30.臨機応変

その日の夕方。隼人はやっぱり、葉月の自宅にまたお邪魔した。

またそこで、23時まで書斎にこもり、先に寝付いた葉月に黙って

丘のマンションを後にした。この日も真一は来なかった。

そして朝がやってきて気合い充分、自転車にて出勤。

いつもの如く。葉月は机の書類を整理していて『おはよう♪』と輝く笑顔で迎えてくれる。

そんな…日々が少しずつ隼人にとって当たり前になってきた。

そして。葉月は隼人に言った通りに『大佐席』に頭を下げるを辞めたのだ。

隼人は…少しだけ…尊敬していた先輩を

追い出してしまったような後ろめたい気持になった。

しかし。葉月が言うようにこれからはふたりで何でもこなして行かなくてはならないのだ。

ケジメとして…遠野には許してもらうことを隼人は胸で祈った。

朝礼が終わって朝の事務作業。

そこへジョイがやってきた。

「お・じょ・う♪今日は俺が二中隊に行ってみるからね!」

山本に呼びつけられて、いつも気構えている隼人とは違ってジョイは何故か余裕いっぱいだった。

「なぁに?変な騒ぎにしないでよね。」

葉月は話しかけてきた弟分そっちのけで手元のボールペンを早く動かしていた。

「失礼な!いつも騒ぎにするのはお嬢の方じゃないか?」

「あら・そうだったかしら?」

「じゃじゃ馬がいるところ嵐有り!って言われているくせに…」

「それで?なに?そんな嬉しそうにきたりして…」

書類ばかり眺めてシラっとしている葉月にジョイはムスッと膨れてはいたが…

急にニヤっと微笑みを浮かべた。

隼人も、そんな姉弟分のやりとりが可笑しくてクスリとこぼして眺める。

「やっと・俺の出番だね〜♪なんて言い返してやろうかと思ってさ!」

「いつもの生意気でいいんじゃないの?」

「ほんとうにぃ〜。それでいいのかなぁ。言っちゃいけない事ってある?」

「別に。怒らすだけ怒らせてやったら?」

隼人は『やり返してくれるのは年下のふたり』という山中の言葉を思い出して

『なるほどね〜。生意気なはずだぁ』とクスクスと笑ってしまった。

そんな隼人を年下のふたりは『なに?』といぶかしそうに眺めていた。

隼人はハタと我に返って真顔に戻してパソコンディスプレイに向き直すと

ジョイがまた葉月に話しかけ始める。

「ところで。お嬢の『狙い』はなんだろうと思ってさ。あっちの少佐を怒らせて

どうやって『外す』のかなぁって。そろそろ教えてくれてもいいんじゃないの?」

どうやら、冗談交じりにやってきたジョイの本当の狙いはそこだったらしい。

隼人もそこは未だに解らずじまい。

葉月は、『隼人さんならその内に言わずとも解ること』とは言ってくれたが

まだ『その内』に辿り着いていなかった。

だから。書類に向かってペンを動かすだけの葉月を

ジョイと共に固唾をのんで言葉を発するのを待っていた。

「さぁね。なんにも考えていないわよ」

隼人は『そう来たか』と諦めてマウスを動かし、

ジョイもいつものお答えに『あっそ』と呆れて隊長代理室をあっさり出ていってしまった。

相変わらずの葉月に隼人も呆れてそれ以上聞く気にはなれない。

それよりも、葉月から言わずとも何を考えているか解る側近でありたいから

隼人はもう暫く、葉月の様子を眺めることにしたのだ。

その内に。葉月が訓練に出かけていった。

ジョイは次なるスケジュール調整のために山本少佐のところへ向かうと言うことだった。

隼人は久々に自分だけの仕事に没頭することができたのだ。

しかし、今度、気になるのは『営業上手』とかいう若少佐のジョイの手腕だった。

葉月共々生意気な口を利いてどんな風にあの山本少佐をやりのけるのか…?

連隊長の従弟・准将の息子。これだけの肩書きがあればあの山本少佐とて、

ただの一世隊員で下っ端の隼人に食らいつくのとは訳が違うだろうに。

だから、ジョイは隼人と違ってあの余裕でいられるとしか思えないのだが…。

(ここが見極めだな。山本少佐がただの威張り散らす男か

それとも、お偉いさんの息子でも食らいつける男かどうか…)

