7.クラッシュ!
「ハァイ、アンドリュー。今夜は来てくださって有り難う」
カクテルを配り終えたマリアは、ちょっとぎこちない笑顔で
葉月のパイロット同期生がいる玄関近くの壁際に向かった。
「……」
彼等、三人揃ってとても冷たい視線だった。
今夜はマイクと言い……なんだか特に葉月と親しい男達は
妙にマリアにはつれない気がする。
「どうしたの? あそこで空部隊の人達が集まっているわよ?
エディやトリシアは甲板で顔見知りでしょう?
パイロットがいたらもっと盛り上がると思うんだけど……」
マリアはなんとか堪えて、達也に言われた通りにしようと心がける。
その時、葉月はリリィやサムといったフォスター一家と
手に小皿を持って楽しそうに会食中だった。
アンドリューの視線は葉月を追っている。
「彼女、素敵でしょう? どう? 同期生からみて……」
マリアがニッコリとケビンに笑いかけると……
「ブラウン──。レイが自らドレスを着ようとした事は良いことだと思う」
いつもクールなケビンが、冷たい眼差しでシャンパングラスを口元で傾けた。
「だけどな……。お前がそのキッカケを作った事は素晴らしいと思うが
何故? こんな風にして……昔なじみの俺達の気持ちを逆なでするんだ」
ケビンのハッキリとした言葉。
マリアはちょっと思いもしなかった事を言われてまた……胸が引き締まった。
「逆なでって……?」
「どうしてこんなに沢山の男を集めたのかと言っているんだ。
『葉月』は見せ物じゃないんだ」
「!!」
また……隼人があんなに怒った時と同じ事を、同じ男性が口にした!
「どうせレイのドレス姿をお披露目するなら……もっと内輪で出来なかったのかな〜?」
今度はダニエルが冷ややかな眼差しで突きつけてくる。
『着せたいなら俺達の前だけなら大丈夫だと思う』
隼人も同じ事を言っていた!
「レイは……」
アンドリューが葉月から視線を外さずにやっと静かに一言呟き始める。
「いや、レイが……自分でそうしたんだ。あんなに笑っているから、もういい……」
「アンディ──!?」
先程までこれほどに無い程、不機嫌だったアンドリューが急に、肯定的になった為
横にいたケビンとダニエルが一緒に驚いた。
「アンディ……。それでいいのか?」
「いい。俺はもう、帰る──」
アンドリューはそういうと硬い表情で、スラックスのポケットに手を突っ込んで歩き始める。
「……そっか」
ケビンはなんだか納得したようにため息をもらして、それ以上はアンドリューを止めようともしない。
「そうだね。俺も……帰る」
ダニエルまで──。
「ちょ、ちょっと待ってよ? 葉月とはまだ、ゆっくり話していないでしょう?」
葉月が一番仲がよい、同じパイロットの同期生。
パーティの開始から、どの輪にも入らずにただ三人でジッとしていただけ。
これで帰られては、葉月もガッカリするだろうし……。
マリアはそう思って、玄関へと向かおうとする三人の男の背を追いかけた。
「ねぇ! 待ってよ! 一言くらい女性としての葉月に何か言ってあげてよ!」
「……女性?」
先頭を歩いていたアンドリューが、ぴくっと反応して立ち止まった。
「……女性ねぇ?」
アンドリューは肩越しに振り返ると、なんとも言えない引きつり笑いをマリアに向けた。
「……」
マリアはまた……息が止まるほど緊張して、言葉を飲み込む。
「ブラウン。確かに……アイツは胸に膨らみもあるし、
俺達のように股間にモノがあるワケじゃないし」
品のないアンドリューの言い方に、マリアは驚いて固まった。
「アイツが女性らしくなる事は、もう……否定しない。
だけど……今夜は我慢が出来ない。
ここにいるアイツは……ここに集まった男達に女として振る舞っているだけ。
そういうのは……俺達にとっての『葉月』じゃないんだ。みていられない……」
アンドリューはそれだけいうと、またプイッとそっぽを向け玄関を目指す。
「悪いが……ブラウン。レイには上手く言っておいてくれ」
ケビンもマリアに『帰る責任』を容赦なく押しつけようとしていた。
「……」
マリアは最後に、とてもハンサムでそれほど怒りを持っていないような
穏和な表情のダニエルを見上げる。
彼がちょっとだけ、致し方なさそうに微笑んだ。
「なんていうのかな? 俺は……レイがとても綺麗で嬉しいから……。
君のやった事は解らないでもないけど?
