・・Ocean Bright・・ ◆白鷲兄様ふたり◆

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2.銀の左手で

 コリンズチームの訓練は、朝一の午前という事がほとんどだった。

「晴れたね。良かった──」
「ああ。本当に……」

 ホッとした笑顔で応えた隼人の隣には、同じ格好をした栗毛の男性。
 ふたりは今、深紅でつなぎのメンテ服に、紺色のキャップをかぶった格好。
 まだ白い泡が浮かぶ高めの波の中、海原を進む連絡船に乗っていた。

 船室には、二中隊第三メンテチームと澤村メンテチームのメンバー。
 皆、何故かいつもの快活さはなく、黙り込んでいる……。
 そんな緊張感がうかがえる空気──。
 小さな船の窓辺に、どっしりと海原に浮かぶ灰色の戦艦が、迫ってくる──。

「よし、ついたぞ!」

 船室に朝日が射し込む中、ロベルトが堂々と立ち上がる。

「ラジャー!」

 静かだった船室にいたメンバー達が、気合い充分席を立ち上がった!

 

 小笠原では、母艦を二隻……管理している。
 一つはこの様に、ほぼ『訓練』に使われている。
 もう一隻は、太平洋や日本海を巡回している。
 本島にある海軍基地を回って、いろいろな訓練に使われることもある。

 乗船するメンバーはその時々で違う。
 基地にいるチームごと、巡回任務に就く事もあれば、選りすぐったメンバーが、ある訓練を目的として乗船することもある。
 葉月もその昔は、デイブと一緒にこの日本海域を巡回する訓練に参加した事もあるそうだ。
 今は『管理側』のポジションに重きを置くようになり、宿泊が伴う遠征訓練は『卒業』したようだ。
 そして今は『コリンズチーム』というフライトチームの『訓練』をふたりで引っ張っている形。

(……だからかな? もう、訓練指導官という職に彼女は近づいてしまったんだ)

 連絡船を降りながら、隼人は強い朝日を遮るようにキャップのつばをキュッと目元に引き寄せる。

「よし! 集合──!」

 ロベルトのかけ声で、甲板に二チームが素早く整列!
 今日は、隼人の目から見ても……ルディという先輩達も、勿論、自分のチームメイトもキビキビとしている。
 そして……皆、緊張した顔をしていた。

「では……昨日のミーティング通りに、サワムラキャプテンが割り当てた担当機のメンバーと、ハリスチーム側の担当機メンバーは、本日は力を合わせてサポートをするように!」
『ラジャー!』
「そして、ハリスメンバーは、サワムラメンバーをより一層のサポートを」
『ラジャー!』

 彼等の空に響き渡るハキハキとした声。

「昨夜の雨で甲板は濡れたままだ。滑るので注意するように……」
『ラジャー!』

 ロベルトの集合礼が終わり、隼人とロベルトは顔を見合わせ頷き合う。

「サワムラ君からも、何かあれば……」

 ロベルトの促す顔つきに、隼人もそっと頷き、チームメイトを見渡した。

「サワムラチーム……。分かっていると思うが今日が実質的甲板デビューとなる。だけど……今まで皆が所属していたチーム、訓練同様に、経験をそのまま活かせば、たいしてプレッシャーは感じないはずだ。いいな!」
『ラジャー! キャプテン!!』

 後輩達の元気良く、そして……気合いの入った返事が青空に響き渡った!

「よし! 機体点検に入る! 解散──!!」
『ラジャー!』

 ロベルトの合図に、全員が整列しているホーネットに向かって走り出した!
 隼人はコリンズ機担当だが、この日は二中隊の先輩もついているので、ロベルトと一緒に、10機に散らばったチームメイトの様子を巡視する事に……。

 その内に……。

「来たね」
「ああ……」

 船内の階段から、コリンズチームが飛行服と対Gスーツをまとい、ヘルメット片手に現れる。
 彼等が装備を装着しているその間に……船内出口に、飛行服を着た細川が若い側近を連れて現れた。
 そして……細川の横には金髪のがっしりとした体型の男性も……そう、トリシアの父親──第二中隊長『マクガイヤー大佐』だった。
 本日は彼も珍しく飛行服だった。

