・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

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7.岐路

 残暑の小笠原の夜──。
 澄み切った濃紺の夜空に、小さな滴を散りばめたような満天の星。

 時間は21時を回っていた。
 デイブの自宅で、夕食を交えた賑やかなひとときを過ごし、隼人と葉月はアメリカキャンプの小径を警備口に向かって帰宅途中だった。

「なんだか今夜のキャプテン、とっても楽しそうだったわね」

 並んで歩きながら、葉月もホッとしたように隼人の横で伸びをした。

「ああ……本当に……」

 デイブの決意を先に知ってしまった隼人からすると、どちらかというと今夜のデイブは、ちょっと『元気すぎる』という見方だが……。
 デイブはビール片手に、妙に陽気で……そしていつものように騒々しく、『昔話』ばかりしてだいぶご機嫌だったのだ。
 それに合わせるように、妻のサラも『コリンズフライトチーム』の想い出話を面白可笑しく、隼人に教えてくれたり……。
 からかわられるように『つつきネタ』にばかりされる葉月が、夫妻にやられてばかり……。
 娘達も、隼人という初めて来た『大人のお兄さん』に興味津々で引っ付き回ったり……。
 葉月が言うとおりに、『そろそろ……』と帰る姿勢を二人で見せては、『まだまだ!』と引き止められてばかり──。
 娘達が眠そうにソファーで大人しくなったのを見て、葉月とやっとおいとまが出来た。

「でも、いいな……。俺、コリンズ中佐の事、また好きになったなぁ……」
「甲板ではいつまでも頼りがいありながらも、少年のようなキャプテンだけど……。女房と娘は俺しか守られないからって……本当に素敵なご主人でパパなのよ」
「うん──。『家庭』という感じを……もの凄く肌で感じられるお宅だったな……」

 隼人もそこは気持ちを和ませてもらえて、招待されて良かったと微笑んだ。
 警備口が見えてきて、二人一緒に胸ポケットからIDカードを取り出した。

「お疲れ様です。大佐」

 銃を構えている警備隊員達。
 小さなプレハブの詰め所にいる隊員もそろって葉月に敬礼を向けた。
 急にかしこまった顔つきになった葉月が、そそとカードを差し出す。
 たとえ、大佐といえども、住居者であっても、この『金網タウン』に入る者は記録を取るのが『鉄則』であった。
 昼夜問わずに、当直で詰めている警備隊員達は、キャンプ内の定期的な巡回もしているらしい。

 警備隊員が葉月のカードを手にとって──

『OK』

 それを入所、退所の時間などを記録する機械に通して彼女に返す。
 隼人のカードも同じようにされる。

(これだけ厳しいのだからなぁ?)

 だから、なにも葉月を迎えに来なくても良かったような気もするのだが?

(いやいや……ひとりで車で帰る時に何かあってもなぁ)

「おやすみなさいませ。大佐、中佐」
「ご苦労様」

 彼等の敬礼に、葉月もお返しの敬礼。
 ところが隼人は、葉月の側でひとりで『ぶつくさ』していた。

「ちょっと? 澤村?」
「え?」

 葉月が隼人の脇腹を指でつついてきた。

「……」

 彼女が大佐の眼差しで敬礼をしているのに気が付いて……

「ご、ご苦労様です」

……慌てて詰めている警備隊員達に同じように敬礼を返した。

「ごめんなさいね? なっていない側近で……」
「い、いえ……」

 彼等のちょっと当惑したような笑顔。
 葉月はツンとして隼人の先を、スタスタと駐車場へと向かって歩き出す。

「悪かったよ……」
「なにが?」
「大佐に恥をかかせました。いけませんねぇ? 手抜かりで抜けた側近は、まったくもって……」

 隼人から先に自分を落として反省の意を見せる。
 実際に……そういう『まぬけ』な事をしてしまった自分に情けなさを感じたほどだ。

「ちょっと最近、変じゃないの?」

 彼女の相変わらずな気強い上官仕様の姿──。
 ああいう時は、たとえ勤務外の『プライベート行動』であったとしても、隊員達の前となるとやっぱり『大佐と中佐』とした姿勢が必要なのであるから……。

