23.パパの幻

狭い高官室の窓際。

そこに、日が昇りきった空を眺める男が独り……。

紺色のコートを着て、腰に両手を添えて、隼人に背を向けていた。

『中将、お連れいたしましたよ』

その中将と同じ格好をした側近のマイクが一声かけると……。

『サンキュー……マイク。悪いが……』

『はい。外の見回りを一周してきましょう……』

上司の短い一言をすぐに察して黒髪の若々しい側近が

隼人とその将軍を置いて、サッと部屋を出ていってしまった。

隼人も急に緊張……。

窓辺の景色を彼はジッと見つめていて……。

その眼差しが、まつげが……恋人にそっくり……重なった。

何処か悲しみを携えているそんな瞳。

葉月と同じ目線……。

隼人より大きな体、威厳……。

最初に礼儀正しく精悍に挨拶をしなくてはならないのに、

何故だか、声をかけてはいけない気がしたのだ。

「えーと。 初めまして。娘がお世話になっています」

(え!?)

畏怖を抱いていた将軍が、急に振り返って低姿勢にご挨拶。

先ほど、会議室で見た威厳は何!?

……と、隼人がおののくほど、亮介の『おじちゃん』という

妙に憎めない挨拶に余計に身体が強ばってしまった。

「いやはや! お腹を空かしているところ申し訳ないね! すぐに終わるからね!」

『あははーー!』

栗毛をかきながら、妙に照れくさそうな将軍に隼人は益々眉をひそめた。

「ああ。そうだ! さっきマイクがくれたクラッカーがあるけど食べるかい!?」

そそくさと、簡易デスクに大股で移動して……

「おや? どこに行ったかな? おかしいな? マイクの奴どこに〜……」

大事な作戦図面をガッサガッサとかき回して除けて……

でも、捜し物は見つからないようだった。

「あの……結構です。どうせすぐに食事です」

隼人は、なんだか苦笑い。

(あれ〜? なんだか……違う。。)

でも……

(ちょっと、がさつっぽいのは葉月に似ているかも?)

そんな隼人の方が、大人しく落ち着いていたりする。

調子が狂って、想像していたような……

『お父さん、初めまして。澤村隼人です』

『うむ。良く来てくれたね? まぁ、そこに座りたまえ……』

と、言うような形が跡形もなくすっ飛んでしまったようだ。

でも……それでも隼人もご挨拶。

「本当ならば、もっと落ち着いた時、場所でご挨拶したかったのですが。

こんな緊急時に申し訳ありません。お呼びくださった事光栄です。

力及ばずながら……彼女の側にいさせていただいております」

隼人が敬礼をすると、亮介がデスクをかき回していた手を止めて

ジッと……いや……『キョトン……』と言う風に隼人を見つめていた。

「澤村隼人です。お世話になっております」

これで、隼人もとりあえず最低限の挨拶は出来たと満足。

でも……

「いいから。いいから♪ まぁまぁ。座りなさい!」

ニコニコ陽気な亮介にまた調子が崩れて

「あ……は・はい……」と

腑に落ちない気持ちで、小さなソファーに腰をかけた。

「どうだい? 陸軍式移動は初めてだっただろう?疲れているだろう?」

亮介のにこにこ顔……。

隼人は『嘘だろ?』と頬をつまみたくなった。

自分の父親の方が、まだ父親らしい威厳があるのに……。

これに気を許していいのか、いけないのか本当に戸惑っていた。

でも、亮介の屈託のない笑顔……。

(ああ。そう言えば……真一にそっくりだ!)

そう感じた。

(葉月も時々、こんな風に笑うこともあるし……)

やっぱり、親子だと実感を始めた。

でも? 『さっきの将軍だよな???』

隼人は、表情を崩さずにマジマジと亮介から視線が外せなくなった。

そんな隼人の視線に亮介の方が妙にたじろぎ……。

「いやー。冷静で洞察力鋭いとは聞いているけど。

怖いねー。その視線!」

『わははー♪』

栗毛をかきながらのけ反って笑う亮介にそう言われ……

隼人は『ハッ!』として失礼だったかとすぐに視線をはずした。

「も……申し訳ありません。その……彼女と良く似ていらっしゃるので」

隼人もあたふたとして、うつむいてしまった。

「いかんなぁ……」

亮介は足を組んで、腕を組み、

立派でフサフサの口ひげをぽりぽり、指で掻いた。

「はい?」

「葉月に父親の私と『似ている』というと、あいつは怒り出すからなぁ……」

「え? そうなのですか?」

(さっき、そう言った時……葉月、笑っていたけどなぁ)

