54.亡霊 現る

 真っ直ぐに……真っ直ぐに……

隼人が覗く望遠鏡……

達也が覗く……スナイパーライフルの遠方スコープ。

二人は、一緒に固唾を呑んで……その映像に望んだ光景が映し出されるのを

──心から祈った!!──

 

──『グワッ!』──

「!!」

「やった! 次だ!!」

驚いた……隼人は目が離せない所とは言え……

(この男──すごく勝負強い!!)

一瞬、双眼鏡から視線を横に外して、真剣なままの達也を見つめてしまった!

そう……隼人が見据えていた先で……

とうとう!! 窓辺に足をかけていた栗毛の男が──

後ろにのけ反って、姿を消したのだ!

 

だが──! 本当の勝負はこれからだ!

「撃て!!」

フォスターから『援護射撃』の命令が下った!

『ズキュン! ズキュン!!』

バシバシと放たれる弾丸の雨が、向棟の葉月がいる位置に放たれる!

隼人はまた、双眼鏡に視線を戻して、葉月を見守る!

 

「ゲイリー!!」

『来る! 達也がすぐにこの男ごと私を撃ってくれる!』

葉月と林の目の前でサファイアに一時気を奪われていたゲイリーが……

額に一発! 一筋の直線を描く物が貫通して、大きな体が窓辺から床へと派手に倒れた!

彼の手から、サファイアがはじき飛ばされるように……

床に『カツン……カツ……カツカツ……!』と音を立てて部屋の真ん中に転がって行く音がした。

林も葉月をこれだけ盾にしているのに……

本当にお構いなく『狙撃された』事に焦燥の表情を初めて浮かべた!

そして──

「この!」

そう、弟分を殺されたときのように……『怒り任せ』

葉月のこめかみに銃口を押しつけて、引き金に指をかけたのが葉月にも伝わった。

でも──『信じている!』

葉月は隼人に言われたとおりに絶対に『林の鼓動』から意識を離さない!

──達也が先!? この男が先!?──

葉月は息を止めて、どっちに転ぶかもう何も考えられずに目をつむった!

その途端に──

『パリン──!! ガシャン! ガシャン!!』

林と葉月の側の窓ガラスが、激しく砕け散って飛んできた!

(フォスター隊!!)

達也が手にしているスナイパーのように『ピンポイント』で狙えるライフルは彼等は持っていない!

飛ばせるだけの飛距離を利用して『援護狙撃』を開始したのが葉月を救う!

だが、葉月の肌にも、林の顔にも容赦なく窓ガラスの破片が飛ぶ!

『クソ!』

さすがの林も、顔に降りかかる破片には適わないのか? これが反射的なのか?

腕で、窓ガラスの破片をしのいだから、葉月のこめかみから銃口が離れた!

 

「ジェイ! サム!」

「ラジャー!!」

ジェイとサムのライフルから、林の手元に目がけてライフルを発砲!

そして──

「葉月──そのまま動くな!」

後ろは……後ろで達也が既に『狙撃感覚一致』の時を迎えようとしている!

隼人の瞳、今映し出されている光景。

ガラスが飛び散っている中……男に従えられつつも……

言われた通りに左肩を、男の左胸にひっつけている葉月……。

そして──ガラスの破片をしのいで顔に腕を覆っている男の姿!

『カチ──!』

隼人の耳元……すぐ側!

ついに、達也が引き金を引いた!!

彼の額にも汗──。 隼人の額にも汗──!

「当たった!」

しかし、それは達也の声じゃなくて……前方でボスの手元を狙っていた『サムの声』

達也と隼人は今、それどころじゃない!

飛び出していった弾丸は……今度こそ間違いなく葉月を傷つけるための……

そして、救うための弾丸だから! ジッと行く先を見据える!

 

「──アゥッ!」

葉月の頭の上で林がそんな声を漏らした!

背後で『ゴト!』と何か重い物が落ちた音がした……。

(銃がはじき飛ばされたんだわ! 達也の撃った弾なの!?)

困惑したが、まだ信じていた!

林の鼓動を意識して……左肩を……ひっつけようと……

「クソ! こんな事あるか!? チクショー!!」

林の鼓動が葉月の肌から離れてしまった!

