8.マリアパニック
「ほほほ! 本当にレイったら相変わらずねー!」
そのソファーには将軍夫人一同とイザベルだけが残って、笑いさざめいていた。
「これをジョイが聞いたら、きっと羨ましがるわ」
オリビアは途端に熱気を増した賑わいある風情にとても上機嫌だった。
「マドレーヌ……許してね? マリアがせっかく葉月のために……」
登貴子は、綺麗なエメラルドグリーンのドレスを着てきたブロンドの夫人に
申し訳なさそうに頭を下げる。
「ドクター? 解っていた事ですのよ。ほら……ご覧になって?」
夫人達はそっと会場を見渡した。
ジェームスを始めとした自分達の主人一同も、すっかり隔たりがなくなり
若い者達に声をかけて、楽しそうに談話を始めていた。
マドレーヌが指した先には、白い正装に着替えたタイトスカート姿のマリアが
キッチンを出たり、入ったり……入り口で相変わらずの監視をしている
マイクの指示に一生懸命従っていたのだ。
「わがままな娘で……言い出したら言う事を聞かなくて……。
達也が怒っていると思っていましたけど、達也は優しいから、一言怒っても
理解してくれなかったら、マリアをサポートする側へと努力する子なので……。
きっと持て余していると主人が──。
それなのに、いつも綺麗にして一番でないと我慢できないあの子がほら……。
ジャッジ中佐にも怒られたのかしら? ちゃんと正装で影に徹しているわ」
マドレーヌが『ふふ』と微笑んだ。
「……まぁ、マドレーヌ。そこまでマリアに気を遣っていただくつもりは私もなかったのよ」
登貴子はマリアが不憫になってきて、彼女の母親に取り繕ったのだが
マドレーヌは静かに微笑んだだけ。
「宜しいのよ? レイの素敵なお姉さんになると言い出したからには
あそこまで出来なくちゃ、やっていけないことが身に染みたはずだわ?
なんたってあの子の『妹分』は、立派な大佐嬢よ?
大尉如きの室内軍人のあの子には良いお勉強になったでしょう」
マドレーヌがおかしそうに笑ったので、登貴子はそれで良しとした。
「ねぇ? トキコ……。そろそろジャッジ中佐も解放してあげたらいかがかしら?
あの方……本当に『お仕事人間』なのね?
トキコかリョウがしっかり言わないとあの方、いつまでもああしていると思うわ?
うちの我が儘なマリアが相手ではストレスも溜まるのではないかと……」
マドレーヌがマイクを見つめて気の毒そうに囁いた。
「そうねぇ? 主人達もあれだけ肩の力を抜いて騒いでいるのに……。
トキコ? 私もそう思うわ? もうだいぶ食事も進んだしそろそろ気遣わなくても
皆、好き勝手にしているわ? それでなくてもレイがドンとぶち抜いちゃったんだから」
オリビアもマイクを眺めてため息をこぼした。
「そうね……」
登貴子の隣にいるイザベルが先程まで、夫人達の会話にさり気なく参加していたのに
黙り込んでしまっていた。
そして──何かを紛らわすように、達也が作ってくれたカクテルを口に付けている。
会場は夫人達が言うように、葉月が『ざっくり』とした雰囲気を作ってしまった為
御園家の『上品なパーティ』という気負いはなくなっており
皆が本当に気兼ねしない気楽なムードでいっぱいだった。
マイクを解放すれば……マリアも解放されるのではないか?
