・・Ocean Bright・・ ◆黒猫が往く◆

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10.異常事態

 その日も晴天だった。
 朝一番に甲板を使う『コリンズフライトチーム』。
 その訓練がもうじき、開始されようとしている朝……。

「なーんたって、俺がレイの担当〜♪」

 そんな英語の鼻歌が、一号機を整備している隼人と村上の所に届いてきた。

「エディ、浮かれてばかりいるなよ」

 隼人の側で、整備サポートをしてくれていた村上が、少しばかり釘を刺すような一言を叫んだ。

「なんだって? 俺を誰だと思っているんだよぅ」
「誰だっけ? フロリダから来たAAプラスさんだったかな〜?」
「分かっているじゃん♪」

 葉月の二号機のコックピットから、エディが勝ち誇ったニンマリ。
 そのコックピットからかけられた梯子の下には、トリシア。
 エディの指示通り、素直に真面目にメンテナンスを行っている。

「まぁ……村上、三宅が担当から外れてしまった事に気遣う気持ちは分かるけど──」

 コックピットに座っていた隼人が、下で待機している村上を見下ろし微笑む。

「分かっていますよ。それに──」

 六号機で懸命に、隼人のフランス基地後輩であるジャックと一緒に動き回っている三宅を、同じ日本人であり先輩である村上がフッと見つめる。
 六号機は、黒人パイロット『スミス』の機体だ。

「なんたって、スミスはコリンズ中佐に負けないほど、パワフルらしくって……三宅もやりがいがあるって言っていましたからね」
「そう、それぞれのパイロットの個性はあるけど、それもあった上で、機体の整備は平等だ」
「はい」

 隼人の笑顔に、村上も微笑み返してくる。

「さぁ……来たぞ」

『集合!』

 母艦内から、コリンズチームが現れ、デイブの威勢良いかけ声が甲板に響き渡る。
 それを確かめ、隼人を始めとしたサワムラメンテチームも今まで以上に、忙しく動き始める。

「よし。整備終了──。次は発進準備だ──!」
「ラジャー キャプテン!」

 メンバー達が元気良く、駆けだした。
 担当は、殆どは、隼人が最初に希望を取らずに位置決めしたままになっていた。
 ローテンションは組んでみたものの、やはり、皆、それを試してみて『どのパイロットも同じだ』と言う気持ちに、逆にチームメイト同士で固まったようだった。
 そんな意味では、メンバー同士の情報交換、皆のお互いの意識の一致、さらにキャプテンサワムラに対する気持ちも信頼へと固まりつつある。

 メンテチームは、ロベルトや源などの先輩チームのサポートが外れても、活気溢れるチームワークで順調に活動している。

「キャプテン!」
「ああ、デイビット──。後半機の監督、有り難う」
「いや、いや……俺が何を言わなくても、皆、良くやっているから問題ないよ」
「そっか……。じゃぁ──俺は今から、発進台に……」

 と、隼人がカタパルト台へと身を翻した時だった。

「キャプテン……」

 デイビットの引き留める声。

「なに?」

 隼人が笑顔で振り返ると、デイビットは暫く不安そうに隼人を見つめ……その後、すぐに彼も笑顔になり首を振った。

「いや……何も。えっと、後でいいよ……」
「……ああ、後でな」

 デイビットも、担当になった五号機であるフランシス大尉の機体誘導へと走っていった。
 隼人はその彼の背を、見つめる──。

「いい男だ──。思っていたより敏感で、繊細だ──」

 彼の言いたい事……。
 隼人の指に、短い間あった指輪がない事に気が付いたのだろう──。
 メンバー達も、何か気が付いて、皆で囁き合っているかもしれない。
 それでも、隼人が笑顔で平静に、キャプテンとメンテ業を務めているので、余計に心配しているのだろう。

「ウサギさんが俺に勧めてくれた男は……間違いなかったな。本当……」

 隼人はやや力無く微笑んだ。
 そう──ああいう男が側でチームを引っ張るパートナーとして存在している。
 それだけでも……葉月と一緒に駆け回った『結果』が、良い形で成されている。

