=マルセイユの休暇=
7.オチビうさぎ達
急ぎ足で隼人は一階のロビーまで階段を駆け下りる。
民間専用の出口の回転扉を急いで抜けて……
久振りの町並みに飛び出す。
飛び出したが……隼人は辺りをただ見渡すだけ。
センターの入り口から少し離れている警備員が
構えているゲートも飛び出してキョロキョロと町並みを見渡す。
「ハヤトじゃないか!?」
「あ!」
声をかけてくれた警備員……
そう……一年前、葉月をかなり意識していたあの警備員の彼だった。
「久振り──……と、言いたいけど今それどころじゃなくて」
「なに? 何かあったのか?」
「お嬢さんの甥っ子が……外に出てしまったらしくて。
覚えていないか? 栗毛の……ジーンズ姿の彼女に少し似た男の子」
「……栗毛だと沢山見るからな……あ? その子、青いシャツ着ていなかったか?」
「着ていた! 青いチェックのシャツ!」
隼人は彼の記憶にすがるように……ゲートの警備室に飛びついた。
「この時間帯に、学生のような男の子が出ていったからちょっと目に留まったんだ
その子なら……左に曲がっていったぞ……なんだか急いでいたようだけど?」
流石、警備員──そういう感覚で沢山の人を確認しているだけある!──と、隼人は感謝!
「メルシー! 後でゆっくり──」
「いいよ。どうせ、俺のことなんか忘れているさ!」
警備員の彼はからかい半分、隼人に苦笑いして外に送り出してくれた。
日本へと行ってしまった知り合い。
隼人は黒髪で数少ない日本人、フランス基地では康夫と共に有名な男だから
誰でなくても皆、知っているのだ。
「忘れてなんかいないよ! 俺、覚えていただろ!!」
隼人が手を振りながら、叫んで走り去っていく……。
『ハァ……ハァ……』
隼人は懐かしい町並みを堪能する気分ではなく……
だが、良く知っている道をあちこち走る。
(何も知らない町並みだ……そう、遠くには行っていないはず!)
隼人が住んでいたアパート……
ソニアママンがいる葉月が泊まったホテルアパートがある通りとは真反対の通りだ。
ホテルアパートがある通りはすこし静かなのだが
こちらは民間の出口があるだけあって繁華街。
結構店が並んでいて人も結構沢山いる。
そんな中で、真一が一人で買い物なんて出来るはずがない。
真一だってどちらかというと『慎重派』だ。
なにも解らない外国に飛び出すわけがない……。
そう考えているうちに……
(何? 葉月が余程の物を頼まなければ……真一が動くはずがない)
急にそんな風に悟って……走る足が止まった。
葉月が我が儘を言えば、意外としっかりしている真一が……
『葉月ちゃん、今はそんな事言っても駄目だよ! 我慢しなよ!』
そう言いそうじゃないか?
もしくは……
『お祖母ちゃんが帰ってきてからにしなよ!』
そう言いそうだ。
隼人は、足が止まって……日差しの中、息を切らしながら額の汗を拭った。
(なんだよ……また、この違和感……か?)
そう──先月、葉月が裸足で外に飛び出した後も……
あの若叔母と甥っ子の間だけで何かが動いている。
(真一が『母親の死の真実』を知ってから……知ったと解ってから何かが変だ)
そう──『二人揃って何か隠し事をしている』
それは解っていたし……
葉月が裸足で飛び出した事……。
『お前……誰を捜しに行った?』
そう思った……。
そして──任務中にも思った事……。
『その男……何処の誰だ!』
葉月が心の奥に残している男は『生きている男』だと……隼人はもう解っている。
それが……『真一』にも関わっていると?
そんな気が急にした。
日差しの中走った汗が……急に『冷や汗』に変わる……。
(まさか……もう一人『兄貴』みたいな男がいるとか!?)
だが──達也も言っていたように……
『葉月のお兄ちゃまと言えば……『右京さん』と『真さん』の事だろ?』
他に? ロイもいるが……ロイはいつだって葉月の側に小笠原にいるし
今だって……リッキーと一緒に大切な会議に出ているところだ。
もし──その男が本当に『存在』するとして……
葉月とはなにか異性的な関係でも……『真一』とは? どんな関係なのか?
