「申し訳ありません! 私達がちょっと目を離した隙に──澤村中佐が!」
細川の若い側近、梶川が、隼人の有様を見て、驚く前──。
その前に、ジュールはまくし立てるように大声で叫んでみる。
案の定、梶川は驚き、すぐに隼人の元に駆けつけてきたが、『ジュールの存在』を気にする前に『何か不手際があった』方へと認識してくれたようだ。
「怪我をしているじゃないか!?」
「そうなんですよ! なんだか慌てた様子で、あちこちの配電盤を点検していたようで──配線板まで引っこ抜いていまして、その角で切ったようで!?」
「結構、出血しているじゃないか!?」
「そうなんですよ! 私が見つけた時には、既に失神されていて──。急激な痛みで貧血を起こしたのでは!?」
「──これぐらいで?」
「……」
梶川がチラリと、ジュールの顔を覗き込んだ。
しかし、ジュールもれっきとした態度で、動揺はしない。
「私も判りません? とにかく、見つけた時には澤村中佐は殆ど意識がありませんでしたから、こうして!」
「……」
梶川は、今度は隼人の顔を覗き込んだ。
「……彼、近頃、『疲れ気味だ』と中将がご心配なさっていたからな……。そうかもしれない」
「……そうだったんですか?」
梶川が真顔で納得しようとしていたので、ジュールは心ではニヤリとしつつも、顔は『僕には判りません』というとぼけた表情を保っていた。
「中将──。澤村中佐……ちょっとした手傷をうっかり負ってしまったようで、出血しています」
『何!?』
「すぐに、艦内の医療班を呼びますが、訓練続行は無理のようです。貧血を起こしたようで、今は気を失っております」
『何だと!?』
梶川は、自分がつけているヘッドセットマイクで細川に報告をしている。
ジュールはそれを見届けて、隼人をスッと静かに床に寝かせ、立ち上がった。
「では、私は……医療スタッフに連絡をしてきます!」
「あ、ああ……ご苦労。澤村君は私が見ておくよ。医療班への連絡は今から、私がするから、君は持ち場に戻ってくれ──」
「イエッサー!」
ジュールとしては白々しく感じるハキハキとした態度に、敬礼。
それを少佐である梶川に向けて、サッとコントロール室を飛び出そうとした。
「ああ、君!」
「!」
出て行こうとしている所を梶川に呼び止められ、ジュールは立ち止まる。
チラリと肩越しに振り返ってみると、隼人を代わりに抱きかかえ始めた梶川が、首を傾げながらジュールを見つめていた。
「なんでしょうか?」
「後で、詳しい事情を中将が聞くかもしれないので──持ち場は何処かな?」
「……エンジン室……ですが」
「そう。分かったよ。有り難う──」
後の事は、どうでも良い。
不審な人物が、澤村中佐に危害を加えたと大騒ぎになるだろうが?
勿論、隼人が何とか誤魔化してくれるだろうという信頼は既にあるのだが、それがなかったとしても、後の大騒ぎなど、撤退してしまえば『黒猫』には関係ない。
それに──『このような私的な黒猫がらみ』の事は、あのバイオレット色の瞳の『彼』が上手い具合にもみ消して『内輪事』に収めてしまうだろう。
その分──。
(さて──向こうも本気でかかってくるな……)
ジュールはそう予想できたので、既にこの艦内に『彼等』が罠を張っていてもおかしくないだろうと、眼差しを光らせる。
コントロール室を出て、ジュールは先へと撤退したボスとエドを追う。
脱出経路は、海面に近い階下から、アクアラングを背負って海中だった。
当然、侵入も、海中から警備が手薄な入り口から三人で入り、ダイバースーツ類を適当な所に保管し、侵入したのだが──。
ジュールもふと振り返った。
鉄階段の側まで走ってきていたが、上から人が駆け下りてくる慌ただしい音が聞こえる。
医療スタッフが、駆けつけてきているのだろう。
それでも──コントロール室の方へ振り返る。
「隼人様──暫く、とても苦しい思いをされますでしょうが……待っていてくださいね。必ず、『答え』を見極めて、お届けしますからね……」
それが彼の敗北であったとしても、勝利であったとしても──。
