・・Ocean Bright・・ ◆子猫の願望◆

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3.願望叶う?

「もうー。皆してなによっ!」

 食後のシャワー。
 アリスはプンプンしながら、バスローブを羽織り、バスタオルで長い髪を上げて頭をすっぽりつつむ。

 バスローブを閉じても、胸の谷間はクッキリと合わせからはみ出てしまう。
 そんな自分の豊満な胸を見下ろした。

「……」

 いったいどんな人?
 日本人──。
 ジュンみたいな黒髪?
 とっても美人?
 私にも適わないほどの容姿?

 容姿は自信がある。
 失敗はしたが、一時はフランス国中を賑わせた事もある女優だった。
 もう随分前の話だけど──。
 容姿に自信はあるが『傲り』は、とうの昔に捨てた。
 転落した後も容姿だけが武器で生きてきたが、それは自分に対しては
 『嫌悪』でしかない『過去』

 それにこの家に来てから、『容姿』は武器にはならなかった。
 女の武器に揺るがない男ばかり。
 なのに……彼等はいざというときはアリスにだって最高の『レディファースト』で接してくれる。
 初めて……心より自分らしくなれて、『女の武器』を剥ぎ取られて、自分がどんなに『無教養』か思い知らされた。

 でも……あの『ジュール』が一度だけ。

『お前はバカだけど。基本は良く解っている……それすらない人間は結構いるモンだ。それは絶対に捨てるな』と──。

 厳しいけどジュールの人を見る目というのはどこか『公平』のような気がする。
 だから、彼が怖い。
 彼に見限られたら、ここにいる資格はないような気さえしてくるから、彼は怖い。
 今のところ、大丈夫みたいだけど。

『サッチとレイ』

 どっちがボウズの母親で、どっちが今ボウズと一緒にいる妹?
 それはともかく『母親である姉』はもう生きていないのは解っている。
 だけど……たとえ義妹に息子を預けているからと言って……『姉妹共々、忘れたくない』とは、どういう事かと、アリスは次第に疑問に思うようになっていた。

 アリスの『女の勘』

「その人の事も、ジュンは愛している」

 それに気が付いた時……初めて『嫉妬心』を抱いた。
 でも、その女性に憎しみは湧かない。
 というか──『対抗する自信がない』
 あのジュンが忘れられないぐらいの人だ。
 女の武器も最後に折れてくれるまで通用しなかったあのジュンが、忘れない女ってどんな女?

 それに……

「ジュンのボウズってどんな子?」

 歳も知らない──。
 どれぐらいの男の子か想像もできない。
 時々、純一の顔をジッと見つめて『ミニチュア・ジュン』を想像する。

 黒髪で……こういう冷たい顔をしているのだろうか?
 そういう事しか、ジュンを見ていると想像できない。
 こんな男の『無邪気な笑顔』なんて、誰が想像できる?

「あー、もう!」

 ただ、今夜のアリスの『煽り』で解った事が一つ。
 『サッチとレイ』と子猫に名付けようとしたら、部下の二人がジュン以上に拒否反応。
 『日本に行きたい』と言い出したら、また部下の二人が超お説教の阻止。
 まるで日本に何かを確かめるというアリスの本心を解っていながらも、『日本で見せなくないものがある』みたいに──。
 その部下が揃って一生懸命止めるのを良い事に、ジュンは任せっぱなしで無反応。
 時々、彼等の『結束』に苛立つ。

 アリスはバスルームを出て、キッチンへ向かった。

「なんだ? いったい──お前らまでいい加減にしろ」
「?」

 キッチンでそんな彼の声が聞こえて、アリスはそっと覗き込んだのだが。

「……なんだ、アリス」

 さすが黒猫? アリスはいつも気配を読みとられてビクッと背筋を伸ばした。
 すると黒いガウンを着ているジュンの後ろを子猫二匹がくっついてじゃれていた。

「……」

 純一は、先程エドが書斎に持っていった冷酒容器と皿を自分で洗っているところ。

「ボス……私がしましたのに」

 エドも自室で入浴中だったのか、濡れ髪で慌ててキッチンにやって来た。
 ジュールは相変わらず、ダイニングで仕事中。
 エドはこうしてなんでも純一にやらせまいと飛んでくるが、ジュールはある程度は、純一のする事は放っているところがある。

