=マルセイユの休暇=
8.揺れる気持ち
パチッ……と、目が覚めると……部屋は暗く夜だった。
彼は『勘』が良いのである……。
だから、目が覚めた途端に、人の気配を感じた。
「そろそろ、起きろ! メシの時間だそうだ!」
急に部屋のドアが開けられて、廊下の光が射し込んできた。
『う……うん』
彼の寝ていた二段ベッドの上には『澤村少佐』
彼が寝返りを打ったのか? ベッドが『ギシ……』と軋む音を響かせた。
達也は『勘』も良いが、目覚めも良い。
なので……すぐに毛布をはいで、起きあがる。
「兄さん、兄さん。 メシだってさ。一緒に行って葉月の所に行くんだろ?」
長身の達也が立つと、二段ベッドでも隼人の寝姿は目線の位置。
だけど……隼人は妙に、寝起きが悪いようでなかなか起きあがれないようだ。
本当は知っていた。だから……
「まったく。抜け駆けかよ? 一人で起きて昼間動き回っていたんだろ?」
ちょっとばかしふてくされて、隼人の身体を揺り動かしてみた。
すると──
「……なんだ、気が付いていたのかよ? いびきかいて豪快に寝ていると思ったのに」
隼人が目をこすりながら、やっと起きあがった。
「まぁね? 寝ていたけど、一度目が覚めたら兄さんがいなかったから……」
「怒っているのか?」
「別に──」
でも、そう言いながらも達也のその返事はふてくされていた。
一人で動き回るのは、この兄さんの『性分』と言う事は、登貴子が倒れたときにも感じた事。
それに……達也はもう『動き回る役』ではないので……
本当はそうしたいのだが、それが出来る立場ではない。
だから──隼人が一人で起きて外に出たと気が付いた時も後を追いかけたくても追いかけなかった。
『ふて寝』をしたのである。
でも? 達也は『ストレート』なのでその返事の声色で隼人に不機嫌を悟られたようである。
「解ったよ。悪かったよ」
「なんで謝るんだよ」
「…………」
言葉は『正統論』なのだが、どうも気持ちが声に表れてしまう達也。
「葉月、元気に目を覚ましたよ。顔色も良かったぜ? 達也はどうした? とも聞かれたよ
葉月も君と早く顔を合わせて話したい感じだった」
「別に気遣ってくれなくても良いぜ?」
「本当の事だよ。康夫のことも聞かれた……」
「……まだ、意識戻らないのかな? 昨夜、撃ち落とされてから……一日経とうとしている」
達也もまだ康夫とは着任してから顔も合わせていない。
大事な同期生、親友……。
それだけに、哀しくてそっとため息をついた。
「葉月を確認してから、ここに帰る前にICUの待合室も覗いてきたよ」
「やっぱりね。兄さんらしいきめ細かさ」
「俺? 細かくないよ。そっちだろ? きめ細かいのは……。
とにかく……日本から康夫のご両親が到着していて、雪江さんもホッとしていたみたいだよ」
「ホント!? 安心した! 雪江ちゃんが一人だなんて……心配だったんだ。
俺達が側にいても何もできないし……居てやりたいけど……
お腹が安定期には入ったとはいえ……やっぱり、大変だと思うよ」
達也がまた、ため息をつくと……そんな達也の心配顔を労うように隼人が微笑んでくれた。
「暫く、ご両親に任せて休むと言っていたよ。
ご両親も『初孫』じゃない? 雪江さんの身体いたわっていたようだから、安心して戻ってきた」
(ほんと、マメな兄さん)
と……達也はやっぱり適わないかも? と、うなだれた。
隼人も毛布をはいで、ベッドから降りようと動き始めた。
隼人が二段ベッドの梯子に足をかけようとしたので、達也も避ける。
「早くしろよ!! 側近コンビ!!」
先程、起床の合図に来てくれたフォスターが再び二人の部屋を覗いた。
「将軍達も食堂に向かったそうだぞ! 早くしろ!」
フォスターは隊長らしく叫ぶとまた……部下を起こしに隣の部屋へと出ていった。
「側近コンビって何?」
達也は驚いて、隼人を見つめた。
隼人も可笑しくなって思わず笑ったのだ。
「まぁ……そういう事にしておこうよ?」
「……なんだかな?」
腑に落ちない扱いだったらしく達也が顔をしかめる。