叔母と甥っ子が揃って隠す、通じ合う何かとはなんなのか??
『…………』
日差しが傾いてきた町並みの石畳……蜃気楼……。
ユラユラと隼人が見慣れている町並みが熱気の中揺れている。
膝に手を付いて……また、額の汗を拭った。
(何故? それなら……何故? その男を葉月は選ばないんだ?)
何故? 隼人という地味で何も取り柄のない男など……
(いや……何かあるんだ。だから……葉月は心を開かないのかも?)
それが自分にとって都合のいい解釈なのかどうかは今の隼人には解らない。
でも──ここで葉月を怒り任せに手放すことなど簡単だ。
簡単なんだけど……。
「…………答えなんて、自分自身が良く知っているじゃないか?」
隼人は膝に手をついて……一時、頭を石畳にうなだれて、でも……笑っていた。
「それ……何とかしないと、どの男とも一緒じゃないか?」
だから──葉月と別れてしまった男が数々いるのじゃないか?
それを解って……フランスから出てきたのではないか?
(海野中佐は……どうだったんだろう? 同じ事考えたり感じたりしたのだろうか?)
なんとなく……いつの間にか彼と自分を並べていたりする。
そうして……そっと立ち上がると、蜃気楼の熱気の中……
青いシャツをはためかせてゆっくり町並みを見上げながら向かってくる少年が目に付いた。
「真一!!」
隼人が叫ぶと、人並みの向こうで、真一がふと我に返ったように立ち止まった。
そして──
「隼人兄ちゃん♪」
隼人を見つけて、なんだか嬉しそうに駆け寄ってくる。
いつもと同じ、無邪気な瞳を輝かせて。
何事もなかったようで隼人もホッとして真一に駆け寄った。
真一が両腕に大事そうに抱えている物に視線が行く。
「……? それ? 葉月に頼まれた『買い物』って?」
「え?」
隼人と向かい合った真一が隼人を『キョトン』と見上げた。
「?? あれ? 葉月が真一に買い物を頼んでしまって……
一人で外に出したのが心配だから迎えに行ってくれって言われたんだけど」
「……ああ……」
隼人がそういうと、真一がなんだかちょっと大人びた穏やかな笑顔をこぼして
腕の中の小瓶をそっと優しく撫でたのだ。
その小瓶の中には青と黄色の熱帯魚が泳いでいた。
「……葉月ちゃん、そう言ったんだ」
真一はまた、一言呟いて……黙り込んだ。
「そうだよ! まったく、しょうもない叔母だと叱ったところだよ。
慣れていない十代の少年を一人で異国の街に買い物に行かせるなんて──!」
隼人がそうふてくされながら、買い物を上手く済ませた様子の真一の肩を
労うように抱くと……
「違うよ。俺がね? お祖母ちゃんがいない間、退屈で……
『外に出たい』って我が儘言ったんだ。
葉月ちゃん、動けたらたぶん、身体事止めていたと思うけど
葉月ちゃんが起きあがれないのを良いことに……お祖母ちゃんにもらったお小遣いで
葉月ちゃんの病室に飾る花……買ってきてあげるって飛び出したんだ。
そうしたら──これ見つけたから……この方が良いかな?って……」
「え? そうなの??」
真一がそっと優しく微笑みながら腕の中の小瓶をまた撫でた。
葉月と真一の言い分が食い違っている。
葉月は『買い物を頼んだ』と言い……
真一は『我が儘言って、勝手に飛び出した』と言う……。
それとなく、お互いをかばったようにも隼人には思えたのだが……
「どうだった? 初めてのマルセイユ冒険」
大人の葉月になら、顔に出せるのだが……
まだ幼い真一にはそんな隼人の『男としての疑惑』を悟られたくないし
悟られたと……真一が気に病んでもいけないから、何も感じなかったように微笑んでみた。
「うん! あのね? 海が見える公園まで行って来たんだ! すごく綺麗だった!
町並みも屋根とかお店の軒先とかカラフルだね!」
「なに!? あの公園まで行って来たの!? ちょっと離れているじゃないか??