「構わない。お前も、もう休め──」
「そうだ。俺はまだやることがあるから、お前が休んで良いぞ。その代わり、朝は頼む──」

 ジュールがリビングから、ノートパソコンを見つめたまま、エドに呟いた。
 この家は誰かが必ず朝方まで起きている。
 誰かが『番』をするのだ。
 近頃はジュールとエドだけになった。
 純一も昔はよく起きていたが、近頃は本当にドッシリしてきて二人にすっかり任せるように──。

「そ、そうか……えっと、お先に失礼いたします」

 エドはボスに頭を下げて、そしてジュールには『サンキュ』と告げる。
 ジュールはサッとエドに片手を挙げただけ。
 とても集中している最中のようだった。

「ご苦労」

 純一もエドを一言労って、部屋へと送り出した。

「さて……ジュール。俺も先に休むぞ」
「どうぞ、お構いなく──」
「あまり根を詰めるな」
「お互い様でしょう」

 ジュールは、いつもダイニングで仕事をしているが、部屋に籠もったエドも、そして書斎に入った後の純一も……同じだった。
 皆がそれぞれ持っている企業の管理をしてから寝ることも、アリスは知っているが、ジュールほど、気力を注いでいる男は他にいないような気もする。
 純一も近頃は、昔ほど気迫をもった姿勢は見せていない。
 その代わり年追う事に、ジュールが精力を注いでいるように目に映る。

 素っ気ないジュールに純一は溜息をついて、アリスの肩をすっと抱いた。

「サッチとレイを連れてこい」
「え? うん……」

 アリスは風呂上がりの姿で子猫を抱き上げ、純一と一緒に書斎ではない二人の寝室、普段はアリスの部屋へと入った。

 

 その晩──。
 書斎へ戻らなかった彼と一晩過ごした。

 彼に優しく激しく抱かれる度に、アリスは女として花開くのに──。
 花開くほど……愛する彼が求めているのは『自分じゃない』という虚しさを、強く感じるようになっていた。

 だって──彼の思い詰めたような眼差しに、アリスに力を注ぐ抱き方。
 アリスの肌の向こうに、彼が誰かを見ている。
 目を閉じて、彼がアリスの瞳を見ないで……夢中になったその時が一番辛い。
 彼が夢中になって、声を詰まらせ、息を切らして……がむしゃらに抱いているのはいったい『誰?』

(サッチ? それともレイ?)

 だけど、悔しいけど彼は『上手い』
 極上の腕前で、アリスを本能的に天国へと誘ってしまう。

(ずるいよ……ジュンは──!)

 結局、いつも彼の思うまま。
 そして、アリスも満足してしまう。

 終わった後の彼は、とても優しい。
 それとも『罪悪感』?
 アリスを腕の中に固く抱きしめて、いつも先に眠ってしまう。
 その時の彼の疲れ切った顔。
 見ていられなかった。

 野獣のような卑しい男しか知らなかったアリスには『初めての男』
 その初めての男に教えてもらった身体の悦び。
 そんな事で喜ぶ時期は、アリスの中ではとうの昔に終わっている。
 アリスは本当に人を初めて信じて、好きになっている。

 だから──。

 自分の為じゃない。
 彼の為に……

『どうしたら……彼は救われるの?』

 そうすればきっと……アリスも幸福感を一緒に味わえるはず。
 彼が幸せじゃなくちゃ、意味がないんだから──!!

『葉月……』
「!」

 時々、彼が呟く日本語の寝言。
 今日のお相手は『ハヅキ』だったらしい。

 部屋の隅に敷いた毛布の上。
 そこで二匹の子猫は、寄り添い丸くなって寝ていた。

『赤、青? どっちの彼女?』

 アリスは何色に例えてくれるんだろう?
 ちょっとだけ、涙がこぼれた……。

 解っている──。
 解っている──。

 承知の上で、彼の側にいる事を望んだのは自分だから──。
 側にいれば、それだけで幸せだと思って、割り切っていけたのに……。

 人はなんて強欲なんだろう?
 絶対に『私を愛して──』なんて言えなかった。
 言えば……なにもかも終わって……純一もおろか自分まで、一緒にいられなくなるほど辛くなるだろう。

 アリスはもう何処にも行くところはない。
 ううん……もう、ここ以外のところで生きている自分なんて無意味。
 この痛みは、自分が招いたものだとちゃんと自覚している。
 だから……涙を拭いた。

