「やっほー♪ ミミ、ただいまー!」
入浴が済んだ真一は、バスローブ一枚で、『いつもの指定席』であるテレビ前のミニソファーへと向かった。
そのソファーの端には、大きなウサギのぬいぐるみ。
ある日、この家にやってくるとこのウサギがいたのだ。
なんでも亮介祖父が、今回の娘の帰省した時に贈った、誕生日プレゼントだと聞かされている。
『小さい頃可愛がっていたクマのぬいぐるみを、小さな女の子に譲ったのよ』
葉月がとても爽やかそうな笑顔で、教えてくれる。
叔母は……なんだかフロリダに帰省した後、すこし変わったような気がした。
それも、一緒に住んでいる隼人も同じように見えた。
二人の親密具合が、昨年よりも先月よりもつい最近よりも……日を追う事に分かち合いが深くなっている雰囲気が真一にも感じられた。
葉月が笑うようになった。
とても明るくて、真一が知っている以上の透明感がある笑顔だった。
そんな事を思いながら、大きな人形を抱きしめていると、パパからの大事な贈り物とばかりに、葉月が目くじらを立てながら、真一が着ているバスローブの襟を掴みあげたのだ。
「こら。ちゃんと身体を拭いたの? 濡れた身体でミミに抱きつかないで!」
「ふぁーい。。」
真一は『指定席の仲間』になった『ミミ』から離れて、テレビのスイッチを入れた。
丁度、ニュース番組をしているので、見入っていると……キッチンから野菜を炒める良い香り……。
(うーん! 帰ってきたってカンジ!)
以前ほど、ここへ『帰りたい』というホームシックは感じなくなった。
でも、ここに帰ってくるとやっぱりホッとする。
真一の今現在の『実家』みたいな所だから──。
以前は、週末は必ず通わないと不安で仕方がなかった。
いつも冷たい横顔を保って、何を不満に生きているのか分からない叔母が……フイッと消えてしまいそうに思ったことは何度もあったから──。
確かめられずにいられなかったのだ。
勿論──叔母の側にいるのが真一にとっては一番の幸せだったから……それもあったが。
今は勉強にも訓練にも『集中』出来るようになった。
思いっきり前に進んでも、この家には葉月が必ずいるという確信も得られるようになった。
それもきっと……『隼人』が来たからだと、真一は思っている。
そして──『真実』を知って、本当の父と対面して……心の整理もついていた。
あの衝撃的な『真実』を知ってから……もうすぐ一年が経とうとしている。
そして……確固たる目標も定まった。
なのに……葉月が『相談』とは、なんだろう?
真一は濡れた栗毛をバスタオルで拭きながら……葉月が入れてくれた麦茶を飲み干す。
計ったように? 隼人がいないだなんて……。
真一は不安に思う。
(二人の間で何か……悪いことでも?)
眉をひそめた。
だいたいにして……いつだって『葉月第一』に寄り添っている隼人が、仕事以外、帰省でいないなんて……。
初めての事じゃないだろうか?