花屋なら……もっと近場にあっただろう??」
「え? うーん……何か他にいいものないかなって歩いていたら……そこまで行っていた」
真一が驚く隼人に苦笑いをこぼす。
「……まぁ、いいか……。大物だな、真一は……!
今、見つけたときも……全然人並みの中、溶け込んでいたモンなぁ」
隼人がそう言って笑いながら真一の栗毛を撫でると真一もいつもの可愛らしい笑顔をこぼしてくれる。
「へへ♪ いろいろ得した気分!」
「?? なに? ご機嫌じゃない?」
隼人は妙に元気な真一に眉をひそめる。
「うん♪ この魚を買ったところのおじさんが面白い人だった!」
「?? 何処で買ったの?? 言葉、通じたのかよ??」
「え? ……内緒」
真一はそう言うと可笑しそうに一人でクスクスと笑うのだ。
隼人はまた……なにか違和感に襲われたのだ。
(……こんな小瓶に入っている魚売っている店、あったかな??)
元・住民の隼人は真一が歩いていた通りの店を一通り思い浮かべたが……
「早く、帰ろう? 隼人兄ちゃん! 迎えに来てくれて有り難う!」
元気良く真一が歩き出したので、隼人も置いてかれまいと歩き出す。
今度は……
『誰かに会いに行った?』
そう思ってしまった……。
「ねぇねぇ! 隼人兄ちゃん! 葉月ちゃんとあの公園で『デート』とかした?」
いつもの『おませ』な突っ込みに隼人は、前につんのめってしまった。
「し・していないよ! 第一、こっちにお嬢さんが来ていたときは
『タダの仕事仲間』……デートなんか……」
「したんでしょ? 何処行ったの? 俺も連れていって〜♪
そうゆう所はきっと、素敵なところなんだ♪」
「……もう、小ウサギには敵わないよ……」
「小ウサギってなんなの? いっつも!」
「内緒──」
無邪気にまとわりつく小ウサギがやっぱり愛らしくて隼人の中に起きた疑問は
また……霞んでいってしまう。
マルセイユの町並みを二人は基地へと向かって戻って行く。
「ただいま!」
真一を連れて、HCUの葉月の病室に戻ると……
登貴子がもう、戻ってきていた。
「こら! シンちゃん! お姉ちゃんとお留守番していると言ったじゃない?
お姉ちゃんが我が儘言ったらちゃんと止めてくれないと!」
登貴子が目くじらを立てて出迎えたのだ。
「違うモン……葉月ちゃんが頼んだんじゃなくて、俺が飛び出したんだモン……」
真一はお祖母ちゃんに叱られて少しばかり『しょんぼり』はしたものの……
隼人にも言った事と同じ事を祖母に告げていたのだ。
「もう……隼人君? あなたも休んでいなくちゃ駄目じゃないの?
今度は、あなたが倒れるわよ?
でも──ごめんなさいね? 有り難う、真一を迎えに行ってくれて……」
登貴子がにっこり、微笑んでくれたので……隼人はまた、硬直!
「いえ……その、構わないんですよ。僕も心配で……」
「母様? 誰が倒れたの?」
隼人が覗くと……葉月は枕をクッションにして半身起きあがっていた。
「いえいえ──誰も倒れていないわよ! ね? 隼人君、真一?」
登貴子が目配せをしたので……
隼人と真一は、今は安静の葉月に心配をさせまいとした『母心』と思い……
顔を見合わせて繕い笑いを揃ってこぼした。
「隼人さん……有り難う……『ママ』とはもう?」
『お話をしたの?』と言うような葉月の不安そうな顔。
「ああ……『ママ』とご挨拶は済んだよ。優しそうなお母さんで……羨ましいよ」
心にある事を素直に言ったつもりが……
『母はいない恋人』を良く知っている葉月が申し訳なさそうな顔をしたのだ。
でも?
