四中隊本部に隣接している『四中隊会議室』。
そこには長机にパイプ椅子が並べられ、ブラインドの窓の側……壁際にテレビビデオが設置されている。
ビデオを手にして、会議室へと向かおうとしたところ、ランチを終えたデイブが五中隊本部から四中隊本部大佐室へと訪ねてきた。
そこで葉月とデイブは真剣な面もちにて、無言で頷き合い隣の会議室へと来たのだった。
「じゃぁ……セットしますね」
そこには隼人も参加させてもらったのだ。
これは隼人から言い出した。
『あの……宜しければ、私も参加させてください。私はパイロットではありませんが。もしかすると第三者の客観的な視点も必要かと思いますし……』
遠慮がちに申し込んだ所、やはり葉月とデイブは戸惑ったように顔を見合わせた。
しかし、デイブと葉月も揃って『それもそうだ』と言う考えにて同行を許してくれたのだ。
隼人がビデオカセットをセットし、デイブと葉月がテレビ前にパイプ椅子を広げて座る。
「ああ、これですね」
リモコンを手にして、隼人はサッと二人のパイロットの背後へと移動する。
ビデオの内容は、勿論……二人の課題である『基礎のコークスクリュー』。
それを見直しの題材として細川に提示された為……二人とも無言でいつもの騒々しさもうかがえない。
それほどの真剣さで流れ始めた画像に釘付け……食い入るように見入っている。
「数年前の第一中隊のショー映像だな」
「ダッシュパンサーのウォーカーキャプテンね」
「そうだな──」
──ゴーゥウ……──
テレビから流れてくる戦闘機の飛行音──。
真っ青な空に、小笠原の滑走路。
祭典とあって、見物客で埋め尽くされている滑走路フェンス周辺の光景。
それが映し出されていた。
ウォーカーのコークスクリュー演技も二回転。
アッという間に終わってしまった。
「巻き戻しますね」
無言で考え込んでいる二人を眺めつつ、隼人はリモコンをテレビに向け、画像がそのまま残っている状態で、巻き戻しを始める。
ちょっと巻き戻して、すぐに再生にする。
また──コークスクリューが始まった。
「なんだか、違うわね」
「……」
葉月が眉をひそめている隣で、デイブが唸り始めた。
二人揃って『違和感』を感じ始めたようだ。
「あ!」
隼人がそう声をあげると、葉月とデイブが揃って背後に振り返った!
「判った! ──もしかして!!」
表情が固まった隼人を、葉月が見上げる。
そして、デイブは隼人から悔しそうにリモコンを奪い取った!
「俺も……判った。判ったが……」
そして何故かデイブは頭を抱えてしまったのだ──。
「隼人さん──。もう一度、見せて!」
まだ、自分一人だけが判らない為、葉月は隼人に食ってかかるようにリプレイをせかした。
デイブからリモコンを返してもらい……もう一度、再生する。
──ゴーゥ……──
「もう一度、お願い!」
「分かった……」
画面ではほんの十数秒の演技が繰り返される。
葉月は食い入るように画面に釘付けだった。
まだ気が付けないようだが、隼人とデイブは辛抱強くそれを見守る。
「……!」
やっと葉月の顔色が変わった。
「私も、分かったわ……」
デイブは気が付いたときに、頭を抱えたが……葉月はユラリ……と、椅子から立ち上がって、その後の演技へと移った映像を茫然と眺めている。
「私が、ダメなんだわ……」
細川に言われた言葉、そのまま……葉月は受け止められたようだ。
デイブは足を組み直して、さらに考え込んでいるようだった。
隼人が気が付いたのは、『飛行絵図』を大佐室などで見ていたからだった。
もしかすると、甲板に出てメンテをしていたら気が付かなかったかもしれない。
はっきりと『ショーの観覧者』というような位置、陸で彼女等の訓練を眺めていたから、違いがハッキリ判ったのだと思う。
隼人が大佐室で見ていた二人の演技。
特徴がある。
一番最初に、葉月が直線噴煙を描く──それを軸にしてデイブが回る。この二点が印象的──。
しかし、ウォーカーキャプテンの演技ではそうでは無かったのだ!
