1.リトル・マリー

 

 「ジャッジ中佐──」

 隼人が帰国して二日程過ぎた頃の事だった。

マイクが秘書室に戻ろうと、廊下を歩いていると、近くの階段で待ちかまえていたような

女性の影──。

(またか──)

もう、鬱陶しいにも程がある。

ただでさえマイクは『大失恋』をしたばかりで、女性の声すら煩わしい。

溜息をつきながら、聞こえない振りで『無視』する事にした。

 

すると──

「ジャッジ中佐?」

目の端に止まった女性が、ちょっと哀しそうな声で階段を上ってきた。

マイクはさらに大股、早足で過ぎ去ろうとする。

フッと見えたのは……ショートカットの女性だ。

 

「待って下さいよ! ジャッジ中佐!!」

(し、しつこい!?)

大抵は、『態度が硬い』マイクに声をかける女性は、恐る恐るか媚びを売ってくる。

だから、マイクがキッパリはねつければスッと退くのがほとんどなのに!?

『仕方がない。あしらうか──』

マイクはふと足を止めて、きびすを返した。

 

「人の声が聞こえないのですか? それとも私の事は完全無視と決めているのですか?

完全無視なら、ここでハッキリ仰って下さい! 二度とお声はかけませんから!」

 

ショートカットの女性が、大きな目をつり上げてマイクに詰め寄ってきた。

 

「マ、マリア嬢!?」

さすがにマイクも驚いて、暫く放心状態に。

そう……あのロングヘアでいつもきっちりと髪を結い上げていた、いつものマリアでなかったのだ。

頬に沿うようなショートボブになっていて、おかっぱだった葉月よりもずっと短い。

「あ……そうですよね。ジャッジ中佐はまだご存じではなかったですね?」

マリアも気が付いたのか、照れくさそうに丸出しになったうなじを撫でる。

「どうしたの? なんの心境変化??」

マイクはまだ茫然として、マリアを指さした。

「……ええ、まぁ。気分転換です。初めて短くしたんですよ」

マリアが頬を染めて、微笑んだ。

これではまるで『別人』だ。

マイクから見ても、短くなった髪以外に……、彼女がいつもつけていた『深紅の口紅』も

ナチュラルなピンク系のベージュ色に変わっていて控えめだった。

今までは、まばゆいばかりの『美』を強調してきた彼女とは違っている。

誰にでも溶け込んでしまいそうで、遠目にも『ブラウン嬢』と誰も解らなくなってしまっただろう?

だが、長いまつげはぱっちりと彼女の琥珀色の大きな瞳を強調していた。

マイクがただただ唖然と彼女を見下ろしていると──。

 

「これ、先日のお詫びを兼ねたお礼です」

彼女が手にしていたペーパーバッグをマイクに差し出した。

「え? なんだろう?」

マイクが受け取るとマリアがちょっと気後れした微笑みをこぼす。

「先日のパーティで、皆様にご迷惑をかけたお詫びです。

コーヒーなので、秘書室の皆様と召し上がっていただけたら嬉しいです」

「あ……そう? そんな良かったのに」

「いいえ……本当にあの夜、私は皆様から色々な事を教わりました。

今後の課題ですね。私は、我が儘で、夢中になると周りが見えなくなったり……。

サワムラ中佐にアシスタントをお願いした事もそうです。

葉月にドレスを着せた事も、自分の手柄を披露するようにパーティを企画したり。

今まで、葉月の事を長いこと見守ってきた人達の心まで考えておりませんでした」

マリアから、サバサバとした笑顔で謝られて……マイクは益々絶句した。

もう、マイクが敵対心を抱いた彼女ではないよう?

でも……マイクはフッと眼差しを伏せた。

「……実は俺も君には一言謝らないといけない」

「はい?」

マリアが首を傾げる。

「……レイを見送るときに、言っていたね?

