・・Ocean Bright・・ ◆蜂親分の苦悩◆

TOP | BACK | NEXT

8.大佐嬢って?

 九月の末に差し掛かってきたある日──。
 そこは四中隊棟舎、一階の一室。

「キャプテンから担当機ローテーションが届けられたから、確認しておくように」

 班室の上座は、サブキャプテンである『デイビット=ファーマー大尉』の席。
 それに従っているメンバーのデスクにプリントが回された。

 デイビットは、隼人に任されている書類整理に余念がなく、直ぐにデスクにかじりついていたが、他のメンバー達は、それぞれの位置に数カ所固まって、ざわめいていた。

「なんだよー。甲板に出る初日がストーンズ機ってさぁ?」

 気が抜けたようなエディの声。

「私はいきなりリュウ大尉の機体!」

3番手の機体にローテーションが宛てられて、戸惑い気味のトリシア。

「大丈夫、その日は俺がしっかりトリッシュをサポートしてあげるから」

 トリシアには必ず『先輩』とペアになる仕組みを澤村キャプテンが敷いていて、そんな頼もしい声をかけてくれたのは岩国基地から来た『村上』。

「村上さんはご結婚しているのですか?」

 トリシアの変にうかがう質問に、彼が黒髪をフッとかいて上を見る。

「それって俺を誘っているのかな?」
「違いますよ? ごく一般的に聞いているんです」

「女ってそういう事、気にするんだ」

 そこへ会話に割って入ってきたのは、御園大佐嬢の機体を担当したいと立候補した三宅。
 エディと彼の眼差しが心なしか、かち合ったような気がして、トリシアと村上は揃って苦笑い。

「俺は結婚していないよ。でも、本島に彼女は置いて来ちゃったなぁ」

 村上の溜息。

「彼女……こんな遠い離島に転属で泣きませんでしたか? もしかして岩国の女性?」

 割って入ってきた三宅が先輩の村上に、ちょっと同情するような眼差しで問いかける。

「うん、泣かれたけどね。良く理解してくれて暫くは遠恋かな。しかし、本島と言っても、直ぐは横須賀、彼女は本島の西の端、山口県だから厳しいなぁ。だから……そうだなぁ? 結構付き合って年数も経っているし? そろそろってね。彼女は、そういう事なら離島での生活も厭わないと言ってくれているから」
「まぁ♪ だったら、安心ですね!」
「俺は駄目かもなー」

 三宅のガッカリしたような顔。
 どうやら、彼も『転属にて彼女と離れた』らしく、それで村上を同情していたようなのだ。

「ま。俺には関係ないかな?」

 そんな年頃同世代の話に、エディはいつものふてぶてしさでシラっとしていた。

「本当にエディ先輩って、女っ気無しでも平気そうですね」
「めんどうくさいし」

 指を耳の穴に入れて、エディの素っ気ない反応。

「もしかして? エディは『レイ様』とかいう女性しか眼中にないとか?」

 気になっていたのか、村上が『御園大佐』と知っている上で、ちょっとからかうようにカマを掛けてきた。

「あれ? 知らないんだ? レイのこと」

 まるで昔からの同級生のように葉月のことをほのめかすエディに、トリシアまで面食らっていた。

「知らないって? なにが?」

 エディと三宅はよくよく聞くと歳も『一つ違い』と判明し、なんだか二人は妙に親しいような、でもライバル心を持っているようなそんな仲になってきているようだった。
 周りから見ると、畏れ多くもAAプラスの先輩に、遠慮なく向かってくる後輩という図で、エディの方が、三宅をつつきまくって気に入っているという感じにも取れていた。
 そんな三宅の慣れたような尋ね方にも、エディはニヤリと笑っただけ。