 今の隼人は、それだけで充分だった。
 もう──隼人の決意も変わらないから……。

『一号機──、パイロット搭乗。誘導します!』

 隼人がカタパルト台に立つ為、村上はいつも一人でキャプテン機を誘導しなくてはならない。
 彼にはそれが任せられるから、彼を隼人の担当機パートナーに選んだ。

「よし! 発進準備開始──!」

 隼人の声で、デイブの機体が太陽の光の元、先端を輝かせながら海原に向かい始めていた──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 今日も、慣れてきたその『手順』で、晴天の空に一番手のデイブを送り出す。

『グッモーニン、サワムラ! 近頃、心地よいぜ♪ お前達に飛ばしてもらう事! このまま頑張れよ!』

 コックピットからそんなデイブの声。

「有り難うございます。キャプテンも、四回転、頑張ってくださいよ!」

 細川に気付かされてから後、デイブと葉月のコークスクリュー四回転は、徐々に息が合い、細川の指示も熱が入っていた。
 三回転までの成功率が高くなってきたこの頃。
 三回転でも充分な成功だと、誰もが言ってくれるそうだが、デイブと葉月は満足していない。

『勿論──。手応えはあるんだ。絶対、やったるで!』

 そんなデイブの日本語での返事に、隼人は『あ、関西弁ぽい?』と苦笑いをこぼしながら、彼の機体がカタパルトにセッティングされるのを待機。

「では、発進確認、入ります」
『ラジャー!』

「発進チェック開始──。こちらメンテ、発進準備完了。ビーストーム1、発進OK?」
「ビーストーム1! 発進準備OK!」

 スチームカタパルトの水蒸気が、フワッと太陽の中舞い上がり、ホーネットのエンジン音も高音で響き出す。

「ラジャー。こちらメンテ、発進OK──。管制、お願いします」
『ラジャー。こちら空母管制、上空障害無し、発進許可OK』
「ラジャー。こちらメンテ、発進許可OK。ビーストーム1、OK?」
「ビーストーム1! 発進OK!」

 デイブの元気良いいつもの返答──。
 その時だった。いつもなら、ここで間違いなくカタパルト発進の準備を知らせる『赤ランプ』がチカチカと早い点滅をし、青ランプで発進するのだが?

「?」

 急にカタパルトの蒸気の勢いがなくなったような感覚になりつつも、発進確認ランプを見ると──。
 隼人は眉をひそめ、目を凝らした。
 異常時を示す、ゆっくりとした点滅を、赤ランプ、青ランプ同時に示していたのだ。
 コンタクトをつけているので、間違いはないだろうと隼人は自信はあるが、滅多にない現象であったので、そのランプ機に近寄った。

『サワムラ?』

 手際よい毎度の発進誘導が中断された為、デイブの訝しい声が届く。

「こちら、メンテ。空母管制、応答願います」
『こちら、空母管制。何か?』
「カタパルトのランプに異常が──。システムのチェック、お願いします」
『ラジャー』

 暫く、管制室側との交信に沈黙が流れる。

『確かに。こちらも……急に? 警告ランプを確認。直ちに、システム再チェック、コントロール室へ空母整備員に確認に行かせます』
「お願いします──」

 管制室からの、慎重な返事。
 それにホッとしながらも、あまりない事に、隼人はふと嫌な予感がしていた。

『珍しいな……』

 スムーズに発進できず、勢いを削がれたかのように、デイブの不満そうな溜め息。

「申し訳ありません。キャプテン」
『いや、母艦の事は、母艦チームにお任せだからな。お前のせいじゃないよ』

 それでも、カタパルトのチェックも、機体整備前には必ず行う甲板フライトメンテ員の大事な仕事だ。

(おかしいな──。母艦整備員との確認も、カタパルト動作確認も行ったのに……)

 本日、この甲板にあがってきて、カタパルトをチェックした時は、異常はなかった。
 その時に異常がなければ、ほぼスムーズに進行できていたのだが?

