-- メイビー、メイビー --

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11.いつのまにか恋

 

 蘭子に頼めば、華夜の会の主催責任者だけあって、全てを見通して事を運んでくれるはず。
 それが葉月の言い分だった。

 夜会会長である蘭子なら、駄目なことなら止めるだろうし、良いと思ったらお節介と思うほどに気遣ってくれる。しかも華夜の会で行きすぎたやり取りがあれば黙っていないはず――。華夜の会は見合いの席ではない。それもきっちりとやってくれるだろうから。
 その上、葉月はこうも言った。『華子さんが英太に言う気がないのなら、私達の口から英太に知らせてしまうのもどうかと思う。華子さんが英太に言う気になるまで黙っているか、もしくは、ここは華子さんがしたいようにさせてあげて、どういう流れになるか結果になるか黙って見守って、どうしても英太に知らせなくてはいけないかどうか、判断はそれから』――。

 妻のその一言を聞いて、隼人の迷いも晴れる。
 そうだ。俺達は彼等の関係に口を出してはいけない。出来るところまでの手助けをしてあげよう。
 夫妻で気持ちがまとまり、葉月が早速、蘭子に知らせてくれることになった。

 『御園大佐にだけ』と相談をしてくれた二人。隼人以外の人間に知られて、岩佐がどう思うか、華子はどう思うかと隼人は迷ったが。

『そんな地位がある女性にお願いしてもよろしいのですか。もし……それでも構わないのでしたら、是非』

 華子の返事はOKだった。そして彼女に『岩佐君にも知らせてくれないか』と伝えると、その通りにしてくれたようで、珍しく岩佐本人から工学科科長室まで御礼の連絡が来たほどだった。

『やっぱり御園大佐。東條会長の協力を取り付けてくれるだなんて! 華が安心していました。有り難うございます!!』

 あの彼から、キビキビと颯爽とした真っ直ぐな礼の声が届き、隼人は妙な気分にさせられた。
 でも、華子の言葉を思い出していた。『本気の正気をここぞという時に見せる人』。押さえるべき礼儀がちゃんとあるんだと、隼人も感じることが出来た瞬間だった。

 そんな岩佐に、隼人は忘れてはいけない一言を添えておく。
『蘭子さんに頼んでくれたのは、うちの葉月だよ』と――。それを聞いて、益々岩佐は驚いたようで、次には。『奥様に心からの感謝をお伝え下さい』なんて、夫の隼人以上に奥ゆかしい様子だった。

 そして隼人は認めざる得なくなる。岩佐君は本気で華子を妻にしようとしているんだなと。篠原会長も知っている女性、しかも彼から岩佐の相手にと選んだ女性だったはず。篠原が気に入れば、もしかすると、トントン拍子で……? 
 また、英太のことが浮かんでしまう。本当にトントン拍子で話が進んでしまったら? にわかに隼人の胸が痛む……。

 『腐れ縁』とか『長い春』とか。そのまま、二人揃ってなあなあで来てしまった感がある。
 どんなに腐れ縁でも、傍で何年も肌を寄せ合って暖めあってきた相手が突然いなくなるだなんて……。きっと想像もしていないだろう。

 俺は、英太と華子ちゃんが一緒になるのが一番良いと思っている……?

 どうしても英太側に立ってしまう自分がいる。
 でも岩佐の『華子と同類』という話も気になっている。隼人の勘もそうだった。あの華子という女の子から、ゆったりと腰を据えているような雰囲気がなかった。特にあの目。やはりいつかの妻と重なる。安住の椅子を探し当てられなくて、探し方もわからなくて、ただ戦っている――空虚な心で。そんな感じがするのだ。
 英太は安定している家庭を求めているのに対し、岩佐は安定などなくてもいい、妻でいてくれさえすれば――と、今の華子の感覚にぴったりの提案をしているのだから。英太には不利に思えた。

 葉月への思慕も隼人にはよくわかる。
 だが隼人が青年だった時だって、美沙のことを忘れられないまま、同年代の女性と暮らしていたし、恋だってしていた。そういうことが出来た。
 美沙は手に届かない永遠に恋い焦がれていられる『憧れ』で、手に届かないから諦めて現実的な恋をする。英太だってそれなのだろう。