『皐月とドレスを着る約束をした、それを二人で実行できたね』と──」

「ああ……そうですね? でも、あの約束を実行したいが為の

『強行的な計画だ』とサワムラ中佐にもお叱りを受けたのに

私はそれでも我を通しましたから……」

マリアはキョトンとして、マイクの詫びなどあってないように受け流そうとしていた。

「知らなかったんだ。いや、知っていたとしても、俺もサワムラ君と同じ事を言っていただろうけど。

彼のように、見守るとか視点を変えてみるとか……そういう事も出来た訳だけど……。

まぁ……知らなかったから許してくれとは都合がいいよな?」

マイクが照れながら俯き、黒髪をかいたのだ。

「……」

マリアがそのマイクの様子を覗き込むように、真顔に──。

「? なにかな?」

「そんな事をいう中佐はらしくないですわよ?」

マリアが不満そうに頬を膨らませたのだ。

「……俺らしくない?」

「ええ、意地悪が出てこなんて……私の『天敵さん』も弱ったものね?」

彼女は腕を組み、これまた大きな溜息をついてふてくされるのだ。

「意地悪? 『天敵さん』?」

「ええ、そうですよ? そんな中佐なんて私、知りません」

「……」

姿も態度もどことなく変わったマリアだったが、そういう『勝ち気』なところは

以前のままの威勢?

「……アハ、アハハ……そうか!」

マイクは急に可笑しくなって、笑い出していた。

マリアはそんなマイクを見上げて……優美ににっこり微笑んだのだ。

「……」

そんなマリアの暖かい微笑みをみて、マイクはちょっとばかり『ドッキリ』

なんだか彼女が本当に変わった気がした。

長い髪をきっちりと結い上げて、真っ赤な口紅にきっちりとした化粧。

そして『エンヴィ』

彼女は何処にいても目立って、輝いていた。

でも……とてもシンプルに変身した今のマリアに好感を抱くと『したならば』……

以前のキャリアウーマンを気取っていた彼女は『ギラギラ』と

鼻につくような輝きを放っていたように……急にマイクは感じたのだ。

 

「うん……ショートもいいね。口紅も色を変えたのかい?」

「さすが、目ざといですわね」

マリアがしらけた眼差しを向けてくる。

マイクは何故だか、また吹きだしてしまった。

彼女はマイクに恐れることなく『生意気』で、そして媚びも全くない。

するとマリアが人差し指で、ふっくらとした唇に哀しそうに触れたのだ。

その伏せた眼差しも……以前ですら『男を惑わす』と冷静に観察していたマイクだが

今度はかなり心に反応があったので自分で焦ったりする。

琥珀色の透明感ある瞳に、ピンとしたまつげ。

ちょっぴり昔の『あの女性』を思い出す。

そう──どことなく皐月にみえたり、葉月にみえたり?

「赤い口紅は、お蔵入りなんです」

「お蔵入り?」

「はい、葉月にあげた口紅も『真っ赤』なんです。あの子、いつも薄化粧で

絶対にああいう濃い色はつけそうにないけど。女性にとって『真っ赤な口紅』は

いつかは似合いたい色だと思うんですよね?」

「ああ……そうだね。やっぱり口紅は赤は良いときは良い」

「でしょう? だから『一緒に似合うようになるよう頑張ろうね』という意味で。

私も一からやり直し。女性にとって『良い』という物、『外見的な』事ばかり真似してきましたけど──。

今度は自分なりに似合う物を内側から探してみます」

マリアがニコリと微笑んだ。

「……ええっと」

これは皐月を意識したのか?

それともナチュラルな葉月を意識したのか?

それとも……今の言葉が本心なのか?

マイクはそんな事を勘ぐってみたのだが、ともかく彼女的には『すべてリセット』という

気持ちのようだった。

でも──

「君は存在感があるし、なにもしなくても素材が良いから、そのままで充分だよ」

「え……」

すんなりと評価してくれるマイクを、マリア側も別人を見るように見上げた。

「いや、その──」

自然に言ったつもりなのに、そういう反応をされるとマイクも照れくさい。

「どーしちゃったのですか? それが中佐の『落とし技』の一つなんですか?

言っておきますが、私はその手には乗りませんわよ」

マリアがまたじろりとマイクをしらけた横目で睨んだのだ。

「失礼な! 人を遊び人のように」

「え? 違ったのですか? あら……意外」

マリアがシラっとよそを向く。

「それになんだって? 俺が君を『落とす』? 勘違いも良いところだな!」

何故だか無意識のうちに、マイクはムキになっているのだ。

「あら。安心したわ」

マリアはニヤリと微笑むだけ。

まったくいつからこんな遠慮がなくなったのだろうか?と、言うほど──。

「ったく──。やられるなー? 俺に意地悪をワザと言わせていないか?」

やっぱり中身は変わっていないじゃないかとマイクは頬を引きつらせる。

「その方が、中佐らしいですよ」

「……」

マイクはマリアのニコリとした笑顔に、ちょっと顎をさすった。

(俺、やっぱり……多少は暗い顔をしているのかな?)