でもね……そういう事が『嫌な仲間』がいる事……知っておいた方が良いよ」
「……葉月がドレスだといけないの?」
マリアは唇を噛みしめて……悲観的な表情で俯いた。
マリアのその儚げな顔に、いつも男達は戸惑うが
ダニエルはマリアには甘くなくこちらもハッキリした思いを言い始めた。
「……レイの親族、家族、恋人……それだけで良かったんじゃないかな?
こういう人達は、レイが『女の子』でも『軍人』でもどちらでも嬉しいと思うけど……
レイのことを『軍人だ』と思って接している人達には、今日の彼女は変に見えると思うよ。
つまり……『大佐嬢は綺麗だけど、こんな風な席で簡単に女になるのか』と──。
もっというと……皆が知っている『やり手の彼女』のイメージダウン? は……言い過ぎかな?
そんな感触だね……俺も──」
「……」
マリアにはまだ……彼等の気持ちが解らなかった。
彼等が何を言っているのかも解らない。
「トリッシュが良い例だ。彼女は……レイがきっと『立派な正装だ』と思って
レイに対して尊厳を持って、敢えて正装にしたんだと思うよ。
その辺はトリッシュは女性であって、何よりも自分も『軍人である』という
『誇り』は捨てていない。
初対面だったと思うけど? 初対面で尊敬している大佐があんな姿じゃね?
それに代えると、レイはこういう席では『あっさり大佐は捨てる』と見えたんじゃないかな?
レイが女性だからと……あんな風に『見せびらかす席』ではないと……思ったけどね」
「……」
『ダニー! いい加減にしろよ! 帰るぞ!』
マリアに少しばかり親身に『気持ちの意味』を告げるダニエルを見て、
すぐさま帰る姿勢のケビンが叫んだ。
その声に……葉月が反応した。
そして……会場中の人々が『帰る』の言葉に談話を止めて、振り返った。
「アンディ? ケビン……?」
葉月がすぐさま顔色を変えて……ドレスの裾をじれたそうにつまんで駆けてくる。
だが……アンドリューは振り返らず、ケビンは渋い顔……。
そしてダニエルは、ちょっと躊躇って葉月が来る前に仲間と合流した。
「待って! ダニー……!」
『お前……上手く言えよ』
ケビンはアンドリューの背を押して、玄関へ向かう仕切の壁の向こうへ消えて行く。
ダニエルが嫌な役を押しつけられて、渋い顔で立ち止まったのだ。
「ダニー? アンディ達は……どうしたの?」
葉月が珍しく顔色を変えて、狼狽えていた。
「レイ……。悪いけど、今夜はこれで帰らせてもらうよ」
「──!」
ダニーの取り繕う笑顔に、葉月が硬直した。
「何故? なかなかそちらに挨拶にいけなかったのは謝るわ!
後でゆっくり話そうと思って……ううん、後でも許してもらえると思って……。
ないがしろにていたかもしれないし、そこを甘えていたのは謝るわ!」
葉月が本当に哀しそうな顔で狼狽えていた。
マリアはまた心がヒンヤリとして……そして額には冷や汗が滲んだ。
達也が言っていたのに……!
三人だけの彼等を、何故? 招待した自分が上手くエスコート出来なかったのかと!
初めて達也が言っていた『意味』、自分がやるべきだった『役目』が身に染みてきた!