 やっぱり――。英太から華子を無くさないでおきたい。

 複雑な心境だった。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

「俺はピンクが良いですね」
「あら、岩佐さんはありきたりねえ。男性が考えそうなことだわ!」

 また会おうと、華子と約束をしていた週末。
 隼人はある百貨店のVIPルームに来ていた。
 その部屋に、隼人は東條財閥の会長である東條蘭子と、そして岩佐と一緒にいる。

 ふんわりとした絨毯に、高級感ある外国製のテーブルとソファー。英国高級茶器が並べられているテーブルの側には、ゆったりとしたフィッティングルーム。ハンガーラックには何着もの洋服が掛けられ、婦人服プレタポルテ部門の部長とか言う男性とそのアシスタントの女性が二名、東條家担当の外商営業マンも付き添って丁寧に接客してくれていた。
 そしてフィッティングルームから出てきたのは、淡いピンク色のスーツを着ている華子――。
 『如何ですか、お嬢様』――。まるで蘭子の娘がやってきたかのように、女性スタッフが華子にかしずく。華子の戸惑った顔がそこにあった。

「大佐はどう? 彼女、奥様と雰囲気が似ているような気がするわー」

 一人、まるで蚊帳の外のような気分で、出されていた珈琲をソファーで味わっていた隼人。蘭子が急にそう言った。

 華子と葉月はそっくりではない。でも隼人の心の何処かで『何かが似ている』と感じているのはアタリだったのでドッキリとしてしまった。

「どうですか、大佐」

 赤いビロードの高級そうなカーテンがあるフィッティングルームに、ピンク色のワンピーススーツを着ている華子が立っていた。
 艶々と綺麗に波打つ長い髪に、すらっと細長い身体、なのに豊かな胸。ここは奥さんと違うなあ? なんてじっと眺めているだけになっていると、華子が不安そう顔をしていた。

「あら、婿殿。いつものおフランスで慣らした、素敵なお口は何処へ行ってしまったの? それとも若い女性に頼られて、まんざらでもないとか?」

 にんまりと嫌味な笑みを見せる蘭子。相変わらずの意地悪お嬢様振りで、隼人は苦笑い。
 今日、隼人に会うなり蘭子の一発目の言葉が。『まあ、婿殿ったら奥様一筋の噂が定着していながらも隅に置けないわね。いつの間にあんな極上な美女に頼られる関係になっていたの?』なんて……。
 その上、蘭子はさらに隼人を笑う。『葉月さんは何とも思わなかったのかしら……。あ、そうね。あの子はこんなことでグダグダ言う子じゃなかったわね。だって男達の先頭に立っているミセス准将だもの、そんな男性のどうしようもない性分にいちいち躓くようじゃ、男共を束ねられないものね。私にも解るわあー』。そう言いながらも、蘭子は『奥さん、恋愛への関心が薄いから。貴方も飽きちゃったんじゃないの』と、隼人の心の中を遠回しに確かめているのも窺えた。
 そんな蘭子に隼人も一発。『彼女が私を頼ってくれたのは、隊員の家族だからですよ』。やっと蘭子が納得した顔。
 そんなことより――と、次に蘭子がニンマリしたのは。
 『あの岩佐さんが嘘の婚約者作戦ねえ。篠原のおじ様のおこぼれを欲しがっている社長達との攻防戦、暫く楽しませてくれそうね』。毎度の高みの見物、でも首を突っ込む。蘭子は既に楽しんでいた。

 淡いピンク色のスーツは、フランス人形のような愛らしい華子にはよく似合っていた。
 それを見て、岩佐は満足そうに華子をじっと眺め、でも隣にいる蘭子は不満そうだった。

「そりゃ、ピンクは女の子を可愛らしくするし清楚にも見せるわよ。でも、岩佐さん。異性にはよく見えても、同性には妬まれる色でもあるのよ。どうするつもりなの、そこは」

 退けたいお勧めされているお嬢様に華子が妬まれる。求婚している男として、それでも構わないのかと蘭子が聞いているのだ。
 だが岩佐は華子を見つめながら、いとも簡単に言った。