「……かな? ちょっと、疲れているかもな」

 いつもなら隼人もそれなりの口で葉月の生意気な上官姿にやり返すところだが……。
 デイブの『引退決意』の衝撃が強く……しかもそれをまだ『嬢に言わないでくれ、チームに言う時に一緒に知らせる』と言われたので……彼女に暫く黙っている『気遣い』なども考えると、今夜は本当に溜息しか出てこない。

「……ごめんなさい、言い過ぎたし……。あんな敬礼なんて本当は大したことないわよ」

 いつもの彼女の顔が、ふっと心配そうに隼人を見上げた。

「いや……大したことないと葉月が思っても、俺はそこはやっぱりきちんとしなくては……と、思っているから……俺自身としてもさっきのは『失敗』──」
「……」

 また葉月が、何かを心配するように、そして隼人の瞳を不安そうに覗き込んでくる。

「あ、お前、油くさっ!」
「え? ……ああ、お好み焼きの欠点ね。焼くと髪とかに臭いがついちゃうの……」

 腕を鼻に近づけて、葉月はクンクンと嗅ぎながら鼻にシワを寄せた。

「でも……残っているな」

 彼女のつむじにそっと鼻先を近づける。
 葉月が付けているトワレの残り香。
 毎晩……隼人にも慣れてきた香り。

「……そぉ?」
「うん……俺の香り」
「え? 私の香りじゃないの?」

 首を傾げた葉月に、隼人は微笑んで……そして、彼女の栗毛をクシュッと一掴み。

「俺があげた香りだからな……」
「そうね……そう言うことになるわよね」

 やっと葉月がそれらしく微笑んでくれる。

「……俺は大丈夫だよ。駄目なときは、この前のようにどぅっと可笑しくなるから」
「アハ! それはなるべく御免ね。勿論、疲れたら、ああなる前にちゃんと言ってね?」
「ああ……今度はね……」

 彼女のつむじに鼻を宛てたまま笑うと、葉月も安心したように微笑んでくれた。
 二人で笑いながら、ポツンと残っている赤い車に乗り込んで、丘のマンションを目指した。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「遅いな……今夜は──」
「もう、いい加減にしたらどうだい? リッキー」
「そうよ。いくらなんでも気にしすぎだわ」

 その頃──丘のマンションの二階。
 管理人である『ホプキンス一家』は、テラスからマンションへと登る坂道を揃って眺めていた。

「すみませんね……おじさんにおばさん……」

 その一家のダイニングテーブルでは、コーヒーを悠々と味わっている金髪の男性。

「そりゃ……うちは構わないけどね? ロイ君……」

 だが、ロバートの顔はちょっと納得できないような不満そうな顔であるのをロイは解っていた。

 制服の黒いカフスをめくって腕時計を眺めながら……ここの息子、リッキーは、そうしてテラスの窓辺に立つこと……『一時間』。彼は絶対にそこから動こうとしなかった。
 だが──。

「ロイ……もう、そろそろ良いかと思うんだ。皐月の命日も過ぎたじゃないか?」

 そこから退かないが、ロイの『相棒部下』も両親と同じ心境の様だった。

「いや──。今年は嫌な予感がする」

 コーヒーカップをそっと置いたロイは、足を組んで頬杖。

「……無理もないけどね。レイがあのようになってはね……。特にフロリダ帰省の様子をマイクから報告されてからは……俺もレイを心より祝福が出来て嬉しかったほどだからね……。だけど、ジュン先輩だって、もう……解っていると思うけどな。あの人だって大人なんだし……」
「そうだよ? ロイ君。純一君は一度だってこのマンションに押し入ろうとした事はないし」
「私もそう思うわ……」

 ホプキンス一家の揃った『意見』。

「……」

 ロイはすっと涼やかな眼差しで、一家を見つめる。
 その眼差しに……親子がスッと退いたのも解る。

 

