て器で沸騰しないように温めながらそう考える。

程なくして、葉月特製のロイヤルミルクティーが完成。

 

「お粗末ですが……どうぞ、連隊長」

トレイに乗せたボーンチャイナの青い花柄のカップ。

ソーサーに乗せて、葉月が好んで乗せる甘い生クリームとシュガーを添えた。

「俺は生クリームは、あまり好かないが……お前の好物だからたまには使おうかな?」

「お砂糖は、下に残ることがあるので……」

「なるほど?」

たまたま生クリームを、カフェテリアのコック『ロブ』から分けてもらえたので出しただけ。

ロイは、ほんのり暖かいミルクティーの上に生クリームを乗せて一口。

「意外とあっさりしているな?」

「そうでございましょう?」

「ただ、温度が下がる」

「熱めに入れないといけませんわね? 好みが解っていればそういたしますが」

「難しいところだな?」

ロイは、一言評価を下した後は、いつもの兄様笑顔で微笑んでカップを置いた。

それを見計らって、葉月もロイの向かい側に腰を下ろした。

「連隊長、何かご用ですか?」

「ああ……お前がね? 俺に知られても良いとリッキーに依頼したことだ」

「──!!……ああ、そうでしたの」

ロイに知られても構わないと思ったのは本当だが……

ロイは素知らぬ振りをすると思っていたのに……。

直々にやって来たことで、葉月は少し動揺した。

するとロイは、座っていた脇に置いていた書類束をサッと葉月の目の前、

テーブルの上に静かに差し出した。

「マリア=ブラウンの現状だ」

「……我が儘、申しあげまして……連隊長の側近をお遣いした事、申し訳なく……」

葉月は、部下として勝手な事を始めようとしていることは……

やっぱりロイには『見抜かれている』と観念。

改まった姿勢で頭を下げると……

「そんなかしこまった事は、どうでもいいから、それを見ろ」

「今!?」

どうも? 連隊長として来たわけでは『ない』と、葉月は感じて

後で一人でじっくり眺めようと思ったのに、せかされ……思わず、妹のように叫んだ。

「お前の予想──当たっていたかもな?」

「!!」

そこまで見抜かれて……葉月は『どっきり!』背筋が伸びた。

「……」

そっと、水色の封筒から書類束を取りだした。

そして──膝の上に広げて……眺めてみる。

ロイは、葉月が眺め終わるまで……煙草を吸ったり、カップを手にしたり

ただジッと、葉月の様子を眺めているだけ。

 

「やっぱり──」

葉月は、ため息をついた。

「お前が、気になっているのは『プライベート』だろうと思ってね。

『仕事だけの事で構わない』とリッキーに言ったそうだが?

俺が外まで調べろと言い付けて置いた」

「……仕事さえ、無事なら良かったのですが」

「仕事は『無事』だ」

「そうよね? 彼女の優秀さ、勤勉さ、そして誇り高さは私も知っているわ」

「リチャードおじさんの、自慢の娘だ。少々ではへこたれない。

俺も何度か、挨拶をしたことがあるが、賢くて嫌みのない良いお嬢さんだ。

それだけにな?」

「……兄様。プライベートな事は……私が首を突っ込むことではありません……」

葉月は仕事は、やっぱり素晴らしくこなしている彼女を確認できて、少しはホッとした。

それこそ……達也が選んだ女性である。

そして──葉月だって本当の所は彼女の『賢さ』には

少女の頃から『尊敬』していた。

ただ──自分が……ひねくれていた自分が一番いけなかったのだ。

彼女を避けていたのは『葉月』の方なのだ。

だけど──プライベートが気になった。

それを知ったら……『私は……どうなる?』……と、いう『答え』を葉月は自分で知っていた。

だから──『知りたくなかった』というのも『本心』だが……

『知りたい』というのも『本心』

リッキーがそこまで調べなかったら『知らない事』にして忘れる心積もりだった。

そして……もし? 知ってしまったら……。

ロイは、『知ってしまったら』の道へ……葉月を誘導したのだ。

その『真意』は──?