登貴子は一瞬そう頭にかすめた時──。
「ちょっと熱気にあてられましたわ……。お外で涼んで参ります」
イザベルが何かを避けるかのように、スッと笑顔で立ち上がった。
「そう、マイクにお水でも持っていかせるわ。ついでに解放宣言してくるから……」
「いえ……大丈夫ですわ? 博士……。彼には解放だけ与えてあげて下さい」
イザベルはそう微笑むとハンカチで染まった頬を煽りながら、すっと静かに庭に出ていった。
「……」
登貴子はスッと立ち上がる。
そして熱気溢れたフロアを横切って、キッチン前にやって来た。
「マイク……」
「ああ、ママ? 何かご所望ですか?」
「もう皆が好き勝手に騒いでいるから、ここは良いわよ。
あなたも皆と楽しみなさい──」
登貴子が優しくマイクの腕に手を添えると……マイクがちょっとおどけた仕草で笑った。
「私もそうしたいのですけどね?」
マイクが肩をすくめながらマリアを指さす。
『お酒! まだ、あるわよ! ビール? それともカクテル!?』
マリアが一生懸命、皆に気遣っているのだ。
「なんていうか……加減が解っていないと言うか〜」
マイクが困ったように微笑んだ。
登貴子もちょっと眉をひそめて苦笑いをこぼした。
「あの子があんなに頑張っているのに、先輩の俺が先に遊んでしまったら
なんだか……申し訳ないような気がしまして……」
登貴子は『ふぅ』とため息を落として、微笑んだ。
「解ったわ。私からマリアに……もう肩の力は抜くようにいうわ。
ジャッジ中佐から『お許しが出た』と言えば、あの子も気が済むでしょうね?」
「やだな……ママ。俺が虐めたみたいに……」
マイクが眉をちょっとつり上げて苦笑いをこぼす。
「もう良いから……最後にうちのイザベルにお水を持っていてくれる?
彼女、滅多にない軍人さん達の大騒ぎにあてられちゃったみたいで……」
登貴子はスッと肩越しに……庭で涼んでいるイザベルを見つめた。
「……」
マイクが戸惑ったように、登貴子の無表情から何かを感じ取ろうとしているのも解る。
「頼んだわよ? マリアは私に任せて……」
「解ったよ、ママ──」
マイクがフッと微笑んで、キッチンに入っていった。
登貴子は、駆け回っているマリアへと足を向ける。
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×
「中佐! 俺、レイのことすんごい気に入ったかも!」
「あはは……それは、良かったと言えば良いのかな?」
「中佐! ぜったい! レイの機体を俺に担当さてくれないと行きませんからね!」
葉月のパーティクラッシュも落ちついて、どの男達も気軽に楽しみ始めた頃。
隼人はエディと一緒に、葉月の『台風』について笑っていた時だった。
機体担当については、最初からそのつもりだったが、
隼人は敢えて……この時点ではエディには伝えなかった。
でも……
(こんなに葉月と波長があったのは予想外だったな……)
思わぬコンビの誕生。
隼人も安心して任せられるだろうと、この結果にとても満足だった。
「参ったよ──サワムラさん」
隼人にビール瓶を突き出す金髪の男が、側で微笑んでいた。
「プレストン……中佐」
隼人がちょっと戸惑った顔をすると、アンドリューは気まずい微笑みを
照れたようにこぼした。
「アンディでいいっすよ」
「ああ……」
アンドリューは、側にあったグラスにビールをついで、隼人に差し出した。
「俺……何とか前に進めそうです」
「え?」
アンドリューが何について話しているか隼人は解らない。
「ええっと、お気づきではなかったのですか?」
「もしかして……うちの大佐嬢のことをずうっと待っていたとか?」
隼人がとぼけた顔で、グラスに口を付けて壁にもたれると……
側にいたエディは何かを悟ったように、スッと何処かへと移動していった。
「そう──。待っていたんですよ……自覚するのが遅かったんですけど」
