9.卒業

自宅の殆どの荷物は、ミシェ−ルに引き取ってもらうことにした。

日本に送る予定の物は、本と自転車。机。洋服…それだけだ。

元々、物はあんまり持っていない方なので荷造りはすぐに終わった。

ベッドはフランク中将が用意してくれると言うありがたい話だ。

なんでも、中将の日本人の奥さんがシーツとかも準備してくれたらしい。

スーツケースにはすぐに使う物を詰め込んだ。

後は…葉月と受け持った生徒達の卒業式を待つだけになった。

親父からまた小うるさいメールがマメに入って来る。

『隼人。何とかして横浜によりなさい。』

『何処の部署に行くか知らせなさい。父さんも挨拶をしなくてはならないからな』

ミシェールに何故?葉月の元に行くと言わなかったのかと尋ねてみると…。

「お父さんにはキチンとお前から言いなさい」と言われた。

ミシェールは多くは俺の内心を問いただそうとは今までもしなかった。

だが…俺の中にある『わだかまり』は知っているようだった。

今までは、ミシェールが親父と俺との仲介人だった。

だが、それも『終わり』だから、これからは自分で言えて事なのだろう…。そう思った。

『御園嬢』の『側近』になる。などと言ったら…親父は一目散に葉月の叔父がいる

『神奈川訓練校』にバカみたいに挨拶に行くか…。

年下の女のもとに行く事に憤慨して『軍人をやめて戻ってこい』とも言い出すかも知れない。

『誰がそんなこといちいち言うか』

俺は、先日の返事以来…一切、親父にはメールは送らなかった。

真一君にはいつ送ろうか?なんて書こうか?で迷っていた。

返事も書かない男がいきなり叔母の所へ行って印象を悪くしないだろうか?など…。

『あ〜あ。めんどくさい…。転勤なんて…』

ちょっと憂鬱になった…。

数日前…。康夫から、ウィリアム大佐が送ってきた俺の『業務内容』の書類を渡された。

暫くは…『内勤』らしいが、今度は『外勤』もしなくてはいけないらしい。

葉月の中隊経営が波に乗るまでは『内勤重視』にして、訓練現場の感が戻るまでは

いろいろなメンテチームの欠員補助として『お手伝い・穴埋め』として回されるらしい。

『結構ハードだなぁ』

自信が崩れそうだったが…葉月は…26歳と言う若さで…女身でこなしているのだ。

負けるわけには行かないと思うと…彼女と再会するためにもここでくじけている場合でもなかった。

「よぅ。側近さん」

ランチに行こうと、カフェテリアに向かう途中の階段でジャンとすれ違った。

バタバタしていて、ご無沙汰だったジャンとやっと逢うことが出来た。

「なんだよ。」

「冷たいなぁ。もうすぐお別れだって言うのにお前はいつも通りなんだな」

いつも通りにしていないと、毎日が『感傷的』になる。

そこのところ…長年の付き合いで解ってくれよ!と言いたいが…

そんなのジャンも解っていての憎まれ口に違いなかった。

「出ていく前に、俺の所に一度は来いよ」

「ああ。もう、荷物もだいぶまとまったから行くよ」

『荷物がまとまった』に、ジャンはやっと哀しそうに反応してくれたが…。

「じゃぁ。待ってるぜ」

それだけ言って、肩越しに手を振って去っていった。

長い付き合いだ。ジャンとはずっと一緒だった。

彼とも憎まれ口もたたけないかと思うと、また…憂鬱になってきた。

でも、ジャンが望んでいることは…きっと、俺が同じように肩を並べて『佐官』になることだ。

『今度はお前が背負い込め』

『彼女がお前に合わせてくれただけ』

『黙って帰らすことをして…お前バカだな』

同期生のそんな言葉を、一つ・一つ噛み締めた。

彼とももうすぐお別れだ…。

ジャンには、俺がやるはずだった『島行き研修』の目標を引き継いでもらうことにした。

転勤が決まってから、彼に知らせたとき…そう託したのだ。

ジャンは勿論…

『解った。お前が残したこと引き継いでやるさ。

みてろ!お前がメンテチームを持ったら、容赦なく叩きのめしてやる!