「トリッシュパパの登場だな」

 ロベルトがちょっと楽しそうに微笑む。

「ああ……」

 二人でそっと、三号機で村上と二中隊の先輩と三人でコックピットチェックをしているトリシアに、視線を走らせた。

『計器、OK!』

 コックピットに座ってチェックをしているトリシア。
 彼女は真剣で父親が姿を現した事など、気が付かなかったようだ。

『どれ……』

 そして、新人に近いトリシアを見守るように梯子から彼女の手元を確認している村上。

『先輩──コックピット、OKです』
『オーライ』

 下部を確認しているロベルトの後輩と上手く連携をしているようだ。
 そしてキャプテン二人は、そっと細川と談話をしている様子の大佐へと視線を戻す。
 細川は日本人にしては身長があるのだが、トリシアの父親はそれに増して背が高い。
 だが……細身の細川に対して、アメリカ人のマクガイヤーの体型はがっしりしていて、小柄なトリシアの父親なのかどうかと思ったりするほど、立派な体型だった。

 そんな細川が3号機を指さしているのが分かる。
 そして、細川の指した先を、マクガイヤー大佐は真顔で覗き込んでいた。
 細川が可笑しそうに笑い、そして……それに照れている大佐がうかがえる。

「中将にからかわられているねー」

 ロベルトもニッコリと微笑ましそうにしていた。

「やっぱり……娘が心配だったのかな? それとも……」
「それとも?」
「いや……やっぱり心配だったんだろうなぁ?」

 隼人はちょっと気抜けした顔で、ふぅと一息。

「かもね……。俺には良く解らないけど……」

 ロベルトは自分の中隊長のそんな父親姿が珍しかったようだ。

「──なんていうの? 俺、そういうの結構、見させてもらったんだよね」
「……葉月とフロリダパパとの事?」
「まぁ……そんな所かな?」
「なるほどね。俺も娘が出来たらそうなるのかな?」

 まだ子供がいないロベルトがちょっと首を傾げて唸った。

「なるなる。きっと俺もね?」

 二人は顔を見合わせて微笑み合う。

『キャプテン!』

 そんな声が聞こえてきて、二人は一緒にハッとした。
 その助けを求める声に促されて、二人は直ぐにキャプテンとしての険しい顔つきに戻した。

『集合!』

 対Gスーツをまとったデイブの大きな声が甲板に響き渡った!
 デイブの前に、パイロット達が素早く整列をする──。
 先頭はサブキャプテンである『葉月』だった。

 隼人はチラリとその整列風景を見つめた。
 背が高い先輩達の先頭は、誰よりも華奢で小さな背丈の彼女。
 緑色の飛行服に、鬱陶しそうな対Gスーツをまとって、小さなヘルメットを小脇に抱えている。
 その後ろ姿──。こうしてみるともう……『女の子』には見えない。
 潮風に煽られている栗毛から垣間見られた横顔はとても冷たくて涼やかな眼差しをしている。
 そして……皆を引っ張る『小さなパイロット少年』のような風格だった。
 誰よりも『やんちゃ』で『負けず嫌い』。
 彼女がもし男の子であったなら、そんな風に見える光景だ。

 昨年は束ねていた長い髪。
 それで『牛若丸のよう』と思っていたのだが、そういう例えも今は出来ない。
 かなり生意気な少年。
 そんな風に見える。

『本日から俺達専属のメンテチームが一緒になる!』

 遠くでも良く聞き取れるデイブの声。

『ヒュゥ! やっとだぜ!』

 第一中隊や第二中隊に所属しているフライトチームは落ちついているのだが、コリンズチームはやっぱり全体的に『やんちゃ』なイメージ。
 キャプテンのお知らせに、皆がすぐに茶々を入れるのだ。
 そしてデイブもそれを注意しないし、細川もある程度は許している様子で口出しもしない。
 今までもそうだった。