(そう見えたかもな? とにかく彼とはいつの間にか一緒にいる)
隼人はそう思いながら、達也と一緒に食堂へ向かった。
でも……妙に『違和感無い扱い』だったような気がして自分でも隼人は驚いたのだ。
食堂に任務隊の全員が集合していた。
達也が一緒に席を取ったのは、もちろん『第一陣』だったフォスター隊。
達也の隣には黒人のサムが陣取った。
向席には金髪の隊長『フォスター』
「なんだ? サワムラ少佐は向こうに行ってしまったのか?」
フォスターがトレイを机に置きながらサムと会話を交わしている達也に問いかけた。
「ああ……うん。空軍メンテの源中佐に声かけられて向こうに行ったよ」
そう……隼人は源達に声をかけられるとサッと達也から離れていったのだ。
達也も『元・島隊員』
源のことは良く知っている。
源メンテチームの隣はコリンズチーム。
そして今夜、入院している小池を除いた通信隊。
『アハハ!』
小笠原の空軍隊とトッドがいる通信隊は既に食事を始めていて……
フロリダの海兵員達より賑やかで明るい。
『楽しそうだね?』
その小笠原空軍隊の所に引き寄せられるように……
『総監』である亮介が細川と一緒にマイクを従えて現れたのだ。
その後についてくるように……『指揮官達』、ウィリアムとブラウン少将も一緒に席に着いた。
「賑やかだな……オガサワラのエアフォースは」
サムが将軍も居座ってしまった小笠原隊を羨ましそうに眺めたのだ。
「小笠原という所は……結構、結束固いんだよ。中隊が違っても……」
達也は昔を思い浮かべて、ポテトサラダをフォークでつつく。
別にフロリダ隊をけなしたわけでもないが……思わず口に出てしまったので……
達也はハッとして……目の前にいるフォスターの顔色をうかがった。
でも……
「そうかもな……フロリダは結構、派閥が厳しいからな……同じ師団のチームでも」
フォスターがため息をつきながら……
小笠原とは違ってフォスター達と離れて食事をとっている二陣隊に視線を向ける。
「今回の任務でそんな事、少し肌で感じた」
フォスターがふと……やるせなさそうな笑顔を浮かべてフランスパンをちぎった。
隊長の言いたいところを、フォスター隊のメンバー一同も解るのか皆……黙り込む。
「第一……他中隊のクロフォード中佐を隊長にして……
他中隊の後輩達を従えても結束していたよな? オガサワラは……
それに……あのお嬢さん……驚いたよ。まったく……『やられた』って感じだ」
フォスターはそこはなんだか楽しかった事を思い返すように爽やかに微笑んだのだ。
「ウンノ中佐は良い所にいたのですね」
緑の瞳……若いジェイが達也にニッコリ微笑んだ。
「……」
何も言い返せない。
確かに達也に取って……『一番想い出多き輝かしい時代』でもあったから……
でも──達也ももう……『フロリダの隊員』なのだ。
なんだか……フォスター隊は所属する部署ではないから浮いても当たり前なのだが……
フォスターもジェイも……『小笠原の隊員』として扱っているようで居心地悪さを感じた。
「お嬢さんに今から会いに行くんだろ? 宜しく、お大事にと言っておいてくれよな!」
サムは豪快に食事を進めていて、周りの雰囲気も気にならない様子。
そういう所、細かくないので任務中にも達也とはアッという間に『意気投合』した男だ。
それに──なんだかすっかり……『じゃじゃ馬嬢の虜』になったようで達也はため息をついた。
「輸血献血、一番乗りだって言っておくぜ」
しらけた視線で嫌みたらしく言ったつもりだったのに……
サムは大喜び! 『是非是非』と達也の背中を太い腕でバンバンたたくのだ。
ヤレヤレ……である。
「ウンノ。勿論、御園将軍と一緒に帰るだろ?」
フォスターが急に神妙な顔つきで達也に尋ねた。
「ああ……うん。。」
それは……『葉月の世話を隼人と協力してから帰る』という事を言っているのだと達也は思った。
だが……そんな話は亮介からも聞いていない。許可も得ていない。
登貴子が、さも当たり前のようにチラリとは言ってくれたが……それも確かじゃない。