 

「葉月──お前の言わんとする事、よーく解った」

ロイが、煙草を大き大理石の灰皿にもみ消した。

「どういう事でしょうか? 連隊長」

葉月は、本心を見抜かれていると解っていながら……とぼけた。

だが──

 

ロイがため息をつきながら……『ある事』を言い出したのだ!!

 

「本当に!? 兄様? 本気で言っているの!?」

葉月は……考えること、やることが早いロイに驚いて……思わず声をあげて立ち上がった!!

ロイが照れくさそうに……ゆるいクセがかかった金髪の前髪を仏頂面でかき上げる。

「これでも……俺は、お前を小さい頃から見ているからな。

たまには、『怖いお兄さん』以外にも『甘いお兄さん』もしてやらないと?

それにな……そうしてやらないと、なんだか皐月に頼まれている手前。

叱られるような気もするしなぁ〜?

後の事は、どうとでもする。俺の指示って事にして、お前は存分にやればいい」

葉月は、笑顔で飛び上がって、ロイの隣に飛び込んだ。

 

「お兄ちゃま! ありがとう!」

葉月は、ロイの首に抱きついてそっと彼の頬に小さなキスをした。

「わ! お前にこんな風にされたのは何年ぶりだ!?」

あのロイが……白い肌をすこし染めたりして。

だけど──ロイは、そっと笑顔を優しくこぼして……

抱きついている葉月の小さな頭をそっと……目を閉じて撫でてくれた。

 

「皐月に手を引かれて……俺を見つけるとアイツの背中から良くお前が飛び出してきて……。

こんな可愛い義妹が出来るって……俺、本当に楽しみにしていたんだよな?」

 

ロイが……ちょっと寂しそうな笑顔をこぼした。

十代の早い内に母親をなくして、兄弟もいないロイ。

だからこそ──小さな葉月とジョイは……いつもロイに可愛がってもらっていた。

アメリカにいるから……時々しか逢えなかったが。

彼は姉・皐月会いたさに、休暇には良く日本に来ていた。

そして──アメリカで暮らすようになっても。

そして──小笠原で働くようになっても。

誰よりも側にいてくれた義兄様と言っても良かった。

 

「私は、前からずっと兄様の妹分よ?」

「そうだった。手間のかかるね?」

「もう! 兄様達って、皆揃って……いつまで経っても私はオチビなのね!?」

「当たり前じゃないか?」

葉月がむくれて、ロイの首から離れるとロイは可笑しそうに笑って

葉月が入れたミルクティーを味わいだした。

葉月は──今は穏やかなで笑顔に満ちているロイをそっと見つめた。

 

『おねえちゃまね? ロイと結婚しようかと思っているの』

『本当に! あの王子様みたいなおにいちゃまと! 素敵!』

はしゃいだ葉月の笑顔とは、うらはらに……姉の笑顔は少し元気がなかったような気が……

『今なら』そう思い浮かべられる。

純一に振り向いてもらえなかった姉の選択。

 

そっと──そんな姉とロイの『短かっただろう恋』を……

自分の事のように思わずにはいれなかった。

 

葉月は、この日……ロイの『オススメ事』に早速行動開始。

ジョイと山中は……ロイから説明を受けて驚いていたが

反対はしなかった。

 

「お前は俺の分身みたいなもんだからな。存分に暴れて良いぞ!」

ロイが青い瞳を輝かして、大佐室を出ていった。

『暴れるだなんて、失礼です事』

葉月がそういうと、ロイは大笑いをしたのだ。

 

ロイの『バックアップ』を得て、葉月は動き出す。

 

 

 じりじりとした太陽──。

そして──思っていたより爽やかな風。

 

「さぁ──隼人君、長旅お疲れ様。ここが我が家よ♪」

「わー。本当に海の側なんですね!」

 

時は正午近く。

隼人は、灼熱の太陽の国……フロリダに到着していた。

そして、隣にいるのは『黒髪のママン』……葉月の母、御園登貴子博士。

彼女に部隊から連れられて……

隼人は『葉月の第二の実家』、フロリダの御園家の前にいた。

白くてこぢんまりとした家、芝に囲まれた広い庭。

敷地は広いのだが、家の大きさは思ったより大きくなかった。

 

「さぁ──とりあえず、荷物だけでもお部屋に置いて?