しかし……。

「レイには恋人がいるって有名じゃないか? 俺はフロリダでもそれ良く知った上で来たし」
「え!?」

 村上と三宅が驚いた声をあげた。

「ちょっと……エディ先輩」

 既に知っているトリシアも、困ったようにオロオロしはじめる

「あの御園大佐に……恋人がいたんだ!」

 三宅の意外そうな顔。

「まさか……この基地内にいるのかよ!?」

 村上も驚きだったようだが、いるなら『軍人』とは予想が直ぐについたようだ。

「毎日、目の前で見ているぜ? 俺達──。レイの彼氏」

 エディがニヤリと微笑む。

「毎日? 目の前?」

 三宅がフッと首を傾げたのだが……。

「ええ!? それって……!?」

 村上は気が付いたようだが、二重に驚いたのか絶句してしまったようだ。

「なになに!? なんだか大佐の恋人がどうこうって!」
「俺も聞こえたぞ!」

 それぞれの慣れた仲間と固まっていた他のメンバー達が、エディの席に集まってきた。

「こら……エディ」
「ありゃ、すみません。サブキャップ──」

 妙な話題になっていると気が付いたデイビットが、直ぐ目の前にいるエディを一睨み。
 そして、彼はペンを握りつつそっと後輩達に微笑む。

「まぁ……その通りなんだけど」
「え!? 誰なんですか! 有名って??」

 三宅が、一言で終わらそうとしたサブキャプテンに詰め寄ってくる。
 すると、トリシアよりかは後輩になる隼人と葉月の教え子『ヨハン』が、無邪気に……

「うちのキャプテンに決まっているじゃないか」

……なんて、ニコニコと言ったので、皆が振り返った。

「ヨハン! お前、なんでフランスから来たのに、もう知っているんだよ!」

 突っ込んできたのは、フランス航空部隊で隼人の後輩だった『ジャック』。

「え? だって……いい雰囲気で、俺達のクラスでは『どっちも好意的』って噂だったけど?」

 ヨハンは隼人と葉月が出会った『研修』を目の前で見てきた生徒だ。
 そういう話になるなら『始まりはアレでしょ』と断言できる立場であった。

「じゃなきゃ……小笠原に転属だってしなかったんじゃない? 教官は……」
「でも……あの先輩の事。きっと色恋だけじゃないよな」

 ジャックは後輩だけに『サワムラの頑固さ』も良く知っている口振りだった。

「だってさ……。女を振ったら冷たいし、かと思ったら……いつのまにか綺麗な民間女性と付き合って、その人は先輩と別れた後に、基地街では一番の美容師に出世してさ。女性と別れても、駄目な人は一切お断り、認めた人は別れても良き友人とハッキリしている。なんていうの? 一線引くのが上手くて、それでいて女性に頼られる性質というのかな? 女性にもそうだから、男性からも影ながら頼られている節はあったな? 出世しなくてもなんとなく目立っていて、存在感はあったぜ。ミゾノ大佐は、そういう所を良く見ていたみたいだから、お互いに何かカッチリ合ったんじゃないの?」

 後輩のジャックも、フランスでのキャプテンの過去は一番良く知っている立場。
 そんな『フランス組』の『サワムラエピソード』に、デイビットやエディまで面食らって聞き入っていた。

「じゃぁ……大佐と上手く行っているのも、サワムラ中佐ならではって所ですね♪」

 はつらつとしたトリシアの締めくくりに、男性達も納得したように笑顔をほころばせた。

「まぁ……こちらの基地では『公認』のようだから、どこでも話題にはなっているみたいだよ。キャプテンも隠すつもりもないみたいだしね」

 デイビットは微笑みながらそういうと、また元の事務作業に戻っていく。

「でも……そういう心積もりは、職務中には関係ないだろうけど、胸に留めておいた方が良いね」

 デイビットの最後の一言。
 後輩達は、まだ驚きなのか顔を見合わせていた。

「なにかサワムラ中佐自身から、聞いたのかな? サブキャップ」

 近頃、信頼関係がしっかりと確立してきている隼人とデイビット。
 歳も一つしか違わないので、メンバーから見ると『キャプテンとサブ』は『大人』に位置しているようだ。
 それにデイビットは唯一の『既婚者』。
 誰よりも落ちついていて、その控えめで細やかな気配りにメンバー達はすっかり頼っている。
 そんなデイビットなら、隼人から『キャプテン以外』の話も知っていそうだというエディの口振りだった。

「別に? こちらからも聞かないし、中佐からも率先してそういう話はしないよ。だけど……そうだなぁ? カフェで他のメンテ員と食事をしたときに『そういう話題』がさらりと出てきたから? 俺も気になってそれだけキャプテンに確かめたよ」
「え? そうなんだ!? 中佐、その時どんな感じだった?」

 エディの遠慮ない口調に皆は苦笑いだったが、そこは皆も興味津々──。
 サブキャプテンの答を静かに待ちかまえている。

「ああ……『御園大佐とお付き合いをしているとは本当か?』と聞いたら……」

──『ああ……本当だよ。彼女のマンションで同棲している』──

「──と、あっさり笑顔で言われたよ。だけど? 勤務中にはそういう事、ちらつかせないんだよね? 大佐嬢はあの通り、メンテのことは中佐に任せきりで、俺も数えるほどしか話した事ないんだけど」
「え! もう? 一緒に住んでいるのですか!?」

 そこまでは予想していなかったのか村上が声をあげ、皆もどよめいたのだ。

「かれこれ……九ヶ月になるそうだよ。上手くいっているんじゃないかな?」
「結婚するんでしょうか?」

 ワクワクとした眼差しで、トリシアがデイビットに答を求めるのだが……。

「どうだろう? そこまでは立ち入って聞けないよ。まぁ……恋人同士ぐらいじゃないのかな? 二人とも立場があって、それぞれ忙しそうだから、マンションにいる時だけが『普通のひととき』なんじゃないかと、俺は思っているよ」
「なんかなぁ……先輩はすごい所にいっちゃったよ」