『皆、サワムラを信頼して……』
『言われなくても、充分、信頼しているぜ!』

と……またすぐに茶々が入り、デイブの渋い顔。

『もう、お前ら! うるさいぞ! 今日も散々暴れてやるぞ!』
『イエッサー!』
『解っているのか? お前ら! とろとろと飛行するヤツは俺と嬢が煽ってやるからな!』
『望むところ!』
『お前ら! 空は好きか!?』
『当然!』
『今日も、あの空に挑戦だ! 俺達のショーも間近だ! 解っているのか!? チビ蜂ども!』
『オーライ!!』

 デイブのそんな威勢良いかけ声も毎度の事。
 それにハキハキと応答するメンバー達。
 葉月の澄んだ声も混じっているが、先輩達に掻き消されそうな程……男性一同の威勢はこの基地一番だろうと隼人は思っている。
 そして……基地中の空部員達も認めているコリンズチームのカラーだった。

 デイブのそんな『喝』が終わり、彼はスッと葉月の横に並んだ。
 いつも真顔で強面のヒゲ将軍──細川がスッとパイロット達の前にたたずんだ。

『本日もショーを想定した飛行訓練を実施する。昨日のミーティングでそれぞれの甘い部分を検討しあったが、それを胸に留めて……昨日以上の成果を望む』
『イエッサー!』
『まず……』

 細川の監督指導が始まる。

 その頃には、機体チェックもほぼ終わりに近づき、終わった順からキャプテンの元に『チェック完了』の報告が届く──。

『1号機、完了!』
『2号機、完了!』

 次々と声が届く──。
 全機、報告が終わった。
 ロベルトの表情が引き締まる。

「カタパルトのセッティングを行う! パイロット搭乗後、一号機から誘導!」
「ラジャー!」

 メンバー一同、ホーネットから離れて、カタパルトへと散らばっていく。

「さて……いよいよだね。サワムラ君」
「ああ……」

 二人は腰から、ヘッドセットマイクを取りだしてキャップの上から装着。

「こちらメンテ、ハリス」
「こちらメンテ、サワムラ」
『OK、こちら空母管制──。通信OK』

 マイクのセットが終わり、ロベルトと供にカタパルトの発進合図位置まで走り出す。

『行くぞ──!』
『おう!』

 ついにコリンズチームが甲板を走り出した!

「嬢──。いよいよだな。サワムラ」

 1号機と2号機へと向かう所へ、走り出した葉月の横へとデイブが並んだ。

「ええ……。楽しみよ」

 ニヤリと笑った葉月に、デイブは満足そうに肩を叩いて一号機へと向かっていった。
 メンテ員が備え付けている梯子を登って、葉月はコックピットに乗り込んだ。

『キャノピーOK!』

 皆が次々と操縦前の準備を終えて、コックピット上の透明な扉を閉める!

『1号機──カタパルトへ誘導します』

 二中隊サブキャプテンのルディと、本日一緒に行動しているデイビットが一緒に、誘導ライトを手にしてデイブをカタパルトまで誘導する。

『澤村、ハリス──。頼んだぞ』

 そんな中、隼人とロベルトの耳元に、甲板後方で見守っている細川の静かな声。

「イエッサー!」

 二人一緒に威勢良く答える!

 

 隼人とロベルトは発進チェックのポジションで、蒸気を揺らめかせているカタパルトの先を見守っている。
 徐々に、ホーネットが近づいてくる。
 朝の強い日差しに、親分のデイブを乗せたホーネットの機首がキラリと輝いた。

『セッティング、OK!』

 ルディとデイビットの声が届いた!

「さぁ……本日は君に全てを任そう」

 ロベルトが細いヒゲをやんわりと緩めつつも……輝く眼差しで隼人を見下ろした。

「サンキュー、ハリスキャプテン」

 隼人もニヤリと微笑み……口元に小さな黒いマイクを近づける。

「ビーストーム1、カタパルトOK──。発進準備、お願いします」
「ラジャー!」

 デイブの威勢良い声が届く……。

──キーンーー!──

 甲高いエンジン音が甲板に響き渡る!
 アフターバーナー付近の空気が陽炎のように揺らめき、真っ赤に燃え始めた!

