フライトチームのキャプテンを引退するにあたり、『大事な事だから』と、葉月との今後について、デイブ問い詰められた隼人は……。
「つい最近です……。いろいろとあって、私も決心つきました」
『結婚』を申し込んだことを先輩に打ち明けた。
本当は、右京に言われた通りに正式になるまで誰にも言うつもりはなかったが、『細川中将』が何やらそういう将来を見据えた上で、デイブを動かしたとあっては、そう言うわけにも行かない状況になっていると思って、言うしかないと思ったのだ。
デイブは呆然としていたのだが、すぐさまシャンとしてまた詰め寄ってくる!
「そ、それで……嬢はどうだったんだよ!?」
「……受け止めてくれました」
「本当かよ!? あの嬢が? それなりに返事しただけとかじゃないだろうなぁ!?」
──『それなりに返事』──
隼人の中で……葉月が頭だけで解っていて、隼人に嫌われたくないから『OK』した。
そんな風に思える節もあるので、少しばかり眉間にシワを寄せ黙り込んでしまった。
隼人のそんな不服そうな表情に気が付いたデイブが、ハッとして身を退く。
「い、いや……悪かった。そうだな……うん、嬢だって迷うなら今まで通り逃げ腰だっただろうし。OKと言ったのなら……ちゃんと本気だって事だよな!」
隼人のために、不安にさせぬよう取り繕ってくれたのだが……。
やっぱり隼人が僅かにとどめようと押さえている不安を大きく揺さぶったのは確かだった。
だが……隼人はそんな自分を必死に押さえて、良い方向へ考えている様に表情は平淡に整えて続ける──。
「そうですね──。彼女、『やり直す』と言ってくれているんです」
「──『やり直す』!?」
その言葉にもデイブは驚いたようだった。
「なので……子供については、今すぐかも知れません」
だが──葉月がピルを止めたと知ったその後は、隼人は確実に男としての対処を怠らなかった。
子供について『今すぐ』というのは……『お互いに曖昧にしていた時期』に『もしかして?』という、隼人の予想だけなのだ。
すると──。
「ちょーっと待った! サワムラ!」
「はい?」
デイブがまた、詰め寄ってきた。
しかも『顔を貸せ』というように、テーブルの真ん中で指をクイッと動かして、隼人に側に来るよう誘っている。
「なんでしょう……」
「つまりっ……! そういう風にして嬢と……」
「……ですね」
隼人はやや頬を染めるような気分でそっと素直に返事をする。
するとデイブの息づかいが一瞬止まった……。
男二人、応接テーブルでそっと耳打ちの姿勢だったが、デイブから離れて行く。
「あのな? サワムラ……嬢が『ピル』を服用しているのは……」
「知っていますよ」
デイブが溜息を落とす。
隼人も、デイブがそんな事まで知っているので少しばかり驚いたが……『サラ』からもらった情報だろうと解った。
きっと葉月は妻・サラには同性として話していて、それが夫のデイブの耳にそっと入る。
デイブは妻から聞いたことは素知らぬ振り、そして葉月も……面と向かって言えないデイブが妻からそれとなく聞くという事を承知で話す。
『ワンクッション』置いて『異性』という壁を、上手に乗り越えてきたのだと解った。
『サラ』はその点では、夫とその後輩である女パイロットを上手に繋げてきた重要な人物だったようだ。
「だったら……止めるはずないんだがな」
デイブの口からそこまで出てきたら、やっぱり隼人の『ワンクッション』という見解は正解のようだ。
だから……遠慮なく今度は言ってみる。
「止めないと思っていたから……そうなったという事なんですけどね」
「え!?」
「ですから……私が知らない内に、彼女が内緒で止めていたんです」
「え!? それで……お前は何も対策無しに?」
「はい……抱いていましたよ。やっぱり多少は迂闊だったと反省しています。以前にも一度だけ、彼女が服用していない時にそういう事をしてしまって騒動があったのですが……。あの後、彼女が服用していたとしても、やっぱり私も男として対策をすべきと実行していました。だけど──『時々』甘えてしまっていたんですよね。彼女の対策に……」
「サワムラ!」
そこでデイブが怒ったように吠えたので、隼人はビクッと固まった。
「お前! もしかして、子供が出来るかも知れないから結婚を決心したとかじゃないだろうなぁ!?」
これがデイブの性分なのだろか?
