-- メイビー、メイビー --

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26.ある日、愛の日

 

 まったく頭の中が混乱し、すっきりまとまる糸口もつかめないまま。  『英太ー、ごめんなさい〜』と幼馴染みの彼女が胸に飛び込んできた。

「大佐は悪くないの。私がいつものように男の人をからかおうとして……。それで奥様のミセスまで巻き込んだのは私なの。大佐のこと怒らないで」

 その説明だけで、英太は何が起きたのがすぐに理解した。
 どうして小笠原に来たのかは定かではないが、御園大佐が連れてきたなら、華子には『銀座』という男が集まる場所で勤めているので、その経緯もなんとなくは予測できた。
 そして小笠原に来た華子が、御園大佐にひっつているうちに。また、いつのもことを。『こいつ、またやってしまったのか』、英太はそう思った。
 よりによって『俺の職場で、俺の上官に、いちばん親しくしてもらっている夫妻の間に割ってはいって』いつもの悪さを発揮したんだって。

 この見目麗しい幼馴染みが、度々、男の性を逆手にとって男をどん底に落す『勝負をしかける』ことを英太は良く知っていた。
 華子の父親はあんな男だったが、華子としては最後に守って欲しかった親、しかも男親の父親に身体を売り物にされそうになったショックから、華子がこんなことを繰り返しているのだと英太は解っていた。これは華子の『男のスケベ本能への復讐』なのだと。
 特に『美味しそうな女体』としてだけしか目的がない欲情した男には、華子は手厳しかった。だが……その男のプライベート、つまり家庭が崩壊するような、その向こうにいる妻自身を傷つけるようなことはしないよう、男との間だけで決着を付けていたはずなのだ。しかも華子がすべて勝ってきたはず。どの男も結局、いやらしい遊び心の弱みを握られてしまうとあっさりと退陣。華子のおもうままだった。いままでは。

 ここまで考えらた時。英太の混乱という霧に渦巻かれていた頭の中で、ふっと晴れ間のようなものが広がった。
 もしかして。これは……華子が負けたということ? 大佐との男と女の勝負で華子が負かされた? あのブラジャーは戦利品?

 その時、英太の中でまたメラメラとした怒りが盛り上がってきた。
 あのオッサン! その戦利品を華子と男女の関係がある俺にワザと見せたな!? お前の女が体を張って俺にぶつかってきたけど、俺はこの通り彼女を簡単に扱えたぞー。ってことか!?

 英太がそう思った時だった。

「英太。持ってきた着替えを私にちょうだい」

 胸にいる華子と目が合ったが逸らされる。
 本当はこのまま引き取ってどこかで着替えさせ直ぐに横須賀に帰らせたい。そのあとで家族で幼馴染みで兄貴の俺が、この跳ねっ返りな幼馴染みの悪戯に付き合わされた奥さんに充分に詫びをすればいい……。そう思ったし、いつもそうしてきた。
 だが。と、英太は心を鬼にして、言われたとおりに葉月さんに着替えを手渡した。

「英太、貴方はそこに座って、私の話を黙って聞いていなさい」

 言われたとおりに白いソファーに英太は神妙に座った。それでも落ち着かない。よりによって幼馴染みの華子が隼人さんに仕掛けて、しかも仕掛けられた隼人さんが華子の肌に触れただなんて。しかも旦那さんが仕掛けてきた若い女のブラジャーを抜き取ってなにやら楽しんでいることも、奥さんの葉月さんは判っているようだし。『もう、本当に。どうして今回に限って……』。英太はいつものことなのに、今回は華子がしたことに苛む……。
 だがここまで考え、英太はあることに初めて気が付いた。

 ――今まで華子がしてきた悪さが目に見えなかったから、怒る気もなかっただけ? こんなふうに自分の身近な人にふりかかったら、こんなに嫌な思いを初めて味わっているのか?
 つまり。華子が外ではなにをしているかだなんて、解っているようで解っていなかった? あるいは、本当の意味で興味がなかった? 英太の心に今までにない不安が襲ってきた。

