53.ここにいる
春先の冷たい潮風が、開け放たれた窓辺に吹きすさんで……
短くなった葉月の栗毛を揺らしていた。
そんな冷たい潮風でも……今の葉月には心地よい冷たさ──。
身体の芯から熱帯びてくる焼けるような感触……。
黒い男に首を押さえ込まれて、こめかみには黒い銃口を押しつけられて……
目の前が霞みそうなそんな時──。
『葉月!』
そんな声が、林が手にしているイヤホンから微かに聞こえてきた。
すぐに解った。 微かな小さな声でも……すぐに解った!
(は……はやと……さ……ん!)
だが、マイクは口元に押しつけられても……耳にはめるべきイヤホンは林が握っていて
林は男の声がするなり、自分の耳にイヤホンを押しつけてしまった。
「ははぁ──お前の側近男のようだな?」
林が意地悪そうな微笑みを浮かべて……葉月は妙に背筋が凍った。
先程のように……隼人が嫌がるように……
また、身体を辱められるのではないか?……と、いう恐怖感が蘇る。
それに──もう……今の葉月の身体の状態では今度こそ受け入れざる得ないだろう……。
『──!!』
葉月は唇を噛んで、うなだれた……。
だが──
『おい! ボス。とっとと、ヘリに乗り込まないと……こっちから遠慮なく撃たせてもらうぞ!』
「なんだと!? この嬢ちゃんがどうなっても良いのか??」
『あはは! とっくに好きなように触ったんだろ? どうにでもしてくれ』
その声は、葉月には聞こえないのだが……
(彼と何を話しているの??)
ふと、頭の上に位置する林の表情を見上げる。
彼もそんな息も絶え絶えの葉月を静かに見下ろしたのだが……
「…………」
何を隼人と、やり取りをしているのかは伝えようとはしてくれなかった。
『好きなようにすればいい。そのお嬢さんは、それも覚悟でお前の元に飛び込んだんだ。
俺も『側近』──上官が選んだことには従うだけだ。
やりたいなら、やって見ろ!
お前がうちの上官と、『よろしく楽しんでいる』その間は恰好の『チャンス』だ!
動けないお前をうちの上官ごと、撃ち抜く!』
(何を話しているの??)
葉月が訝しそうに、林を見上げていると……何故だか彼は、顔を歪めているのだ。
「……今から仲間が一人下に降りる。狙撃などしたら……この娘は殺す」
「う──!!」
首を締め上げられて……耳元で『カチッ!』と拳銃をすぐに撃てるように整えられたのが解る。
隼人が何を林に仕掛けたのかは……葉月には解らなかったが……
一番、恐れていた『身体への仕打ち』に林は執着しなくなっていた。
それどころか……それ以上──
今度こそ、本気で『葉月を殺す』と言い出した。
どちらかというと……葉月にとっては身体の危機より、命の危機の方がまだ心に余裕が出来た。
(隼人さん……この男が変な事しないように、何か言ってくれたの?)
命の危機に追い込まれはしたが……一番嫌な事……
女性として身体を粗末にされる事は避けてくれた……そんな感じがした……。
「少佐……どうやら、あのボスの遊び心は差し止めたようだな」
自分の横で、望遠鏡を眺めながら林との『駆け引き』を続ける隼人に達也は声をかける。
「今から……あの西洋人傭兵を先に下に降ろすから、狙撃はするな……
そう言っている。もし、狙撃をしたら葉月を殺すと……これは本気のようだな」
ボスと駆け引きをする隼人の額には汗が滲んでいるのを達也は見上げた。
大胆な発言をしたとしても……今にも葉月が犯されるか、殺されるか……
そんな不安を行ったり来たりしながら、犯人と交信をしている緊張感が伺えた。
「どうする? 海野中佐……」
「──」
達也がスコープを覗いたまま……ジッと黙り込んでしまった。
しかし、その沈黙はほんの僅かの間で……彼はすぐに答えを出したようだ。
「易々、下には行かせられない。窓辺に寄ってきたところを狙撃する」
「──!! しかし……西洋人を仕留めた時点で、犯人ボスの怒りをかってしまう!
葉月が瞬時に殺されて……一人きりになれば、ヘリなど使わずとも、身軽に一人で逃げるかも!?」
「──だろうな……だから、一発勝負!