隼人はそう思った。
合理的に葉月の性質云々無しに、男が判断したと思ったのだろう。
隼人にはそんな風に感じて、直線的に思いつく先輩にちょっと溜息。
「いえ……違いますよ。元々『いつ、子どもが出来ても良い』覚悟で、そうしていた訳ですから。ただ甘えていたわけではありません……。ただ……」
「ただ?」
「私が今回『迂闊だった』と思ったのは……彼女が将来をちゃんと考えていないことです」
「……ま、死にたいぐらいだから、嬢が将来に期待していないというのは解るぜ?」
「……でしょう? 彼女がピルを止めたのだって……子供が欲しいとかでなくて……」
そこで隼人は、悔しそうに膝で拳を握って……唇も噛みしめた。
デイブにもその隼人の『後悔』する姿が通じたようで、詰め寄っていた勢いを引っ込めてくれた。
「……子供が欲しいとかでなくて、『俺』という男を『ちゃんと受け入れている証拠』として、やめていたんだと思うんです……。私さえしっかりしていれば、こんな事には……。それで、思いました。彼女としっかりと将来を……未来を考えるために。彼女と一緒に生きていく事を、彼女にもちゃんと考えてもらいたいくて──。今のままでは、たとえ、子供が出来ても……彼女がひとりの女性として独立し、しっかりした母親になれるかさえも、不安です。勿論、彼女の事だから、いざとなったらしっかりとした母性を発揮する事も信じていますけど。僕は……そんな彼女に『自覚』をしっかり持って欲しいし、将来がある事を知って欲しくて──。それから……『ひとりじゃない』という事をしっかりと彼女に解ってもらいたくて……」
「……サワムラ……」
俯いて、唇を噛みしめつつ……葉月の『これから』を考えている隼人の姿。
その困難であろうが、立ち向かおうとしている隼人の姿は、デイブにも切々と通じたようだった。
「そうか……。そういう事になっていたのか。中将には? 報告は?」
「──していません。キャプテンが初めてです」
「そ、そうだったのか……それは、うん、えっと……」
『最初の報告者』となってしまった事で、デイブは嬉しいようで、でも……この様な追求の中で飛び出てきた報告だったので複雑そうだった。
「でも……中将は、流石、葉月の『昔なじみのおじ様』とでも言うのでしょうか? 訓練での些細な彼女の表情や様子、そして私の近頃の様子をよくご覧になっているようで、私達が今まで以上に向き合って、今までにない『壁』にあたっている事はご存じのようでした」
それが……『疲れているようだから、休暇を取れ』で、あったり……『近頃の嬢は、妙にテンションが高いのが気になって』……とか……。
そういう様子を嗅ぎ取っているから……『結婚という話がそろそろ出る』と考えついたのかも?
「そうだったのか……」
そんな隼人の報告に、暫く……デイブが黙り込んだ。
そして──眼差しを伏せ気味に、考え込んでいたデイブがやっと呟く。
「実は……中将に言われて、俺も心配になっていた事があって……」
「心配ですか? その子供がどうとかが、どうしてキャプテンの引退と結びつくのですか?」
話はプレイベートにそれてしまったが、隼人は本題に戻そうとした。
「……もし? 嬢が妊娠をするような状態になった場合、コリンズはどう考えるか? と、聞かれた」
「……?」
また、話が『子供についてどう考える』と戻ったようで、隼人は眉をひそめる。
「サワムラはどう思う? そういう状態であれば……」
「状態であれば?」
隼人が問い返すと、デイブが言いにくそうに顔を背ける。
「……なんでしょう? 遠慮なくどうぞ?」
「……」
デイブはまだ躊躇っていた……しかし、やっと彼が口を開く。
「嬢は……現場から退いた方が良い……。俺は中将にそう答えた」
「──!」
葉月を戦闘機から降ろす──!
