-- メイビー、メイビー --

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25.ヒミツのおしおき

 

 まず若い女の顔を見たらすぐに睨んでやる。
 そして彼女が『はじめまして』と挨拶をしてきたら、『なにをしに甲板に来ていたのか』を聞き、どうせろくな返事をしないだろうから『いい加減で軽い気持ちで俺達の甲板に来て欲しくなかった。俺達の指揮官に迷惑をかけるな。とっとと工学科のクソオヤジのところに帰れ』と怒鳴ってやる。
 ……それでも葉月さんは『お客様になんて口をきくの。謝罪しなさい』と、あの冷めた顔で言い切るのだろう。そんなあの人の冷徹さが、時々哀しい。どうしてそこまで立派に准将でいなくてはならないのか。たまには自分の気持ちのまま、泣いて悔しがって隼人さんに噛みついたって良いと思う。感じるままに、夫の胸に飛び込んで怒るなり泣くなりすればいいじゃないか。恋するあの人に、いつもそんなもどかしい想い。好きなのに、本当は俺が抱きしめて『もっと俺に甘えてくれたっていいんだよ』とか言ってみたいのに。でも英太が最後にいつも願ってしまうのは、葉月さんが隼人さんの胸の中ですっかりくつろいで幸せそうな顔でいることだった。
 虚しいことだが、切なく胸が締め付けられるが。それが彼女にとって一番安堵でき癒され必要なことだと、とことん知り抜いているからこそ――。

 だから。何も出来ない俺が、絶対に葉月さんの場所を守ってやると息巻いて、空部隊大隊本部がある三階フロアへとエレベーターで到着したところ。

 扉が開き、英太は深呼吸。よっしゃ、若くて可愛い女の子でも容赦しないぞと気合いを入れて降りた時だった。

 空部隊大隊本部の事務所が見える廊下、そしてその向こう端にある准将室を目指そうと歩き出すと、背後から『カラカラン』となにかが転がった音が聞こえた。
 振り返ると……。このフロアで設置されている備品室へと向かう曲がり角に、なにかが落ちている。落下したばかりなのか、床の上でクルクルと回っていた。しかし、英太はその落下物を見て顔色を変える。――薔薇模様の、モザイクの工芸品。見覚えがある!
 それはある意味、英太にとって非常に思い出深いもの。しかも、その薔薇模様の工芸品がそこで転がっているということは、『持ち主が、それを使い、そこに居る』。それに至ると今度の英太は血の気が引いた。

(葉月さん!?)

 すぐさま駆けよって、ひっそりとある備品室への角を曲がってみると。
 そこには、ぐったりとした様子で角に座り込んでいる葉月さんが、その『花のお守り』を握って呼吸を整えているところだった。

「葉月さん……! なんでこんなところで、一人で……!?」
「英太」

 呼吸は整っているようだったが、ゆっくりと英太を見上げたその顔が汗に濡れ火照っていた。その疲れ果てたなりで、俺達の部隊長がこんなところに一人。その姿に再び巡り会ってしまった英太は、ニ度目でも愕然とした。
いつだって誰かが付き添い、いつだって彼女に視線が注がれている。なのに。空部隊の長である彼女が、こんな大隊本部の誰も気が付かない場所で一人身を潜め、その症状と闘っていた。

「ラングラー中佐を呼んでくるから」
「テッドはいま忙しいからだめ!」

 すぐさま身を翻し准将室へ向かおうとしたのだが。一歩を踏み出した途端、腕を強い力でがっしりと掴まれた。

「じゃあ、ダグラス少佐を本部室から呼んでくる」
「本部は益々だめ。貴方が本部に姿を見せてクリストファーを連れ出した時点で怪しく思われるでしょ。だから、いかないで」
「なに言っているんだよ!」
「薬を飲んだし、話だって出来る。ここで落ち着くまで休んでいただけ。もう大丈夫よ」

 確かに下から英太を見据えている目は、いつもの輝きを湛えていた。強く揺るがない澄んだ瞳が、疲れた顔でも英太を射抜いている。
 だが――と、英太は掴まれている葉月さんの手を振り払う。