そう……林に身体を前方に引き剥がされてしまったのだ!!

だが──金色の光の筋は、一直線に葉月と林に向かって来ている。

「──!! アアゥ!!」

左肩に衝撃が走った! その上……後ろにいた林が……支えがなくなった!

だから……葉月の足はその衝撃で激しくよろめいて……

左肩は何か重い物で引っ張られるかのように後ろにはじき飛ばされた!!

その訳の解らない痛みと供に……自分の目の前で赤い血が吹き上がって飛び散っている!

そんな中……葉月が頭にかすめた事!

『どうして!? 達也! 隼人さん!!』

確かに達也の腕は『確実』だった……葉月の左肩、腕の付け根を弾丸は貫通した!

でもこれは『運』なのか!?

葉月を救うために撃たれた林の手元への威嚇射撃がほんの少し早すぎた!

林は、銃をはじき飛ばされて『次なる標的危機』を

瞬時に判断して葉月だけ前に突き出して『狙撃の的』にしたのだから!!

その『瞬時』に危機を避ける身の軽さ、素早さは、やはり『プロ』?

『運』は……

『勝利の神』は、葉月でなく林に舞い降りたというのだろうか!?

 

そう思いながら……葉月の意識は遠のいて行く……

──ドサ……!!──

両腕は……後ろに拘束されているから、はじき飛ばされたまま床に倒れる。

葉月は後はどうされようと……もう、何も考えられることはない。

ただ……冷たい床が平に真っ直ぐ見えるだけ……。

朝日の中……そっと二人の男の笑顔だけが何故か浮かんだのだ。

倒れると……葉月の頭の上で……息を切らして立ちつくしている林が……

葉月をジッと見下ろしていた……。

葉月のこの『悔しさ』を僅かに救ったのは、あんなに余裕気だった林がかなり狼狽して

葉月を見下ろしていることだ。

『……もう、ダメ──……』

 

 「…………葉月に当たった!」

隼人は双眼鏡から見えた光景に息を止めた!

確かに……葉月に当たって……彼女が飛ばされるように窓辺から姿を消したのを確認した。

だが、そのほんの少し前に犯人ボスが葉月から一瞬離れたように見えたのだが!?

そこが隼人には判断しかねて、横にいる達也の顔をすぐに確認した。

だが──彼も困惑した表情を浮かべていた。

「……葉月には当たった……でも? あのボスが葉月に当たるほんの少し前……

なんだか葉月を突き飛ばして離れたようにも見えたけど??」

だが……二人一緒にもう一度望遠鏡とスコープで覗いても……

もう、葉月の姿もなければ、あの黒い男の影すら見えない……。

「──」

「──」

二人一緒にしばらく黙り込んだ。

フォスター達も一斉に狙撃をやめて……屋上は静かになった……。

 

「行ってくる!!」

すぐに立ち上がったのは隼人!

「待てよ! 俺も行く!!」

次ぎに立ち上がったのは達也!

二人の男は肩を並べるようにして、棟舎に戻って瞬く間に階段を降りていく。

「……しまった! ウンノの奴……仕留め損ねたのか!?」

フォスターも腹這いの姿勢から体を起こして焦りの表情を刻む。

「でも! 隊長! 窓辺には犯人の姿も……ミゾノ中佐の姿もない!」

ジェイが双眼鏡を手にして叫ぶと……

「クソ! 俺だ! 銃を弾き飛ばしたはいいが、ウンノの狙撃のタイミングを犯人に悟られた!

俺も──行く! お嬢さんだけ倒れているなら……無傷のボスが『フリー』になった事に!」

サムが……悔しそうに唇を噛み……

そして……なんだか今にも泣きそうに瞳を潤ませていたのだ。

葉月がボスにすぐに銃殺されてはと、助けたい一心で狙い撃ちした物が

サムの願ったとおりに葉月の『即・銃殺』は避けて救ったのに……

なのに──それが……達也の狙ったタイミングをずらした結果になってしまったのだから!

「サム! 落ち着け!

これは──『運』だ! 人間の行動なんて誰にも予測は付けられない。

ウンノだって『邪魔された』なんて一言も言わなかったじゃないか!?

アイツなら……気に障ったりしたらすぐに顔に出すタイプだぞ?