「そう……」
隼人はグラスを胸元で揺らして、そっと眼差しを伏せた。
「でも……今夜でなくても明日にでも、アイツからトドメを刺してもらいますよ」
アンドリューも隼人の隣で壁にもたれて……せつなそうに眼差しを伏せていた。
「だけど──解ったんですよ。俺にとって、アイツが女でなくなっても……
俺達の『レイ』である事は……この先、ずっと変わらない。
それに……今夜はサワムラさんにトドメを刺されて良かった」
「やだな……。人殺しみたいに言わないでくれよ」
隼人が笑ったので、アンドリューもちょっと構えていた緊張が解けたかのように
すんなりとした笑顔を浮かべ始めていた。
「あの姫様抱きが、一番衝撃的だったかな?」
「ええっとー」
隼人は今になって、たくさんの人の前……飛んでもないことを皆に見せてしまった……と
ちょっととぼけて天井を見上げた。
「本当にアイツが女に見えた。あんなの初めてだった……。
たぶん……昔の俺でも今の俺でも、アイツと俺だとミスキャストみたいなシーンだっただろうと。
レイが本当に綺麗で……たぶん、ドレスじゃなくても綺麗に見えたんだろうなって……。
アイツを女としてだけ見て初めてドキドキしたんですよ」
「……そ、そうなんだ」
なんとも反応しづらく、隼人は苦笑いをこぼす。
「それにサワムラさんの自慢のアイツが俺と一緒で……。嬉しかった。
そしてサワムラさんはレイを綺麗に見せられるし、そして一番の自慢は軍人であるアイツ。
どっちもちゃんとレイに与えているから、俺の負け」
「アンディ……」
アンドリューの爽やかな笑顔。
そして、気持ちにケリがついた瞬間。
それを決定付けたのは隼人に他ならないが、それでも彼が葉月の事を
心より思っていることが通じて、それが隼人にもせつなく、俯いた。
そんな隼人を見て、アンディが慌てるように隼人の肩をバシッと叩いた。
「ちゃんと俺達のレイ……前に進ませて下さいよ!
泣かせたら、いつだってフロリダに帰るように言うつもりですからね!」
「……サンキュー。肝に銘じておくよ」
それ以上、何を言っても……アンドリューが決めたこと。
隼人も誰にも譲れないこと……。
二人の男はもう言葉にはせずに、笑顔でグラスをカチンと合わせた。
「ちょっと見慣れない構図だな!」
それを見計らった様にケビンが晴れやかな笑顔で二人の前に現れた。
「サワムラ中佐。格好良かったですよー! ちょっとレイにジェラシー」
バイセクシャルのダニエルが、隼人の隣りに肩をピッタリ合わせて並んだのだ。
隼人はちょっとヒヤッとしたが、三人のパイロット達がメンテ引き抜きの話について
真剣に質問をしてきたので……いつの間にかその話に隼人も夢中になってしまったのだ。
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「あの〜」
登貴子から、『皆と同じようにしたら?』と駆け回るマリアに声をかけてくれた。
マリアは、マイクもそう言っていたと登貴子から伝えられたのだが
本人に確認したくキッチンへとやって来た所だった。
「ああ……ご苦労様」
彼からはもう……刺々しさは伺えず、いつも皆に見せているソフトな微笑みを見せてくれた。
「……」
マリアは何を言葉にすればよいか解らず、ただマイクの前で立っていることしか出来ない。
「なんだい? もう、だいぶ皆が砕けてしまったから
最初のような気遣いはもう無用だよ。君もレイやウンノ君と楽しんでおいで」
またいつものソフトな笑顔。
仕事場でも滅多に見せてくれない笑顔だった。
彼は今、砕いた氷をミネラルウォーターを注いだグラスの中に入れて、
レモンのスライスを浮かべようとしていた。
「色々と……有り難うございました」
「……え?」
マリアがやっと言えた言葉に、マイクが不思議そうに顔を上げた。
「俺は何もしていないよ。むしろ……君を追いつめていたかもね?
