56.黒猫撤退

 「私で出来る事は何でもする! 何が望みだ! 言ってみなさい!!」

『ドンドン!!』

ドアが激しく叩かれる前で、純一がデスクのバリケートを

エドと供に一つ一つ……除けて行く。

「ご主人様……『林』が犯人と知っているのですか?」

エドはそこも気になって純一に尋ねてみた。

「残念ながら、オジキは林のことは良く知らない。ジュールと違ってな……。

だから──自分の母親が面倒を見ていた男が今回の『敵』だなんて……

知らない方が……オジキにとっては良いと思って……

『俺の元部下』とだけしか教えていない」

「そうですか……そうですよね? 知らない方が良いこともありますよね?」

エドもため息をつきつつ……ボスに従って……

でも? 亮介と顔を合わそうとするボスのする事に不安を抱えつつ……デスクを除ける。

その間も……亮介は激しくドアを叩くばかり……

そして──机が2〜3個になった時……ドアが『ガシャ!』と僅かな隙間を開けた!

「エド──そこに下がっていろ」

「ラジャー」

エドは言われた通りに……ドアが開けられても姿がドアの後ろに隠れる陰に位置取ってしゃがみ込む。

最後のデスクは純一が一人で除けようとしていて……

そして──

ドアの外……将軍側も……

急にドアが軽く動くことに『警戒』したようで、激しく叩くのをやめたようだった。

純一がそこを見計らって素早く最後のデスクを除けて……

跪いているエドと同じ位置に……銃を構えて壁に背をひっつけて待ちかまえる態勢に……。

 

『中将──まず、私が……』

耳を澄ます黒猫の二人にそんな声がドアの外から聞こえた。

『マイク──危ないから、私が行く!』

『何言っているのですか?? 私を少しは側近として頼って下さいよ!』

 

「やれやれ──あの生意気なマイクが一緒なのか……」

跪くエドの頭の上から……純一の妙に呆れたため息が落ちてきた。

 

そして──

『カチャ──』

ドアが開く……。ドア越しから黒髪の若い男の頭と銃口が少しだけ見える。

だが──その頭が急に何かに驚いたように……入ってきた!

「レイ!」

(……驚いて当然か……すべて事が終わっているんだもんな……ボスの手で)

エドも、今更やってきた海兵員に少しばかり呆れたため息……。

しかし──その入ってきた黒髪の頭がさらに入ってきたとき……

『ガチャ──!』

純一がドア越しに入ってきた黒髪の頭に、ドアの影から銃口を向けた!

そして──その音に気が付いたマイクも……血の気が引いたように固まったのだ。

「マイク──久振りだな。オジキだけ中に入れろ。余り騒ぐな……」

「……『ジュン先輩』?」

「お前、優秀な主席側近だろ? 上手い事を言って他の海兵員に悟られないようにしろ」

「……はは……センパイは相変わらずなんだから……」

マイクはそれが……『若き頃の先輩』と解ったものの……

その気迫と鋭く静かな眼差しに緊張の汗を滲ませてた。

「早くしろ。レイが手遅れになる」

「──!!……OK」

マイクはそう言うと……ガチャ!とドアをすぐさま閉めて外へ戻っていった。

 

「マイク──!? どうした??」

部屋の中を確かめるなり……すぐにドアを閉めてしまった側近に亮介は問い詰めた。

「…………」

亮介になら……部屋の中に誰がいるか……すぐに言えるのに……

マイクはすぐ側にある階段に視線を流すと……

待ちきれないのか? 気がはやるのか?

階段の壁の影……階段の一番上の段で……

あの『隼人』と『達也』がそこまで近寄ってきていたのだ。

そして……その青年二人の背後でも……固唾を呑んで援護に備えている海兵員達が……

 

「マイク──!?」

気が焦っている上官に……マイクはそっと小さな声で一言……。

「将軍──猫が……」

その一言に亮介が表情を止めて……やっぱりマイクと同じ様に──

階段で待ちかまえている隼人と達也……そして海兵員達の様子を確かめていた。

「犯人は倒れていて、レイも……将軍だけ……中に入れと……」

マイクがそう小さく囁いた途端に……

亮介は、顔色を変えてマイクを押しのけ躊躇うことなく部屋に入ってしまった!