ダニエルは見ていられないのか、同じように眼差しを伏せて、葉月の丸い肩に手を置いた。
「……レイ、俺達はそんな事、気にしていないよ。
もっと違うことで『我慢』が出来なくなっただけなんだ……」
「……私がこんな恰好だから!?」
葉月がドレスの裾を持ち上げて、ちょっと興奮し始めていた。
「……レイ、とても綺麗だよ。アンディもケビンも綺麗だって言っていた。本当だよ。
レイ……おめでとう。綺麗な女性になれた事を俺達は祝福するよ」
ダニエルがそっと葉月の横髪に軽いキスを示した。
それを見ていたアンディとケビンも……ちょっと辛そうな顔をしていたが
二人は帰るという姿勢は崩さず、葉月の所には戻ってこようともしない。
「じゃぁ……おやすみなさい」
ダニエルだけが穏やかな笑顔を……無理に浮かべて背を向けた。
「待ってよ!」
葉月がダニエルの背に叫んでも……ダニエルも、もう振り向こうとはしてくれなかった。
「レイ、綺麗だよ……。忘れないから安心しろよ」
ケビンもやっと笑顔で遠くからそう言ってくれた。
「アンディ!」
「……」
「待ってよ! 『アンドリュー』! まだ……あなたと全然話していないじゃない!
昨日も今日も……あなたの班室に行ってもいないし、行く先尋ねても
あなたのチームメイトは皆『知らない』っていうのよ!
私を避けているの!? ねぇ! アンディ──!」
葉月が珍しく叫んだので、マリアはちょっと驚いて益々身体が固まった。
葉月の心の中で『どれだけ大事な仲間』である事か……。
それを痛感したような気がした。
「アンディ……! 明日、行くから……絶対に班室にいてよ!
私……明後日、帰るんだから!」
「……レイ」
アンドリューが振り向きはしなかったが、やっと立ち止まった。
玄関を出る一歩手前だった……。
「……レイ。そんな事はもうしなくていい……。お前なりに幸せになれよ……。
もう、俺に顔は見せなくていいから……」
「──!」
まるで最後の別れのようなアンドリューの一言に……ついに葉月は言葉を失って
そのまま……茫然と立ちつくしてしまっていた。
「レイ……あまり綺麗になっちまったから……俺なんて……」
アンドリューはそれだけ最後にこぼして、何かを振り払うように玄関の扉を開けてしまった。
同期生の三人が……いや、アンドリューはその姿勢は崩さず
ケビンとダニエルは気まずそうに茫然としている葉月に振り返っている。
「ちょっと……お願い、私が悪かったわ!」
何がどう悪いかはマリアにはまだ……良く解らなかったが……
自分がやり始めた『趣向』で彼等と葉月の間に
『溝』が出来てしまった事は良く解った!
マリアの叫びにアンドリュー達が振り返ったには振り返ってくれた。
だから、マリアはドレスの裾を踏みながら……なんとか追いかけようとすると……!
「君の出番は終わったよ」
誰かに両腕を掴まれて……引き留められた!
誰かと思って顔を見上げると……とても落ちついた青い瞳がそこに……。
そう……マイクだった。
今の出来事に動じることなくマリアを見下ろしていた。
そして……彼が顎で会場を指した。
「……」
沈黙が漂ってしまった会場で、動き始めた男が一人……。
そう──隼人だった。
彼もマイク同様、何、動じることなくこちらに静かに向かってきていた。
「お任せ下さい」
隼人はマイクの側を通る時……そんな一言を余裕をもって笑顔で囁いたのだ。
その落ちついた堂々とした顔をマリアはマイクの胸元で見上げた。
茫然とたたずんでいる葉月の後ろ。
隼人はその彼女の背に立って……彼女の肩を両手で包み……。
そしてこの上ない極上の笑顔でアンドリューに声をかけた。
「プレストン中佐……お帰りなのですか?」
玄関で立ち止まっていたアンドリューの眼差しが
急に……怒りを込めたように輝いた気がマリアにはした。
「ああ。後は綺麗な彼女とヨロシクやってくれよ。サワムラさん。
アンタの綺麗な彼女を、皆にお披露目の自慢ができて
今夜は良い気分だろうからなー。
俺達みたいなむさ苦しい男達は、必要ないだろう?」
嫌みたらしくアンドリューは唇の端をつり上げて微笑んだ。
すると……隼人がクスリとこぼして俯いたので、
どうあっても動じない隼人にアンドリューの頭に血が上った様子。
マリアはマイクの胸元でオロオロとして、今にも飛び出したくなったが
マイクががっちりとマリアの両腕を力強く掴んでいるので身動きが出来なかった。
「これが? 私の自慢の彼女だと?」
隼人の黒い瞳が輝いた。
「隼人さん?」
葉月がその隼人の声にやっと反応する。
アンドリュー達も隼人のその『挑戦的』な眼差しに、飲まれたようで黙り込んだ。
「プレストン中佐? あと少しだけ……お時間頂けませんか?