西洋人を仕留めたら……ボスと葉月をすぐさま狙撃だ!」
「そんなスピーディーに出来るのかい!?」
隼人は、達也の『決心』、『賭け』、『勝負心』の思い切りの良さに驚いた!
慎重さ、戸惑い、そんな物がちっとも感じられない。
『勘』と『思い切りの良さ』から来る、彼の判断は、本当に『葉月そっくり』だったのだ。
だから……
「自信は……あるのだろうね?」
「やるしかないだろ? 俺は……こうゆう勝負は結構得意だ」
スコープを覗き込んで、達也が少しばかり銃口の向きをずらした。
既に……西洋人の男に向けて『照準合わせ』に入っているようで隼人は驚いたのだが……
(ここは──彼にしか出来ないことだ)
そう思った。だから──
「よし──! 一番の勝負所だ……いよいよ行くかい? 中佐」
「ああ──だが、その前に葉月に最低限の負傷ですむようにやってもらわないといけないことが」
「やってもらう事?」
「ああ──。一番の希望は……葉月の左肩とボスの心臓が一致することだ」
「!!……」
隼人は、そこまで狙いを付け始めた達也に驚きつつ……
「解った──……何とかそれとなく葉月に伝えよう……?」
隼人が再び交信機のマイクを口元に近づける。
『隊長──西洋人を仕留めたら、ボスが動けない程度の援護攻撃、頼んだぜ』
達也が、フォスターに『勝負に出る合図』を手振りで送る。
フォスター隊は狙撃に向かってさらに緊張感を高め、皆が呼吸を消したように静かになる。
「ボス──うちのお嬢さんと話をさせてくれ」
隼人の声が、再び林に届けられる。
『何故だ? 妙な打ち合わせは無しだ』
「父親との連絡を付けるための下準備をしなくてはならない。
将軍は今、空母艦にいるから……どのように連絡を付けるつもりか彼女から聞きたい
彼女が約束通り、父親を呼ぶとお前は思っているのか?
彼女が父親を呼ぶ気がないのなら、俺がお前との約束を守って父親を呼んでやる。
彼女にそこの所を……念を押したい」
『俺が伝える』
林のキッパリした返事に隼人は戸惑った。
(何とかして……葉月と直接話したい……どう、事を計って、運べばいい??)
隼人は汗を拭いながら、犯人ボスが葉月と代わってもらうための
『とっかかり』を色々と探る。
「お前、約束したとおりに将軍である父親を呼ぶ気があるのだろうな?
側近は、お前が父親を呼ぶつもりがなくとも、自分がしっかり父親を呼ぶつもりだと言っているぞ?」
(──!……呼ばなくて良いのに!)
葉月はそう思った。
「約束は守るわ……。ヘリに乗り込んだらすぐに母艦にいる父と話せるようにするから」
自分にその気があると見せかけておけば……側近が余計な事をしなくてすむから……
葉月はそう答える。
「…………いや、あの男に呼ばせた方が確実だ。
お前は人を欺く術を用いて、俺達をここまで追い込んだ女だ
あの男ならお前を救いたい一心で、父親を必死になって動かすだろうからな!」
「いたッ!」
林が冷たい眼差しで、葉月の栗毛を『グイ!』と、上に引っ張り上げた。
「よ……よく、言うわよ。アンタの『欲』が自分を追い込んだのよ。
見なさいよ。私の身体に執着している間に、アンタは狙撃の標的にされて
階段からも逃げられない。私に構わず、あのまま逃げていれば良かったのよ!」
葉月は栗毛を掴まれたまま、ニヤリと微笑み返してやった。
「フフ──相変わらず、生意気な口だ!
だが──父親に連絡を取るとどうかな? 父親ならお前を盾にされて身動きもできないだろうさ?
お前の父親から金を沢山分捕って、空を自由に飛び、
辿り着いた先でお前は俺の言いなりになり、こんな生活を忘れるほどの『蜜漬け』にしてやる。
俺の側から離れられないようにな! 俺はいつもそうして女を手なずけて捨ててきた。
お前を捨てるときは……」
(そうして、女を扱ってきたわけ!? この! ろくでなし男!!)
美しい表情から醸し出される、卑しい悪魔のような微笑みに葉月は顔をしかめる。
だが……林はそうして嫌らしい微笑みを浮かべながらも……
『捨てるときは──』で言葉が止まったので、葉月は首を傾げた。
だが──なんだか、このどうしようもない『ろくでなしの美男子』が
一瞬だけ……やるせなさそうな笑顔を浮かべてそっとため息をついたようなので……
『?』
葉月は一瞬──その男が妙に哀れに感じたような気がして、自分に驚いたりした。
「お前を捨てないよう努力するつもりだが? 殺すかもしれないぞ? 飽きたときにはな!