でも、葉月のここ最近の笑顔も、隼人のさらなる愛情に満ちた熱っぽい眼差しも……。
二人の『不仲』を感じさせない程の良い雰囲気だったから、また安心して、課外授業に野外訓練に精を出していたのに……。
「シンちゃん、出来たわよ? ちゃんとお洋服、着なさい」
「あ、うん!」
真一は、自宅用に置いてあるティシャツとジーンズに着替えた。
『頂きます』
二人揃って向かい合って座る。
いつも真一が海が見える奥に座り、葉月はテラスの窓越し……海に背を向けて……。
その指定位置で食事を始めた。
「訓練はどう?」
「うん! 今回は陸訓練生と一緒だったんだ。それでね! 陸訓練生が怪我をしたという想定で合同のレスキュー訓練をしたんだ」
「そう。結構、大がかりだったのね」
「それでね! そのレスキュー訓練の前に、応急処置の模擬講義というのがあって」
「模擬講義?」
「陸訓練生の前で、応急処置の講義を俺達が何班かに別れて講義するの」
「へぇ? じゃぁ……シンちゃんが教官をしたわけ?」
「そう! エリックと一緒に組んで講義をしたんだ。そうしたらね──教官達に『評価A』をもらったんだ!」
「まぁ! すごいじゃないの! 見てみたかったわ!」
「まぁ……エリックが優秀だから、俺は助けてもらった方かな……」
「……」
葉月がまだ対面の意志を見せない真一のルームメイト。
その彼の名が話題に出て、思った通りに葉月が黙り込んだ。
「エリックは、優秀なのね。シンちゃんも負けられないわね」
「勿論、良い刺激の友達だよ」
「良い事だわ」
葉月とマッキンレイ少佐が、どうのように話を交わしているかは真一は知らない。
むしろ……お互いに避けて穏便を保っていると真一は予想している。
保護者にしては、葉月とケントパパでは歳の差もあるし……なんと言っても葉月は大佐になってしまって、ケントパパも付き合い方に悩むところだろう。
それを葉月が遠慮しているのも真一は良く解っているから、本当は紹介したいけど無理強いを出来ないでいた。
なのに──。
「エリックさえ良ければ……今度、うちに連れてきなさい。一度、御礼を言いたいと思っていたのよ」
「──! 本当!?」
「あ、でも……いきなりは困るわ。仕事があって不規則な帰宅だと解っているでしょう? 前もって、連絡をちょうだいね」
葉月が、ニコリと穏やかに微笑んだ。
(うっそ!?)
喜び反面、真一は半信半疑だった。
絶対に他人を寄せ付けないこの家に、隼人が一年も毎日、出て行くことなく同居したのも、正直、予想外だったのに……。
それを『お友達を連れてきなさい』なんて言い出したのだ。
この──気難しそうな若叔母が!
(やーっぱり、なんだか変わったぞ?)
半熟のオムレツに箸を入れながら、真一はそっと葉月をうかがった。
その上、葉月はご飯を頬張りながら、こうも言い出した。
「マッキンレイ少佐とも一度お話をしなくちゃね。今までは……ロイ兄様が気を遣ってくれていたけど、やっぱり直にシンちゃんに触れているのは私だし。あ、勿論──私が成り上がりの大佐ではあるけど……先輩として接するわ」
「……そ、そう?」
いざ、そうなってみると真一は、変な緊張感を覚えた。
あの大らかで逞しいケントパパと若大佐嬢の葉月が対面する様なんて……想像が付かないから、余計に──!
でも、これもいつかは通って欲しい道でもあったので、ここは葉月とケントパパの『大人の枠』で上手く行くことを、真一は祈るしかない。
いや──祈らなくても、たぶん……上手く行くだろう?
問題は、葉月の『好き嫌い』がどう出るかなのだが……。
(ケントパパなら大丈夫だと思うけどな?)
真一にも、分け隔てなく接してくれる優しいパパだった。
エリックとケントパパを見ていると『うっとり』羨ましくなる。
真一にとってあれが『理想の父子』であった。
(なのにぃ! 俺の親父ときたら!)
真一は急に腹立たしくなって、茶碗を片手に乱暴にご飯を口にかき入れる。
あの表情も宿さない鉄仮面の様な顔に、感情が籠もっていないような口調。
言うことと来たら、期待はずれのぶっきらぼうな言葉ばかり。
自分の父親と解っているが、『お父さん』と呼ぶなら叔父である育て親の『真お父さん』の方が断然、『理想的』だった。
時々思うのだ。
(母さんって、あの鉄仮面の何処が気に入ったのかなぁ?)
この一年、ずっとそう思っていた。
でも──何処か共感できる部分はある。
いつも必ず『暖かみ』を感じる一言は残していく。
息子だから? 特別に通じてしまう一言なのかも知れないが?
幼かった頃に、秘密のおじさんだったあの人は、真一に取っては『いつか会いたい人』であって、いつも期待を持っていたし、時計を腕に付けてくれた夕闇の出逢いからはそれが励みだった事は間違いない。
だったらどうして『クソ親父』かと言うと……。
やっぱり自分の父親であって、期待通りでなくて、それでいて……『俺を捨てて、どこともなくほっつき歩いている訳の解らない遠い人』……で、あるからなのだと思う。
だってそうだろう?