「あら? 結構、口うるさいババ様よね? 隼人君」
「いえいえ……」
「あなたも、葉月と一緒に帰るわよね? 『男手』があると助かるからそうして欲しいわ?」
登貴子がそれとなく……『娘の恋人』として扱ってくれた。
隼人はやっぱり……『敵わない。すごいママンだなぁ』と感心。
母親の『寛容さ』を耳にして葉月は安心したのかそっと微笑んでいた。
「ママ……あのね? 彼ね? 側近なんだけど……」
それでも言葉で『ケジメ』を葉月が付けようとしたのだ。
「葉月……感謝しなさいよ。お休みもしないで、あなたに気遣ってくれて……
こんな『彼』が出来たなら、どうして早く教えてくれなかったの?
フロリダからすっ飛んで来て損したわ。お陰で『押し掛けママ』って彼に恥かいちゃったわよ」
登貴子が自分のバッグの中を整理するフリをして……娘の目も見ずに呟いたのだ。
「ママ……」
「お母さん……恥だなんて。娘の為にすっ飛んできたって母親の鏡ですよ?」
隼人がそういって『母』としての行動に感心を伝えたのだが……
「でも。隼人君のお母様には敵わないかも知れないわ。
でも──その分、私もこれから『努力』しますから娘共々『宜しくね』?」
登貴子がニッコリ……隼人に微笑んだのだ。
隼人は驚いてまた、頬を染めたのだが……違う感動が身体に走ったような気がした。
そして──その言葉。
葉月と隼人は顔を見合わせた。
『お母さんは……』
『ママは……』
『隼人の母が生存していないことを、もう……知っている』──と。
もう──何もかも知っているのだろう。
そして──これからは自分が二人の母になると遠回しに言ったような気がした。
だけど──それをあからさまに口にすると、
生みの母に対して『出過ぎる行為』と登貴子も心得ていると……
二人一緒に見つめ合う視線の中で『確信しあった』のだ。
「こちらこそ……お母さん、ご迷惑お掛けします……」
隼人がもう一度丁寧に頭を下げると登貴子もニッコリ……。
そして──
「仲良くなりついでに……葉月? 彼をお買い物に連れだして良いかしら?」
「え? でも……彼、宿舎で休まないと……」
「僕は構いませんけど?」
「外に出たいの。売店じゃ買えない物があったから……元・住民さんに案内して欲しいわ」
「それはお安いご用ですよ♪」
隼人がニコニコ了解をすると、なんだか葉月がふてくされたのだ。
「ママ! 彼、疲れているんだから!」
「あら? たった今、外に真一を捜すよう使った『上官』が何言っているのかしら?」
「あ。葉月! 冷たいデザートでも買ってきてやるから!」
突然、険悪な火花を散らした母娘に隼人はたじろぎながら、葉月に取り繕う。
なんといっても、黒髪のママンのお供……『やってみたい』気持ちがあったのだ。
「そぉ?」
葉月はそう言いながら……真一がシャツの中に隠している物が気になっているよう?
真一は病室に入るなり、葉月を驚かせたいのかシャツを脱いで
その青いチェックの布で『お魚小瓶』を、包み隠してしまったのだ。
「じゃぁ……今度こそ、大人しくしていなさいよ? オチビさん達」
登貴子の諭そうするママの眼差しに二人の『ウサギ達』が
素直にこっくり頷いたので隼人は、思わず笑いそうになって──でも、噛み殺した。
『オチビうさぎ達』はお留守番を命じられて、隼人はママンのお供へと外に出た。
「買い物なんて嘘よ」
病室を出るなり登貴子が急に真顔になって隼人に囁いた。
「え?」
「売店に買い物に行ったのは本当だけど……産婦人科に行って来たの」
「!!」
本当に、人知れずにしっかり動いている母親に隼人は驚いた。
しかし──本当に『流石』である!