「華子さん。上着を脱ぎなさい」

 葉月さんに言われ、ミセスが何を言ってももう言い返す気も反抗する気もない華子のようだが、ちょっと嫌そうに顔を歪めた。それでも、すぐに言われたとおりに紺色の訓練着ジャケットのボタンを外し始める。
 ひとつひとつ、ボタンを外していく華子だが。時たま、英太をちらりちらりと見たりする。目が合うたびに英太は首を傾げた。ボタンが外れていく度に、華子はとても躊躇っているようだった。
 だが葉月さんは、いつもそうしているように、両腕を組んで動じない甲板のロボットと呼ばれる頑とした姿で華子を黙って見つめていた。
 その気迫が華子にも伝わるようだった。深呼吸ひとつ、華子は意を決したように次にはボタンを手早く外していく。そして最後には思い切りよく、ジャケットを脱ぎ捨てた。
 明らかに……。英太も良く知っている豊満なバストとその胸先が、薄いキャミソールの向こうで生々しく透けているのが一目で判った。
 訓練着が厚い素材だから判らなかっただろうが、あのクソオヤジ、こんな沢山の男が集まっている基地の中を『ノーブラ』で若い女の子を歩かせて連れていたのかと思うと、流石に英太も頭に血が上った。

 それにしても。葉月さん、何故、わざわざ華子を素肌にしようとしているのだろうか。夫が触った肌を乳房を確かめたいのだろうか? そう思ったが、上着を脱ぎ去り、素肌に近い姿になった華子の首元と肩先に赤黒いあざが点々とついていることに英太は気が付く――。

 まさか。そのあざは、もしや……?

「まだよ。そのキャミソールも脱ぎなさい」

 良く知っている冷徹な声が華子に向けられていた。
 そして華子もすっかり観念した様子で、もう躊躇うことなくキャミソールを脱ぎ始める。
 葉月さんも疑っている? そのあざが、なんであるか。夫が他の女につけた欲情の跡を確かめようとしている? 英太という『華子の男』と一緒に、互いの相手の不実を追及しようと言うのだろうか。だが、華子が肩ひもを降ろそうとしているのを、葉月さんはどんな感情もみせないいつもの氷の顔でじっと睨むように見ている。
 英太にとっては良く知っている裸体だからよいが、ラングラー中佐は……と見ると、彼はちゃんと背を向けて華子を見ないようにしてくれた。だが、この准将室から気を利かせて去る気はないようだった。

 目の前に堂々と馴染みある裸体を晒した瞬間……そこに見えたものを知った英太は目を疑った。

 華子の白い肌に、赤黒いあざが点々と。首から肩、そして乳房の間にまで!

「まさか、それ……。嘘だろ、華子。おまえの誘惑に……大佐が? 隼人さんが?」

 誰を怒ればいいのか、英太は解らなくなってくる。いつもの悪さをやってのけた幼馴染みを叱りとばせばいいのか。それとも、いつも奥さんが第一だ、家庭が第一だというスタンスを堂々と見せつけている御園大佐が、こんな小娘の悪戯心の誘惑にいとも簡単に乗ったことに怒りを向ければいいのか。それに! こんなこと、葉月さんが悲しむことじゃないか!?

 それでも葉月さんは、いつもの冷めた横顔で華子の肌を胸元を直視していた。……あの息の乱れはない。つまり冷静に受け止めているということ。
 そんな葉月さんが途方に暮れている英太に言った。

「彼女、隼人さんに『奥さんをどのように愛しているか、私の身体に教えて欲しい。同じように感じさせて』とお願いしたらしいの」

 まあ、華子らしいやり口かもしれない。でも、英太の心の底からぐつぐつと湧いてくる熱い憤り。それはもう華子ではなく、ちっとも動じない奥様でもなく、やはりどのようなことであれ奥さん以外の若い女の身体に易々吸い付いただろう御園大佐へと向かっていた!

「結局、隼人さんも若い女の肉体と肌には勝てなかったってことじゃないか! そこらへんの男と一緒だってことじゃないか。こんなの! 俺が尊敬している男がすることじゃない。俺、すっごく尊敬しているから……」

 だから、恋している女性の旦那でもあるんだ――と、そう思ってきた。だから、焦がれても退いていられた。だけれど、こんな奥さんを悲しませるようなことを平然とやってのける男だったなんて!