デイブが細川とそういう話をしていた事に、隼人は驚く!
だが──。
(そういえば……そうだ!)
隼人は、デイブが何を躊躇い……そして、苦悩しているかがやっと解った!
デイブは自分のポジションに限らずに、葉月の将来の事についても苦悩していたのだと!
「もし……彼女が妊娠を考えるなら……乗っているべきではないと言う事ですか?」
「ああ……『これから』を考えるなら」
「それは……困ります!」
隼人は即座に答えていた。
だって……隼人のメンテは今から始動するのに!
葉月を甲板から飛ばすために、チームを必死に結成したのに!
一番に飛ばしたいパイロットが現場から降ろされるなんて飛んでもない!
そんな隼人の驚きに構わずに、『決心』をしたデイブは追い打ちをかけてきた。
「……俺もそうだが、中将は、嬢も現場飛行から降ろそうと思っているようで」
「──中将が?」
隼人の胸も急に……鼓動が早くなる。
「俺がチームを抜けたら、次のキャプテンは……嬢じゃない。嬢は……」
「ちょ、ちょっと待って下さい!」
隼人はまたもや思わぬ事態に、衝撃を受けた!
計算外もいいところだ!!
隼人のそんな絶望的な青ざめた顔を見て、察したデイブが慌てて口を挟んでくる。
「安心しろ。中将は、嬢を完全に戦闘機から降ろすつもりはない。だけど──キャプテンは『引き抜きキャプテン』を据え置くつもりだ。そして……嬢には現場と陸指揮の両方で『総監跡継ぎ』をさせようとしているんだよ──。もしかして……今後の嬢のことを考えていいだしたんだな?」
デイブがいろいろと呟いているのだが……
「総監跡継ぎ──!?」
隼人はさらなる驚きの声をあげたのだ。
──『叱らないのよ、細川中将』──
葉月が言っていたあの言葉。
あれは細川の『指導者としての自立性』を持たせる為だったのだろうか──?
航空ショーが終わったら……もの凄い『環境変化』が待っている!
「つ、つまり──?」
あまりにも沢山の『上の意向』が飛び出したため、隼人は額を抱えて暫し呆然。
考え込んでいると……。
「つまり、俺の卒業は……嬢を総監に置く為。そして……嬢の配下に置かれる今のチームをさらなるレベルに高めるため。俺が配下を望まないなら……違うポジションを考える事。そういう事だな?」
「でも……それでは、何もかもが葉月のために!? そんな事でキャプテンが『追い出される』みたいな形になると、葉月が言うことを聞かないでしょう?」
「……だろうな? 葉月的には。だけど……」
そこでデイブはフッと眼差しを伏せて、微笑みを浮かべたのだ。
ハッとして隼人も、騒ぐ胸を鎮めるように黙り込む。
「だけど……俺は嬢のためにそうなるなら、なんにも後悔はない」
「……コリンズ中佐」
彼の満足そうな笑顔に、隼人は胸を打たれる。
「俺が一番側に置いて見守り大事にしてきた『一番子分』だから、構わない」
「でも……彼女が……」
「それに、俺が高めるところまでの頂点に、チームは辿り着いた。それを感じていた所へ、今回の話……。俺が教えることは、もうない……。それに、細川中将に初めて『良くやった』と労ってもらえたんだ。つまり……俺の指導が認めてもらえたという証拠の卒業なんだ……だから……」
「でも──!」
隼人はなんとかデイブの決心を覆そうと、引き止める言葉を探した。
でも──デイブは隼人にそんな言葉は言わせまいと、即座に続けてきた。
「今度の『引き抜きキャプテン』は、今、中将が探している。今度は、俺のような『飛び込み型』の勇敢なばかりのタイプじゃなくて……。飛行技術が高いレベルで、精密なチームワークが取れるパイロットだそうだ。それは俺の『専門』ではない……。だから、役目は終わった。俺が引っ張ってきたチームが今以上になる事。嬢以上の技量、そして嬢が持っていない技術を補充してくれるタイプのパイロットとなると……。残念な事に、メンバーの中には見あたらない。だから、中将の話にOKを出した」
「でも──! フランシス大尉とかのベテランがいるではないですか!?」