悪かったね……。それは謝るよ」
「!」
彼がちょっと照れくさそうに俯き、呟いたのでマリアは驚いた。
「でも──!」
「いいや……。俺達男の多数の意見を少数派の君に押しつけてしまっていたかも……。
君の涙を見て……そう思ったよ。
内輪、内輪と言っているけどレイが何処でどうドレスを着るかなんて
本当は誰が言う事、決めることでもなく、それはレイ自身が決めることなんだとね……」
さらに彼は、申し訳なさそうにそっと眼差しを伏せた。
「いいえ……そうおっしゃるなら……私も一緒です。
葉月自身から着たいと言うまでは、押しつけるべきではなかったかも知れません。
本当はサワムラ中佐が少しずつ近づけている所を、私が急にメスでも入れるかのように
横取りでもするかのように始めたんですもの……」
マリアも俯いて……自信なさげに呟くと、マイクがやっと顔を上げて
とても穏やかな微笑みを見せてくれた。
「もう……やめようじゃないか? 俺も辛くなってくるよ」
「中佐──」
マリアは、それだけで終わらせようとしているマイクが、急に暖かみがある人と解って
また……何も言えなくなり彼をジッと見つめてしまった。
「さぁ……君も行っておいで」
そしてマイクは照れたように俯いて、手元のグラスを持ち……キッチンを出ていってしまった。
「……」
本当はもっとたくさん……自分で思いついた事を言いたかったのだが。
彼の笑顔は『言わなくても、もう、解ったよ』と言ってくれているような気がした。
気がしただけかもしれないけど──。
マリアはキッチンの入り口で、背筋を伸ばして何処かへ向かう彼を目で追った。
肩幅が広い白い背中──。
スッとしたたたずまいで……騒ぐ皆の中を静かに横切って行く。
彼が向かったのは、芝庭のようだった。
薄暗がりの芝庭にグラスを片手に降りていった。
『テイラー博士……』
『あ……』
あの栗毛のロングヘア、涼しげな若博士に笑顔でグラスを差し出していた。
『ありがとう……ジャッジ中佐』
彼女が彼を見上げて、グラスを気持ちよさそうに頬にあてている。
二人は白い庭柵に寄りかかって、そのまま話し込み始めたのだ。
暫く眺めていても、マイクは気遣って一杯のお水を持っていっただけ……では
ないようで……皆がそれぞれ大騒ぎをしている中、二人だけ違う世界にいるような
雰囲気で……笑顔で話していた。
(……ああいう人が大人って言いたいのかしら?)
あの若博士なら……マリアよりずっと話も落ちついていそう?
マリアはちょっと眉をひそめ、ため息をついた。
実は先程、あの若博士に何か飲み物はいらないか尋ねたところ……。
マリアと同じ香水の匂いがしたのだ。
『グッチのエンヴィ』
(きっと……中佐はありきたりとかってバカにしそう)
なのに……マイクはそれきり、リビングには戻ってくる気配がない。
あのような目立たない女性には無理もないと思って許せるのだろうか?
それとも……?
でも、マリアが見ている限り──彼は博士との会話から離れる気配がない。
大人の彼が『話したかった』と思っても無理もないだろうと……。
訳の解らない脱力感を自覚する事は出来なかったが、クッタリと頭をもたげて
葉月と達也がいる所へ向かった。
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その時、葉月と達也はサムと三人で、会食中だった。
葉月から……『ごめんね』と申し訳なさそうな一言をもらい
『これで良かったのだ』と笑顔でお互いに理解して、会話の輪に入った時だった。
「おーい。あそこだけ、急に艶っぽいゾ」
ビールを飲んでいた達也が、サムの肩に腕を乗せながら
ちょっとからかい加減に笑っている。
達也の目線の先は、『芝庭』
テイラー博士とマイクがしっとりした雰囲気で、暗がりの中話ている姿がそこに──。
「なーんだ、マイクってば……本当はあの先生を気に入っていたんじゃないか〜?」
達也がニヤニヤと庭の光景を人影の隙間から覗き込んでいた。
「お似合いって感じじゃないか? あの博士……頭良さそうだし」
サムは無関心なのか、皿に沢山乗せているサラダにローストポークを
ただムシャムシャと頬張っている。
そこで……葉月がビールグラスを口に付けながら一言。
「どうだっていいじゃないの? ちょっとした会話をしたって──。
すぐにそんな風に勘ぐるのは良くないわよ」
すっかり凛々しい格好になってしまった葉月だが
先程のような『威勢』はもうなくて……顔つきはいつもの職場で見せている
涼しげな『大佐嬢様』に戻っていた。
隼人は? と……マリアが振り返ると……なんと!
アンディ達と陽気に笑ってお酒を飲んでいるではないか?