ちょっとした『間』の掛け合わせが悪かっただけで……それはどうにもならない。

『神』が決めた『瞬間』なんだ!」

フォスターはなんとか、達也の後を狼狽えたまま追おうとするサムを諫める。

このまま突っ走られたら、彼は重責を背負って身を投げ出すような危険を冒しそうな気がしたから……。

隊長自らの『フォロー』に……サムはやっと……心を落ち着かせたようだ。

そして──

「俺達も行くぞ! 狙撃はもう効果がない。犯人は奥に入ってしまったのだから!

ボスが一人になったと言うことは、また通気口から逃げられるゾ!?

負傷したミゾノ中佐を担いでいくかどうかは解らないし……

身動きできない彼女を……怒り任せに今度こそ……」

『殺しているかも!?』

屋上に残ったフォスター隊全員の頭にそれが過ぎって……青ざめる。

だから……隼人と達也は、瞬く間に狙撃現場を捨てて出ていってしまったのだ。

「行くぞ! 階段包囲網隊に先を越されるな!」

「ラジャー!!」

フォスターのかけ声と供に……皆が一斉に屋上を後にした──。

 

 「…………」

屋上に上がる入り口、コンクリートの屋根には貯水タンク……。

その影から黒い戦闘服に身を包んでいる『金髪の男』が姿を現す。

彼が見下ろす風景……。

屋上からはマルセイユの美しい青い海。

朝の潮風に飛ばされる白い雲……。

そして──その潮風が静寂を連れ戻してきたかのように……

ライフルが投げ出され……黒いスナイパーライフルが風の中ジッと居座っている……

静かな屋上の風景──。

彼はそのコンクリートの屋根から……『ヒラリ』と音も立てずに狙撃現場に舞い降りる。

そして──そっと海兵隊員が、小うるさく去っていった棟舎内へ戻る階段に振り返った。

特に……気配はないことを確認し……

そっと……スタンドにセットされたままの『スナイパーライフル』に歩み寄った……。

『ボス──……全員そちらに向かいましたよ』

金髪の黒猫……『ジュール』は静かに報告をして……

スナイパーライフルの側に跪く……。

『私のライフルを使うまでもないでしょう……上手い具合に……『持ってきて』いますよ?

同モデル……同機種の……物を……』

ジュールはそっと達也が残したライフルの銃口を覗き込んで微笑んだ。

「フフ……彼の好みは相変わらずだな……」

ジュールはそっと微笑んで……戦闘服の上に着込んでいるベストの裏に手を忍ばせた。

 『ハァァ……フゥ……ハァ……』

床に横たえた葉月は……胸より上に息が吐き出せない状態に陥っていた……。

とにかく息をするのが精一杯。

そして……意識を……意識を無くさない気力を振り絞るのに精一杯。

意識の放棄をしたら……

『私は死ぬの!?』

そんな恐怖が起きているから必死だった。

(目をつむれば……楽になる)

そう思うのだけれど……目をつむったら……

『もう──隼人さんにも……パパにも……ママにも……シンちゃんにも……

それから……達也に……右京お兄ちゃま……えっと……デイブ中佐……

ロイ兄様……ジョイ……美穂姉様……細川のおじ様……』

一生懸命……自分の周りにいる人間を頭に描いて……

『二度と会えなくなっちゃうのは嫌!』

そう頭に描いていた……

それに……

やっぱり最後に恋しく思ったのは……

『お兄ちゃま……純兄ちゃま……』

(お姉ちゃま? 純兄様 来なかったじゃない! やっぱり、お兄ちゃまはそうゆう人なのよ!

パパだって……来るわけない!

だって……お姉ちゃまがうんと嫌な目にあって……『レイ』が痛い目にあっていた時、

パパとお兄ちゃまとママを呼んだけど……誰も来てくれなかったモン……)

 

『でもね?』

(え?)

初めて? 姉じゃない……女性の声がして葉月は、閉じそうになった瞳をうっすらと開けた。

『でもね? こっちに来ちゃダメよ? ね? もう少し頑張りなさい』

(誰!?)

『そうよ! レイ! そんな事したら、このお母様に叱られるわよ!!』

今度は姉の声……

(嘘?……沙也加……ママ??)