一度だけしか見なかったならば、気が付かないかもしれないが?
直線が出来た後に、軸に回転ではなかった。
軸機、回転機が同時に上昇していたのだ!
デイブと葉月の場合は、『軸を決めてしまう』やり方。
ウォーカー中佐の場合は、軸は決まっていない。
つまり……回転機が回転しコイルが巻かれる寸前に、軸機がその輪をくぐって通り抜ける。
それも絶妙なタイミングで、先に軸が進んでいるように見える。
二機は常に同じような『高度』に位置しながら、一緒に上昇する。
葉月の場合は、デイブを置いて先に上昇してしまう。
葉月が『主軸』を指定し、デイブがそれを基準に回る。
しかし、『基本ビデオ』では、回転機の軌道と位置の方が、実は『主軸』になるようだ!
それに……三人はやっと気が付いたのだ!
「俺は……嬢には真っ直ぐに飛んでくれたら、楽だろうと思って……」
『葉月を信じていない』──という細川のその言葉の意味も、デイブも解った様子。
彼も葉月と同じく、自分がいけなかった点を見いだした為に力無くうなだれていた。
「でも!」
そんな中、葉月が瞳を輝かせて拳を握った。
「私の軸を基準に回ることが辛いのなら、デイブ中佐の回転を軸に飛ぶ方が楽なら──!」
独り言のように呟き、急に息巻く葉月は、サッと座っているデイブに向き直る──!
「デイブ中佐! それなら四回転、出来るでしょう!?」
「え? た、たぶん……軸が決まっていないなら……」
葉月はデイブに攻め込むような迫力ある眼差しで詰め寄っていく。
「中佐の回転に合わせて、私が直線を同時に描きながら上昇すれば良いのでしょう!?」
「そ、そうだが……それはお前にも負担が……」
デイブは葉月にはなるべく『負担はかけたくない』のか、尻込みしている。
「中佐──!」
だが、葉月はものすごい剣幕で、座っているデイブに詰め寄ろうとしていた。
「細川中将が仰っていた事を覚えているの!?」
「……」
詰め寄る葉月に、デイブが腕を組みながら黙り込んだ。
じれったそうに葉月がまた憤るように突っ込んでくる──!
「私が一番なっていないって! 当然だわ。私はただ直線を描いていただけ! きっとウォーカー中佐は、影で笑っていたことでしょうね!」
「……だろうな」
ぶっきらぼうにデイブが小さく答える。
「ただ飛んでいる私が描いた軸に合わせて四回転なんてバカみたいじゃない!?」
葉月の『バカ』呼ばわりに、演技をリードしてきたデイブがムッとした表情を浮かべる。
「……はっきりいって、ビデオで見た二機同時上昇の方が危険だ。二回転ならまだしも、四回転だと距離感を縮めないと観客視点の枠に収まらなくなるし、スレスレのタイミングを要する上に、俺と嬢の機体がニアミス衝突する可能性もある」
「デイブ中佐の……バカ!」
今度は思い切り先輩にたきつけた葉月の『バカ』呼びに、隼人すらおののいてしまった。
「おい、それは言い過ぎだろ!? 葉月!」
いつものデイブにお構いなしの『生意気』を、隼人が仲裁すると、葉月がキッと隼人を鋭く睨んでくる。
だが、葉月は隼人をそこで黙らせて、直ぐにデイブに向かった。
「私には無理だと言いたいの?」
「そうはいっていない。負担になると言っているんだ、それに危険だ」
「──らしくないわね」
「……」
葉月は、デイブを軽視する眼差しで見上げている。
デイブもデイブで、そんな葉月の視線にはムキにならずに黙り込んでいるだけ。
暫く、沈黙が漂った。
葉月はデイブをジッと鋭く見下ろし、デイブはそれをはね除けるように視線を逸らしている。
「ああそうなの? 私が『女』で急に可愛くなっちゃったのね!」
「なんだと?」
「そうじゃないの! いつものキャプテンなら、『危険でも一緒にやってくれ』と、私が嫌がっても巻き込むくせに──!」
「──!」
葉月のその言葉に、デイブがふと気付いたように表情を固めた……。
葉月の『可愛くなっちゃった』……。
その表現の裏には『女としてコックピットを降ろされる事を知った』から、それを承知して引退するデイブに当てつけている表現だと隼人には思えた一言だ。
「なによ! 皆で、急に女扱いってわけ? せっかくここまで解ったのに。じゃぁ? なんて細川中将に報告をすればよいの? 女の嬢ちゃんには危険だと解ったので、却下してくれというの!?」
「黙れ!」
まくしたてる葉月の正面に、デイブがザッと立ち上がった!