 なんだか嫌な予感が拭えずに、ここ数週間、リッキーにこの『実家』へと通わせて、なにかと『セキュリティの強化』に、葉月と隼人の帰宅を見張らせてきた。

 『命日前後』──この期間に純一が必ず鎌倉に姿を現すことをロイは知っている。
 右京共々、ロイも、時には純一が突然現れて『葉月関係抜き』の『ちょっとした談話』をする事はある。
 だが……そういう時は純一はロイの警戒心を解くためか……『東京で待っている』とか『鎌倉で』とか……ロイに対して『小笠原から出てこい』と誘うのだ。
 その時は応じてきた。
 何故なら、『俺は小笠原に行かない。それで安心だろう?』という純一の気遣いというのだろうか?
 『葉月には近づかない』という保証をするかのようにして場所を指定してくるから。
 あの部下達を使って──。

 その時はロイは、なんとか理由を付けて本島へと出向いたりしていた。
 話と言っても、葉月と純一が云々というより『葉月の現状』について語ることもあれば、純一から『裏情報』をもらえることもあるから出かけるのであって……その時の『彼』は、とても真剣で『職務人』であり、彼自身からはそうは言わないが『御園の一員』であったりして、『葉月とどうなりたい』とかなんて一切ちらつかせない。

 それどころか……ロイの方が……。

『解っているんだろうな? 葉月に近づこうとしても絶対に、渡さないからな』

──なんて、静かな顔をしているだけの年上の彼に勝手に突きつけてしまうぐらいだ。

『解っているさ……お前に殺されたくないし、リッキーにもな……』

 彼は余裕で笑って……直ぐに日本から姿を消す。
 だが……若かった頃は許せなかったのだが、彼が息子の真一と接触する事には、昔ほど騒いだりするのはやめていた。
 ロイがどう差し止めても、『本当の父子』。
 入る隙など何処にもない……。
 そして、自然と惹かれ合って行く父子を見て……それは認めざる得なかった。

『あなたがどんなに父親代わりと頑張っても、あの子に感謝されても……。あの子が欲しているなら、止めるのは……無駄よ。あの子の本当の父親という真実を奪っちゃだめ……。ただ……あの子が真実を受け止める時に、私達は力を貸すべきだと思うわ……。きっと葉月ちゃんが、徐々に痛くないようにそっとちらつかせているのよ。解ってあげて?』

 妻の美穂にそうして何年も諭されて、折れたのだ。

 だが……葉月と会うことだけは違う。
 いや……息子を預けている『義妹』として会うなら、ロイだってここまで拒まない。
 問題としているのは『男女』として関係を持つことを『批判』しているのだ。
 だから……彼が『黒猫』が、影を葉月の周辺に『男』として影をちらつかせたら『本気で追いつめる』とロイは黒猫の純一に牽制しているのだ。
 牽制しているのに……。だったら? いったい、どうやって葉月と会っているのかと言えば……。
──『気まぐれ』のように『突然』──
 だから、ロイもなかなか『突き止められず』なのだ。

 ロイも小笠原では完璧な『権力』を手にしていても、あちらさんも『手抜かりないプロ』。
 イタチのおいかけっこの様にして、純一はスッとロイの隙を縫って葉月をさらって行く。
 それを後で知って……いつも『やられた!』と思い、裏切られた気持ちにもなる。
 だが……『食い止められた事』など一度もない。 

 だから……いつも言う。

『俺の小笠原でお前を見かけたら……本気で……殺すつもりで追い返すぞ!』
『勿論──。お前の管轄内に怪しい闇男が踏み入れるとしたら、それが鉄則だ』

……なんて……これまた涼やかな顔で彼は流すのだ。

 だけど……彼は『突然』という手を使って、ロイの忠告を聞いているようで聞いていなく、ロイの手元にいる『義妹』を、何度も捕まえてさらっていったのだ。
 その『抗議』を、次に会った時に延々と突きつけるのだが……。

『何のことだ? 俺は何もしていない』

……と、これまたあの無表情な顔ですっとぼける始末。
 つまり……お互いに『葉月の為』になる事は、険悪な仲でも『協力』しあって来たし……険悪な仲でも『許せない事』にはお互いに力を貸し合ってきていた。