もっと言うと……元義理父のリチャード=ブラウンが居る目の前で
そんな事やりにくかった。
心は……葉月が元気に小笠原に帰るのを見届けたい。
だけれども……現実はそうじゃない。
現実は……達也にそんな役はあってはならないのだ。
心が揺れた……。
自分はフロリダの人間になりきれず……
そして……もう、小笠原の人間でもないのだ。
賑やかな小笠原隊が固まっている席に達也は振り返る。
細川とウィリアム大佐を従えて亮介が楽しそうに小笠原の面々と食事をとっている中……
副総監として付き添っているブラウンがひっそり微笑んでいた。
(ゴメンな……ダディ。俺が中途半端だから……)
娘を『捨てた男』が心に残している女性……その父親が先輩。
どんな心境でブラウンが黙って食事をしているかと思うと……
そんな『亮介のお供のように帰還』したい事は……自分勝手な我が儘に達也は感じたのだ。
そんな揺れる気持ちを噛みしめながら食事を終えて、達也はトレイを厨房に返す。
すると……
「達也君。一緒に行くね?」
いつの間にか、亮介が後ろに立っていてドッキリ! 達也は振り返った。
「オヤジさんたら……相変わらず気配を感じさせないんだから……」
「おや? 勘の良い達也君にそう言われるとは光栄だね」
亮介が得意そうに口ひげをつまんで胸を張ったので達也も微笑んだ。
「俺……行って良いのかな?」
達也はチラリとまだ食事を取っているブラウンを確かめた。
「……気にしているんだね?」
そこは敏感な亮介に見抜かれたが……達也は否定しなかった。
アメリカで登貴子が『ママ』なら亮介は『パパ』のような存在。
長年の親しい付き合いもあって、本心を隠すつもりもなく……
離婚したことを深く追求された事はないが、
すべて……御園夫妻には見抜かれていると達也は解っていたから。
「まだ……葉月には言っていないんだね?」
「……はい」
達也が珍しく暗く瞳を伏せたせいか、亮介が致し方なさそうに微笑んだ。
「……好きなようにしたらいい……達也君が決めた事。葉月は何も言わないよ」
「……言わなくても。きっと気にすると思うから」
「言いたくないなら……いずれ、私から告げるよ」
「…………」
そんな達也を元気付けるように亮介が大きな手で肩を叩いてくれた。
「私と一緒に行こうね。隼人君は……自然に一人でも来るよ」
その亮介の気遣い。
亮介が連れていけば……後輩のブラウンは何も言わないだろう……。
そんな所に甘えてしまう自分もどうかと思うのだが……
葉月とは一度は顔を合わせておかねば……帰るに帰れない。
なんと言っても、『負傷』させた責任はライフルを撃った達也の選択にある。
例え、葉月本人が了承し、側近の隼人が側で同じ作戦を了解したと言ってもだ。
彼女に一言……
『撃つハメに追い込んでゴメンな』
それだけは言ってフロリダに帰りたいからだ。
だから……達也は亮介の言葉に甘えて、そのまま一緒に食堂を出た。
側近のマイクはついてこなかった。
『マイクは?』と亮介に尋ねると……
「ああ……色々と私の代わりに良和と手配にかけずり回らなくてはいけないからね?
私も葉月を確認したら再度、戻るつもりだよ。
ああ……そうだ! 小笠原、フロリダ両隊とも任務後の『特別休暇』が出るんだよ。
私も任務隊帰還の手配が整ったら総監は解任だから、フランスに残る予定なんだ。
葉月がいつ退院できて、いつ小笠原に帰還できるかこれも手配しないといけないし
達也君も私と登貴子とマイクと一緒に帰るだろう??」
食堂を出て、外へと出るため廊下を歩く中……
亮介がやっと……当たり前のようにその話を進めるのだ。
「…………」
嬉しいはずなのに……望んでいるのにすぐに返事が出来なかった。
「達也君?」
亮介に感づかれてはいけない。こんな『揺れる気持ち』
「そうだね! オヤジさん!!」
目一杯の笑顔で答えると亮介がホッと安心したように見えた。
(……俺、どうしたんだろう??)
達也は嬉しいのになんだか心苦しい思いに急に挟まれた自分に気がついた。
(どうしよう?)