 明日も起きたら、目一杯の笑顔を振りまくんだ。

『お前は笑っていた方がいい……』

 ジュンはいつもそう言ってくれる。
 その時だけ、アリスは確信していた。
 肌を合わせる時に、アリスを真っ向から見てくれる事もあるが、今夜のように彼が遠くの誰かを思っている事が多い。

 でも……アリスが笑っている時だけ。
 ジュンは遠くの誰かを見ようとはせずに、アリスを目の前にして何も他の物は見えないように、アリスという人間を認めてくれるように、とても穏やかな目を見せてくれる。

 その時だけは誰にも負けない『アリス』
 純一の『子猫』

 だから──。

 アリスは寝息を立てる黒髪の男に寄り添って横になった。
 明日も『笑顔』
 そして……引っかき回してやるのだ。
 『静かな気取った男達』を──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 そして──数日が過ぎた。

「アリス! お前の子供だろう! ちゃんとやれ!!」

 目が覚めて、この日は身体にフィットしたティシャツにジーンズでキッチンへ行くと、黒いランニングに戦闘パンツ姿、『黒猫スタイル』のエドが叫んだのだ。

「なぁに〜? ちょっと寝坊しただけなのに大声で……」

 キッチンの窓から見える地中海には、やっと朝日が昇り始めた所。
 決して『寝坊』という時間ではないが、アリスはある時から早起きをするように。
 エドかジュールがモーニングを作る。
 その手伝いをするのだ。

 ジュールとは緊張するし、指導が細かい。
 だから、今朝はエドがキッチンにいてちょっとホッとした。
 たまーに純一が気まぐれのようにキッチンに立つこともある。

 そしてアリスが目をこすると……。

「可哀想になぁ? お前達の母親はまだ同じ子猫なんだ。我慢してくれよ」

 エドが目尻をさげて、ほ乳瓶で子猫にミルクを与えていた。

「……」

 驚きはしないが、時々……彼等のこういう『人間臭い情』を見てしまうと、未だに戸惑ってしまう。
 とてもロボットのような堅い男達が、アリスがここへ来たときの『第一印象』だったから。
 ま……エドが一番分かり易いのだが?

 アリスが直立不動、大きな青い瞳をまん丸と開けて無言で見下ろしているので、エドがハッとして頬を染めて、即、真顔に戻った。

「昨日、ペットフードと猫用ミルクを揃えておいた。切れたら言ってくれ」

 エドは、アリスの胸にほ乳瓶を押しつけるとリビングへと行ってしまった。

「メ、メルシー……」

 

 エドとモーニングを作って、ボスとジュールが目覚めるのを待つ。

 先に起きてきたのは当然、ジュール。
 彼は真っ白なワイシャツに紺色のスラックス。
 今日の彼はどうやら『表へお仕事』
 エドは今日は一日『お留守番』だとアリスは毎朝、彼等の恰好から見定めていた。

 寝不足だろうに、ジュールの顔はいつだってクールで崩れない。
 身なりも……無精ヒゲ派のジュンやエドと違って、ジュールはいつも綺麗さっぱりヒゲを剃り、とても気品あるムードをアリスは感じるときがある。
 どこかが……二人と違うのだ。

 そして……彼がいつも一番にするのもダイニングでパソコンチェック。
 エドが無言で、エスプレッソを差し出す。
 ジュールも遠慮もなくそれをすすりながら、指先はとても早く動いていている。

「ふぅん? お嬢様も、やるようになったなぁ」

 ジュールが何か日本語で呟いた。
 それを背中で聞いたエドが、サッと戻ってきてジュールの操作している画面を、真剣に覗き込んだのだ。

「……へぇ? 思い切った事をフロリダ基地とやり取りしているなぁ。でも……ジュール、俺は思うのだけど、気になるのはお嬢様の空部側近だな。お嬢様をここまでにした影役者と見えるな、俺には」
「ああ……目覚ましいにも程があるな」
「……ここまでやるとはね」
「……」