急に……そう、撃たれた左肩……その下の胸ポケットに……

隼人が握らせてくれて……『へその緒のお守り』を思いだした!

でも──その声も……すべて『幻聴』

そして葉月のいつもの……『空想』

 

そんな『彷徨い』をしていると……

 

『覚えていろ……俺はここで一端引き下がるが……

軍隊にはこの仕返しは必ずしてやる!

いいか……近い内にお前がいる基地に……お前を迎えに行くからな……』

 

そんな男の声……

(…………)

もう、何も考えられなかったが……

(どうして? 私を殺さないの??)

そう思った……。

『迎えに来る』

口は悪いがそんな風に聞こえたのだ……。

 

うっすらと目を開けると……葉月を憎々しそうに見下ろしているのかと思えば……

林はどうしたことか?

葉月を冷たい瞳でジッと見据えていたのだ。

『お前……名はなんて言う?』

そんな事聞かれても……答える気力などあるはずないし、答えるつもりもない。

『お前になにか引っかかると思っていたのだが……

『ある女』に妙に似ていると……途中で気が付いた』

(?? 何言っているの? この男??)

『忘れるなよ、俺がどういう男か解ったなら……覚悟して日本に帰るんだな』

息も絶え絶えの葉月の視界に……

黒いコートをなびかせて林が……背を向けた。

(逃げられる!! 通気口からアイツだけ逃げてしまう!)

背を向けた『林』は……

抜かりなくその手に『鮮血の花』と『海の氷月』を握りしめて……一時眺めながら……

そして、予想通り、天井の通気口を見上げたのだ。

ところが──?

『──!!』

うっすらと目を開けている葉月には……林がひどく驚いて息を止めたように見えた……。

そして……天井から、何かが舞い降りてきたような感じがしたのだが!?

 

『よう……亡霊の参上だ』

 

(!?)

その声に聞き覚えが!?

 

『……!? お前は!?……』

『俺が生きているのがそんなに驚きか?』

 

誰かが……林と葉月以外にこの部屋に誰かがいる!?

『エド──何とかしてやれ』

『イエッサー』

 

──『エド!?』──

その名を耳にして……葉月は……確信した!

『お兄ちゃま!!』

そう……確信した途端に、葉月の視界には見覚えのある顔が自分を見下ろしていた。

栗毛の無精ヒゲの男──!!

「お嬢様! 大丈夫ですか??」

(エ……エド……)

彼が心底、心配そうな表情を浮かべながらも、葉月の側に跪いて

腕を拘束している固いテープをナイフですぐさま切ってくれた。

そして、彼は背中のリュックから何かを取りだして……手元で何かをゴソゴソと探っている。

「流石でしたよ……頑張りましたね……立派でしたよ?」

エドがそう言いながら……葉月の口元に小さな酸素マスクをあててくれたのだ。

途端に……呼吸だけが楽になった。

「お……お……にい……ちゃま……」

少し楽になった気力で、葉月はまだ声だけしか確認できない……

声がする方に自然と自由になった手を伸ばしていた。

「本当でしたら、痛み止めを打ちたいところですが……跡が残ることは

ボスからは許されておりません……許して下さいね?

だから……お嬢様……まだ、頑張って──!」

エドがそう葉月を見下ろしながら声をかけてくれているが……葉月には聞こえない。

「純……にい……様……」

震える動く右手を声がする方に延ばしたのだが……

「今から……お兄様は『お仕事』ですよ? 邪魔してはいけません……」

エドがそういって、葉月の伸ばす手首を握った。

(お仕事って??)

葉月はそれなら『邪魔しちゃいけない』

そう思ってエドの言うとおりに、手を動かすのをやめる──。

小さな頃からそう……

『純一お兄ちゃま』の邪魔をするとすごく叱られるから。

彼が本を読んでいるとき。

彼が武道稽古をしているとき。

彼が勉強をしているとき。

彼が……弟・真の看病をしているとき。

いつも、いつも、かまって欲しいときにはかまってくれない意地悪なお兄ちゃま。

だけど、困ったときはいつだって最後には絶対に助けてくれるお兄ちゃま。

怪我しても、泣いても、傷ついた後でも……

最後にはお兄ちゃまが葉月を立たせてくれたから……。

だから──『邪魔しちゃいけない』

葉月はそう思って……急に安心感が襲ってきたのか目をつむってしまった……。

暫く、意識が遠のいた。

 『葉月が……葉月が……殺される!!』

『俺のせいだ! 俺が……仕留め損ねた!!』

二人の男は、まるでお互い競争がするが如く、向棟舎に一直線、全力疾走!