 だけど、葉月に近づく事は許さなかった。
 険悪な仲とロイは表現するが、リッキーに言わせると『ライバルという悪友』の様な関係。
 そして、お互いに腹を探り合うのはただ一つ。
 『葉月に対する気持ち』だった。

 ロイがいくら真っ向から尋ねても、純一は一切、『なんのことやら?』と、とぼける。

『葉月が……本気にしているだろ!? お前、責任とか感じないのか!』
『本気も何も……オチビとはなにもない』
『お前達、会っているだろ!? この前も葉月の休暇を狙ってさらっただろ!?』
『なんでお前はそう思えるんだ? オチビがそう言ったのか?』
『いや……葉月は何も言わない。言うはずがないだろ!? ただ……葉月があんなに落ち込んでいたのに、また……』

 そこでロイは悔しそうに唇を噛みしめる。

『なんだ?』
『また……頑張ると前を向き始めて、意欲的に勤務しているからだ』
『それは良かったじゃないか? 俺は何もしていないし、知らないな』
『俺の目は、誤魔化せないぞ! 俺には解る! 葉月の顔が女だったからな──!』
『さてな? また……何処かの男に惚れたんじゃないか?』
『よくそう言うことが、平気で言えるな!』
『今度は……良い男だといいが? オチビ次第だな?』
『……』

 本当は……本当は……一番手元に葉月を置いておきたいくせに!
 こうして彼はあっさりとしているのがまたシャクに障る!
 それとも本当に?
 二人は『ただの戯れ』、『一時の熱愛』だけと割り切っているのだろうか?
 いや……ロイから見れば、一目瞭然。
 少なくとも葉月は……『本気』だと。
 葉月が『自覚していない』事まで解っているし、その上でロイは大人として、葉月のいろいろな様子や表情に仕草から、そう感じることが出来ていた。

 問題は……この『馬鹿義兄』の『本心』と『魂胆』だ。
 もし……この馬鹿義兄の方が『ただの戯れ』、『一時の熱愛』と、勝手に大人の男を気取って割り切っているとしたら……それこそ側で葉月を見守っているロイとしては一番許せないところだ!
 まだ女性としては著しく自覚が遅い義妹が、思うように心も身体も許すからさらうのなら……義妹を弄ぶにも程がある! と、いうヤツだった。
 そうじゃないというなら『俺はオチビを本気で愛している』と一度でも良いから聞いてみたいだけだ。
 それならそれで、ロイも少しは心が救われるような気がするし……それと同時に純一に、解ってはもらえないだろうが、僅かな希望を持って彼を諭したいところ。
 なのに──彼は『なにもない。なにもしていない』と隠すばかりだ。

 この一点に関しては、毎度、このような平行線で交わされてばかり。

『もし……葉月が、お前以外の男に心を開いて、心底本気になったら……』
『それが……葉月の幸せだとお前も右京も言うではないか?』
『俺や右京が言っていることでなくて、お前はどう思っているのかと聞いているんだ!』
『……解りきったことを。俺がオチビと関わって、最終的にどうにかなったら──最悪──だな』
『……』

 その時の彼の眼差しは……ロイをたたみかけるように輝く。

──そんな事は絶対ない──

 それを一番に訴えるかのように……。
 葉月を、自分の手元におくようにする事はない。
 それは彼も良く解っていると、ロイにも度々通じている。……のに、彼は誤魔化すが、彼は絶対に葉月を手放さない。

 『解っているのに』、手放さない。
 『俺のオチビ』とは絶対に暴露しないが、ロイには解る。
 皐月への想いすら、誤魔化し続けてきたこの男が……また、今回も妹への新たなる愛情も誤魔化し続けている事など、お見通しなのだ。

 そこにロイは……彼の哀しい本心と性質を見てしまって、何も言えなくなる。
 女性への愛情は、ロイから言わせると『お前って結構、ガキだな』とか言いたくなるほど誰よりも不器用で、裁ち切りが悪いのだ。
 そのくせ、結構……女性扱いは上々、女心をがっしりと掴む心根があったりして──だから、質が悪い。