 後輩のジャックが溜息をつく。

「俺も……まさかあの日本人教官に教わった時は、ただの教官と思っていたけど。あの人が小笠原に転属した途端に、妙に『あのサワムラの教え子』なんて箔がついちゃって」

 『驚いた』と……新たに呟いたのは、隼人のもう一人の教え子『ピエール』

「俺も! 大佐とサワムラ中佐がやったあの滑走路デビューの話を良く聞かれるし」

 ヨハンも負けまいと入ってくる。

「あら……フロリダではとっても素敵な男性だったわよ? 大佐のドレス姿もとっても素敵で、その横に並んだ中佐も劣らず紳士で!」
「ドレス!?」

 また皆がトリシアの話に首が揃って動いた。

「うん……! 私とエディ先輩は、その時既に引き抜きが終わっていて、大佐のご実家である御園中将のご自宅のパーティーに招待されたの」
「ええ! それって貴重な体験じゃないか! だってなぁ? 大佐のドレス姿って!」

 想像が出来ないのか、三宅はいろいろな話が出てきて興奮しきっていた。

「別に、青くて長ったらしい布きれを引きずっていただけだよ?」

 なのにエディはばっさりとしらけた表現で、皆の興奮を鎮めてしまう。

「ね? 村上さん。エディ先輩はこういう男性だから、絶対に大佐に気がありませんわよ。つまり、エディ先輩はただパイロット・レイに興味津々なだけなのよ」

 同じ女性であるトリシアは、そんなデリカシーがないエディをちょっと横睨み。

「こうして聞くと俺達は、結構、何も知らないよな」

 村上の溜息に、一緒に来た日本組の後輩達は頷いていた。

「同じ日本人なのに──」

 三宅もちょっと馴染めないのかそう呟いた。

「俺もまだ……大佐をじっくり見た事ないな」

 篠山と峰原、笹木と言った若い日本人組も顔を見合わせて頷き合っていた。

「あはは」

 後輩達のそれぞれの話に、大人びているデイビットがひとりで笑い出す。

「そんなに不安がらなくても、『あの人達』とこれから一緒に行動すれば……自然と……『俺達と一緒なんだな』と思えてくるさ」
「そうだよ。皆、レイのこと大佐、大佐嬢って退いているけどさ。そんな事考えなければ、全然、ひとりの女の子だぜ?」

 やっぱりなにやら堂々としているエディは、『大佐嬢』なんてなんのそのという顔なので、メンバー達はちょっと変わった『尊敬』のような眼差しを複雑そうに向けている。

「それにしても、エディはなんで大佐嬢のことを、レイ・レイって呼ぶんだよ?」

 村上は不思議そうだった。

「俺も、そこはちょっと気になるかな?」

 デイビットまで、ちらっとした眼差しでうかがってきたのだ。

「だって……俺と初対面の時に、大佐とも御園とも言わずに。『私はレイ』って言ったからさ? なんでもアメリカでのニックネームらしいよ。そういえば、彼女周辺のフロリダ陣営上官達も、そう呼んでいたな? ミゾノとかハヅキとかより、俺達には馴染みやすいじゃないか?」
「そうだけど……そういう親しい人達だけの呼び名なら、時には遠慮しないとな?」

 デイビットのちょっとした心配そうな釘差し。
 だけど、エディはケロリ。

「別に、レイにやめろと言われた事ないし。それにちゃんとした場では職名で呼んでいるし」
「まぁ……それならいいけど」

 一向に、言う事を聞きそうもないエディのことは、もう諦めているのかデイビットもうるさくはない。

 

「お疲れ! どうかな? 皆」

 デイビットとエディのデスク周辺に集まっていた所へ……隼人が班室の扉を開けて現れた。
 皆が揃って、飛び上がるように……そして、蜘蛛の子が散っていくように『解散』。

「あれ? 仲良く皆でやっているようだね」
「あ、ああ……今、担当機ローテンションの事で盛り上がっていたよ」

 席を立ったデイビットは、『噂の当人』が現れたため、苦笑いで隼人を迎えた。

「? なにかあった?」

 だけど、後輩達のソソとした様子に隼人はちょっと訝しそう……。

「えっと……キャプテンこそ、どうしたのかな?」

 なんとか隼人の気を逸らそうと、デイビットは尋ねてみる。

「ああ……そうそう、皆、お知らせ!」

 隼人は上座にあるデイビットのデスクに位置取ると、彼と並んでデスクに座っているメンバーを見渡した。
 『お知らせ』に来たキャプテンを、メンバー達はプリントから顔を上げて、そして……静かに耳を傾ける。

