『ハァ……ハァ……』
『キャプテン……ここまでにしましょう?』
雑音の向こうから彼の切れる息づかい。
葉月はスロットルを降下に向けて、上空からある程度の水平飛行に戻そうとした。
『まだだ──! もう一回!』
『でも……もう、時間が……』
他の飛行形態の練習は、他のメンバーとも終わらせて『着艦命令』が下されていた。
しかし、デイブは時間を一杯に使おうとする。
そこで細川にデイブが必死に『再度練習』を願い出て、時間いっぱい……
次に細川が着艦命令を出すまで練習をして良いとの許可をもらったのだ。
他のメンバーは皆、着艦に向かった後……小笠原基地の上空に二機だけ残った状態で練習をしている。
葉月はまだ行ける──。
ただ真っ直ぐに上昇することぐらい何ともない。
だが、螺旋を描くばかりのデイブには『遠心力』という負担もかかる……。
それに彼は葉月が先に描いたラインを基準に何度も軌道を修正しなくてはならない……。
彼の息づかいで解る。
もう限界だろう……。
葉月はデイブの諦めない強気に、やや戸惑っている時……。
『もう、今日はその辺にしておけ。何度やっても同じだ』
細川の静かな声の通信が届いた。
「ラジャー」
葉月は素直に応答したのだが……。
「いえ! 中将──! まだです。まだ……!」
デイブは焦っているのか一向に空から陸に戻ろうとしない……。
『コリンズ、命令だ。着艦してこい──嬢、お前が最後に着艦だ』
デイブが着艦せねば、葉月が着艦できないと言う順序を細川は命じてきた。
「キャプテン! まだ……一ヶ月あるわ」
葉月はなんとかデイブの気持ちをなだめようと囁く。
「くそっ!」
彼の悔しそうな叫び声が……雑音の向こうから聞こえてくる。
何度、試みてもずっと同じ事の繰り返しであった。
デイブの無茶はいつものことだが、今まで何度も彼は言いだしたことは『やり抜いてきた』。
だからこそ悔しいことは葉月も解っている。
だが……『今回ばかりは無茶だ』と半ば……葉月ですら認めそうになっていた。
すると──。
『まったく……お前達には呆れて物も言えん』
細川の溜息混じりの声……。
『とにかく帰ってこい。お前達を見くびっていた。何故、出来ないのかを教えてやろうじゃないか?』
今度は、細川の笑い混じりの声。
「!」
葉月とデイブは揃ってその声に反応した!
「ラジャー。監督、ビーストーム1から着艦いたします」
デイブが素直に折れ、空母方向の海上へと機体を旋回させ始めた。
「ビーストーム2。その後に着艦します」
葉月も、その後に続く──。
「細川中将。いえ、先輩は流石ですね」
細川の横で、その交信を聞きながら微笑んでいるのは、メンテ総監の佐藤大佐。
「ふん。お前もそうやって、若者の勢い任せで傍観しているのは、いつまでするつもりかな?」
深緑色キャップのひさしの影で、細川はニコリともしない表情で空を眺めていた。
「まぁ……、私もその内ですね」
「だろ? 先輩メンテチームのサポートが外れてからが澤村チームは本番だな」
「ええ……私は彼等が慌てるまで、先輩のように黙ってみているやり方、真似させていただきますよ」
「結局……『口出し』するハメになったがな」
細川が無表情にフッと溜息を落とすと、佐藤はいつもの穏やかな笑顔でそっと微笑んだだけ。
「そうでなければ……。私達もやりがいありませんでしょう? しかし……あの二人がいつまでも出来ない原因が解るとは……。さすが……元・トップパイロットですね。細川先輩。あの頃が懐かしいなぁ」
「冗談じゃない。まだ乗れるなら……あんな若僧が挑んでいる『無茶』は、私にとっては『簡単だ』とまだ言えるぞ」
「あはは! そりゃ、私だって一緒ですよ!」
「……だろうな? しかし、今のところ、澤村の指導のせいか落ちついているようだな」
目を細めた細川は、メンテ員達をジッと見渡している。
「しかし……どうでしょうね。担当機が決まるまでに一度ぐらいは混乱が起きそうですね」