だから──お前も覚悟して……俺の言う事を聞いておけば悪いようにはしないぞ」
「…………」
葉月は、この時……
この男はどのような『生い立ち』なのか……この非常時にふと考えてしまった。
(彼をこう追い込んだのは……何だったのかしら?
何!? さっきの寂しそうな顔は??)
そんな事を感じ始めた自分に……葉月は自分で驚いて……うろたえたりした。
(この男……孤独なんだわ……きっと……人に愛されたことはないの??)
自分でも『馬鹿』だと葉月は自分を笑いたくなった。
自分の身体を弄び、大事な親友パイロットを死に際に追い込んで……
なおかつ、父親を餌にたかろうとするこの男に『同情めいた気持ち』が起きた物だから……。
また……隼人に叱られる所だ……。
『葉月、お前は人が良すぎる……現実はもっと厳しいのに!』
隼人だけじゃない……デイブの声も聞こえてくる。
『嬢! お前は生意気なくせに、変なところでオバカで甘ちゃんだな!』
でも──最後に皆、こう言ってくれる。
『それが……お前の良い所なんだけどね? でも、程々にしろよ?』
隼人の声も、デイブの声も……急に懐かしくなってきた。
やっぱり……早く皆の所に『帰りたい!』
急にそう思った。
さっきまで……『誰も来てくれない、本当は。誰も側にいない』
そう思っていたのに……
「お願い! 父と連絡を取るために、彼と話をさせて!
私自身が父を呼ぶことに信用性がないなら、側近の彼に呼ばすように
私から指示を出すから、彼と話をさせて!!」
葉月は、初めて林の胸の中……泣くようにすがった。
(隼人さんの声が聞きたい!!)
林も急に、すがるような声で暴れ出した葉月に驚いたのか
しばし、緩めていてくれた首元の腕締めに、また力を込めて葉月の動きを止めようとした。
また……首を締め上げられて背筋が伸び、つま先があがり、息が止まりそうになったのだが。
「いいだろう……側近と最後の別れをすればいい。
父親を確実に呼ぶように指示を出せ。俺に解るように──『英語』だ、『日本語』は禁止だ」
そうして、林はやっと葉月の耳にイヤホンを差し込んで……口元にマイクを近づけてくれた。
「隼人さん──英語で話せと……許可してくれたわ」
「──!! 海野中佐! 葉月との交信許可が出たみたいだ」
隼人は耳に届いた葉月の声にやっと安堵の微笑みを浮かべた。
(『英語』でか……いいだろう……葉月だけ英語で話せばいい)
そう頭に過ぎった。
「兄さん──! 手短に葉月に早く伝えてくれ!」
「ラジャ──!」
隼人は達也と並んで、双眼鏡から見える葉月を見据えて話しかける。
「葉月──お前だけテキトーに英語で答えていればいい。俺の話を、聞いてくれ」
『What?』
「まず……お前に謝る……お前が飛び出した事も……
お前が自ら、犯人に飛び込んだことも……すべて……俺達、男達が何もできなかったらだ」
『I don’t mind a bit 』 《全然、構わないわ》
葉月のそんな消え入りそうな声に……隼人は胸が詰まりそうになってきた。
「その上……今からお前に課する事も許して欲しい……」
『…………?』
「いいか? 葉月……ボスの後ろに、西洋人がいるだろ?
