早退をして、夕方になるまではアッという間だった。
マンションに戻った隼人は、林側の部屋で葉月に言い付けられた通りに横になった。
確かに、皆が言うように疲れていたのだろうか?
それとも──『休暇を取る』と決めたから、心が軽くなったのだろうか?
暫く考え事をしていたら、やっぱり寝付いていたようだ。
誰もいなくて……静かで、そして木々の葉が揺れる音。
この一年で隼人の身体に浸透した音だった。
ふと目が覚めると、あたりは暗くて……ベッド横のブラインドの隙間から、そよ風が隼人の頬を撫でていた。
黒髪をかき上げながら……起きあがる。
閉じたドアの隙間……リビングからの灯りが差し込んでいて、ドアの向こうからは緩やかなクラシック音楽が聞こえていた。
そして『カチャカチャ』というキッチンからの物音。
何時だろう?
隼人が時計を見つめると、20時だった──。
(結構、寝てしまったなぁ?)
あくびをしながらベッドから降りた。
ジーンズ姿でリビングに出る。
「お帰り……いつ帰ってきた?」
「あ……大丈夫なの?」
鍋の中をおたまでかき回している葉月が、すぐさま心配顔で隼人を見つめた。
「結構寝た。むしろ夜が寝れないかも知れないって程──」
「そう──。帰ってきたとき、部屋を覗いたんだけど……。よく寝ていたから。やっぱり疲れていたのね? 達也もジョイもお兄さんも心配していたわよ?」
「だから……たいした事ないって……。夏ばてかな……?」
「……そうね? 隼人さん、ここの夏は初めてだものね?」
それでも葉月は心配そうにして、まだ隼人を見つめていた。
そんな顔をされると辛い。
側によって『大丈夫だよ』と抱きしめて上げたいが、今は控えた方が良さそうだった。
「なにか手伝おうか?」
「いいの──。なにもしないで……ちょっと反省したの。なにもかもあなたに任せきりで、甘えっぱなしで……もし、奥さんだったら失格ね」
『奥さん』なんて言葉が葉月の口から出たので、隼人はちょっと驚いた。
「あなたにも限界があるって事。そんな事に気も遣わないで……。あなたが『やる』という事、鵜呑みにして気が付かなかったんだもの」
(違うのに──)
葉月は体調のことを言っているだろうが……隼人としてはそうじゃない。
体調もそれなりに疲れてはいたのは確かだけど、今日のめまいはそういう事じゃない。
なのに……葉月がそうして自分を責めている姿に隼人は心が痛んだ。
痛んだけど……今日は彼女に対しても、なんだか気力が続かなかった。
そのままダイニングテーブルに座って……ぼんやりとテレビを付けた。
「今日はね? 野菜たっぷりのクリームシチュー。もう少し待ってね」
愛らしい声に笑顔が、キッチンから見えた。
「うん……待っているよ」
隼人の素直な返事に、また葉月が微笑む。
(やっぱり──)
隼人は思った……やっぱりあんな葉月がどうしようもなく愛しくて欲しくてたまらなかった。
今日も目線を逸らして誤魔化す自分がいる。
側にいると、葉月を壊したいくらいに求め続ける。
それを阻止するには、こうして目を逸らす。
そうすると葉月が『私を見て』と怒り出す。
見ると葉月を手込めにする──。
その繰り返しがここ数日、続いていた。
(やっぱり──細川中将がいうように、一呼吸置くのもいいかもな……)
隼人は側にあった新聞を開きながら……『休暇』への決心を固め始めていた。
・・・◇・◇・◇・・・
葉月と夕食を供にする。
「たくさん食べてね?」
野菜がたくさん入ったクリームシチューを口に運びながら、葉月が微笑んだ。
「ああ……」
隼人の気のない返事に、葉月がちょっと残念そうな顔をしていたが、隼人は申し訳ないが、そのままにしておいた。
葉月も無言になる。
いつにない雰囲気が漂う──。
「あの……」
大佐の時は、隼人を押さえ込むぐらい毅然としているのに……その顔。
「ちょっと考え事しているんだ……葉月は何も悪くないよ」
先に言っておく。
そして──