「その時に澤村がどうするか? 傍観するのか……。お前も結構、意地悪いな。担当機決めのローテーションなんて回りくどいと教えてやらなかったのか?」
また、細川は無表情にフッと一息。
「はは……! 先ずは身に染みる、自分達で感じて見つける事から……。でしょ? 先輩譲りでしょうかねぇ?」
「うるさいぞ?」
肩眉をピクリと動かした細川に、佐藤は何とか笑いを収めて真顔に戻そうとしていた。
「マクガイヤーも、先程からそわそわ」
今度、佐藤は……自分達より前に出てメンテ員達を見守っている大佐の背をみて微笑む。
「まったく。娘とはそんなものかね? 私は小娘の親父にも昔から振り回されている。私は息子しかいないし、放っておきっぱなしだが、結構自力でやっているがね?」
「ああ……そうでしたね。確か……横須賀の秘書官で、もう一人は訓練校教官でしたね。お二人ともご結婚もされていて、先輩は安心ですね」
「そうだが……」
細川は今度は深い溜息を落とした。
「だからですね……。先輩は……『小娘』が一番手間がかかるので、気になってしまう。ほら……そこの金髪の『パパさん』みたいにね?」
佐藤はさらに『クスクス』と笑い出す。
すると……また細川が肩眉をピクリ。
「いえ、冗談ですよ。私にも娘がいるので共感しただけです」
だが、佐藤は今度は楽しそうに笑うだけ。
細川は、後輩を一睨みしたが……佐藤にはさほどその効果はなかったようで、彼は笑い続ける。
だが、次には細川も楽しそうに微笑む笑顔を空に向けていた。
そこには……ユラユラと着艦態勢に揺らめくホーネットが一機。
その後方で旋回にて待機しているホーネットが一機。
彼はその二機を微笑みながらジッと見つめていたのだ。
☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆
「お帰りなさい! 御園大佐!」
キャノピーを開けると、そんな声が葉月を迎える。
フウッと深呼吸をはきながら、重いヘルメットを頭から降ろした。
「すぐにメンテします」
コックピットに向けて梯子をかけ、顔を覗かせたのは三宅だった。
「すごかったですね……その、あの……初めて大佐の飛行を目の前でみたので……」
「有り難う」
葉月は笑顔も見せずに、スッとした顔で返答した。
「……」
ちょっと怖じ気づいた三宅の顔に気が付いて、少しだけ微笑んだ。
「メンテ、宜しく……」
「ラジャー」
葉月はコックピットのシートに身体を固定させている金具ベルトを外し立ち上がる。
三宅が梯子を降りた後に続く。
「スロットルが緩く感じるの」
「解りました。少しだけ絞めておきましょうか?」
「ええ。明日はそれで一度試すわ」
平淡な葉月の一言に、三宅は笑顔で敬礼をしてくれる。
葉月も小さく敬礼をして歩き出す。
細川の前には、既に着艦した仲間達が整列していた。
デイブも今、先頭に加わった所で、皆は葉月が来るのを待っている。
それに気が付いて、葉月も急いで甲板を走り出した。
「お疲れ……。今日も残念だったな」
通りすがりにそんな声。
丁度、着艦後の機体整備で走り回っている隼人とすれ違った所だった様だ。
「ええ。でも……中将が教えてくれるらしいわ」
「──へぇ。後で……」
「頑張ってね」
二人は互いに平淡な表情で囁き合い、スッとすれ違った一瞬に見せかけ、背を向け、それぞれの方向に分かれた。
でも……と、葉月はフッと肩越しに少しだけ振り返る。
紺色のキャップ、深紅のつなぎ服の上には銀色の蛍光ジャケットを羽織って
隼人は誘導灯を手にしていた。
葉月の着艦誘導は、ロベルトがしてくれたのだが……隼人もしていたようだ。
(なんだ……お迎えはしてくれなかったのね……)
少しばっかりふてくされたのだが……。
──『ロニー、今まで有り難う』──
発進前……葉月の『思惑』。
それを解っていて……最後にロベルトに迎えをさせたのだろうと……。
そう通じてくれたのだと思いたかった。
しかし……と、葉月はちょっと頬が緩みそうになる。
甲板で……こうして一緒に訓練の時間が過ごせる。