 その上、なんでもござれの『力』まで備えている。
 そんな男が、『恋心はガキ心』だからしょうもない事ばかり起きる。
 『ニヒルな素敵な人』と女性はのぼせるかも知れない。
 とんでもない。
 ただ、感情表現が下手なだけの『紳士』であるだけだ。
 男のロイは、そう言えるのだが、女達にはそうは見えないようだから腹立たしくなるばかり。
 現に、ロイの妻……美穂ですら。

『彼ほどの男性に、あなたが敵視しているだけじゃないの? リッキーもそう言うじゃない? あなたも女性は大切にしてね。私は彼の事、好きよ。私には笑ってくれるもの』

──なんて!
 妻まで、純一には甘いのだ。

 とにかく、ロイの見解は……

『解っているけど、どうしても近寄ってしまう、どうにもならないんだ』

──と、いう純一の心の声が聞こえてくるようなのだ。

 それが……哀しいのだ。
 これほどの男の『弱点』といったら、そこになるのではないだろうか?

『いつかは……終わりがやってくる』
『……何も始まっちゃぁいない』

 とことん誤魔化す彼に、ロイは真剣に言う。

『──だったら、始まったなら終わりがある、そうだろう? 特にお前と葉月の場合はな……』
『そうだな……』
『解っているならいいさ。ただし……葉月を傷つけるな。姉のようにな!』

──姉のように──

 これを最後に付け加えた自分に……ロイは嫌気が差した。
 なによりも自分が持っている一番の『劣等感』。
 本当は『彼だけの責任ではない事』を何年も自分に言い聞かせ、そして、彼を慰めてきた事だってあったのに……。
 いざとなると、『つい』……『彼の一番の弱み』を切り出してしまう。

『……じゃぁ、また』
『ああ』
『また会う日まで、気を付けろよ。純一』
『俺に心配なんていらない──』

 いつものお決まりの『別れ』。
 そこで二人はいつも太陽の世界と夜の世界に別れて行く。
 その繰り返し──。

 

 ダイニングテーブルに置いたコーヒーカップをロイはもう一度手にして、一口。

「そろそろ、帰る」

 ロイは立ち上がる。

「まだ、帰ってきていないけど……」

 リッキーはまだテラス窓辺で、ジッと丘の坂道を見つめていた。

「なんだか……どうしようもない気がしてきた」

 今の葉月を見て、あの男がどう考えているか……ロイは『揺れている』。
 また……『俺はどうしようもない男』と身を退くような気もするし、また……『今度はいつもとは違う』とひとりで悶々としているような気もするし。
 だとして、彼が『今までにない行動』を取るとしたら『予想がつかない』。
 だけど……ロイの心の何処かでうずくものが……。

 

『ロイ、ごめんなさい、ごめんなさい……』

 美しい大きなガラス玉の瞳から大粒の涙を流して許しを請う彼女が浮かぶ。

『私が悪いの、私が嘘をついたの。私が彼を誘惑したの……私が……』
──だから、あの人を責めないで……──

 『予想がつかない』事を、あの男は一度、してやってくれているのだから……。
 でも……あの時はロイも皐月欲しさに『強引』だった事は認めている。
 だけど、今回は違う。
 自分は『恋の渦中』には今回は含まれていない。
 だからこそ……今回は強引も遠慮もない。
 徹底的に、彼に『お前は自ら闇を選んだ男なのだ』と解らせるのだ。

 

 そして……一応、『密かなる厳戒態勢』は取ったのだが……

(やはり、命日は避けたか──)