「ビーストーム1! 準備OK!」
「こちらメンテ、ラジャー。管制許可始めます」

「発進チェック開始──。こちらメンテ、発進準備完了。ビーストーム1、発進OK?」
「ビーストーム1! 発進準備OK!」
「ラジャー。こちらメンテ、発進OK──。管制、お願いします」
『ラジャー。こちら空母管制、上空障害無し、発進許可OK』
「ラジャー。こちらメンテ、発進許可OK。ビーストーム1、OK?」
「ビーストーム1! 発進OK!」
「ラジャー! カタパルト発進します!」
「サワムラ! キャプテンデビュー、おめでとうな! これからも頼むぜ!」

 デイブの威勢良い声が届く。

「有り難うございます……!」

 デイブを飛ばせるのはあと数回になるだろう……。
 そう思うと切なかったが、コックピットからグッドサインをくれたデイブに、隼人は御礼の敬礼を返した。

 彼の機体は既にカタパルトの上、隼人の側にあるカタパルト発進ランプ。
 赤い点灯ランプが、点滅を始める!
 隼人とロベルトは身をかがめて、ホーネットの足元を確認する。
 もうすぐカタパルトの上の戦闘機が高速で滑り出す寸前の合図!

「行ってらっしゃい! コリンズキャプテン!!」

 コックピットのデイブに向かって、隼人はグッドサインと二本指の敬礼を飛ばす。
 デイブも同じようにヘルメットのシールドの上から、グッドサインと敬礼を飛ばしてきた──!
 赤いランプが、青色に点灯!

「発進──!」

 その声と供に、隼人はグッドサインを空母の先端、海原へと腕を伸ばして突き出す!

『ガタッ!』

 デイブを乗せたホーネットが大きな音をたてて、隼人の目の前を瞬く間に滑っていく──!

──ヒューーー! ゴーー・・・・!!──

 カタパルトの先端から、グッと上空へとデイブの機体が機首を上げ、翼で風を切るように大空へと上昇していった!!

「次! 2号機を誘導しろ!」

 少しばかり感傷的になってしまいそうだった隼人とは違って
 ロベルトからそんな間を置かない指示の大声!

『おめでとう。澤村キャプテン……』

 隼人の耳元にそんな女性の静かな声──。
 その声は、大佐室でも丘のマンションでも聞かない、彼女の声だった。
 立ち上がると、既に三宅とハリスメンバーの先輩が、葉月をカタパルトに誘導中。

『頼んだわよ』

 葉月がカタパルトから飛ぶ様子は、他のメンテチームに混ぜてもらっていた時期に何度も見た。
 だが……カタパルトの発進台で送らせてもらったのは、源の計らいで一度だけ。
 それも一年前の話になる。
 ほとんどは、他の機体の誘導であり、そしてコリンズチームを受け持っている日に、かち合うこともあまり多くはなかったから……。
 そんな彼女のパイロットとしての冷たい冷静な声を聞いたのも久し振りだった。
 だが……。

「当然だろ。サッサと来いよ──。ウサギ蜂さん」

 隼人はコックピットに向かって、彼女を誘い込むように指をクイッと動かした。
 それが葉月にも見えたようだ。

『いってくれるわねぇ』

 彼女の楽しそうな声に、隼人は何故かゾクゾクと腕に鳥肌が立つのが解った。

『カタパルトセッティングOK』

 三宅の声が届き、隼人の中の緊張感は益々高まった。

「こちらメンテ──。ビーストーム2、カタパルトOK──。発進準備、お願いします」
『ラジャー』

 デイブと違って、彼女の声は静かで淡々としていた。

──キーンーー!──

 彼女を乗せたホーネット。
 先端から、まばゆい光の筋がスッと直線となって隼人の眼を突き刺してくる。
 ゆらゆらと揺らめいていたスチームカタパルトの蒸気が、フワッとホーネットの気流に煽られて周りに舞い上がる。
 そして揺らめく蜃気楼の渦が、ホーネットを取り囲む。