「いよいよ明日から、全員揃って甲板に出動だけど……」

 そう、明日から隼人を筆頭としたチーム単位での訓練が開始されるのだ。

「本日のミーティングは、14時から。明日、コリンズチームをサポート担当の第二中隊第三チーム……ハリス少佐のメンテミーティングの時間に行う。このチームに従って、コリンズチームを動かすのでよろしく。それで……」

 隼人が一息ついて、フッとトリシアを一瞬見つめた。

「フランス組は良く知っていると思うけど、このハリス少佐が昨年からずっと、俺と組んでの『4・5フライトメンテチーム結成』を指導してくれた先輩だ。この先輩無しでは、このチームの結成と顔ぶれはなかったといってもいいから覚えておくように。それから……その第二中隊ハリス少佐のこのメンテ訓練にお供させてもらうのだけど……」

 するとまた……隼人がチラリとトリシアを見る。

「なんですか? 中佐……。私に何か問題が?」

 それに気が付いたトリシアが、怯えたように首を傾げている。

「そのー。第二中隊長の『マクガイヤー大佐』が、明日は甲板訓練を見学するそうで……」
「え!?」

 トリシアの父親が甲板見学。
 それでトリシアはすっかり固まってしまった。

「お。トリッシュ……! 明日はパパの目の前でメンテ訓練か。頑張らないと!」

 隣の席にいるエディが面白そうにトリシアの肩をはたいた。

 すると──!

「ちょっと待った!」

 ピエールと村上が一緒に立ち上がった。

「マ、マクガイヤーって……!」

 村上がトリシアをシゲシゲと眺め……

「トリッシュ! パパって!?」

 フランス組も唖然としていた。

 「あれ? まだ知らせていなかったのかな? トリシア……」

 メンバー達の驚きように、隼人は意外な顔をしてトリシアに問いかける。

「……はい。関係ないと思って……自然と知ってくれたのならそれで良いと思っていたので」
「トリシアらしいね……」

 隼人のにっこりにトリシアがそっと頬を染める。

「つまり……トリシアは元パイロットでもあるマクガイヤー大佐のお嬢様って事」

 スラッと知らせる隼人に、メンバー達はさらに固まりトリシアを注目した。

「そ、そんな事いいんですってば! もう……パパッたらなんでかしら!?」
「いいじゃないか? きっと一目見たいんだろうね? トリシアの姿を」

 隼人は『そういう父親の姿も有り』と寛大にその申し入れは受け止めたのだが……。

「きっと……私が足を引っ張ると思って心配しているだけなんです!」
「あはは! 大丈夫だって、明日は村上君がついているから」
「わー。俺って結構……明日は責任重大?」

 トリッシュと組むことになっている村上もちょっと緊張したようだ。

「まぁ……そんな事は深く考えずに、今まで所属していたチームでの訓練同様に落ちついて行動すれば、大丈夫だよ」

 そこはキャプテンである隼人は笑顔であったが……彼もやや不安がありそうな微笑みであったのは、皆にも解ってしまったようだ。

 だが──。

「明日はこのチームの『スタート』で『甲板デビュー』だ!」

 ザッと立ち上がって言い切ったのは『エディ』

「俺、ワクワクっす! キャプテン♪ 絶対に、完璧な整備とサポートで……」

 するとエディはザッと三宅を指さした。

「レイの担当を掴んでやる。不安なんかに押し潰されている場合じゃないからな」
「なんだって? 言っておくけど、俺は明日は御園大佐の担当だからな!」

 三宅も負けずと、ローテンションのプリントをエディに向けて突き出した。

「そうだ、エディの言うとおりだ。俺も明日は絶対にヘマしない!」

 エディと向かい側の席にいる村上も、腕を組んで表情を引き締めた。

「お、なかなか良いね」
「うん」

 隼人はエディという『ムードメーカー』と『担当争い』が、このような効果を生んでくれて、ちょっと嬉しくなってデイビットと一緒に微笑んだ。

「私も、パパに見てもらうのは初めてだから頑張らなくちゃ!」
「そうだね。トリッシュの夢だったよな? 明日はお父さんを飛ばすつもりで、劉大尉を飛ばすと良いよ」
「はい! 中佐!」

 こうしたトリシアのはつらつとしている純粋な前向きの姿勢は、他の男性メンバー達にも、『彼女がやるんだから俺達も負けていられない』という顔をさせる程。

「だんだんと、俺達のチームという色が出てきたね。中佐」
「うん」

 デイビットも日々、『風格』が備わってきていて、隼人も満足だった。
 明日はいよいよ、『サワムラメンテチーム』が始動だ!