色々な思いが急に駆けめぐった。
葉月を見送りたい。
だが……それは……
彼女とその新しい恋人が笑顔で帰還することを見送る事になる。
それにも初めて気がついた!
二人にとって今回の『任務』は大きなステップに違いない……。
その二人の『新しい門出』を達也は見送る事になるのだ。
そうして……フロリダに一人帰るのだ。
……急に虚しさ、寂しさに包まれた気持ちになった。
岬から帰ってきて眠りに付くまではこんな事思いつかなかった。
それだけ……事は終わり、落ち着いてきたという事なのだろうか?
達也は、娘の元に足を運ぶことに妙にご機嫌な亮介の後ろでまたそっとため息をこぼしたのだ。
亮介とHCUに辿り着いた頃──
「お父さん……海野中佐!」
隼人が後を追ってきたのか、二人に追いついたようだ。
「隼人君──ゆっくり休めたかい?」
「はい。お陰様で──」
亮介の穏やかな笑顔に隼人もニッコリ。
(よくいうよ……二、三時間しか寝ていないだろ?)
それでも隼人は疲れた表情など微塵も見せない。
その忍耐力にも達也は唸ってしまう……。
亮介がインターホンにて入室許可を取ると、二人の青年も一緒について入る。
『ママ、もういらない』
『なぁに? お腹空いているって言っていたじゃない?』
『ゼリーみたいなのが食べたい』
『まぁ……我が儘ね?』
『隼人さんと買い物に行ったんでしょ? 買ってきてくれるって彼言ったもの……』
『本当に我が儘ね? そんな暇なかったのよ……我慢しなさい』
『だって……美味しくないんだもの』
『葉月──あなた、本当に隼人君に甘えてばかりなのね?? 困った子ね?
そんなに楽しみにしていたの?……彼も疲れるでしょ?? 本当にもう……』
『彼は言った事は、ちゃんと守ってくれる人だもの……』
そんな母娘の会話が聞こえてきた。
「やれやれ──『ママ』にはいつも通り我が儘だな」
亮介がそれでも……そんな娘を確認して嬉しそうに微笑んでいた。
「兄さん、そんな約束しておふくろさんと買い物に行ったのか??」
達也は、ふてくされて隼人に追求すると……彼がすこし強ばった表情を灯した。
「……いや、売店までね? でも、お母さんに無理矢理寝るようにって帰されたんだ」
隼人が、歯切れ悪く言い訳たように聞こえた。
「買ってきてやれよ? じゃじゃ馬、約束したって待っているみたいじゃないか?」
「そうだな……昼間、フランス通貨に少しばかり換金したから行ってくる」
隼人がそう言うと、亮介も『悪いね? 我が儘な娘で……』と労って送り出したのだ。
だから──
達也は亮介と二人で……葉月の病室に入ったのだ。
「達也!」
達也を確認するなり、葉月がかなり驚いた顔をして食事をする手を止めたのだ。
「お祖父ちゃん♪ お腹空いた!」
真一も祖父が来るなり、待ちかまえていたように抱きついたのだ。
「おや? ここにもおねだりオチビさんがいたのか?」
亮介も本当に可愛くて仕様がないとばかりに真一の頭を撫で回すのだ。
たまにしか会えない孫だけに、こちらのアメリカ祖父母はどうやらなし崩しに甘いようだ。
「じゃ。じいとレストランに行くかい? じいは先に食べたから食後のコーヒーでもしようかな?」
「わーい♪ わーい♪」
真一はすっかり行く気になっていたようだ。
そんな相変わらず、無邪気な真一を見て達也がニッコリ微笑むと
葉月もニッコリ微笑んだのを確かめて達也はホッとした。
「ママ、ママもお腹空いたでしょ? パパと行ってきたら? ね? シンちゃん」
葉月が『パパ・ママ』と自然に言っていたのに気が付いて達也は驚いたのだが……
「そうだよ! じきに兄さんも来るだろうし……俺が葉月見ていますから……」
