10.試験準備
隼人の一日は…事務に始まり事務に終わる…。
島に来てそんな日が数日続いた。
『まず内勤から…慣れようね』
葉月が『香り替え』をした島での第二日目…。
午後…初めて葉月の直属の上司という五中隊隊長の『ウィリアム大佐』と面談をした。
金茶毛の穏和そうな50代間近の男性で、幼い女中隊長である葉月の
『父親的上司』…隼人はそんな風に思ってしまった。
隼人のホームステイパパだったミシェールは『明朗・豪快』なら
ウィリアムはもっとパパよりかは若いが『温厚・柔和』と言った感じのおおらかさが
かえって、『恐れ入ります』と丁寧に頭を下げさせる威厳を放っていた。
その彼に呼ばれて、初めて『五中隊本部』に隼人は出掛けるハメになった。
四中隊の隣り棟で、カフェからは一つ遠く、管制塔車庫には一つ近い棟だ。
葉月はそのウィリアム大佐の言いつけには付き添ってこようとはしなかった。
『いってらっしゃい。大尉。がんばってね♪』
ただ、笑顔で見送って葉月自身は、午後の事務に勤しんでいた。
隼人もいつまでも葉月が『妹先輩』のようにいちいち心配顔でくっついてきては
益々、『嬢ちゃんのお気に入り』と見られるので…
慣れない、見たことない部署に行くのは気が乗らないが
これから少しずつ葉月に手間はかけないよう『島』での『自立』を試みて
早々に『島の隊員らしく』ならなくてはと…いつになく力んでいた。
葉月も付いてきたいのは山々だが…どうしたことか…。
隼人と同じように『距離』の事はかなり考慮しているのだと隼人は気が付いたのだ。
おそらく…山中があのように『にや♪』と見透かしたように
隼人と葉月を二人きりにしようとエレベーターに押し込んだこと…。
葉月にとっても『私の気持ち…見抜かれている』と感づいて
オマケに隼人が『俺達の関係。何か話したのかよ!!』と当たり散らしたことで
『側近である男との関係』には、かなりの警戒心を固めるようにしてしまったようだった。
そんな風に…崩れず…毅然と『警戒』するところが『仕事関係』としては
隼人にはやりやすかったし『さすが…お嬢さん』と、信頼を深めて当たったことは反省をした所だった。
それでも…態度に出さなくても…仕草に出さなくても…
葉月は隼人が贈ったお気に入りの香りはキチンと付け替えてくれたし
ニッコリ微笑む笑顔は、フランスにいた時から健在。
何処かで『葉月とは通じている』と隼人は思い安心する数日だった。
で。話はまた数日前…ウィリアム大佐の所に行ったときに戻るのだが…。
隼人は隣り棟にあるという五中隊本部に初めて顔を出す。
そこもやっぱり…50人はいようか?という大所帯の本部。
しかし、葉月がいる第四中隊と違うのは…立派な男達が…年上の中年層がひしめき合っていて
何処か『威厳』を感じた。
五中隊で『若僧』らしい隊員はどうやら隼人のような30になろうかなるまいか?と言うような
青年達のようだった。
これだけ見れば、葉月の中隊はまだまだ『若中隊』
この五中隊が面倒を見ているというのも頷くほかなかった。
「お疲れ様です。お忙しいところお邪魔いたします。第四中隊の澤村ですが…隊長はいらっしゃいますか?」
入口のデスク…ジョイと同じ席に座っているのが日本人だったのに安心して
隼人は、葉月の品格を落とさない側近として丁寧に話しかけた。
「ああ。君が澤村大尉??」
黒髪の彼がニッコリ微笑んだ。
(俺って、もうそんなに知られているのか?)と躊躇してしまった。
彼の肩章を確かめると…やっぱり…ジョイと同じ少佐だった。
「ウィリアム大佐ならお待ちかねだよ。君が来たら大佐室に通すように言われているから」
その…隼人より大人の雰囲気だが小柄な男性がそれでも、しっかり優雅に迎え入れてくれて…
『やっぱ。違う。島の男は…』とまた唸っていた。
するとその彼が…隼人をジッと見つめるのだ。
『?』 隼人もニッコリ作り笑い。
こんな感情表現を覚えてしまうなんてと…情けなくなってきた。
「嫁さんから聞いているんでね」
「はい?」
「『葉月ちゃんに素敵な側近が付いたって』大喜び」
(また。そんな風に見られているのか!?)