島になぐり込みだ!!』…と、かなり息巻いて喜んでくれた。

そう…こうしてジャンがまた島にでも来るようになれば『また・逢えるさ…』

俺はそう思えるようになっていた。

俺は動き出す。葉月と一緒に…。皆の後を追いかけ始めたのだ。

俺も卒業…。このフランスから…。

15年という月日が経っていたが、俺は今度は本当の卒業だと思っていた。

だから…。最後に受け持った『研修生』の卒業式は俺にとっても重要なセレモニーになるのだ。

卒業式はもう目の前だ。

卒業式が近づいてくる数日間。

俺は康夫の家に行ったり…ジャンの家に泊まりに行ったり…。

ラ・シャンタルのマスターに挨拶に行ったり…。

海辺のレストランのマスターの所…。行きつけの牧場…。

あちこち、駆けずり回って『お別れ』の準備をした。

みんな、泣いてくれたが、葉月の所への『栄転』だと喜んでくれた。

アパートは、日本に行くのでもう引き払った。

最後の一週間は、ミシェールの家から基地に通うようになった。

俺の始まりは、ダンヒル家。最後に出ていくのもダンヒル家。

丁度いいと思った。マリーはいつも通りニコニコしながらも

十五年間の懐かしい想い出話をしては…やっぱりホロリと涙を見せるので

逆に辛いときもあったが…。マリーに甘えられるのもこれが最後。

俺はマリーにベッタリくっついて夕飯の手伝いをしたり、夜遅くまで

パパを交えて話すことが多くなった。

二人は口をそろえて言う。

『葉月を頼んだよ』と…。

康夫も雪江さんも同じ事を言う。

『葉月と真一を頼んだぞ』と。

悲劇的な人生を歩みながらも、前に進む女と、健気に育つ少年。

その二人がいかに皆に愛されているかも再確認した時期だった。

そこでまた…『真一君に返事どうしようか??』と悩んでしまった。

康夫に…思い切って相談してみた。

康夫は真一君自らメールを送ってきたことにビックリしながらも…。

『よかったな!それは気に入られた証拠だ!』と喜んだが…

『まさか。一度も会ってないし話したことも…』と俺が戸惑うと…

『葉月もそうだが勘がいいしな。それ以上に、葉月よりしっかりしている頭のいい子だ。

嫌な奴と思ったら、メールすら送ってこないさ♪大丈夫だよ♪』

康夫はそう言うが…やっぱり躊躇する。なんと言っても…将軍の可愛い孫だ。

そんな風に戸惑う俺を見て…康夫が一つ提案をした。

『日本に行く前日に返事を出せばいいさ。ちょっとくらい葉月にも仕返ししてやらないとさ。

黙って帰っていた腹の虫おさまんないだろ??

これから毎日、じゃじゃ馬の相手だぜ?ちょっとくらい裏かくことしないと、

あのじゃじゃ馬には乗りこなせないからな♪真一は、葉月が落ち込んでいると

何とかしようと必死だから、メールが届いたら見せるかも知れないから

『絶対に見せるな』とか『男の約束』といったら急に『背伸び』してしっかりするから

それも書き忘れずに。例え葉月に見せても良いような内容で書いてさ。

真一が納得するように返事を書いてあげろよ。それだけで…『さわむら』って男理解してくれるぜ?』

うーーん。さすが康夫。御園一族と繋がりが長いだけある…。と俺は唸ってしまい、

康夫に言われたとおり、フランスを出国する前に返事を書くことにした。

それまで、康夫が提案してくれたことをふまえて『返信内容』をまとめることにした。

その…真一君はどうやら良い子のようだが…。

葉月と再会するより…彼に会うことに緊張感を覚えてしまった…。

康夫曰く…『葉月の初恋である男の子供』らしくて…俺はその真一君のパパに

雰囲気が似ているらしい…。それで彼女が『気に入ってくれたのか?』と腑に落ちなくなると…

康夫がまた教えてくれた。

『真兄さんは。隼人兄よりずっと優しかったと思うぜ?

