3.噂

彼女が去って数日した頃…。

「ハイ。ハイ!そりゃもう…当然です!解っております。では、宜しくお願いいたします♪」

康夫が珍しく日本語で丁寧に誰かと電話で話していた。

「うわぁ…。緊張する!」

康夫は受話器を置くと一人で身震いをしていた。

「だれ?」

彼女でないのは確かだ。彼女と話していたのなら康夫はいつもの口悪を発揮するはず。

すると康夫はじろりと俺をにらんだ。

「島のフランク中将だよ!葉月はとうとう中将に『お任せする』と言いだしたらしいぞ!」

(やっぱりね)

彼女の決意は、俺にはよく解っていた。

「つまり…。中将が選んだやつなら誰でも一緒にやってみるだとさ。

隼人兄が考え直すと言ってくれたのは嬉しいけど

向こうも『経営上』待つのに限度があるから一ヶ月内には返事が欲しいというフランク中将からの話!

もう他の隊員をフロリダとかイタリア基地からとかピックアップしているんだってよ!」

康夫は俺の『のんきさ』に業を煮やしたのか

いやにつっけんどんに伝えてくれる。

「わかっているよ…。俺だって一ヶ月も迷うつもりはないからね…。」

淡白に返事をすると、康夫も『その調子でな!フランク中将、割と口うるさいからな』とぼやいた。

「それから…。もし、隼人兄が転勤となると、俺の中隊も調整しなくちゃならないからな…。」

康夫はそこは…ちょっと不服そうに呟いて『さて、いくか…』と、

いつもの訓練に出掛けていった。

「………」

俺は康夫のその気持ちを嬉しく思う。

俺より後で入隊してきたのに彼は目標を高く持ち

見る見る間に日本人なのにこのフランスで小さい部隊ながら『中隊長』。

そして中佐へと登り詰めてきた。

だけれども、中佐となってもこのうだつの上がらない俺を必要としてくれて

驕り高ぶることなく『隼人兄』と側に置いて慕ってくれた。

『助かるよ!やっぱり隼人兄だよなぁ♪』と尊重してくれた。

ヤツがフランク中将と供に、彼女に『側近』として勧めてくれたと言うが

それも俺の将来を思っての男としての気持ちなのだろうが

やっぱり…手元から離すとなると彼なりにも『リスク』はあるのだろう。しかし…。

解ってのことで勧めてくれたに違いない。

(やっぱり…ここを動かない方がいいのか?)