「落ち着きなさい、英太」

 こんな時も、葉月さんは落ち着いている。本当に甲板にいる氷の女そのものだった。

「どうしてこれが許せるんだよ!!」

 英太の怒りが准将室に響き渡った。
 それでもやはり、葉月さんはミセス准将の冷たい眼差しで英太を見据えている。

「よく見なさい。華子さんの肌についているあの人の口づけの跡。英太、忘れたとは言わせないわよ。貴方もこれがなにか判るでしょう」

 判らなかった。
 だが、英太は次の一言で、今どれだけ頭に血が上って分別がつかない状態になっているのかを思い知らされる。

「華子さんは素肌で隼人さんにぶつかったけれど。英太、貴方も私を襲ったでしょう。二年前、あの時……」

 葉月さんを襲った、二年前――。その言葉を耳にした途端、英太の幼馴染みの柔肌に映し出されている赤黒いラインがあるものと一致した。
 『葉月さんの、傷跡とおなじ場所をなぞっている』!
 ――奥さんを愛しているように、私も愛して。
 華子の要求に、隼人さんはそう応えた。妻の身体の傷ごと愛していると?
 いや…… やはり駄目だ。華子をそこまで素肌にして平然と触れ、しかもランジェリーを取り去って、華子の男でもある英太に見せつけるだなんて!

 だがそこで再び憤っている英太の並々ならぬ気迫を感じたのだろう。今度は華子が。

「怒らないで、英太。大佐は私の我が儘に付き合ってくれただけ。ちゃんと私の要求に応えてくれて、それにこの跡をつける以外は、いやらしいエッチなことしなかったもん……」
「そういう問題か! だいたい華子、お前……いままでだって俺がどれだけお前のことを心配して止めたと思っているんだ。それが今回はよりによって……俺の職場で、俺の上司に迷惑……」

 そこで急に葉月さんが一言挟んできた。

「そうよ。英太。隼人さんが貴方に幼馴染みである彼女の下着を突きつけたのも、そのことが言いたかったんだと思うわよ」

 言っている意味がわからなくて、今度は葉月さんに怒声を発しそうになった。だが、こちらも英太という狂犬と真っ向からやりあってきた女上官。それをすぐに察したのか、葉月さんがすぐに英太の口を遮る。

「何故、いままでも彼女の悪さを全力で止めなかったのか。小笠原という英太にとって大事な職場にやって来たにも関わらず、やはり彼女は『いつものキッカケ』で男に罠を仕掛け、それどころか簡単に大事な乳房を守っているブラジャーを男に奪われる。『ブラジャー』、それを華子さんの貞操に例えたんだと思う。隼人さんは華子さんの貞操を奪うことはしなかったけれど、『やろうと思えば、この女は誰にでも奪われる』証拠にブラジャーを抜いたのよ」

 夫のやったことを、そこまで冷静に語る妻に、英太どころか華子も絶句していた。
 そして華子は青ざめていた。『誰にでも奪える女』。男を思い通りに扱ってきたはずなのに、『簡単な女』と言われいつにない低い扱いをされたこと、その通りであることに目が覚めたような顔。そして葉月さんはそんな華子を睨んでいた。妻としてではない、悟りきった大人の眼差しで。

「そして、幼馴染みの貞操と例えたランジェリーを、幼馴染み任せで放っている『家族』であるはずの『お兄さん』の英太に突きつけた。『英太が彼女を放っている間も、彼女はこうして簡単に男に仕掛け奪われている』誰とも限らず、延々とそれを繰り返す――それでもいいのか、と」

 そこまで言われ、英太の中で先程抱いた疑問がはっきりと明確に答を描き出した衝撃が脳裏に走った。

 ――お前が小笠原でホワイト戦闘機に集中している間、信頼しきっている幼馴染みで家族同然の彼女は男に罠をかけて、自分の心の中の鬱積を払っている。今まで目に見えなかったから、誰とも解らない男との間に起きたことだから、心配はしても実感など湧かなかったことだろう。だからお前はただ言葉で止めていただけで、心配はしても危機感などもっていなかった。だが、どうだ。お前が良く知っている男が彼女の罠にはまり、彼女を奪っていたと知ったら。どれだけの気分になる? お前が良く知っている俺でもこんなことが出来てしまう程に『危うい女の子』。それがお前の家族で彼女。このままでもいいのか。

 あの『御園大佐』という恩師の厳しい目つきで、隼人さんが女性のランジェリーを英太の頬に叩き落とした姿が脳裏に浮かんでいたのだ。

 それに気が付いた英太は愕然とした。

「つまり。華子だけではなく、俺にも……言いたかったってことですか……」
「……さあ、私としても旦那さんがいきなり華子さんを連れて帰ってきて驚かされた方だから。あの人が貴方達にどうやって何を伝えたいのかなんて、なんにも聞かされていない。でも……貴方達をとても心配してたのは知っていたから」

