13.張り合い
「澤村少佐はただいま、作戦計画の演習の真っ最中で……」
中佐室に和之を入れて早速、応接ソファーに彼を休ませた。
葉月はキッチンにてコーヒーを入れるジョイを気にしながら
澤村社長の向かい側に優雅に腰をかけてそう告げる。
「そうですか。構いません、息子の邪魔にはなりたくありませんし。」
「19時に食事の時間になるそうです。その時に……。」
和之がチラリと腕時計を眺めた。
やはり……久しぶりに会う息子のことは心待ちにしているのが
葉月には解る。
『どうぞ……ミルクとお砂糖はお好みでお使い下さいね。』
ジョイがいつも以上の品を放って丁寧に和之の前にコーヒーを差し出した。
ミルクとお砂糖が添えられる。
初めてのお客様には、砂糖もミルクも入れないようにしている。
金髪で青い瞳の青年が流ちょうな日本語で差し出したので
和之は違和感があったのかジョイをそっと見上げたのだ。
「日本語。お上手ですね。」
お客様のニッコリにジョイは照れて
トレイ片手にソファーの後ろに下がってしまった。
「フランク准将の息子です。つまり……ここの連隊長……
フランク中将の従弟ですの。私の幼なじみですから……
日本語と英語は幼いときにお互いに交換って事で教え合いまして。
昔から私達は何でも一緒でした。訓練校も、家族同士のバカンスも。」
『ね?ジョイ?』と葉月が笑いかけるとジョイもニッコリ……『そうだね』と。
葉月がニッコリ、ジョイを紹介すると和之は少し驚いたようにジョイに振り返った。
「いやぁ……。こんな素晴らしい同僚に息子が囲まれているとは……!」
ジョイの血筋のすごさは……軍人でもないのに
神奈川校に出入りしているだけあって社長は良く知っているようだった。
ジョイは益々照れてしまっていつもの生意気な勢いもどこへやら……。
それほど……ジョイも隼人の父親の威厳に蹴落とされているのが
葉月にも解る……。
和之は穏やかな笑顔でジョイに『頂きます』と微笑んで
早速、カップにお砂糖を一杯、ミルクを多めに入れて一口。
「美味しいですよ。お若いのになかなか……」
「有り難うございます。」
和之のお褒めにジョイも一安心したのか
「では……ごゆっくり……」とサッと中佐室を出ていったのだ。
コーヒーを一時味わっている和之は、中佐室をジッと見渡していた。
隼人の父親が何を感じているのか葉月も観察……。
彼がコトリ……とカップをソーサーに置いた。
「驚きました。本当にお若い方ばかりで……。
本部員がこんなに大勢いる中隊長の側近ですか……うちのせがれが……」
「私、自身もまさか自分が隊長になるとは思ってもいませんでした。
それも、この中隊を大きくしてくれた前隊長の『遠野大佐』の功績。
この引継が出来たのも、大佐の後輩である澤村少佐が
フランスから腰を上げて若輩な私の元に来てくださったお陰です。」
葉月の先ほどとは違う冷たい落ち着いた顔に和之が見入っていた。
「あなたもお若いのに大変ですね……。
お家柄上、周りの方が放っておかないのでしょう?
女性だというのに上へ上へとたたき上げられる……。
周りの期待に応えて下の者を引っ張る……。
その気持ちは、長男と言うことで社長を偶然している私も
少なからず解るつもりです。」
始終穏やかな彼の父親……。
(いつも抱いていたイメージとはちょっと違うわ)
もっと厳しい父親を葉月は思い描いていたのだ。
葉月は叱られる覚悟もしていたし、小娘扱いされることも覚悟していたのに。
彼の父親は葉月には一切小言は言わなかった。
「社長をしていらっしゃる方にそう言っていただくと、嬉しく思います。
ですが、現状、私は26歳という……若輩者です。
私をサポートしてくれる優秀な男性隊員達の力あってこそ……。」
葉月は当然の事だが、始終謙虚に接した。
「その男性隊員がついてくる何かがあなたにあるのでしょう。
一目見て……そう思いましたよ。嘘じゃありません。」
再びカップを口に付けた和之の瞳が真剣に葉月を射抜いた。
その瞳……『隼人さんにそっくり!』……そう思った。
葉月に何か強く訴えるとき。
穏やかで控えめな隼人も、この強い眼差しで葉月を見つめることがある。
隼人の雰囲気にそっくりだと初めて感じた。
それも……『社長』という偉大な仕事をしている人間。
人を見る目は、かなり養われているはず。
その男性に、『嘘じゃない』とその瞳で射抜かれては……
『お世辞』とも取るわけには行かず、葉月は言葉に詰まって困惑した。
一瞬……フランスで初めて隼人と仕事で向き合った
あの……『カフェオレ』を飲ませてくれた藤波中佐室に戻ったような気がした。
その途端に……またまた社長は余裕気にニッコリ……。
「飛行機を降りて一目見たときは『可愛らしいお嬢さん』と
描いていたイメージ通りでした。
しかし……隊員達と接するあなたの顔。
私という『社長』と対するその目……。
これは『女性』じゃないと感じましたね。」
「え?」
「これは失礼。働く女性に対して失礼でしたか?