彼にまた、新しいスタートをしてもらう為の今回の『賭』による結果は、彼にはきちんと報告する心積もりになっていた。
葉月が目の届かない所に行ってしまえば、彼は何も出来ない。
その時は、ジュールの出番……隼人が与えてくれた任せてくれた役所だから──。
ジュールはそう、真顔で呟いて走り始める──。
・・・◇・◇・◇・・・
「佐藤、悪いが──私はちょっと梶川の様子を見に行ってくる──」
「何かございましたか? 先輩?」
滅多に動かない細川の様子が、いつになく動揺しているようなので、隣で甲板を監督していた佐藤大佐は首を傾げる。
「まぁ……後で知らせる。私がいない間、甲板とフライトに動揺させないように、適度の指示を頼みたいのだが……」
「それは構いませんが……様子見なら、私が艦内階下まで行きますのに──」
「いや……私にちょっとした予感があってな……」
「予感?」
「こっちの事なので、ちょっと悪いが──」
いつになく不安そうな表情を刻んだ細川を訝しく思いつつも──。
「解りました。お任せください──」
佐藤はいつもの笑顔で細川を送り出してくれた。
(まったく……。これがロイが言っていた“なんとやら”の騒ぎの発端であるなら……)
細川は猛然と腹を立てながら、一人、鉄階段を足早に降り始める。
その途中、階下三階ぐらいに来た時だった。
一人、慌ただしいように走りすぎていく整備員が細川の目の前を横切っていく──。
『!』
作業帽のひさしからチラリと見えたのは、金髪……。
なんとなく勘が走る。
今、走っているなら……コントロール室の一件に関わっている可能性があるとの勘だった。
「待て──そこの整備員」
「!」
階段を下りきった細川の呼び止めに、金髪の青年が立ち止まる。
肩越し、帽子のひさしから、チラリと後ろに振り返った。
「何を急いでいる──」
「……いえ? 持ち場に戻ろうとしている所ですから──」
細川に恐れることなく向き直った彼の余裕。
ここの海軍兵でも、細川となると少しは硬い態度になる隊員が殆どだ。
向き直った金髪の青年の顔は、至って冷静──。
茶色の瞳には、暖かさが感じられないなにやら厳しい物を、この細川が感じたほどだった。
「持ち場とネームを申せ──」
「持ち場はエンジン室……ネームはスミスですが……」
「偽名にはもってこいだな──」
「!」
青年の目の色が、一瞬……光ったように細川には感じた。
「先に逃げたのか? ボスは──」
「はい? なんの事でしょうか?」
「まぁ、よい──。私が猛烈に腹を立てていると伝えておけ。恋沙汰だかなんだかしらんが、私の部下を傷つけ、大事な訓練を中断した事をだな──。恋沙汰なら、二度と基地内、母艦内に潜入するなどと考えずに、外でやれ、外で! 嬢も澤村も今はこちらにも大事な航空員だ。嬢が暇な時に振り回してくれ──。まったくもって、甚だしい! ロイもきっと同じ気持ちだろうが、ムキになるとすぐに乗せられる質だからな──。まったく、ロイにもあれほど純一の事は放って置けと釘を刺したのだが──?」
「……」
一人で訳の分からないことを怒り始めている上官に、唖然とする様子もない目の前の青年。
それよりも、もっと平静な眼差しで細川の視線から逃げることはなかった──。
「申し訳……ありませんでした。細川中将──」
作業帽を取り払った青年が……細川に日本語で詫び、きっちりとした角度で頭を下げてきた。
「やはり──そうか……」
勘が当たった細川だが、そこで呆れた溜め息を静かに吐く。
「はよ、行け──。お前さん達もプロだろうが……ロイも本気になれば大きな力を持っている男だ。二、三日前から影でこそこそしておったからな」
「有り難うございます。あの──訓練を中断した事、心よりお詫び致します」
「部下の小僧に詫びられても困る。岬任務の時も嬢をたぶらかしたあの時は、さすがの私も血管切れたぞ? あの“御園の馬鹿婿”にしっかり反省して、次に顔見せた時はぶん殴ると伝えておけ──」
「かしこまりました──」
「もう、良い──はよ、行け」
「失礼致します」