今のちょっとしたすれ違いは……そんな嬉しさを感じさせた。
こんな気持ちは初めてだった。
いつも厳しいだけ……厳しさだけを用いてきた甲板で、こんな『幸せ』を感じるなんて。
訓練中に不謹慎かもしれないが、恋人以上に『最高の同志』と言う嬉しさだった。
それは……正直、ロベルトからは、この様にありありと感じたことはなかったから……。
『整列!』
葉月が慌ててデイブの隣に並んで直ぐに、デイブの号令。
その号令で、皆がピッと綺麗な横一直線に整列し、細川に向けて敬礼をする。
佐藤はマクガイヤー大佐を従えて、甲板の結構中心部まで出歩いていた。
そして二人揃って笑いながら、メンテ員達の様子を楽しそうに見学しているようだ。
「本日もご苦労──。後はミーティングで反省会を行う。個々それぞれの反省点を考えておけ」
細川のいつもの静かな締めの一言。
『解散!』
その声で、皆は細川が去ってから気を抜いて騒ぎながら……連絡船に向かうのだが。
「コリンズに御園。少し残ってもらおうか……」
「ラ、ラジャー」
細川は二人の目の前から動こうとはせず、そのままたたずんでいるので、他のメンバーは顔を見合わせつつ……先に解散し、連絡船へと向かっていった。
「さて──。問題のコークスクリューだが……」
監督の彼は、デイブと葉月が始めた『無茶』に今回は何も小言は言わなかった。
触れるとしたら、これが初めてになる。
しかも──『何故、出来ないか』という事に触れてくれるとあって、デイブと葉月は、細川の強面を見上げながら揃ってごくりと喉を動かす。
「まず、四回転というチャレンジは前代未聞だが、そのチャレンジは毎度の事と私は咎める気はまったくない」
その言葉にも、ちょっと腑に落ちずにデイブと葉月はチラリと視線だけあわせた。
「前回の航空ショーでも、お前達二人は『タッククロス』とも言い難い荒技をやってのけた」
普通のタッククロスは、二機一緒に同方向に進み、途中で二機がクロスする……という物だが。
デイブと葉月が試みたクロスは、対する方向から二機が侵入し、交わった点で機体腹合わせにて交差するという、傍目には『衝突』にも見間違うほどの演技だった。
今回もそれに近いメニューは組んでいるが、これは経験済みのコリンズチームには、数年前の感覚呼び戻しでなんとか乗り越えられそうな手応えで済んでいる。
その上の『あ!』と、驚く演目としてデイブは四回転を試みる。
今、葉月とデイブがこなしているコークスクリューは、『コークスクリュー』とは呼んでいるが、これまた前回の衝突に見えるタッククロスと同様、『基礎』から離れた形の練習をしていた。
すると──。
「嬢が悪い」
細川の短い一言に、葉月は驚いて彼を見上げた。
「お前が一番なっていない」
「……私が?」
細川の冷たく鋭い眼差しが、一直線に葉月に向かってきた!
「お待ち下さい、監督──。御園は私の為に……」
無茶に付き合わせているのは『デイブ』。
だから、彼が慌てて葉月をかばおうと一歩前に出たのだが──。
「コリンズ。お前は嬢を信じていないな」
「信じていない?」
デイブも思わぬ事を突きつけられて、彼も……茫然としている葉月の横で固まってしまった。
そして……思わぬ事を言われた二人の様子に細川が静かに溜息を落とす。
彼は、口元の細いヒゲを指でスッと一撫で……。
「その様子だと、お前達はまったくなにも気が付いていないとみたな。そんな事では、毎日同じ練習をしても、本番まで絶対に成し遂げられないと感じた」
今度は、『絶対に出来ない』と判断を下され……デイブと葉月は絶望的な顔を細川に向ける。
「困ったものだ。もうすぐ引退、卒業を控えたキャプテンのお前が気が付かない。これからコリンズチームを引っ張る小娘も揃って気が付かない。もう、この練習も十日以上繰り返しているが、変化もない。それが何故かも気が付かない。私は、お前達の『キャリア』を思って、いずれ気が付くだろうと黙っていたのだが、これでは……」
細川のその話に、大きく反応したのは『葉月』──!