しかし……タダの女性佐官なら、あれほど隊員達が畏れを抱きますかな?
私に気遣ってくれた整備員も、ゲートにいた警備員も……
あなたとすれ違う隊員達も……。
皆あなたを見る目は『中佐』としての眼差し以外何もありませんでしたし。
あなたは彼等よりずっと大きく見えましたよ?」
こんなに持ち上げられていいのだろうか??? と、
葉月は夢でも見ているのかと自分の頬をつねりたくなったほどだ。
「あの……本当に私は……。」
「息子がついてゆくと決めた気持ちは、あなたにあってすぐに理解できました。
せがれも、自分が持っていないあなたの力を知っているのでしょう……。」
「買いかぶりです。」
葉月の落ち着いたお返しに、和之はにこりと微笑んだ。
「26歳の女性にはみえませんな。いずれは見せて下さいますか?
息子が惚れた女性はいかほどか……それも気になるところです。」
葉月はその言葉こそ……『どっきり!』と胸強くうったが……。
(ダメ、ダメ! 今は……中佐!)
『恋人』としての片鱗は今は見せるわけに行かなかった。
葉月は『上官』として彼の父親を呼んだのだ。
彼に『帰省休暇』を一切与えなかった上官の不届きとして……。
葉月は『惚れた女性』は女性でなく『女性上官として惚れた』と取ることにした。
「そうですわね。いつも少佐には言われます。
じゃじゃ馬慣らしは辛い……と。彼も女性とは見ていませんわ。」
これはかなりの大嘘……。
しかし、彼の父親がそこを『息子の彼女』と見抜いていても
だからといってすぐにしとやかに『彼女らしさ』を出す気はなかった。
それでなくとも、彼に内緒で彼の父親を呼んだのだ。
彼が『俺の彼女』と紹介してくれるまでは『恋人気取り』はルール違反。
それこそ、隼人が『勝手な事するな!』と怒り出すに決まっている。
ここはどうあっても『上官』で通す。
それが隼人がいなくても『葉月の信条』なのだ。
そんな冷たい顔の葉月に、和之はなにやら面白そうに
『クスクス』と笑い始めた。
そんな余裕気に落ち着いているところは本当に隼人とそっくりだ。
「右京君が私を送り出す前に言っておりましたよ。
『気取った女中佐ですが、本当はタダのオチビです。大目に見て下さい』と。」
葉月はそれを聞いて、顔がかぁ……と赤くなるのが解った。
(もう!! お兄ちゃまったらなんて事吹き込むのよぅ!!)
せっかく葉月が、隼人の上官らしく平静を保っているのに
年上の従兄がそんなこと吹き込んだとあっては立場がない。
そんな葉月のうろたえを見たためか、和之は急におかしそうに大笑い。
「あなたも。大きいお兄様には敵わないようで……」
「まったく……。従兄の兄はいつもやられます……。
まぁ……ですが、本当のことですわ。
私は、この様な地位に就きましたが本当に兄様から見れば
まだまだ、経験浅いヒヨッコのようですから……。
いつも……そう言われています……。
そんな経験浅い私のために、年上で落ち着いている少佐が
フランスからやってきたようなものです。
少佐には、色々と支えていただいております……。
私は……まだ26歳ですし……彼の方がキャリアでも先輩ですから。」
「その先輩がやってのけられないことをあなたはやるのでしょうな……。」
『お前が先頭に立って
初めてみんな、思いっきり仕事できるんだから。
御園がもつ、持って生まれた威厳は大切にしろよ。
俺達、一世隊員には出来ないことお前は出来るんだから。』
隼人が時々、この様なことを言って葉月を前に後押しする。
その事を、この父親が言っているのが葉月には解った。
「じゃじゃ馬ですから……」
自分も結構素直じゃないな……と葉月はうつむきながら呟いた。
「そのじゃじゃ馬が、皆を前に前にと行かせているのでしょう?