「彼女を見て悔しがるぐらいが良いですね。同じ色を着ても華子には誰も敵わないでしょう」

 最高の褒め言葉だが、今の言葉は、これから華夜の会にプレッシャーを携えて立ち向かう華子には不安を煽る物でしかないだろう。
 案の定、同性である蘭子は呆れた顔を肩越しに、隼人へと見せた。その顔が、大佐からなんか言ってくれと求めているのがわかる。
 そして華子も。隼人に助けを求めている眼差し。

 やっぱりこんなこと、引き受けるべきではなかったか。隼人はため息をついた。
 どんなに気が強い華子でも、嫌なことがあるだろう。それがきっと、その対峙するお嬢様に必要以上に妬まれることだろう。
 隼人が思うに、華子のような美女は同性に妬まれ続けてきたはず――。それだけに女性の妬む心には敏感で、そしてそれが一番苦手なことなのだろう。それが岩佐には判らない様子だった。
 なんでもかんでも『機転が利いて、気配りが出来て、しっかり者だから大丈夫』と、華子のことをそう高がくくっている。
 やっぱり駄目だ。どんなに同類で同じ匂いでも、華ちゃんもこれでは疲れるだけだ。仕事ではともかく、自分の全てを休めるための癒すための家庭なのだから。

「華ちゃん、いますぐ、やめたっていいんだ」

 今なら間に合う。隼人は構わずにそう勧めてみた。
 途端に、岩佐の顔が強ばり、そして蘭子も神妙な面持ちになった。蘭子はどうも心の底は隼人と同じことを考えているような目をしている。

「いえ、私、行きます。これで良いです。このスーツで。どれを着ても同じことだと思います。岩佐さんがよく似合うと言ってくれたからこれで……」

 華子には華子の目的と目標があることを密かに見抜いている隼人。妬まれても、それでも、私なりにやってみたい。彼女のそんな意志が伝わってきた。

 そこで隼人はやっと立ち上がる。

「だったら、何故そんなに流されているんだ。誰に言われたからでもなく自分から行く気があるなら、岩佐君が良いと言ったからとか、どれでも同じだからとか言っていたら駄目だ!」

 隼人自ら、着せ替え人形のように立っている華子の元へ行く。
 岩佐の顔も、蘭子の顔も、固まっていた。構わず、隼人は華子のか細い腕を掴んで、フィッティングルームから連れ出す。
 連れ出したのはすぐそこで、ハンガーラックの前だった。

「ちゃんと自分で選ぶんだ。わからなかったら全部着てみる。それだけすれば、少なからずとも解らない自分のこともわかるはずだ」

 何着もある洋服を、隼人はカードを繰り出すようにして、華子の腕の中にぼんぼんと放った。
 黒いスーツ、白いスーツ、華やかなリボンブラウス、花模様のスカート。水玉のワンピース。いろいろなタイプの洋服を抱えた華子も驚いた顔。

「言われるままでいいなら、俺は必要ないだろう。これで帰るけど……」

 相談される意味もないなら、『偽婚約者作戦(一部、本気)』なんて、くだらないから帰る。
 そういう強い目を華子にしっかりと向けた。すると、華子の顔も急に引き締まる。

「わかりました。全部、着てみます」

 そして隼人は、そこでぼう然としている岩佐にも強く言った。

「ほら、フィアンセの男もとことん付き合う。彼女が着る服をどんどん運んでやる。なにを自分の好きな服だけ押しつけているんだ」

 流石の岩佐もハッと我に返った顔。
 するとあの岩佐が、ハイハイと返事をして、フィッティングルームに戻った華子が着替えやすいように動き始めた。

 やれやれと、隼人は再びソファーに座り込んだ。
 その隣りに、蘭子も。

「流石、隼人さんね。見事な一言でした」
「いえ、ちょっと苛ついただけですよ」

 しらっと珈琲を飲む隼人の横で、蘭子がいつになく穏やかに微笑んでくれていた。

「隊員さんの家族まで気配り。しかも岩佐さんまで言うことを聞かせて。でも……あの岩佐さんどうやら本気みたいね〜」
「偽の婚約者として仕立てているつもりで、実は彼、本気なんですよ」