『澤村──故障か?』

 細川からの静かな声に、隼人はドッキリ!
 細川ほど、作業が滞ると凄まじいほどに怒鳴りつける総監はいないから……。

「監督、申し訳ありません。ただいま、再チェック行っておりますので……」
『うむ』

 これで、故障で訓練中止なんてなると、母艦整備員の管轄であっても、訓練開始前にそのチェックを行った隼人が、正常であったと言っても、結果的に『怠った』という事になってしまうのだ。
 なので、隼人もやや気がせく。

「……管制。どうでしょうか?」
『今、整備員が向かいました。連絡待ちです』
「……はい」

 隼人は腕時計を眺める。
 いつも一分もずらさない気構えで、きっちりと空へと送り出すよう時間は意識していた。
 細かさには誰にも負けないロベルトが、そうしていたので、隼人も見習っていたのだ。

(……五分。ロス……)

 さすがに五分とずれると隼人も焦りが出てくる。
 特に、今、フライトチームは、式典へ向けての『仕上げ』の段階に入ってきていて、一分でも多く空を飛びたい所なのだ。
 その貴重な時間が過ぎていく……。

『こちら管制──。申し訳ない。整備員の返答がなかなか返ってきません。他の整備員を向かわせました』
「……」

 それほどの故障が起きたのだろうか?
 つい数十分前には、正常だったのに?

「デイビット!」

 隼人は、ヘッドセットマイクを頭から外し、カタパルト台から、サブキャプテンを呼んだ。
 デイビットも心配そうに駆け寄ってくる。

「キャプテン……おかしいね? 来た時は正常だったのに……」

 デイビットも毎日一緒に動作確認を手伝ってくれているから、一緒に確認した彼も、不安そうだった。

「悪い。俺……コントロール室を覗きに行ってみるから……。悪いけど、ここ……頼めるかな?」
「え!?」
「正常化したら、俺を待たずに、すぐにコリンズ中佐から送り出してくれ」

 隼人は立ち位置にデイビットを押した。

「でも──!」
「俺が訓練欠席をしたり、他の仕事で訓練に出られない時は、君が立つんだ。それに……した事ないわけでもないだろう?」
「ま……そうだけど」
「それがサブだ。頼むよ──。システムや簡単な電気経路なら、俺も確認できるから、空母整備員と一緒に様子を確かめてくるよ」
「解った。任せてくれ──」

 隼人の険しい表情にデイビットも自分の役割が身に沁みたらしく、確固たる顔になり、隼人の立ち位置に迷いなく立つ。

「じゃぁ……頼んだよ」
「ああ。キャプテンも……頼んだよ」

 デイビットに笑顔で見送られて、隼人は空母鑑内への入り口へと駆け足で向かう。

「澤村、自ら見に行くのか?」

 その入り口で、甲板全体を監視している細川が無表情に声をかけてきた。

「はい、すぐに原因を突き止めます。申し訳ありません。発進を滞らせてしまい……」
「早くしろ」
「ラジャー」

 短く淡泊な細川の指示。
 それが余計に隼人を急かす。
 いまならまだ、細川は許容範囲だが……いつ雷が落ちるかは定かでない。

「しっかり確認しておいで」
「はい」

 細川の隣にいた佐藤は、いつもの呑気な笑顔で、隼人の気持ちを和らげるように声をかけてくれる。
 隼人はそれに応える為にも、急いで鑑内に入り、下へと降りる鉄階段を駆け下りた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 鉄階段を駆け下りていると、白っぽいベージュの作業服を着ている空母整備員二名が前を駆け下りているのを確認。
 彼等が、コントロール室がある階に降り立とうとした時──。