息を切らしながら……それでもどうしてか? 肩を並べて走っていた。

「なんだよ! 兄さん!? 機械屋のくせに足早いじゃないか!?」

達也は『走り』にも自信があった。

だけれども、ちっとも抜かすこともできない、抜けきれない隼人の足の『強さ』に驚き。

「うるさい! 空軍メンテだって力仕事で甲板を走るんだ! 馬鹿にするな!!」

それが屋上を出てやっと交わした会話だった。

そんな口をやっと叩いてくれるようになった隼人に達也は思わず微笑んでしまったのだが……

それどころじゃない! すぐに表情を引き締めてとにかく隼人と一緒に走り続ける!

二人揃って、向棟の廊下に滑り込んで、なおも走り続ける!

「もう! 何があってもあの部屋に突入する!」

歯を食いしばって、眼鏡をかけたままものすごい形相で走る隼人に……

達也は初めて『ゾ!』としたのだ。

「早まるなよ! 落ち着きある少佐らしくないなぁ!!」

「うるさい!!」

また、怒鳴り返されて達也は唇をとがらせ、顔をしかめる。

「わ・解ったよ……俺も一緒に飛び込む!!」

『葉月との約束──少佐は死なせちゃいけない!』

達也は……そう思って『決心』していた。

そう──

先程……『狙撃集中』の為に黙ってはいたが……

『泣くな! 葉月!! 愛していると言うなら……俺の目の前、俺の目を見て……笑って言え!』

葉月の問いかけに……そう答えていた隼人の言葉に

どれだけ……冷静を保たねばならぬ大事なときに心が崩れそうになったことか……。

 

葉月をそうして『叱りとばす男』なんて……そうはいない。

いや──違う……『叱りとばされて葉月が言う事を聞く男』

そんな男はざらにいない……。

達也と葉月はどちらかというと『同級生』という同等の感覚で歩んできたから

達也が叱りとばしても……葉月などすぐに刃向かっていつも『喧嘩』だった。

それに──

『葉月は……おれに──愛している──なんて、一度も言ってくれなかった……』

信じられなかった。

いや──言葉など……どうだっていい……達也はそう思っていた。

──思っていた──なのだ。

言葉で表現してくれなくても、葉月の『性分』は良く知っていた。

言葉の表現も……感情の表現も乏しい葉月の『垣間見せてくれる本心の瞬間』を

達也は側にいていつも感じることが出来たから……彼女を愛していけたのだ。

『俺は、お前を愛しているよ』

そう言うと……ちょっと困った顔をしながらも……すぐに僅かに微笑んで……

彼女が達也の腕に『身を任せて』──

とっても愛らしい瞳をする瞬間……。

それが葉月からの『愛している』だと達也はずっとそう感じてきていた。

なのに!!

葉月はいつの間にか……言葉で『愛している』と隣の男にそう言えて……

そして……隣の男の言う事に『偉そう!』と反抗したって……

最後には、隣を走っている男の言葉で進もうと……前を向く!

隣の男は……やっぱりそうして『葉月を動かせる男』なのだ!

達也は……『降参』していた……あの瞬間から……。

だから──

『俺が死んでも──兄さんは死なせない……葉月には絶対必要なんだ!』

お互い──そんな『無謀な突入』を決しながら懸命に廊下を走っていると……

ある曲がり角から……

迷彩服の体格良い栗毛の男と、スレンダーな黒髪の青年が飛び出してきた!

 

「あ! 兄さん、あれ!!」

達也が指さす『方向』を見据えて、隼人も驚き……

そして──二人一緒にその二人の男をさらにスピードを上げて追いかけた!