私が『最高のドレスアップ』をしますから……」
「なに?」
「ええ……私の中で、一番自慢の『葉月』をお見せしたいんですけど……。
それを見ていただかないことには、帰すわけには行きません」
今度は笑顔を消した隼人は、真顔でそしてアンドリューを射抜くように見据えていた。
「言っておくけどな……! 誰もあんたの自慢のドレスアップなんて興味ねーよ!」
アンドリューが言い捨てると……
「さぁ……行こう。葉月」
「え!? な、なに!?」
アンドリューの返事も待たずに、隼人がドレス姿の葉月を
逞しく膝から抱き上げてしまった!
まるでお姫様のように抱き上げられた葉月を、アンドリューが驚いたように見て固まっていた。
「ジャッジ中佐。彼等を引き留めておいてくださいよ……暴れても……」
また困惑している葉月を腕に抱き持ち上げた隼人は
通りすがりにマイクにそんな事を。
「ああ、いいよ。だけど……彼等は血気早いから、早めにね」
「──!」
そして……マイクも通じ合っているようにすんなり頷きニヤリと笑ったのだ。
「え! なに!?」
マリアが葉月を抱き、白い正装姿で連れ去る隼人の背に振り返ると……。
「行っておいで」
マイクがやっとマリアを解放してくれた。
そして彼は……
「アンディ、サワムラ君から最後に『トドメ』をさされるのが怖いなら……引き留めないよ」
マイクが腕組み、ニヤリと微笑んだ。
「なんだって!? 俺がアイツに最後のトドメを刺してやる!」
マリアはそのアンドリューのもの凄い形相を見て震え上がった。
(ど、どうしてこんな事に〜!?)
マリアが主催したパーティで、中佐同士が『乱闘』!?
そんな事になったらマリアも立つ瀬がない!
そんな内にアンドリュー達同期生は、中へと戻ってきた。
だけど、ケビンとダニエルはムキになったアンドリューに呆れた顔。
隼人はというと……彼はまるで王子様のように大人しい葉月を抱いて
階段を上がっているところ……!
会場中も……そんな状況の一部始終を見ていたためか……
何とも言えない戸惑いのムードが漂っていて誰も言葉を発していなかった。
一部──。
あの高官達は……なんだか落ちついた顔で……
亮介も登貴子も……フランク一族も、なんだかちょっと呆れた顔で
ただ……ジッとしているだけだった。
亮介に関しては、シャンパングラスを傾け、大きく足を組んでゆったり背をもたれて
なんとも余裕いっぱいのようなとぼけた顔で、僅かに口の端に笑みを浮かべているよう?
おじ様とおば様達は一向に止める気配もなかった。
(パパ、ママ〜! まだ、来ていないの〜!? どうしよう!)
パーティが始まって一時間は経とうかというのに……
両親はまだ来ていないのだ。
御園家のパーティで……マリアが主催で……こんな事になってしまうなんて!?
とにかく! マリアは隼人が何をやりだしたか解らないが
これ以上、葉月の同期生と対立しないようお願いするために
彼を追うことにした──!