何処からどう…葉月の『新しい男』と噂されているのか??と隼人は島の噂の早さには
どうしてなかなか…フランス基地より凄まじいぞ!とおののいた。
そんな隼人の『不本意』な表情を読みとられたのか…少佐がクスリと笑った。
「ごめん。ごめん…。私は河上と言います。実は嫁さんは君の本部にいるんだよ」
(え!?)
隼人はビックリ…固まってしまった…。
「来てまだ二日だから知らないんだろうね。四中本部に『経理班』があるだろう?
そこで嫁さんが『班長』をしているんだ。」
(あ…)
隼人はまだ全員の名前を覚えてはいないが…一人印象的な女性がいた。
『大尉。よろしくね。私は葉月ちゃんのお姉さんみたいなものよ♪彼女を支えてやってね♪』
隼人がコピーを取りに大佐室の外を出たとき…。
長い黒髪を一つに束ねた女性に声をかけられた。
ただそれだけ。でも彼女の制服の肩には自分と同じ『大尉』の肩章が付いていたのだ。
それでビックリ…。見たところ、隼人より年上の落ち着いた女性だった。
それに…葉月ちゃん…と呼ぶ女性が一人いることで何処かホッとした瞬間だった。
まるで…そう。康夫の妻の『雪江』がそこに現れたとも思えるような雰囲気だったのだ。
しかし彼女は女性にして『大尉』という厳つさはなく…『お姉さん』と言う感じだった。
『ミツコと同じ歳ぐらいかな?同じ大尉なのに雰囲気違うな』
ミツコを久々に思い出し…そして、正反対の印象が隼人に好感を残していたのだ。
おそらく…その『女性大尉』の事を言っているのだろうと隼人は少佐にニッコリ微笑んだ。
「あの…優しそうな大尉のことですか?」と。
すると彼が「アハハ!」と笑い出した。
「そうそう。大尉だけどさ。優しくなんかないよ!お局様だからな!!」
「そんな感じではなかったようですが?」
「君みたいな可愛い男の子が来たから気取っているだけだろ。
今君を見て思ったよ。アイツはすぐに姉さん気取り…。御園中佐にだってそうだからな。」
『可愛い男の子』と言われる歳でもないが…この少佐とあの姉さん大尉二人に言われれば…
確かに隼人は『男の子』かもしれない…。と。照れて黒髪をかいた。
二人が『夫妻』といえば『ああ。なるほど』とも言える…そんな『陽気さ』を持っていて
やっぱり、『兄さん・姉さん』のようだ。
「御夫婦で本部員ですか…すごいですね…。」
「まぁ。チーム中隊だったからのご縁でね。結婚してまだ3年だよ。お互い晩婚って訳。」
どうやら。河上少佐と姉さん大尉はチーム中隊の本部員同志…と言うことで
『結婚した』ということらしい…。
確かに、隼人より歳が上の二人が結婚してまだ3年というのは『晩婚』らしいが、
二人揃って、ある程度、地位もあり、オマケに内勤族にとっては『華の本部員』。
素晴らしい夫婦としか言いようがない…。
しかしそんな、威厳はちらつかせず河上はニッコリと微笑んで席の後ろにある
『ウィリアム大佐室』に通してくれた。
「やぁ。待っていたよ」
アメリカ人である大佐がいる大佐室はどうやら『英語』が標準語らしい。
隼人は英語で丁寧に挨拶をしたが…。
「お嬢は?来なかったのかい??」
少し…荒削りの日本語が返ってきた。
葉月が隊長である四中隊では、
若い青年達は暇さえあれば『日本語』のテキストを開いている。
隼人が今まで見てきた中で『日本語上手』は
フランク中将、側近のリッキー、ジョイに…コリンズ中佐ぐらい。
後は本部でも英語の方が良く飛び交っている。
葉月に日本語で語りかける青年達はやっぱりたどたどしい口調なので
葉月は笑いはしないがいつもの平静顔で彼等に英語で答えてることもしばしば…。
国際提携基地だから『英語』は出来て当たり前なのだが
みな。日本語も体得しようと言う勢いに隼人はビックリしているぐらい。
この大佐も、日本語はまぁまぁ話せると言うところらしかった。
隼人に会わせて日本語で話しかけてくれる所なんか
やっぱり『温厚上司』としか思えなく…隼人は威厳ある隊長がいる『大佐室』に来ても
なんとかリラックスすることが出来た。
「中佐は…午後の業務に勤しんでいました。」
「そうか。お嬢にも来て欲しかったんだけどな…。」
彼がガッカリした顔をして…
(ん?やっぱりお気に入りなのか??アイツが娘のようとか??)と、勘ぐってしまった。
「まぁ。座って」
ニッコリ。ウィリアムに促されて、隼人はお辞儀をして彼が先に座ってから腰をかけた。
『持ってきてくれ』
ウィリアム大佐室は葉月がいる大佐室と同じ作りだったが…
やっぱり空気が『高官室』というどっしりした空気が流れている。
隼人が座るようなデスクにやっぱりここにも40代ほどの側近が座っていて、
ウィリアムの指示でなにやら、分厚い茶封筒を手にしてやって来た。
「これをね?フランク中将からやらせるようにと手渡されたんだ。
慣れない私の大佐室では集中力が働かないだろう??