「マークは……いや、フランシスは自分でも自覚しているが、あれは影役者が似合うタイプだ。心根が優しすぎるから、チーム全体を引っ張っていく技量は……。はっきりいうと嬢の方が……上手だ」
「じゃぁ? 外から新しいパイロットが!?」
「ああ……航空ショーの後に転属してくる。そして、上空でチームを引っ張るのはその男になるだろうな……。そして嬢は、キャプテンでなく、時々、必要に応じて空を飛ぶことになる『陸指揮官』となり、暫くは……細川中将総監の下で『総監代理』という役名で甲板に出ることになる。そうすれば……いざという『身体』になった時でもある程度は、安心だろうからな。俺は……嬢をコックピットからすぐに引きずり降ろすのは、無理だと思っているし、中将も『あの小娘はすぐに納得しないから、徐々に自分で解らせる』と言っていた。だから……今から嬢に『女として』そして『パイロットとして』……。そういう自分のあるべき姿をよく考えさせる余裕を持たせようという狙いも、お互いに承知した」
「それで……子供が云々と? 私に──」
「ああ。サワムラに……先に言った方が、お前から理解するだろうから……先に言うならサワムラにしておけと中将に言われた……。お前も、嬢と幸せになりたいだろう? お前から上手に嬢を諭して動かしてくれると助かる──」
「……」
そのまま……隼人はもう、何を言って良いのか解らなくなった。
これは葉月の『台風』でもなく、自分達の力ではどうにも覆せない『大きな台風』がやってくる。
そう思ったのだ。
必ず、この環境変化の『嵐』がやって来て、間違いなく巻き込まれるのだ。
そんな呆然としている隼人を見て、デイブがニコリと優しく微笑んだのだ。
「有り難うな──。さっき、俺を一生懸命に引き止めようとしてくれて……」
デイブの青い瞳が……今までにないほど優しく緩んだのだ。
「──いえ……その……」
何故か……隼人の目頭も熱くなってきて、必死に出てきそうなものを堪えた。
「俺……まだ、キャプテンに甘えていたかったです」
「……そうか? お前なら大丈夫だろう?」
「仕事だけでなく、毎日側にいると言うこと……本当に安心感が大きかったのだと……。今日の話を聞いて……痛切に感じました……。本当です」
自分のまつげに、滴が付き始めたのが解り、そして……声も震えていた。
そんな隼人を、デイブは本当に見たことがない、優しい笑顔で見つめているだけだった。
「まぁ……フロリダに帰るかどうかは、検討中だ。一応……新しいキャプテンが来て、そいつがチームに上手く収まるまでは、『見守っていろ』とも中将に言われているし──」
「え! そうなのですか──!?」
それを早く言ってくれよ──! と、ばかりに隼人の心はスッと上向きになった。
「……だけど。そいつがチームに収まらないからと、追い返すつもりはない。絶対に、これからの『アイツらの為』にも、今以上に大切な事だからな──」
そんなデイブの『後輩の向上の為』である潔い『引退決心』は固いようで……隼人は再びガックリとしたが……。
──『立派だ。本物の親分だ』──
……と……痛感したから、もう、引き止められなかった。
「中将は俺に、三つの選択を用意してくれた」
それは隼人が先程、頭にスッと浮かべた事のようだった。
「嬢のサポートとして、大佐嬢の配下に加わる。その場合は、サワムラとウンノとよく話し合えと言われた」
「その気なら、私達、側近もちゃんと中佐の受け入れ整えますよ!?」
だけど……デイブは首を振る。
それが最初に彼が言った通りに……『先輩がいて有り難られても……俺は、いるべきではないと……そんな気がする』……それが彼の思いであり、変える心積もりはないようだ。
「二つ目は……フロリダ転属。これを望めば、良い部署を用意してくれるそうだが、この場合は……もう、フライトチームへの配属でなく、俺も同じく指揮官としての昇進だってさ」
(うう……それが一番良い話じゃないか!?)