もし……本日息子に会えなくても……
あなたに会えたこと……そして、本部の活気を見せていただいただけで
私も安心したしました。これで帰ってもいいぐらいです。
息子には勿体ないほどの環境がここにはあるようで……。
家業を手伝わすよりかは男として格も上がっているでしょう……。」
『息子に会えなくても……』
その覚悟もひとかけらでもあるのかと、葉月は驚いて和之を見上げた。
そんな葉月の驚いた顔に、和之もニッコリ……。
「お正月は……いらぬ気遣いをさせたようで……。
父親としてあなたに申し訳なく思っています。
隼人は怒りませんでしたか? あなたに辛くあたったのではないかと……。」
澤村社長が初めて『息子』を『隼人』と呼んだ。
そして……初めて弱々しい父親の顔をしたような気がした。
葉月はその『強くあるべき父親の弱い姿』に弱い。
自分も、父の弱い苦悩の姿を見てしまっていたから……。
「いいえ。 何も辛くもあたっておりません。」
これは本当のことだ。
ただ……一言……。
『葉月の立場が悪くならないよう、俺が親父に連絡するから口出しはしないでくれ』
そう、キツク言われたこと以外は、
お互いに言い争いもしていなければ、あたられてもいない。
それ以外は何もない。だから、葉月もここまで放ってしまったのだから。
「それなら良いのですよ……。
なんせ……フランスに15年も閉じこもっていた頑固者ですから。
あの頑固さは……母親譲りかも知れませんな。
あれの母親は、自分の体が弱いと解っていても
隼人を産むと言い張ったほどでしたからな。」
「母親とは……その様なモノでは?立派なお母様だと思いました。
ですから……今回は必ず……」
葉月が隼人の帰還を誓おうとすると和之に手で制されて止められた。
「それは……あなたの責任ではありません。
息子が生きて帰る帰らないもあの子の『運と実力』
何があってもあなたが背負い込むことはないのですよ。
軍人とはそうゆうモノでは? 今回息子はなんと?
あなたに言われるから行くと言うような
情けないことを言っているなら私にお返し下さい。
男なら、軍人として自らの使命と思って任務に赴いていもらわないと困る。」
先ほど垣間見せた苦悩する父親の姿など一瞬にすっ飛んでいた。
その瞳の輝き。発する言葉。
それこそ葉月が前もって抱いていた『厳しい父親』
そのイメージが今そこに……目の前で見せつけられたのだ。
だから、葉月は絶句した。
他に言い返す事は何もなかったからだ。
「少佐は、着任が決まってもうろたえることはなく……。
落ち着いておりました。お父様がご心配するような姿はありませんでしたわ。」
葉月がキッパリ……告げると、
父親としてか、和之は安心したように微笑んだ。
「それなら良いのです。あなたも気に病んではいけませんよ?
それに、隼人が横浜に帰ってこないのはあなたのせいじゃありません。
これは、隼人がこの小笠原に来る前からずっとあったことです。」
話が徐々に核心に近づいているようで葉月は内心『ヒヤリ』としてきた。
その上。『あなたも気に病んではいけませんよ?』などと……
本当に、自分の父親に諭されているような気がしてきて
どんなに葉月が『息子の上官』として平静を保っても
やはり……当たり前なのだが現役の『社長』には
どことなく、さり気なく『小娘扱い』……。
良い意味で、『敵わない』と葉月は降参した。
和之がコーヒーを一杯飲み終わった頃には時計は17時を回ろうとしていた。
話が『核心』に近づいたところで、和之が急に席を立つ。
「隼人のデスクはそのついたての向こうに?」
「え? あ……はい。宜しかったらどうぞ?」
葉月もソファーから立ち上がり、ついたて向こうの
デスクの間に和之を案内した。
和之は、葉月の中佐席を一目眺めて、すぐに角合わせになっている
スチールの席へと向かっていった。
その内に、和之は息子が触っているパソコンを覗き始めた。
「うちの製品ですか? おや? 偶然かな??