隼人は、自分の前で見せた反応と

父親が言う葉月の反応が食い違っているので首を傾げた。

「ああ。どうして母親に似なかったのかと怒られたり。

しょうがないじゃないか? 生まれる前にパーツはセレクトは出来ないのだから?」

「え? パーツですか??」

「そうだろ? 黒髪が良かったとか、小柄な体が良かったとか。

親だってそんなこと生まれる前に選べないのだから。

なのにアイツは母親のような容姿に憧れているらしくてね〜」

亮介が『私に似ているのが気に入らないらしい』とばかりに

『ふぅ……』と疲れたようなおどけ顔でため息を……。

「そうですか? 無い物ねだりというものでは?

純日本人の私から見ると、彼女の栗毛……羨ましいですよ?」

隼人は、亮介の容姿を意識して言ったつもりだったが……

亮介は満足そうに『ニッコリ……』

「いやー! 親バカと言われるかも知れないが。

葉月はオチビの時はそれはもう! 人形のように可愛らしくてね!

今はその面影……どこにもないがねーー!! あはは♪」

どこまでも、屈託なく……隼人から見て『無邪気』は失礼かも知れないが

そんな表現しか頭に浮かばないほど、底抜けに明るいのだ。

戸惑っていてはずなのに、隼人も自然と心が和んできてしまった。

『不思議な人だなぁ。葉月の不思議さとは違う味持っているなぁ』

思わず、そんな恋人の父親の笑顔につられて

隼人も、心から微笑みを浮かべてしまったのだ。

「いまでも、仕事を離れれば、彼女も普通の『女の子』じゃないですか?」

隼人は、気を許したせいか……そう感じるままに伝えてみた。

ところが……

そこで、底抜けに明るかった亮介の顔から笑顔がスッと……

急激に消えてしまったのだ。

隼人は……一瞬……気を許したことを後悔した。

「そう感じてくれる、瞬間を……君は見ているんだね?」

亮介の妙に寂しそうな顔。

「…………」

もう、何を返事していいのか隼人には解らなくなった。

余計な事は、言わない方が良い……。そう思って口を閉ざした。

だいたい察していた。

葉月の心に宿している『トラウマ』

父親がそれを気にして当然……。

父親の自分が今は見る事はない娘の本来の姿を

『恋人の君は父親の私を差し置いて知っているのか??』

そんな風に急に責められたような気がしたのだ。

そして……恋人の父親が思うところの『真意』が判明するまで

待ちかまえることにした。

すると……。

「葉月が妻のお腹に出来たと知った時。私は『男の子』を期待していたんだ。

夫婦揃って、外国軸の仕事に没頭していたから

上の子が産まれた後は、ちょっと間が空いて出来た子でね。葉月は。

もし……『息子』が生まれたら……

一緒に稽古をしたり、バスケやメジャーリーグの試合を見に行ったり。

いろいろやりたいと期待していたんだ。ところが……

生まれてみると、コレまた娘だ。でもガッカリはしなかったけどね。

その子に素晴らしい才能があるってある日気が付いてね。

私もピアノは少々弾けるから……あの子にさせてみたんだよ。

ちいちゃな手で器用に弾いて、音感も素晴らしくて……。

ピアノなんて物足りなくなって甥の右京のように

ヴァイオリンを持たせたら……コレまた驚くほどの上達で……。

私の新しい夢は『ジュリアード音楽院に入学させる』になったんだ。

それに亡くなった、上の娘がね……。

『妹が欲しかった』と……葉月が生まれたら大喜びで。

姉の『皐月』は自分が男の子のようにしていたから、

まるで……葉月はお人形さん。

歳が離れた姉貴にいつもいつも綺麗に着飾らされて……。

歳が離れた右京もいたしね。本当に皆のお人形さんだったんだ」

底抜けに『お茶目』に見えていた亮介が……

穏やかな懐かしそうな視線を、隼人からはずして遠い目をする。

(葉月からも……聞かなかった話だ……)