なんだかマリアが上手に気遣ってくれているような? そんな気がしてくる。

皆、誰も……あの夜の『決裂』については触れてこない。

ロビンが一言、大丈夫かと声をかけてきた程度。

御園のパパもとぼけた顔をしていつも通りだった。

「あ! いけない! 次の講義が始まる!」

マリアが真っ赤な腕時計を眺める。

(ああ、そうか──。工学科に戻ったんだったな)

「ああ!」

マリアがまた背筋が伸びるほど叫んだので、マイクものけ反る。

「中佐! マーティン少佐からお話聞きました!

なんで、葉月が帰る前に教えて下さらなかったんですか!?」

マリアが怒ったように詰め寄ってくる。

「ああ……レイの『合同研修計画』の事かな?」

「そうです! 工学科に帰るなり、マーティン少佐に計画書を見せてもらって

驚いたんですから! 葉月が『帰ったら楽しいことがある』なんてほのめかしていたのは

この事だったんだと! それにマーティン少佐から、空部通信の計画は任せたとか言われて!

サワムラ中佐がいれば、相談したいことがあったのに!」

「ええと……確か、マーティン少佐が大佐嬢と君が親しいから

そいうい間柄で話は進めて欲しくないと申し出たんだよ。

ちゃんと工学科の上司として彼女を管理して進めたいからと──」

マーティンが上司としての自覚を現したとみて、葉月もそれに大いに賛成したのだ。

だから、葉月はマリアと一緒にいるときは、この話を伏せて

上司・マーティンの手に委ねたと言う事だった。

「それも少佐から聞きました。それで? 中佐が、フロリダ側での極秘実行責任者ですってね?」

「ああ、小笠原と連携するのにフロリダ側としての『エージェント』をかってでたんだ。

後は御園中将と一緒に会議で如何に承認させるかとか……

小笠原のフランク連隊長とも連携しなくてはいけないし──」

「私! 少佐の計画書を見て『ショック』でした! ものすごく『パーフェクト』!」

マリアが『やられた!』とばかりに、短くなった髪を掻きむしった。

「……アハハ」

マイクは自然に笑っていた。

葉月が帰って誰もかき乱してくれる事はないと……ちょっと退屈していたのだが。

(これは暫く面白そうだな)

葉月は落ち込む暇など与えないほど、クルクルと駆け回って振り回してくれていたが……。

ここにもどうやら、『グラン・レイ』がいたようだ。

いや? 葉月が『リトル・レイ』なら、ちょっとだけお姉さんの彼女は『リトル・マリー』?

マイクはそんな事を思いついてしまった。

「とにかく──! 私も頑張ります! では、失礼しました!」

マリアはぱしっと瞬間的な敬礼をすると、いつもの如く瞬く間に走り去っていってしまった。

 

「……まったく、やっぱり変わっていないな」

マイクは呆れた溜息。

『あれ?』

彼女の残り香──。

「──!!」

 

そう……マイクが悪戯で彼女にあげた『可愛い香り』だったのだ。

「当てつけなのかな〜?」

マイクはちょっと眉間にシワを寄せつつも、顎をさすりながら暫く唸った。

 

「ま……いいか」

『彼女が計画したい事、なんだったんだろうな?』

またマイクは唸った。

今度はどんな『突撃』なんだろう?と、少しばかり『ブルッ』と身震い。

だけど、マリアが残した花の香りを追うように、マイクは振り返る。

 

「意地悪な天敵さんか──」

それもいいだろう……。

マイクは久し振りに、思い切り自分らしく戻れた気がしていた。

 

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「ブラウン! 何処に行っていたんだ!」

マリアが教官室に帰るなり、ロジャー=マーティンが目をつり上げて待ちかまえていた。

「もう、講義の時間になるだろ! 早く行ってこい!」

「ハ、ハイ……少佐! 行って参ります」

マリアは帰るなりテキストを抱えて、すぐさま教官室を出た。

工学科に帰るその日は、とても緊張した。

あのナイトバーでのいさかい以降、上司のロジャーとは顔を合わせていない。

 