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 管制塔に寄り添って立てられている小さな棟舎。
 一階は車庫、二階は会議室に滑走路見学室や、隊員達のロッカーがある。
 その二階にある透明なアクリルボードが壁になっている部屋が会議室。
 皆は『空軍ミーティング室』と呼んでいる。
 そこに、いつも以上の人数が集結した。

 ペンで描く『ホワイトボード』が置かれている正面前には教壇。
 そこには、濃い栗毛の少佐と黒髪の中佐がプリントを眺めながら、硬い面もちで『打ち合わせ中』だった。

 室内の奥、滑走路側の窓辺から半分の席に『ハリスチーム』。
 室内の入り口側から半分に……ちょっと、おずおずとしたような『サワムラチーム』が座っていた。
 ハリスチームの落ち着きと、サワムラチームの落ち着きなさ。
 それを眺めてロベルトと隼人は、顔を見合わせて『仕方がないね』と微笑み合う。

「いや、遅くなったね」

 最後にドアを開けて現れたのは、佐藤大佐。
 四中隊メンテチームの『始動責任者』でもある総監。
 彼が来たので、隼人はサッとパイプ椅子をとりだして、いつものドア前に開いたのだが……。

「おっす」
「お邪魔します」

 佐藤の後ろに『見慣れた二人』が付き添っているのに気が付いたのだ。

「コリンズ中佐に……葉月……どうして?」

 隼人が首を傾げると、佐藤がにっこりと微笑む。

「そりゃ、大事なことだよ。この二人にとっては、命を預ける機体を管理するチーム。それを見せておかないと……と思って、時間を空けてもらったんだ」
「あ、そうでしたか……」

 隼人はちょっと苦笑いをしたが、チームメイト達は葉月とは一度ずつは『転属挨拶』で顔を合わせてはいるのだが、デイブとはまだ一度も会わせてはいなかった。
 なので一気に、サワムラチームが驚いたのが伝わってきた。

 そして……そんな佐藤の細やかな気遣いに、隼人はまだ自分だけではやっぱり駄目なんだなと、痛感してしまった瞬間だった。

「やぁ……葉月。じゃなくて……御園大佐、お疲れ様です」

 ロベルトも葉月が現れたので、急に慌てて教壇を降りてきた。
 その上、隼人より先にパイプ椅子を手にして、佐藤の横にサッと差し出す。

「有り難う、ハリス少佐」

 葉月は一瞬だけ、ニコリと満面の笑みを浮かべた。
 葉月は遠慮もなく佐藤の横に腰をかける。
 だけど、その時の顔は、もう既に……『無表情な大佐嬢』になっていた。

「おい、ハリス。俺が目に入らないとはいい度胸だな」

 デイブは、未だに葉月には上等の気遣いをするロベルトをからかうように睨んでいた。

「い、いえ! そういう訳では……!」

 ロベルトは慌てて、もう一つのパイプ椅子をすぐさま用意して、葉月の横に並べた。
 そんなロベルトの慌て振りと葉月への変わらぬ気遣いに、隼人も苦笑いで教壇に戻る。

「申し訳ありません。キャプテン」
「いいって事よ。階級的にはこれが違和感はないだろ」

 教壇に戻った隼人は、葉月とデイブのそんな会話を小耳に挟む。
 葉月は佐藤の横に座った事に対して、デイブに申し訳なさそうに頭を下げていた。
 だが、デイブはそんな葉月の気遣いが、少しばかり鬱陶しそう──。
 そして佐藤は知らぬ振りをしていた。

(ああいう事が起きるんだな……)

 なんだか言葉は悪いが『下克上』になってしまった状態を、隼人も哀しく見つめていると……。

「不味かったかな…? あの位置取り……」

 察し良く気が付いたロベルトも、その様子を見て椅子を置いた自分がした事を気にしはじめていた。

「大したことないよ。あの二人はそれぐらいで変になったりしないから、気にしない方が良い」

 隼人は真顔でロベルトに言い切った。
 隼人が真剣に言いきると、ロベルトはいつもホッとした顔をする。
 どちらかというと、近頃『こちらも下克上』。
 先輩であったロベルトを越して、隼人は中佐になってしまったのだ。

「俺とロベルトだってそうだろう? それと同じ感覚があの二人にもあるから──」
「そう……」

 隼人が中佐になったからと、ロベルトは一度も卑屈になった事もないし、隼人がそれを盾に偉ぶった事もない。
 ただ……隼人の方が遠慮がなくなって『対等』になり、それをロベルトが喜んで受け入れてくれていたのも通じている。

「俺達と一緒だよ」
「なら……いいね」

 自分達と同じという事で、ロベルトはさらに安心したようだ。

「さて……始めようか」

 これは『ハリスチーム』のミーティング。
 急にロベルトにキャプテンの『威厳』が滲み出て、堂々と彼が教壇に上がる。
 隼人は一段下で控える形で、メンテ員達に向き合った。