まず、海野中佐がその男が窓辺に来たときに、狙撃する。
その後……すぐに、ボスを狙撃する……つまり……」
隼人は、そこでやっぱり……躊躇った。
葉月の肩を撃ち抜くなど……撃ち抜く心積もりの事を告げなくてはいけないなんて……
そこまで彼女を追い込んでしまった自分達の力なさを情けなく感じた。
『Do…… it 』 《そうして……》
「──!?」
隼人は……初めて葉月が同じ事を……海野中佐と同じ事を葉月が考えていて……
そして……通じていて……なおも『覚悟』をしている彼女に驚いた。
それだけ……この横にいる勇ましい男と、葉月が積み重ねてきた『信頼』が強いこと……
改めて……肌で感じたのだ。
だが……今、ここで隼人に『愕然』とする気持ちはちっとも湧かなかった。
それどころか……自分の上官、そして『妹のような恋人』の勇敢さや……
そんな別れた男とは言えども……
それだけの『信頼』を残して別れても尚……信頼しあえる人間でいてくれた事が『誇らしく』感じた。
その『信頼』が今、ここで短い言葉でどんなに『役に立っている』事か……。
「解った……覚悟があるなら……。海野中佐は……
お前の肩の位置、左肩だ……それが丁度良くそのボスの心臓の位置に当たるから
そこに位置を合わせて『動くな』と言っている」
『──!? ……All righit……』 《解ったわ……》
覚悟はしているようだが……やはり、葉月も少しばかり躊躇ったような返事だった。
そんな彼女の不安そうな……でも、聞き分けの良い返事の声を聞いて……
隼人はやっぱり、胸が痛んで唇を噛みしめた。
『Send for my father……call at once!』 《父を呼んで……直ちに呼んで!》
その声は、葉月がいかにも父親を呼んでいるとボスに見せかけた芝居だと解った。
「海野中佐……葉月の覚悟は決まっているようだ……後は……」
隼人はそこで、双眼鏡を眼鏡から離して……
そして……コンクリートの地面に額をひっつけて達也に頭を下げた。
「宜しくお願いします……彼女を……早く、解放して欲しい……」
その腹這いでありながらも……『土下座めいた』隼人の懇願に
達也は……驚いて、スコープから瞳を離して隼人を見つめたのだ。
「何言っているんだよ。──そうだな……
葉月の『解放』は俺が責任を持って、受け持つけどさ──
後の……負傷後……それから戦闘後の『ケア』と『看病』は、そっちの役だろ?
ちゃんと元のじゃじゃ馬に戻るよう……頼んだぜ……
それから──葉月にもっと声かけてやれよ?
覚悟をしているとは言っても、どれだけの恐怖感か解るかな?
葉月も軍人で、銃負傷の経験はあっても、スナイパーの威力で撃ち抜かれる恐怖は……
例え、男でもびびるモンだぜ? そこは──頼むよ……俺から……アイツのために……」
今度は……あれだけ瞳を輝かせて生意気そうで強気そうだった達也から……
隼人にすがるような……切なそうな……潤んだような瞳が投げかけられた。
この彼もそう……
隼人が『葉月とは信頼強き男』と、どれだけ羨ましがっていても……
『葉月が今、頼っている、一番側の男』と、どれだけ心の中で葛藤していることだろうか?
隼人には達也の瞳がそう言っているように感じた。
隼人はそこで、再び双眼鏡を眼鏡にあてて……そして──
「一緒に……やろう! 『達也』!」
達也の紺色潜入服の肩をガシ!と掴んで一緒の方向を見据える!
「任せろ! 『兄さん』! 絶対に仕留める!」
達也も隼人に肩を掴まれたまま、再びスコープに輝く黒い瞳を向けたのだ。
「終わったか? 側近との別れは?」
会話が一時途切れて、林が葉月の耳からイヤホンを取ろうとしたのだが、
葉月は首を振って抵抗した。
「まだよ! 彼と今、父を呼ぶ方法について検討中よ!
父は娘の私がこんな目にあっていても、将軍としてはなかなか動いてくれないのよ!
どうすれば、父が母艦から動くか、その事を話しているの! 邪魔しないで!!」
(嫌! 隼人さんの声をまだ聞いていたいの!!)