隼人は『皐月』の事が明確に話で出てきたので妙に緊張してくる。

もちろん……解っている内容なのだが

やっぱり……毎日側にいる隼人ですら……

葉月はこんな風に『幼少時代』を語ることも『稀』であって……

もちろん……隼人から『皐月について』聞こうとすることは避けたいた。

でも……

「そうでしたか……。私が想像していた通りです。

きっと……それは可愛らしいお嬢ちゃんだっただろうし……。

彼女がフランスで言っていました……。

長い髪でいるのは……お姉さんが……

学校に行くときはよく髪結いをしてくれて『髪は大切に』と言っていたから……。

だから、彼女は髪はいつも大事に手入れしているのですよね。

彼女の中でのお姉さんの影響が大きいと言うこと……

彼女から聞かなくても、肌で感じています……」

隼人は飾らずに思ったことは『正直』に

そして……痛いところを触れないで曖昧な返事で流すことはしたくなかった。

これからはずっと……そして避けてもいつかは

この葉月の幼少時代について触れていかなくてはならない。

葉月が語らなくても、御園一族の者とは

話していかなくてはならない事……。

そう思ったから……『曖昧』は避けたのだ。

亮介は、そんな隼人の真っ直ぐな受け答えを聞いて

底抜けに明るい態度でなくて……『にっこり』……穏やかに微笑んでくれた。

その顔……。

ヒゲで妙に『威厳』を醸し出されているが美しい笑顔だった。

(昔……もてたんだろうなぁ……)

若い頃はどれだけの男ぶりだったことか……?

そっくりな『娘』だって、微笑むと男が皆柔らかくなってしまうのだから

この亮介だって例外ではないだろう……。

歳は隼人の父親より少しばかり若く見えるが60は近いのだろう?

なのに、かなり品の良い雰囲気が軍服なのに醸し出されている。

そこですら。恋人の葉月に受け継がれていて

やはり……『親子!』とうならざる得ない。

そんな、不思議な『御園の魅力』を隼人は痛感した気がしたのだ。

「そうかぁ。葉月がそんな事を言ったのだね?

母親が常に『女の子らしいままにしておきたい』と口癖でね。

だから……母親が喜ぶから髪を伸ばしたのかと……。

本当ならば、男仕事場。短く切るように私も言わなくてはいけないのだが……

どうも……『幻』が手に戻ってきたような気がしてね……」

『甘いかな?』

そう自身なさそうに呟く将軍に出逢ったのも隼人は初めてで

本当に調子が狂いそうだったが……。

お人形のようだった娘がいまは姿だけでも昔のまま。

その気持ちは、隼人にもすぐに共感が湧いた。

そして……やっと、解った。

(俺の目の前に、今いるのは将軍じゃない……)

『パパ……』

一度だけ……あの山本に追いつめられた瞬間に葉月が

無意識に囁き続けたあの『言葉』

(そう……ここにいるのは葉月のパパ……なんだ)

隼人の父親と雰囲気が違うのも頷けた。

娘2人の『パパ』なのだ。

男兄弟の父親である和之とは堅さが全然違う。

職場では、威厳ある将軍でも……。

父親になれば『ソフトなパパ』

それが亮介が持つ本来の『姿、味』なのだと隼人は確信した。

「安心しました」

隼人は、神妙に将軍である亮介を見据えた。

その輝く黒い瞳に見つめられて亮介が固まったのが解る。

「勿論、軍人として彼女が選んだ道ですから……

父親としても仕事は厳しく叩き上げるのも大切な事とは思います。

ですが……彼女……本当に普段は『女の子』なのです。

私のように、付き合って日が浅い男に理解してもらうより、きっと……

お父さんにその様に『女の子』として感じてもらう方が……

彼女きっと喜ぶと思います。

彼女自身はどこか意地を張っているかも知れません。

首を突っ込むつもりも……今のところはありません。

でも……せめて……

お父さん側からその様に感じていることが解ってホッとしました……

それぐらいは……『甘い』なんて事ないと思いますが?」

隼人の『きっぱり意見』に亮介がまた『キョトン……』としている。

(うわぁ。初対面の間柄なのに……偉そうだったかな??)