彼が大佐になるかどうかは解らないが……デイブの更なる良きポジションが用意されている。
しかも母国への帰国となる。
「それは今、サラと相談している。子供達の将来の事もあるし……」
「そうですか……」
「三つ目は……五中隊に残って何をするか。もし、俺がこの道を選んだとすれば……。中将はそれもちゃんと、出来るべき仕事は与えてくれるってさ……。ま、それも……現場から遠ざかる仕事だと思うけどな」
「そうですか……」
隼人は益々声のトーンを落としてうなだれた。
「サワムラ……俺達、偉くなったのかも知れないけど。少なくとも多くとも部下を抱えている責任ある立場に……いつの間にかなっていたんだ。嬢もしかり……お前も、俺も……。お前もいつかは……『誰かに現場を任せる』という日がやってくるだろう──。それを念頭に置いて、メンテチームを固めていった方がいいぞ。特にお前……今、空軍管理と側近と現場リーダーと抱えすぎだ。いつかまた……お前が肩に背負っているこれらの仕事をやりこなした時に、どれかを『降ろす』という方向に行くと思うからな……」
「──!」
「もしかすると……佐藤メンテ総監の後は、お前じゃないか? そこもお前の視野に入れておいた方がいいかもな……」
ものすごい先の話が出てきて、隼人は絶句したが……。
『ごもっとも』で、納得せざる得なかった……。
「俺もまだ……現場で暴れていたかったけどな……」
デイブの寂しそうな溜息……。
だが……それはどうにもならない誰にでもやってくる日なのだ。
葉月にも、隼人にも……。
そして葉月は『女性』という事で……男性より複雑な『選択』を強いられる。
それも……『結婚』という決心の中での『新しい課題』
隼人はそれを今になって痛いほど、否定したいほど……感じてしまった。
何故なら……隼人にとっても、葉月はパイロットでいて欲しいから……。
これは葉月とは近々、本気で話すべきだと心の中で強く感じたのだ。
・・・◇・◇・◇・・・
デイブの引退決心のいきさつと、結婚について新たなる大切な課題を、教えてくれた衝撃的な話し合いを終えて……。
「くそっ──! この忙しいときに……」
隼人はひとりで、日が暮れた大佐室で残務を続けていたのだが、どうにもこうにも集中力は散漫だった。
「もう……気を失いたい」
そう思って、眼鏡を外し……まぶたをこすって何もかも手から離した。
「メンテチームの統率に、航空ショー。それが終わったら、フロリダとの合同研修の計画推進。その上、コリンズキャプテンが引退して大騒ぎになって、新しいキャプテンが来るって? ああ……葉月との結婚の話も進めたいのに……その上、兄貴が何だって?」
本当にそれだけ呟いただけでも、気が遠くなりそうだった。
「──結婚時期、間違えたか?」
でも……葉月との間で流れていた心の状態でも、自然と決めたつもりだった。
急いで無理に考えついたつもりもないし……だからといって、先に延ばしても良いような心の余裕は隼人にもなかったし、葉月にとっても『ここが考え時』という状態であったと隼人は確信している。
彼女だって……『本気そのもの』。
『やり直す』と言い出したのだから、彼女が真っ向から前向きになった今だと思ったのだが。
だからだろうか? 彼女が前向きになったから……『こういう流れ』が出来てしまったのではないか?