『……お願いがあるの』

 本来なら、ここでパイロット側から発進準備が整った報告が届くところなのだが、何故かエンジン音が高まる中、そんな葉月の静かな声。

「何でしょうか? 御園大佐」

 隼人も落ちついて問い返した。

『左手で送って……』
「……!」
『私も左手で出て行くから……』

 左手……。
 それが何を意味するのか隼人には直ぐに解った。
 二人で『印』を持ったその手の意味は、今朝方、確認しあい、誓い合ったばかりだから。

「解りました。大佐──」
『それから……ハリス少佐』
「は、はい?」

 見守っているだけのロベルトにも声がかかって、彼は急にシャンと背筋を伸ばして驚いた様だった。

『今まで、何度も空に見送ってくれて有り難う。サワムラと一緒に見送ってくれる? あなたは左利きだから……あなたも左手でね?』
「……葉月」

 ロベルトの感極まった声。
 葉月は左手にこだわっている。

(そうか……。左利きね……)

 隼人は一瞬、ムッとしたりした。
 きっとロベルトは葉月の何処を触れるにも、先ず……左手を差し伸べていたのだろうと……。
 だが……隼人も初対面の時、ロベルトの『左利き』はとても印象的だった。
 彼と握手が出来なかったり。
 そして……彼の左手薬指にはめられているリングをみて、葉月の別れた恋人だと思ったのだ。
 さらに──。

(そうか、ロベルトも……もう、コリンズチームを飛ばすのは、後僅かで終わるんだ)

 コリンズチームにメンテチームがない事。
 そのおかげでロベルトは、週に何度かは、葉月を飛ばしてきた。
 その役目が終わる。
 彼は……隼人にその役を譲ってくれたし、その役を全うできるよう協力してくれた。
 葉月は……ロベルトが他の女性と誓い合ったリングをはめているその左手で、最後に送りだしてくれる事で……。
──『さようなら……ロニー』──
 完全に、『元恋人』という彼との間柄にピリオドを打とうとしているのではないのだろうか?
 そして完全たる『信頼ある同僚』としての新しき関係を始めるつもりなのだろう。
 急に、隼人にはそう感じられた。

「少佐。発進許可は譲れませんが……一緒に見送って下さい」

 隼人はロベルトにニコリと微笑んだ。

「……」

 ロベルトも同じように何かを噛み砕くように考えていたようだが。

「OK!」

 彼がニッコリといつもの少年のような笑顔を見せてくれたかと思うと、急に真顔になって、隼人の足元に跪いた。

「ビーストーム2。発進準備、OK?」
『ビーストーム2! 発進準備OK!』

 初めて彼女の低くて威勢の良い声が隼人の耳元に届く──!

「こちらメンテ、ラジャー。管制許可始めます」

 既に葉月のホーネットは『キーン』というエンジン音を空に響かせていた。

「発進チェック開始──。こちらメンテ、発進準備完了。ビーストーム2、発進OK?」
「ビーストーム2! 発進準備OK!」
「ラジャー。こちらメンテ、発進OK──。管制、お願いします」
『ラジャー。こちら空母管制、上空障害無し、発進許可OK』
「ラジャー。こちらメンテ、発進許可OK。ビーストーム2、OK?」
「ビーストーム2! 発進OK!」
「ラジャー! カタパルト発進します!」

 既に跪いているロベルトの横に隼人も身をかがめて、ホーネットの足元を確認する。
 赤いランプが点滅を始めた!
 隼人とロベルトは頷き合って、左手を握る。

「お前……ちゃんと飛べよ!」

 コックピットにグッドサインを隼人は突きだした。

「葉月! いつも通り、暴れておいで!」

 ロベルトのグッドサイン。

『あら、二人ともレディに対して失礼ね』

 彼女のクスクスと笑う声。

 コックピットを見上げたのだが、彼女は笑っていなく既に前方の海原へと視線を馳せている。
 だが──! 彼女が左手でグッドサインを突き出し、そして──三人は揃って、左手で敬礼を飛ばした!
 まるで息がピッタリあったかのように揃ったのだ。

 ランプが青に点灯した──!

「発進──!」

 今は指輪は見えない。
 隼人も葉月もグローブを装着しているから……。
 でも──隼人はカタパルトの先端に輝く海原と青空に向けて、左手のグッドサインを突き出した!