 デイブが現れようと、葉月が現れようと……。
 日頃、甲板で慣れた仲でもあるハリスチームは落ちついている。
 それに対して……隼人のチームメイトは金髪の中佐と大佐嬢が気になって仕方がない様子。
 隼人も、ちょっと苦笑いだった。

「本日もお疲れ様。では……明日のミーティングを行う」

 ロベルトの声が室内に響き渡る。

「明日から、コリンズチームのメンテサポートは、新しく結成されたサワムラチームとの同行訓練となるので、よろしく」

 ロベルトの周知に、ハリスチームの先輩達に動揺の動きはない。
 隼人のチームメイト達は、そんなハリスチームの反応をうかがっていた。
 ロベルトの進行で、明日の甲板での『流れ』と担当につくそれぞれのメンバーの紹介などが行われて着々と進んでいった。

 佐藤もよけいな口出しはしない淡々とした様子で、座っているだけ。
 デイブもちょっと興味なさそうな様子で、時々そっぽを向いたり……葉月に至っては、佐藤に持たされたプリントを真剣に眺めて、時折、ロベルトの方を見て……なにやらボールペンを時々走らせている。 

 そんな葉月の視線の為か、ロベルトはちょっと緊張している様子。
 だけど……彼女の視線に負けまいと、しっかりとした威厳を彼は保ち続ける。
 時々……二人の視線がフッと合うと、隼人はひとり鼻白む。
 どこかでまだ……二人の密かな関係が続いているように見えてしまったのだ。
 勿論、それが……『もう男と女ではない』と解っていても……。

 だが……隼人としては、葉月の手元のその『動き』の方がもっと気になる。
 ああやって自分なりのメモをとって……『何を考えているのか』? 『何かを言い出すのか』?
 言い出すと、それが結構『爆弾宣言』だったりするからだ──。

 そんな葉月の様子を、時々、デイブと佐藤が覗き込むぐらい。
 すると……佐藤が時々面白そうに笑っていたり。
 デイブもクスクスと笑っていたりするから、よけいに気になる。
 ロベルトすら……それに気が付いて、喋るスピードが落ちるぐらいだ。

 そう……やはりこういう時、葉月の『存在感』というのは大きいのだと思う。

「サワムラ君……四中隊側から何かあるかな?」

 ロベルトの日常的な周知と打ち合わせ、さらに、明日の重要な注意点の指導が終わる。

「……そうだな」

 隼人はフッと溜息をついて、席に着いている二チームを見渡す。
 ロベルトが教壇を降りたのだが……。

「大佐嬢」

 隼人が向かったのは教壇でなく、葉月の前。

「……? なにか?」

 葉月は訝しそうに、椅子から隼人を見上げた。

「なにか、気になることなどありましたか?」
「別にありませんが?」

 お互いに淡々としたやり取り。
 それを何故か……サワムラチームが目を皿のようにして『注目』。
 それどころか、落ちついていたハリスチームまでもが、ちょっと椅子から腰を上げるような姿勢で覗き込み始めたのだ。

「そうでしょうか?」
「あ!」

 気になっていた葉月が手に持つプリントを、隼人はサッと取り上げた。

「あーあ。お前、サワムラに、叱られるぞ」

 デイブがめんどうくさそうに、足を組んで溜息。
 佐藤は、ちょっと苦笑いをこぼしただけ──。

 そして、気になっていた葉月の『メモ』を確認した隼人は……額に手を当てて、暫く唸り……それを手にして教壇に持っていく。
 それを教壇の台に置いて、ロベルトに見せた。

「ぶ……」

 ロベルトが笑いをこぼしたのだが、慌ててヒゲがある口元を手で覆って堪えた。

「ちょっと! 返してよ!」

 頬を染めた葉月が、それをサッと取り返しに来て、すぐさま席に戻る。

『もう!』

 側近である部下に、皆の前で取り上げられた事に怒っているのか、葉月は頬を真っ赤にしてプリプリしていたが、デイブは可笑しいのか小さな声で笑い転げていた。
 そして……ロベルトまで、肩を揺らして笑いを堪えている。
 隼人まで、自分がした事が恥ずかしくなってきて頬を染めながら教壇に上がった。
 他のチームメイトは、何が起こったのか解らなくてぽかんとしているだけ。

『なぁー、レイ、何したんだよぉ』

 佐藤のすぐ側の席、デイビットと並んでいたエディが、またもや遠慮もなく葉月に声を投げかけている。

『え? これよ──』

 それをまた……葉月が同級生に軽々みせるよにプリントを渡したので、隼人は教壇に立ったものの……また、顔をしかめる。

「ワハハ! なんだよ、これ!」

 やっぱりエディが周りの雰囲気に恐れることなく、笑い声をあげた。
 隼人は益々、顔をしかめてエディを睨んだのだが、エディはそれを、隣のデイビットに回覧してしまう。

「ぷ……」

 デイビットまで、笑い声を洩らし、その上……何か思ったのか、隣にいるトリッシュに廻し始めた。

「まぁ……大佐ったら」

 トリシアは、楽しそうに微笑んだだけ。
 しかも、トリシアまでそれを今度は後ろの席にいる村上に回したのだ。
 そこに並んでいた日本人組の青年は村上の手に届いた。
 『大佐のプリント』を一目見て……彼等はとても驚いた反応で、唖然と葉月を見つめただけ……。