俺はまた揺れた。

康夫のためにも…ここにいた方が…と。

彼女とのことなんて、やっぱり男と女の一時の『情熱』だけで終わる可能性も高い。

いまは…特に…。 彼女の思いと肌の感触が残っているから。

だから…『考え直す』と言えたのだろうか?と。

そこで再び俺は冷静になろうとする。

彼女の元にゆくのなら…まず『職務人』としてやっていくことを前提に考えなくなくては…と。

彼女もきっとそう望んだから最後にだけ女として勝負を賭けて…

そして去っていったのだから。

彼女が今一番に望んでいるのは『男』でなくて『側近』のはずなのだろうから…。

康夫が訓練に出ていったので、俺はひといきれついて、

午後、早速始まる空母艦実習の前にランチに出掛けた。

「ハァイ。サワムラ君。日本行き断ったんだって?」

「惜しい事したよな。御園令嬢の側近って出世の近道じゃないか」

「彼女の中隊に今若手が集められているらしいよ」

教官仲間とすれ違うたびにそう声をかけられた。

天の邪鬼の俺がまた顔を出す。

「羨ましいならフジナミに立候補したらいいさ。今、他を捜しているらしいからね。」…と。

すると皆、一時苦笑いをして『アハハ。サワムラ君らしいね』と去ってゆく。

俺は『出世目当て』で彼女の元へゆこうと思いとどまっているわけではない。

しかし…。彼女が去って何処から漏れたのか

俺の『引き抜き話』は基地中で噂になっていた。

元々。からかい半分流れていた噂だが、今度は『ホントの話』として流れていた。

それと同時に…彼女の中隊がいかに若手に注目されているかだった。

いかにレベルが高いか身に沁みるし…プレッシャーも感じる。

(俺に出来るか!?)と。

皆、俺のことをうらやましがりつつも『立候補』しないのは

当然、康夫のOK、GOサインが出たとしてもあの若いフランク中将の眼鏡を通らなくてはならない。

その影には当然、フロリダ中将の彼女の父親…そして、

フランク中将の父親であるこの軍の大御所フランク大将の目も光っているのだ。

そこで皆。怖じ気づいて諦める。

つまり俺は、彼女がわざわざ遠い所から会いに来たと言うだけでも

その並みいる将軍達の目を通ったという『お墨付きの男』と言うことで

基地中の出世を狙う男達が俺を羨ましがっているのだ。

康夫は春に彼女の側近候補として、日本に行ったが即断ったらしい。

それは俺と彼女を会わせるための企画をフランク中将に許してもらうために行ったから

中将も乗り気になって康夫の話を飲み込んだらしいのだが…。

康夫が断ったのにはちゃんと理由があった。

康夫と彼女は学生時代からの『ライバル』

そして康夫は『負けず嫌い』

いまはまだ…彼女の下で働く気なんて康夫にとっては『敗北』に近いらしのだ。

康夫がきっぱり断ったことを、皆は『負けず嫌いの神風男』と言っているから納得していたが、

俺が側近話を断ったのは『変わり者』と思っているのだ。

俺から見たら…出世の近道に御令嬢の側に行きたいという『下心』みたいな心を持つ方が

『不純』だと思うけどね…。と…。

「フン」と鼻を鳴らす今日この頃だ。

この数日。カフェテリアへ来るとこうして落ち着きやしなかった。

食事をするときは殆どは雪江さんか…もしくは時間が合えば

康夫のパイロットチームや同期生のジャンと食事を供にしていた。

所がこの日に限って誰とも出会わなかった。

こんな事は珍しいことなのだ…。

みんなが俺を一人きりにしないのには訳があった。

俺も昔は一人で食事をとっていたりもしていたのに、ここ一・二年…。

いつの間にかこんなスタイルがとられるようになった。

必ず誰かが俺の側にいる。

雪江さんがいなければ、教官仲間が…。

教官仲間がいなければ…康夫が…ジャンがいた。

所がこの日は教官仲間は俺のいないところで『側近話』について話したいことがあるのか

俺を遠巻きにして誰も近づいてこなかった。

お嬢さんがいたときも…そう。決して彼女を一人にしようとはしなかったし

俺も彼女と二人で食事をとるときは外ですることにしていた。

彼女も薄々気が付いていたのか俺のやり方に黙って従ってくれていた。

皆が側に来る事には『ある問題』がいつからか付きまとっていて

俺一人ではどうにも出来ないので、つい皆の『ガード』に甘えていた節がある。

だからこんな風に一人になり…急に不安に駆られた途端だった。

その原因がやってきた。

「ハァイ。隼人。久しぶりね♪」

艶やかな黒髪をなびかせた日本美人が俺の目の前に座り込んだ。

俺はフォークの先のハッシュドポテトを『ボトリ…』と、落としそうになるほど怖じ気づいた。

「ミツコ…」