『行ってくるわ!』

──ガタン!──
──キーン……ゴー!!──

 カタパルト発進台の上を、真っ赤に燃えるエンジンを唸らせながら、葉月の機体が高速で滑り出した。

「行け──!」

 跪いている隼人は、先端へと辿り着いた葉月の機体を、自分の気合いで上昇させるかのように、力強く叫んだ!

──ゴー!!──

 2号機の機首がフワッと空へと向き、そして機体が滑走路から離れた──!

──ゴー!!──

 轟音を轟かせ、葉月の機体は銀色に輝きながら、青空へと向かっていく!

「次! 三号機、誘導──!」

 だけど、彼女の飛行をじっくりと見送ることは許されずに、今度はぬかりなく隼人から、後輩達へと指示を飛ばした。

『ラジャー!』

 トリシアと村上が揃って、劉大尉の機体の誘導を始めた──。
 カタパルトのセッティングを施している間……隼人はスッと青空を見上げる。
 葉月の機体は、大きく旋回をして、先に上空へと昇っていったデイブを追いかけようとしている。

「有り難う──。葉月」

 そう言ったのは、ロベルトだった。
 彼の顔は少しばかり切なそうだ。
 彼も葉月というウサギ蜂を飛ばすこと……誇りに思っていたのだろう。
 それも、もう……『卒業』だ。
 それを葉月も分かっていた事、彼はそんな葉月の気持ちを切ないながらも嬉しかった様だ。
 隼人はそう思いたい。

「サワムラ君、ついにやったね!」

 ロベルトに肩をはたかれる。

「いやー。これから毎日だからな……。どうってことないのかも?」
「照れちゃって!」

毎度の天の邪鬼も、ロベルトにはもうお手の物で慣れてきたようで、彼はニヤニヤとひげ面の顔で笑うのだ。

『カタパルトセッティング、OK!』

 村上でなくトリシアのハキハキとした声が届いた。
 父親が来ている事を考慮して、村上がトリシアに誘導の手を上手く譲ったのだと思った。

「なかなか、キビキビしているじゃないか? あと数回、全体でやれば……」

 ロベルトは満足そうだった。

「きっと……サワムラチームは俺のチームとは最大のライバルになるな」
「お、言ってくれるな! ハリス先輩が一緒に結成してくれたチームだから、俺も負ける気はないよ。その内に追い抜いてやる」

 それが礼儀というヤツだと隼人は心で呟いた。

「そっちこそ、油断しないことだね。こっちには『キャリア』があるからね」

 ロベルトとやっと肩が並べられるようになった。
 隼人はフッと微笑み、三号機のコックピットへと視線を戻す。

『ハロー。サワムラ! これから毎日、宜しくな!』
「お世話になりますよ、劉大尉。では……発進準備、お願いします」
『ラジャー!』

 銀色の翼達が次々と、隼人の手で大空へと飛び立っていった……。
 十機全てを空に送りだした。

 隼人は暫く、大空を眺め……そして、今日も白い噴煙のラインを描いて、悠々と舞い飛ぶ『スズメ蜂軍団』を笑顔で見守ったのだ。

 

 銀色の指で、彼女を送り出した……第一歩の日。
 輝く栗毛のウサギが、カタパルトをビュンビュンと走って、ピョンと空へと飛んでいった。
 左前足に銀色のリングをはめて、大きく体を伸ばして青空に……。
 隼人の分も太陽の光を身体一杯に受け止めて──。

 輝く海原、真っ青に澄んだ空に、隼人のウサギは大きく跳ねて飛んでいた……。

 

☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆

 

──ゴー!!──

 轟音が轟き、窓辺の真っ青な空の風景には、本日も乱れ飛ぶ飛行図が雄大に描かれている。

「まだまだのようだな……」

 その窓辺にたたずんで、顎をさすりながら溜息をついているのは……金髪で青い瞳の若将軍、ロイだった。
 四階にある連隊長室の大きな窓辺に立ち、彼はコリンズチームの飛行を観察中。

「あれが葉月か……」

 上昇をし、真っ直ぐな斜めラインを白く引くホーネット。
 その後を、葉月が引いたラインを軸にぐるぐるとコイルを巻くように回っているホーネット。

「コリンズは相変わらず無茶だなぁ……!」

 彼のコイル螺旋は……一回転、二回転……

「それ、せめて三回転行ってみろ!」

……ロイまで窓辺で拳を握っていた!