だけど──

『お帰り、ブラウン』

妙に余裕げで落ちついて見えるロジャーが笑顔で迎えてくれたのだ。

マリアは……アシスタント申し出の事から、自分のしてきた『甘え』など

全ての事についてロジャーに素直に謝った。

すると……彼がクスクスと笑った。

『それはお互い様だ。もう一度、仕切直しで終わった事は忘れよう』と──。

そこにはマリアを以前自分を慰めてくれていた『頼もしい上司』という姿が……。

『錯覚』と思うようになっていたけど、以前以上に落ちついた彼がそこにいた。

そして……眼差しがとてもキラキラとしてたのだ。

『ただし──ブラウン。もう一度仕切直しにするが、以前のように甘いことはもうしないからな』

本当に『上司の顔』になっていて、マリアの心も引き締まった。

 

それからと言うもの──マリアもまだ未熟なところがあり

ちょっと嫌なことを言い付けられて、顔に出すと……

『それはお前の悪い癖だ。気を付けろ』とか

『やりすぎだ。もうちょっと時間を置いて冷静に考えられないのか』など──。

とにかく、口うるさい上司に変貌。

 

だけど──。

マリアはそれでとても気持ちが良かった。

注意されてシャクに触ることもあるけど、叱ってくれる人がまだいた。

隼人や達也以外に──。

 

「さ! 頑張ろう♪」

マリアは志も新たに、元の仕事に精を出す日々に戻っていた。

 

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さらにそれから──数週間後。

季節は八月の半ばに差し掛かっていた。

 

 

講義がない空き時間に事務作業をしていると──。

「あ、はい──。すぐに向かわせます」

マリアのすぐ側の席にいるロジャーが内線を受けてそんな一言。

「ブラウン、ジャッジ中佐がお呼びだ。御園秘書室まで来て欲しいと」

「え?」

マリアは眉をひそめた。

「ほら、またその顔。気を付けろと言っているのに」

ロジャーが言い疲れたとばかりに溜息をつく。

マリアもすぐに元の顔つきに戻して席を立った。

「たぶん──お前が『おおまか』に作った計画書の事じゃないかな?

あれを先日、ジャッジ中佐に渡しておいたから……」

ロジャーが眉間にシワを寄せて深い溜息。

『また、こんなとてつもない事を。順序とか現実性とか、そういう理論は立てられないのか?』

マリアの『おぼろげ大計画』にお小言をいわれたばかりだった。

だが……ロジャーは……

『だが。これを小笠原の大佐嬢が見て、また何か閃くという事もあるだろう』

以前より『柔軟な受け止め方』をしてくれて、そのまま提出したと聞かされていた。

「悪い方か良い方か、覚悟していってきな♪」

マリアの向かい席のブルースが、ちょっと楽しそうに笑いかけてくる。

彼もいつのまにやら『葉月計画』の一員。

今、この三人で『極秘実行中』という所である。

ブルースの嫌味な微笑みにマリアはムッとしつつも無言で教官室を出た。

 

「変わったな。あいつも」

髪が短くなったマリアの凛とした後ろ姿を見て、ロジャーが微笑む。

「まぁな──。大人の駆け出しって所? 前よか全然感じが良くなっている」

ブルースも後輩の凛とした姿に、密かに微笑んでいた。

「俺の嘘の推薦も無駄じゃなかったって事かな?」

ロジャーのとぼけた顔に、ブルースもケラケラと笑いだしていた。

 

『もうー』

マリアは御園秘書室の前にやってきた。

あの中佐にどんな風にこってり業務的に絞られるかと思うと、気が気じゃない。

 

「失礼いたします。ブラウンです」

思い切ってマリアは秘書室のドアをノックした。

「あー久し振り。わっ! 本当にショートになっている!」

ドアを開けてくれたのはロビンだった。

「どうぞ。中佐がお待ちだよ」

ロビンの笑顔に少しだけホッとしてマリアは入室。

秘書室の一番奥上座に、マイクはノートパソコンと向かい合っているところ。

他の秘書官は出払っている様で、ロビンとマイクだけのようだ。

 

「お呼びでしょうか? ジャッジ中佐」

マリアはマイクの席まで行って、ピシッと敬礼。

そして──緊張。

彼がチラリとあの深い青色の瞳で、マリアを見上げた。

「ご苦労様」

あの素っ気ない顔。

仕事中の彼の真剣な顔だった。

「先日、ロジャーから例の計画書みせてもらったよ」

「あ……はい」

『悪い方か良い方か、覚悟していってきな♪』

ブルースのあの言葉が、マリアの脳裏を横切って……益々身体は硬直した。

マイクがデスクの引き出しから書類を幾つか束ねた状態で

マリアの前に差し出した。

「ロジャーの言う事も一理あると思って、小笠原にも見せたから」

「あの……御園大佐にですか?」

「勿論──。それで……」

マリアは葉月がどう受け止めてくれたかドキドキした。

「大佐嬢は工学はさっぱりらしいので、サワムラ君に見せたとか?」

「サワムラ中佐に──」

それで……マリアの『一番、恩がある先輩』はどう思ったのだろう?