(うわぁ──……私にどうしろと!?)

亮介が躊躇うことなく、部屋に入ってしまったので

隼人と達也がとうとう……階段の一番上の段から二階に上がってしまった。

「ジャッジ中佐!? うちの中佐は??」

亮介が入っても……何も起こらない事に、鋭い隼人は『事は終わっていた』と悟ったようだ。

そして……達也も……

「犯人──俺……仕留めていたのかな!? マイク? 犯人はどうなっていたんだよ!!」

二人が徐々にマイクが控えている部屋の入り口に……じりじりと近寄ってくる。

「……」

マイクは一生懸命……考える!

亮介と先輩純一が……やり取りをすますまで……

誰一人……この部屋には入れてはいけないから──!

「……レイが……見せられない恰好だから……まず、父親から……」

とっさに浮かんだのはその言葉。

マイクは目にした葉月が、肌が露わになっていたのを思い出したのだ。

だが……

その『言い訳』は『犯人は既に息絶えている』事になってしまったようで

「それなら……僕が入っても構わないでしょう!?」

「俺だって! 葉月のそんな恰好……気にならないよ!!」

隼人と達也がとうとう……入り口に、マイクの目の前に駆け寄ってきて詰め寄る!

(ああ! もう!!)

こんな『役』は……何年もやってきたマイク。

だから──

「いけません!! 何のために貴方達は『将軍』に立場を捨てさせて動かしたのですか!!

『レイ』と『パパ』を、今は二人きりにさせてやって下さい!!」

マイクはドアに両手をいっぱい広げて差し止める!

いつも、とっさに出る出任せだが……

「──!!」

目の前の自分より若い青年二人は……妙に納得したのかそこで動きを止めた。

「解りました」

隼人がキリッとした眼差しで……毅然と答えて引き下がった。

隼人が引き下がったから……

「わ……解ったよ……」

いつもは自分の考えにはまっしぐらの達也も……隼人の物わかりの良さに感化されたのか……

彼よりかは渋々だが引き下がったので……マイクはホッとした。

「──葉月……よかったな。パパが迎えに来て……」

マイクの目の前で……眼鏡の青年が嬉しそうに微笑んだ。

それを見て……マイクは思った……。

『この青年がいなかったら……将軍は動かなかっただろう……』

この先──何かが……御園家の何かが変わるような……

そんな『嬉しき予感』が、初めてマイクに駆けめぐった瞬間だった……。

『レイ──良かったね……いつも諦めていた事、一つ叶ったのかな?』

マイクもそっと微笑んでいたのだ。

 こちらは、ドアに入るなり……

「よう……オジキが葉月を迎えに来るなんて……『驚き』だなぁ」

ドアの横で『ニヤリ』と微笑んでいる良く知っている『男』と遭遇!

「この! バカ婿め!!」

亮介は拳を握って躊躇うことなく……

『娘の単独行動』をそそのかし……怪我をさせる経過を作った張本人に打ち込んだ。

だが──

亮介の拳を、純一は『フイッ』と、僅かに首を傾けただけで避けてしまった。

その上……亮介に向かって『余裕綽々』の微笑みまで浮かべている!