真一はまだ、どうして彼に置いて行かれたのか、捨てられたのかは知らない。
でも、嫌な予感だが『察していた』。
母親の『死』が引き金になっている事は間違いない。
彼は……もしかして……。
『母さんと葉月ちゃんの為に、犯人を殺したから?』
そんな風に考えてしまう。
そうじゃないと思いたい。
葉月に聞きたいが事件の事は、葉月の中で蘇らせたくない。
もし『復讐として殺害、逃走、行方不明』となると、真一は『犯罪者の子供』となってしまう。
たとえ、殺した相手の方が『元凶の犯人』であったとしてもだ。
だから? あの人は真一を置いて、消えてしまったのだろうか?
真一は頭を振った……。
そんな彷徨いは、一年前に嫌と言うほど彷徨って──そして『通り越した』。
もう、忘れようと決めた。
そして会えることも、葉月と真一だけの『秘密』である事に決めた──。
幼かった時のように、葉月と真一だけが守って行く『あの人との関係』。
「シンちゃん? 大丈夫?」
箸を止めてぼんやりとしている真一を、葉月が心配そうに見つめていた。
「え? うん! ちょっと眠気が襲ってきちゃった! 疲れが出てきたかなー!」
「……」
葉月は、そんな真一の笑顔は『空元気』と解っているようで、ちょっと腑に落ちない顔でジッと見つめている。
「お、美味しいね! 俺、葉月ちゃんのオムレツ大好物!」
寮では絶対に食べられないとか何とか真一ははしゃいで、気を逸らそうとした。
でも──葉月が硬い表情で、手にしていた箸を置いてしまった。
「シンちゃん……」
真一は、『ゴクリ』と喉を唸らせる。
その顔……今にも『相談』とか言う葉月が溜め込んでいる何かを……打ち明けられそうな雰囲気だった。
「来週になったらシンちゃんも17歳ね──」
葉月がニコリと微笑む。
「う、うん……そうだね」
「今年はどうするの?」
「……えっと」
葉月が言いたい『誕生日が近づいてどうする?』
それは、真一を産み落としてその数日後に亡くなったという『母の命日』を指す。
「うん。訓練も落ちついたから、次の週末には鎌倉に帰省しようと思っているよ。母さんの命日には平日だから……先にお参りしておく……」
「そう」
「葉月ちゃんは? 去年は中隊が忙しくていけなかったけど、ロザリオの前にお花を添えていたね」
「うん──考え中」
真一はフッと頭にかすめる。
(もしかして、一緒に帰省したいとか言う相談だったのかな?)
しかし、今の葉月はさらに忙しそうだった。
それに葉月は几帳面に姉の墓前まで花を手向けに行く……と言うことはあまりしなかった。
その気持ちも、今の真一になら……ちょっと解る。
その命日が何のために『出来てしまった日』であるか。
墓前で姉と何を語る?
きっと辛いことしか姉に語りかけられないに違いない。
ただ命日は意識しているようだった。
仕事で忙しくとも──『弔い』はささやかに行っている。
今年も……もうすぐその時期だ。
今年は……どうするのだろう?
真一はトロリとした卵を一口頬張りながら、葉月の様子を見守った。
すると──。
「思い切って聞くけど? 義兄様とは……? 毎年どうなの?」
「!」
面と向かって尋ねられたのは初めてだった!