「俺が行くから、任せてくれ! エンジン室からも数名、駆けつけていた!」

 帽子を目深に被っている栗毛の男性が、彼等にそう叫んだのだ。

「なんだ。ちゃんとエンジン室から駆けつけているじゃないか?」

 隼人の目の前を走っていた彼等が、憮然とした口調で立ち止まった。

「それほど時間がかかる異常なのかな?」

 追いついた隼人が英語で話しかけると、真っ赤なメンテナンス服を着込んでいる若中佐に、彼等がビクッと固まった。

「いえ……解りかねます、サワムラ中佐。私達も、こんな急に異常を示すなんて……おかしいですよね?」
「本当に。俺も、甲板にあがってチェックした時はなんともなかったよ」
「自らご確認へ?」
「ああ。既に駆けつけているみたいなのに時間がかかっているから、心配で。うん、ご苦労様──。先に行った彼等と確認するよ」
「はい。失礼します──」

 そこで二人の整備員は、首を傾げ、二重に駆けつけをしたはめになった事に小言を漏らしながら、階段を上がっていった。

 前へ向き直ると、先ほどの整備員が、コントロール室へと走っている背中が……。
 隼人も追いかけた──。

 

『ボス──。彼、やってきましたよ』

 コントロール室には、既にベージュの作業服を着ている男が二名。
 一人は黒髪の長身の男、もう一人は金髪の男。
 外を走っている栗毛の男『エド』から、そんな報告が飛び込んできた。

 その金髪の男が、コントロール室の配電盤の側で座りこんでいる。

「いよいよですね──」

 帽子のつばをキュッと深く被せたジュールは、入り口で『はったり』をかましては、この母艦の正しき整備員を追い返していた純一に笑いかける。 

「まったく。騒ぎにするなと言ったのに……訓練中断なんて、細川のおじさんに恨まれるなぁ?」
「今更なんですか?  訓練中にと言ったのはあなたですよ? もう!」
「あの子は賢いな……。後輩を信頼し、任せ……一分も無駄にしない指示はおりこうさんだ」
「彼の性格を考えての、私の予想……ビンゴだったでしょ?」
「ああ、お前も『おりこうさん』で、大助かりだ」
「ったく……人を子供扱いしないでくださいよっ」

 そこで、純一の表情が険しくなり、そして、彼も帽子のつばを、キュッと目深に被り始める。
 入り口で見守っているその位置から、エドと『彼』がやってくるのを確認できたのだと、ジュールも緊張が高まった。

「ジュール、あの子が来たら……正常に戻せ」
「……かしこまりました……」

 そうすれば、暫くは……彼が戻らなくても、甲板では『発進作業』で、メンテ員もパイロットも空へと飛び立つ為に、誰も彼の為に中断を考える事もないだろう──。

 ジュールがいじくった配線がその手元に……ちょっとコンセントを引っこ抜いたという感覚で、カタパルトシステムが警告を感知する程度の『いじくり』だったのだが……。

 エドがやっとコントロール室へと駆け込んできた。
 自分達が一番に駆けつけたという『偽り』を使い、他に駆けつけてくるだろう整備員を追い返す役はエドに任せ、そうして、このコントロール室は『黒猫』の占領下になっていた。

 そこへ、隼人が息を切らして駆け込んできた。

 

「どういった具合なのかな!?」

 隼人が駆け込むと、そこには三名の整備員が既に詰めているではないか?
 それほどの事なのかと、隼人は驚き、座りこんで配線を触っている姿勢をしている彼の側に駆け寄った。

「それが……原因?」
「ええ……」

 帽子を目深に被った金髪の男が、ニコリと微笑みかけてきた。
 しかし、隼人は彼が手にしている配線を見て、一瞬、息を止めた。

「ちょっと! まさか、それだけじゃないだろうね!? それだけなら、すぐに正常化、出来るじゃないか!? 他に異常が!?」

 彼の手元には、そこを外してもシステム全体に当たり障りはないが、そこが繋がっていないとカタパルトが動かない……そんな悪戯ともいうように、赤く太い配線を、引っこ抜いたような形で手にしていたのだ。

「いいえ、澤村中佐……。これだけですが?」
「なんだって? それ……早く繋げてくれ! まったく! 偶然に抜けていたとしても、それぐらい君達ならすぐに解っただろう?」