心の中では結構……動揺。

「いやぁ♪ そう言ってもらえて良かった!!」

『あははーー♪』

また……元の明るい陽気さに逆戻りの『パパ』

隼人は苦笑いはこぼしたものの……

(だんだん見慣れてきた。。)

と、そんな亮介に戻ってくれて『安心』している自分に気が付いたり……。

「……」

「……」

キリが良くなって、今度は『沈黙』が二人の間に流れた。

「えーと。甘いついでに……君をここに呼んだ訳なんだがぁ……」

また亮介は栗色のヒゲを指でいじり出す。

「はい……なんでしょうか?」

隼人もちょっと緊張……。

すると、亮介は迷彩軍服の内ポケットから、何かを取り出して隼人に差し出した。

(写真?)

目の前の……自分より大きな男の手が持つ物をそう判断しながら

おそる、おそる手にしてみる。

『!!』

隼人の反応を見て、亮介がまた穏やかに微笑む。

「20年も前の写真かな? 葉月は6歳か? 皐月は……16歳だったかな?」

若々しく逞しい……白い正装軍服の栗毛男性の両脇に女の子が二人……。

一人は、『パパ』よりちょっと低めの背丈、でも高身長の栗毛ショートヘアの女性。

大人っぽい黒いノースリーブのシンプルなドレスを着ていた。

その……豊満なスタイル。それは妹の葉月が持っていない体型だった。

もう一人は……小さい長い髪の『少女』

(うわぁー! お父さん……やっぱり男前!)

(コレが……皐月お姉さん?? 16歳には見えない! 色気ある美女!)

その第一印象と共に襲った次なるさらに大きな衝撃!

(これ? 葉月???)

ほっそりとした色白の女の子。

何かのパーティだったのか? ちょっと背伸び……おしゃまな水色のワンピース。

ノースリーブから出ている白くて長い腕……

6歳にしては、これもやはりどことなく大人びたおしゃまな女の子が

パパに甘えるように彼の腕にしがみついている。

(わぁ……本当に人形みたいだ!)

隼人は想像はしていたし、その通りの恋人の少女姿だったが……

(予想以上だ……可愛い!!)

と……かなり衝撃を受けていた。

隼人が身動きもせずにジッと眺めている姿を亮介が妙に得意げに見つめていた。

その視線にやっと気が付いて……隼人はそっと彼に写真を返した。

「あの……彼女のお姉さん……初めて見ました」

「……だろうね? 葉月は、姉貴の写真を持っているだろうが……

見ようとは思わないかもね? 君がうちの事情を知っていることは、ジョイから聞いているよ。

だから、ここでは改めて話さないことにするよ……」

陽気で穏やかだった亮介が……

先ほど窓辺で見せていたような、葉月に似た憂いある瞳をそっと伏せる。

隼人も、その当事者でもある父親の苦悩は想像だけでもわかるので

そこは、無理に言葉をかけようとは思わずに口をつぐむことにした。

「葉月は……皐月の事は『心で思い出す』事にしているようだから……。

私のようにこんな風に『物』としては持っていないと思うな」

「……」

確かに……葉月が姉の写真を見せてくれないのは、

『見ると思い出すから……』

そう思ったから、隼人も無理には『見せて』とは言い出さなかった。

「きっと、写真で明確に姉貴を目にすると……

『愛しさ』 『悲しさ』 『虚しさ』 『怒り』 『憎しみ』……

ありとあらゆる感情が、葉月の中に生まれてしまうのだよ。

見ていて解らないかい? 葉月が『無感情』で『感情がばらける』って所……。

無理に『無感情』を努めてきたから……あの子は逆に普通の感情を浴びると

コントロールが出来なくなるんだよ……。

普通に感じる事を訓練されないまま……10歳からそのまま育ってしまったのだよ。

守ってやれなかった……私の不甲斐なさというか……」

あんなに明るかった将軍が……苦悩の表情を浮かべてうつむいてしまった。

そこにいるのは本当に『将軍』ではなく、

自身の力のなさを噛みしめている『父親』がひとり……いるだけだった。

隼人は『慰め』の言葉もかけられないし……

かといって『励まし』の言葉もかけられなくて……ジッと彼の次なる動きを待つことに……。

「幻なんだよ」

亮介が今にも泣きそうな目元でそっと……その写真を胸ポケットにしまい込んだ。

「幻?」

「ああ……。この写真の光景は……もう、幻なんだ」

亮介のその哀しいうつむき顔……。

隼人はまた、言葉を失ったが……その気持ちは良く解った。

だから……またかける言葉を見つけることが出来なかった。

だが……亮介はすぐに隼人に向けて笑顔をこぼした。

「幻なんだが……でも、私はいつか……葉月だけでも元に戻ってくれると信じているんだ。

それで……君がその葉月を少しずつ……引き出しているのじゃないかと思って……」

「いえ! 私なんて……側にいるだけで……。

それに! 彼女にいつも夢をもらっているのは『僕』の方です」

「夢?」

亮介が首を傾げた。

隼人は思わず出た本音に自分も驚き!