 とっかえひっかえ、片っ端から服を着て出てくる華子を見て、今度の岩佐は真剣な顔。しかも華子とちゃんと話し合っている様子を見て、蘭子も頷いていた。

「そうみたいね。嘘と言いながら、あんな岩佐さんを見るとは思わなかったわ」

 蘭子の目にはすぐにそう映ったようだった。

「あとは彼なりの本気が、華子さんに伝わるかどうかね」

 おじさんとおばさんは、ひたすら、ゆったりと二人に付き合った。

 二人がしっかり話し合って最後に候補になった三通りのコーディネイトが決まる。
 華子の顔立ちにはっきりとする真っ青なジャケットと、夏らしい白いワンピースの組み合わせ。
 オーソドックスに、黒いジャケットと白いリボンタイのブラウス、でもスカートは白黒花柄のふんわりシフォン。
 最後はやっぱりピンク色の、今度はボレロカーディガンにマキシ丈のピンクドレス。お姫様風だった。

 そこでやっと、おじさんとおばさんも最終決定に参加する。

「真っ青な色は今の季節にぴったり。こういうシーズンにマッチした演出はパーティでも目を惹くものよ」
「俺も蘭子さんと同じく、良かったと思う。華ちゃんの顔立ちをより印象的にみせていたかな」

 蘭子も隼人も意見一致、岩佐も二人で選んで見出したコーディネイトだけに『俺もこれがいいかな』と気に入っているようだった。

 だが、華子は。どれも気に入っているようで迷っていた。

「最後は自分で決める、大佐はそう言いそうですね」

 アドバイスはした。意見も言ってみた。そう、あとは華子が決めること。隼人は頷き、それを最後に華子が決めるまでじっと待つことに。
 蘭子と岩佐も、今回の洋服選びの意図をもうわかっているから、一緒に黙り込んだ。

 何度も決めた3つのコーディネイトを顔に当てる華子は、最初にピンク色のお姫様風のコーディネイトを除けた。
 確かに、それを着た華子を見た時、隼人も蘭子もハッとしたほど。本当に可愛らしいフランス人形のようだった。だが、それだけで。華子が人前に出て、しっかりと自分を印象づける目的には合っていない。そう本人も思ったようだった。
 残ったのは真っ青な夏らしい服と、如何にも品の良い、でも華やかさがやや欠ける黒いコーディネイト。

 真っ青にしたら。もう少しで隼人と蘭子はそう勧めそうになったが。

「これにします」

 華子が選んだのは、黒いジャケットとモノクロ花柄のシフォンスカートの組み合わせだった。
 ちょっと地味に見えるが、華やかな彼女を引き立てていたコーディネイトではあったと思う。

 蘭子は青色が気に入っていたのか惜しい様子で本当にそれでいいのかと念を押す。だが華子の気持ちは決まったようだった。

「よく考えたら、仕事でも黒や白、ベージュなどのニュートラルな色を良く選んでいます。着ていて一番私が落ち着く色です」

 華子が自分で決めている自分らしさが、ひとつあったようだった。
 それならばと、おじさんとおばさんも微笑んで納得。そして岩佐も……。

「そうだったな。華はいつも、シックな色を品良く着こなしていた。俺もそれで良いと思う」

 決めた服を抱きしめている華子の真っ正面に立った岩佐。華子の目をじっと見つめ『勝手に決めようとして悪かったな』なんて……そんな一言を呟きながら、彼女を労るようにそっと肩を撫でたのだ。
 そうしたら。あの華子がちょっと驚きながら、でもまるで岩佐に囚われたようにしてその目を見つめ続けていた。