葉月がマルセイユ岬の任務で父に助けられたと打ち明けてくれてから……そしてその前、春に父がロレックスの時計を乱暴に送り届けに来たことを、葉月に遠回しに知らせた時から……数年前から途絶えていた『秘密の共有』が復活した。
それでも──お互いに『不共有』だった時期の事は、あからさまに語り合ったことはない。
ここに来て、面と向かって聞かれて真一は戸惑った。
「えっと……解らない。毎年、何かと色々な置き方で『腕時計』を届けてくれるから」
「毎年、顔を合わせているわけじゃないのね?」
「そんな……毎年、顔を会わせていたら、俺、もっと前に疑問が膨れていたと思うよ?」
「そうね……」
葉月は、なんだかガッカリしたように俯いてしまった。
春にロレックスを届けてもらった直後、すぐに葉月にほのめかすと──。
葉月は恋人の隼人がいる目の前にも関わらず、裸足でマンションを飛び出した。
あの時思った。
葉月にとってもあの『純一』とかいう人は、とても『会いたい人』なんだと。
「でも俺が届けてもらう度に、葉月ちゃんにそれとなく知らせていたのは通じていたんでしょ?」
あの黒猫ウォッチが届くたびに……真一はすぐに腕に巻いて葉月の目の前にちらつかせた。
すると葉月は、滅多に弾かないヴァイオリンを取りだして、必ず『アリア』を演奏する。
その無言の『やり取り』は通じていると真一は思っている。
「ええ……」
「葉月ちゃんは? 誕生日に来てくれる?」
葉月のジュエリー棚の引き出しには、豪華絢爛の腕時計に、美しい腕時計がズラリと並んでいる。
それも誕生日の度に真一と同じように届けられていると思っていた。
でも──葉月が首を振った。
「誕生日には滅多に届かないわ……。ほら、シンちゃんの誕生日とは一ヶ月しか離れていないじゃない? もし、届くとしたら……兄様は、シンちゃんの誕生日に合わせているわね」
「そうなんだ……」
「もし、今年……義兄様を見かけるような事があったら……私にすぐに知らせてくれる?」
「──!! ど、どうしたの? 葉月ちゃん……!」
叔母があからさまに『義兄に会いたい』と、甥っ子に頼むので驚いた!
「義兄様とは滅多に顔を合わせないわ。むしろ、義兄様はシンちゃんの方に毎年来るのよ。息子優先……。義兄様も良いところあるでしょ?」
葉月のニッコリとした笑顔に、真一はちょっと頬を染めた。
──『息子は毎年必ず恒例』──
それはたとえ、一年に一回でも真一の事は絶対に忘れていない。
それがまともに嬉しく感じてしまって、焦ったのだ。
だが──真一の心境はすぐに元に戻った。
「それが……今日の相談?」
「え? うん……それもあるけど。義兄様に会えるという確証はないわよね」
「じゃぁ……なに?」
葉月は俯いて……暫く考え込んでいた。
もの凄く真剣で思い詰めた顔。
真一は……そんな優雅な若叔母の思い詰めた顔が一番心臓に悪い。
また唾をごくりと飲み込んで、真一はひたすら待ちかまえた。
「もしよ? もしなんだけど……」
「な、なに?」
真一の胸の鼓動が早まる。
そんな思い詰めた顔……余程の事だろう?
「……」
また黙り込んで葉月は迷っている。
「……隼人さんに、義兄様の事、話そうと思っている。と、言ったらシンちゃんは、どう?」
「!!」
真一はまた! 驚いた!!
二人だけの『秘密』を、葉月は恋人とも『共有』したいと言い出したのだ。
葉月がやっと顔を上げて、真一を真っ直ぐに見つめる。
その瞳はすがるように弱々しく、そして潤んでいた。
そんな『か弱い女性の眼差し』を叔母が向けるのは初めてだった。
「シンちゃんの気持ちを無視できなくて……」
「つまり? それは……俺が本当は誰の子であるかとか?」
「そうよ」
「その親父が何を生業にしているか? とか……?」
「そうよ」
「何もかも!?」
隼人が過去の事件を知っていることは、もう承知済だった。
でも──『おじさん達』が作り上げた『偽装の親子関係』。
これを隼人に知らせると葉月は言っている。
そうなると……。
(俺がマフィアみたいな男の息子だって……隼人兄ちゃんは知ってしまう!?)
そんな不安も過ぎったし、どんなに隼人が『信頼できる大人』でも、やっぱり『部外者』だと……真一はそんな不安を素直に抱いた。
でも──真一は葉月を我が事の様な気持ちで見つめた。
彼女の思い悩む姿は……本当に彼を愛しているからだと。
言えなくて、言わなくて済むならと……ずっと揺れていたのではないだろうか?