 ――貴方達をとても心配していた。
 いつも隼人さんの傍にいる妻が知っていること。
 あの隼人さんが、英太と華子を案じていた。だから本島で叔母と待っているだけの華子に、英太の日常と働きぶりを見せようと連れてきた。そして連れてきた彼女の危うい態度にも隼人さんは真っ向から向かってくれた。
 そう、二年前。英太が小笠原に転属してきて反抗的だったのをこの夫妻が揃って受け止めてくれたように……。
 ふと、華子を見ると、そんな華子と目が合った。華子の目が熱く潤んで今にも泣きそうだった。その目が、自分がどれだけ馬鹿らしいことをしてきたのか自責しているのが窺えた。そんな華子が寄り添うように傍にいる葉月さんを見上げる。

「ミセスはそんな旦那さんの思いを信じていたから。私の肌に触れた証拠を目の当たりにしても、信じていられたということなんですか」

 ちょっと葉月さんが困ったように、首を傾げてしまった。

「うーん、正直いって『そこまでやった身体を、私に送りつける?』と貴女じゃなくて夫のやり方に腹は立てたけれど。でも、その傷跡と一緒のアザをみたら、あの人が『頼む』と言ってひたすら頭を下げてお願いをしているのが見えてしまったの」

 困った顔が、最後にはなにもかもを解っているような軽やかな微笑みに変わった。

「ただ、私は妻として。彼女から仕掛けてきた『売られた喧嘩を買った旦那』が、私に送ってきたメッセージがこの肌の跡で『彼女のことは俺よりお前が解るだろう』ということだと受け取ったのだけれど」

 俺だったら烈火の如く怒る。さっきだって瞬時に燃え上がった程に、華子と隼人さんに怒りを感じた。だから葉月さんが言っている意味が英太には理解できない。
 でも……。きっとそれが、他人には解らないなにかで通じていることが『夫妻』だって。そう見せつけられた気がした。

「さあ、華子さん。もうお終いよ」

 茫然としているだけになってしまった華子に、葉月さんは着替えのバッグからブラジャーを取り出した。
 そして、それを華子の背に周り、華子を抱き込むようにして、まるで母親のような柔らかな顔つきでブラジャーを着けようとしていた。

 丸出しになっている乳房にそっと桃色のブラジャーをあて、そして華子は本当に妹か娘のようにして素直に従って肩ひもを通している。
 最後に葉月さんが優しい手つきで肩ひもを整え、背中でホックを留めようとしていた。

「綺麗な身体ね。私の死んだ姉もね……。貴女のようにスタイルが良くて、胸が大きくて……」

 華子がピクリと反応した。そして困った顔で英太に助けを求めるかのような眼差し。そして『華子も知っている?』と感じたのと同時に、英太も『お姉さんの話なんて、自分からすんなよ』と発作を案じ、今度はラングラー中佐に助けを求めたのだが。まだ背を向けている中佐も肩越しに葉月さんを見守っているのがわかって、英太もそこでとりあえず様子見とした。

「華子さん。男が貴女の身体に群がってくるのは『生まれて持ってきた試練』と思って『諦めなさい』。でも、だからって負けたら駄目よ。二度とこの身体を武器にして男の人と戦ったら駄目。今度はこの身体をみせつけて『切り札』にして、絶対に触らせない『したたかさ』で勝ち抜きなさい」

 ブラジャーを着け終わった葉月さんが、華子の丸い肩を撫でながらささやいた。
 今度は白いフリルのブラウスを取り出し、また丁寧に華子の肩に羽織らせた。今度は華子が自分でボタンをつけはじめる。

「いまのままだと、貴女はある日、自分で自分を許せなくなる日を迎えることになる」
「ある日?」

 はっきりとその日がいつか確定しているかのように言った葉月さんの言葉に、華子のボタンを留める指先が留まり、華子から葉月さんを頼るように見つめる。
 そして葉月さんは、本当に母親のようにして、華子の小さな頬をそっと両手で包んだ。