「中将! 今……なんと仰いましたか!?」
葉月には『デイブが卒業、引退』と聞こえた!
その後の言葉は驚きのあまりに、聞こえなかったほど!
「嬢……後で……」
デイブも揃って、自分より先に告げてしまった中将の発言に驚いていたのだが……。
「中佐──! どういう事なの!?」
「だから……後で……」
デイブは葉月の腕をがっしりと掴んで、何とか落ちつかせようとした。
「なんだ。まだ知らなかったのか」
細川のシラッとした顔に、葉月の表情が険しくなる。
「冗談じゃありません! こんな大事なことを……こんな所でいきなり言われて!」
デイブに腕は掴まれていたものの、葉月は恐れることなく細川に食ってかかったのだ。
だが……。
「黙れ!! 小娘! 話を最後まで聞かんか──!!」
細川の『雷』のような声が、甲板全体に轟いた!!
耳をつんざくような轟きに、流石の葉月もヒヤッと一歩後ずさったほど……。
それでも、葉月の険しい顔つきは直ぐに戻る。
細川を思いっきり敵視する葉月の顔を、彼は淡々と冷たい眼差しで見下ろしているだけ。
葉月も唇を噛みしめ、黙りこくった。
「もう一度言う。お前達は、ある程度の『高いポジション』を極めたとみて、黙っていたが、私の期待を裏切る程の無惨な姿に呆れている。私の期待する『キャリア』であるならば、もうとっくに気が付いているはずだ。それがなんだ? 一向に気が付かないし、進歩がない。もう一度、基礎に戻ることをここで念を押しておく。本日のミーティングまでに、コークスクリューの基礎ビデオでも見て……『気が付いた事』を私に報告しろ。それで私が納得出来ればGOサインを出す」
そして、細川はそこで一息置いて、さらに付け加えた。
「だが、その報告に私が納得しなかった場合は、コリンズ流コークスクリューの提案は却下する!」
「ええ!?」
ついに細川の審判が下されようとして、二人は揃って声をあげた!
「ったく。何度も『変形型』にこだわりすぎるばかりで、とんでもない飛行形態だ。まったくもって甚だしい!」
細川は憎々しい目つきを、部下の二人に下すと荒い鼻息を突いて背を向けた。
『帰るぞ』
『はっ。将軍──』
細長い彼の背中、若い側近を伴って悠然と去っていこうとしていた。
それを葉月とデイブは……ただ茫然と見送っただけだった。
葉月としては『二重のショック』だ──!
『デイブ中佐が卒業引退──!?』
夕方のミーティングまでに『報告』をしなくてもならないのに、その事で頭が真っ白だった!
「嬢……ランチが終わったらお前の所に行くから……帰ろう」
デイブが葉月の肩を抱いて、なだめてくれるのだが……葉月は細川の厳しい後ろ姿を眺めたまま、瞬きもできないショック状態に陥っていたのだ。
「葉月、怒られていたね……」
機体チェックの監督をしている隼人とロベルトの元にも……細川の轟きは届いた。
その瞬間、メンテ員の誰もが細川がいる方向へと視線を流したほどだった。
「いつもの事だろう……」
隼人はフッとロベルトの視線を避けるように、ヨハンやトリシア、デイルといった新人に近いメンテ員を見て回ろうと側を去る。
だが……肩越しに振り返ると、デイブが非常に困ったような顔で、葉月を励ましているようにも見えた。
(あれぐらいの『檄』で、くじけるとは思えないな──)
葉月を良く知らないメンテ員には、あれぐらいの檄でショックを受ける葉月の姿は見せたくなく、隼人は少しばかり苛つきながら、顔をしかめた。
(まさか……)
隼人はフッと振り返ったが……もう、デイブに肩を抱かれながらも葉月は、甲板を去ろうと艦内に姿を消そうとしていた。
『まさか……知ってしまったか?』
そうとしか思えなかった。
彼女はあれぐらいで怖じ気づく『女の子みたいな』パイロットではないと信じているから……。
☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆
