8.ソニア

「サワムラ君!OKしたんだって!?どうゆう心境の変化なのさ??」

「本当に行くのかよ?頼りがいある奴がいなくなるなんてガッカリだよ!」

「よく決心したなぁ…。あっちは大変だぜ?頑張れよ」

数日たって、俺の日本行きの話は瞬く間に噂になった。

まず、決心をしてからは、連隊長と話し…ミシェール達に報告し…。

確かに話がまとまってから、康夫がフランク中将に報告してくれた。

あれから一週間が経ち…彼女が去って3週間が経とうとしていた。

フランク中将とはまだ話したことないが、康夫によれば

かなりの喜びようで…向こうの葉月の直属の上司になる

チーム中隊トップの『ウィリアム大佐』とか言う人と

受け入れ準備を始めてくれたらしい…。

俺の願い通り…葉月は何にも知らないらしい。

「あーー。忙しいッ。忙しい!」

康夫は少しずつ俺が受け持っている仕事を担当から外すようになった。

それで、いつになく手間取りながらも転勤準備へと備え始めててんてこ舞いなのだ。

でも…最後のわがまま…。

葉月と受け持った生徒達の卒業までは見届けさせてもらうことにした。

彼等の最後の課程。『空母艦実習』も、もう仕上げに入っていた。

『教官!!中佐の所に引き抜かれるって本当ですか??』

噂を聞きつけてきた生徒達が一番驚いていた。

『うん。まぁ…。急にね。』

『もしかして…御園中佐が来たのって…引き抜き目的で?

だから俺達みたいなレベルのクラスに??教官目当てで??』

葉月はもとより…俺も一番研修生達には気付かれたくない事だった。

『そう…だとしたら?』

俺は…彼等を信じながらもそう問いかけていた。

すると…数人で駆け寄ってきた生徒達は一時哀しそうに戸惑いながらも…

そっと…微笑みかけてきた。

『どっちだって一緒ですよね。中佐は…

俺達を何処のチームよりも先に空母艦に乗せてくれたんだから』

彼等が解ってくれたようなので俺はホッとした。

『でも…せっかく中佐が残していったことだから…。空母艦実習はやり遂げるよ。

卒業は見届けてから日本に行く。そうしないと…じゃじゃ馬さんに叱られそうだから』

俺がそう言うと、彼等はもっと嬉しそうに微笑んでくれた。

俺の…フランスでの最後の仕事。葉月と一緒に育てた生徒の卒業。

生徒達は『送別会をやろう』と言ってくれたが断った。

そんな風に…フランスから送りだしてもらうのが哀しすぎるからだ。

その代わり…卒業式あとのパーティーには出ることにした。

それを見届けて…俺は日本に発つ予定となった。

彼等の卒業はもうすぐ…。九月の半ば。

マルセイユにも少しばかり…秋の気配が漂っていた。

康夫と夕方の業務に追われているときだった。金髪の後輩が入ってきた。

「隊長…。さっき来た『定期便』ですけど…日本の御園中佐からお届け物届いてますよ。」

『定期便』は各国各地にある基地を廻る軍用輸送機の巡回のことを言う。

これで、基地と基地の間をゆく出張マンの足にもなっているし

各基地の荷物の流通を結んでいるのだ。

乗り心地がいまいちなので、嫌な者は民間機を使ったりするが

経費がかさむので軍側はこの便で移動するように言いつけている。

だから軍の中にキチンと『入国所』があったりするのだが

葉月は今回は『旅行気分』で来たかったのか…お嬢様だからか

民間機でやってきて、帰っていったらしいのだ。

外にいる金髪の後輩が…細長い包みを手にして中佐室に入ってきた。

彼は…俺のいままでの立場に、いろいろと不満を持っていたが

俺の転属で…今度は中佐室に入って康夫の第一補佐に任命された。

それは彼が願っていたことだが、今度は俺が『島』の…しかも

若エリートが集まる葉月の側近になることにまた悔しさを覚えたようだった。

その彼が複雑な表情を俺に向けて…康夫に届いたという包みを渡して出て行った。

「なんだろ?今頃?」

康夫はその包みにかけてある紐を解いて、茶色の梱包をはがした。

中からは懐かしい千代紙のような包みが出てきて俺まで身を乗り出してしまった。

ヒラリと…一枚の紙が康夫の机に落ちていった。

それを康夫が拾い上げる。

「なになに?『大変お世話になったので、ホテルのおじ様とママンに渡して下さい』だって。

中身はなんだ?日本っぽい物でも入っているのかな?」

康夫はその細い箱を耳元で振ったが見当がつかないらしい。

俺も中佐席の側によって…。康夫がすぐに注意力を落とした『ことづてメモ』に目がいってしまった。

葉月の…細っこい文字。久しぶりに目にした。急に懐かしさがこみ上げた。

(でも…もう少ししたら…逢えるんだよなぁ)