 あの男の事、ロイがそれぐらい予想していることを解っていて『避けている』かもしれない。
 そんな事も念頭に入れて置いた。だから……。

「帰る、リッキー。ロバートもアリソンも……迷惑をかけたな」
「いや……構わないよ。君がレイを誰よりも心配し、大切にしている事は解っているから」

 ロバートの寛大な笑顔。
 その横で、ほっそりとしたアリソンも、優美な笑顔で頷いてくれていた。

 二人で丘のマンションを去ろうと、エレベーターに乗り込む。

「来なかったか……ジュン先輩」

 リッキーの溜息。

「なんだ? 来て欲しいみたいに……」
「……ロイには悪いけど? 俺は先輩とレイは一度きっちり向き合った方がいいと思うね。──『良き決別』──なんていう形が許されるならね……甘いかな?」

 母親譲りのリッキーのすみれ色の瞳が煌めいた。

「甘いな」

 呆れた口調で、『相棒』に返してはみたのだが……。

(葉月にそういう自覚が芽生えているなら……)

 純一のことなど、どうでもいい。
 あの可愛くも哀しい義妹の将来のためなら……。

『ロイ……ごめんね。頼める義理じゃないけど……葉月を宜しくね』
『当たり前じゃないか! 俺はとっくに葉月のことは義妹になるんだと……思っていたし。もう……その気持ちは変えられない。だから……任せてくれ』

 彼女が『死』を決する前に、ロイに残してくれたあの言葉。

『皐月……俺と純一はまた正反対の事でぶつかっているよ』

 正反対の方向へと、義妹の両手を引っ張り合っているような気がしてならない。
 そう考えると、ロイも同時に『大人げない』気もして情けなくなるのだが……。
 マンションの入り口に出て、ロイは満天の星空を見上げ、青い瞳を細めた。

 

「あ……! 帰ってきたな!」

 リッキーの愛車、茶色いジープに乗ろうとしたところ……丘の坂を上がってくる赤いトヨタ車。

「あら!? ロイ兄様!」

 ロイとリッキーに気が付いた葉月が運転席から顔を出した。
 助手席にはちゃんと隼人が乗っていて、ロイはホッとした。

「なんだ、残業か?」
「ううん? コリンズ中佐のお宅に誘われてお邪魔していたの」
「お疲れ様です、中将、ホプキンス中佐」

 いつもの如く、礼儀正しい隼人がすぐさま助手席を降りて挨拶をしてくる。
 それに遅れまいと葉月は定位置に駐車する前に、運転席から降りてきた。

「なんだ。葉月もたまには彼孝行か?」

 近頃、運転席には隼人が座っている所しか見たことがないため、ロイは笑ってみる。

「あら? 失礼ね。コリンズ中佐のお酒の相手は男同士。私は遠慮して、呑まなかっただけですわよ」
「ほぅ? オチビも良い心がけだな」

 ロイが笑い出すと、いつもの如くからかう兄様に葉月は膨れ面に。

「リッキーが実家に帰ってくるならともかく、兄様までお邪魔しているなんて……それも珍しいわね? 『なにか気になることでも』?」

 腕を組んでなんだか葉月は睨んでくる。
 彼女は解っている……。
 『姉様の命日で、純兄様の侵入を警戒している』と──。
 だが、ロイも見抜かれていることなどで慌てはしない。

「たまにはロバートとアリソンにも顔を見せないとな。息子を借りっぱなしだから」
「ふーん」

 目を細め、なにやら含むような葉月の反応。

「コリンズ夫人は元気だったかな?」

 ロイは何もかも解っていて聞いてみた。

「ええ。いつも通りに元気だったわよ。兄様はキャンプタウンの役員として……確か、サラとはよくご一緒よね? サラが頼りがいある紳士って褒めちぎっていたわよ」
「あはは。そうか! コリンズ夫人もとても行動的で俺も助かっているよ」
「そう」

 そういった葉月の顔は笑顔ではなく……何か様子を探っているようにも見える。
 彼女は『いつも通り元気』と言っているが、そんなはずはない。
 連隊長である自分は、コリンズに何が起きたか知っているのだから──。
 この昔から『おませ』で『察し良い』義妹が、直属の先輩である彼の様子を見逃すはずはない。