 だが……ここ最近、ロイが見守っているそのまま……二回転半で、螺旋を描いていたホーネットは下降し、水平飛行に戻ってしまった。

「別に二回転でも充分、ウルトラC並だと思うがな」

 ロイは一つ溜息を落とした。
 目の前、窓辺の棚には真っ赤な薔薇を差している花瓶。
 そこから、華やかな香りが放たれ……ロイの指を誘っていた。
 ビロードのようなその花びらに、何かを想い重ね触れたときだった……。

──プルル!──

 重厚な木造の連隊長デスクに置いてある携帯電話が鳴ったのだ。
 ロイはデスクに戻って、ゆったりとした黒い皮椅子に身を沈める。

「はい……」

 かけてきたのが誰か解っていて、ロイは静かに一言。

『俺、右京だけど──』
「ああ……この前は悪かったな。夜遅いのに連絡して……」
『別に。気ままな独り者だからさ──。結構、宵っ張りなんだ』
「いいな。独身が時々、羨ましい」

 ロイは青い瞳を和らげて、クスリと笑った。

『なんだと? 美穂さんに言い付けるぞ? あんなに良い嫁はなかなかいないぞ?』
「当たり前だ。俺が惚れ込んだ女なんだから──」
『ちぇ。毎度、のろけられるな』
「ところで? どうした? 音楽隊の件か?」
『ああ。俺の宿泊先だけど、ホテルで充分構わないからと言っておこうと思って』
「なんだ? うちに泊まればいいじゃないか?」
『だけどなー。美穂さんに迷惑がかかるし』
「水くさいなぁ? 美穂だって右京が来るぐらいじゃ、特別なことはしないぜ?」
『……だったらいいけど。ま、だとしてもちょっとな……』
「……?」
『お前の家に一緒にいると、アイツが嫉妬したりして?』

 右京はちょっと面白半分に言っていたのだが……ロイは途端に和んでいた空気を傷つけられたように顔をしかめる。

「そう思わせておけよ。なんだよ、俺と右京が一緒にいるのが気に入らないのか? 純一は」
『さぁね? それがどうしたと言いそうだけど? 嫉妬と言うより遠慮する質だな』
「アイツの『遠慮』っていうのが、理解できないな──」

 その『遠慮』故に、数々の出来事があったから、ロイは鼻で笑ってみせる。

『まぁ……それは俺も焦れったいところだけど。アイツのそんな所は、ガキの頃から変わってないぜ?』
「放っておけよ。アイツのことなんか──」
『そうは行かないだろう? 葉月が結婚するなんて言いだしているんだから……。時期も時期で……今頃、そこら辺、うろうろしていそうな気がするし……』
「……右京も、そう予想しているのか?」
『さぁ? 俺はどっちに転ぶかは予想できないね』

 そこで右京の声色が、急にロイを突き放すように『素っ気なく』なった事を、ロイは逃さない。
 だから……彼に聞こえないように舌打ちをした。

「解った……。お前の好きなようにすればいいだろう」
『ああ、悪いな。気遣ってくれたのに──』
「葉月のマンションに泊まれたらいいけどな」
『アハハ! そりゃ、そうしたいが……お邪魔虫だろうしな!』

──『では、来週』──

 そこで、ロイと右京は電話を切った。

「……ったく。右京も毎度、のらりくらりだな」

 ロイが口惜しく思ったのは……右京がいつも『どっちの味方でもない』という素振りをするからだ。
──『どっちに転ぶかは予想できないね』──
 右京はどちらかというと、従妹・葉月の将来は……ごく一般的にという意見。
 なのに右京は、妹をさらっていく純一の事を、ロイのように非難したことがない。
 ロイの味方でもなく、純一の味方でもないのだ。
 もっというと……『純一』という男と一番通じ合っている『親友』だから……彼が『全面的非難』をしないというのもロイは解っている。
 そこでも……ロイは口惜しい思いを抱く。