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×
『コンコン』
「あのー! 葉月? 中佐?」
マリアがドアをノックすると……。
『今、取り込み中なんだ。入らないでくれ!』
葉月でなく、隼人の鋭い声が届いて……マリアはビクッと固まった。
中ではそれ以上の声が聞こえなくなった。
「マリア?」
達也が心配そうに階段を上がってきた。
「中に入れてくれないの……」
「ああ……そうなんだ」
達也は何か解っているのか、ちょっととぼけたようにして落ちついている。
達也がドアをノックしようとしてマリアは止めたのだが……。
「兄さん? 他に何か必要かなー?」
『!』
マリアにノックを止められた為、達也がドア越しに叫んだ。
「達也か……」
やっと隼人がドアをちょっとだけ開けた。
「これとか……いるんじゃないかなー?っと……」
達也が肩章の下に指で弧を描いた。
「なんだ……解ったか」
「それしか納得させられないだろう?」
達也がそういうと隼人がニッコリと微笑んだのだ。
「達也のモールを貸してくれ。
いつもここに帰省して招待されたら、お父さんのを借りているそうだ」
「解った!」
「!! まって! それって……!」
マリアも何をしているのか解って、顔色を変えると……
隼人がちょっと困ったように首を傾げた。
「マリア……葉月と俺がする事、許してくれよ」
「中佐……」
「達也、悪いけど──、ヘアワックスも借りられたら助かる
ピンを取ったら、結構クセが付いていたんだ」
「オーライ! 俺達の最高の大佐にしなくちゃな!」
達也は喜び勇んで、飛び跳ねるように階段を駆け降りていった。
「悪いね。これは俺も譲れないから、今度は俺のする事を黙ってみていてくれないか?」
隼人が真顔でマリアに言う。
その眼差し……とても強くて何にも『負けない』という気迫をマリアは感じ取って
何も言えなくなってしまった。
隼人がまた……ドアを閉めてしまった。
どうして? 葉月に一番綺麗になって欲しいはずの『恋人』が……
どうして? そうやって葉月を『男』にしようとするのか──!
せっかく葉月が綺麗になったのに……!
せっかく『私』が、綺麗にしたのに……!
今日の『全て』はそれのみだったマリアには、いとも簡単に解かれてしまう事が
何もかも『否定』されたようで、急に腰から力が抜けるような脱力感を感じた。
マリアがドアに寄りかかって……ズルズルと腰を落としていると……。
達也が金モールと整髪料を手にして、こちらも気迫を込めて戻ってきた。
「マリア……」
達也も、そんなマリアを不憫そうに見つめつつも、息を吸い込みながら言い始める。
「マリア……悪いな。俺も同じなんだ……。
俺達の『上官』は、綺麗なだけが一番じゃないんだ。
その程度の……『大佐か』と思われたり、言われたりするのが一番、我慢できないんだ。
俺はあの同期生達の気持ちが解るぜ……。
でも……お前がしたことも、絶対に間違っていないと言い切るぜ。
お前が葉月にキッカケを作ったんだし……それに──」
達也がそこを退かないマリアを自力で退かそうと力説していると……
「ちょっと……開かないわよ? 誰かいるの?」
葉月の声がして、ドアが開いた。
マリアは力無く立ち上がって、そっと退く。
すると──
そこには真っ白なスラックス姿の葉月が……
いつものあの平淡で凛々しい眼差しで現れたのだ。
金ボタンの真っ白な詰め襟の上着。
黒い立派な大佐の肩章。
色とりどりの階級バッジを胸に付けて──。
化粧もすっかり落としてしまって、唇だけがリップクリームを塗ったのか艶っぽく輝いているだけ。
髪はマリアがセットした編み込みも解いてしまって、ちょっとクセが付いていた。
そして片手にはヴァイオリンケースを手にしている。
だけど、葉月は威風堂々と胸を張って──
気のせいか、ドレスを着ているときより堂々と輝いている気がした。
「兄さん……モールを」
「サンキュー、達也」
達也が隼人にモールを渡した。
「俺が髪をセットする」
達也は手にヘアワックスを塗り込むと、サッと葉月の栗毛を
生え際から手ぐしでナチュラルに整え始め……
モールを受け取った隼人は、手際よく葉月の肩章の下に付け始めた。
二人になった側近に……葉月は身動きをせずに身支度に身を任せている。
「よし!」
隼人と達也が一緒に、出来上がった葉月を満足そうに見下ろした。
そこに……まるで少年のような『青年将校』が凛々しく登場した。
「俺達の大佐を……最高の形で皆の前に突きつけてやるんだ」
隼人も輝く眼差しで階段の方へと視線を見据えた。
「ああ、誰も文句は言わせない」
達也も……誇らしげに微笑む。
「澤村、海野……。行くよ──!」
平淡で凛々しく……あの氷の眼差しで葉月が低い声で言い放つ。
「イエッサー!」
葉月の後ろにも、表情を引き締めた中佐が二人。
敬礼をして従い、後を追っていく。
「……」
マリアは一人……取り残されたような気がした。
すると……『御園大佐室』の三人とすれ違いに、階段を上がってきた男性が一人。
マイクだった。
「……残念だったね」
彼はマリアがした事を、あざ笑うわけでもなく、けなすわけでもなく……
いつもの素っ気ない無表情でマリアを見下ろしていた。
「今、君のご両親が到着したよ。それで……これを……」
そのマイクがマリアに差し出したのは……『白い礼服』
マリアは驚いて、マイクの手元に顔を近づけた。
「パパとママが!? どうして──!」
すると……マイクがフッと微笑んだ。
「こうなると……ブラウン少将は解っていたんだろうね?