「そんなにいっぺんに俺がこなせると思っているのかよ!」
急になにもかもに腹立たしくなってきた。
だが……結婚は自分が言い出した事だし。
葉月が動かそうとしている新・プロジェクトも、四中隊には大事な事。
それにデイブのフライトチームがこういう状態になってしまったのも
任務に成功したからなのだろう。
全てが来るべきして来たこと。
「いや……落ち着けよ? 何も俺ひとりでする事じゃないじゃないか?」
細川が言い出した事だ。
細川なりに……ちゃんと皆を上手く動かす……。
急にそんな気になってきて、ふと安心感が湧いてきた。
「あの人も怖いけどな……。ちゃんと葉月の将来を女性として考えてくれていたんだ」
『大佐』であって女性でない。
誰もがそう言い出しそうだが……それは感謝すべき細川の下準備に違いない。
「そうだ……うん! 御園という女性大佐に必ずやってくる事なんだ。ここで、俺が投げ出して、怖じ気づいていちゃ……」
『側近失格』──そう思えてきた!
それどころか……『夫失格』とさえも思えてきた!
「これは……御園大佐嬢だからこその問題なんだな!」
そう思うと……俄然、やらねばならぬと言う意欲が湧いてきた。
「……もう、やめた」
隼人は『なんとかなるだろう』と……あれこれ先を片づけるために直ぐに、安心出来る何かを考えるのは『今は無理』と辿り着いて、ノートパソコンの蓋を閉めた。
外はすっかり暗くなり、時間は19時を過ぎていた。
大佐室には灯りがつき、外ではジョイがまだ残業をしているはず。
「ジョイ……? 俺はそろそろ帰ろうかと思うけど」
大佐室の自動ドアからそっと本部を覗く。
目の前で、金髪の彼も、ノートパソコンのキーボードをパチパチと打ち込んで忙しそうだ。
「そう? お疲れ……俺はもうちょっと!」
肩越しに振り向きつつも、キーボードを打つ技は、隼人さえも感服する所だ。
「ジョイも忙しくなってきたな」
「もーう! 今、来賓客リストを確認して、招待状の配送がちゃんと終わっているか見ているんだ。ああっと、テッド! リスト漏れがないか終わったかな!?」
「はい! 今、最上クラスの招待状の配送確認、終わりました。滞りなく、将軍クラスとOBクラスの外国便配送、確認できました」
「柏木も、国内配送は、どうかな?」
「もう少しです、すみません──」
四中隊で『受け入れホスト』を引き受けた為に、そういう『招待』に関する準備も、徐々に大詰めのようだった。
ジョイ配下の『総合管理官』の班の青年達は皆、毎日、残業中だった。
「忙しそうだな……じゃ、頑張って──」
「隼人兄もね……。もうすぐ甲板デビューだろ? 皆がアッと驚くのが楽しみだよ」
ジョイがまたもや、キーボートを余裕でうちながら、いつもの無邪気な笑顔。
アクアマリン色の宝石のような瞳は、いつもキラキラ、活き活きとしている。
「おいおい、あまりプレッシャーかけないでくれよ?」
「あっはは! 招待客に『御園中将夫妻』も入っているよ。頑張ってよね」
「え! フロリダのお父さんとお母さんが!?」
「勿論。娘が航空ショーに出るんだモン。ロイ兄もそこは外さないよ。きっとおじさんとおばさん、喜んで即刻招待状にOKにサインして返信してくるよ」
「わ……考えていなかった!」
隼人はまた……気が遠くなりそうになったが!
(まてよ??)
ふと、思い直す。
隼人の家族は、『御園大佐』分の招待として来ることになり、四中隊で一番客としての受け入れを、達也が進めてくれている。
(ちょうど良いじゃないか!?)