金髪の青年が礼儀正しく頭を下げる。
細川は、それにも致し方ない溜め息を落として見送ろうとしたのだが──。
「こら、猫小僧──」
「?」
さらに呼び止められ、ジュールはそっと……遠慮がちに振り返る。
「……なんでございましょう?」
「お前らの事だ。警備が手薄な艦底から侵入しただろう?」
「……」
「そこから、二度、抜けて行かぬ方が良いと、私は思うぞ?」
「承知しておりますが──」
「これでも、若僧達のいざこざを、ハラハラしながら見てきた『ジジイ』だ。こちらの性分も解っておるのでね。これ以上、管轄内での騒ぎはご免だ。そっと帰れ」
「……はい。細川様……有り難うございます……」
ジュールは何故か微笑みながら、また礼を述べていた。
そこにふてくされながらも、何処か御園をそっと見守ってきたという彼の隠れた心情を見られた気がして──。
『騒ぎにしたくない』という、『親側』としての心配も、こんな風に職場を舞台にしてしまった『兄達』がすることに、叱りたい気持ちもジュールには通じた。
それに、『騒ぎ』になると否が応でも、細川も骨を折ってしまう性分だから、面倒くさいというのもあるのだろう?
もっと言うと……『親側陣営』としては、『娘嬢』が目の前に得ようとしている極々平凡的な『幸せ』を、そのまま手放さないよう動揺させるなとも言いたかったのだろう。
その親としての『気持ち』は、ジュールは否定しない。しないが──。
『中将──! 梶川です!』
「おう。どうした?」
側近からの連絡のようで、マイクを口元に寄せた細川が、ジュールに向かって『行け』と顎で促した。
ジュールは無言で頭を下げ、すぐに走り出した──!
(これで細川様も……なんとか誤魔化してくれるだろ?)
ジュールにはそんな気がした。
傍観をし続け、御園を見守ってきた彼の気持ちは、職務の中、厳しい姿勢を保ちつつも、誰よりも上手くやってのけてきた一人だとジュールは思っているから──。
そして──こちらも。
『ジュール、まだなのか!?』
黒猫専用のインカムピンマイクを耳と襟元にセットした途端に、エドからのそんな声。
「今、降りる。エド──途中で何か見つけなかったか?」
『見つけた! 目立たない所にチェッカーセンサーが仕掛けてあった』
「やはり──ボスはどうすると?」
『それが……面白いから、引っかかるだけ引っかけておけと──』
「あはは! 俺も賛成だ。では……同じ場所からの撤退でいいのだな?」
『ボスはそう言っている──。だが、鉢合わせたくないから早く来いとの事だ』
「ラジャー。今、向かっている」
さらに下る階段をジュールは駆け下りる。
「いたぞ──あれだ」
降りた階下の通路影、そこには……栗毛の男と、潜入服を着込んだ男が数名。
「あれか……」
リッキーのすぐ後ろにいた黒髪のリーダーが呟く。
「そうだ。あれを追ってくれ──。絶対に勘づかれるな。何処かに『足』を隠しているはずだ──」
「イエッサー……中佐。任せてくれ──」
「俺は海上で待っている。『足』の場所を突き止めたら、そこから海上にて追跡交代する──」
「オーライ」
今度は、黒髪の彼の後ろにいた彼の後輩が、ニヤリとウェットスーツとアクアラングを取り出した。
「あの様子だと……アジトは父島かもしれない」
「島内かもしれないが……どちらかだろう」
黒髪のリーダーと、その後輩の的を射たような予想に、リッキーは安心をして、もう一人の後輩と共にそこを去ろうとする。
「頼んだぞ──」
「ラジャー。中佐──」
専門の二人に任せて、リッキーは彼等の中で、一番端になる若い戦闘員を従え、上へと向かう。
「ホプキンス中佐──コントロール室で、澤村中佐が負傷したとの情報でしたが……一歩、間に合いませんでしたね……」
「仕方ないだろう──。まぁ、彼が無事で良かったが、他の目的があったのかもしれない」
「大佐嬢の事を、澤村中佐から探ろうとしたのか……脅そうとしていたのでしょうか?」
「さぁな?」
今、リッキーの後を懸命に追ってくる青年は、エリート中のエリートと言われる秘密実行隊員という枠組みに入る事が出来たが、まだ経験は浅い後輩だ。