お父さんが言っていたよ。娘がやろうとしている事は必ず『失敗』に終わると──。
だけど、愛娘のそれを見るには忍びないし、見ていると手を貸したくなる。
している事に間違いがあったら、将軍としてもすぐに注意をしたくなる。
どうせなら……少しは親のいないところで失敗でもして
周りの先輩や同僚に教えてもらった方がよいから……ワザと遅れたと。
『どんな生意気をして、困らせていたか……ご迷惑をかけていたら申し訳ない』と
俺や秘書官達に頭を下げてくれたんだよ。
お母さんもね……レイのパーティではこれが絶対に必要になるはずと……。
娘の君が……『本当のレイをまだ知ろうとしない』と言っていたよ」
「……嘘……」
マリアの目に涙が浮かんできた。
どうやら……マリアだけが違う事を考えていた様だった。
マリアはまたドアにもたれて……今度こそズルズルと床まで座り込んでしまった。
白い礼装を差し出していたマイクが……初めて、戸惑った顔をしたようだが
マリアは両手で顔を覆ったため、気が付かなかった。
マリアのすすり泣く声──。
そっと……彼がひざまずいて、そしてマリアの肩を柔らかく片手で撫で始めた。
「マリア嬢……君がした事は間違ってはいないと思うよ」
達也が言った事と……同じ事を大人の彼がそっと柔らかく呟き始めた。
「レイにドレスを着せるキッカケを作ったのは確かに君だ。
それは……男である俺達には手の届かない事を君は同性としてレイに伝えたんだ」
彼の静かでなだめるような声。
マリアはこの『怖い大人の男』と思っていた男性に、こんな風になだめられたせいか
急に留め金が外れたように、堪えていた声を漏らし始め、構わず泣き始める。
「でもね……君はちょっとだけやり方を間違えただけだよ」
「解ってる……もう、解ったわ」
マリアは手で顔を覆って泣くだけ泣いた。
「俺もね……皐月とは親しかったから一言、言わせてもらうよ。
君は今回……レイのお姉さんになったつもりで、皐月が思っていた通りにしようとした。
でもね……小さかった君は覚えているだろうか?
皐月こそ……あまりドレスを着なかったんだよ?」
「……!?」
「彼女はとても男勝りで、そして軍人である自分はどんな男にも負けないと自負していた。
彼女は軍人の集まりになったら、絶対に正装だったんだ。
ここにもし、皐月がいてレイが軍人としているならば……皐月は怒るだろうね。
『御園家の軍人がドレスで出席とは何事か』と!
同級だった俺はそう思い描く──」
「──そうなの? 私……」
マリアはやっと手を除けて、同じ目線でかがんでくれているマイクの瞳を見つめた。
深い紺色のような眼差しは、とても綺麗で吸い込まれそうなほど深かった。
その深さがとても広く感じて、マリアはちょっとだけホッとして泣き声が止まった。
「君が知らない皐月もいたし、それが俺達の皐月だった……。
それと同じ気持ちを……アンディやサワムラ君、そしてウンノ君、皆が持っていると思うんだけど」
「私だって……」
「ああ、そうだ。同じ軍人だ。君が始めたパーティだ。
半分は君の思うとおりに、レイが女性としてドレスアップした。
後は……レイの凛々しい大佐姿を待ち望む人
そうさせたい人に譲ってやっても良いんじゃないかな?」
マイクがやっとニコリと笑って、再び、マリアの礼服を差し出した。
『澤村、海野──酒! ありったけ持ってきな!』
階段の下から、そんな威勢のいい葉月の声が聞こえてきた!