「駄目だ。葉月さんは俺達の大隊長で雷神の総監なんだ。何かあったら困る。とにかくラングラー中佐にだけでも……」

 振り切って准将室へ行こうとするのだが、今度は力無く座り込んでいた彼女がぐわっと立ち上がったかと思うと、英太の真っ正面、ネクタイをしている襟元に掴みかかってきた。

「は、葉月さん」
「わからないの? 先を想像してみなさいよ。騒ぎにしないで。少しでも私のことが噂になったりしたらどうなるかわかる?」

 その目が、眼が。甲板にいるミセス准将以上の、冷たい顔でも眼が燃えさかって見えてしまい、流石の英太も後ずさった。血走っているわけでもないのに、そう見える程の力強い眼差しに黙らざる得なかった。
 そんな葉月さんがどこかやるせなさそうに、英太の胸元でガックリと項垂れる。そんな、いつも徹底して自分を律している彼女からは想像が出来ない弱々しい姿だった。それが今、英太の胸元にある。
 ドキドキしながら見つめていると、そんな力無い葉月さんが呟いた。

「こんな爆弾を持っている指揮官だと知れ渡ってみなさい。私、もう艦には乗れなくなる。お願い、もう少しだけ乗っていたいの。だから騒ぎにしないで。雷神からエースが誕生して、そのエースと艦に乗り航海に出てみたい」

 『雷神からエースが出て』。誰とは明言をしてくれなかったが、それはきっと英太というパイロットへの期待なのだろう……。そう思ってみてもいいだろう。そしてそれが彼女の今の夢だと英太も解っているから、だから毎日それを目指している。今は英太の夢でもある。
 そんな互いに赤裸々に語り合えないもどかしさはあるが、その思いが英太には熱く流れ込んできた。だから、思わず……。英太は抱きしめることは出来なくても、そっと掴みかかっていた彼女の腕を包み込んだ。

「わかったよ、わかった。だから離して……くれよ」

 ほんのちょっと。憧れていた肌に触れられた瞬間なのに。英太は心ならずとも、包み込もうとしていた彼女の腕をそっと外し手放してしまう。そうでもしなければ、男のこっちがどうにかなってしまいそうだったから。

「有り難う、英太」

 ホッとした顔で、葉月さんもあっさりと英太を手放してしまう。
 わかっていることだが、それだけで英太は胸が痛んだ。

「もう、大丈夫かよ。呼吸」

 拾った薔薇細工の蓋を、葉月さんの手に返す。葉月さんはそれを、どこか愛おしそうにでも申し訳なさそうな哀しい目で受け取った。

「うん、平気。……でも、情けない」
「しようがないじゃんか。……だって、ほら……あのさあ……」

 そういう生い立ちなんだから。簡単に言えなくて言葉に詰まっていると、傍にいる彼女がとても穏やかに微笑んで英太を見てくれていた。それにもドッキリ。そんな顔、滅多に見せてくれないものだから!
 落ちつけ、オレ。どうしてここに来たのか思い出せっ。そうして英太は平常心を保とうとしたのだが、『どうしてここに来た』という自問にまた心が荒ぶった。

 そうそう。俺がいま持っているこの女の服を准将室にいる『愛人』とやらに……。そこまで思って気が付いたこと。

「も、もしかしてその発作。愛人のせいとか!?」

 葉月さんに問うと、彼女がちょっと驚いた顔のまま固まった。
 だけど、どうしたのだろう。暫し英太の目を見ていた葉月さんが、急にクスリと笑い出した。

「やだ。もう貴方のところまで噂が広まっているの」

 これ、これがこの『葉月』という女性の反応? もっと哀しそうな顔するとか、怒るとか、女ならばそんな顔をするものではないのか。しかし英太の心配など皆無とばかりに葉月さんは楽しそうに笑っている。不可解すぎる。

「おかしいわね。この基地で噂というものがどれだけ早く知れ渡るか知りたかったのかしら。それとも本部員の口の軽さを試したのかしら」
「怒らないのかよ。奥さん一番て顔してこっそり愛人がいたなんて」