「ここにいたか……随分、捜した」
そこは陸部訓練のグラウンド。
棟舎の横、滑走路の隣に位置している。
そこの芝土手で、日差しは結構強いのだが……隼人が腰を下ろした場所は、一本立ちの樹木の下、木陰である程度は涼しい。
そこに葉月がサンドウィッチを頬張りながら、寝転がっていたのだ。
機体の整備が終わって、パイロット達より一足遅くメンテチームは陸に戻る。
カフェに行くとコリンズチームはいたが、葉月が見あたらない。
デイブに聞くと……やはり……隼人の予感は的中。
『中将が何食わぬ顔で言いやがって……ばれた』
彼は隼人が近づくと、チームメイトの輪を避けるようにやって来たのだ。
『それで? 彼女は?』
『知らない。待っているが人混みの中、ここに来たかどうかも確認できなかった。軽食を買って屋上に行ったか……裏庭か……もしくは……グラウンドだな』
デイブは渋い顔で溜息をついていたが、ランチ後に葉月と落ち合う約束をしているとの事で、捜す気もないようだった。
他のメンバー達もなにやら感じているのか、デイブと隼人が向き合っているのを、後方の席から覗き込むように気にしている。
『解りました』
『悪いな──』
ただの会話ぐらいに見せるために、そこでデイブと隼人は別れた。
『ごめんな……。ちょっと用事が出来て……』
初めて……澤村チーム一同での訓練後のランチだったのだが、隼人は皆が集合した席に一言詫びる。
『構わないよ。行っておいでよ』
快く送りだしてくれたのは、デイビット。
サブキャップの彼が笑顔で見送ってくれたので、他の後輩達は何も言わなかった。
だが、エディが一言。
『レイのことだ。絶対、芝生がある所にいるような気がするな……』
こんな時は鋭いエディに、隼人は苦笑いをこぼしつつ何とか誤魔化そうとしたのだが……。
『なにやら監督に、かなり怒鳴られていましたね……』
村上は隼人をそっとうかがうように見上げてくる。
『怖い人だと噂だけど、本当に女性でも容赦無しって解ったな。』
驚いたのか三宅も疲れたため息をこぼした。
『待って下さいよ! 監督が怒鳴ったのは公平だと思うわ!』
同じ女性のトリシアは、そこで『区別』された様な三宅の一言にムッとした顔に。
さらに──。
『それに御園大佐は何年も細川中将の監督で訓練しているんですもの。あれぐらいでショックを受ける人じゃないと思います! きっと……何か今まで以上の何かを指摘されて、それがショックだったんじゃないかしら?』
トリシアの解釈に隼人は『おお!?』と、助けられたようでホッとした。
『そうだよ。なんでもあの四回転が出来ない事で、滅茶苦茶言われたぐらいの事じゃないのかな?』
教え子のヨハンも葉月の大胆さは承知の後輩。
なんとか皆は、葉月の打ちひしがれた姿には訳があると思おうとしてくれているようで、隼人もホッとした。
『行っておいでよ』
もう一度、デイビットに促され……隼人は心苦しいながらも、訓練初日後のメンバーとのランチを欠席することに……。
デイブが言ってくれた場所を一つ一つ訪ねた。
すると……エディが言ったとおり……『芝』がある滑走路直ぐ横のグラウンドにいた。
昼休みに入ってグラウンドには誰もいなかった。
行儀悪に木陰で寝そべった格好で、ぼんやりとサンドをほおばっている葉月を発見。
「見つけるの、上手いわね」
特に落ち込んでいる様子もなく、葉月は隼人が隣りに座り込んでも淡々と、サンドを頬張り続けている。
「言っておくけど。皆、結構、把握しているよ」
「ああ、そうなの? 変えようかな? 行動パターン」
さらに淡々としている葉月に、隼人は呆れた溜息を落とした。
「最高で最悪よ」
海老とポテトのマヨネーズサンドを食べ終わった葉月は、口元を拭いながら、半身起きあがった。
「あなたに送りだしてもらえた記念日に、最高の先輩とのお別れを突きつけられるなんて……」
葉月はいつもの平淡な横顔で、フェンス向こうの海を見つめているだけ。