そう思うと、急に胸が晴れたりする。

そして…暮らしなれたフランスをいよいよ離れるのだと落胆したり。

決心を固めてからは、そんな狭間を行ったり来たりしているこの頃。

「隼人兄。親父さんの所に持っていってくれよ。いずれ…報告するんだろ?ママンにも」

俺は…ヒヤッ!とした。

「俺が!?康夫に届いたのに!」

実は…葉月が出払ってから、あのホテルアパートのレストランには、行きづらくなっていた。

親父さんも、ママンとも、付き合いは長いだけに…。

葉月に寄せていた好意を見抜かれていたと思う。

なのに彼女が、予定より早く…それも慌てて帰ったので…

『コラ!隼人待ちなさい!!』

彼女が帰って暫くして、前を差し掛かったときママンがものすごい形相で

俺を捕まえようとしたのだ。もちろん…自転車でサッと逃げた…。

ママンは葉月に何も応えようとしなかった俺に『意気地なし!!』と叫んだのだ。

それから、行きづらくて…行っていなかったが…。

もう、ママンの期待通り、俺は葉月の望みに応えて日本に行くのだから怒られることもないだろう…。

ただ、日本に行くのはビックリするかも知れないが…。

それならそれで…挨拶も行かなくちゃいけないのだが…。

それならそれで…なんだか寂しいので行きそびれて日が経つばかりの今日この頃を過ごしていた。

でも、最後には行かなくてはならない所だし、逢っておかなくてはならない。

「わかった…。渡してくる」

俺がやっと応えると、康夫もニッコリ、千代紙の箱を渡してくれた。

そして…俺は仕事の帰りにそっと、ママンのレストランに寄ってみる。

自転車を降りて、ガラス窓を覗くと…。

ママンが夕方やってくる基地の男達の為にいそいそと

厨房とカウンターを行ったり来たりしているところだった。

俺は…その姿をジッと暫く眺めていた。

ママンはマリーとは違って肝っ玉かぁちゃんだが…。

マリーが『ママ』ならママンは『おふくろ』と言った感じのもう一人の母みたいな存在だった。

20代前半の頃はジャンとよく通った。

祐介先輩とも通った。

基地の男達はここへよく足を運ぶ。

ママンはみんなの『寮母』の様だった。

俺は十年間お世話になったママンをいろいろ思い浮かべて

中にはいるのに躊躇してしまった。

しかし…。

「隼人。やっと来たな」

背中から…男の声…。ドッキリ振り向くと…親父さんだった。

「ソニアが待ちこがれていたぞ。黙って去ってゆくつもりかとね…」

親父さんは優しく微笑んで俺の背中を無理にレストランの中へと押し込める。

俺が戸惑っているウチに…カウンターに鍋片手に出てきたママンと目がバッチリ合ってしまった。

「ハヤト…あんた…。」

ママンと親父さんはどうやら…基地の男達の噂話で俺の転属を知っているようだった。

ママンは一時、切なそうな目をしていたが…。

「まったく!なんだよ!!今頃来て!さっさとうちに帰って旅の支度でもおし!!」

ママンは…転勤が決まってもなかなか顔を見せなかった俺にかなりご立腹のようだが…。

今にも泣きそうな感じの眼差しにも見えた。

「ごめん…。ママン。」

それしか言えなかった。

「何しているんだよ!早くお座り!今日から毎日おいで!!」

怒りながら言うママンの照れ隠しに…俺まで泣きそうになってしまいそうだが…こらえた。