「女性の先生が運良く見つかって……
今夜の診察の際、それとなく検査してくれることになったわ
結果は明日よ……いい?」
小柄な登貴子が、背の高い隼人を下から真っ直ぐに眼鏡の奥から見つめたのだ。
「はい……解りました」
どんな結果が出るかと思うと……やはり、落ち着かない。
期待が当たれば、それは哀しみ。
期待が外れたなら……偶然にすら『コウノトリ』はそっぽを向いたことになるから……。
「大丈夫よ。きっと──ね……」
登貴子はそう微笑んで、柔らかな小さな手で隼人の腕をさすってくれたのだ。
こんな暖かみ……。
マリーママンと別れてから……久振りに感じた感触……。
隼人もそっと安心の微笑みを浮かべると登貴子も微笑んでくれた。
「ですが……彼女と『デザート』の約束してしまって……」
「そんなのどうだって良いわよ? 我が儘な末っ子。放っておきなさい」
登貴子が余裕の微笑みを。
隼人はこの女性にかかったら、あのじゃじゃ馬も世話なさそう? と苦笑いを浮かべてしまった。
流石……じゃじゃ馬のママといった感じ。
顔の輪郭に瞳の輝き……。
そんな『ムード』は、もしかすると『母親似?』と隼人は頭にかすめてしまった。
「でもね? 明日、やっぱり外に買いに行きたい物があるの。
あなたがゆっくり休養が取れたら、ご案内して下さる?」
「勿論ですよ! 任せて下さい♪ 15年住み慣れていた庭ですから!」
登貴子のこの上ない『微笑み』に、隼人はドッキリ……。
そこには、まだ恋人である娘が備え切れていない
『優雅な大人の微笑み』が漂ったような気がしたのだ。
それに……ホッと一安心……。
(なんとか認めてもらえたみたい……)
そんな隼人に登貴子が
『葉月には上手く言うから、もうお休みなさい。夜、達也君といらっしゃい?』
と……そっと優しく見送ってくれたのだ。
優雅でしっかり優しいママンにそう言われると、隼人も『男の子』
オチビうさぎ達とそう、変わりはない。
こっくり素直に頷いて……今度こそ、安心して眠ることに決めたのだ。
「逢えたの?」
オチビうさぎ達はオチビ同志でこちらも大人達が都合良く出ていって『密会』が始まる。
葉月は、パイプ椅子に座り込んだ甥っ子を不安げにベッドから見下ろした。
すると……甥っ子は栗毛をかき上げて、なにやら疲れたため息を。
そして──
「これ……」
着ていた青いチェックのシャツを脱いでしまって、
そこに隠されていた物が葉月は気になっていて仕様がなかった……。
それを、やっと甥っ子がチェックのシャツの包みから出したのだ。
「それ!!」
真一が差し出した『小瓶』を見つめて、葉月が過剰な驚きよう……。
「どうしたの? オヤジがくれたんだ……。
そうそう──『俺が今日捕ったと言ってくれれば良い』とか言っていた。
それから……俺に世話しろって……偉そうに!」
「そんな話もしたの!?」
葉月はさらに驚き、叫んだので真一の方がのけ反ってしまう……。
「したけどさ……この前と一緒だよ。お互い『クソオヤジとボウズ』だからさ」
だけど──葉月はその小瓶を……ジッと見つめて
妙に切なそうに瞳を潤ませたのだ。
(? 何かあるのかな??)
父親から義妹の『見舞い品』として持たされた物だから
真一はそっとその小瓶を葉月に近寄ってベッドの膝元に置いた。
すると──
葉月はその瓶を頬に宛てて、そっと優しく微笑んだのだ。
「お兄ちゃま……夢じゃなかったの?」
真一はかなり……驚いた……!
その葉月の声を何年ぶりに聞いたことか??
その『甘い幼い声』
『真おにいちゃま!』
真一の育ての親、実父の弟──真……。
葉月はその真には可愛らしく微笑み、心から慕っていた事、幼心に鮮明に焼き付いている真一。
初めて逢った葉月は少年のように凛々しく紺色の訓練生制服に身を包んでいたのに……。
真の前では、シンプルでも少女らしい膝丈のワンピースを着込んで
本当に……『妹』のように慕っていた。
勿論──真もそんな葉月が可愛くて仕様がないといった具合で
真一としては『父母』の錯覚を幼い頃起こしそうになったほど。
そんな記憶がある。
その記憶がそっくり、そのまま……違う形で鮮明に蘇ったような気がした。
葉月と父親・純一も……きっと、きっと……
弟の真と葉月のように、慕い合っていたのだと真一は
その葉月の『素』になったような穏やかな表情とその一言で悟った。
そんな葉月に見とれていると……
「夢見ていたって言ったでしょ?」
真一はハッとして、小瓶の中の魚を嬉しそうに見つめる葉月の声で我に返った。
「夢? ああ……さっき、目が覚めたとき。そう言っていたね?」
「昔ね? 私がまだ小学生だった頃……
純兄様……お誕生日に湘南で捕ってきた小さなお魚、瓶に入れてくれたの。
こんなお洒落な瓶じゃなかったわ……
青いリボンがついていたけど……皐月姉様が言ったの……」
真一はドキリ……とした。
葉月と『秘密同盟』を組んで、早速……
若叔母の口から『両親』の事が揃って語られようとしているから!