「頼みがあるんだけど──」
「なに?」
隼人はスープ皿にスプーンをそっと置いて葉月を真っ直ぐに見つめた。
「……本部端末のメンテナンス。それが終わったら、少しで良いから休暇が欲しいんだ」
「え?」
「達也から何か聞いていないか?」
葉月が首を振る。
達也は男同士の話として、葉月には話さなかったようだった。
そんな達也の気遣い。
なのに……隼人は休暇を勧める達也の事を悪いように受け止めたりした。
また、隼人は苦い顔で俯く。
「……ちょっと俺、疲れているのか……中将にそう言われた」
葉月との距離については、言わない事に決めていた。
「……細川のおじ様が? そんな事、言ってくれたの?」
葉月も驚いたようだ。
実際、あの厳しい中将が隼人に休暇を勧めた時も隼人自身が驚いたのだから無理もない。
「ああ……言われてみれば……そうかもしれないって思っていたら、今日はこんな事になって──。葉月が言うとおり……大事になる前に、忙しくなる前に数日でも良い。横浜に帰ろうかと思っているんだ」
「……」
暫く、葉月が動きを止めつつ隼人を見つめていた。
とても複雑そうな顔だった。
細川が勧めたにしても……隼人がすんなり受け止めたこと。
勧められた理由が葉月自身が負担になっているから?
受け止めたのは……自分の側にいると情緒不安定だから?
葉月がそうして頭の中で一人思い巡っている様がうかがえた。
「……いいわよ」
「──!」
次には葉月はニコリと笑顔で快諾したのだ。
隼人はそうは心に決めていたものの……少しも理由を問いたださない彼女、引き止めない彼女にちょっとガッカリしている自分に気が付いた。
以前だったら、女性のそんな引き留めは鬱陶しいと思っていたはずなのに?
(俺はやっぱり……エゴイストか!?)
また……気分が悪くなってくる。
だが……葉月はさっぱりした笑顔で続けた。
「この前、ゴールデンウィークの帰省でも、結局……私のせいでゆっくり出来ずにトンボ帰り。あちらのご家庭も落ちついたみたいだし……今度こそ、ゆっくりしなくちゃね」
葉月のサバサバした笑顔。
勿論──家族水入らずが良いという葉月の心遣いだと解っているのに。
隼人はそんな葉月を期待を裏切られたかのように、黙って見つめていた。
「隼人さんは夏期長期休暇もまだ取っていないし……。ジョイは私が帰った後、帰省したでしょう? お盆には山中のお兄さんも鹿児島に帰省したし。そうそう……丁度、達也にも取らせようと思っていたの。達也も落ちつくまでバタバタしていて甲府に一度も帰省していないから──。せっかく帰国したのに、あちらのお父様にも申し訳ないし……。達也と順番にってどう?」
葉月のその言葉は理にかなっているし、補佐達を気遣う大佐そのものだった。
「……」
隼人はついに渋い顔で、葉月を見つめていたようだ。
「??……どうしたの?」
それに葉月も気が付いたようだった。
「いや? 有り難う。じゃぁ、心おきなく……休暇を取らせてもらうよ」
「……ええ、いない間のことはジョイと一緒になんとかするから、心配しないで」
「週末の連休を入れて……五日か六日ほど欲しいんだ」
「ええ、それぐらい。構わないわよ?」
葉月も微笑んで、快諾してくれた。
(俺が……一週間もいないんだぞ!?)
この前の出張で、一週間離れていた事はあったのに?
何故、今回だけこんな風に感じるのか隼人は本当に良く解らなかった。
「明日、休暇届けをジョイに提出しておいてね」
葉月が優しい笑顔でそういった。
──カチャン──
隼人は、再び手にしていたスプーンを置いた。
「隼人さん──?」
そして席を立つ。
「やっぱり……食欲なくて」
「……美味しくなかった?」
「いや、美味かったよ……でも」
隼人は胸を押さえて、すこしばっかりかがんだ。
「いいのよ。無理しないで? お部屋でゆっくり休んだら?」
葉月の笑顔。
いつもの笑顔。
隼人がいつも安心している笑顔。
その笑顔が何故? こんなに不安を煽るのだろう?