「あら?何…迷惑?そうでしょうねぇ」

ミツコはそう言って肩に掛かる黒髪を払いあげた。

彼女は五年前。二年ほど同棲した俺の元恋人。六つ年上のキャリアウーマンだ。

頭は切れるが中身が寂しい女だったので上手く行かずに別れたのだが

彼女の方がなかなか諦めてくれない。

同じ日本人同士。同じ工学関係。彼女に釣り合うフランス隊員が出来ても

彼女の方が振ってしまいこうしてすぐに俺とよりを戻したがる。

俺の方に遊び相手のガールフレンドが出来ても…愛らしい恋人が出来ても…

見合い話が来ても…俺の方も一定した相手が出来ないからこうして彼女は何度も近づいてくる。

あまりのしつこさは基地の中でも有名で、業を煮やした康夫が仲間と結束をして

俺をガードするようになったのだ。

その影には俺が十代で単身フランスにやってきてから、面倒を見てくれた

下宿先の親父さん…つまり元訓練校校長のダンヒル氏が現に軍と関わっているから

皆が『サワムラに変な虫が付いたら『お上』が怒る』と、いう風にして

俺を一人にしないスタンスが出来上がってしまったし…。

もとより、ミツコはあまり人に信頼されていない仕事ぶりだったから

皆はミツコの味方にはなりはしなかったのだ。

しかし、ミツコはそんな所だけ頭が良くて、俺のバックに『元校長・現相談役員』が

親父代わりで控えていて目を付けられると自分が危ういと解ると

大胆な攻撃は滅多にしてこなくなったから、よけいにタチが悪かった。

この日はミツコは…雪江さんも教官仲間も側にいないと狙って現れたに違いない。

よっぽど俺と話したいことがあるのだろう。その話も俺は解っていた。

背筋にヒヤリとした汗を俺は感じた。

「とっても可愛い子だったじゃない?二ヶ月も毎日一緒で楽しかったでしょ?」

ミツコはサンドイッチをちぎりながら妙に勝ち誇ったようにニヤリと微笑みかけてくる。

その微笑みの裏に『やっぱり断ってくれたのね♪それは私のため?』と言う

変な自信が垣間見えてきて…俺は胸くそが悪くなってくる。

「ああ。さすが…『御園の末娘』だよ。しっかりした中佐だった」

俺は冷淡に『職務的』に返事を返した。

「そうでしょう?そんな女の子。手におえやしないわよ。あなた断って『正解』よ♪

彼女の元に行ってみなさいよ。年下の生意気な女の子に『上官風情』吹かれて

卑屈になって相手にしなくちゃいけないのよ?この二ヶ月で充分解ったでしょ?

いくら『御令嬢』と言われても、血筋が良いっていわれてもそれは軍の中だけのこと。

彼女は汗まみれのパイロット。あの遠野君がお気に入りの側近だったらしいけど?

あの女好きの遠野君が『可愛くて』選んだだけじゃない…。

それをバネにして彼が亡くなったらから丁度良く『隊長代理』になっただけ…。

さすがは隼人ね。皆は『もったいない話』って言っているけど

あなたはちゃーんと見極めたって事だからね。皆。解っていないわよね〜。バカよね〜。」

ペラペラと勝ち誇って喋る目の前の女の一言一言に俺は何度もムッ!とした。

「バカなのは…お前だろ!」

ハッキリ言い返すとさすがにミツコは傷ついた顔をした…が、俺は何とも思わなかった。

しかしミツコも怯みやしなかった。

「何よ!本当の事よ?あなたのためを思っていっているのに!」

ミツコはムキになって声を張り上げた。

「一つ言っておく!人が人をどう見ようが何とも思っちゃいねーよ!

御園中佐が例えそんな中佐でもな!だけどな!

亡くなってしまった遠野先輩のこと今頃そんな風に言う人間は俺の知り合いにはいないからな!」

俺がにらむとミツコは今度こそ怯んだ…。

彼女は遠野先輩と同期だった。彼と唯一ウマが合わなかった女だ。

女扱いの上手い先輩でも『アイツはクサイ』と言って近づかなかった。

美人な女に目がない先輩でも、この女優のように美しい彼女には一切近づかなかった。

俺と同棲しているときも先輩は何も言わなかった。それも人が選んだ事と認めてくれていた。

しかし、ミツコの独占愛や、プライドの高さがエスカレートしてくると

さすがの遠野先輩も

『お前のような気の細かい男でもやっぱりアイツはアイツ。変わりゃしねぇよ。早く目を覚ませ』

と…言うようになったほど…。

俺もとうとう我慢の限界が来て先輩がフロリダに転勤する頃やっと別れたのだ。

『お前にはもっと格のいい女がいるはずだ。いつまでも自分の殻にこもっていないで

早くフランスを出るか、もっと上に行けよ。応援しているぜ♪』

それがこの先亡くなることになった先輩が俺に残していった最後の言葉…。

『先輩こそ…いつまでも同じ所グルグルしていないで決着着けたらどうっすか?