そんな彼でも、腑に落ちない点があるようで、そこを不思議に思える洞察力は『さすがだ』とリッキーは言いたい所だが──。
本当の秘密実行隊員と言うものは、先ほど、追跡を任せた黒髪リーダーの彼のように、『腑に落ちなくても知らぬ振り』が、一番利口とも言えるのだ。
なので、まだ、そんな事を囁く若い後輩の問いには、リッキーは冷たく切り返し、先を急ぐだけだ。
今から──追跡チームの動向を見守る為に、専用クルーザーで海上へと出ねばならない。
・・・◇・◇・◇・・・
「ボス、こちらでよろしいですね?」
「ああ、良いだろう──」
その頃、ウェットスーツを着込んだエドと純一は、脱出する入り口に、エド仕様の『チェッカー』をこちらも同様に仕掛けている所だった。
「ボス、エド──!」
そこへ、整備服姿のジュールがやっと姿を見せた所だった。
「遅いぞ、ジュール」
「何言っているんですか! 途中で細川中将にばっちり見抜かれて、捕まったんですからね!」
「ふーん。おじさん、俺の事、ものすごく怒っていただろうな」
「まったくその通り! “馬鹿婿”とか言っていましたよ」
「ジュール、これを早く!」
動じない純一は、細川の『おじさん』の気持ちは予想済みのようでシラッとしていたが、ジュールの報告に可笑しそうに笑うだけの余裕。
ジュールは渋い顔をしながら、エドが差し出してくれたウェットスーツを手にとって、手早く準備を始める。
「エドに言われて、俺も帰る道、チラッとしか確認できなかったが──結構な数、仕掛けてあったじゃないか!? ご丁寧に階段の上下に一個ずつ、通路に二三カ所!」
「だろ!? だけど……こっちも目には目をだ……」
アクアラングを背負ったエドがニヤリと、脱出口の鉄扉の角を指さした。
エドとジュールが一緒に作製した小型の赤外線センサーだった。
「追跡するつもりかどうか知らないが? それなら、そういう事にしてみようじゃないか?」
同じように細長い背中にアクアラングを背負った純一が、ニヤリとジュールに微笑みかけた。
「ボスがそれでよろしいなら構いませんが? あの隠れ家にはそう長くはいられなくなりますよ」
「構わない。それにもう、小笠原の側に常駐する理由もなくなった──」
「はぁ……なるほど? また本島にお帰りですか? 宿探し、大変だな」
面倒くさそうにジュールは、嫌みっぽく溜め息をつく。
純一は、笑っただけだった。
『行くぞ──!』
黒猫衆三人、一斉に海面へと飛び込んだ。
その数分後……エドのチェッカー反応器に、『引っかかった』合図が着信したらしく、海中でエドからサインが送られてきた。
三人は一緒に頷き、それほど急ぐわけでもない速度で、ある地点へと向かう。
父島が隣島といえども、ただ泳いで帰るにはかなりの距離がある。フェリーで二時間と言った距離だ。
いくつか岬があるが、島の周りにも姉島、妹島とあるなか、ちいさな岩島も結構ある。
その一つにクルーザーを隠していた。
そこへと向かったのだ。
その向かったある岩島に隠し置いたクルーザーへと無事に辿り着き、黒猫衆は、何食わぬ顔でクルーザーに乗り込んだ。
『中佐──“鬼岩”でクルーザーに乗り換えましたよ』
「……オーライ。こちらから追跡するが……向かう方向を教えてくれ」
母艦近くの海上で、軍仕様のクルーザーに乗り込み待ちかまえていた『リッキー』。
黒髪リーダーの報告を待つ。
息を潜め、黒猫クルーザーが発進するのを待っているという間が……暫く続いた。
『中佐──。北東……やはり、父島かと──』
「ご苦労。こちらから、直ぐに収容のクルーザーを送る。そこで待機していてくれ。収容されたら、俺が指示する場所まで続いて追ってきてくれ。そこで待っている──至急だ」
『ラジャー』
第一追跡は、終わった。
収容の役は、先ほどの若い後輩に任せ、リッキーは一人、第二追跡を始めるのだが……。
「なんだか、警戒なさすぎな気もするなぁ?」
リッキーは、なんだか間抜けに追跡をされてしまった『先輩チーム』に眉をひそめた。