「うん……そうする」
隼人はそのまま胸を押さえて、林側の部屋に向かう。
「隼人さん?」
葉月の声が背中に届いた。
「なに?」
「……」
葉月も何か不安そうな顔をして、暫く、何か躊躇っていた。
「あのね……嫌なことがあるならちゃんと言ってね? 私……いけないところがあるなら──」
「葉月にいけない所など、何もない……」
隼人は冷たく言い捨てて、そのまま振り切るように部屋に入った。
『やっぱり……俺は最悪だな』
益々、自己嫌悪に陥った。
今のこの自分の状態が、葉月を徐々に追いつめているような気がする。
どうした──?
今までは……今までは……。
何処からこんなにおかしくなった?
──『やり直すから──私』──
その言葉が、咄嗟に浮かんだ。
そう──彼女がやり直すと、隼人に真っ直ぐに向き始めた頃から、なんだか自分がコントロールできなくなっている。
『俺がずっと望んでいたことじゃないか?』
彼女がいつ……隼人だけを見てくれるのだろうかとあんなにヤキモキしていたのに。
あの頃の方が、自分は『余裕』があった。
葉月が真っ直ぐに隼人に向き合った途端に……。
どうしようもなく『愛しくて』たまらなくて……。
どうしようもなく『不安』で……。
どうしようもなく『全て』を欲している。
なにもかも……一分一秒でも葉月のなにかが自分の中で動いていないと不安だった。
そして……誰よりも俺を見て欲しいという、今までにない『欲望』。
隼人はドアに寄りかかって胸を押さえた。
なんだかとても苦しい……。
そして思った。
『彼女を愛しているんだ、こんなに──』
初めてだった。
本当に女性をこんなに愛しているんだと……初めて思った。
彼女がそれを受け止めれば、受け止めてくれるほど──。
隼人のエゴが強くなっているようだった。
『人を好きになると……こうなるのだろうか?』
このままではいけない。
だから……隼人は『休暇』をとって、暫く一人になった方がよい。
益々、そう思った。
なのに自分が側から離れるというのに、あの大佐の顔であっさりと承知した彼女に、不満をもつなんて……どうかしている!
いや……違う。
葉月がやり直すと言い出してからじゃない……。
隼人は目を背けたい現実をもう一度思い出す。
『あの男の写真を見てからだ……』
それだけなら見なかった振りで済んだかも知れない。
なのに──その男が明確になりかけている矢先に、葉月がまるでその男とはもうなんでもないと言った顔で『やり直す』と言い出したから……。
葉月を受け止めたいのに、受け止めていないのは……。
『今は──俺じゃないか!』
そう……隼人は、葉月には『あの男』とは完全に縁を切って欲しいのだ。
切って欲しいという本心と並ぶように……
──『絶対に切れない仲に違いない』──
そういう『確信』も自覚していた。
だから……自分の本心が先走って、葉月を必要以上に奪うように求めて、そして……解っている現実が、隼人の本心を愕然とさせる。
その愕然とした心が、また……本心を暴走させる。
その繰り返しなのだ。
──『ハッキリ聞くか、スッパリ忘れてやるか』──
達也の言葉も頭に浮かんだ。
まさにその通りであって、それが今……一番自分を早く癒す方法でもあるのだろう。
その癒す時間と頭に言い聞かせ、そして心に浸透させる時間が欲しい──。
『横浜……帰ろう』
そう思った。
今思えば、あの春の連休に家族とわだかまりを解いたことは、本当に良かったと思った。
ここ以外に、帰れる場所があると初めて思った。
家族の顔を思い浮かべたら、少し、気持ちが落ちついてきた。
そのままベッドに向かって横になる。
『眠れたら……気が楽だな』
隼人は深い溜息をこぼして、天井を見つめたが……夕寝をした隼人には眠りは遠かった──。
・・・◇・◇・◇・・・
やっぱり──『眠れない』
時間は夜の1時を回っていた。
「あー、ちくしょう!」
雑誌を見ようが、書籍を開こうが全然集中できないし、眠りもやってこない。
また……隼人は部屋を出た。
リビングはシンとしていて、今度は葉月も出てくる気配がない。