ここで、弱いものだけに威張りちらす男なら葉月の地位を最後に使えば簡単なことだ。

しかし、そこでも退かない威張る男なら…手に負えないかもしれない…。

隼人は前者である方を願った。

まだ、筋を通して厳しく怒鳴り散らすなら『畏怖』として尊敬もできるが

相手の目的は『ご令嬢』にいかにして近づくかだから呆れたものだった。

隼人は何となく…『後者』のような気がしてならなかった。

葉月と向き合うまでは気が済まないと言う山本の何かを既に肌で感じているからだ。

葉月は未だに山本とは接触しようとはせず隼人とジョイの応対任せ。

それは任された手前、当然なのだが…

隼人は葉月の方も何か考えていると解っているから、よけいに落ち着かない。

久しぶりの緩やかな午前の雑務なのにマウスはカチカチ職務本能で動いているだけで

妙に気持ちはあさっての方向に飛んでいるような気分だった。

『じゃ!いってくる!!』

ジョイが張り切って書類小脇に出かけてから暫く帰ってこなかった。

隼人は気になって30分ほど経ってから隊長代理室を出て自動ドア、目の前のジョイの席を覗いた。

やはり、ジョイは帰っていなくて隣の席で山中がカリカリと事務作業をしているだけだった。

「兄さん?フランク少佐はまだ?」

「ああ。そう言えば遅いなぁ。ひっ捕まえられて説教でも仕込まれていたりしてな。」

「………。まさか。あのフランク少佐が?」

隼人はあの強気な男の子が散々大声で怒鳴られて

シュンとしているのではないかと急に心配になる。

「って。こともないだろう?きっと倍にして返しているさ。あのジョイならね。」

山中は隼人にニコリと微笑んで落ち着き払って事務作業に没頭してしまった。

山中はそう言うがやはりここ数日山本と向き合ってきた隼人としては心配なのだ。

隼人が『うーん』と落ち着きなく隊長代理室に渋々戻ろうとすると丁度良くジョイが帰ってきた。

「ただいま!」

「おかえりなさい…。どうだった!?」

待ちかまえていた隼人に対してジョイはケロッとした顔で隼人の出迎えに逆にビックリしていた。

「あ。昨日さ。大尉が持って帰ってきたグラフあったでしょ?」

「あ。ええ。」

「俺もあれと同じヤツ突きつけられて、同じ事言うんだよね。芸がないよね」

ジョイはさらにケロッとして今度は予想もつかないことを言い出したのだ。

「だからさ。だったら第一中隊から借りますって言い返して

本当に第一中隊からメンテスケジュール取り付けてきたんだ♪ブロイ中佐のチームがOKだって!」

そう言ってジョイは取り付けてきたスケジュール表を隼人にニッコリ見せたのだ。

「ちょ・ちょっと待った。お嬢さんの許可なしに!?」

「空軍管理を仕切っているのは俺と大尉だよ?取り付けりゃこっちのモンだよ。」

「そ…そうだけど…」

隼人はジョイの『臨機応変』は素晴らしいと思ったがここまで大胆にやりこなして

後々、山本との間で大きな問題にならないかと不安になったのだ。

『怒らすだけ怒らせれば?』

葉月もそんなことを平気で言っていた。

この若いふたりがただの若さ任せで突っ走っている事にならないか隼人は判断に苦しんだ。

「まったく。ジョイはいつもやること早いが後でお嬢が大変だぞ。知らないぞ。」

山中は慣れているのかそんなジョイの『大胆さ』にため息はついたものの

やっぱり落ち着き払っていた。

しかし。隼人は『アメの山中』は、年下の二人がやることにはかなわないから

『後で大変』と解っていても二人が何とかすると思って落ち着いているとしか思えない。

隼人だったらここで『ムチの兄貴』として何か止めるべきなのかどうなのか??

その判断にも苦しんだ。

「午後になったら、山本少佐からまた内線がかかってくるかもね♪」

ジョイがシシシと笑いながらそんなことまで平気で言い出したので

隼人はもっとビックリした。

「少佐から?勝手な事するなって連絡が!?」

「勝手なこと?そんな事していないよ。山本少佐のお説教通り、

借りることが少ない第一中隊からメンテチーム借りたんだから文句ないでしょ?