 プリントは村上の手からフランス組に渡っていて、それをまた唖然と眺めていたのだが、最後に手にしているヨハンは笑っている。

「気になるじゃないか? それ、こっちにも回せよ」

 そう言いだしたのは、ハリスチームのサブキャプテン『ルディ=スペクター大尉』。
 プラチナブロンドの彼が茶色の瞳を輝かせて指を、クイっと、サワムラチームに向けて動かした。

「えっと……」

 ヨハンは躊躇いながら、葉月へと助けを求める視線を。
 すると、葉月が動き出しヨハンの元へ……。
 佐藤が笑いながら止めなかったので、隼人も呆れながら従うことに。
 ヨハンの手からプリントをもらい受けた葉月は、期待顔のルディの元へと、躊躇うことなく持っていった。

「笑わないでね。ルディ──」

 葉月はツンとした顔で、前列席にいるルディに差し出した。
 ルディの手元に来たプリントに、二中隊の先輩格にあたる数名が覗き込む。

「おいおい。勘弁してくれよ」

 ルディはそういいながらも、これまた目を覆って笑い出した。

「まったくお嬢と来たら……俺達のミーティングなんて上の空って事かよ!?」
「毎度、やってくれるよなぁ〜」

 二中隊先輩兄様達の慣れたような呆れた声。

「澤村に怒られちゃったわよ」

 葉月はとぼけた仕草で、先輩達におどけていた。

「まだ、怒っていません。呆れただけですが?」

 直ぐ後ろの教壇に立っていた隼人も、シラっと呟くが、葉月もしらんぷり。

「いやね。『らくがき』如きで、皆がこんなに騒ぐとは思わなかったわよ」

 そう……プリントに何を真剣に書き込んでいたのかと、隼人が気になって取り上げたところ……。
 余白に『キャプテン』と英語で書かれた横に、コミカルな『ミツバチ』と、横にウサギが描かれていたのだ。
 その上、その周りにちょっとした飛行機が描かれ、ビュンビュンという英語書きに、飛行機雲、なのに横には、変に四枚花びらの可愛い花がクルクルと描かれている。
 その飛行機雲は……コークスクリューの『四回転』の絵だった。
 余白にはそんな『らくがき』だらけ。

(真剣にとった俺が馬鹿だった!)

 隼人は、葉月にまたしてもやられた気分で、厳かなミーティングは『台無し』である。
 だけど──。

「コリンズ中佐。コークスクリュー成功すると良いですね」

 ルディが座っているデイブに笑いかける。

「ま、出来るだけやるさ」

 デイブもそこは不敵な笑みを浮かべて余裕だった。
 すると葉月がそのプリントを『バサ』と払うようにして、全員に突きつける。
 他のハリスチームメンバーも、派手で愛らしいらくがきを目にして、笑いをこぼし始めた。

 だけど……今度は葉月の顔は真剣だった。
 そして、葉月はコークスクリューの絵を指さしている。

「私とコリンズキャプテンは今、この四回転のコークスクリューに取り組むことで頭が一杯なの」

 すると……どうしたことか、メンテ員一同の顔が急に……葉月に従うように引き締まったので、隼人は教壇の上でおののいた。

「澤村とハリス少佐がここまであなた達を引っ張ってきた。私はそれを信頼して任せてきたから、今更『不安』なんてないわ」
『そうよね? キャプテン』

 葉月の真顔がデイブに向けられる。
 デイブはこくりと頷いただけ。

「ハリスチームには今までも甲板の上で、とてもお世話になってきたし信頼しているわ。だから……それに負けない信頼を、澤村チームと作りたいだけ……。明日は……そんな先輩達と一緒に、コリンズチームを体感してちょうだい」