もう……彼女は深い眠りの中だろう……。
それならきっと何もしないだろうと……隼人はふとその気になって葉月の部屋を覗いた。
いつも通り──壁際に向いて横になっている彼女の背中が見えた。
いつも通り──スリップ一枚で、白くて丸い肩をはだけさせて眠っている。
『……』
息をひそめながら部屋に入る。
そしてそっとベッドに手を付いて、葉月の顔を覗き込む。
「……俺のウサギ」
そっと指を伸ばして……気付かれない程度に静かにうなじを隠すようになった栗毛にふれた。
今なら、逃げない。
木陰で隼人と距離を取ってジッと見つめているばかりのウサギは、ちょっと近寄ると警戒して逃げてしまっていたのに。
今は腕の中──。
『俺の腕においで──抱いてあげるから、一緒に帰ろうね』
そんな感じで、隼人の腕に大人しく収まって何処に連れていこうと任せてくれるウサギに。
野ウサギは野生の勘であちこち飛び回って、時には近づいた敵を思いっきり蹴飛ばす。
そんな隼人の野ウサギ。
それが今……大人しく眠って触れる位置にいた。
「……何処にも行かないでくれよ。こうして俺と一緒に……」
スッと彼女の栗毛を、指の隙間に通してかき上げた。
『うん……』
彼女が寝返りをうつ。
もう──どうでもいいとさえ思えてくる。
本当に達也が言うとおりに『スッパリ忘れてあげる』
それが出来そうな気はするのだ……こうして葉月を眺めていると。
今、こうして側にいるのは事実じゃないかと──。
いつも思うのだ、いつも──。
「葉月──ごめん」
「う、うん?」
隼人は葉月の頬を撫でながらそっと口付けた。
ちょっとのつもり、オヤスミのキスのつもり──。
「う、ん・・・っ?」
息苦しそうに葉月が目を固くつむった。
「本当……ごめん」
なのに一度、彼女の唇を味わうと、なかなか離れられなかった。
ついには、隼人は彼女の横に横たわっていた。
そして……手先は彼女の露わになっている肌を撫でていた。
「ん!? は、隼人さん??」
葉月が目を覚ます。
もう……その時には……葉月のスリップの肩紐を片方だけずらして、胸先に口づけをしているところ……。
「だ、だめ……ちゃんと向こうで休んでいてよ?」
寝起きで気だるそうな葉月が、まだ力が入らない腕で隼人の頭を押しのけようとした。
「もう、遅い──」
「だめ……だめったら……」
そんな、か細くて力無い声が、余計に隼人の野獣の心に火を点ける。
「や、やめて……」
葉月が寝起きであまり動けないのを良いことに、隼人の手は葉月をアッという間に全裸にしていった。
全裸になったと同時に、葉月の意識もハッキリしてきたようで、半身起きあがって抵抗してくる。
「……なんなの? 最近──隼人さんはおかしいわ!」
覆い被さる隼人の肩を、葉月は今度は力一杯に押しのけようとしていた。
「どこが……俺は真剣だ」
「限度ってものがあると思うの! こんなことばかりしているから、仕事中にあんな・・・こ・・とっ」
うるさい口は塞ぐに限る。
「う、ううっ」
葉月の頭の上まで彼女の腕を伸ばして、両手首を隼人は固定した。
「あ・ううんっ!」
荒く奪うような口づけで、暫く葉月に吸い付く。
「はぁっ……も、もう! お願いだから!」
やっと息を吸えた葉月が声をあげる。
「なんでだよ? 毎晩……ずっと毎晩、こうして俺と抱き合っているじゃないか?」
「今日は……だめ! 私は……隼人さんを心配しているの!」
「そんな必要はない──。体調の問題じゃなくて、気分の問題で──。俺は今は無性にお前を抱きたいんだ……奪っても良いだろう? 良いだろう?」
彼女の首元に吸いつき、そして、耳元で囁いて耳たぶをそっと噛んだ。
「だ、だめ……! 今日は嫌──!」
葉月が顔を背ける……今度は、背けた方向に唇を寄せて追いつめる。
「お前、言ったよな?」
「あ、あん──っ!」
手荒に葉月の身体を下り、手に収まるふんわりとした胸に吸い付いた。
葉月は胸の下でもがいて逃れようとするが──。
「ちゃんと愛してくれないと許さないと──言ったよな!?」
隼人は本気で葉月を力一杯シーツに押さえつける!