小笠原に製品を置かせていただくようになったのは五年前からかな?」
息子の席に、自分が作っている製品があるのが意外だったらしい。
「遠野大佐がここに赴任した際、この部屋が増築されました。
その時……そのパソコンが設置されまして……。
私が一時期、空軍管理で使っておりましたが今は少佐が……。
自身のノートパソコンと繋げて巧みに管理しておりまして
私が使うより、使いこなしているようですわ?」
『ほう?』……と、和之は隼人の椅子の方に回ってなにやら
色々と見回り始める。
「なんと……。 隼人の奴。勝手にいじくっているな??」
「ええ。彼が勝手にドライバー持って中を触っておりましたが
私はその点はトンと疎いので、勝手にさせておりますが……。」
彼が入隊してから……
『まったく、使いにくいったら! ヴァージョンアップさせる』とかいって、
どこからともなく部品を調達してきては、勝手にいじくっていたのだ。
その調子に乗って、近頃はジョイまで隼人に感化されて
二人一緒に何を始めるのやら……
『自分のデスクだけにして!』
本部内のパソコン改造に夢中になっても困ると思い、
葉月は二人にはそう言い渡していた。
勿論、二人とも自分のデスクのみにしか手を出さない。
それでも、二人そろって今度は……こうしよう・ああしようと触っている。
「まったく、けしからん……!」
和之が、何かを見抜いたのか急にふてくされたのだ。
「葉月君は、パソコンは使わないのかね??」
「え?……はい。彼が充分使いこなしておりますし。
私は……手書きの書類がほとんどですから……。」
「いけませんなぁ! F−18を乗りこなす中佐が使わないのは……」
「はい?」
「こんな小僧が改造したモノよりもっといい物をあなたの席に付けましょう?」
「え!? でも……私は……!」
「隼人の席にあるのは、だいぶ旧式ですよ? 三年前のモノですなぁ?」
「あ。はい……その頃、大佐が赴任してきましたから……。」
「これじゃぁ。うちの隼人がいじくって当然ですな。
息子が、うちの製品はこんなモンと思っているのがけしからん!」
葉月が使いこなす云々はどうでも良いと解った。
葉月は……そこで工学血筋の父親と息子の張り合いが
始まっているのだと、苦笑い……。
マクティアン老先生の『父子話』が頭の中をよぎった。
「今度、特別に入荷できるよう横須賀の叔父様に頼みましょう?
試供品で提供しますよ??」
「……。有り難うございます……。フランク中将にもそう申しあげておきます。」
『まったく! 隼人の奴……勝手にいじりまくって!』
和之は始終、そうしてふてくされていた。
自分の製品が勝手に改造されたからか……
父親として息子の改造具合に何か燃えるモノがあったのか……。
それは……女の葉月にはやはり解りかねる心理だったので
そこはそこで……葉月も始終苦笑い。
「今は画面が綺麗で薄型でお席にも邪魔にならない液晶画面の
ディスプレイがありますから、この中佐席に設置しても差し支えないかと?」
和之は今度は、葉月の席に来て『ここにこう設置して!』と
かなりの意気込みを見せ始める。
まるで、どこかの営業マンがやって来たかのようで葉月はタジタジ……。
『うう……。さすが……社長……。』と唸ってしまうほどだった。
和之の力説が終わって、葉月はそこを見計らって中佐室を出た。
「ジョイ? お父様を……ホテルまでお連れして。
ご案内が終わったら……ロイ兄様の所に連れていってくれる?
兄様も一度お逢いしたいと言っていたから、
来たら連れてくるよう言われているの。私はここを離れられないから。」
『エスコート上手』のジョイにバトンタッチ。
ジョイはいつになく緊張しつつも……
「オーライ♪」と引き受けてくれたのだ。
『じゃ。葉月君。後で!』
和之は颯爽とジョイに連れられてひとまず本部を出ていったのだ。
葉月もホッと一息……。
「なんだよーー! お嬢!随分立派なオヤジさんじゃないか??」
ジョイが和之を連れて出た後、山中もかなり驚いていたようだ。
「うーん……。 隼人さんに似ているかも。。。」
「へぇ? どこが?? 外見はそう似ていないような気がするけどな?」
「父子ってああいう事言うのかしら??」
『中身』は結構似ている……と葉月はため息をついた。
純一と真一もそこはかとなく外見は似ているが
やっぱり? 中身も一緒なのかと思うと……葉月は首を振りたくなった。
(いやよ! あの可愛いシンちゃんがあんな意地悪なお兄ちゃまに似るなんて!)
葉月が『ちがう、ちがう!』と、首を振りながら中佐室に戻るのを
山中は訝しそうに見送っていたのだ。
葉月は、中佐室に戻って一息、自分の席に座った。
『まったく、けしからん! 息子がうちの製品をこんなモンと……』
『まったく、使いにくいったら! ヴァージョンアップさせる!』
隼人の席を眺めて、そんな二人が……
やっぱり似ているのが嬉しいような気がしてきた。
『張り合いかぁ……』
仲が悪いと見せて、実は同じ様なところで繋がっている。
それなら……何とかなるかなぁ……と少しばかりホッとしたような気はしたのだ。