 だけどそこで、葉月さんが見せたことがない笑みをふっと英太に見せた。その笑みが。准将でもなく姉貴の彼女でもなく、どこか妖艶な――。英太を釘付けにする笑み。だが余裕の笑み。そして彼女はそのミステリアスな微笑みのまま言った。

「ふーん、噂を聞いてそう信じたのね。でもね。あの旦那さんが愛人なんて囲ったら、絶対に誰にも知られないようにやり通すと思うわね」

 確かに。あの飄々としているいつだって余裕のオジサンは、そういうヘマをしそうにないのは確か。そう思うと、自分から『愛人をつれてきた』とか『奥さんにばれた』とか簡単すぎるなと英太も思った。

「しかも私のようにある点に置いて精神が脆弱な妻に気が狂う程の負担をかけるのは、夫としても婿養子としても非常にリスクが高いのに。まあ、癪だから絶対に気など狂わすつもりもないけどね。ともかく。それなら『愛人など持たない』と男として決意するか、どうしようもなく男として愛人を囲ってしまったなら徹底して隠すか切り離す。あの人はそういう男よ」

 そんな男。夫を一人の男としてきっぱりと見極めようとしているその気持ちが、『恋もミセス准将的』の様な気がしてゾッとさせられた。
 だが、そこで英太はある結論に辿り着きハッとさせられる。

「え、じゃあ。隼人さんがワザと愛人という噂を流して、基地中を試したってこと?」
「さあ。真意は定かではないわね。言えるのは……」

 ニンマリと挑発的な笑みを浮かべた葉月さん。

「あの意地悪旦那に、おしおきが必要ってことよ」
「おしおきが必要ってことは、やっぱり愛人だったってことなんだな」

 すぐに返答がなく、どこか迷った様子の葉月さんだったが。

「まあ、そういうことかしらね。そうだわ、英太。そこの備品室から『ガムテープ』を取ってきてくれる。それを取ろうとして、こんなになっちゃって」

 話を逸らされてしまった。どちらにせよ。英太も今からその愛人を確かめに行くのだから後回し、葉月さんに言われたとおりに英太は備品室へと向かった。だが一つひっかかった。『こんなになっちゃって』とは? この備品室に来たことによって発作が?

「もしかして。備品室、苦手だった?」

 備品室のドアを開けながら、英太はぼやいた。だが、返答がない。振り向くと葉月さんはすぐ後ろには居なくて、座り込んでいた角で英太を見ている。
 そして英太は備品室のドアを開けて、確信をした気になる。
 ここは大隊本部だけある。どこの部署とも同じぐらいの広さの備品室だが、保管されている物資のその数と言ったら。コピー用紙の段ボールなどが積まれ、その他諸々の文具用品やパソコン用品などが高い棚に積まれ小さな窓も遮られていた。
 僅かな光も遮られ、まったく真っ暗というわけではないが、その薄暗さは電灯を点けたくなるもの。
 その暗さと、高さからの圧迫感。狭くて埃っぽく暗い部屋。それだけで彼女のなにかの引き金になったのだろう――と。だが、英太はそれ以上は聞けないと、そこでやめた。

「准将が自ら備品を取りに行くなんて。ラングラー中佐に頼むか、秘書室にガムテープぐらいあるでしょう」
「今まで何度も入ったわよ。といっても、ここ十年は貴方が言うとおり私が行かなくても事足りていたから、久しぶりに来てちょっと……」

 やるせなさそうに額の栗毛をかき上げるその顔が、疲れていた。

「いいよ、俺。取ってくるから。そこで待っていて」

 何か言いだしそうだった彼女に言わせまいとしたのに、なにかを決したように彼女から口を開いた。

「暗くて狭くて、高さがあって。えっと……その備品室を見ただけじゃないんだけど。その前にちょっとキッカケみたいなことが起きてね。そこを開けたら『あいつ』が笑って立っていたような気がして」
「あいつ?」
「いつも私を見て笑っている。死んでも笑っている。悔しくて、頭が爆発しそうになる。だから苛々してつい、この薔薇の蓋を投げつけていたのよ」
「あ、俺、取ってくるから!」