「あーあ。弟子にかわされるような『歳』がきたのかね? オジキ?」

そんな生意気な『婿』に、拳を避けられた亮介は『キー』を悔しそうに顔をしかめるだけ。

そんな『舅と婿』の相変わらずなやり取りに純一の側で跪いていたエドも苦笑い。

だが──亮介はそこで一端気が済んだのか……

すぐに部屋の中の有様を見渡し……

「犯人は……お前がやったのか?」

外に聞こえない様……囁く声で亮介は純一に尋ねた。

「……だが、海野の小僧がやったことにしておけばいい、俺達の気は済んだ」

「…………ジュールか?」

純一の側にエドしかいないことを確かめて亮介が呟く。

「ああ、軍の弾数……いや、海野の小僧が持ち込んでいる弾数合わす為に

『余計な一発』は、ジュール手持ちの弾丸を使ったから……怪しまれることはないだろう?」

そして、納得した亮介は……今度は躊躇うことなく葉月の元に走った。

「葉月──……こんな……こんな姿になって……」

肌が露わになっている娘を見下ろして……亮介は眉間にシワを寄せ……

葉月の側で息絶えている『犯人』に憎しみの眼差しを一瞬向けた。

純一としては……慕う『ばあやの息子』にそんな目で見られる林が急に哀れに感じる。

だから──

「俺とエドが見守っている間……その男は多少は葉月に触っていたが

最悪のことはしなかった。……その前に海野と……澤村とか言う側近が

上手く……犯人と駆け引きをし、上手くタイミングを計って狙撃をしたからな

帰ったら……オチビ共々……功績をあげてやれよ? オジキ」

そう言えば……林の罪も少しでも軽くなるような気がしたのだ。

亮介はそれを聞いて……最悪の事態は避けられたのだと安堵したよう……。

でも……すぐに葉月のめくれているブラジャーを……引き下げて、

そして……自分が着ている迷彩柄の上着を素早く脱いで娘にかぶせた。

「葉月? 葉月??」

父親が葉月の頬を叩いたが……先程より葉月の容態は悪化しているようだった。

「オジキ……俺がすぐにエドと撤退せずにオジキだけ中に入れた訳なんだが……」

純一が、葉月に必死に声をかける亮介に静かに呟く……。

エドも、そこは気になっていたので耳を澄ました……。

「……エドに処置をさせたい。今から治療隊が来るのだろうが、間に合うか心配だ。

薬を投与したこと担当する医師にそれとなく……誤魔化してくれないか?」

「──!?」

エドはその為に……亮介が来たと知った途端に『撤退』をやめた事……

瞬時にそこまで考えて狙っていたボスに驚いた!

──が、エド自身も望んでいることだ。

だから……エドはすぐに胸元から『注射器ケース』をとりだした。

勿論──

「そうしてくれ! 後の事など……どうにでもする!

とにかく……この子を……何とかしてくれ!!」

亮介が小さな声でも絞り出すように……泣きそうな声でエドに向かってそうすがった。

エドは……純一に言われずとも、すぐに葉月の元に走った。

「エド……悪いね? 感謝するよ」

泣きそうに娘を抱きかかえた亮介にそんな風に言われるなんて……

エドは急に顔を真っ赤にしてしまったのだ。

純一がドアの側で『クスクス』笑っているのが聞こえて……

(もう……ボスは……すっかりいつものボスに戻っているのだから!)

そう思いつつも……

「……私が『医師免許』を無事に取得出来たのは『御園』のお陰です。

それがこんな風に役に立つなんて光栄です」

いつもの冷静顔に戻して、亮介に囁く。

それに──『医師』の顔になるときは……エドはいつだって『冷静』に徹する。

銀色のケースから注射器をとりだして……備えてある小さな茶色の薬品瓶に針を差し込み

分量を量り……葉月の腕の一部に消毒液を染み込ませてある脱脂綿でサッと一拭き。

静かに針を刺して……静かに薬品を打ち込む。

「血止めです……すぐに効きますから……

今からヘリに乗り込んでから治療するよりかは……間に合うはずです」

そして……エドは素早く『痛み止め』も打っておく。

「担当する医師には……この二種類の薬は投与しないよう伝えて下さい。

それから、すぐに『輸血』を……隊員が何人かいるからすぐに適合検査をすれば

新鮮な血液の輸血には問題がないと思いますよ?」

エドは葉月に打ち込んだ薬品の瓶を亮介に手渡した。

「ありがとう……心から感謝するよ。今ここにエドがいることを神にも感謝する」

亮介にそう言われることは……エドにとっては『光栄』すぎる事なので……

また、狼狽えてしまった。

でも──

「エド──そろそろ行くぞ」

純一の静かな声が『撤退』を指示する。

エドも──これで、一安心……目の前の救うべき負傷者に施せる処置が出来たから……。

あとは、父親・亮介が『なんとかする』として、処置器を片づけた。

そのエドの背中に純一がそっと近づいてきて……父親の腕の中にいる義妹を見下ろしていた。

「オジキ……これ、勝手に……持ち出したが返す」

純一が亮介に差し出したのは……『紅い石と蒼い石』、二つの指輪だった。

その指輪は……エドから見ると『姉妹』に見える。

紅い石は『姉』、蒼い石は『妹』

紅い石は今まではボスが持っていたが……何故かボスは両方とも亮介に差し出していた。

「……右京が……お前に持たせたのか? 海の氷月は……」

「ああ……犯人の気を逸らすのに使えと葉月に渡した

葉月はこの指輪を上手く使って……自分の部下を犯人から救っていた」

「そうか──」

亮介はそんな娘の『働き』に誇らしさを初めて感じたのか?