 エドのちょっと残念そうな溜息に、ジュールが眉間にシワを寄せて黙り込んだ。

「仕事での開花はともかく……お嬢様の扱いがな、予想外だった」

 ジュールも溜息をついている。

「……思ったより、長く付き合っているな。それも同棲している」
「……だから、ボスは行きたくなさそうなんだ。日本」

 ジュールがさらに大きな溜息をこぼすと、今度はエドが黙り込んだ。

「……でも、ボスは……」
「もう、いい。あの人の好きにさせろ」

 ジュールがサッと鬱陶しそうにエドを払った。

「……ジュールはボスが傷ついても平気なのか?」
「傷つく? あの人が──?」
『アハハハ!』

 ジュールが高らかに笑うと、エドが頬を引きつらせ、むくれてキッチンへ去っていった。

 アリスには『きっと裏のお仕事』という感覚しか読みとれない。
 だって……ジュールとエドが揃って覗く『情報』なら『裏』しかない。
 表側の稼業では二人の得意分野があまりにも違いすぎる。
 ジュールとジュンは二人で力を合わせて、総合商事でたくさんの会社と子会社を従えている。

 エドはちょっと変わっていた。
 病院に美容室にブティック、それに設計事務所。
 アートと医療という異色の取り合わせで事業を興して成功している。
 とくにエドの美容学校などは今はとても人気があるそうだ。

 だが──アリスが何故に、エドと話しやすいかというと、そういう『ファッション業界』に通じているからだ。
 そういう点もある。
 それに商事的には、ジュールという大きなツテもある。
 逆に言うとジュールにもエドというアート的ツテがあってホテルを幾つか建てたらしい。

 とてつもない『力』をこの若い彼等は、ボス純一から譲ってもらい成長させている。
 今は純一ものんびりしている様に見えるが、ジュールとエドが何故に
 『ボス・ボス』と敬っているかというと『元資本』と『基盤』は、全て純一が作り上げたからだと聞かされていた。

 そのおかげで、アリスは不自由なく暮らしている。
 『お金』に必死になって最後には死のうとしたのが、嘘のような話だった。
 死のうと思った途端に……あんなに望んでいた『贅沢』と巡り会った。
 だけど──『贅沢』は、もうウンザリ。
 アリスは今、自分が着ているハートがプリントされたティシャツを見下ろす。

『これで充分よ』

 勿論、純一は欲しいと言った物は、良く買ってくれる。
 アリスが行き過ぎたときは、ピシッと締めてくれるし。
 おでかけの時は、とびきりゴージャスに身を整えてくれる。

 いったい死のうと思っていた前の自分は何に必死になっていたのかと思わされた。
 贅沢が出来るようになって……こんな事に気が付くなんて不思議な程。
 今はくたびれたジーンズと、安いプリントティシャツで毎日は充実している。
 そういう事……。

『この人達が……何が大切か教えてくれたから……』

 アリスがそうして大人しくお皿とフォークをを並べていると……。

「アリス、これを見て勉強をしろ」

 ジュールが数枚、プリントをした紙を差し出した。
 パソコンからプリンターで出したフランス語の紙。

──『初めての飼い猫』──

「ジュール……」

 彼のそんな気遣いに、アリスは瞳を潤ませた。

「死なせたら許さないからな。あの名前を付けたなら大事にしろ」
「メルシー」

 アリスは瞳を輝かせて、しなやかに御礼を述べた。
 こういう時が一番、嬉しい。
 エドはつっけんどんだけど、ジュールは怖いけど。
 二人とも本当はとても情が深くて、優しさを隠し持っていることをアリスは知っている。
 ただ……こういう風に表に出してくれるのは希で……。
 それに触れたときが一番嬉しい。

 アリスが胸にプリントを抱きしめて、輝く眼差しでジュールを見つめても。
 彼はいつもの固まった顔で、淡々と朝業務をしているだけだった。
 アリスはもう一度、彼にそっと微笑んだ。

──『初めての飼い猫』──
 それを見ながらキッチンへと向かう。

「え? あの名前を付けたなら大事にしろって言っていたわね?」

 アリスは眉をひそめた。

(ジュンだけなら、ともかく? ジュールもエドも大切にする『サッチとレイ』って、いったい何者?)

 なんだか不安になってくる。
 自分なんか太刀打ちできない程の女性なのではないかと?
 ジュンでなくて、部下の二人も守ろうとしているそれって何?
 アリスは首を振った。

 

「今日はラフだな……」

 背中のすぐ後ろで低い声が聞こえて、アリスはビックリ飛び上がった。

「ジュ、ジュン! いつもいきなり声かけないでって言っているじゃないの!!」

 気配も何もない男達。

「朝から喚くな。うるさい」

 白地に黒いピンストライプのシャツ、今日はグレー色のスラックス。
 今日の彼は『表のお仕事』の様だ。
 彼はスッとキッチンへと入っていって、冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを取り出す。
 彼が毎朝している光景。