先輩ならすぐにいい女見つかりますよ。』

俺の痛いところを見透かしたお返しにそう言ってやった。

先輩をないがしろにしている奥さんなんか早く別れて『女遊び』を卒業したらいいのに…。

俺はそう思っていた。先輩の女遊びはただの紛らわしだと知っていた。

『アハハ。お前のそうゆう生意気。俺は大好きだったぜ。覚えておくよ♪』

そうして、俺が仕事で尊敬していた先輩は『少佐』となって先に進むことになった。

先輩はフロリダに行った途端に急に一児の父親になった。

それを聞いて彼の決着は、結局は家庭を大切にする方へ落ち着いたのだと一安心した。

しかし彼は、どうしたことか一児の父親になっても結局落ち着かず

日本へと異例の出世を遂げて『大佐』になり…お嬢さんが側近になり…。

そこでとうとう先輩は本当の『決着』を…妻と別れて葉月を選ぶと心に決めたまま逝ってしまった。

俺には解る…。

俺も『葉月』に心を動かされたから…。

この俺が動いたのだから先輩はいかに彼女に惹かれたか…が。

それを…今、俺の目も前にいる女は…。

『遠野君の好みでひいきしていた』とか『可愛いだけで側近になった』とか

『丁度良く亡くなって、運良く隊長代理になった』とか…。

無神経にも程がある。

『御園中佐』がそんな先輩の事をいかに大切に思って…。

先輩が残した中隊を引き継ごうと…この俺との『情愛』を捨ててまで

『中佐』として立ち向かおうとしているのに!

お嬢さんの痛みを『ただの御令嬢だ』とは何事だ!?

お前の方が心貧しい、未熟者じゃないか?と…俺はかなり腹を立てていた。

「よう!珍しいツーショットじゃないか?」

やっと来たのは訓練を終わらせたジャン…だった。

メンテチームの後輩を引き連れてランチにやってきたようだった。

メンテチームは俺とも同業者だから同期生のジャンがいるとあってメンバーともかなり親しくしている。

そのメンバー達がゾロゾロ俺のいる席を囲み始めた。

その途端に、ミツコは強敵でも現れたが如く…

悔しそうにジャンを睨んで『フン!』と去っていった。

 

「おいおい…。気を付けろよ隼人」

ジャンが呆れて、俺の目の前に腰をかける。

「そうっすよ。工学科のダチが言っていましたけど…。

御園中佐が帰るまではものすごく機嫌が悪くて、かなり仕事でもかりかりしていて苦労したって。

それなのに…大尉が断ったもんだから、いつもの如く浮かれていて機嫌が良いのが

かえって気持ちが悪いぐらいだって…」

ジャンの後輩の言葉に俺はゾッとした。

「そうだよ。御園中佐についていったら、あのミツコからも逃れられたのにな」

ジャンには『葉月と俺』の中で出来上がった『関係』を見抜かれていたので

嫌に『嫌味っぽく』俺を見下ろすのだ。

ジャンは彼女が黙って帰ったことを知ると、俺に『バカ』と言った。

とにかく女の葉月にそんな風なことをさせた俺にここ数日あきれかえってばかりなのだ。

葉月の気持ちを無視したことに本当に呆れていたのだ。

だから…葉月を選ばなかった…進展しない俺が未だに

ミツコとすったもんだしているのが馬鹿らしいのだ…。

しかし、ジャンの『逃れられたのに…』の一言に俺も『それもそうだったかもなぁ』とため息が出た。

ミツコが俺を諦めないのは…俺が何処にも行かず…相手も作らず…

目の前にいるせいかもしれない。

いなくなった方が彼女の為なのかも知れない。

お嬢さんが毎日一緒にいたときは、俺の心の中のこうゆう『ドンヨリとした問題』は、一切忘れていた。

ミツコもお嬢さんには一目置いているのか近づこうとしなかった。

もし、そうでなければ、凄まじい攻撃をしていたに違いない。

実際に…そうゆう事は過去にあった。

俺よりちょっと歳が離れた愛らしい恋人が出来たときそんなことがあった。

別れた理由は、ミツコのことはもとより…歳が離れすぎていたり、

俺の根っこが『日本人』だったこととか色々あったのだが…。

お嬢さんが、実は自分なんかよりずっと『男肌』の職務人だったことを

ミツコは『かないやしない』と、認めてはいないが心の何処かで感じたんだと思う。

それは、救いだったと思うのだ。

俺は、久々にあの『浅ましい女』と言葉を交わして、忘れかけていた暗い一部分が

再び日常に戻ってきたことにゲンナリした。

しかし…。お嬢さんの側近になる・ならないは、ミツコから逃げる・逃げられないとは

まったく別問題として考えたかった。

彼女が…俺を尊重してくれたように…。

俺も彼女のために一から考え直したかったのだ。

ジャンが目の前でまだブツブツ言っている。

俺は、同期生の彼が言う『痛いお言葉』に耳をふさぎながら…ランチを続けた。