葉月は、そう思って必死に抵抗をした。
「早く、決めろ!」
葉月が、英語で短い返事しかしないのを、林も側で聞いていたため……
そこは納得してくれたのか、無理にイヤホンを離そうとはしなかった。
その葉月の抵抗の声は隼人にも伝わっていた。
『葉月──そのまま……俺の声を聞いていてくれ』
(隼人さん……)
隼人がそうして声をかけてくれるだけでも、葉月にはものすごい安心感だ。
『葉月? 帰ったら何しよう? そうだ……オヤジと約束していたな……
横浜に一緒に行くんだ……本島はこれから桜が満開だ』
(…………)
『怪我をさせたなんて……情けない男とオヤジに叱られそうだな……』
隼人がそっと微笑んだのが葉月には解った。
『でも、俺何でもするよ。お前が怪我しても……
あ。今、海野中佐と並んでいるんだけど……彼もじゃじゃ馬のまま帰ってこいって言っている。
ん? あ──今、横で……絶対に戦闘機には復帰できるように撃つから心配するなって言っている』
「……隼人さん……達也……」
葉月は林に聞こえないように……小さく呟きながら……
目頭が熱くなって行くのを止められることが出来なくて……とうとう瞳に涙を浮かべていた。
例え、側にいなくても……
葉月が良く知っている男二人は……自分を見守ってくれている。
二人の男の声が葉月の耳から身体に浸透して……それが涙となって伝わってくる。
『横浜の美味い中華マン……あれ、お前にも食べさせたいし……
それから……俺の弟にも紹介したい。 真一と違って生意気な高校生だけどさ』
「…………」
「早く──話せ!」
何も返事をしない葉月に苛立つのか、そんな葉月の栗毛を、林はまた掴みあげた。
「側近は……父をすぐに呼ぶと言っているわ」
「それで!?」
「先にヘリに乗り込んで、父と交信が出来るように父に待機させると……」
「よし! ゲイリー……俺はこの娘と後で行く。 先に行け!」
「…………狙撃は大丈夫だろうな?」
「お前が殺されたら、この娘を直ちにぶち抜く!」
林も決心を固めたのか、葉月の頭を掴みあげたまま……
こめかみにいつでも撃てる状態の銃口を押しつける!
林と葉月の背後に控えていたゲイリーがそっと近づいてくる……。
「海野中佐!」
「解っている! スコープの照準にあと少しだ!」
「ウンノが傭兵を撃ち取ったら……ジェイ!お前は、ボスが銃を持っている手元を狙え!」
達也の狙撃意志が固まって、フォスターからも部下に指示が飛ぶ!
「隊長! 俺にもボスの手元……を!」
サムが前に前進した。 彼も葉月に借りを返したい一心なのだろう……。
「良いだろう……ジェイと一緒に狙ってくれ! 俺と残りの者は、援護だ!」
「ラジャ──!!」
『ボス──海野中佐の狙撃意志が固まったようですよ?
ゲイリーを先に仕留めて……すぐにお嬢様ごとラムを撃ち抜く作戦のようですよ』
屋上の貯水タンクの影から、フロリダ狙撃隊と隼人の動向を見守っていた『ジュール』も
やっと止めていた口を開いて『黒猫ボス』に報告。
こちらは……葉月が捕らわれている部屋の天井……通気口。
『そうか……射撃小僧の腕の見せ所だな?
だが……小僧が仕留め損ねた時は……いいな……俺達が動くぞ!』
『ラジャー』
『ラジャー!』
エドとジュールも戦闘態勢の心積もりを高めた!
『葉月! いよいよだ!』
葉月の耳に隼人からの『狙撃通告』
葉月は身体が硬直する! どんな痛みか想像が出来ない!
達也は戦闘気乗りに復帰できるように撃ってくれると言うが……
『知っているか? スナイパーで撃ち抜くと肉片も飛ぶんだぜ?』
『ご飯時にそんな話しないでよ!!』
昔──そんな会話を達也としたことが急に頭に過ぎって流石の葉月も青ざめてくる。
でも──
『葉月──大丈夫……俺がここでお前を見ているよ……』
そんな優しい……いつもの彼の声……。
葉月はまた、唇を噛みしめて……涙を堪えようとしたが……もう、既に頬に流れてきていた。
「あ……愛している」
日本語でそう呟いてしまったがために……
「余計なことは言わない約束だ!」
林に日本語と悟られて、耳からイヤホンを取られそうになったが、
葉月は必死に抵抗して……
「お願い……『彼を愛している』と言いたいだけ!」
英語で林にすがった!
「──!! ははぁ……やっぱりお前とあの男は出来ているのか??
それで? あの男がお前の身体を訓練しただと? ベルサーチを着るのか?
あんな地味な日本人が?? お笑いだな!!」
林は葉月が泣いて泣いて叫ぶ様がよほど面白いのか……?
やっと優越感を得たのか高らかに笑ったのだ。
「最後の別れだ。英語で言ってやれ……
『愛しているがもう元には戻れない、すっかり他の男に手なずけられる所だ』ってな!」
「林、俺は行くぞ」
ゲイリーが林の肩越しに話しかける。
その目の前で葉月はまた、林に背中から抱きすくめられて……
「はぁ……あ……あっん!!」
露わになっている胸を鷲掴みにされて、急な感触に額からドッと汗が滲み出た!