 

 

「さぁ、ごはんっ、ごっはん!」

 アリスが元気良くテーブルに着くと、それが合図とばかりに男達もテーブルに着いた。

「ねえ! ジュン! サッチとレイに可愛いリボン買ってきて!」
「そうだな……探してこよう」
「それ! 今日のお土産ね、約束よ♪」
「そうだな……」

 いつも静かに食事をする男達に、アリスは『動』という『音』を吹き込ませる。
 皆、黙々と食しているけど、アリスはいつも元気いっぱいにかき回すのだ。
 淡々と応えてくれる隣のボス猫。
 エスプレッソをすすりながら、新聞を眺めている。
 今日はサッチとレイにリボンをつけられるかと思うと、アリスはそれだけでご機嫌な朝。

 すると──。

 純一が新聞を畳んで、そしてコーヒーカップもテーブルに置いた。
 まだ、お皿の食べ物には手を着けていないのに。
 そしてジュールとエドを交互に見たのだ。
 そして最後にアリスも──。
 そのボスの皆を確認する様子に気が付いた部下二人も、手元の物をテーブルに置いた。

「ジュール、九月の『いつもの予定』だが……一ヶ月ぐらい行けそうか?」
「一ヶ月?」

 ジュールが眉をひそめた。

「エド、お前もだ……」
「え……?」

 その会話は何故か日本語でなく、イタリア語でもなく『フランス語』だった。
 つまり──アリスにも丸聞こえなのだ!

(九月の予定って? ジュンが毎年出かけるけど、その事?)

 それはいつも毎年、アリスには感じ取られない様な予定を立てて、純一がある日突然その時期に『留守』にするのは解っていた。
 去年の今頃は、彼が瀕死で帰ってきてアリスも必死だったけど。

 フランス語で話しかけるボスにジュールさえも返答に戸惑っていた。
 エドは……先輩のジュールの様子を伺っている。

「何故ですか?」

 ジュールは日本語で切り返していた。

「いけないなら……それでいい。諦める」

 そして純一も日本語で。

「諦めるって何をですか?」

 ジュールが珍しく表情を現して、怒っているようだった。

「……」
「勿論、一ヶ月ぐらいの予定など、任せられる部下がおりますから空けられますよ? ですが……何故? 恒例参りで『一ヶ月』なのですか?」

 ジュールが詰め寄っているようで、アリスばかりかエドまでハラハラしている様だ。

「……」
「何故? 黙っているのですか? 私とエドを連れ出し……。あまつさえ、アリスにも解るように仏語を使って何を考えているんですか?」

 『アリス』という部分がヒヤリング出来た。
 自分の事で、なにかもめているのだろうか?
 アリスもヒヤヒヤする。

 

「アリスも連れていく。トウキョウへ行きたがっていたからな──」

 

 純一が真顔でフッと隣にいるアリスにフランス語で告げて、見下ろした。
 アリスはビックリした!

 確かに数日前に『おねだり』をした。
 いつもならここで、純一に抱きついて大喜び、大騒ぎの所だ。
 だけど……『ボス秘密の九月の旅』
 それが……『日本』だったとここで解って、何故かアリスは硬直した。

(毎年──彼女に会っているって事!?)

 何処かで認めていたのに、とてもショックだった!
 本当かどうかは解らない。
 それに『部下は片方だけお供』なのに、二人とも連れて行くという。
 エドも驚いて黙っているだけ。
 ジュールは真剣に輝く眼差しで純一に向かっていた。

「何をお考えなのですか」

 ジュールは始終日本語で通そうとしている。

「確か──『オチビ』が新しいメンテナンスチームを従えていたな? それを見たいというか……航空ショーに出るとか出ないとか?」

 急に純一が勝ち誇ったように足を組んで不敵な微笑みでジュールに向かった。
 だが、ジュールの眼差しは冷静で変わらない。

「それだけで? 一ヶ月? 『皐月様』のお参りをして、一度帰ってから行かれてもよろしいでしょう?」

──『サツキ』、『オチビ』──

 それもアリスはヒヤリングが出来た。
 ジュンが時々寝言で呟く日本語のはずだ。
 アリスは額に汗を浮かべた。

 だけど、隣のボス猫はまた……にやり。

「色々な──」

 何故かその『ニヤリ』はアリスに向けられた。

「……」

 今度はジュールが黙り込んでしまった。

「様子をお確かめになりたいなら、私かエドを小笠原に──」
「俺の目で見る」

 ジュールの何かの提案に、スパッと純一が一言遮ったのが解る。

「……」

 またジュールが黙り込んだ。

「あの……私は構いません」

 エドがすっと答えた。
 フランス語で──。
 エドは『お供』に承知した。

 アリスは今度はジュールの様子を伺う。
 ジュールに何故か……純一を止めて欲しいようなそんな気持ちが渦巻いている自分に、アリスは戸惑った。

「どうなっても知りませんよ──。解りました、予定を立てましょう」

 ジュールがアリスをチラリと見ながら、フランス語で『承知』した!