 気が焦っていた為に、隼人は、珍しく切り口上になっていた。
 すると、金髪のその彼が、ひざまずいた姿勢からニッコリと隼人を見上げたのだ。

「中佐──。『偶然』ではありませんよ。あなたがそんなに怒りっぽいとは残念です──」
「──!? なに?」

──バタン!──

 彼の微笑みを不審に感じたその瞬間──入り口の鉄ドアが閉められた。

「……?」

 隼人はさらに異様な空気を感じ、そこにいる三人の整備員を一人一人確認するように見渡した。
 しかし、三人とも、まるで顔を見られたくないように、作業制帽を目深に被っている。

「これで……訓練は開始されますでしょう……ご安心ください。サワムラキャプテン。“エド” 管制室に報告してくれ」
「ラジャー」

 微笑みかけてきた金髪の彼が、ヒョイッと片手間のように配線を元に戻した。
 そして──隼人が追ってきた栗毛の彼だけが、ヘッドセットマイクを手にしていて、鉄ドアの前にたたずんでいる。

『こちら、コントロール室。異常発見の上、正常化完了──。確認願います』

 栗毛の彼が、そう報告する。

『こちら管制。再度システムチェック中──』
『こちら、メンテ。システムチェック後、試運転チェックします』

 隼人のヘッドホンには、デイビットのそんな的確な応答が届いていてた。
 せっかくセッティングされたデイブの機体も、待機中にいったん発進位置から除けたようだ。
 それでホッとしたのだが……『それだけの事で、こんな時間を費やしたのは何故?』……そんな疑問もあったが、なんだか周りにいる彼等の様子に雰囲気が……何か異様な感じがしてしかたがない。

「……」

 鉄扉の前には、報告をすませた栗毛の彼が、そこを動く様子も見せずにたたずんでいる。
 そして、配線を直した金髪の彼も、そこを動いて、出て行く姿勢を見せない。
 さらに……隼人の目の前に、何もしている様子もうかがえなかった『背が高い黒髪の男』が、ゆったりと腕を組んで立ちはだかった。

「……長い事、気を揉ませたな? 澤村中佐。申し訳ない」

 彼は日本語で話しかけてくる。
 帽子のつばを、他の二人のように深く被っていたが、隼人より高い視線でありスッと黒い瞳と視線があった。

「……いや。正常化したなら、問題はないよ」
「いや、カタパルトの事じゃない」
「え?」

 そして、目の前の男がスッと帽子を取り去り、それをズボンの後ろのポケットにサッとしまい込んだ。

「“ウチのチビ”……二人が世話になっているだろう?」
「“ウチのチビ”?」
「そう、栗毛のチビだ──。小さくて手間がかかるだろう?」
「!」

 黒髪、細面の無精ひげの顔、そして……大きくて黒い瞳。
 静かで重い雰囲気の声が低い男──!

「……!」
──ガタッ──

 隼人はさらに驚き一歩後ろに後ずさった為、後ろの配電盤に背中がぶつかった!

 その男は、隼人と達也が垣間見てしまった『写真』の男と面影が一致したのだが……あまりにも重くて、静かに漂う大きな気を隼人は感じたのだ。
 それは想像していた彼よりも、想像以上に圧倒される雰囲気の男だった。
 それに今まで見てきた葉月の『優雅な兄達』とはまったく異なる雰囲気だ!

「じゅ、純一……さ……ん?」
「おや? 俺の『本名』をご存じだとは、これは光栄だね。話がしやすい──」

 茫然としている隼人に、悠然と微笑んだ彼……。

『管制。システム異常なし、正常化、確認──。メンテ、お願い致します』
『こちらメンテ──。試運転、開始します』

 隼人のヘッドホンにそんな外の声が聞こえてくる。
 だが、隼人は彼の眼差しに捉えられたように、その声は聞こえなかった。

『試運転OK。異常なし──。フライト発進、再開します』

 カタパルトは正常に戻った。
 その途端に、隼人の隣で、配電盤をいじくっていた彼がスッと立ち上がり、入り口に立ちはだかっている栗毛の彼の隣に一緒にたたずんだ。

 栗毛の彼は、静かに傍観する眼差しだが……金髪の彼はまるで隼人を真剣に試すかのような鋭く、冷気漂う眼差しを突き刺すように送ってくる!
 そこで隼人はやっと『ゾッ!』とした程だ。