薬の効果は未だに続行されている!
『葉月……その男に何をされたんだ!?』
葉月の喘ぐ声が尋常でないことが見守っている隼人には解ったようだ。
林は再び葉月の身体に執着したが故に、イヤホンを耳から外すことはすっかり忘れたようだ。
「薬……変な薬を飲まされたの! どうせなら……あなたにこうされたい!」
葉月はもう、構わずに日本語で叫んでいた!
泣き叫ぶ葉月を林は面白そうに眺めて、葉月の乳房を弄ぶのに夢中なところ。
『……なんだって!?』
隼人の怒りを露わにした声が届く。
「隼人さん……こんな事になって……ごめんなさい……!
こんな……こんな……事、されたって、今頭に浮かんでいるのは貴方……
ほら……あの……朝のよう……」
「どうだ? あの男の悔しがっている声が聞こえるか??」
葉月の身体に、無性に切ないような『快楽』が駆けめぐっていた。
「ゲイリー。行け!」
葉月を弄びながらも……そんな所とは冷静な林……。
『葉月……そう……。何も考えるな、今すぐ狙撃が始まる、しばらくの辛抱だ。
それ以上はその男は何もしない、絶対しないはずだ』
隼人の励ましの声に……葉月は僅かな理性をとどめようとする。
「あ……隼人さん……愛しているの……早く、あなたの所に帰りたい!」
葉月の瞳から溢れるばかりの涙……。
林がそれを見て満足を得たように微笑んでいた。
「丘のマンションに帰って……隼人さんの『カフェオレ』飲みたい……!
横浜の桜も見たい! もう一度……横浜のお父様にも会いたい!」
『……葉月、泣くな!』
その声に……その声……。
いつも葉月を偉そうに叱りとばす『兄様』の声に葉月は急にハッと……
泣いてばかりの瞳から涙が止まってしまった……。
『俺に……『愛している』というなら……
俺の目の前で、俺の目を見て……笑って言え!』
(……隼人さん……)
また、瞳から涙が出た……。
その目の前で……とうとう栗毛のゲイリーが窓辺に近づいた。
そして……
『葉月……西洋人が達也の照準に入ったそうだ! 行くぞ……!』
「…………」
林も急に葉月の身体に対して悪戯をやめてまた、こめかみに銃を押しつけた!
林が背筋を伸ばして、宿舎の屋上に神経を張り巡らせて……警戒を始めたのだ。
(心臓と……私の左肩!)
葉月も急に神経が『ピリ!』と引き締まって……
隼人と達也の『作戦』のために……
林の鼓動が伝わって来る位置に左肩をひっつけるよう意識する!
『そうだ……葉月、海野中佐がそのまま動くなと言っている……
海野中佐が、そのまま息を止めて、目をつむっていろと言っているよ。
怖くないから……大丈夫だ。葉月……俺は声だけでもここにいるよ?
お前がよく見える……俺がここで撃ち抜かれるその瞬間まで……』
そこで、急に隼人の声がしなくなった!
「もう充分だろう?」
そう──林にとうとうイヤホンを外されてしまったのだ!
でも──
『見守っているよ! 葉月!! 俺はここにいる!』
そう言ってくれたのだろうと……葉月には確信が出来た。
(おねえちゃま……こんな事……初めてかも!)
姉の声ばかり聞こえてきた今まで……
でも今日は違う……聞こえてくるのは『生身の人間の声』だ!
『スーハースーハー』
葉月は林の胸元で……そっと深呼吸をした……。
そして息を止めて……林の鼓動を意識して……目をつむった!
「コブラか……あのヘリを持って帰れるとはなかなかの戦利品になるなぁ
こんなでっかい、たいそうなサファイアも手に入ったしな!」
ゲイリーが窓の縁に足をかけながら……ポケットから
葉月の『海の氷月』を取りだして、朝日の中輝く光を恍惚と見つめた。
「来た! 行くぞ!」
達也のスコープのど真ん中!
妙に満足気な顔をした栗毛の男!
「葉月との交信が途絶えた!」
隼人も耳からイヤホンを外して、双眼鏡に集中力を切り替える!
「その指輪は……葉月の物だ!」
達也がそう叫びながら……
『カチ──!』
『プシュゥ──!!』
達也と隼人の目の前から、瞬速的な音、金色の弾丸がついに飛び出していった!