「……コリンズ中佐の事だけど」
「……知っていたの?」
「ああ……数日前に中佐から聞かされて、口止めされていた」
「男同士って訳ね? 別に構わないけど……」
しかし葉月は、黙っていた隼人に対して抗議する姿もなく、容認してくれているようだ。
「でも……」
膝を抱えた葉月が、そこに頬を引っ付けて隼人を見上げてきた。
「いつかこうなるような気はしていたから……覚悟が出来ていなかっただけ」
今まで見てきた無感情令嬢の如く、葉月は真顔で呟くだけで落ちついていた。
「そういう事で卒業させられちゃうんでしょう? 中佐は……」
「そうだな」
隼人も……クラブハウスサンドウィッチをテイクアウトしてきたので、その紙包みをめくって頬張り始める。
「いずれ……判るかと思うから、中佐から聞いた事、伝えておく」
一口頬張って、隼人は再びサンドを膝元に置いた。
「中佐は……キャプテン引退。新しいキャプテンが転属してくるらしい」
「!」
それは予想していなかっただろう。
隼人も驚いたのだから、葉月もかなり驚いたようで、やっと表情を灯した。
隼人は構わずに……続ける。
「お前は細川中将の下で総監代理として、監督業務に徐々に移行する」
「なによ! それ──! 冗談じゃないわ! 私はコックピットを降りるなんて絶対に嫌!」
思った通りの葉月の激しい反応に、隼人は溜息を落とす。
「……お前、何故? 今までピルを飲んでいたんだ?」
「!」
「男が嫌なだけじゃなかったんだろう?」
「……それは……」
「それに最近、気が付いたよ……俺。コリンズ中佐の引退を聞いてから……気が付いた」
胸の奥から、隼人は深い溜息を吐いた。
「確か……一番最初に『流した時』は、飛行訓練後だったよな」
「……」
思い出したくないのか、葉月は黙り込み……缶茶を傾けるだけ。
「そうだよな。もし、訓練している身で妊娠したら一大事だし、お前に随分な負担になる」
「……」
「ごめん──。俺はそこまで正直、考えていなかったかもな」
「……」
葉月はゴクゴクと、缶茶を飲み干そうとしていた。
「別に──。私の身体だもの。私が気を付けて当たり前じゃない」
「……なのに。俺は随分とこだわっていた。やめてほしいと……」
「……隼人さんはちゃんと男としても気を付けてくれたし」
「いや……お前に完全に甘えていた時期もあったし、流されてしまうときもあったし」
「今は、違うじゃない?」
「お前に信じて欲しいから何時かはやめてほしい。それを葉月は知って……そして、フロリダから帰ってから止めていた──。これも俺がさせたことだ……」
「大丈夫よ。先月末にちゃんと月並みに生理も来たから。私がピルを止めたと知って、隼人さんは完全に対処してくれているじゃない」
ポンポンとあからさまに答えた葉月に、隼人はちょっと面食らった。
「でも……『これから』だけど。俺もちゃんとするけど、お前がパイロットを続けたいのなら……。止めることはないと思う」
「なんなの? いったい……。中佐の引退と関係があるの?」
やっとそれらしく苛ついた葉月の声が響いた。
「いや……中佐の引退は上下関係の事でそうなったが……。お前を甲板指揮に置こうとしているのは『そういう事を考えるように』という意向らしいな」
「──!?」
「つまり、これから『子供』を考えるなら、それに合わせて乗る乗らないという『余裕』を、わざわざ中将が作ってくれたんだよ」
「おじ様が──!?」
「どうあがいても、お前の身体は女性なんだ。どんなに優秀な技量を持つパイロットでも身体は女性なんだ。それを葉月も良く考える時期に来たと……見定めての事らしいよ」
「……細川のおじ様が……」
急に……葉月はグッタリと腕の力を抜いて、持っていた缶茶を芝の上に力無く置いた。
「葉月のパイロットとしての誇りを思うと、悔しいだろうけど……」
「もういい……分かったから」