マリアが驚いていると、達也の言葉でまたこの輪の『話題』に引き戻される。
「おおや? 兄様を素敵な大人の女性に取られてヤキモチかよ?」
達也はちょっと酔っているのか、いつもの調子で葉月をからかい始めた。
だけど、葉月は取り立ててムキになるわけでもなく
ちょっとだけ面倒くさそうに首を左右に折ってビールをまた一口。
「ヤキモチ? むしろ──あの身持ちが良すぎる兄様にお相手が出来ればって思うわよ」
と……素っ気なく言い捨てた。
「そうだなー? ジャッジ中佐って本当に私生活は謎だよなー」
サムが急に思いついたように呟いたのだ。
「いるんだよ。絶対に──」
達也はまた……なにか解りきった様にニヤリ。
「……」
葉月はなんだか静かに黙り込んでいるだけだった。
「だろうなぁ? どんないい女を隠しているんだろうなー?」
サムもちょっと達也の肩越しから庭を眺めて、興味が向いたようだった。
「俺が思うにー」
達也は手にしていたフォークを教鞭のように振って得意気な顔に──。
「マイクは今のところ、これと言った相手はいないね。
で……今夜はちょっと『その気』になったって所?」
マリアはそんな事を言った達也にちょっとドッキリとして庭に振り返った。
「それってつまり? 中佐が今夜あの先生を狙っているって事?」
マリアは何故か達也に突っ込むように聞いてしまった。
そして何故か……達也の見解にずっと胸がドキドキしているのだ!
「だと……男の勘」
「なにが男の勘よ? 達也の場合、男と女が顔つき合わせたら
みーんな、『怪しい』って勘ぐるのがクセなだけなんじゃないの!」
葉月がまるで怒ったように、真っ向から否定した。
でも、マリアは何故か葉月の否定に、ホッとしたり?
自分でも訳が解らない──。
「ほーら、お前はあの先生にヤキモチやいているんだ。
いつも『レイ』って笑顔で迎えてくれる兄さんが、今夜はしっとり大人の女に夢中で
お前の事なんかどうでも良いってカンジ?」
達也がしらけた視線で葉月を見つめる。
「違うわよ! もし……あの二人がお付き合いするなら『お似合いだ』って言えるわよ!」
葉月はいつもの『ムキ』になった風ではない様子で、妙に真剣に言い放って……
そのままプイッと隼人の方へと行ってしまった。
「あーあ。お前は怒らせてどうするつもりなんだよー?」
サムが呆れて達也を睨んだ。
「ちょーっと、探っただけ」
達也はとぼけた顔で、ため息をついた。
「探るって?」
マリアが尋ねると……。
「アイツがあんなにムキになって否定するって……『かばっている』のかなー?ってね?」
達也がニヤリと微笑んだ。
「かばうって?」
サムとマリアは同時に達也に詰め寄っていた。
「フフフーン♪ それは内緒。でも、ちょっと確信あり」
達也は意味深な微笑みを浮かべて、ビールを飲み干していた。
達也は一人で納得したのか、この話題を勝手に終わらせたのだ。
サムは首を傾げつつも……元々興味が薄い話らしく、また肉料理を頬張っていた。
『でもさ……ウンノがいなくなったら、俺、寂しいぞ』
『お、俺もー。サム……俺、泣いちゃおうかな?』
いつもの二人なのか? 達也はサムの肩に額をこすりつけて
マリアも良く知っている少年みたいなおちゃらけをしていた。
マリアはそれをしらけてみつつも……どうしても視線が芝庭へと向く。
控えめな笑顔のテイラー博士を、マイクが優しい穏やかな瞳で見下ろしている。
(葉月が……かばっているって……?)
マリアは急にハッとした。
葉月にとって……マイクはパパの部下、若博士はママの部下。
(もしかして……葉月は知っているの!?)
『もし……あの二人がお付き合いするならお似合いだって言えるわよ!』
さっきのあの言葉。
達也が勘ぐれば勘ぐるほど、否定して……
ヤキモチを妬いていると言われたら、あの二人の事を認めるような発言。
『かばっている』
達也がそんな事を、葉月の様子から、あの二人の様子からつなぎ合わせて探ったという事?
(いつから──!? ずっと前から──!)