「アリスは当然、行くな」

 純一がまたニヤリと見下ろしたのだ。

「も、勿論……」

 ジュールがため息をついて、食事も始まったばかりなのに……コーヒーカップ片手にリビングを出てしまい去っていった。
 それを何故かエドが追いかけて行く──。

 純一とアリスの二人だけになった。

「トウキョウで何でも買ってやる。ただし、俺の言うことを良く聞け。それから、残念だが……リョカンじゃない」
「う、うん……そ、それでもいい……わ」
「どうした? サッチとレイも連れて行くぞ」
「……メ、メルシー」

 純一が余裕げに微笑んで、アリスを楽しそうに見下ろしていた。

『知りたいんだろう? 教えてやろう?』

 この前まで、この件に関してはこんな余裕はなかったのに!?
 いったいなんなの? この、変化は──!?
 アリスはギクシャクと口にフォークを運ぶだけ。

 それに──。

(それを知ったら……もしかして……)

 アリスの全てが『決定的に終わり』を迎えてしまうかのような『恐怖』があった。
 『願望』で純一を確かに『煽った』
 ちょっとだけ彼から何かを教えてくれればそれで良かった。
 今になってアリスはそう思った。

 それが……『これを見たら、お前は終わるぞ』……。
 そう『挑戦状』を叩き付けられたかのよう!?
 もしかして──?
 ここでアリスが怖じ気づく事を解って……『やめるなら今だ』と考えて、純一は言い出したのだろうか?
 そうとも取れる。

 それならば──!

「あー! 楽しみ♪ ねぇ? ジュン、勿論お出かけ用のお洋服、新調してくれるでしょう?」

 行く気を見せれば、『引っかけ』で言い出したのなら彼は何かで止めるはず。

「ああ、良いだろう。では、近い内にミラノで買い物だ」

 さらに彼がニヤッと微笑んだ。
 アリスは絶句した。

 でも──。

(そうよ、そうよ……。ここで引き下がっても元のさやだわ!)

 急に、そう思えてきた。
 ここで純一の思うとおりに操られて、このイタリアの隠れ家で、うじうじと『姉妹の謎』について一人問答するだけだ。
 同じ事の繰り返しだ。
 こうなったら──。

(どうすれば良いか解らないけど……)

『サッチとかレイとかボウズとかサツキとかオチビとか……全部、見届けてやる!』

 アリスは強く拳を握った。
 そして彼女達から……ジュンを引き離すのだ!

 だけど……ボウズはどうなのよ? と……アリスはちょっと、ガックリうなだれた。

 アリスはある時から『孤児』として育った。
 ジュンのボウズはどういう気持ちでいるのだろうか?
 ママは死んで、パパはこんな訳の解らない素性を隠して生きている男。
 そんな事も初めて……心に浮かんだ。
 そう思うと、『姉妹』はともかく……。
 『ボウズちゃんだけは、見たいな』と思った。

「うん……素敵なお洋服買ってね? ゴージャスな奴よ!」

 アリスはいつもの明るさで純一に笑いかけた。

「なんなりと……」

 純一がその時は……やるせなさそうな眼差しで小さく微笑んだ気がした。
 彼はそのままコーヒーを飲みながら、いつもの新聞読み。
 いつもの静かで無口な男に戻ってしまった。
 表情も──。

 ジュールとエドが外でヒソヒソと話し合っている声が聞こえる。
 それに対しても純一は何も反応しない。

 

 ついに……『子猫の願望』が叶う。
 だけど……それはアリスにとっては『覚悟』と、言い換えた方が良さそうだ。

 九月のいつから行くかは解らないが。
 まだ八月……少し時間がある。

 それまで……。

──『作戦、練らなくっちゃ!』──

 子猫の青い瞳は燃えた。

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