『……キャプテン、サワムラキャプテン!?』

 メンテのチャンネルを使ってのデイビットが隼人を呼ぶ声──。

『先にビーストーム1。発進させますね! 早く戻ってきてください!』
「ボス、彼に早く戻ってきて欲しいとの、サブキャプテンからの交信です」
「!」

 デイビットの声に合わせ、入り口にいる栗毛の彼が、すかさず黒髪の彼にそんな報告──。

──『これが、黒猫!?』──

 ちょっとした隙間に平気な顔で入り込んで、こんな事を易々してしまう男達なのだと、隼人はやっと痛感した──!
 母艦に潜入しただけでも、隼人としては驚きなのだから!
 その上、カタパルトのコントロールをヒョイといじくって、通信法まで手にしているではないか!?

 そんな驚いている隼人に向かって、黒髪の彼が、スッと手を伸ばしてきた。
 彼が手を伸ばした先は、隼人が紺色のキャップの上につけているヘッドセットマイク。
 そこに、余計な声が通らないように、口元のマイクを頭の横に上げていたのだが、それをスッと指で隼人の口元まで降ろしてきたのだ。

 彼が顎でクイッと『何か言え』とばかりに促してくる。

『キャプテン、ビーストーム1。今、無事に発進。ビーストーム2、続けます!』

「次はオチビが行くな……これで完全に邪魔は入らない」
「……解った……」

 葉月の事を右京同様に『オチビ』という大きな黒い兄貴。
 隼人は頷いてから、深呼吸をした。

「デイビット、そのまま続けてくれ。俺は……整備員と一緒に他に異常がないか点検中だ。少し後で戻る」
『ラジャー! ビーストーム2、カタパルトに……誘・どぅ……』

 デイビットの通信がそこでいきなり途絶えた。

「……」

 黒髪の彼が、隼人の腰にある小型無線機とヘッドセットマイクを繋げる黒い線を引っこ抜いてしまっていた。
 暫く、彼との間に沈黙が漂っていた。
 彼が何かを待っているかのように、隼人には見える。

「ボス──。お嬢様……只今、出発しました」

 また栗毛の彼の静かな報告。
 今、ウサギが……栗毛のオチビが空へと行ってしまった。

「これで、俺達二人だ──」
「そうだな──」

 もう、隼人に驚きも恐怖も失せていた。
 そこに二人の黒髪の男が、眼差しを合わせて向き合う。

 彼の部下らしき二人が、入り口で見守る。

 コントロール室は、心なしか、いつも以上に熱く感じていた。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 その頃──陸にいるこちらの一行も慌ただしく動き始めていた。
 そこは、陸訓練棟近くにある、とある『特殊班室』。

「先日、予告していた、四中隊大佐嬢を付け狙っている不審人物の事だが──」

 その班室では、紺色の潜入服を着込んだ隊員が三名──彼の話に耳を傾けながら、まるで戦闘に出で立つような身支度を黙々とこなしていた。
 その彼等と共に、話をしている栗毛の彼も、紺色の潜入服の上に黒色のナイロン製のベストジャケットを着込み、ポケットや腰に、各専用機材を取り付けている所。

「俺が数日前から母艦内の各通路に施していた『トラップセンサー』にかかった。まだ、脱出はしていない模様だ」
「イエッサー。それで? ホプキンス中佐。彼等を捕らえるのですか?」