もう一度、部隊に戻るなら、私も一緒に行くわ?」

「お母さんまで……お仕事抜け出して迎えに来ていただいて、有り難うございます」

隼人が頭を下げると、黒髪をひっつめてまとめている小さな夫人はそっと笑うだけ。

「隼人君? 今からそんなにかしこまっていたら、帰るまでに気疲れするわよ?

私は──『息子が来た』と思ってお世話いたしますから、そのつもりで甘えて良いのよ?」

マルセイユで過ごしたときと、変わらない気さくさに……隼人もホッと笑顔をこぼした。

 

直行便なので、一日とは言わないが、それに近い時間で朝、フロリダに到着した。

入国監査をすませると、一人の隊員がにこやかに隼人を迎えてくれたのだ。

その男性は、隼人を受け入れてくれたという空部隊メンテナンス総監の側近だった。

その男性に、一つの本部に連れて行かれて……

これから二週間詰めることなる事務室で一つのデスクを与えられた。

『パソコンを持ってこられたのですか?』

『はい。必需品なので……』

『そうですか。お好きに繋いで下さい』

『有り難うございます』

『総監のランバート大佐は夕方でないとお戻りにならなくて』

『そうですか……』

『それまでは……明日からの業務準備に昼食……

そうだ? ミゾノ将軍の所へのご挨拶等、ございましょう?

16時までは旅の疲れでも癒すように、大佐からも言い遣っております』

品格ある側近振りは……やっぱり『フロリダの側近』の匂い。

隼人もすっかり感心して、彼の応対振りにフロリダへ来た緊張感も和らいだ。

隼人のデスクは窓際。

このメンテ本部室のミーティング場になっているようで

業務をこなしている『空軍管理』のアメリカ隊員からは少し離れた離れ小島のような席だった。

(まぁ──落ち着くかな)

一人で集中が出来そうで気に入った。

(それにしても──メンテの本部があるなんて驚いたな?)

小笠原では『中隊内』でパイロットの班室もメンテの班室も取り仕切っていたが……

どうやら、大基地であるフロリダでは、メンテとパイロットの『空軍管理』は別に行われている様子。

部外者の隼人が入ってきても、どの隊員も見向きもしない。

本部基地のフロリダだけに『部外者隊員』が出張で出入りするのは『日常茶飯事』なのか?

物珍しそうにみられる事もなかった。

その証拠に、隼人を丁寧に迎えに来てくれたランバート大佐の側近も

隼人にあれやこれやと世話を焼くことなく……サッと退いて大佐室へと戻ったようだった。

このデスクに、明日から業務だけで使うものだけを整理していると……。

 

『隼人くーん!』

メンテ本部の入り口で手を振りながら現れた黒髪の女性。

「あ! 博士!?」

日本語で一人の夫人が笑顔で叫ぶと……

その姿を確かめた本部内の沢山の隊員が驚いた顔をして……

そして……この時は、一斉に皆が隼人に振り返ったのだ!

(わ……やっぱり、お母さんは『有名人』なんだ!)

皆が、ミセス=ドクターがわざわざ迎えに来たというだけで……

『何者が? やって来た!?』とばかりに……やっと隼人の存在を気にしたようだった。

だけど──

本部の入り口で、中年の本部員が登貴子と一言、二言会話をして……

彼が腰を低くして難なく登貴子を本部へと入れたのだ。

登貴子はまっしぐら! 小さな身体で元気良く隼人の所へ足早で来る。

転ぶのじゃないか!? と、隼人はハラハラとするほどの足取りで来るのだ。

思わず……隼人もデスクから離れて登貴子に近寄った。

「お母さん? お仕事中なのでは?」

「何言っているの! 隼人君が来るんですもの。どうとでも部下に言い付けて抜け出してきたわ♪」

グラスコードをキラキラと揺らして、登貴子が輝く笑顔を隼人に見せてくれる。

「お久しぶりです。お会いしたかったですよ」

隼人も嬉しくなって微笑むと、登貴子も嬉しそうに微笑んでくれた。

(葉月と似ているな?)