私生活は全然、見えてこないと有名なあの『ジャッジ中佐』
マリアは目の前にいるマイクと若博士の落ちついた姿に
なんだかもの凄い衝撃が胸の中走り抜けた気がした!
(うっそ……! だって……あの先生……)
マリアはマイクの眼差しが注がれている若博士を見つめる。
とりたてて美人でもないし。
服装だって地味だし。
存在感だってないし。
その上、マイクだけの基準だと思うが、
彼が言うところの『ありふれた香水』とかいう銘柄を使っているし。
マリアの方がずっと若々しさに溢れているほど、あの先生はもう中年だった。
マイクほどの男性が、あんな女性と恋人だったにしろ……
今夜、狙っているにしろ……惹かれるなんて、ちょっと信じたくなかった!
もっと華やかで、とても存在感がある若い女性を
何人も相手にして、上手に隠しているように思っていたから!
隠れて付き合う意味も、良く解らないが……。
あからさまに人様に見せつけなくても、根底で『繋がっている』男と女の姿なんて
初めて目の前にした気がしたのだ!
マリアが今まで自分がやって来た『職場恋愛』からは考えられない『思考』だった。
人から『羨ましがられる』事ばかり、自分が考えてきたような……そんな気がした。
ただ……マリアは『隠すことないじゃない』とそれだけは……譲れない気持ちが渦巻いた。
いったい……何を思っているのだろう?
そして──
そんな謎めいたセクシーな30代の男性に……
あのしっとりとした目立たないあの先生はどんな風に愛されていたのか……。
いや? 愛されているのか……それとも? 愛されようとしているのか?
人様のこと、気にすることではないのに変に気になってきてしょうがなくなってきた。
すると──マイクが彼女に『待っていて』という仕草をしてリビングに向かってきた。
マイクの笑顔の合図に、若博士はしとやかにニッコリと微笑み返している。
マイクはそのままキッチンへと向かっていった。
「ホワイト・レディの次は何だろうな〜」
また……達也がニヤリと急に思い出したように、マイクに向かって微笑んだのだ。
(なんなのよー! どうしてあの先生があんなに優しくされるワケ!?)
マリアの心がすぐさま叫んだのはそれだった。
無意識にだ!
そしてマリアはハッとする!
(なぁに? 私って……なんで怒るわけ?)
自分で心で呟いておいて……マリアは眉をひそめてしまったのだ。
『今夜は皆、ホワイト・レディ……君以外はね』
なんだかその言葉を思い出して、益々ムッとしてきた。
そんな自分が忌まわしい。
別に、ホワイト・レディをマイクに作ってもらいたいワケじゃない。
そのカクテルを飲みたいワケじゃない……。
なのに……マリアは何を苛立っているのだろう?
と……自分が解らない。
それに彼は、あの先生にだけ『ホワイト・レディ』を作ったワケじゃない。
マリアはそう納得しようとしたのだが。
『ううん! あの男の事! あの先生だけに作ったって事を悟られたくない作戦だったのよ!』
とも思えてきてなんだか興奮してきた。
一人で──混乱!!
すると──あの冷たい男が『待っていて』と笑顔で引き留めていたのに
あの先生はちょっと困ったような顔をして……庭柵からこちらに戻ってきた。
(あら〜……。ジャッジ中佐が怖くなったのかしら?)
と……これまたマリアは無意識にニンマリしていたのだ。
あのクールでセクシーな謎男、マイクが『振られる』なんて思ったのだ。
あの大人しそうで地味な仕事だけという感じの女性が
マイクの上手な『誘い』にたじろいで逃げたとも思えてきた。
そして……若博士先生が会場をキョロキョロと見渡して視線を止めた先は……
『葉月』
葉月を見つけると先生はホッとしたようにして、急ぎ足で向かっていったのだ。
「私も行こう!」
マリアはなんだか興味津々……いや? 無意識に……
達也とサムの男だけのおちゃらけた会話を放って、葉月と隼人……アンディ達の元へ向かった。
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「ベッキー、また借りるよ」
マイクがキッチンへ入ると、ベッキーは椅子に座って一人食事をしていた。
「アンタもご苦労さんだったね」
「いいや、ベッキーには適わないよ」
「また、カクテルかい? お目当てがいるようだね〜」
「な、何の事かな?」
登貴子と長年の付き合いのベッキーまで……。
意味深な笑顔をマイクにニヤリと向けてきて、マイクは苦笑いで誤魔化す。
(さて……何にしようか?)