 

「オヤジさ──ん!」

「お父さん!!」

 

達也と隼人が一緒に叫ぶと……

前を走っていた男二人が立ち止まって、一緒に振り向いた。

向こうも驚いた様子だ。

 

「達也君! 隼人君!」

亮介は娘を預けていた男二人が……『狙撃を開始する』と言っていたのに……

持ち場から離れたが如く、棟舎内にいることに不安そうな表情を刻んでいた。

 

そして──マイクが二人の元に一直線!

亮介を押しのけて向かってきた。

「狙撃は!? レイはどうしました!?」

壮年の中将は若側近に遅れて、隼人と達也の元に到着……

膝に手をあててうなだれながらも……見た事ない真剣な眼差しで

青年二人の『言葉』を待ちかまえている。

陽気な将軍のその『思い詰めた眼差し』

それは──『父親の目』だったから……隼人も達也も一瞬言葉が出なくなった。

それというのも……

『お嬢さんを撃ち抜きました……でも、犯人を仕留めた感触がありません』

などと……言えなかったのだ。

だが──そこは『御園葉月の父親』……なおかつ『将軍』

青ざめた顔で物も言わない青年二人の瞳と顔色を見ただけで……

「まだ……終わっていないのだな!! 葉月はまだ犯人の手の中か!!」

亮介はまた、すっくと背筋を伸ばして……

誰よりも早く……階段が見える廊下を一直線に走りだした!

「将軍! 待って下さい!!」

すぐさま、マイクが追いかける!

勿論──隼人と達也も、顔を見合わせて再び危機感を募らせて走り出す……。

でも──

『葉月──パパが来てくれたよ! あんなに一生懸命走っている!!』

隼人はそうおもって……どこか少しばかりの心の余裕が生まれてきた。

あのじゃじゃ馬の父親が自ら……立場を捨てて来てくれた!

隼人にとってもどれだけ……心強くなったことか──。

『しょ……将軍!?』

『ミゾノ将軍!!』

 

階段に辿り着くと、包囲網隊が総監の出現に驚きの声を上げて……

でも──やっぱり……

『娘のために、腰を上げた』と……誰もが、なにかそっと笑顔をこぼしたのだ。

「私が合図をするまで誰も……近寄るな! 犯人との交渉は私自らする!」

「しかし──将軍一人では危ないですよ!」

亮介が階段を二階目がけて上がろうとすると……

海兵員達は『守る』かのように亮介を取り巻き続こうとしたのだが……

「命令だ! これは父と娘であるが故の『交渉』だ! 邪魔をするな!!」

あの──陽気な亮介が……穏やかな将軍が……

初めて鬼のような形相で階段にてひと吠え!

皆……後ずさりして……隼人も……思わず……耳を塞いでしまった。

(細川中将に……負けていない〜!)

本当にそれこそ──じゃじゃ馬の『父親』だと実感した瞬間だった。

「私がお供しましょう……」

亮介は……側近のマイクの護衛だけは許したようで、付いてくる彼を諫めることはなかった。

「私も──!」

「俺も──!!」

隼人と達也も……階段を駆け上がって亮介に付いていこうとしたのだが……

「……」

振り向いてくれた亮介の……肩越しから輝いた瞳が……

『来るな』と言っているようで……

その鋭い眼差しに、隼人どころか……生意気な達也まで……凍りついて足が動かなくなったのだ。

「様子だけみて……何か解ったら……すぐに『二人』を呼びますよ」

無言で『鬼』になった上官の代理なのか?

マイクが隼人と達也にそっと微笑んでそう言ってくれた。

迷彩服姿の……将軍と側近が二人だけで……銃を構えて二階に上がってしまった。

『頼む──アイツに何かあったら……俺! 償いきれない!!』

達也は唇を噛みしめ……拳を握って心で叫ぶ……。

そして……隼人も……

『──どうか……どうか……彼女が無事でありますように──』

そして、ふともう一つ……無駄なことかもしれないが思いついたことが……

『おふくろ──せっかく見つけた俺の相棒……そっちにいったら追い返してくれよ!!』

隼人も心から……祈りを捧げていた……。

 

 

そしてこちらは──

同じ様な背格好の黒い男が二人……静かに向き合っていた。

一人は驚愕の表情を刻む、美しい黒髪の男。

一人は静かに燃えた瞳を携えた無精ヒゲの無骨な男。

『裏切られたボス』と『裏切った部下』が、静かに決着の時を迎えようとしていた……。