 彼女の輝く眼差しが、サワムラチームに向けられる。
 彼等の顔つきが一瞬で変わったのが隼人にも伝わる。
 そして……何故か鳥肌が立った。

 やはり葉月は一瞬にして、人を引き込む何かがあるのだと──。
 さらに今度、葉月はその顔の横に掲げているプリントをピンと指で弾いて微笑んだのだ。

「エディ? 甲板では私とあなたは何だったかしら?」

 急に葉月に微笑みかけられて、流石のエディもちょっと慌てて姿勢を正した。
 だが、こちらの表情も葉月同様に堂々と輝き出す。

「空の私と甲板の俺、そこには男も女もなく……空に出れば『大佐』という名も役に立たないだったかな?」

 エディのその言葉に、フッと皆の動きが止まった。
 それはハリスチームも同様だった。

「そうよ。皆がひとりの人間として、自分の力を出し切らないと成り立たない。そして……私は、こういう『人間』ってだけなのよ」

 そして……葉月はサワムラチームに向かって『くだらないらくがき』を指して……微笑んだ。

「そんな気持ちでいるわ。私もキャプテンも……」

 すると、静かに座っていたデイブがやっと立ち上がった。
 デイブは葉月の横に並ぶと……急に葉月の肩をがっしりと抱き寄せたので、隼人もロベルトも顔を見合わせて、ちょっとドッキリだった。

 だけど……それに合わせるように葉月がデイブの肩を抱き返す。
 いや……抱き合うのではなくて『肩を組む』といったところだ。

「嬢の言うとおりだ。空ではただ……俺と嬢が飛んでいるだけ。空では階級なんざ、俺達を守ってくれやしない。だが……そんな俺達を飛ばしているのは……メンテチームだと忘れないようにな! そうだろ? 嬢!」
「そういう事!」
「明日から、預けだぜ。俺達の命」

 デイブがグッとサワムラチームに輝く眼差しを投げかけると、彼等が強く頷いたのだ。

「あらら……出番を奪われちゃったねぇ? サワムラ君」
「……ま、毎度、こんな感じかな?」

 苦笑いのロベルトに、隼人はしらけた眼差しを向けて詰め襟のホックを緩めた。

「な! そんなに緊張しているなんて疲れちまうぜ! 見てのとおり、『お嬢』は大佐とかいうより、空にいる彼女を見る方が腰抜かすからな!」

 途端にルディがサワムラチームのメンバー達に笑い出した。

「そうそう! そっちの心構えをしておいた方がいいぜ!」

 二中隊先輩達が、やっとそれらしく騒ぎ始める。

「あはは、どうやら馴染んできたようだね」

 佐藤がそっと笑い出す。
 サワムラチーム一同も、そんな雰囲気と葉月の『お嬢振り』が解ってきたようで、肩の力が抜けたようだった。

「もう一つ!」

 今度は、ルディが立ち上がったので、皆が驚き彼に注目した。

「明日は『大事なセレモニー』がもう一つ」

 彼がニヤリと微笑んだ。
 皆は『セレモニー?』と首を傾げていた。
 隼人も同じく、『何事だ』と眉をひそめていると……彼が腕をザッと伸ばして、教壇にいる隼人を指したのでたじろいだ。

「明日はいよいよ! サワムラキャプテンが……『可愛いお嬢』を空へと、自ら送り出す大切な日なのであります!」
「え!?」
「え!?」

 隼人は急速に頬が赤くなり、それに振り返った葉月も同じく赤くなっている。
 途端に二中隊側から『ヒュゥ♪』という口笛に、ヤンヤとした野次が飛ぶ。

「あはは! そうだ、そうだ!」

 ロベルトまで面白がって拍手しはじめた。

「ちょっと! ルディ!!」

 葉月がムキになると、デイブまで『ヒュゥ♪』とした口笛を、葉月の耳元で吹いたので、葉月はビクッと飛び上がる。

「そうだ! キャプテン! 俺もそっちはばっちりサポートするよ!」

 エディが面白がって隼人をからかう。

「私もー!」

 トリシアまで。

「うるさい! うるさい! それとこれとは!!」

 隼人も教壇に手を付いて、なんとかこの野次を止めようとした。
 だけど……ロベルトと同い年のルディは、年下の隼人にさらに『ニヤリ』。

「違うって言うのかい? サワムラ?」

 今までの先輩面で、隼人に微笑みかけてくるではないか……!

「……いえ、その通りです……」

 そっと俯いて、ポツリと呟いた隼人。
 葉月がビックリして振り返った。

「ほーら! 認めたぞ! 明日は『セレモニー』だぜ!」

 机に腰をかけて腕を盛大に広げるルディ。
 それに続くように、皆が席を立ってワァと沸き上がった。

「明日が楽しみー♪ 興奮してきたわ!」

 一緒にはしゃぐトリシアに、デイビットも村上達も、すっかり雰囲気に溶け込んで、二中隊とのミーティングは異様な盛り上がりを見せたのだ。

「あはは、いいね、いいね」

 佐藤も楽しそうに拍手をしているだけ──。
 隼人と葉月は顔を見合わせては、視線を逸らし……二人で頬を染め合っているだけ……。
 二人がこんな風に皆の前で、盛大にからかわられるのは初めてだったのだ。
 デイブもルディと一緒になって先頭で大騒ぎだった。

 明日──コリンズチームとサワムラメンテチームが合流する。

TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2007 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.