「おかしな事になってきたよ」

マイクが椅子の背もたれに、深く背を任せ足を組んで溜息。

「おかしな事?」

「ああ……サワムラ君は今はメンテチームの事で手が空かないけど、

その代わり、それをあちらの工学教官である『マクティアン大佐』に持ちかけたとか?」

「え! あのマクティアン大佐に!?」

マリアもあの『老先生』は知っている! 尊敬する『工学教官』の筆頭だった。

「そうしたら……老先生がえらく乗り気になって……

小笠原とフロリダで『合同プロジェクトを組みたい』と言い出したとか?」

『えええ!?』

マリアは目が回りそうになった!

あれだけロジャーに『大まかおぼろげ計画』と言われたのに!

そんなお偉い先生を刺激してしまっただなんて!

「で──。君は知っていた? サワムラ君が『澤村精機』のご子息だと」

「えええ!?」

マリアはまた……絶句して何も考えられなくなりそうに。

工学をより詳しく勉強していると、一度は必ず耳にするという会社!

教官が『参考に──』と何度かそこの設計図を講義に取り上げた事もあるぐらい──!

「し、知っています! だって……ちょっと変わりつつも、とても画期的な設計で!

需要はともかく『世界でここだけ』というブランドみたいな所じゃないですか!?

うそ……。あのサワムラ中佐が……そこのご子息──!?」

そんなマリアを見て、マイクがおかしそうに笑い出した。

「……サワムラ君、マクティアン大佐の希望で、お父さんにもその話を相談したとか?

もしかすると君が作ろうとしているシステムの『ハード部分』は

サワムラ君の実家で手がけることになるかもしれないね」

「……」

マリアの茫然とした様子にマイクはクスリとこぼしながら、書類を差し出した。

「君はまだ未熟だけど『閃きの天才』かもしれないね。

そういう事で──俺の方から君の良き先輩になりそうな専門家。

リストアップしておいたから、君の力で交渉してくれ。

なにか交渉で困った事があれば俺の方に──」

マイクが束ねた書類から一枚の紙をマリアに差し出す。

『うわぁ……偉そうな教官ばかり!?』

いや……下の方は結構若い工学教官なども混じっていた。

 

「解りました。やってみます」

ここでやらねば『フロリダ支部』ではない!

それにマリアの『曖昧閃き』をここがチャンスとばかりに導いてくれた隼人にも応えたい!

マリアは心でそう呟いて、マイクにキリッと敬礼を向けた。

「期待しているよ。『リトル・マリー』……」

「はい?」

今──『リトル・マリー』と聞こえたのだが!?

だが、彼はおかしそうに笑うだけで、もう一度言い直そうとはしてくれなかった。

 

マリアがシゲシゲと工学者リストを眺めていると……

「俺の意地悪にいつまで耐えているのかな?」

マイクが足を組んだまま、椅子の手もたれに頬杖をしてそんな事を言う。

「え? 意地悪に耐える?」

「グラン・サンボン……この前も今日も、参ったな」

彼がちょっと申し訳なさそうに俯いたのだ。

「ああ……そのつけてみたらとても落ちつくので、今の愛用にさせていただきました」

「そうなんだ……いや、その……」

マイクはマリアの後ろで、事務作業をしているロビンを気にしているようだった。

「エンヴィはやめました。あれ……ちょっといきがっていたような気がしてきましたので

『リトル・マリー』から出直すことにしました!」

きっとあの時の『似合わない』という意地悪い彼の一言。

そして──最愛の女性の香り。

マリアも徹底的に決裂した場面を目撃してしまった事をマイクは気にしていると思ったのだ。

「そう……。別に似合っていないなんて……」

また、ちょっとらしくない彼のくよくよとした様な歯切れ悪い言葉遣い。

マリアはまたもや『ムカ』としてきた。そんな彼は嫌いである!