両家がここで顔合わせが出来るチャンスだ──! と……思いつつも。
(やっぱり式典で、ゴタゴタしそうだな……)
その点も上手く運ばねばならなくなりそうで、隼人はまた気が遠くなる。
「おやや? そこで溜息ついているけど、どうしたの?」
ジョイの訝しい声。
「別に……。うちの家族も来るから、どう会わそうかなって……思って……」
「あー。なーるほどね? 俺もね……ちょっと憂鬱なんだ『式典』」
その時、やっとジョイが自由自在に動かしていた指を止めて、彼も溜息だ。
「どうしたんだよ?」
すると、ジョイがクルッと椅子を反転させて……キャスターを転がしながら、隼人の側に寄ってきた。
そして……。
「ちょっとちょっと……耳を貸して?」
「え?」
隼人は言われるまま、座っているジョイの側に頭を傾けた。
「俺の親父とマミーも来るんだよね。ロイ兄の招待で──珍しいんだぜ? 小笠原に来るのは……」
「ああ、そうなんだ」
フロリダ出張で顔合わせも済んでいるジョイの両親。
だから隼人は、これに関しては別段……驚かなかった。
それがジョイにとって、こんな内密に話すことなのかも、疑問に思ったくらいだ。
「ま、その辺で俺もいろいろね……」
「たまにはご両親も、息子の晴れ姿見たいんじゃないかな? いいじゃないか?」
「それだけならいいけどね……」
ジョイはちょっと納得できないようにむくれているのだが?
「あ、まぁ……隼人兄も大変だよね。頑張ってよ!」
「え? ああ……うん、有り難う」
ジョイはそれだけ言うと、そこで急に話を切ってしまい気合い充分、元の姿勢にて、猛烈な集中力をみなぎらせ仕事に戻ってしまった。
その集中力は、隼人も唸るほど……。ジョイの素晴らしい能力でもあって、彼がそうなると、たとえ年下の男の子でも誰も敵うことなく……隼人すらも声をかけるのは躊躇うほどの気迫なのだ。
だから……腑に落ちないジョイの様子だったが、隼人はスッと大佐室に戻った。
自前のノートパソコンをバックにしまい、帰り支度が済んだのだが……。
隼人はまたデスクに座り込んで、携帯電話を手に暫く、眺めていた。
「……」
葉月は……どうなっただろうか?
『その気になったら来てみる?』
コリンズ家に送り届けて、そう言ったが……正直、迎えに行きたくてしょうもないところ。
(先に帰っているだろうか?)
無事に、ひとりで帰っているならそれでも良いが……。
一度はこちらに戻ってきて、車を取りに来るはずだ。
「……」
また……今、彼女が『何処にいるか』を気にしている自分に躊躇っている。
でも……『その気になったら』と言ったのだから連絡してもおかしくは思われないだろう。
そう思って、隼人は折りたたみの携帯電話を、ぱちっと開いた。
その瞬間──!
──プルル! プルル!──
「わっ!」
途端に鳴り出したので、隼人はビックリ、携帯電話を落としそうになる。
しかも……携帯画面の表示は『葉月』!
「も、もしもし? 葉月!?」
慌ててボタンを押し、耳に当てた。
『うん! 隼人さん、まだ終わらないの?』
「え? ああ……今、丁度、帰ろうかと支度をしていた所だけど……」
隼人の心臓はドキドキしていた。
まるで見られていたかのようなタイミングで、葉月から連絡がきたものだから……。
『グッタイミング♪ きっとその頃だろうって、今、サラと話していたの!』
葉月の元気いっぱいの声。
どうやら……楽しく過ごしている様子だった。
「あ、そうなんだ……。まだ、お邪魔しているのか」
『それでサラと一緒に、ご主人と私の“彼氏”を一緒に呼び出そうって!』
「……『彼氏』!?」
『サワムラ? 来ないと承知しないわよっ!』
そんなサラの怒った声が隼人の耳にも届いてきた。
とても賑やかそうだったし、葉月もいつになく楽しそうだった。
『今からデイブ中佐が、そっちに迎えに行くから、隼人さんも来てよ!』
「え? 俺も……?」
『うん! お好み焼きパーティーをしようって二人の分も焼いているから、来てよ!』
「お好み焼き!?」
『とにかく、もうそっちに来るわよ! じゃぁね! 待っているから!』