「ある日。私にとっての『ある日』は、夫を愛していると知った日よ」

 葉月さんの両手の中にある華子の顔、瞳が驚いたように見開いた。

「姉が女として弄ばれて、殺され、でも私だけ生き残って。私も若い時は貴女のように男への復讐に燃えて、女である自分の身体を投げ出して随分と粗末にしてきた。胸と肩の傷だけじゃないのよ。自ら望んでつけた他の傷跡もいくつかあるのよ。そんな私だから、気高い気持ちがもてず、男の人に愛されても感情がもてるはずもなく、愛されてもただそこにいただけ。夫を愛していると知った日、私は私を愛してくれた男性達をとても傷つけてきたことを知って、自分の愚かさに初めて気が付き、でも彼等にもう謝れないことに何度謝っても謝っても自分で自分が許せない。今でもよ。そして愛していると知った人の目の前で、そんな愚かな自分のままで生きていることを申し訳なくおもうこともあるの。貴女も、いつか心から愛していると自分から思える日が来た時、自分がやってきたことを必ず、自分のためではなく愛している彼を思って後悔するわよ――」

 そして葉月さんは、華子に力を込めていった。

「いつかの日のために、気高く生きるの。私のような女でも幸せに見えたでしょう。だから私が言っていること、『ある日』が華子さんにもいつか訪れること、信じてくれるわね」

 華子も幸せになれる。
 葉月さんが言いたい一言なのだろう。簡単に言える一言だが、葉月さんはそれを使わなかった。簡単な言葉、ありきたりなありふれた言葉が華子に通じないことを、きっと……傷だらけに泥だらけになって生きてきた女性だから誰よりも知っているのだろう。

 英太も……。腰から力が抜けていくようにソファーに座り込んでしまった。
 情けないが。どうしてかわからない涙が溢れてきていた。
 ぐちゃぐちゃだった。大好きな葉月さんが持っている揺るがない愛を、夫妻の信頼を見せつけられた。彼女に恋をしている英太にはショック……のはずなのだけれど。でも、幼馴染みのどうにもなりそうもなかった華子が、英太も信頼している夫妻と出会ってあんな顔で泣いている姿を知った兄貴としても安堵した……というか。
 それに、やっぱり――。御園夫妻がどれだけ苛酷な日々を乗り越えてきたかを思い知らされ、なのに、それを俺達のような彷徨う若い男と女を包み込んでくれる、その大きさと暖かさにいつも救われている。

「さあ。華子さん、貴女はもう大丈夫よ」

 華子を優しく抱きしめた葉月さん。そして華子がやっと葉月さんに抱きついてあんあんと泣き出したので、それを見ていた英太の涙もまたぶわっと溢れ出た。

 だが、葉月さんは華子の頭をひとなで。落ち着いた華子を確かめ離れると、准将席へと向かっていく。

 准将席の引き出しから何かを取り出すと、それを英太の目の前に持ってきた。

「これを貸してあげるわ」

 葉月さんの指にぶら下がっているのは、銀色のキー。車の鍵だった。白い皮細工のキーホルダーについている鍵。

「オバサンのくどい話はここまで。あとのことは、お互いで話しなさい。……せっかく小笠原に来たのだから、英太、今日はもう早退してもいいから、私の車でこの島を彼女に案内してあげなさい」
「いいんですか……」
「平井さんには私から伝えておくわ。車は夕方、私の自宅まで返しにきて」
「え、ご自宅まで?」

 一度も行ったことがない御園家へ来いと言われ、英太は戸惑った。

「そうよ。昨夜、華子さんはうちに泊まったの。だから荷物を取りに来て。今日の華子さんの宿は、ヨットマリーナがあるリゾートホテル。島でいちばん大きな綺麗なホテルだから、一泊したらいいだろうと隼人さんが手配してくれたの」

 つまり。そこで二人でゆっくりしろ……ということらしい?

「では鈴木大尉。お客様をよろしくね」

 そう言われ、葉月さんの手からしゃらりと落ちてきたあの赤い車の鍵を、英太は手のひらで受け取った。

「そうそう、これから旦那さんにおしおきしにいくのよ。華子さんもみにきてくれない?」

 え、おしおきを一緒に見に来い?

 華子もラングラー中佐もきょとんとしていたし、英太も『またこの姉さんは何を考えているのか』と溜め息をこぼしたが

「おもしろそうっすね〜。俺もここまでするのは『やりすぎ』だと思うんすよね。がつんとやってくださいよ、奥さん!」

 と、のってみると、葉月さんがニンマリと悪戯な微笑み。

「じゃあ、準備してくるから待っていてね」

 そう言って准将室を出て行ってしまった葉月さん。

 準備ってなにするんだよ?
 英太はラングラー中佐と顔を見合わせた。

 

 

 

 

Update/2010.8.27
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