隼人が解るように懇々と説こうとしたところ、葉月は抱えていた膝に顔を埋め、俯いてしまった。
「私だって……分かっている。自分の身体は皆とは違うのだって……分かっている」
彼女の歯を食いしばるような泣きそうな声。
真昼の風が、ザザッと樹木の葉をざわめかせた。
顔を隠してしまった葉月の横髪が、サラサラと風になびいている。
口では頭では『分かった』と言っているが、その姿は無念に打ちひしがれているとしか見えない。
隼人もちょっと不憫になってきて、膝を抱えている小さな女の子のような彼女の背を撫でた。
「俺と結婚するんだ。二人でよく考えよう……。もう、曖昧にすることは、やめような」
「うん……」
顔を埋めたまま、葉月は素直にこっくり頷いてくれた。
隼人はややホッとして……取り乱さなかった彼女に安心し、サンドを頬張り始める。
その間、葉月は顔を上げたが、膝を抱えたまま……哀しそうな眼差しで海を遠く眺めているだけだった。
隼人もそっとしたまま、黙ってサンドを頬張り、缶コーヒーを飲んだ。
「だったら……これでコリンズ中佐とは最後になるんだわ」
「そうだな」
「だったら……絶対に、やってやる!」
彼女の瞳が海に向かって輝き出す。
顔つきも険しく、何かに挑戦を叩き付けるかのように──!
それこそ、御園葉月だと隼人はフッと微笑みを浮かべる。
「おじ様に言われた意味が少しだけ解ったわ」
「さっき甲板で怒鳴られていた事?」
「ええ。道理で……今回は傍観して黙っていると思っていたけど、そういう事だったのね!」
事の真相が分かって、葉月は細川の言わんとする事が見えてきたようだ。
「指導者になるなら、自分達で見つけろって事ね!?」
拳を握った葉月の顔が徐々に意欲的に輝き始める。
「何を言われたんだよ?」
「今日のミーティングまでにコークスクリューの基礎ビデオを見て、今の自分達が何故、出来ないかを報告しろと言われたの! おじ様が納得する報告じゃないと、今回の四回転スクリューは却下するって!」
「ええ!? それ! 大変じゃないか!」
「しかも、今、出来ない一番の原因は私で、中佐の悪いところは私を信じていない事とも言われたわ!」
「へぇ……」
「絶対に、今から捜しておじ様に『ウン』と言わせ、最後にデイブ中佐に華を持たせて、送り出すわ! これ、最低限の事だわ!」
前向きになった葉月に、隼人はあっけにとられていた。
メソメソかウジウジと殻に籠もるかと構えていたのだが、そんな様子もない。
「解った! だったら、早く本部に帰ってビデオを捜そう!」
隼人もとりあえずの食事が終わって立ち上がった。
「うん!」
木漏れ日の中、葉月の輝く笑顔。
隼人もそっと微笑んだ。
だが──グラウンドの土手道を帰り始めた頃……。
「葉月?」
二人で肩を並べて四中隊棟舎まで向かっていると、隣の葉月が黙りこくっていた。
「お願い。今だけ……」
俯いた彼女は……そよ風に吹かれる栗毛の中で涙を流していたのだ。
遅れた涙が、今……出てきたようだった。
「今だけ……許して……」
「……いいよ」
隼人はそっと一歩前に出て……葉月より先に歩いた。
後からついてくる葉月は、隼人の背に隠れるようにすすり泣いていた……。
ハンカチを握りしめて……本気で泣いていた。
「ちゃんと送りだしてやろうな……」
「う、うん……」
そう呟いた隼人の背から、嗚咽を抑えた葉月の声がハッキリと聞こえた──。
本部に戻れば、凛々しい大佐嬢でなくてはならないのだが……。
彼女は俺の前でだけ……泣いてくれる。
隼人はそう思いたかった──。
☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆
「あった! あったよ、お嬢!」
本部に帰り、ジョイに事情を話すと、資料室からビデオを一本探し当ててくれた。
「有り難う、ジョイ!」
葉月はそれをすぐさま手にして、テレビビデオがある隣の四中隊会議室に向かおうとしていた。