達也がそう言うと……登貴子も信頼できるのか……
「そう? じゃぁ……達也君と隼人君に暫くお任せしようかしら?」
登貴子はホッと一息ついて、夫と孫と一緒に出かける気になったようだ。
そうして……御園夫妻が孫を挟んで楽しそうに病室を出ていった。
達也もあんな明るい亮介と登貴子を見て一安心……。
一息ついてベッドの横にあるパイプ椅子に腰をかける。
達也と二人きりになった葉月は……急にしっかりした顔つきになって
母親に聞き分けなく困らせていた食事を真面目に始めたのだ。
「昼間、兄さんが来たんだって? 顔色良かったと聞いたけど……本当だ。
良かった……元気そうで……」
達也が微笑んでそういうと、葉月が無表情に動かしていたフォークをトレイに置いた。
「達也……謝らなくてもいいからね」
彼女が見慣れている無機質な表情でそう言ったのだ。
やはり──この元・パートナーである女は達也の気持ちなどお見通しのようで、改めて驚いた。
「……そうだけど……一言、謝りたくて……『ゴメンな』
あの時……犯人に捕まるようなことさえ俺が阻止していたらこんな事には……」
「そうやってまた自分一人を責めるのね」
また、葉月が無表情に呟く。
「俺は……」
「──あの時も、今回も全部、私の『台風』よ。そう言ってよ。
『それに巻き込まれたんだ。じゃじゃ馬にはやられっぱなし!』っていつもみたいに言って?」
葉月はその時……やっと達也にたまにしか垣間見せてくれなかった穏やかな笑顔を向けたのだ。
それを見ると……いつも達也は、なし崩し。
そう、もしかするとこんな彼女に甘えていたのは自分じゃないか? と、思わされるのだ。
「ねぇ? 達也……こんなものよ。私達」
「え? こんな物って??」
「どちらかが傷ついたのを、いつも自分のせいだって思って……
私のせい、俺のせい……そう言い合うだけ……どうして達也は私を責めないの??」
「責めてどうするんだよ? いつも最後に傷ついて終わるのはお前の方だから!」
「それを達也自身のせいにするはやめようねって言っているの」
葉月がまた無表情に食事を始めた。
「……一つ、聞いていいか?」
「なに?」
「お前、少佐に……俺と別れた本当の理由……告げているのか?」
達也が少しばかり言いにくそうに声を絞り出すと……葉月のフォークの動きが一瞬止まった……。
だが、それは一瞬ですぐに動いた。
「……達也じゃない父親の子を産もうとした、死産で産んだ。それだけ……は」
「一生言わなくて良い」
達也がそう言うと、葉月がフォークをトレイに置いて達也を驚いたように見つめたのだ。
達也もその視線からは逃げずに真っ直ぐに葉月を見つめる。
「でも……いずれは。そう思っているけど」
「そこまで言っているだけで充分じゃないか? それ以上は関係ないよ」
「関係ないって……事実は事実だし」
「だから! あれは……『レイプ』じゃなくて……」
達也がそこでこれ以上は言えなくて……言葉を止めると葉月の表情が止まる。
「ごめん……言葉間違えた……。
あれは『無理矢理だったかも知れないけど最後は父と母の想い出は出来た』ってだけじゃないか?
ただの……お前の男との過去の一つじゃないか??」
「──!? 達也? どうしたの?? 怒っていたじゃない……あんなに……」
「お前、ほんっとうに男の事、解っているのか??
たとえばさ……『レイプ』されたとしても、そりゃ悔しかっただろうさ??
だけど……その方が救いがまだあるんだよ……」
「え? 達也……?」
「俺が悔しかったのは……お前とあの男が……最後に子供のためと協力しあって……
命がけになったことだよ……。あの男はその為に死んだんだろ??