動揺のあまり、また言葉が続かなくなる。

でも……亮介はそんなはにかむ隼人にただ、ただ屈託のない笑顔をまた、こぼしてくれた。

「馬鹿な娘で……。自分のことは不器用な子で……」

「はぁ。何となく解ります……。人のことばかり気にして……」

「やはりそうかい? 昔は大きな兄貴に姉貴に甘えん坊だったのになぁ」

「……そう……垣間見せてくれれば私だって……」

「隼人君は……」

隼人と呼ばれて隼人も背筋がピッと伸びた。

『澤村少佐』と言われるより緊張したのだ。

「長男だったかな?」

「あ……はい……」

「じゃ。葉月が甘えるのも無理ないね?

皐月にもべったりの葉月だったが……どうもお兄ちゃん子って言うのかな?

右京や近所にいた真一の『父親』にもだいぶ可愛がられていたから……」

「ああ……そう聞いております。彼女からも……

特に鎌倉の従兄のお兄さんには大変可愛がられているようで……

それに……フランク中将も……」

「きっと君には自分が出し易いのだろうね?」

「いえいえ……ですから……私は……」

隼人は『おこがましい』とばかりに謙虚にしていると、亮介がまた陽気に笑い出した。

「あはは! 見てみたいな〜! そんなじゃじゃ馬♪

大人になってからはそんな葉月は見たことなくてね〜!!」

「…………」

そんな陽気な亮介であると隼人も『元のおじさんに戻った』と安心するのだが……

徐々に『カラ元気』で……裏返しで陽気でいるのじゃないかとも思えてくる。

「彼女だって……心の傷は消えなくても……きっと……

きっと……昔の姿今からだって取り戻せると僕だって信じています。

それに……僕は……彼女にいろいろと……元に戻してもらったから……」

隼人の黒い瞳がそっと潤んで陽気に笑うばかりの、恋人の父親を見据えた。

その奥深い輝きに亮介もカラ元気のような笑い声をふっと止めたのだ。

「じゃぁ……その……。娘のためにも……是非戻ってきて欲しい……。

指揮官として本当なら部下には成功第一の『志気』を叩き込むべきなんだが……

その……『甘い』と言われても君に言いたかったのは『その事』……なんだ。」

「はい? その事とは……??」

亮介はまた、照れたように栗毛のヒゲとぽりぽりとかきはじめる。

「だから……『逃げられるときは思いっきり逃げろ』っていうのかな?

だから……その、命は一つでそれが任務より一番大事って事だよ。」

「…………」

『娘のために……娘を哀しませないよう絶対帰ってきて欲しい』

それが隼人のためよりも娘のためと知って……

隼人は、勿論自分のことも気遣って言ってくれた言葉と受け止めたが

やはり……娘のことを考えている父親を見てなんだか胸に込み上げるものを感じた。

でも……

「彼女との栄光。彼女との夢。僕だって命を粗末にするつもりはありません。

出動前……彼女と話しました。

僕の母親は僕を産んだが為に弱い身体を余計に壊して若くして亡くなりました。

彼女が言いました……。せっかく残してくれた命だから……大切にしようって……。

でも、僕と彼女は『軍人』として出逢って付き合って毎日一緒に仕事している。

一番の成功は……彼女の部隊に花を咲かせること……。

僕はそう思っています。もっと言えば中隊を残していった先輩……

『遠野祐介大佐』の意志の継続でもありますから……

彼女と一緒に仕事を始めたのも、遠野先輩の意志を一緒に引き継いだからです。

だから……安易には逃げません。」

隼人の確固たる任務への『覚悟』

黒い瞳に射抜かれて、将軍である亮介の方がたじろいでいた。

しかし、その言葉を受け止めたのは『将軍』でなく『パパ』の方だったらしく

そんな隼人のせっぱ詰まる覚悟に身を乗り出してきた。

「隼人君! 君の……娘を中佐として立ててくれる気持ちは嬉しいよ?