 リーダー格である黒髪のアメリカ人隊員が、意気揚々とした身支度をしながらも、楽しそうに微笑んだ。

「いや──。今回は『泳がせる』──」
『泳がせる?』

 三名共に、首を傾げる。

 リッキーと共にいる隊員は、その黒髪の男性を入れて三名だが、皆、アメリカ人隊員。
 彼等は、連隊長直下に属する『厳選された隊員』で、正式な所属は、連隊長室にあるが、他の一般隊員達には曖昧になる部署名を名乗るようにしている『秘密実行隊員』である。
 葉月ぐらいの大佐や中隊長クラスでも知り得ない存在だった。
 なので、この特殊班室は、日頃は空っぽで誰も詰めていない。
 彼等には、外への任務補助員で出張として出したり、副業の様に臨時教官をさせたりしていて、いざというときの『集合場所』が、この特殊班室だった。
 ここはリッキーが管理している。

「絶対に、敵につけている事を悟られるな。彼等は数週間前から小笠原近辺をうろついているようだが、アジトが不明だ」
「解った。今回は、そのアジトが最終目標ですね?」
「そうだ──。まずは母艦内で何をしているか解らないが、今、丁度、大佐嬢が甲板にでている。何かを狙っているはずだ──」
「──女の大佐故に……狙われて?」
「──目的は不明だ。だが……いずれ大佐嬢にもこういう事が起こりうるだろうとは思っていたからな」
「なるほど──」

 彼等はロイには忠実で、完璧な秘密主義の中で上手く隊員生活をこなせるエリート中のエリートだ。
 そのロイからリッキーに下った『秘密任務』。
 それも珍しくも『我が管轄内、小笠原』で──。
 しかし、彼等はリッキーの名目にすんなり納得したようだ。

「母艦に行くまでの名目は……『特別警備』だ。いいな……口裏を合わせてくれ」
『イエッサー!』
「では、いくぞ──」
『イエッサー!』

 リッキーを含めた四名は、急ぐように外に飛び出す。
 そこへロイが水沢少佐を供にして現れた。

「ぬかりなく頼むぞ。不逞な輩なので、確実に排除しておきたい。君達の腕にかかっている」
『イエッサー!』

 連隊長直々の『お見送り』に、リッキー以外の三名は、規律正しく凛々しい敬礼を胸を張ってロイに向けた。

「リッキー。今回は穏便にな……」
「解っている。『しっぽ』は掴む程度の心つもりだからね──」

 すれ違いざまに、二人が交わす会話。
 リッキーの表情に、いつもの笑顔はない。
 彼が戦闘員と化すれば、あまり見る事のない冷酷な表情に変化する。
 彼が本気になっている顔を確かめて、ロイは安堵し、走っていく『部下達』を見送った。

(葉月を見に来たのか、接触を試みたのかは定かでないが、それにしては妙だな──もしや?)

 葉月の飛行時間を狙って来た所が……腑に落ちない。
 葉月が誰の目にも触れている時間帯でもあり、空へと単独で出ているとしても、誰かれと近づけない『上空』だ。
 なのに──? ロイのもうひとつの予想が当たっているとしたら?

『葉月でなければ、隼人だ。リッキー、その場合はすぐに助け出してくれ』
『了解──』

 リッキーにだけ、そこも気をつけるように念は押していたから、大丈夫だろうとロイは思うのだが……どうも嫌な予感がする。

(純一。まさか、そこまでの男でない事、そこまで取り乱していない事を俺は信じるぞ)

 勿論──そんな男でもなく、その程度の男ではないと、ロイは『いけすかない悪友』の事を信じてはいるが……。
 たとえ、手にかけなくても……『脅す』なんて事をして、隼人側に精神的ダメージを与えるかもしれない。
 そんな事をするならば、ロイは隼人の味方として許せない所だ。

 ロイも右京からの報告で、隼人が葉月を思っての意外な『別居宣言』を聞かされ、また……感極まったほどだ。

『その隼人の思いが……純一を考え直させる事を祈る』

 どれだけ義妹を大切に想っている男が側にいるか……。
 それを知って、純一が何かを悟る事をロイは祈る。

 それは、あまりにも痛々しい隼人の為でもあり──。
 それは、長年暗路を彷徨っている友人の為の……『祈り』でもあった。

 

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