『わざとかもしれないな……』
特に先輩──。ああいう『からかい』が上手い男だとリッキーは知っていた。
「くそっ。それでも尻尾を『とりあえず』掴ませてもらいますからね──」
リッキーはクルーザーの舵を切る。
軍衛星仕様レーダーを使ってまで突き止めた鬼岩付近から発進されている点を確認し、それを別コースを取りながら目で追い、父島へとリッキーも船首を向ける。
・・・◇・◇・◇・・・
『うん、いいね。プログラムの時間帯に収まってきたね。後はメインのスクリューが君達の目的回転数を達成するぐらいだ──』
──『サンキュー、サー……』──
その頃、上空で日々の気合い入った訓練をこなしていたデイブと葉月であったが、数十分前から『異変』に気が付いていた。
佐藤の『それなりの評価』しか届かない時間が続いていたのだ。
『嬢、細川中将の指示がないな……』
「ええ──」
『カタパルトはシステム回復したのに……。一番最後のマイキーに聞いた所、マイキーもデイビットの誘導で発進したそうだ──』
「そうみたいね……」
『サワムラの声も……いつもは、時々入ってきていたが、今日はない──』
「確かに──」
──『こちら、空母。着艦命令が出たので、各機、体勢準備を……』──
交信機から、そんな管制からの指示。
『ラジャー』
各機の応対と同時に、当然、葉月も答えた。
『本日もご苦労。日々、目標は達成されているが、本日のその成果を身体に感覚として刻み、忘れるな──』
『!』
管制からの着艦命令のすぐその後、やっと細川の声が届いた。
『なんだ。いるじゃないか? それにしてもあの監督が無言で訓練を終わらすはずなんてないのにな?』
「……」
デイブの訝しい声。
葉月の不審な感情はふくれあがる。
(まさか……隼人さんに何か?)
いつも繊細なチェックを怠らないサワムラチームで、カタパルト発進の不具合。
隼人なら、そのチェックを見落としたとしても、自らコントロール室へ出向いた姿は、葉月も見届け、その迅速な判断に安堵し、空へと旅だった。
なのに……細川の様子まで、毎日とは違う。
カタパルトは正常に戻ったにもかかわらず、十号機のマイキーの番まで隼人は戻ってこなかったと言う。
『……まさかね……』
ふと、ある予感が過ぎったが、『そんな事あるはずない。そこまでする人ではない』という葉月の中の定説が予感を遮っていた。
が──、その感は拭えない。
『マイキーの後半機から着艦しろ』
『ラジャー、キャプテン!』
デイブのいつもの指示──。
葉月とデイブは大抵は最後に着艦するのだが──。
葉月としては、こうして訓練への集中力が切れるといても立ってもいられず、後輩達を押しのけてでも、先に着艦したい気持ちに駆られた。
『嬢、ストーンの次はお前が着艦しろ』
「!?」
その時、細川からそんな指示が出た。
これは異例の順番であった。
『……嬢、そうしろ』
デイブも悟ったようで、声が固くなっていた。
「ラジャー」
葉月は目の前を旋回し始めているマイキーの十号機の側へと移動する。
その感は、当たった。
着艦するなり、細川に呼ばれ、艦内にある『医務室』へ向かうように言われたのだ!
そこには隼人が、右手に包帯を巻かれた姿で、安らかとも言える顔で眠っていたのだ──。
・・・◇・◇・◇・・・
『ふぅ……』
今日も、金髪の彼女は『お留守番』だ。
天気も良いし、キッチンの勝手口からは程よい風も吹き込んできていた。
キッチンのテーブルで頬杖を付いてぼんやり──。
毎日、何をすれば『良い方向へ行くのか?』──一生懸命、考えているけど、まだ『やるべき事』は思いつかなくて、こうしてウダウダとしているばかりだ。
──『ご主人様に撫でられているだけで、満足じゃぁ……シャム猫嬢にも適わないだろうな』──
金髪の怖いお兄さんが教えてくれた『今の自分』の姿に衝撃を受けた。そして……。
──『舞台は、カメラの前だけでもない、銀幕だけでもない──。お前のステージはこの世界全てだと……思えないか?』──
その言葉にも、かなり重い衝撃を受けた!