「あ、あ……」
しっとりとした声に徐々に変化していく葉月の吐息──。
隼人はそのまま葉月の片ひざを倒して、シーツの上に押さえつけた。
葉月の足がフッと操られたように開脚する。
その頂点に唇を寄せた──。
「や、やめ・・・て……」
葉月の腰が引く──。
「ちゃんと愛しているんだ──俺は、かなり本気だ。解っているんだろうな?」
栗色の茂み──。そこにフッと隼人は引き込まれるように吸い付いた。
「ん……っ!」
後ろへ逃げようとする葉月の腰をガッチリと押さえた。
逃げないように執拗に、強く激しく、何かを自分の唇で刻印するように強く……。
「あっ……あ、あ……あん・・・は・・ぁっ……」
徐々に葉月の身体から抵抗する力が萎えてきたのか、しんなりと柔らかくなってきた。
「ほら……ちゃんと愛しているんだ。どうなんだよ?」
「うっ……んっン・・・!」
彼女の白い足の頂点……そこから隼人は上半身を起こしている葉月を、グッと見上げた。
葉月のとろけそうな眼差しが、隼人を熱っぽく見下ろしている。
「……わかってる……ちゃんと……感じているわっ……」
白くて細い指が、隼人の黒髪を掻きむしり始めた──。
「じゃぁ……言う事を聞いてくれ……」
葉月がこくんと頷く──。
でも──。
「わ、わたしっ……しっ知っているのっ!」
肌を小刻みに震わせながら……引きつるような息づかいで、無心に愛撫をつづける隼人に話しかけてくる。
隼人は夢中だったから、聞き流すだけ──。
「はっ隼人さん……が、どうしてっ、こ、こんなになってしまったか……」
「……」
「しっ知っているの!」
後ろ手に手を付いている葉月が、堪らないように背を沿った。
黙らせたいから、葉月が一番敏感に反応するように隼人が攻めたのだ。
──『黙れ……今はなにも考えるなよ』──
そういう無言の返事だった。
なのに、葉月は降参しない、さらに続ける……。
「も、もう少し……時間をちょうだい……! 近い内に絶対に、話すから──『全部』!」
「なんだって……?」
こんな時にそんな事を言い始めた葉月に、隼人はちょっとむかついて、さらに強く葉月を攻め立てた。
「なにもかも! 全部よっ──! 『信じて』!」
葉月は本能の奥でくすぶる官能に飲まれないうちにと、天井に頭をそって、声を突き上げたのだ。
「……」
隼人は、頬を引きつらせながらそっと葉月から離れた。
『はぁ……はぁ……』
まるで解放でもされたかのように、葉月がぐったりと俯いていた。
「葉月──。今はそんな事どうでもいい……今は……今は……」
『俺とお前だけ……それだけ! 他の男の事なんか頭に浮かべるな!!』
心でそう叫んだ!!