父親似の葉月だが……やっぱり女性としての『要素』は……母親をみると重なった。

登貴子と話していると、やっと本部員達が……

『小笠原の御園嬢の側近らしい』

『側近が一人で? 何しに来たんだよ?』

『さぁな? フランスでメンテ員をしていたらしいぜ? 御園嬢の空軍絡みの仕事じゃないか?』

『へぇ……噂には聞いていたあの岬基地解放任務隊の一人か?』

『細身でそうはみえないけどな?』

 

そんなヒソヒソ声が聞こえてきて……それに登貴子も気が付いたようだ。

 

「皆、すぐに仲良くしてくれるわよ? それ? 荷物?」

デスクの側に置いてあるキャスター付旅行キャリーバッグに登貴子が視線を落とした。

「はい」

「じゃ! お時間あるでしょう? まずうちに置きに行きましょう?

私も午後は帰るように科学室に言っているから……連れて帰ってあげるわよ?

一緒にランチしましょうよ? 亮介さんはまだ会議とかで抜けられないの。

あとで中将室へ連れてくるように言われているから……」

登貴子が次から次へと『スケジュール』を組み立てるので、隼人は目が回りそうになったが……

「助かります。初めてのアメリカで……右も左も解らなくて……」

これだけしっかりした『ナビゲーター』がいれば、気が楽である。

それも……母親のように何もかも……進んで手を焼いてくれて……。

隼人はそっと瞳を閉じて微笑んだ。

 

そうして──登貴子の赤いフィアットに乗せられて『フロリダ御園家』に連れてこられたのだ。

白い木製の柵に囲まれている緑の芝庭の家。

白い門の側、入り口にはフロリダらしくフェニックスの木がスラッと二本、青い空に伸びていた。

海岸が、道路とフェニックスの群生を挟んですぐ側にあったが……

広い砂浜に広いフェニックスの群生……。

波打ち際はかなり遠いようだった。

 

「素敵な所ですね……。葉月はここで十代を過ごしたんですね……」

白い門を開けた登貴子に隼人はポツリと呟いた。

「そうね。ジョイの実家も側にあるのよ?」

「そうですか!? 本当にご近所同志なんですね?」

「そうね……フランクの家が側にあるからこの土地を買ったと言ってもいいわ?

時は経つけど、ここら辺は新興住宅街なのよ?」

その通りなのか……住宅は御園家を沿って綺麗に横に並んでいた。

しかし……閑静で静かで車通りも少なく……

 

『別荘みたいだ?』

 

家もさほど大きくなく……隼人の第一印象はそれだった。

庭は大きいが、家は本当に小さい。

他のご近所の家屋の方がアメリカらしい大きさを感じられた。

 

日差しが燦々と降り注ぐ、芝庭の白い家。

門を開けると登貴子が、そこへ赤いフィアットの車を器用に玄関前に寄せた。

隼人は車から降りてそれを眺めるだけ。

二階に目をやると……白い愛らしいレエスのカーテンが水色のリボンで束ねられている窓辺が。

そこはすこし開け放たれていて、風が入り込んでリボンが微かに揺れていた。

 

『葉月の部屋かな?』

 

なんだか……胸がドキドキしてきた。

 

隼人が知らない……十代の葉月。

あんな可愛らしい部屋にいつもいたのだろうか? なんて──。

 

隼人のフロリダ出張は……まだ、はじまったばかりだった。

だけど──なんだか落ち着かない胸のざわめき……。

水色のリボンが見える窓辺の部屋……。

それを見ただけで……。

 

葉月が側にいるような……そこから栗毛の小さな女の子が飛び出してきそうで……。