何かが……『チラリ』と見えた気がしたけど……その後、今考えているように『だったら? 私はどうするべき?』という明確な方向性が……行動すべき現実的な事が見いだせずにいる。
「ジュールが言ってくれた事。解っているけど、まだ抽象的な気がするのよねぇ……」
『ミャーウ』
『ミュウ……』
ぼんやりしているアリスの足下には、いつの間にかこのファミリーの『密かなアイドル』になりつつある『サッチとレイ』。
「アンタ達には……永遠に適わないのかしらね? 私……」
アリスはしょんぼりとうなだれつつも、腰をかがめ、そっと二匹の背を撫でた。
近頃は身体も一回り大きくなってきて、毛艶もよく、しなやかな仕草を見せてくれるようなった。
まるで……徐々に、あの男達に愛でられ『女』へと変化しているようにアリスには見えてしまっていた。
だけど──可愛い我が妹達には変わりない。
今度は、一匹ずつ抱き上げて膝の上にのせた。
「アンタ達も……妹になっちゃったみたいね? あの人達の……」
アリスは彼女等に微笑んだ。
ここに来て、『サッチとレイ』と名付けた事を今更ながらに後悔していた。
この名を付けた事によって、最初は子猫を飼う事に否定的だったジュールもエドも、今となってはあからさまに見せないが、影ながら……これこそ猫可愛がりというぐらい面倒を見ているようではないか?
特に……あのジュールが、あの仕事以外には何も興味もなさそうなロボットみたいな男が……レイをお気に入りにしているのだから!?
「それほどってわけ……」
それは重々アリスにも通じてきた。
その証拠に、アリスがこうして悶々と『良き出口』を探している間に、あの男達は、あっという間に『何かの準備』をしていたようで、今日はまだ夜が明けない早朝からクルーザーに乗って、三人揃って出かけてしまっていた。
アリスは、その時、やっと目が覚めて、なんとか起きあがって彼等を見送る事しか出来なかったのだが──。
『分かっているな? 誰かが訪ねてきても絶対に気を許すな。むしろ、外に出ずに家に籠もっていろ。何かあっても直ぐには戻ってこれないからな。しかし、万が一の時は、いつもの交信機がエドに通じている。連絡はしろ──』
純一の『言いつけ』に眠たい目をこすりながら、アリスはウンウンと頷き、ただ見送ってしまった。
だが──こんな人も通らない土地にある別荘に、人が来た事も、通ったのも見た事もない。
当然、お留守番中のこの午前中も同じ事。
だから……こうしてぼんやりしているだけだ。
そのうちに、お昼が近づいてきて、アリスは流し場へと身体を動かし始める。
一人きりでもランチは取る。
もしかすると、黒猫衆が帰ってくるかもしれないので、取っておけるメニューを考えながら、正面の窓辺から見える渚を見つめていると──。
遠くに黒い点が見え、白波が立ち始めていた。
「! 帰ってきたわ♪」
その黒い点は徐々に白っぽくなり、見慣れたクルーザーへと形を変えた。
アリスは、溜め込んでいたエネルギーを発散させるように、元気いっぱいに裸足で渚に飛び出した!
「お帰り〜!」
手を振ると、船首にいる細長い男が手を振り返してくれたのが判った!
純一だ! アリスはそれだけで笑顔になって手を振り返したのだが──。
『!』
途中である『異変』に気が付く。
(いつもの黒い服じゃないわ!?)
戦闘時も黒。普段もほぼ『黒スーツ』。
それが、黒猫衆のトレードみたいな物なのに!?
出かける時も、いつもの黒い戦闘服で出かけていったのに!?
純一が着ていたのは、先日、エドとジュールが用意していた『軍作業服』だった。
(……サワムラに会いに行ってきたって……事!?)