「あっ──」
葉月をうつ伏せにして、隼人は押し倒した。
「あっぅ……」
彼女の中──奥深くに一気に侵入する。
「あ・あ・ああっ!」
隼人が侵入する速度に合わせるように、葉月の震える声が小刻みに響いた。
まるで『シンクロ』をするように──。
「そう……そのまま、葉月……」
『う……うっ・・ああ……』
隼人のウサギが、大人しくシーツに頬を埋めて、肘を立てて、膝を立て……まるで動物のように従う姿を、隼人は上から眺めた。
「あ……わたし……私が……私のせい? なの……? ねぇ……?」
隼人は彼女をずっと見下ろす。
何かをうわごとのような事を、か細くて小さな声で呟きながら……まだ……何か考えているのかと、隼人はさらに攻め立てた。
「ウサギさん──。本気で受け止めてくれないと……俺も許さないぞ」
やっと……葉月が胸元にシーツを引き寄せ始める。
「あ! ああ! うう・・うっ」
葉月がやっといつものように、手元に引き寄せたシーツを噛み始める。
それを見届けて……隼人はなんだかいつも、心の何処かでホッとする。
彼女がシーツを噛むほど、今は堪らない……というサインでもあった。
その証拠に、葉月の白くてしなやかに流れる背中がしっとりと湿ってきた。
隼人が押さえているヒップにもじんわりと──。
そして栗色の茂みはキラキラと滴をまとって、隼人の指先も泉からとめどもなく溢れる愛の夜露に濡れてゆく──。
『はぁ、はぁ……』
『あ・・あ……』
お互いの吐息……そして、抱き合う身体が絡み合う音──。
「ああ・・・は、隼人さん……ちゃんと、ちゃんと私を見ている?」
葉月が頬を染めて、チラリと肩越しに隼人を見上げる。
そのすっかりさらわれてしまったかのような、とろける眼差し。
揺らめく瞳──、歯を食いしばりながらみせてくれる悦びの微笑み。
「……み、見えている。ちゃんと……マジでなにもかも葉月に注いでいる」
「あ、愛しているわ……ほ、ほんとうよ。だから……目を逸らさないで?」
「わ、わかっている……」
隼人も余裕がなくなってきて声が上擦る──。
「お、俺も……お前が一番だ。絶対……離さない! それだけは覚えておけよ!」
「う、うん……」
葉月が頬を埋めるシーツの上……白い肩の向こうで、ニコリと愛らしく微笑んだ。
『そう……この瞬間が俺を満たすんだ──!』
だからだろうか? 今はこんな事を繰り返すことでしか……彼女を信じられないのだろうか?
隼人はそんな事を頭にかすめながら、全力で葉月に全てを注いだ。
かすめたのは一瞬──。
目の前が真っ白になるほど、満たされて行くから……。
一頃して……二人は素肌のままそっとシーツに横たわっていた。
隼人はうつ伏せで、クッタリとし……枕に頬を埋めていた。
「ねぇ? 隼人さん……? 大丈夫?」
仰向けで上を向いている葉月が、甘えるような声で話しかけてきたが、隼人は聞き流そうとした。
もう、なにもかも……使い切った程の脱力感だった。
でも……隣にいる葉月の愛らしい乳房を、ずっと隼人の指先は弄ぶように動かしていたから、まだ……眠りに付いていないと葉月は解っている。
なのに……反応が出来なかった。
ぼんやりと放心状態だったのだ。
「……」
葉月が諦めたような溜息をこぼして、それっきり……黙り込んだ。
でも──隼人はそっと微笑んで、まぶたを閉じていた
「……これで眠れそうだ。眠れなかったんだけど……。なんだかやっぱり……ウサギさんが側にいないと駄目みたいだ」
隼人はそう呟いて……葉月の乳房に乗せている手からそっと力を抜いて動かすのをやめた。
「……でも、休暇はくれ。ちょっと休憩するよ。仕事も私生活も、今の俺は全速力。だから……すこし、息切れしただけ……少しだけ休ませて・・く・・・れ……」
そんな事を呟いているうちに、隼人のまぶたは重くなっていく。
『いいわよ。解っているわ……隼人さん。おやすみなさい──』
頬にそっと柔らかな唇の感触、そして……彼女の甘い声。
ヒンヤリとした指先の感触──。
そのまま……隼人は眠ってしまったようだった。
・・・◇・◇・◇・・・
最近の朝といえば、隼人の心はこの時はまるで薔薇色なのだ。
それで昼になるとちょっとした脱力感に襲われて、夜になると不安に包まれる。
「今日も一日くらい……休んだら?」
今日は葉月が水色のエプロンをして、朝食を作ってくれていた。
隼人がぐったりとして、なかなか目覚めなかった事もあるし……まだ昨日の『めまい』を葉月は気にしているのだ。
「いや……大丈夫。それに休暇前に、あまり有休は使いたくないし」
「そ、そう?」
葉月は心配そうに見つめつつ、持ってきたフライパンで焼いたパンケーキを、皿に乗せてキッチンに戻っていった。
「お。パンケーキ……フロリダのお母さん直伝かな?」
『そうよ♪ ちょっと懐かしいでしょ?』
「ああ、ハチミツとバターでいただきだな」
隼人も昨夜のより一層激しい情愛の後で、いつもよりかご機嫌だった。
優美に微笑む葉月と供に食事を取る。
隼人のいつもの笑顔をみて、葉月もホッとしたようだった。
食事が終わって、お互いの支度を始めた。
いつものように隼人が先に終わってしまう。
そしていつものように新聞を広げて、飲みかけのカフェオレで葉月を待つ──。
『隼人さん! お願いがあるの──!』
洗面所から、葉月の叫ぶ声。
新聞を畳んで、隼人は立ち上がる。
「なに?」
化粧をしている葉月が、おしろいをはたきながら呟いた。
「あのね? 今日、ゴミの日なんだけど……」
(あれ? いつかも聞いたような話だな?)