親父さんに再び肩を押されて、俺はやっとカウンターに腰をかけた。

「葉月の所に行くんだって?まったく!!あの娘をあんな風に返したこと

あたしゃ、まだ許していないからね!!」

「わかっているよ。もう…」

「あの娘は…何考えてるか解らないところがあるけど…いい娘だよ!大事にするんだよ!」

「わかってるよ。…もう…」

「まったく。アンタときたら…来たときもそうだったけど、『ズレッぷり』は最高だね!」

「もう…。ママンはいつもそれだな」

「祐介の分まで頑張るんだよ!」

「うん…」

ママンは遠野先輩が亡くなったことを知ると基地まで押し掛けてきたほどだった。

その『元・側近』の葉月が来るのを楽しみにもしていた。

康夫がこのホテルを葉月のために選んだのもそうゆう意味もあったし、

ここのご夫妻なら、基地の男達をよく知っているから、

葉月に近づけさせる、近づけさせないの判断が出来るからと言うのもあった。

つまり、俺は…ここのご夫妻に(特に)認められて葉月の部屋に入れてもらったような物だった。

葉月とママンが時々懐かしそうに遠野先輩の話をしているときもあった。

その時は『女たらしの祐介』とか言う明るい茶化し話だったのだが。

そんな目の前で涙をこらえているママンを見るのももう…後、僅かなのだと思うと…。

やっぱり切なくなってきたが…。

「ママン。これ…今日。日本から康夫の所に届いたんだ。ママンと親父さんにだって」

俺はリュックから千代紙にくるまれた細い箱をカウンターに出した。

俺にとっては見慣れているが…ママンと親父さんは初めて見る物のように

ビックリ動きを止めてその箱に寄ってきた。

「あら…きれいねぇ…これがジャポン風って奴だね?」

ママンが途端にうっとり、涙顔を消したので俺は苦笑いをしてしまった。

「ほぅ。ホントキレイだね♪」

箱は二つ。鶴の赤い千代紙と松竹梅の青い千代紙。

「赤い方はママンだと思うな。青い方は親父さんかな?」

『開けてみたら?』と、俺も中身が気になるので夫婦をせかしてみた。

勿論…。二人は早速手にしたが…初めて触る千代紙を恐る恐る触って

そぅ〜と包みを開けた。

中から出てきたのはこれもご大層に『桐の箱』

俺もビックリ、二人の手元を覗いてしまった。

「それ…『桐箱』っていって…日本では衣服に虫が付かないタンス用の木材として

すごく重宝にされている高級品だぜ?」

俺も…なにごとだ?と思ってしまうような…そんな高級感が漂っていて…

『さすが・御令嬢』と唸ってしまった。

もちろん…夫妻二人はそれを聞いて…着ている服やエプロンに揃って手をこすりつけて

キレイに触ろうとするので…俺は思わず息のあった二人にクスリとこぼしてしまった。

そっと…夫妻が揃って桐箱を開けた。

「なんだい?これは?」

ママンは中身を見て眉をひそめたし、親父さんも首をかしげた。

俺も覗いてみると…

「あ…なるほどね!!これはね♪」

お嬢さん…なかなか粋な事するなぁと、感心してママンが持っている箱の中身を手にした。

中に入っている細い棒を手にして…俺がそっと『開く』と…ママンがため息をこぼした。

「『扇子』って言うんだよ。マリーアントワネットも羽の奴、持っていただろう?