その気持ちも軍人としては当たり前だよ?

だけれども……君までいなくなったら。葉月はもう……」

そこで亮介が言いたいことを止めてしまったが……隼人がその続きをすぐ切り返す。

「パートナーをフロリダに送り出し、尊敬していた上司には死なれた。

だから……次に僕まで失ったら……『あとがない』とでも?」

「そうだよ! 葉月を愛しているなら……無理はしないでくれないか?」

「嫌です」

一部下のキッパリとした言葉、揺らぐことない意志に亮介が強ばった。

「そんな背を向ける男。彼女には似合わないと思うから。

僕は彼女にふさわしい男になりたい……

お父さんなら……男として僕の気持ち解ってくれると思いますが?

彼女が軍人でいたから……僕の目の前に今彼女がいるんです。

彼女が今から僕に寄りかかるお嬢ちゃんになるとも思えない。

『幻』は戻ってこないかも知れませんが……

先にある未来を描くことはいくらだって出来ると思うのです。

だから……軍人としての難関は自分の力で乗り越えたいのです。

それに……僕は彼女を……」

『無理矢理……女性としてもらってしまったから』

それは……さすがに父親の前では言えなかった。

「彼女のためにも戻ってきます。使命を果たして……」

自分で偉そうな事を言って……天の邪鬼に心配してくれる恋人の父親の気遣いを

はね除けたこと……少しばかり……自分が大それた事を言っていることも隼人には解っていた。

でも……

だからといって……将軍の『逃げてもいいよ』のお墨付きをもらって

彼女の元に悠々と戻ってくるのは嫌だった。

それが言いたかっただけなのだ。

勿論……そんな隼人の頑固さに初めて触れた亮介はため息をついたのだが……

「嬉しいよ。葉月の側にこんな頼もしいお兄さんがいたなんてね。

ジョイから聞いていたんだ。落ち着いていて冷静で本当に葉月を大切にしているって。

君が、葉月の心を少しずつ開いているってジョイが喜んで報告してくれた。

遠野君が亡くなった時の葉月の精神の乱れ様は哀れでね……。

それが繰り返して欲しくなくて。

でも……余計な……親バカだったね……許してくれよ?」

「申し訳ありません……せっかくのお気遣いに対して

随分と失礼な事……生意気な事言いました……」

隼人は男としての意志が通じたようで安心したが……

そこは一部下として急に我に返って慌てて頭を下げたのだ。

でも……頭を上げるとそこには、元の『にこにこ将軍』がいるだけだった。

「君とは……もっとゆっくり話したいなぁ。

なんだか……葉月に対する心配が退いていくような気持ちになるよ♪

帰ってきたら是非……ワインを一杯。目がなくてね私……。

マルセイユは君、詳しいだろう? 美味しいお店を教えて欲しいな!」

今度は『パパ』からの快いお誘いに隼人はビックリ仰天して硬直した。

しかし……『美味しいお店に連れていって!』

初めて出逢った葉月の最初の願い事を思い出した。

やっぱり……『親子だなぁ』と隼人は微笑んでいてしまった。

「その約束を守るためにも戻ってきてくれよ?」

「中将と約束なんて……」

将軍からそんな約束を申し出されて隼人は戸惑ったのだが……

「いや。葉月には内緒の……男と男の約束だ♪」

亮介のにっこり笑顔……まるで真一にそっくりで隼人は思わず……

こくりと頷いてしまっていた。

頷いた隼人に、亮介も胸張って何故か得意げそう……。

「引き留めて悪かったね。じゃぁ、今からは『指揮官』と『少佐』ということで」

「はい。行って来ます。将軍……」

「無事帰還、祈っているよ……」

「有り難うございます!」

少佐に戻った隼人は、御園中将に向けて『敬礼』を胸張って差し向ける。

亮介も腰を上げて、『健闘あれ』と敬礼を返してくれた。

立ち上がるとやはり……がっしりとした勇ましいパパ。

しかし、目の前の亮介の顔は既に『将軍』

葉月が毎朝、小さな木箱に立ち上がって冷たい表情でする敬礼と一緒だった。

そこに『御園の不思議な力、威力』が備わっている。

隼人は、御園父娘をそう感じずにはいられなかった。