ドレス姿のまま……マイクと一緒に階段の上からリビングを見下ろすと……。
シンと戸惑っている招待客に構うことなく……
葉月が待っていたアンディ達をテーブルを挟んで向かい合い
『ドン!』と、ヴァイオリンケースを置いた所だった。
急に男っぽい正装で現れた葉月に皆が息を呑み、静止していた。
×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×◆×
隼人と達也がサッと動いて、葉月の周りにシャンパンやビール瓶を並べる。
葉月は一本のシャンパンボトルを手にして
栓を『シュパンッ!』と天井に勢い良く飛ばした。
葉月は、きらめく涼しげな眼差しでパイロット同期生を見据えて
手にしているシャンパンボトルを突きつけていた。
「綺麗な女で悪かったな! 見てなさいよー! こんな気取ったパーティーはおしまいだ!!」
葉月はそういうと持っていたシャンパンボトルをそのまま口に付けて
逆さ飲みを始めたのだ!
『ええ!?』
マリアがびっくりおののいているのは勿論の事。
会場にいる軍人達皆が『ええ!!』と目を皿にして、
葉月の勢い良いボトル逆さ飲みに釘付けになったのだ。
「ハハ……ついに始まったか。レイらしい『クラッシュ』だなー」
側でマリアを支えるように見守っていたマイクは、いつもの余裕で笑っているだけ。
葉月がそのボトルの三分の一飲み干すと、やっと口から外して
手の甲で品なく口元を拭ったのだ。
そしてさらに……葉月は手元のビール瓶を二本手にして、自分の両脇にドン!と置いた。
「澤村! 海野! 見せてやりな!」
葉月は会場中を指でさして、側近二人を煽り始めた。
勿論……隼人と達也はお互いに『ニヤリ』と微笑みあって
葉月の両脇にそれぞれ並んだ。
「行け!」
葉月の手合図で、達也と隼人も怯むことなく一緒にビール瓶を手にして逆さ飲み!
「どうだ! これが『御園大佐室』だ! 恐れ入ったか!」
葉月がニヤリと自信たっぷりに微笑みを振りまいた。
マリアは益々……唖然としてもう涙もなにもかも忘れそうになるほど……
頭が真っ白に!
「そこのパイロット3名!」
葉月は、手元にあったフォークを手にして、同期生達をバシッと指す。
アンドリューとケビンとダニエルも……さすがに唖然としていた。
だが、解っていたかのように達也と隼人が新しいビール瓶を手にして、向かい側へと移動した。
そして彼等の前にも一本ずつ、ボトルをおいた。
「上空より怖いモノがあるものか! 行くぞ!」
葉月が再びシャンパンボトルを手にすると……
「この! お前みたいな嬢ちゃんに負けてたまるか!!
それに俺は上空だってなーんにも怖くないぜ!!」
アンドリューがボトルを手にして逆さのみを始めると
ケビンとダニエルも不敵な微笑みを浮かべて、ボトルを口にした。
葉月もそれをみて、おいてかれまいと再びシャンパンを逆さ飲み!