叔母が幸せを掴み始めているのに、真一にそれを邪魔する事なんて出来るはずがない。
むしろ──隼人は真一にとっても今はとても必要な存在だった。
いなくなったら……また、以前と同じ繰り返し。
葉月の元を去っていく男性は、真一の事も忘れるのだろう。
どんなに可愛がってくれても。
そんな別れは嫌だった。
嫌だけど……それを話したら、隼人はどう感じるのだろうか?
葉月と隔たりが出来てしまうのだろうか?
17歳の真一には、的確に多く想像することは出来ない。
「どうしたの? もしかして……隼人兄ちゃんが横浜に帰省しているのは、そのせい!?」
「いいえ。それは違うわ……。でもね……」
今度は葉月が、喉をごくりと動かした。
急に言葉を躊躇っているのだ。
「なに? 隼人兄ちゃんに何か、勘づかれたの?」
「……色々とあって、まぁ……そうね。私から色々と昔の話をして行くうちに。合点行かない事もあった様だから、さわりだけ……。全部は話せなかったわ」
「そうなんだ……」
それはごもっともだと、真一は思う。
「父様は……話しても構わないと言ってくれたわ」
「ええ!? お祖父ちゃんが!? だったら別に悩まなくても良いじゃん!?」
御園の長である祖父が、OKサインだしているなら問題ないじゃないかと、真一は急に力が抜けそうになった。
「それは良いと思うけど……シンちゃんは平気? それを確かめてから、言おうと思ったの」
「平気って……」
そう改めて確認されると、真一も戸惑った。
「……闇のお仕事をしている男性の子供だと気にしている?」
「……ううん? 俺自身はそんなには。だってそれなりに大義名分持っているみたいだし? ただ、一般の人が何処まで理解してくれるだろうと言う不安はあるよ? 俺だって……あのエリックにだってまだ本当の事は言えないもん。葉月ちゃんの不安は、それと一緒なんだね?」
「そうね……。でも、言いたいの……良い?」
「……」
また、真一は躊躇った。
自分が躊躇うのだから、葉月はずっと躊躇っていただろうと痛感できた。
そして叔母は『覚悟』を決めている事も──。
「……俺は隼人兄ちゃんを信じるよ。それに葉月ちゃんの事も。だから……」
真一は俯いて拳を握った。
「だから……出た結果は葉月ちゃんと一緒に噛みしめる」
「シンちゃん……」
「でも! 絶対、大丈夫だよ!」
真一は、そう思いたい。
あの隼人が、それぐらいで揺らぐとは思えないから!
しかし……目の前の叔母はそれでも何か躊躇っている様子。
「どうしたの? 葉月ちゃん? 隼人兄ちゃんが信じられないの?」
葉月が力無く首を振って否定する。
「だったら……信じているのに? それでも不安なの?」
葉月が『そうよね! 隼人さんなら大丈夫』と笑ってくれないと、真一も心弱くなってくる。
「ごめんなさい……その……」
「?」
何か言いたいことがあるようだが、葉月はなかなか言い出そうとしない。
それどころか、真一から顔を逸らして、額に汗を浮かべているようだった。
(そんなに緊張する何かがあるわけ?)