しかも! 向き合う葉月の襟首を『ガッ!』と掴みあげたのだ!
葉月のつま先がクイッと床から浮きそうになった──。
「ちょ、ちょっと待って下さいよ!」
自分より小柄な女性を構うことなく掴みあげるデイブ。
そして、そんな男性の力に怯まない葉月。
そんな異様な雰囲気に驚いて、隼人が間に入ろうとすると。
「お前は黙っていろ」
デイブが静かに隼人を制した。
言葉は静かだったが、彼のアクアマリン色の青い瞳は燃えていたのだ。
隼人もヒヤッとして、スッと退く。
「嬢、誰が女だって? そんな事で俺がお前に手を抜くと思っているのか?」
「だったら……私を一人のパイロットとして、信じてくれていないという中将の言葉は正解ね」
葉月もまったく退かない眼差しだ。
「嬢、お前。コークスクリューは初めてだろ?」
「ええ、ええ。初めてよ? だから、こんな基礎も見落として、自分のイメージだけで飛んでいたんだわ! ベテランの先輩達は笑っていたでしょうね!」
「二回転なら、ウォーカーで正解だ。だが、四回転で同時上昇は危険は元より、俺達の息も合っていなくてはならないし、細かな技術が必要だ。タッククロスのように一瞬のタイミング合わせじゃない。四回転、十数秒の間に、四回全てのタイミングが必要となる」
「私に出来ないと?」
すると、デイブはなんだか苦い顔で葉月の襟元を離して、俯いた。
「基礎を見落としていた俺が一番悪い。嬢にその指導が出来なかったわけだから、お前はなにも悪くはない」
「……デイブ中佐」
今日までの『出来ない結果』は全てリード側である自分にある。
そう認めたデイブの姿に、葉月も急にしおらしく彼を見上げる。
「……基礎が頭になかった訳でもない。だが、やると決めた時から、基礎など念頭にはまったく入れていなかった。それに……嬢はコークスクリューは初めてだ。だから……容易な『方法』を取った。それは俺にかなりの負担になる。それでも構わない方法を取ったんだ。俺だけでも出来ると思ったからだ……」
基礎は頭にあったが、念頭にはいれずに真っ直ぐに、自分だけの『対策』で貫き通そうとした。
そして、デイブは悔しそうにうなだれた。
「……しかし、出来ない。まだ上手く出来ない……」
「……デイブ中佐」
「……キャプテン」
葉月と隼人は揃って顔を見合わせて、苦々しく不出来を噛みしめているデイブを見つめる。
デイブとしては『自信』があっただけで、葉月を信じていないなんて事は心外なのだろう。
そして、やりづらい方法を……自分に負担がかかる方法で成功すれば、それはそれで、コリンズパイロットの技術は定評高くなるだろう……。
だが……出来なかった。
「あの……」
隼人は、黙り込んだパイロット二人の間に、静かに言葉を滑り込ませた。
デイブと葉月が……これまたどうしようもない情けない顔で隼人に向く。
「勿論、キャプテンに負担がかかる今の方法で成功すれば、中佐の成功は誉れるでしょう。それが……キャプテンが満足したい形なのですか?」
「……まさか! 俺は確かに自分に負担がかかったとしても……誉れるなら一緒にやってくれた嬢も一緒に誉れないと嬉しくも何ともない!」
「大佐は?」
今度は葉月に隼人は問うてみる。
「たとえ、自分がただ『バカみたい』に簡単技術のみで、真っ直ぐ飛んだだけだとしても、コリンズ中佐だけが誉れる事は許せないのかな?」
「え?」
今度はデイブと同じ状況で、彼女側の心情を問いかけてみる。
葉月はちょっと間を置いて、静かに眼差しを伏せた。
「……ごめんなさい」
何故か、急にしおらしく詫びるので、隼人もデイブすらも、何事かと葉月をただ茫然と見下ろしてみる。
「……カッとなっちゃって……」
我に返った様に、葉月は額の栗毛をかき上げて……恥ずかしそうに俯いた。そして──。