お嬢が一緒に来たらここでやってもらって、私と供に結果検討したかったんだがね?
ショウがないね。これを持って帰ってすぐにやってくれるかい?
『採点』はお嬢にしてもらおうか??『結果』が出たら私に戻してくれるように
お嬢に伝えて欲しいんだが………私の方からも連絡は入れておこう?」
隼人はウィリアムから茶封筒を受け取って首をかしげた。
なにやら…書類が入っているようだが??
「今日中にやって欲しいから…今すぐ持ってお帰り。」
ニッコリ笑顔のウィリアムに頭を下げて隼人は封筒を抱えて
ものの10分で緊張をした訪問を終わらせたのだ。河上少佐もにっこり見送ってくれた。
『なんの書類だろう??』
開けて覗こうかと思ったが…、なにやら…葉月を差し置いて見るのは
『側近』として気が引けた…。だから開けずに持って帰った。
大佐室に戻ると…、葉月が電話応対中だった。英語でだ…。
『はい。はい。かしこまりました…。今すぐ。』
そして、茶封筒を抱えている隼人が帰ってきたのに気が付いて…。
「只今。戻ってきましたわ。すぐにやらせます。
終了次第。お知らせいたしますので…。は?
当然です。彼の実力そのものでやらせますから!!」
最後は…何故かキツイ口調だった。
「ただいま。これ…。大佐から預かって…中佐に渡して欲しいと預かりました。」
隼人が茶封筒を差し出すと、葉月はサッと大佐席からすっ飛んできた。
「やっぱり…。一緒に行けば良かった…」
葉月は隼人の手から茶封筒を受け取って『ふぅ。上手く行かないものね…』と
額に二本指を当ててうなだれたのだ。
「今の内線…。大佐から??」
「ええ。」
葉月はそう言って早速茶封筒を隼人の目の前で開けた。
隼人もそっとのぞき込んだ。
すると葉月は、二つにわけて束ねてある書類の片方をサッと手にとって
残りの片方は隼人にスッと差し出してきた。
「なに??俺にすぐやるように…って。大佐は言っていたけど…」
「昨年の…『佐官試験問題用紙』。つまり…今から『模擬試験』ってわけ。
どうやら…フランク中将の気配りのようね。感謝になくちゃ。
なかなか手に入らないわよ…。解るだけでいいから解いてみなさいですって。
ウィリアム大佐は…私があなたを甘やかさないように、
ご自分の目の前で答案して欲しかったみたいだから…。
今から。すぐに解いてみて。」
それを聞いて隼人はギョッとした。
「模擬試験??俺まだ、なんにも勉強もしていないのに??」
ロイの無茶に呆れてしまったのだ。
「いいから。ウィリアム大佐が待っているからやってくれる??」
葉月の苛ついた声にせかされるように隼人は『解った』と頷いて
パソコンデスクに戻って答案用紙を広げた。
「なんだよ。最初から解らないじゃないか??」
ため息ついてシャープペンで頭をかいたが
葉月は元の作業に戻って反応してくれなかった。
(こうゆう時は、ホントに立派な上官だな)
冷たいとかは思わなかった。
それでなくても、ウィリアム大佐が葉月は隼人には甘いだろうから、
二人を目の前に従えて模擬試験をしようとしていたのだから。
葉月がキチンと仕事は仕事と『距離』を守ってくれているのだから
隼人もそれに応えねばならなかった。
それがここの所、望んでいたことなのだから…。
すると…やっと葉月が一言。
「専門用語なんか関係ないわよ。康夫の所でしていたこと
簡単に書けばいいのよ。要は…どうゆう業務が必要かってこと…」
書類から目を離さずに淡々としたアドバイス。
しかし…隼人もそれで気が楽になってやっとペンが走り出した。
(これでいいのかな??)と思いつつ…。
葉月が言ったとおりに回答を続けた。
葉月も、ちょっかいは出さずに黙々と自分の仕事に専念していた。
シン…とした空気が二人だけの大佐室に流れている…。
隼人の集中力はそれで一点に注がれることが出来た。
問題を半分以上解いたとき…。
「よ!やっているか??」
「ロイ兄様!!」
フランク中将が自らやってきて、隼人はペン先が止まってしまった。