ミントリキュールが目に付いた。
それで彼女らしい涼やかなカクテルでも作ろうかと思っていると……
「ベッキー、ご苦労様。あなたもお外に出たら?」
登貴子がドレスの裾をつまんで入ってきた。
「いいえー。私はあのお騒ぎに付き合うほど、もう……パワーはなくなってますよ、奥様」
ベッキーはいつもそうして控えめで、ハウスキーパーという枠をはみ出さない。
だけど……時にはこの家の事を本当に心より心配する。
マイクから見ても信頼できる『仲間』だった。
「コーヒーがそろそろ飲みたくなったの」
登貴子はそう言ってドレス姿でコーヒーを作る準備を始めたのだ。
「奥様──私が……」
「いえ……いいのよ。私の自慢の腕を披露させてね」
登貴子がそういえば、ベッキーはでしゃばらない。
そのまま食事を続けていた。
「あら? マイクはカクテル?」
「あ、はい……。博士も落ちついた様なので……一杯いかがかと」
「そう」
登貴子がちょっとだけ微笑んで、コーヒーカップをシンクに並べ始める。
マイクとは背中合わせだった。
「イザベルはビックリしていたわ。葉月が急にクラッシュしてしまったから……」
登貴子が何気なく言い出したのだ。
「……」
マイクはどう反応して良いのか解らなかったが……。
「彼女、レイのドレス姿を見られたととても喜んでいましたよ」
『良かったわ……あの子のドレス姿が見られて。
それに素敵な彼氏じゃない? あの子を抱き上げる姿……素敵だったわ
皆の前でも構わず……堂々とね……』
そんな話を先程までしていたのだ。
葉月のいつもの台風も相変わらずで、二人は一緒に笑っていた。
すると、登貴子の方が今度は黙り込んだ。
マイクは……それで探りから『解放された』のかと思って
確認するためにフッとコーヒーを入れるママの背中に振り返った。
登貴子はなんだか黙々とコーヒーを入れているだけ。
いつものように何も詮索はしてこない。
マイクはママもコーヒーに入れるのに夢中なんだと思って
カクテルグラスに向かった。
「無理に誘ったのよ。どうしても……来て欲しくて」
また登貴子が躊躇ったように……呟き始めた。
「そうですか」
イザベル自身から聞いていた事だったから、素知らぬ振りでやり過ごした。
ただ……なんとなくママの様子が引っかかる。
「……イザベルね」
ママがまた呟く──。
キッチンにコーヒーの香りが立ちこめた。
「……イザベルね……」
ママの声がおかしい?
なんだかちょっと泣き声にも聞こえてきた。
マイクがまた振り返った途端だった。
「イザベル……結婚するのよ」
「──!!」
なにか聞こえたようだったが……マイクはフッと耳を押さえた。
ママは振り向かない。
淡々とコーヒーを入れているが……手先が震えているようだ?
ベッキーは……驚いた顔をして、すぐにマイクの顔を見た。
心配そうに──。
だが……マイクはそれにも気づかなかった。
「転属願いを出されたわ。お相手は、数ヶ月前からこちらに出入りを始めた
傘下企業の社員……。彼と始めた仕事でロスの研究所へ行きたいと……」
「マ、マイク……」
ベッキーが……泣きそうな顔で立ち上がった。
だが……マイクの様子に近づけず、彼女もオロオロしているだけだった。
「結婚……?」
マイクは、それだけ呟いていたようだった。
そして頭に巡ったのは昨夜の……めくるめく、狂おしく、激しいばかりの情熱夜。
(何故!?)
どっちが嘘で、どっちが本当かマイクは目の前が白く霞むようなめまいを感じた!
ママが誘ったのは最後のお別れの為!?
それとも──!?
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