「バカみたいに簡単に真っ直ぐ飛ぶだけでも……。私はそれが中佐の成功なら、それでいいと思っているわ。だから……今回だって、中佐の指示に従って、中佐の成功のためにしてきたつもりよ」
「……嬢、俺だってお前を選んだのは……お前だからこそで」
「そうよね。真っ直ぐ上昇するだけなら、誰だって良いはずだものね」
いつもの穏やかな顔が、やっと葉月からこぼれる。
「私、中佐だけが誉れても全然、構わない。そう思っているわよ」
「嬢……」
「だけど……これが『最後』なんだもの。ダメでも、私の技術が不安定でも、そのレベルに達していなくても……やってみる価値はあると思うの。一度やって、キャプテンがダメだと判断すれば、私はこの演技から降ろされてもいいわ。それに、デイブ中佐の今のやり方が『負担大』であって……。もし、デイブ中佐が同時上昇の負担二分を許してくれるなら……。私、成功のために頑張ることだって当たり前だと思っているわ!」
──『信じてほしい。やらせて欲しい。負担は二分にしよう。成功したいから──!』──
葉月はそう言っているのだ。
すると、デイブは一時面食らった顔をしたかと思うと、呆れたような溜息を落とした。
「今日までのような、飛ぶだけじゃなくなるぞ」
「解っています」
「俺、そうなったらお前にとことん頼るぞ」
「お願いします」
「めちゃくちゃ厳しく押しつけるぞ」
「はい……」
「勘の良さは、お前はメンバーの中で一番だ。出来ると信じるよ」
「はい!」
パイロット師弟が、穏やかに日差しの中微笑み合う。
隼人もホッと一息。
「では……決まりですね」
見つめ合う二人の間に、隼人は静かに入ってみる。
「ええ」
「ああ」
二人が握手をするように手を取り合った。
「明日から、新たな課題に挑戦ですね」
隼人の笑顔に、二人もそっと笑顔で頷いた。
デイブが差し伸べた指先に、葉月が握り返した小さな両手。
そこには今朝、付けたばかりの銀色のリングが日差しに輝いていた。
「……」
デイブがそれにやっと気が付いたようだった。
「嬢……これは……」
「え?」
「いや、なんでもない」
気が付かない振りで、彼はそっと微笑み、葉月の手を離した。
そしてデイブは隼人の左手にも気が付いたようだった。
「……」
隼人も素知らぬ振りをした。
だけど、そこには優しく微笑む先輩が笑顔だけで祝福していくれているのが伝わってくる。
「さってと。俺も本部の管理が忙しいからこれで。じゃ、ミーティングで、その方向で報告しようぜっ!」
「はい、キャプテン」
デイブはいつもの元気の良さで、快活に敬礼をして四中隊会議室を出ていった。
「中将が言いたいところに気が付いて良かったけど……大変だな。頑張れよ──」
「うん!」
満足をした葉月は、拳を握って、もう……やる気満々のようだった。
(コリンズ中佐も葉月も……『最後の仕事』とはあまり触れ合わなかったな……)
会議室を元気いっぱいに出ようとしている葉月の背を眺めながら、隼人はそう思った。
二人の事──。
今ここで『しんみりじめじめ』よりも、まず『最後の成功』が先行なのだろう。
きっとお別れの涙に語り合いは、それが成功してからじっくりなのだろう……。
隼人も、そうすることにする。
今は、目の前のやるべき事を成功させることが大事なのだ……と、いつも通りの姿で通す二人を見てそう思ったのだ。
☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆
その日の夕方──。
空軍ミーティングに葉月が出かけて行ってから、隼人はやっぱり落ち着かない。
「なんだって? 葉月が今回の目玉演技で相当もめているみたいだけど?」
午後、陸の射撃訓練指導に駆り出されていた達也が、葉月と入れ替わりで帰ってきていた。
ジョイから聞いたのだろう?