葉月の中では一番甘えさせてくれる『お兄ちゃま』らしいからな

性格が違うだろ?安心しろよ』

などと…また『ニヤリ』というのだ…。

くっそ〜!どうせ俺は優しかないよ!と腹が立った上に…

初めて葉月の『初恋相手』を聞いて『嫉妬』しているのに気が付いてしまった…。

真一君が…その息子って言うのも複雑になったり…。

『真一は葉月が側にいる反面…『大人の男』が側にいることに憧れているらしいんだ。

いまは…フランク中将が父親代わりらしいが…望んでいることは葉月とその『旦那』と

一緒に暮らす事みたいだな…。だからさ…隼人兄。可愛がってやってくれよな…。

本当に…健気すぎて…良い子なんだ』

康夫がそう言って…その少年のことまで『頼む』という…。

真一君の『健気さ』は言われなくても、あのメールで充分解ったつもりだった。

俺の弟とは一つ違い。俺と同じく『母』を知らない子。

本当に…これは巡り合わせなのか…『他人』とも思えなくなってきた。

葉月のこともあるが…真一君に会うことにもなんだか、楽しみのような…緊張するような…

そんな気持ちが行ったり来たりしていた。

「隼人?シャツにアイロン掛けておいたわよ…いよいよ明日ね…」

昔使っていた部屋で休んでいると、マリーが明日の卒業式に着るカッターシャツを持ってきたくれた。

「メルシー。マリー」

「あなたの正装…最後に見られて嬉しいわ」

マリーはクローゼットにかかっている俺が準備した白い正装制服を

ジッと遠いような目で眺めていた。

「マリーもパパと一緒に島に遊びに来いよな。彼女もきっと喜ぶよ」

そう言うと、マリーは優しい笑顔でコクンと頷いてちょっと寂しそうに俺の腕に寄り添ってきた。

真っ白い詰め襟制服。黒い肩章。黒いカフス。白い制帽に…白い手袋…。

俺の最後の「卒業式」

俺はそっと…昔…訓練校を卒業する時、ジャンと並んで制帽を投げたあの…

『卒業式』を思い出していた。

明日は…最後の仕事…『卒業式』だ。

日本では『卒業式』と言うと、『講堂』で行われたりするが

ここ、フランス基地では『外』つまり、グランドなど滑走路などで行われたりする。

「教官!!」

俺が受け持った生徒達も、今度はキチンと白い正装で駆け寄ってくる。

「見違えたな。おめでとう♪」

そうねぎらうと、彼等も嬉しそうである。

康夫もジャンも今日は、自分たちの下にいた研修生達の門出とあって

白い正装で姿を現した。

芝が青々としているグランドに生徒達が集まってくる。

花火と供に、開催される。

空は…なんだか哀しいくらい今日は晴れていた。

連隊長と校長がそれぞれ、挨拶をする。

今日は来賓の中に、スーツでめかし込んだミシェールもいたりする。

マリーも…滅多に出てこないのに出てきていた。

卒業生には、『研修』を終えた課程として『水色のワッペン』が与えられる。

その受け取り代表は、やっぱりトップクラスの生徒だったが

そのワッペンがもらえることは卒業証書より皆が楽しみにしているのだ。

俺も。ジャンも…作業着の胸にそのワッペンを縫いつけている。

康夫の胸には輝かしくフロリダ校のワッペンだ。

葉月の飛行服にもフロリダワッペン…。

自分たちが何処の出身か何をやってきたかの証になるのだ。

そのワッペンが配られる。

康夫が丁寧にも、俺とジャンの横で生徒達の姿をカメラに収めていた。

「葉月に渡してやれよ。きっと、気にしているからな」

俺は康夫のそんな細やかな心使いに感謝して『メルシー』と微笑んだ。

『卒業おめでとう!!』

セレモニーも最後になった。校長がステージの上で叫ぶと、

空から戦闘機が轟音を立ててグランドの上の空に現れた。

毎度の如く、トリコロールカラーの三色の噴煙を一直線にひきながら

生徒達の頭上を横切ると…恒例の…

『ウィ!!』

卒業生が空高く全員揃って白い制帽を投げ出した。

俺はその高く跳ね上げられた…白い蝶々が飛ぶような沢山の帽子が

真っ青な空に舞うのをジッと眺めた。

ジャンが横で囁いた。

「十年前だな。俺達もあそこにいた。」と…。

生徒達の中に…青少年だった黒髪の俺が…栗毛のジャンが…いたかのような幻が浮かぶ。

ちょっとだけ…涙がこぼれそうになってなんとかこらえていると。

「隼人兄の、旅立ちに…」と康夫が囁くとジャンもニッコリ制帽の黒いつばをつまみ出した。

「藤波中隊の前途に…」

俺もそう囁いて制帽のつばをつまんだ。

『ウィ!!』

俺達三人は、横でビックリしている他の教官達に構わず空高く一緒に…

生地達のように白い制帽を空に投げた。

三人で肩を組んで笑いながら…卒業会場を後にする。

視界の端で…ミシェールに肩を抱かれて泣いているマリーが見えた。

十年前も…そうして泣いてくれたよね…。マリー…。

俺は…三日後に旅立つ。

卒業式後のパーティーで散々飲み明かして俺はその日はジャンの家に

なだれ込んだ。

「お前が酔うなんてなぁ」

「ほっといてくれぇ」

ジャンは酔っていきなりソファーに倒れ込んだ俺を見て呆れてキッチンにはいって行った。

「おまえさ。葉月嬢の所に行って目標とかあるのかよ?