日本では『和紙』で作っていたんだよ♪」

「なかなか…いいねぇ」

親父さんも俺を真似て扇子をそっと開いた。

ママンには桜に金粉が散りばめられていて、親父さんの方は竹林に朝霧なのか

その霧に金粉と銀粉が程良く漂っている絵柄だった。

「私がジャポンに興味があるって事…覚えていてくれたんだね。あの娘」

ママンはあまり見せないような…美しく柔らかい笑顔でそっと微笑んだので

俺はビックリ…動きを止めてしまった。

ママンは肝っ玉かぁちゃんなので…遠野先輩と『ソニアって名前似合わないよな』と…

日本人として影で笑っていたことがあったが…。

その笑顔は…『ソニア』だった。

「大事にしてやってよ。それ…おそらく日本で買っても高いよ」

すると…二人は途端に桐箱に扇子を閉じてしまったので俺はまた…笑ってしまった。

「アンタこそ!葉月を大事にするんだよ!!」

『あいた!』と、俺は顔をしかめてしまったが…。

日本に行くと決めてからは…彼女への気持ちはもう…素直な物に変わっていた。

それから…俺はママンが作ってくれた『ブイヤベース』をその日はご馳走になって…

毎日…帰国するまで通うことを約束して笑顔で自宅に戻った。

想い出話ばかりでたが…涙は出なかった。

すべてが…素晴らしく懐かしい…そんな気にさせられた夜だった。

『さてと…そろそろ親父にも知らせなくちゃなぁ』

自宅に戻って、俺は机においてある私用ノートパソコンに向かった。

おそらく…ミシェールから日本の実家に知らせが行っていると思うが…。

口うるさい、メールでも届いているんじゃないかと思って

暫く…メールチェックはしていなかった。

いやいや…メールチェックをすると…。

着信音がなったので目を背けたくなった。

『やっぱり来たか』

また、いやいや画面に向かうと…やっぱり…『K・SAWAMURA』とあって…

「んん??」

もう一通…知らないアドレスのメールが届いていた。

『SHIN・M』としか表示されていないが『はじめまして』などと日本語で書いてある…

削除してしまおうと思って…ハッとした。

『しん・M』って??と

『シンちゃん』…葉月がそう甥っ子のことを呼んでいた。

『甥っ子がよくパソコンはいじっている』とも言っていた。

俺はビックリ…暫く固まって…やっと動いた時はマウスを握ってクリックしていた。

 

『はじめまして。SAWAMURAさん。叔母がフランスでお世話になりました。

僕は甥の御園真一と申します。』

 

俺の頭の中で『ガーン』と言う音が聞こえてきそうだった。

何故だ??なぜ…彼女にしか教えていないこのアドレスを甥っ子の真一君が知っているのだ?と、

それと同時に…彼女がパソコン使いが慣れていないのを思いだして

『甥っ子』に見つかるような間抜けなことをしたに違いない!!と腹が立ってきたが…

『僕の勘違いかも知れないのですが、叔母はサワムラさんからのメールを見て泣いていました。

サワムラさん宛のメールも書いているのに送ろうともしません。』

と…言うところを読んで…さすがに腹立たしさがスッと退いて…動きが止まってしまった。

『彼女…泣いてくれたんだ。メールも…書いて送ろうとしてくれたんだ』

やっぱり…忘れようとして必死なんだと、想い出にしようと必死なんだと…。

彼女がキッパリ帰ったことは『潔い』と感じていたが…

彼女もやっぱり一人の女の子なんだと胸が締め付けられてしまった。

きっと…俺が彼女が帰国してすぐに送ったメールを…いつもパソコンを触っている

真一君が受信して…読んでしまったのなら…。

読まなくても…若叔母が泣いているのを見てしまったのなら、

気になってしょうがなくて…こんな風に…。

『そんな叔母を元気づけるメールを、また下さると、甥としても嬉しく思います。

なんで泣いていたかは知りませんが

これからも、差し支えなかったら、叔母のこと宜しくお願いします。』

その甥っ子の叔母へのいじらしい慕いようがよく伝わる最後の文節…。

俺は…真一君にはあったことないが…きっとこの子も俺と同じように寂しい想いをして

葉月という女性を頼りにして生きているに違いないと他人とは思えなくなったりして…

俺なんかよりはずっと素直ではある。

すぐに『返信』をするためにキーボードに手を乗せていたが…

『まてよ?これも送ったら…真一君が彼女に見せるかも知れない』

そんなことになったら…彼女に『仕返し』が出来ない。

俺は『返事』を書きたいのはやまやまだが…。

彼女に早く『ハヤトへのもの思い』から抜けさせてあげたいが…

『でも、叔母はフランスから帰ってきてから以前のようなしっかりした中佐として頑張っています。

きっと、サワムラさんのお陰だと僕は思っています。』

と、言うところを読み返して…。大丈夫だろう…と、やめた。

『ゴメンよ…。いまは書けないよ。でも、もうすぐ行くから』

そう思って…真一君のメールをもう一度読み返して『大切フォルダ』にしまうことにした。

そんな感傷的な気持ちで親父のメールを開けると…

『隼人。元気か?いきなりどうした?こっちに帰ってくると聞いて驚いている。

いつ帰ってくるか知らせなさい。勿論、まっすぐに横浜に帰ってくるよな?

美沙も和人も喜んで待っている。新しい上司から失礼のないよう休暇をもらえないのか?

母さんの墓参りと称して横浜に一度寄りなさい。返事を待つ』

俺は…急にため息が出た。

新しい上司が『御園嬢』と言うことはミシェールも知らせていないようでホッとした。

死んだおふくろの墓参りはもっともだが…。

『大変忙しい中隊への転勤なので成田には寄らずに軍の直行便で小笠原にて帰国予定。

その後は予定立たず』と、返事をしておいた。

成田などから入国しよう物なら…横浜は目と鼻の先。冗談じゃない!

オマケに遠い離島に行かなくてはならないのに面倒くさいではないか。

………。それは…いいわけだが。そうゆう事にしておいた。