自然と背筋が伸びて、表情も固まってしまった。
「姉様がね?
『レイ! 純兄ったら本当に洒落っけないのよ! そのリボン私が付けるように言ったんだから!』って
兄様はあまり喋らない人だったから……皐月姉様がガンガン物言ってシラっとしているって感じ
でも……今は兄様も何処で磨いたか知らないけど……お洒落でしょ?
こんな素敵な小瓶にしかも熱帯魚いれてくれるなんて」
葉月がその小瓶を見て、クスクスと笑いだした。
真一は胸が『ドキドキ』する。
(父さんと母さんってそんな感じだったんだ!)
初めて……写真以外で知る動いている両親の姿。
真一は確かにこの二人の間に出来た子供なのだ。
「気が遠くなる中で、ふとそんな事が頭に浮かんでいたの……
私、兄様に『おねだり』している『夢』みていたんだけど……うわごと、言っていたのかしら?」
そんな事を葉月が瞳を閉じながら、そっと教えてくれた。
だけど……先程まで『クスクス』楽しそうに微笑んでいたのに……
「お兄ちゃまったら……」
葉月はその瓶を額に宛てて、急に泣き出したのだ。
真一も驚き……。
「葉月ちゃん……」
「兄様……兄様ったら……」
本当に……父親とこの若叔母は、幼い頃から深く繋がってるのだと実感した。
「ゴメンね? シンちゃん……私だけ、贈り物貰っちゃって……」
葉月が涙を拭きながらそっと微笑みを戻してくれた。
真一は首を振った。
そして……葉月がニッコリその瓶を真一に差し出してくれた。
「私はね? 夢のつもりだったし……昔を思い出せてすこし嬉しかった。
それだけでいいの……それに、シンちゃんにお世話を言い付けたのでしょう? 兄様は」
「うん……」
「責任重大ね! お誕生日に貰った小魚は一週間と保たずに死んじゃったのよ。
兄様に泣きついたら、『そんなもんだろ?』って冷たく言われたけど。
兄様は……それから私が泣くから、二度と魚は捕ってきてくれなかったの。
小笠原に帰ったら、水槽買おうね?」
『お世話宜しく』
葉月の満面の笑み……。
無くした時間が少しだけ戻ってきたようで本当に余り見ない幸せそうな笑顔だった。
葉月へのお見舞い品だったけれど
真一も『にっこり』──。
葉月の気も済んだようなので、遠慮なく頂くことにした。
「瓶は返すね? 何かに使えるよ。きっと」
「良かったわね……兄様と何をお話ししたの??」
葉月にそう言われて……真一は、『待ってました!』とばかりに……
報告したくて『ウズウズ』していたことを全部、葉月に一気に喋った。
栗毛の先生の事も……
金髪のおじさんの事も……
そして……『オヤジとボウズ』の『オマケ付約束』の事も……。
葉月も嬉しそうに相づちを打って穏やかに聞き入ってくれた。
「頑張って……真兄様みたいな軍医にならないとね?
純兄様はきっと……すごく期待しているのよ……弟みたいになってくれると嬉しいって。
パパらしいところあるのね!」
葉月がそう笑って父の事をサラッと語ってくれると、
真一も訳もなく笑顔がほころんだ。
「俺ね! オマケいらない! オヤジより先に独り立ちするんだ!」
そんな決心が固まった春休みの旅行……。
「わぁ……大変ね! 本当に頑張らないとね!」
大人達がいない『オチビうさぎの密会』は夕方になりそうな病室の中で暫し続いた……。