『嫉妬しているのは俺か?』

 いつもそう思う。
 純一と右京は『幼なじみ』。
 しかも、近所同士。
 幼い頃から、なんでも一緒だった仲だ。
 いや、なんでも一緒に行動していた仲というのではなく……全く異なる雰囲気と性格なのに、二人の信頼関係は強く結びついている。
──『純一なら……俺の可愛い従妹を任せても……』──
 口では絶対に言わないが、右京が心の奥底で、そんな気持ちを『容認』していることも
 ロイは見抜いていた。

『だけど……そうするなら、完全たる責任を背負ってくれ』

 それが右京の『条件』であるようだが、純一はその責任はまだ背負う決心まではしていないようだ。

 

『葉月がいなくなったら……真一が泣くからじゃないか?』

 ある時、右京は純一の『彷徨い』にそんな事を言ったことがある。

『だったら……完全に手を引くべきだ!』

 ロイはいつも通りの『信念』で訴えた。
 すると……ロイでも負けるあの高貴な笑顔で彼は余裕で微笑んだだけ。

『もし? お前が今の純一で、葉月が皐月だったら……? お前は闇夜という遠い世界から、皐月を見守って……諦めるか? 見守るだけに専念できるか? しかも皐月がロイを恋しがっている、欲していても?』
『……』

 その例えと問いに、ロイは一瞬躊躇したのだが……。

『諦める。皐月をそんな危険な世界に引き込むぐらいなら……。新しい男を見つけて、幸せになることを祈る!』

 信念を貫き通した。

『そうだな。それが正解だと、誰もが言うだろうさ……』

 急に彼の笑顔が消え……なんだか納得していない真顔に。
 まるで……ロイが言っていることが『間違っている』とでも言いたそうな?

『人の気持ちは時として……自分でもコントロールできないし、割り切れないものなんだよ』

 右京は遠い目でそう言ったのだ。

『どんなに止めようと堪えても、動いてしまう気持ちを持つ時ほど、苦しいことはない』

 まるで純一がそれと戦っているとでも言っているかのように……。
 そして右京は、時々見せる憂いあるのに、とても透き通った遠い眼差しをする。

『人は必ず間違う生き物だ。そして、間違わないために必死になる生き物だ。それだけ……』
『そんな事ぐらい、俺だって解っている』

 軍内では、誰もが畏れる切れ者のロイ。
 自分よりずっと下の階級にいる年上の『右京』。
 だけど、右京というちょっとだけ年上であるこの男性と向かい合うときに限り……こう言った話になると、ロイは急に少年のように混乱してしまう事がある。
 理屈で物を言っても、何故か右京はスッとした恐ろしいほど冷たい眼差しではね除けるのだ。
 そして、ロイは何故かそんな彼に畏れを抱いている。

 彼は『欲がない』。
 ロイのようにがむしゃらに職務に励んできた男と違って、何かが真っ平らで穏やかで……それでいて複雑そうで、そこが繊細そうで……。
 ロイには読み切れない何かを滲ませ、そっと胸の奥に押さえ隠し込んでいるような気がするのだ。
 『芸術肌』である彼からは……そんな簡単で一本調子の理屈などは『つまらない』とでも言うよな? そんな雰囲気を滲ませる。

 

「ふぅ……」

 ロイはそんな今までの事を思い返して、手に持っていた携帯電話を机に置いた。

──コンコン──

 秘書室からノックの音……。

「失礼いたします、連隊長……。そろそろランチのお時間ですが、お出かけになりますか?」

 職場では上下関係はきっちりしている『相棒』のリッキーだった。

「ああ、そうだな……」

 こめかみを人差し指で、そっと押してうなだれた。

「かしこまりました。本日は水沢少佐がお供いたしますので……」

 そんなロイに深く触れることなく、相棒側近のリッキーはスッと退いていく。

 もう、何年も『悪友』との信念はすれ違うばかりだった……。

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