それから……二ヶ月の間……お前が行方不明の間……
その男も結局、お前を愛しちゃったワケだ……。結局、最後にはお前とさ……
父親とか母親とか……そういう分かち合い残しちゃったんだモンな……
俺──あの時はまだ24歳で……若かった。何が悔しいのか……全然解らなかった。
あと……一つ、それでもお前が『達也、パパになって』と泣いてすがってくれなかった事だ。
すがってくれたら俺……お前の子供だ。覚悟はあったのに……
お前、『一人で育てる』って意地張ってさ……俺なんかいてもいなくても同じって感じで
だから……」
達也がそこまで言うと……葉月がかなり驚いた顔をした。
「……どうして? 今頃??」
「……若かった……その一言では片づけられないかもな……
でも……俺、バカだから……数年かけてやっとそう思えるようになった。糸が解けたんだ。
自分の気持ちに……お前と離れて初めてな……」
達也がにっこり微笑むと……
「う、うう……」
「葉月??」
葉月が急に顔を覆って泣き始めたのだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい……やっぱり、私が悪かったの……
達也のせいじゃない……私が自分勝手だったの……。
達也のそんな気持ち、無視して……解ってあげられなかったのは私の方!」
彼女が……そう言ったので達也も胸が詰まって……椅子から立ち上がる。
「だから! 俺があの時、何が何でもお前の側に居れば良かった事で!」
「だから!」
葉月も両手を顔から除けて、立ち上がった達也を今度は輝く瞳で射抜く。
達也もその目で射抜かれると言葉が出なくなる。
「だから……もう、やめよう? 自分を責めるのも……相手を責めるのも……」
「葉月……」
「元に戻ろうよ……達也。今だって達也の事、大好きよ。
本当に……信じていたの。達也なら絶対に犯人の手から私を解放してくれる。
達也なら……躊躇わずに私ごと、犯人を撃ってくれる。
それは……他の隊員じゃダメ。達也のように私の事、良く知っている思い切り良い男じゃないとダメ。
達也……本当に、私の思っていること離れていても解っていてくれて嬉しかった。
この負傷は……私とあなたが本当に解り合っていた証拠だと思っているの……
傷跡は残るってママから聞いたけど、ママにもそう言ったわ
ママも笑って『そうね』って言ってくれた……大切にする……この傷」
「葉月──」
こんなに気持ちが洗われるとは達也も思っていないくて……
彼女に一歩近づいて……思い余って抱きしめたくなったぐらい。
でも──
「ただいま……そこでお父さんとお母さんと真一にすれ違ったよ。
食事に行くって……楽しそうだった」
隼人が戻ってきたのだ。
達也は……残念だったような? でも、隼人が戻ってきてホッとした気持ちも半分……。
また、パイプ椅子に座ったのだ。
でも……葉月が泣いている顔に隼人はすぐに気が付いたらしくて……
「お邪魔だったかな? 積もる話でもしていたの?」
悔しがるわけでもなくサラッと笑顔で申し訳なさそうに言ったのだ。
「べ、べ、別に? じゃじゃ馬が勝手に泣き出してどうしようかと……」
達也は腕を組んで、椅子の上で偉そうにふんぞり返ると
葉月が『くす……』と笑ったのが聞こえた。
「ほら。約束していた冷たいデザートだよ。 なんだよ? 全然、食べていないじゃないか?
病院食は味が薄いけど、栄養のバランスは整っているんだから……」
隼人がいつもの『お小言』を始めたので途端に葉月がふてくされた。
「解っているわよ! ちゃんと食べます」
「食べてから、デザートだ。それまではお預けだ」
「本当にいっつも偉そう!」
「あ! また言ったな! そう言えばあの喧嘩の続きがあったな!」
二人のいつもの『調子』なのだろうか? と達也は思わず眺めてしまった。
「それ、なんのデザート?」
「まったく。お前、本当に食い気だな! クレームババロアだよ」
「わ! 美味しそう♪」
「そう思うなら、ちゃんと食べろよ!」
「わ、解ったわよ……」
兄様側近に結局丸め込まれて葉月が渋々フォークを手に持ったのだ。
(ホントに……この兄さんたら!)
やっぱりこの男は葉月を動かせるのだと、急に腹立たしくなったり……。
でも──
(これなら……安心してフロリダに帰れる)
そうすぐに素直に心に浮かんだ。
それが……切なくて、虚しいことでも……。
今、たった今……短い時間でも……
葉月とあの時のわだかまりは解けた──。
しかし……もう一つ、やって置かなくてはならないことがある……。
だから──
「兄さん……ちょっと、付き合ってもらえるかな?」
「? 何?」
葉月の食事を見守って立ちつくしている隼人を達也は外に連れ出そうとする。
「いや、頼みたい事があって……」
「?」
葉月も訝しそうに達也を見上げながら食事を進めていた。
「そう?」
隼人は葉月をチラリと流し目でみたがサッと逸らして達也を見つめる。
だけど、そんなじゃじゃ馬にお構いなしで隼人から病室の外に足を向けた。
達也もそれに付いて……そっと隼人と共に外に出たのだ。