アリスの顔から血の気がひく……。
元気いっぱいに振っていた手は……無意識に力無く落ちていった。
「やれやれ──。ボスのおかげで、大誤算だらけ……」
いつの間にか、クルーザーは目の前のいつもの位置に戻ってきて、ジュールのそんな妙に楽しそうな明るい声。
そのクルーザーが、渚に安定停泊するまで……アリスはただ茫然としていた。
「留守番、ご苦労だったな──。何か食う物が欲しいが? あるか?」
船を停泊させているジュールより先に、純一とエドが渚に降りてくる。
「……アリス?」
「え!? ああ、あるわ! 丁度ね? 私も美味しいサンドウィッチを作ろうとしていた所なの! ジュンは……半熟卵に黒ペッパーが好きだものね!」
「お。いいな……少しあぶったベーコンがあると満点だ」
「勿論!」
なんだか純一も、妙に清々しい顔をしているような気がして、アリスはちょっと俯いた。
「俺も手伝おう。お前はすぐにボス好みばかり、こしらえるからな」
そして、エドも笑っているのだ。
「同感。俺は絶対に生ハムにトマトだ。エド、頼んだぞ」
「はいはい……まったく、相変わらず生ハムなんて、高級志向……お育ちがよい証拠かな?」
「なんだって?」
「いえいえ……」
「なんなら、トマトだけでも良いんだぞ!」
「冗談だよ。もう……ちゃんと作るって。俺も生ハム、食いたいし♪」
そんないつもの『どつきあい』をしている二人だが、何故か楽しそうに笑っているのだ。
なんだか……いつもと違う?
アリスはそんな三人が、揃って清々しい様で勝手口へあがっていくのを眺めていた。
それが……その爽やかな顔、それぞれが『サワムラ狩り』を成功させたのかと、アリスには思えた。
そうだ、この黒猫の彼等が『負ける』訳がないのだ。でも……サワムラを狩ったという事は? 『邪魔者を除けた』?
と、言う事!?
『義妹への障害をなんなく除けてきちゃったって事なの!?』
アリスの危機感は、益々募り、膨れていくばかりだ!
そんなアリスの背後、クルーザーを停めたもうちょっと先の海面から、黒くて小さい頭が静かに浮かび上がってきたのを彼女は気が付かない。
『中佐……追跡成功。父島の南端、ジニービーチ付近外れに、別荘らしき建物を発見……』
「そうか。位置を間違いなく把握の上……すぐにこちらに撤退してくれ。今日は、これだけで構わない……」
『ラジャー』
父島の南へと先回りをし、目的のクルーザーがのんびりと回遊するように戻ってきた所を、離れた位置から確認。
後に追ってきた『海中追跡班』である黒髪のリーダーを再度潜らせた。
その結果……彼が上手く突き止めた結果に、リッキーはニンマリと太陽に微笑んだ。
『……中佐。ご参考までに──金髪の結構な女がいますね』
黒髪リーダーのちょっと楽しむような弾んだ声。
「──! 女!?」
『ええ。遠目に見ても……結構、いけていますよ。女連れとはね……』
「……」
リッキーは絶句していた。
(それは……先輩の? いや……部下の誰かの? いや?)
暫く……額を指で押さえ唸ってしまった。
(もし、これが……先輩の連れだったら?)
その次の瞬間、リッキーはちょっと震えた。
すぐに思い浮かんだのは『ロイの激しい剣幕』である。
『なんだと!? アイツに連れの女がいる! 由々しき事だ! 葉月には会わせない!!!』
とか、なんとかいう『憤り』がすぐさま目に浮かんだのだ。
「ったく……何やっているんだ? 先輩は……」
彼も男で、ある程度の権力を握っている男。
女の一人や二人は自由に出来るだろうが? 連れているのはリッキーにも予想外だった。
これを……報告すべきか、しないべきか?
したのなら、ロイはまた頑なになるだろうし……万が一? これを澤村君が知ったり、レイが知ったら??
流石のリッキーも暫くは、混乱し、頭の中が整理できるまで唸り続けていたのだが──。
「まぁ……事実は、事実。それに先輩は動き出した。連れの女なんか目じゃないか?」
リッキーは少し溜め息をもらしつつも、次には笑って、舵を切り始めていた。