達也は空軍の事でも知りたがるし、葉月の身に起きている事は見逃さまいとしているのだ。
制服に着替えた達也の席から、あの『サムライ』の香りがムンムンと新鮮に香ってくる。
「ああ、でも……細川中将の『忠告・助言』で良い方向を掴んだみたいで」
細川は葉月の飛行技術を、デイブの無茶なチャレンジを担えると認めてくれるのか……?
心配しつつも隼人は、そこはシラっとパソコンに向かいながら流した。
「あーあ。面白くねぇ」
すると、達也はふてくされたようにデスクに座り込む。
隼人がフッと、ノートパソコンのモニターから向かい側の席を覗き込むと、かなり不機嫌な様子で、達也はマウスを握って事務作業を始めていた。
「なにか? 空軍の事で不満な事でも?」
隼人は直ぐにモニターに向き合って、さらに素知らぬ振りで淡々と尋ねてみる。
達也は、そうでなくても『葉月』の事になると、専門外なのに空部の事など何でも把握したがり知りたがる。
その傾向は、ここ一ヶ月で、隼人も強く感じるようになっていた。
隼人が淡泊に教えると、達也はまるで仲間外れにでもされたかのように、この様に不機嫌になったりするのだ。
そんな素直すぎるとも言える少年っぽい達也の感情表現を、いちいち気にして相手にする気はまったくなく……隼人はいつだってこうして淡泊にしている。
そして、達也もそんな隼人にいちいち突っかかってこないが、暫くは不機嫌だ。
しかし、いつもなら……すぐにご機嫌は直る。
そこは付き合いやすい点でもある。
なのに──。
「本部事務室で、『噂』になっている事を俺が知らないとでも?」
達也もモニターを見ながら……でも、刺々しく言い放ってきた。
「──噂? なんの事だよ?」
「ったく。俺の目を誤魔化そうとしたって無駄だからな! 変に隠されたりする方が腹が立つ。それに……俺に妙な気遣いをされるのも腹が立つ!」
いつになく突っかかってくる達也に……隼人はやっとモニターから視線を外し、マウスを動かしていた手も止めた。
そして……向かい側の達也を見つめる。
「何を怒っているんだよ?」
「……気が付かないなら、いいよ!」
そうは言いつつも、モニターに隠れてしまっている達也の声は、『いいよ!』などと割り切っている様な口調ではない。
「そっちこそ、気に入らないことがあるならハッキリ言ったらどうだよ!?」
「だから……もう、しらねーよ!」
そんな達也のいつも以上の拗ね方に、隼人は眉をひそめる。
「……」
暫く、隼人は間を置いて、マウスをカチカチと動かして隠れている達也を見つめる。
そして……もう一度問いただす。
「達也が気にしている本部事務所の噂って何?」
『原因』はそこにあるようなので、今度はやや柔らかめな問いただしにて尋ねてみる。
「……」
達也はムッスリとした様子で、反応もしなくなった。
「なんだよ……さっぱり解らないなぁー」
途方に暮れた隼人は無視する達也に諦めを付け、再度、業務に戻る。
暫く……お互いのマウスの音とキーボードの音が大佐室に響いたのだが……やはり達也である。
我慢が出来なくなったようで、またもや癇癪を起こしたように、マウスをバチンと叩き付けたのだ。
もう……隼人も限界だ!