オマケに葉月もビックリしたのか『兄様』と連隊長をそう呼んだのにも
隼人はビックリしてしまった。
勿論。葉月も思わず言ってしまった!というように隼人をみて
恥ずかしげにうつむいて、すぐにいつもの無感情な表情を浮かべてロイを見つめた。
「お疲れ様です。連隊長。わざわざ…ここへ如何なされたのですか??」
すると。そんなかしこまった葉月を見てロイはクスリと笑った。
「なんだよ。今更遅いって言うんだよ。なぁ。澤村♪」
ロイのからかいに葉月がまるで妹の如く『プイッ』と拗ねたのにも
隼人は目を見張ってしまったぐらいだ。
「いいじゃないか。葉月。ここには誰も俺達のこと文句言う奴はいねぇよ」
「何しにいらしたの??私を見張りに来たわけ??」
「まぁな。ウィリアムが二人にやらせると渡してしまったから『どうしましょう』と
連絡よこしてきたからな。葉月のお気に入りの男だからお前が甘やかしてもな」
それを聞いて隼人は『またかよ』とガックリした。
二人きりの『大佐室』で『恋人』に近い二人がお互いを甘やかしあっていると見られ
その目付のウィリアムがやはり葉月には甘いと見たか
とうとう連隊長が様子を見に来たというわけらしい。
隼人も心外でムッとしたがそれ以上に葉月の方が感情を露わにした。
「そんな事しませんわよ!私が例え手を貸そうとしても
大尉は絶対断る隊員ですし。そこまでして良い大尉だと認められても
大尉も喜ばないし、私も嬉しくありません。
模擬試験の結果が悪かろうが良かろうが大尉の実力そのもので
今後の対策を練るのが正統と言うものなのではないのですか!?」
葉月も隼人同様…『馴れ合って仕事をしている』と見られていることは
今回かなり気にしているようで…それで先程から苛ついているのだ。
「アハハハ!!聞いたか??澤村?」
大佐席に手を叩いてロイが大笑い。
隼人もそんな風に問い返されても反応できなかった。
勿論。葉月は正統に立派に力説したのに笑い返されて益々むくれていた。
(ふ〜ん。どうやらさすがのお嬢さんもロイ兄様にはかなわないって所なのかな)
葉月がムキになってふくれているのが可笑しくなってきた。
無感情令嬢が大きなお兄さんのからかいにもてあそばれて
むくれているのだから…。
「もう!からかいに来たのならお帰りになってよ!!兄様!!」
「なんだと?連隊長自らこうしてやって来たのに追い出すのか??」
「そんな時だけ、『軍人』になるのね!解りましたわよ!!コーヒー??紅茶??」
葉月はペンをパシッと机に叩きつけて席から動き出した。
「いいか?澤村。こんな風に生意気になったらいけないぞ??」
ロイは葉月の態度を指さして隼人にニヤリと言うものだから
隼人も『はぁ…そうですか?』と苦笑い。
「兄様!兄様が言いつけて置いて大尉を邪魔しないで下さいまし!
さっきまですっごく静かだったのに!!」
葉月が食いつくとまたロイは金髪を揺らして大笑い。
葉月はとうとう呆れた顔を浮かべてキッチンに姿を消した。
「悪いな。本当に邪魔したな。向こうで葉月をからかっているから
気にせずに続けてくれ。ん??もう半分以上したのか??早いなぁ」
ロイは隼人の手元を見て感心するとまた葉月をからかいについたての向こうに姿を消した。
(フランク家と御園家は仲がいいって聞いたけど…本当だな)
隼人は康夫が…
『中将と葉月はさ。兄貴と妹って感じだから。中将も葉月の生意気にやられちゃぁ
可愛くてしょうがないってところだな♪』
と言っていたが『こう言うことか』と、可笑しくなってきて
クスリとこぼしながら、連隊長と女中佐がつつき合っているのを小耳に挟みながら答案を続けた。
『お?お前も様な手つきになってきたなぁ。リッキーには負けるがな』
『リッキーのお茶がよろしいなら、連隊長室にお帰りになればいいでしょ!?』
コーヒーの薫りが立ちこめる中…。
キッチンから、そんな会話も聞こえてきて隼人は再びクスリとこぼしてしまった。