お前のことだから大丈夫だと思うけどな?ただ、側に行くだけじゃないよな?」

ジャンはまだ何かしら心配しているのか…最後の最後にそんなこと尋ねてきやがった…。

「そんなこと今聞くなよ」

「結婚とかさ」

そんなところは…小さく聞こえてきたが、俺はビックリ起きあがってしまった。

「仕事の事じゃないのか??」

「仕事?そんなのもう決まっているんだろ??当面は『少佐』だろ?目標は!」

それはそうだ。まだハッキリ現実味が湧かないが…大基地の中佐の側近が『大尉』じゃ格好つかない。

日本では年末に『佐官試験』があって、今から転勤してギリギリの準備段階が組めるのだ。

「おまえ。中佐の補佐していたんだからすぐに試験は受かるさ。

そんなことより、『御園の末娘』に手を出したんだから『覚悟』は出来ているのかってことだよ。

もし。『結婚』ってなって見ろよ。おまえ。将軍一家の親類になるんだぞ??」

そんなこと…俺…考えてなかったりして。

なんと言っても葉月のことは『将軍一家の末娘』と言うより

本当に…一人の女として気に入ったから…。

サッと酔いが醒めそうになった。

「やっぱりなお前そうゆうとこ…『ずれてる』っていうんだよ。

まぁ…。そのずれっぷりがあの嬢ちゃんに気に入られたみたいだから、しょうもないけどな。

ま・頑張れよ。結婚式には日本まで行ってやる。彼女を大事にな。

じゃじゃ馬嬢さんだけど…いい娘じゃないか。羨ましいったらありゃしないぜ!この色男!!」

水を入れたコップを差し出したジャンは俺の腕をひじでこづいてからかう。

俺はそのコップの水を飲み干してため息をついた。

「結婚なんて、そんなヴィジョンは…私にはない…彼女はそう言っていた」

俺が飲み干したコップをいじくっているとジャンが急に大笑いをして俺の肩を叩くのだ。

「アハハハ!それじゃぁさぁ!お前が拝み倒す姿が見れるかもな♪

『たのむ!俺と一緒になってくれ!!』ってさぁ!!

あの嬢ちゃんならそんなこといいそうだモンな!アハハ!!

そりゃ、冷淡なお前とは丁度いいじゃないか!!」

「なんだよ。それ!!」

俺がふてくされると、ジャンは急に笑い声を納めてフッと微笑んだ。

「だったら決まりだな」

「は?決まりって??」

「仕事で子供いっぱい作れよ。今日誕生したばっかりの奴らがいることだしな」

ジャンがポンと肩を叩いてくれた。

「そうだな。きっと…そうなると思う」

葉月とは…男と女より、おそらく人と人として仕事で深くなってゆくだろうと思っている。

ジャンの言うとおり…これからは、葉月と供に、沢山の人間に関わって

前にゆくのだろうと。

この後もジャンとは懐かしい話を交えた。

夜中に…他の同期生まで呼びつけてジャンの自宅で大騒ぎになった。

ジャンと飲み明かす最後の夜になった。

その三日後…。

俺は藤波夫妻、アンジェやマシューも来てくれたダンヒル一家。

そして…ジャンに見送られてフランスを旅立った。

ミツコの姿はなかった…俺はそれでいいと思った。

彼女にあんな屈辱を与えてしまったが…これで諦めただろうと。

フランスを出る前の晩にやっと真一君に返信を送った。

『フランスから彼女にしてあげられることは何もありません』

これからは…小笠原でやっていく…そんな意味を込めて送った。

読んだ真一君はきっとガッカリしているだろうが…。

葉月への仕返しに巻き込んだことは後で謝ろうと思っている。

フランスの滑走路が遠退いた機内の中で…やっと…一筋の涙がこぼれた。

マルセイユの青い紺碧の陽気な海が遠ざかってゆく中で…。