「ああ、お嬢……昼休みに右京兄ちゃんから電話があったよ?」
「あっそう」
葉月はそれだけの反応。
今は、目の前の課題で頭が一杯の葉月は、甘い従兄からの連絡には素っ気ない反応。
ジョイが顔をしかめる。
「ちょっと、せっかく連絡してくれたんだから、今すぐ電話してやれば?」
「どうせ、いついつ来るから待っていろよって連絡なのよ。達也から来る日も聞いているし……」
「お嬢のマンションに泊まりたいんじゃないのかな?」
ジョイのシラッとした視線。
ただし……そこにいた隼人は固まった。
「葉月、連絡してやれよ」
「まさか……お兄ちゃまは、近頃小笠原に来たら、ロイ兄様のお宅にお世話になっているし」
ケロッとしている葉月に、隼人も顔をしかめる。
「だからといっても、せめて『泊まる?』ぐらいの気遣いを見せてやれないのか?」
「俺もそう思うね」
男二人の責めに、今度は葉月が顔をしかめた。
ビデオ片手に、葉月は渋々としながら携帯電話を上着の腰ポケットから取りだした。
「解ったわよ。どうせ、うちには来ないと思うけど?」
「夕飯ぐらい誘えよ」
細かく気遣う隼人の一言に、葉月はちょっと眉をひそめていたのだが……。
「いいの? たぶん……二人きりでと言う事になると思うし……」
「どうしてだよ? 俺に構うなよ。そうしてあげろよ。お兄さん、絶対に喜ぶから」
「……」
快く勧める隼人に対して、葉月は躊躇うような困った顔をしたような気がした。
隼人も首を傾げたのだが……。
「……隼人さんがそういうなら……お兄ちゃまがそう希望したらそうする」
先程まで、『お兄ちゃまは放っておいてOK』という素っ気ない従妹の態度だったのに、途端に葉月は神妙になり携帯電話のボタンを押していた。
「うーんっと。じゃぁ……俺はこれで……」
ジョイも何かしら感じたのか、隼人を避けるようにササッと大佐室を出ていった。
達也は、山中と陸訓練に出ていて不在だ。
昼下がりの大佐室には、二人きりだった……。
携帯電話を耳に付け、大佐席にゆったりと腰をかける。
「お兄ちゃま? うん、葉月よ」
「……」
隼人はノートパソコンを開いて、何も感じていない振りで業務を始める。
だが、正直……耳はぴんぴん立っているのだ。
「そう……ホテルにしたの? どうしてロイ兄様の所にお世話にならないの?」
(ホテル?)
キーボードで、午前のデーターを打ち込みながら、隼人はピクリと反応。
「そうなの。お兄ちゃまがそれで良いなら良いけど?」
葉月はちょっと微笑んでいるだけだった。
そして──。
「どう? 宿泊するなら、一緒にお食事でも……うん、うん」
隼人が勧めたとおり、素直に葉月が申し出て頷いている。
「──解ったわ。『玄海』で宜しい?……うん、じゃぁ……予約しておくね」
隼人の予想通りに、右京は可愛い従妹の誘いに二つ返事だった様だ。
隼人もそれはそれで良いと思うし、そう勧めた自分にも満足だった。
しかし……。
「丁度、お兄ちゃまにも話したいこと沢山あるし……」
先程まで、従兄とは食事も億劫そうだった葉月からそんな事を言いだした──。
隼人の手の動きは止まる。
「ああ、やっぱり。ロイ兄様から聞いたのね? そうよ……私、本気よ」
ロイから右京に結婚報告が届いたというのも、隼人の予想通りだった。
葉月の従兄への報告は淡々としている。
まるで──大佐嬢として人と話しているかのような落ち着きだった。
「何故……本気かお兄ちゃまには言っておきたいから……。それに……『今までの事も』──」
その時──! 葉月の視線はチラリと隼人を見つめたのだ!
『私、本気』
それを従兄に、彼女はどう告げるつもりなのだろうか?
そこに過去から引きずり回った義兄の臭いが葉月から立ちこめたよう……。
『今までの事も』
葉月はまるで、しっかり『整理がついた』かのような強く煌めく眼差しを……隼人に一直線に向けているのだった──。
隼人に挑戦するように──。