迷彩の上着にくるまれた腕の中の娘をいたわるように抱きしめたのだ。

そして──

亮介が純一の手の中から……蒼い石だけを指でつまんだ。

「……『花』の方は……ジュン坊、お前の物だ。持っていなさい」

「……」

「……『花』は、皐月だから、あの子の為にお前の側に置いてやってくれ?

『月』は、葉月だから……これだけ返してもらう」

亮介はそう……純一に微笑みかけた。

「…………オジキがそういうなら……」

純一は何故だか……すこしまつげを伏せて哀しそうにそのルビーの指輪をポケットにしまった。

「じゃぁな……オジキ。俺は行くぞ」

純一が背を向けたので、エドも亮介に一礼をして立ち上がる。

「純……」

背を向けた純一に亮介が声をかける。

「お前も……今回は辛かっただろう? 元・部下が犯人とはいえ……

やっぱり──黒猫部隊にいた男なら……ちょっと道を誤っただけで

それは立派な働きをしていた『部下』に違いなかったのだろう?

彼が……ここまでにならないうちに……何もできなかった自分を責めたらいけないよ?」

亮介のそんな言葉に……純一の動きが一瞬止まったのをエドは感じた。

だが──ボスは……止まりはしたが振り向こうともせず。

そして──言葉を返そうともしなかった……。

「たまには……フロリダに来たらいいだろう? 登貴子も待っているよ

それから──鎌倉のお父さんにも……」

亮介がそこまでいった時──

「じゃぁな!」

純一は何かを振り払うが如く……まるでエドを置き去りにするように

アッという間にロープを掴んで天井に上がってしまったのだ。

(ボスッたら……素直じゃないんだから……)

エドも呆れて……遅れまいとボスに続いて通気口に上がった。

亮介の目の前、天井の通気口……そこに張られていたロープが

するすると……吸い込まれるように通気口に引き上げられて消えて行く。

そう……まるで『猫のしっぽ』がチラリと姿を消すように──。

 

そして──

ボスの後を素早く進み始めた通気口内で、エドは思わず微笑みをこぼしてしまった。

ボスの今ある心情をそっといたわってくれた『ご主人様』は……

(やっぱり──好きだなぁ……俺)

すると──

「エド──オジキの前で、『腕前』が役に立って良かったな……すこし恩返しだ」

ボスがそう話しかけてきた。

「え…………!」

そういう『機会』を逃さずボスが作ってくれたことに、エドはやっと気が付いたのだ!

(やっぱり──ボスもすごいな……適わない)

後は、葉月が無事に回復するのを祈るのみだった。

「今度こそ──本当にバカンスに行くぞ」

純一の声は……もう、明るくていつものボスに戻っている。

「行きましょう♪ 私も楽しみにしていたのですからね」

「フフ──お前のたまの……『女遊び』が待っているって事か? いい女捕まえろよ?」

「失礼な! ボスこそ……『遊ぶ』なら程々にしてくださらないと!

『アリス』とうるさく喧嘩されると困りますよ? アイツはほんっとうにうるさい『子猫』

『お嬢様』の爪の垢を飲ませてやりたいぐらいですよ!」

「はは──そういうな。アイツは……アイツで……」

「──まぁ……そうですね。言い過ぎました……」

そんな『久振りの羽伸ばし』がやっと出来る暇がやってきた『黒猫ファミリー』

『ボス──遅いですね? いったいどうしたのですか? 先に帰りますよ??』

ジュールから、妙に機嫌の悪い通信が二人の耳に届いた。

「やれやれ──殿下には俺も適わないかもな……葉月の事、まだ怒っているぞ?」

「ほんとう……私も、当たられそうですよ? 葉月様のお供のこと……」

『アハハ!』

薄暗い通気口を進んでいた黒猫の二人の目の前に……光が射し込む。

『さて──軍人が増えない今のうちに……』

二人は青空が広がる空の下……通気口の出口から身軽に飛び出した。

黒猫が音も立てずに戦場から、姿を消す──。