隼人はゆっくりと椅子から立ち上がる。
すると、達也も同じように立ち上がっていたのだ。
「おい、言いたいことはハッキリ言えよ」
深々と溜息をつきながら、静かに言い放つ隼人。
「ああ、言ってやる! 俺とフェアにと言っておいて、こっそり気遣っているのが気に入らない!」
デスクに両手をバンと激しく叩いて、達也は詰め寄ってくる。
「──!」
やっと気が付いた!
達也の視線は、隼人の左手へと向かっていたから!
「ああ……これか」
隼人としては、今の段階ではいちいち言う事ではないと思っていたが、『結婚』についてはいずれは……と、考えてはいた。
達也もその時までは『見ぬ振り』をしてくれるぐらいにしか思っていなかったのだが……。
(結構、敏感だな……)
ちょっと意外な敏感さで、隼人は唸ってしまった。
「今朝の朝礼。葉月の指に指輪があると気が付いた本部員が結構いたらしいぜ」
むくれている達也が、ジッと視線だけで隼人に訴えてくる。
「しかも、兄さんの指にまであって──朝礼後、瞬く間に『噂』になったようで?」
「ふーん。言いたい奴、好きなように想像したい奴の勝手にさせておけよ」
いつもの調子で、シラッと構えている隼人がデスクに座り直すと、達也はまたもや納得できないように隼人を睨んでくる!
「──それ。まさか……プロポーズしたんじゃぁないだろうなぁ?」
「ただの横浜帰省の土産のつもり」
「へぇ? 葉月が日頃、アクセサリーはピアス以外は付けない女なのに、葉月が『欲しがった』とも思えないな! それに──。葉月がいないところで、内緒で購入したとしたら? 急に、葉月に対して『印』でも付けたくなったのか? 『彼氏』として。それとも……!?」
「……」
隼人は内心、『むむむ』と唸っていた。
達也は日頃、天真爛漫で細かいことは気にしなく、こざっぱりしているのだが?
なんだか『葉月』となると、結構、しつこいのだから──。
しかし……彼が言うところの『遠慮は無し! フェアに正直に言え!』は……隼人も避けたくない所であって、堂々としていたい所だった。
だから、その達也の『尋問』の様な詰め寄りに、どうも逃げ場がなくなっていく感覚。
(いつかは……言うんだ)
腹をくくった……。
「ああ、そうだよ。申し込んだ……」
申し込んだの部分は小さな声になってしまっていた。
「マジ!?」
しかし、達也はバッチリ聞こえた様で過剰な反応を示す。
「じゃぁ? じゃぁ!? 葉月が指にはめているって事は!?」
「……」
隼人はそんな達也の反応が『直視』出来ずに、キーボードを打ち込みながら俯いてしまう。
「フェアなら、今起きている状態を教えろよ!! 俺にとっても重大なことなんだ!」
騒ぎ立てる達也に豪を煮やして、隼人は再度、立ち上がった。
「ああ! 受けてくれたよ!」
破れかぶれでライバルに、報告したのに……すると──。
「そうなんだっ……! そうなると思った!」
──彼は驚きつつも、なんだか爽やかな顔をしているではないか!?
「!?」
隼人は拍子抜けで、しかも目が点になりそうになった。
「そうなら、そうなったと早く報告してくれよ!」
「ええっと……」
それほど、ガッカリするわけでもない達也に、隼人の方が戸惑っていた。
「俺のこと、まだ解っていないな……。兄さんは──」
「え? 解っていないって?」
腕を組んで、逆に呆れているのは達也の方で、隼人は益々戸惑いを見せてしまう。
その時……。
「ただいま」
葉月がミーティングから帰ってきた!