『兄様がまたなにか始めているような気がするわ』

 そんな義妹の眼差しだった。
 だが……側にいる隼人はなんだか落ち着きがない。

『コリンズには言うなら、先に澤村に言うようにと言っておいた』

 細川の報告をロイは思い出して、隼人が既に知っているのだと悟った。
 彼は、葉月にはまだ知られまいと、今……話題になってハラハラしているのだと思った。
 そんな隼人の……周りを気にして、葉月を気にして自分を懸命に押さえている姿。
 ロイは、そっと感心しながら密かに微笑む。
 そして……そんな穏やかなロイをジッと見つめていた葉月が、諦めた様に、すっと視線を外した。

「では……葉月。盛大な訓練をしているようだが、くれぐれも気を付けて」
「有り難う、兄様」
「俺も窓辺で見させてもらっているけど、楽しみだね。結構、無謀な事しているようだけど──」

 リッキーもニコリと葉月に一言。

「うん! 大丈夫よ。キャプテンのチャレンジはいつもの事。それに……駄目なことは『おじ様』がちゃんと叱ってくるから」
「それもそうだね」

 リッキーのいつもの優雅な笑顔に、葉月も愛らしくいつもの笑顔のお返し。

「さて……今夜は遅くなったな」

 リッキーが助手席の扉を、側近の仕草で開けてくれ、ロイは乗り込もうとした。

 すると──。

「兄様──!」

 葉月の強い声に呼ばれて、ロイは振り返る。

「あのね……」

 隼人と横に並んで……葉月が俯いていた。

「あの……」

 いつにない可愛らしい少女のような顔で、頬を染めている。

「私……」

 おませで生意気な末娘。
 ロイにも適わない口で楽しませてくれる義妹が、妙に躊躇っている。

「どうした?」
「なにかあったのかな? レイ?」

 リッキーと揃って顔を見合わせた。
 なにやら並々ならぬ『予感』が、兄貴二人の間に漂ったのだ。すると──。

 

「私……彼と結婚しようと思っているの!」
「は、葉月──」

 

 そう言いきった葉月は、戸惑う隼人の大きな手を、ギュッと握ったのだ。

「結婚──?」
「レイ!? それ……本当!?」

 ロイとリッキーはまたもや顔を見合わせた。

「彼が……結婚しようと言ってくれたの……」
「えっと……そのっ。連隊長……これは!」

 堂々と告げる葉月に対して、手を握られた隼人は慌てていた。

「兄様……今まで、いろいろと心配ばかりかけてごめんなさい」

 途端に……彼女の瞳がしんなりと哀しそうに揺らめいた。

「私……もう大丈夫。彼と一緒に頑張るから……!」
「葉月……」

 『決心』と堂々と義兄に宣言する葉月の姿。
 それを見ていた隼人が、感動をしたように慌てていた姿を引っ込めた。

「それだけ……」

 葉月はそういうと、恥ずかしいのかスッと運転席に乗り込んでしまった。
 だが……隼人は慌て、ロイの所に駆け寄ってきた。

「隼人、本当なのか」

 信じているが『上辺だけ』でないのか、彼を試すように冷徹な眼差しを差し向ける。

「はい。本当です」

 慌ててはいたが、その時の隼人の眼差しは怯むことなく真っ直ぐにロイに向けられる。

「そうか……頼んだぞ」
「あの……ですけど、まだ正式に決まるまでは」
「解っている。そうは騒ぎ立てない。大佐が結婚となるとな……周りの反応もあるし」

 ロイがそう言うと、隼人がホッと胸をなで下ろしている様に見えた。

「あの……本日夕刻に、コリンズ中佐のキャプテン引退の件、お聞きしました」
「そうか……細川のおじさんが早めに考えたいと言っていた事だが。そんなに早く二人の話が進んでいたとはね。おじさんの見解に先を越されたな」
「やはり……連隊長も、彼女の女性としての人生を……」
「ああ……俺は葉月をコックピットから降ろすのは少しばかりガッカリだが。それは大切な事だと思わないか? 男として……」
「……はい、思います」