 英太から遮り、話を切った。顔色が変わっていくのが目に見えてわかったのだ。

 一人薄暗い空部大隊本部の備品室に入り、ガムテープを探した。その間、英太は思う。

 備品室前での発作。やはりそうだったんだと、英太も哀しくなってくる。確かにこれはある一定の条件が揃えば、いつだって発作を起こすと言うこと。
 二年前の航行から帰ってきてその後。英太の事情を空部隊の一部の幹部に知らせて良いかとミセス准将に問われた時、それと同時にミセス准将の事情も彼女は英太に話してくれた。
 ――『発作のことは医者の許可が出ているとは言え、あまり人に知られたくない。指揮に関わるし、容認してくださった細川連隊長にも責任が問われ迷惑がかかるので』。そう説明し葉月さんは『言わないで欲しい』と英太に頭を下げた。
 そして彼女の症状を知っている幹部の名を教えてくれた。細川連隊長、その側近の水沢中佐。そして海野准将、その側近のホプキンス中佐。空部隊では、右腕のミラー大佐とコリンズ大佐。そして側近と補佐官では、ラングラー中佐に護衛のハワード少佐。クリストファー=ダグラス少佐。さらに航行では必ず同行する雷神メンテナンスキャプテン、ミセスとは昔なじみであるハリス中佐。そして工学科では、夫の御園大佐に、ラングラー夫人の吉田小夜大尉。他にも親しい同僚はいるが、心配はかけまいと黙っているとのこと。『それだけの幹部が私の精神を気にしながら支えてくれているので……』と申し訳なさそうに俯いていたミセス准将の気弱な姿が印象に残っていた。
 勿論、英太は――。『わかっています。俺も協力します。だから皆の協力で貴女が歴とした空部隊大隊長でいてくださるなら、全うして欲しい』と返答した。
 それから。知っているけど知らぬ振り。知っているだろうオジサン達ともそれについて語ったこともないし、『その後、いつどのような発作が再び』という報告ももらっていない。だから、今日で二度目。

(まさか。頻繁になっているとかないよな)

 ふと、そんな嫌な予感。
 葉月さんが空部隊長を辞退、または、航行任務から引退なんてなったら……。
 『絶対に嫌だ!』――思いもしなかった不安が英太を襲った。だが、どうしてその予測が今まで出来なかった? オジサン達のように身近に発作をみていないから?

 急に襲ってきた不安を抱えつつ、英太は備品室を出て、ガムテープを葉月さんに渡す。

「有り難う、英太」

 もういつもの葉月さんだった。薬の入れ物を持っていたが、偶然だったのだろうか。それとも既に常備する程の症状なのか。
 やはり気になり、英太は思いきって口を開く。

「あのさ、葉月さん……あの……」

 近頃、発作はどうなんだよ。そんなちょっとのことで?
 でも。やはり聞けなかった。

「な、なんでガムテープなんて一人で取りに来たんだよ」
「おしおきに使うからよ」
「ん? 旦那さんのおしおきに使うってこと?」
「そうよ。思い通りにさせるもんですか」

 『思い通りにさせない』なんて。あの余裕の旦那がやったこと以上に出来ることってなんだろうかと、英太には皆目見当もつかない。

「え。それでなんでガムテープ?」
「教えない。おしおきの準備はみんなにもヒミツ」
「って。俺には知られちゃってんじゃん!」
「そーよ。見つかっちゃって、オバサン困っているんだから。どんなおしおきかはヒミツだけど、私がガムテープを準備していたことを誰かに喋ったら、英太もおしおきだからね」
「なんだ、そりゃ」

 自分のことオバサンと年上ぶって英太におしおきだなんて。『俺は海人と晃と同等のお子様扱いか』とむくれた。

「ところで。英太はどうして本部に来たの? まさか、愛人さんを確かめに来たの?」

 血気早い貴方のことだからねえ、とでも言いたそうな目。まあ、そのとおりなんだけれど――と思いつつも、本心を見抜かれまいと英太は落ち着き払って手にしているものを差し出した。