隼人はそう思って、すぐにピンときた。
「あ、また……小さなゴミ箱を忘れたのか?」
「正解──!」
「それってお前のクセ? 忘れちゃうのは? いいよ……やっておく」
「ごめんね?」
また愛らしい笑顔で、葉月が詫びてくれる。
隼人もそっと微笑んで、ドアを閉めた。
キッチンへ入って、レンジの下、床にあるゴミ箱へと隼人はかがんだ。
すると……。
「──!?」
ゴミ箱の一番上に……捨てられている物に釘付けになった!
「──嘘だろ!? これ……」
隼人は捨てられているそれを思わず手にした。
『薬品』だった。
隼人は胸騒ぎがして、ザッと立ち上がってリビングへ戻る。
今度探したのは……葉月が愛用しているモザイク細工のあの小物入れ。
高級そうな薔薇の細工がしてあるそれは、いつもの位置に置いてある。
そして……隼人は躊躇わずに蓋を開けた。
『!!』
小物入れを手にとって、指先でたくさん入っている薬剤をカサカサと回して見る。
どれもこれも……葉月が登貴子に送りつけられて飲み始めていた『サプリメント剤』だけ!
『ピル』らしき薬品はないのだ!!
「いつから──!?」
隼人の胸の中に、なんだかザッとした勢いある風が『ビュゥ!』と吹き抜けた!
それは驚き?
それは喜び?
それは焦り?
それとも──!
なんとも言い難いが、とにかく衝撃的だった!
あの葉月が『ピル』を手放していたなんて──!?
隼人に小さなゴミ箱の片づけを頼んだのも……『さりげないお告げ』だったのか?
──『やめたからね? 私も覚悟、出来たわよ』──
そういう無言の意思表示?
この前、この片づけを頼まれたときは、この薬は目に付かなかった。
では? あれからすぐ?
隼人がぐるぐると考えていると、葉月が洗面所から出てきた。
「お待たせ。もう、そろそろ行く?」
隼人はドッキリと振り返った。
そこに、何ら変わらない愛らしい笑顔を浮かべた葉月が、立っていた──。
小首を傾げて──。
本当に……彼女が『本気』で隼人に向かっていると、隼人は実感した。
隼人も全身全霊で彼女を愛している。
そして……葉月も今までの全ての『鎧』を脱ぎ捨てて、全身全霊……隼人にぶつかっている。
だけど──『これ』は! ちょっと違う気がした!
隼人は『しまった!』と思った。
何度か避妊しなかった事ではない!
葉月に……そういう事を選択させるほど、隼人が葉月を追いつめていた事!
「葉月──」
隼人は申し訳ない顔で、葉月を見つめる。
「……? なに?」
とぼけているのか? 解っていないのか? 隼人には解らない。
だけど──。
『こいつが小さな女の子だって──忘れていた!』
そう……隼人に信じてもらいたくて、葉月は思い切って捨てたに違いない。
そして隼人はまた『同じ繰り返し』をしてしまったのかもしれない。
いや──いつだって覚悟は出来ている。
そんな事は隼人側は関係なかった。
だが──この妙な部分が『マイナス10歳』の女の子が、この『止める』という意味を、きちんと捉えて捨てたかどうか……そこが一番隼人は心配になったのだ。
葉月は、隼人が手にしている物が何か解って、やっと神妙な顔つきになった。
「フロリダから帰って暫くしてから止めたの……」
「──!!」
ついに葉月がはっきり言った──!