『プハー』
四人が揃って、ボトルを口から外して手の甲で口元を拭った。
そこで葉月がニヤリと勝ち誇った笑みを浮かべる。
そして、側にあった椅子に片足を乗せて、もの凄い生意気なポーズをしたかと思うと
今度は、持っていたフォークで側にあったグラスを行儀悪に
『カチカチカチ!』と小刻みに叩き始め……
「これが……私の空軍だ! どうだ!!」
なにを思ったのか? 亮介がいる高官一同集うソファーへと
フォークを思いっきり指し示したのだ。
狂気じみた葉月の『パーティクラッシュ』
まるで酔ったかのような行儀悪さに……先程までの淑女の影はない。
その落差に側近と空部隊以外の皆が、本当に困った顔をしていたのだが……。
ソファーにいた亮介がスッと立ち上がった。
かなりの強面で……。
娘がやりだした『行儀悪』
そしてパーティの破壊。
それに対して、父親としても将軍としても雷が落ちると皆が目をつむった。
「マーイク! 何処にいる!」
亮介が大きな声で叫んだ。
「はい! ただいま!」
マリアの側にいた彼がピシッと背筋を伸ばして叫んだ。
「さぁ……着替えておいで、出遅れるよ」
マイクは笑顔でそれだけいうと、颯爽と階段を駆け降りていった。
「マイク! シャンパン!」
「イエッサー!」
亮介はテーブルを挟んで向かい側、葉月の真っ正面に強面で、腕組み立ちつくした。
マイクが迅速にシャンパンを持ってきた。
「ふん。なにが『上空より怖いモノなし』だ? この生意気小娘!」
そこには……父と娘ではない……『父子』の睨み合いが始まった。
亮介は、マイクが飛ばないようにふきんで抜いたシャンパンの栓を
バッと側近の手元から奪い取って、ボトルを手にした。
「偉そうに、『私の空軍』だとぉー!? 何十年も早いわ!」
亮介がシュッと握っていたシャンパンの栓を、葉月に投げつけたのだ。
素早い父親の投げ方に、流石の葉月も避けられなかったのか
思いっきり額に『コーン!』と当たって、のけ反っていた。
『い! いたい……』
『わ……』
側に控えていた隼人と達也がよろめいた葉月を同時に支える。
「地べたをはいつくばって、汗を流して! 私は銃弾も恐れない!!」
亮介はそういうと手にしていたシャンパンを掲げてザッと逆さ飲み!
今度は葉月とは違って、本当の『一気飲み』!
亮介は息継ぎもせずに、シンとした静寂の中、ゴクゴクと威勢良く……。
「それ! 陸部隊も出遅れるな!」
亮介は唖然としていたフォスターとサム、そして自分の秘書官達に
手合図で集合をかけた。
「将軍、お供いたします!」
凛々しく隣に並んだフォスター隊長がボトルを手にすると、サムが並び
マイクを始めとした秘書官達も出遅れまいと、次々にボトルを手にした。
「こんな小娘にいつまでも仕切られてたまるか! 行け!」
亮介までフォークを手にして、葉月を指して号令をかけた。
『イエッサー!』
陸部隊員達の逆さ飲み!
「アーハハ!! これはいい! 私も負けないぞ!」
ジェームスが大笑いをして、ついにソファーから立ち上がりテーブルに飛び出してきた。
「むー! 私もだ!」
そしてジョイの父親のジョージも兄の後を追って飛び出してきた。
『ほら……あなたも……』
一番最後に……いつのまにやら来ていたリチャードも
登貴子と妻のマドレーヌに押されてテーブルに出てきた。
将軍達の一気飲みを目にして、ランバート大佐まで……!
お酒が飲める男達は我もと後に続いた。
『パパ……』
マリアは控えめに出てきた父までもが、乱暴にボトルを逆さ飲みしているのを見て
また……唖然としてしまった。
「まー! すごい圧巻だわ! 男はそうでなくっちゃ!」
オリビアまで立ち上がって楽しそうに手を叩いて大喜びだった。
急にワッとパーティ会場に熱気が溢れ始めていた。
そして……どこか『隔たり』もなくなったようで、皆がワイワイと大騒ぎに──。
マリアは階段の上で暫くぺったりと座り込んで茫然とした。
なんというパワーなんだろうかと──。
それに巻き込まれて行く様をこの目で上から眺めていただけに……
だけど、マリアはすぐに、礼服を胸にギュッと握りしめて立ち上がった。
ここには『軍人』が集まっている。
今夜は軍人の集いなのだ。
『私も……出遅れない!』
マリアはサッと葉月の部屋へと向かった。
※注:イッキ飲みは危険です。急性アルコール中毒にならないようご注意下さい^^;
良識ある紳士&淑女は、お行儀良く楽しいお酒を♪ 良い子は絶対真似しちゃダメです!
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