「工学科に行ったら、これ。小夜さんが准将室に届け物なんてしたくないって大佐のことすっごい怒っていて。俺が届けることになったんだ」

 『そうなの』と言いながら、葉月さんがペーパーバッグの中を覗いた。

「あら、彼女の着替えね」
「そう。その彼女、甲板で俺達のコンバットを見学していたらしいけど。葉月さんの横にいた?」
「ええ、いたわよ。特に、エース候補であるバレットとスコーピオンの空母上空での追撃にはとても驚いていたみたい」

 また。葉月さんがいつもの淡々とした様子に落ち着いていた。
 ほんと、悔しくないのかよ? 夫が連れ込んできた愛人に、自分のいちばんの場所に踏み入れられて――! その募る思いが、英太の拳を硬くする。

「なんで、そんな女の見学なんて許可したんだよ! 俺も雷神の兄貴達もそれを聞いて凄く嫌な思いをしたんだ。あそこは俺達が真剣になって苛酷な空に向かう場所で、その俺達が無事に還ってくることをミセスが祈って待っていてくれる場所だ。そこに不純な……」
「わかっているわよ。貴方達が怒ること。ほんと噂を自ら流して面白がって。その『やりすぎ』にまずおしおき。それから……あとひとつ……」

 そこで、葉月さんが何かにはたと気が付いた顔で、英太が持っている愛人の着替えを見た。

「ちょっと。それ見せてもらっても良い?」
「あ、うん」

 バッグの中を探る葉月さん。そして彼女が何かを探し当てたのか『あった』と手にして引き出した。
 またまた英太はギョッとさせられた。葉月さんの手に、またもや『ピンクのブラジャー』! またまた、旦那さんと同じようにそれを片手に持ってぶらさげて笑っていた。

「あー、良かった。それでも隼人さんが握りしめていたら、もっと酷いおしおきを考えていたんだけれど」

 愛人がブラジャーをしていないことを。何故、葉月さんは知っている!?
 英太の頭は真っ白! この兄貴&姉貴夫妻が何を考えているのか全く理解不能!

「なんで葉月さんが、愛人がブラジャーをしていないことを知っているんだよ!」
「え。うーん。彼女が……してなかった、から。あら、英太もどうして着替えにブラジャーが入っていることと愛人さんがブラジャーをしていないことを知っているのよ?」

 英太は口ごもる。本当はあのクソ意地悪そうなオヤジが何をしたか抗議めいた気持ちで言い放ちたかったが。でも……旦那がスラックスのポケットに愛人のブラジャーを忍ばせていたばかりか、それを平気な顔で部下達の前でみせびらかした、なんて……。奥さんに言えるはずもなかった。なのに。

「わかった。また隼人さんが自分からやったのね!」

 やっぱり、妻? 旦那がどんな悪戯をしたのか、見ていなくても判ったらしい。

「ふーん、そうなの、そうなっていたの。なるほど。ねえ、教えて。その時、隼人さんは貴方にみせびらかしたの?」

 それどころか、この奥さん。まったく動じていない。いったいどういう神経かといよいよ英太も業を煮やす。

「それが、どういうことか。真っ当な奥さんだったら解るよな!? 旦那が愛人のブラジャーをこの基地で、奥さんが仕事中なのに女の肌に触って外して、愛人を裸にしていたってことなんだぞ!?」
「あからさまに言うわね」
「ちょっと待て、葉月さん。ここ、怒るところだぞ!!」

 なのに。英太が怒れば怒る程、葉月さんがケラケラと笑い出す。

「あははは! もうみーんな、隼人さんの手のひらの上。私も英太も、彼女も。基地中の隊員もみーんな。きっと今頃、小夜さんが私の代わりに説教をしているところでしょうね」

 アタリ。奥さんが怒らないから、小夜さんが怒ってくれているんだよ。アンタも妻ならそれぐらいのエネルギー使えよ!
 だが英太の頭は熱くなる一方、くらくらしてきてまともな発言が出来そうになかった。

「そうね〜。じゃあ、英太に文句言ってもらおうかしら〜」
「いいっすよ! もう葉月さんがそんななら、俺がきっちり言ってやる! 雷神の兄貴達も怒っていたんだから。末っ子の俺が言ってやると決めてきたんだ」