「え? おい! 待てよ!!」
──プツ……──
楽しそうに笑う葉月の声を最後に、一方的に電話は切られた。
「……なんだよ。おいっ!」
隼人の行ったり来たりの葛藤を吹き飛ばすかのような、葉月の唐突な連絡に隼人は呆然としていた。
「本当に、台風か! まったく──」
だけれど……次には笑っていた。
葉月から連絡をくれた事。
それも何か……仕事が終わった事が通じたかのように……。
先程まで、自分が葛藤していた事が馬鹿のように思えてきた。
『私の彼氏』
確かにそう言っていた……。
ちゃんと彼女の心に……隼人が一番にきているように思えた瞬間。
隼人はそっと微笑みながら……携帯電話を閉じ、暫し、目を閉じていたのだが──。
「よ! 度々、悪いな! 聞いたかよ!?」
「わ……! キャプテン!!」
今度は、計ったようにデイブが再び、大佐室に飛び込んできた。
「聞いたみたいだな! まったく、女同士で大騒ぎみたいだぞ! 行くぞ!」
「あ。はい──!」
隼人は、またもや『台風』にさらわれるように、何を考える間もなく、帰り支度をしてデイブに引っ張られていった。
「お好み焼きとかなんとか言っていましたね?」
廊下に出たデイブを足早に追いかけて、隼人は横に並んだ。
「あー。今、我が家のブームだからな! 関西! うちのチビ姫達がねだったんじゃないか?」
「関西ブーム!?」
隼人も何がなんだか解らなくて、ビックリ仰天。
「あはは〜。俺、新喜劇の大ファン♪」
「新喜劇って……大阪の!?」
「あー! あの『こてこて』がいいっ!」
「こてこて……」
そんな楽しそうなデイブを見て、隼人はホッとしながらも……。
(ほんっとうにこの人は……日本に浸透しちゃっているな)
……と……あっけにとられてしまっていた。
「その内に、タイガースファンとかにならないでくださいよ?」
「おっ! 俺はジャイアンツよりかはタイガースだな!」
「恐れ入りました……」
どこをどう取っても、この人は『日本通だ』と隼人も降参だった。
「ま。今夜の所は、女達に煽られて楽しくやろうぜ! 俺、自宅でお好み焼きは初めてだ♪ 今夜は嬢を誉めてやる♪」
「アハハ──!」
こんな日が……ずっと続くと思っていたのだが……。
でも……隼人は今はそんな事はさておいて、なんだか急に楽しそうに元気になったデイブに連れられるようにして、笑い声を立てながらアメリカキャンプへと向かったのだ。
「うっす! 帰ったぜー♪」
「お邪魔しまーす……」
「来た来た! お疲れ様!」
コリンズ家に辿り着くと、ダイニングでシャツ姿の葉月が、お好み焼きを焼いている所だった。
「ハァイ……ダーリン。お帰りなさい」
「ハイ……サラ。待たせたな」
「──! あらっ!」
「わっ!」
帰宅したデイブに、サラがしなやかに抱きついて、それを柔らかく受け止めるデイブ。
そこには……日頃は見ることの出来ないキャプテンの素敵な夫の姿。
「これはすごい……」
二人の外国的な『お帰りの儀式』を目の当たりにして、隼人は絶句。
「ふふ……昔から変わらないけど、見るたびに私もドッキリ」
デイブとサラの濃厚なお帰りの『口づけ』。
それを唖然と眺めている隼人の横に、葉月がフライ返し片手に寄ってきた。
「隼人さんは出来そうにないわね? ああいうの……」
彼女がニヤリと、隼人の顔を覗き込んでくる。
時々登場する『お兄さんをからかう、おませなお嬢ちゃん悪魔』が参上のようだ。
「お嬢さんがフランス流がお好きなら、試してみるか?」
お返しに、試すように隼人もニヤリと切り返してみる。
「え? い、いいわよ……別に。私達、日本人だし?」
仕掛けたのに、やり返しに照れたのか途端に葉月はプイッとそっぽを向く。
「でも……キャプテンもこうしてみると素敵ね」
葉月が、日頃はどつきあいばかりのデイブを、うっとりと見つめているのだ。
「いいね……夫妻って感じだ」
「うん」
まだおでこを付き合わせて見つめ合っているコリンズ夫妻。
だけど、それを見つめている隼人と葉月も……そっとお互いの手を自然に握り合っていた──。