彼が変な理屈こねて怒ってくるなら、それは自分の作戦がすべてうまくいかないジレンマだよ。

それなら。こっちの思うツボ。こっちも理屈こねて撃退してやったらいいのさ♪」

『さて。せっかくだから木田君に後処理してもらおう!』

ジョイは意気揚々と、取り付けてきたスケジュール要約書を

今はアシストについている木田君のところに持っていってしまった。

隼人が『これでいいのか!?』と、戸惑っていると…、山中がニッコリ微笑み返してきた。

「俺の今までの苦労…察してくれる?」と…。

隼人はその山中の一言を聞いて、ため息をつき、肝を据えることにした。

「本当。山中の兄さんの『苦労』ってヤツが俺にも飲み込めてきた。」

『だろう?』とクスクスと笑う山中が『どんなに心配したってあの二人はやっちゃうんだよ』と

言っているようにも聞こえて…隼人は諦めて葉月が帰ってくるのを待つことにした。

時計は13時を指そうとしていた。葉月が訓練後のランチを終えて帰ってくる時間である。

隼人は『かけてくるなよ〜。葉月が帰ってくるまで…』と…。

『ブロイチーム』との要約段取りが取り付いてしまったことが、山本の耳に入り、

内線連絡が来ないことを祈りながら、パソコンと向き合っていた。

『Rururururu』 『!!』

恐れていたことが来たか…と。隼人は嫌々…内線受話器を手にした。

「お疲れさまです…。第四中隊隊長代理室…澤村です。」

『おい!御園中佐帰ってきてるか!!』

(やっぱり…きたかぁ) 隼人は山本の声を聞いてガックリうなだれた。

「いいえ。未だ訓練から帰ってきておりませんが?」

『だったら!帰ってきたらすぐ連絡くれるように言ってくれ!』

「ご用件はなんでしょうか?」

『そんなの言わなくても解っているだろう!!フランク少佐がやった事についてだ!』

「かしこまりました。そう…」

『伝えておきましょう…』と切ろうとしたところに葉月が自動ドアをくぐって帰ってきた。

葉月に変わるべきかどうかも、隼人は悩んだが…。

「中佐が帰り次第、連絡するよう伝えておきます。」と、言って

山本が『ガシャン!』と受話器をたたきつけた音を聞いてから隼人も受話器を置いた。

葉月が隼人の内線応対を聞きかじったのか、隊長席に荷物を置きながら

『なに?』と首を傾げて伺っていた。

「聞いた?フランク少佐が何をやったか…」

隼人が疲れたため息をこぼしながら葉月を眺めると…

「ああ。今、ここにはいる前に報告聞いたわ。

第一中隊に営業に行っちゃったことでしょう?

ジョイらしいわよね。彼だからできたのでしょうけど。

もしかして、今の内線。山本少佐?」

「そう。お前が帰ってきたらすぐに内線くれだってさ。」

すると葉月が、クスクスと笑い始めたのだ。

「笑い事かよ!?山本少佐かなり怒っていたぜ??」

「知らないわよ。そんなこと。彼が昨日あなたにたたきつけたグラフ通り…。

二中隊に借りてばかりでは、山本少佐の手を煩わすだけだから、お言葉通り。

まんべんなく借りるために、第一中隊からも借りました。って言うだけよ。

そんなに怒るって事は、私に頭を下げさせてでも手を煩わしたいって事が見え見えじゃない。

だいたいにして。ジョイにやられて怒るようじゃ男の器もたかがしれているわね。」

シラっとして落ち着き払って葉月はそう言うのだ。

隼人は『ご最も…』とうなって黙り込むしかなかったし…。

またもや、生意気小娘の葉月に恐れ入ってしまってなんにも言い返せなくなった。

「怖い!」

隼人が一言、葉月に感想を述べると葉月はニヤリと微笑んで妙に得意げだった。

「でも。それはここだけにしてくれよな」

「ここだけ??」

「そうそう。『丘のマンション』では…」

『ウサギさんでいて欲しいからさ』と言いたいが言えるはずもなく隼人は口をつぐんでしまった。

そんな隼人をいぶかみながら、葉月は『変な隼人さん』と、呟いて席に座り込んだ。

「そろそろ…。相手にしなくてもいいわよ。隼人さん」

「え?誰を??」

「山本少佐よ。怒れすだけ怒らせてやって。と、言っても…

隼人さんはジョイみたいな事やらないでね?今日の事はジョイだからできたことなのよ。

得よね。無邪気なおぼっちゃまだから…おじさま達も可愛がっちゃう得なところがあるのよ。」

「なるほどねぇ。って…いうか。俺にはできないよ。あんな事!

でも。山本少佐を怒らせてどうする気なんだよ??」

すると…葉月は山本少佐に内線をかける振りなどひとつも見せずに

午後の作業へとペンを握りしめて書類に向かい始めた。

その上…また。耳にサラッと栗毛をかけながら『フフ…』と微笑むのだ。

「そろそろ…。隼人さんの出番かしら?頑張ってね〜♪」

「おいおい…。なんだよ。本当に怖いなぁ。」

隼人は…若い二人がこの中隊に当たる風を小さな身体で受けているように見えて…

それなら…二人がやることをサポートして行かなくては…『兄貴』として立つ瀬がないな…と思い始めてきた。

葉月が次なる作戦に何を考えているかは解らないが…

役に立てるのなら…それなりにサポートしよう言う気構えだけは決まってきた。

「まったく。自分の仕事が何故あるか解っていないようね。あの少佐は。」

『担当からはずすわよ!』

葉月は今週始め。そんなことを言い出した。

彼を担当からはずして…その後どうするのか?隼人を使って何かを始めようとしている。

(もしかして…今すぐメンテチームを作るとか言い出さないよな!?)

メンテチームができれば山本との縁は切れるかもしれないから…

隼人はふとそんな風に感じてしまった。