 『まあ、頼もしいこと』と、葉月さんは笑うばかり。
 なに、この奥さん。むっちゃ腹立ってきたけど、愛人じゃなくてこの人にもムカムカしてきた。もうこれは『俺自身が愛人に言ってやりたい』という問題。

「よし。じゃあ、准将室に俺を連れて行ってくださいよ」
「いいわよ。ふふ」

 だから、なに。その意味深な笑み。英太は奇妙な気持ちにさせられるばかり。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 准将室の前についてきた英太は、葉月さんがその扉のノブを手にしたのを見て深呼吸。
 まず、とりあえずの形式的挨拶。そして彼女を睨んで。そして――。

「ただいま」

 葉月さんがドアを開ける。いつものように、その部屋にある青い空と爽やかなそよ風が迎えてくれる。
 この瞬間が好きだった。英太はその情景を胸いっぱいに吸い込み。でも、このお気に入りの場所にあの女がいるのかと思うと、やっぱり胸くそ悪い。

「おかえりなさいませ」
「ごめんなさいね。任せてしまって」
「いえ……」

 ゆったり大きな白い応接ソファーには、ラングラー中佐がいた。
 彼が沈んだ顔をしていた。そしてミセスを迎える為にソファーから立ち上がったラングラー中佐の正面には、茶色毛の女性。後ろ姿。
 その女性が、指揮官しか着ることが出来ない紺色の訓練着を着た格好でいて。……何故か、彼女は花柄のハンカチを手にしてすすり泣いていた。

 ラングラー中佐は、葉月さんの場所に入り込んできた彼女に何かきついことを言ってくれたのだろうか。
 そうだといい。英太はそう思いながら、彼女の後ろ姿に反感の眼差しを向けていたのだが。

「手短ですが。おっしゃるとおりに話しました」
「そう。申し訳なかったわね」
「いえ。あの状態の貴女には酷なことですから」

 あのラングラー中佐の表情が苦く歪んだ。そして彼とやっと目が合った。

「大佐のところではなく、先に英太を呼びに行かれたのですか」
「ううん。そこで偶然出会ってしまったの」

 『英太』。ラングラー中佐がそう呟いた途端、その女性の肩が硬直したのが英太には分かった。

「彼女に紹介しなくてはね。こちら、フライト雷神に所属している7号機『バレット』の、鈴木英太大尉よ。今日、貴女が甲板で見た彼の勇姿、如何でしたか。彼に、伝えてあげてください」

 葉月さんが愛人にどこか嬉しそうな顔で紹介してくれたのが、また、英太を奇妙な気分にさせた。――なにかおかしい。そう思った瞬間、ソファーにいる女性が立ち上がってこちらに振り向いた。

「英太――」

 葉月さんの指揮官服を着ている女性の顔、それが誰か判った途端、英太の意識はどこかにすっ飛びそうになった。

「は、華子?」

 何故、華子が准将室に。え、今日、甲板にいたのは華子? いや、その前に。『大佐の愛人』とか言う女性は華子? そして英太は持ってきた着替えを思い出し、さらに発狂したい気持ちになった!

「大佐が持っていたのは、お前のブラジャー!?」

 すると華子もなんのことかすぐに理解したのか、怒られた子供が何かを隠すように両腕で胸元を抱きしめハッとした顔。

 じゃあ。御園大佐が華子のブラジャーを取って……? え、華子が御園大佐の愛人?

「どーいうことだ、華子!」
「ご、ごめんなさいっ。英太〜」

 いつもの甘えた声で、でも華子が泣きながら叫んだ。

 いつから愛人!?
 な、なんで。よりによって、俺が恋している女の、敵わない旦那に、俺のいちばん親しい女が、その敵わない男の女になっているんだよ!?

 嘘だろ、隼人さん。冗談だろ、華子!

 英太の脳裏に、御園大佐の『ウシシシシ』という悪戯な笑みがすぐさま浮かんだ。

 

 

 

Update/2010.8.23
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