 彼、隼人も……ロイと同じように『じゃじゃ馬パイロット』を愛しているのだろう。
 解っているが、『大事な事』と身に染みているようでちょっと俯いて頷いているだけ。

「だったら……俺達で力をあわせてな……」
「はい……中将」

 やっと彼から信頼できる頼もしい笑顔を見せてくれ、ロイもホッとしてジープの高い座席に足をかける。

「そうだ……隼人」
「はい?」
「──『おめでとう』は、まだ言えないな」
「!?」
「どうせ、そうなったからには葉月から『驚くこと』も聞かされたんだろう?」
「……いえ?」

 隼人が青ざめたように黙り込んだ。
 『聞いた』けど『他の人とはまだ話せない』。
 隼人のそんな彼らしい『配慮』にて、ロイは『知ってしまった』と判断した。
 横にいるリッキーも隼人の表情をジッと観察している。

「困ることがあれば……俺まで。俺は完全に『隼人の味方』だ」
「……有り難うございます」

 隼人は軍人的に頭を下げただけだった。

──バタン!──

 定位置にひとりで赤い車を駐車した葉月が、運転席から出てきた。

「私! 先に部屋に行くからね。男同士でごゆっくり!」

 隼人が慌てるようにロイに何かを繕っているように見えたのか、いつもの強気なご機嫌斜めな姿で、ツンと葉月はエントランスに入っていった。

「早く、行ってやれ……。勘良いから、何を話しているか蚊帳の外で拗ねているぞ」

 ロイは苦笑いで、隼人の背を押した。

「そうそう、昔から『兄様達から仲間はずれ』になると、ご機嫌悪くなってね!」

 リッキーも側でクスクスと笑い出す。

「では……また」

 隼人は慌てるように葉月を追いかけて行く。
 ツンとしている葉月の横に、隼人がなだめるように側に並びエレベーターに乗り込んだ。

「ロイ……どうする?」

 まだ助手席に乗り込まずに、義妹とその男が消えた先を見つめているロイ。

「……『岐路』だ」
「岐路?」

 ロイはそう呟いた後に、スッと満天の星空を見上げる。

「これでハッキリするだろう……『身を退く』か『本気になるか』」
「……」

 リッキーは黙り込んでいた。

「きっと追いつめられているな。アイツ……」

 すると、星空を見上げているロイに、リッキーが呟いた。

「今回は外された。次は式典でしょう──連隊長」
「……だな、こちらが忙しくてドタバタしている隙をついてきそうだ。隊員達も島民も揃って祭り騒ぎで気が緩む。それに毎年恒例の俺の家での功労パーティもある」
「……備えておきましょうか? こちら連隊長直属の特攻隊」
「そうだな……『いつもの数名』で」
「イエッサー」

 側近の顔に引き締まったリッキーに助手席に乗せられる。

 リッキーが運転席に乗り込んでエンジンをかけた。
 彼がニヤリと微笑む。

「楽しみだな……。あの『金髪の坊や』とは因縁の対決。また出来そうだ」
「お前も意外とこだわるな」

 ロイは純一の部下に敵対心を持っているリッキーに呆れた溜息。

「あの坊やはあの手、この手が非常に面白い。どんな手で来ることやら? 今度はこっちの協力は一切なし。小笠原侵入は自分達の力のみで来るしかないからね」
「お前とジュールもおかしいぞ? お前達こそ悪友だろ? 悪友」

 茶色いジープが走り出して、リッキーがフフと微笑んだ。

「悪友? とんでもない。ただの『ギブアンドテイク』でしょ。勝負は勝負だからね」
「……どうなることやら、まったく……」

 ロイは溜息をついて、また星空を見上げた。

「葉月の顔……本気だったな。愛しているんだ本当に……」
「可愛かったね、レイ」

 だけど……そういうリッキーの口調はまだ何処か納得してないようだ。
 そしてロイも……『本気』と受け止められたのだが……。
 どこかまだ……『終わっていない』気がしてどうしようもないのだ。

 隼人には……絶対に……。
──『俺の二の舞にはさせたくない』──
 それがロイの脳裏に浮かんでいたから……。

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