「お、お帰り……。どうだったかな?」
達也とも気になる話をしている最中だが、隼人はこちらも気になる。
「ふふ……」
しかし、葉月は意味深な微笑みを浮かべたのだ。
「明日の訓練を見て下さいとだけ、中将に報告したのよ」
不敵な笑顔で、葉月はなんだか余裕だった。
「へぇ……。それで? 細川中将は?」
『報告』という指示だったのに、明日の訓練で換えさせていただくと言われて怒らなかったのかと、隼人はちょっとハラハラ……。
「うん……いつも通り、呆れていたけど? じゃぁ、明日、見定めてやるとそれだけ……」
「そっか……」
「後で、キャプテンとタイミング合わせのイメージトレーニングするの」
「そうか」
こちらは、とりあえずホッとした。
空部二人の会話に、割り込むように、あからさまな深い溜息を達也がつく。
「……? どうしたの?」
側近が二人、向き合って立ち上がっている異様さに、葉月がやっと気が付いた。
「別に、ちょっと──」
隼人は苦笑いで誤魔化そうとしたのだが……。
「葉月!」
「な、なに?」
達也は葉月に向かってなんだか真剣な面もちで食らいついてきた。
「俺、お前に『プロポーズ』する!」
「は!?」
ビシッと指で指された葉月は、当然、面食らって固まってしまった。
隼人も額を押さえて、うなだれる。
「その指輪、俺が気が付かないとでも!? 兄さんから聞いたぞ!」
「え……?」
途端に葉月は、頬を染め……隼人をうかがってくる。
葉月も『いつ、達也に知らせたら良いの?』なんて事は口にはしなかったが、頭にはあって迷っていただろう事は隼人にも解っている。
それを隼人と『どうする?』と、話し合わないうちに達也に知られてしまった事で、どうして良いのか解らないと言う、困ったような反応である。
その上……達也は張り合うように『プロポーズ』と来たのだ!
しかし──。
「言っておくが、俺の場合は『結婚』云々のプロポーズじゃない!」
「は?」
隼人と葉月は、ハキハキと言い放つ達也の宣言に、そろって眉をひそめた。
「葉月──。その……おめでとう」
なのに、今度、達也は急にしおらしく葉月を素直に祝福する一言を告げる。
「……」
さらに、葉月は戸惑ったまま……達也を見つめているだけ。
「お前は……それで良いと思うよ。俺は……」
「ありがとう……」
ちょっとばかり寂しそうな顔、達也の素直な部分がそのまま顔に出ていた。
初めて……彼女の結婚を知って、それらしい顔をしたのだ。
隼人も、黙って眺めるだけ……。
「でも……俺のこと、忘れないで欲しい」
「……でも……」
ライバルの前で、堂々と自分の気持ちを伝える達也に……正直、隼人は衝撃を受けた──。
そして勿論、他の男との結婚を決心した彼女に、さらなる告白をする達也に、葉月は困った顔。
「お前は自分の素直な気持ちのまま、真っ直ぐでいいから……。俺のことなど、気にしなくても良い……。だけど──!」
達也が拳をギュッと握って……表情も切なそうだが、とても熱のこもった真剣な顔に固まる。
「だけど……。どんなお前がいても、俺……ずっと絶対、側にいるって忘れないでくれ」
「……達也」
その達也の『決めた愛の形』にも──隼人はショックだった!