「いいんです! 私は葉月の『グラン・シスター』なんですから! お揃いでだーい感激」

「……」

マイクが驚いた顔で固まってしまった。

 

「それにこの香り。ふんわり優しくて……落ちつくんですよ。

そっと私らしい私に導いてくれる感じで──」

マリアはフッと詰め襟を鼻に近づけた。

「そうなんだ。それなら──ま、良かったかな」

彼が照れくさそうに微笑む。

なんだか……彼が以前の『ポーカーフェイス』ではなくなってきたような気がしていた。

 

「そうだ……ウンノ君だけど」

「ええ。今朝、早朝に行ってしまいました。見送りにはいきませんでした。

彼もそれはしなくていいと。やっぱりお互いそれなりに……辛くて。

でも! またすぐに会おうと昨夜、約束しました!」

「……君は強いね」

また彼が暗く眼差しを伏せる。

彼もまだ、時々は先日の『傷』がうずくのだろう。

「よく言われますけどね?」

マリアがシラっと呟くと、途端にマイクが吹きだした。

 

「ああ……そうだ! レイが今日か明日にでも、甲板復帰するって知っているかい?」

「え? いいえ!? 聞いていません!」

「身体検査もパスして、もう……飛んでいるらしいよ」

「本当ですか!? 良かった──」

マリアのホッとした顔をマイクが穏やかに見上げていた。

「……これからは一緒に『妹』を心配する事が出来るな」

なんだか彼がシミジミと呟いた。

「……そうですね」

 

マイクがクルッと椅子を反転させる。

秘書室のブラインドーの隙間から見える青空を、見上げていた。

マリアも一緒に眺める。

 

『葉月──おめでとう! あなたが飛ぶところ、いつか見たいわ!』

マリアは早速、お祝いのメールを送ろうと心に決めた。

 

「そうだ、『マリー』。これ……貸してあげるよ」

いつのまにやら『マリー』などと言われてマリアは眉をひそめたが

マイクはずっと前からそう呼んでいるかのように違和感がない口調であった。

そして彼は、再度、引き出しから数冊の本をマリアに差し出した。

マリアが首を傾げると──

「日本語の勉強するって言っていただろう? 俺が使ったもので良ければ──」

「──!! 宜しいのですか?」

「ああ。なんなら個人レッスンもしてあげるよ」

マイクがニコリと笑ったのだが……

「中佐がそういうと。いやらしく聞こえるんですけど!」

マリアは目を細めてしらけた眼差し。マイクが驚いたように途端に頬を染めた。

「何言っているんだ!? だから、勘違いはしないでほしいなー! せっかく好意で言っているのに!」

いつからこの人はポーカーフェイスが出来なくなったのだろう?

マリアはそう感じてしまうほど、彼がムキになっているのでおかしくなったが心で堪えた。

「アハハハ!!」

おかしかったのはマリアだけじゃなかったようだ。

そんな先輩と年若い女性隊員のやり取りに、後ろにいたロビンがとうとう笑い出していたのだ。

そしてさらにマイクの顔が赤くなった。

「ったく! 君にはやられるよ! もう、貸さない!」

「あ! 中佐ほどの方が、差し出しておいて引っ込めるなんてケチ臭いですわよ!」

「なんだって!?」

「わー。もう……やめて下さいよ! 俺……耐えられません!!」

また……ロビンが大笑い。

 

マイクと日本語のテキストを暫くひっぱりっこをして、やっと貸してもらえた。

ロビンは抱腹絶倒で、マリアが秘書室を出ても笑っていたのだ。

 

『お前、笑いすぎだぞ!』

『だって……中佐が……』

 

そんな声が閉じたドアから……。

 

『ここにも親身になってくれる先輩がいた』

マリアはひっそりと微笑んでいた。

 

胸に日本語のテキストと任された計画書を抱えて……マリアは前を向く。

 

『そんな事じゃぁ……フロリダ支部は任せられないな。

お前に何かを伝えて教えてくれるのは兄さんだけじゃない。

お前の事を心配してくれるのは俺だけじゃない。

たくさんの良き刺激を与えてくれるのは葉月だけじゃない。

それはお前が、お前を囲んでいる人の中から、お前自身が感じて見つける事なんだ』

三年供にした『夫』が残してくれた言葉。

これからは達也のこの言葉が、守ってくれるだろう──。

 

廊下途中にある窓から、マリアは空を見上げる……。

 

「東京大佐室──どうしているかしら?」

 

頬を流れて行く短い金茶毛の毛先が、歩く風になびきくすぐり始める。

琥珀色の瞳は、内側から力強く輝き出す。

 

マリアも真っ直ぐ歩いていく──。

 

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