真一は眉をひそめつつ、葉月の苦痛の表情から何かを読みとろうとしたが……さっぱり検討がつかなかった。
「愛しているの……隼人さんを。でも──」
葉月が顔を覆って、苦しそうに俯いた。
──『彼を愛している』──
葉月が男性への気持ちを赤裸々に真一に教えてくれるのも『初めて』だった。
それに驚きつつも……。
「だ、大丈夫だよ。俺、解るよ? 隼人兄ちゃんだって葉月ちゃんの事を愛しているよ!」
──『愛している』──なんて言葉は、真一にはまだ到底想像が出来ない『大人の言葉』。
酸いも甘いも分別つかない未成年だけど、少なくとも叔母とお兄さんは思い合っている事は解る。
「だからね? 葉月ちゃん! そんなに怖がらなくても嫌われないよ!」
「……」
叔母はまだ顔を覆っていた。
「そうじゃないの……そうじゃないの……」
「だったら、なに??」
真一には、もう……どう言えばよいのか解らない。
そして、やっと落ちついたのか葉月が顔を上げた。
「ありがとう、シンちゃん。でも、ちゃんと打ち明けるわ。シンちゃんの立派なパパだって……言うわ」
多少、取り乱したような戸惑いを見せた叔母だったが……。
落ちつくと、決めていた『覚悟』への揺れはなくなったようでホッとした。
「私も信じているわ。隼人さんなら受け入れてくれると……」
「うん、大丈夫」
「うん、きっとそうね」
叔母がやっと微笑んでくれた。
(なんか、引っかかるな?)
なにか『子供』と思っている真一には、『まだ言えない』という様な葉月の態度を、嗅ぎ取った気がした。
そんな匂いが少しだけ──。
でも、真一にはそれが何であるかは解らなかった……今は。
叔母が父親を『絶対的異性』として見ている事など、この時は想像できなかったのだ。
☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆.。.:*・ ☆
真一は食事を終えて、しばらく葉月とくつろいで寮へと帰る時間に──。
「打ち明けたら、俺にも報告してね」
真一はエレベーターの前で自転車を押しながら、見送る葉月に振り返った。
「勿論よ」
「……あのね、俺は絶対大丈夫だと思うよ」
「解っているわ」
叔母が俯き加減に微笑む。
「シンちゃん、ありがとう。こんなにシンちゃんの後押しをもらえるだなんて……。とっても嬉しかったわ……。心強かったわ」
「え? そう?」
「そうして段々とシンちゃんは男らしくなって行くのね」
「え……そうかな?」
真一は叔母の笑顔に照れくさくて俯いた。
「近頃……兄様に似てきたわね。背も高くなって、顔つきも時々驚くぐらいに」
「……」
それが嬉しいのだが、『鉄仮面』と顔つきが似ているは嬉しくなく……複雑な真一の心境。
──『葉月を頼んだぞ』──
父がフッと残した言葉。
あんなクソ親父に言われなくても、いずれはそうしたい気持ちはあった。
だけど──葉月がそう感じてくれるようになったのは、真一も嬉しかった。
「でもね、シンちゃん。私は隼人さんを信じてるわ。でも、たとえ、受け入れてもらえなくても……私にはシンちゃんがいるって、今夜……改めて思ったわ。あなたが闇の男の子供だからと、避けられるなら……そんな男、私から別れるから──」
葉月の眼差しが急にキラリと輝いたので、真一は息を止めた。
その眼差しが……写真で見る『母の眼差し』にとても似ているのだ。
時々、葉月はその目をする。
「お、大袈裟だな? だから──隼人兄ちゃんは、それぐらいで俺を避けるなんてしないって」
真一はちょっとおののきながら、苦笑いをこぼした。
「うん、それは解っているわ。たぶんね……例えばよ」
その時だけ、葉月は晴れた笑顔を見せてくれたので、やっとホッと出来た。
「じゃぁね。おやすみ!」
「気を付けてね」
葉月がやっといつもの優雅な仕草で手を振って、優しい笑顔で見送ってくれた。
真一も少しは気が晴れて、エレベーターの扉を閉める。
(うーん。ちょっと驚いた)
『相談』がこんなに重い内容だとは予想外。
だけど……
『シンちゃんに相談があるのよ』
『とても心強かった』
『段々と男らしくなって行くのね』
頼ってくれた葉月の数々の言葉を反芻して……真一はやっぱりニンマリとほころんでいた。
「はぁー、どうなるのかな! でも、俺も頑張ろう!!」
もうすぐ誕生日、母の命日。
さて──?
(親父のヤツ……もうすぐ日本に来るつもりなのかなぁ)
暫く忙殺されていて、父の事を考える事は少なかったが……。
急に胸騒ぎがした。
来週、真一は17歳になる。