「俺……兄さんごと、お前をずっと見守るって決めたから、帰ってきたんだ。それだけ……知っておいてくれたら、それでいい……」
「でも……」
葉月としては、どう受け止めて良いのか解らないに決まっている。
だけど──『私は応えられないから、忘れて』なんて言葉も絶対に言えないだろう。
毎日、顔を合わせているし、何より……フロリダから連れ戻したのは、他ならぬ『隼人と葉月』であるのだから……。
「それだけでいいんだ。これが俺のプロポーズかな?」
ニコリと微笑んだ達也は……最後にはいつものちょっとおちゃらけ気味な口調で、軽く笑いながらデスクに座り込んだ。
「……ありがと」
葉月も、頬を染めながら、小さな声で一言だけ。
「つまり、俺ってそういう心積もりだから、『達也が気にする落ち込むだろう、困ったな』なんて扱いはやめてほしいって事。これで、兄さんもすっきりだろう?」
達也は、今度は……隼人をチラリとデスクから見つめる。
「そうか、達也がそう決めているならね……有り難う」
隼人は……彼に敬意を込めた満面の笑みで応えていた。
(それでこそ──。俺のライバル)
そう受け止めることが……ショックではあったが自然に出来た。
隼人も不思議な感覚だったが……ショックを与えるほどの、男……。
だから……ライバル。
隼人もそっと微笑みながら、デスクに落ちつく。
だが……葉月はまだ茫然としていた。
「ええっと……そのー」
額の栗毛をかき上げて……なんとも困ったまま、葉月は戸惑い続けている。
「ええっと……ちょっと、行ってきます……」
今、帰ってきたばかりなのに……葉月は頬を染めたままスッと大佐室を出ていってしまった。
「あはは! 逃げたぞ!」
隼人が笑い声をあげると──。
「あはは〜! ちょーっと葉月には刺激強すぎたか!」
達也も同じように笑い始める。
「ホント、ホント! 見たかよ? 今のどうしようもない顔!」
お腹を抱えて、隼人も椅子の上で笑い転げる。
「見た見た! 顔を真っ赤にしてさ? だから、やっぱり『お嬢ちゃん』なんだよな! アイツ♪」
葉月をからかっている訳ではないが、そんな彼女は見ていて面白い。
二人の男は、一緒に笑い転げていた。
「ねぇ、ねぇ? どうしたのかな? お嬢が耳まで真っ赤にして慌てて出ていったけど!」
笑い転げていると、ジョイが不思議そうに大佐室を覗き込みにやって来た。
「あはは! ジョイにまでばれちゃうほど……」
「真っ赤になって出ていったんだ! あの葉月がなぁ!」
隼人と達也の息のあった会話、そして笑い声にジョイは訝しそうに首を傾げるだけ……。
「はぁ……」
そして……火照る頬を冷ますかのように、逃げてしまった葉月は……四中隊棟の屋上に出てきていた……。
勤務中で誰もいない四中隊の屋上。
階段を上がりきった扉の側には、ベンチが一つ。
そこにグッタリと座り込んだ。
「な、なに? さっきの……??」
隼人まで……すんなりと達也の事を受け止めていた。
達也も、隼人が決めた事を……すんなり受け止めていた。
ちょっと葉月には解らないような二人の感覚。
だけど……それはちょっと羨ましい感覚。
そして……なんだかとても素敵な感覚に見えた。
そんな……本当は自分より『お兄さん』である二人の確固たる『自分の素直な気持ち』。
それが真っ直ぐに葉月に向けられている。
ベンチは傾いた夕方前の柔らかい日差しの中、ヒンヤリとした影の中だった。
葉月は涼しいベンチに力無く座り込んだまま……そっと手すり向こうに広がる海を眺める。
海はキラキラと波間が輝き、柔らかい太陽はまだ白く輝きながらも、夕日の準備に入っている様子。
水色にトーンを落としている青空に、すぅっと気流に流れる絹のような雲。
「猫みたい」
和紙をちぎって貼り付けたような絹雲は……スッと伸びている先端が、飛び跳ねている猫の前足、後ろ足にみえなくもない……。
「お兄ちゃま……」
忘れたらいいのだ。
忘れられる分だけ……忘れたらいいのだ。
そして……私は彼だけを見つめたらいい。
見つめ続けたらいい……。
「もう、会わない──」
近頃、葉月はそう思うようになっていた。
会いたいけれど、もう……会ってはいけないのだ。
そう心に少しずつ言い聞かせ始めていた。