 あれ。俺に生意気な悪戯をした女の子とはちょっと違うぞ?
 隼人が眉をひそめていると、隣の蘭子も『あらあら』とくすくすと笑い出していた。

「案外、これは良いかも知れないわね〜。彼女、美人だけどそれだけじゃない芯がありそうだし。岩佐さんも良い子に目を付けたわね。楽しみだわー」

 なんだか良いムードになってしまったのは何故?
 また隼人の胸が痛む。まるで自分が英太になっているような気分。
 家族同然の幼馴染みだから、なかなか大人の恋愛に踏み出せないでいる英太と華子。でも彼女が出会ったことがない男に好かれて、違う男だからこそ気持ちを変えて前に進めるようになる。そんなことが本当に起きそうな予感だった。

 葉月は華子の問題だから余計な口出しはするなと言ったが。
 隼人は今にでも英太に言いたい気持ちに駆られる。勿論、妻が言っていることは、自分もいつも思うこと。わかっているのだが……。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 金曜日の夜、あるいは土曜日の夜、そうでなければ日曜の午後。
 叔母を見舞った後、英太はいつも適当な場所で華子と抱き合うのが習慣だった。

 小笠原に転属になってからは、それが月に一度か二度になった。
 とはいえ。十代の頃からずっと肌を合わせてきただけに既にマンネリの二人。そんなに毎回抱いて帰らねばならないという訳でもない間柄。
 でも華子が一番だった。一番慣れていて安心する触れ合い。英太は時に思う。そう、俺たち既に夫婦みたいじゃんと。そう思って『やっぱり俺の現実は、華子とあるんだ』という気持ちが盛り上がった時、いつも彼女に結婚しようと言ってしまう。
 でも――。葉月さんに憧れるようになってから、英太も言いにくくなり。そしてそれが華子にばれてからは、ますます言えない言葉になった。

『ごめんね、英太。今週末は用事があって春ちゃんのお見舞いに一緒に行けないの。英太にも会えない』

 今週は一人きりの見舞いと帰省で終わった。
 いつもの制服姿で、英太は横浜にいた。日曜の昼下がり。買い物を終えたら、もう小笠原に帰らなくてはならない。
 今日の買い物は、デパートの地下、菓子売り場。

「うわ、今日も見事に並んでいるなあ」

 女性達の長蛇の列がそこにあった。狭い地下の通路を蛇行しながらも並んでいる。それを見て英太は躊躇した。

 この前ここに来た時は、女性の華子が一緒だった。
 でも、今日は男一人。しかも軍制服姿、その上長身。これでその列に並ぼうとしただけで、周りの女性客達が驚きの眼差し。
 俺が食うんじゃないよ。土産だよ、土産!!

 最近、オープンしたばかりのチョコレート専門店。黒いリボンがトレードマーク。店名もそのまま『ブラックリボン』。
 こう言うことには情報が早い銀座の女華子が『春ちゃんに食べさせてあげるんだ』とオープン初日から並んで買い込んだのだ。英太も叔母の見舞い品のつもりが、『チョコレート』というだけで便乗。後先考えずに小さな一箱を葉月さんの為に買ってしまっていた。
 いままでそんなもの手渡ししたこともないのに。でも、きっとチョコレート好きの葉月さんなら、この店を知らなくても食べてくれるだろう。咄嗟にそう思って買っただけだったから、どう渡して良いか分からなかった。
 じゃあ、隼人さんにさりげなく渡そう。『奥さんにどうぞ!』って。だが考え直した。『お前が土産? いきなりどうした』。そう聞かれつつ、『お前自身で渡せよ』と面白半分、突き返されるのが目に見えたのだ。あのおっさん、奥さんに思いを寄せている青年を逆にからかって楽しんでいる風なところがある。それに咄嗟に買うほど葉月さんがいつだってすぐそこにいる存在だなんて、気持ちがばれていても絶対にこっちからは見せたくなかった。
 うーん、どうしよう……と、迷った末。ラングラー中佐を通して、葉月さんに渡してもらうことにした。勿論、ラングラー中佐もわかっているだろうから『思い詰めるまでになるなよ』ぐらいの釘は刺されたが、なんのことやらと素知らぬ顔を通した。
 葉月さんが受け取った姿を英太は見ることはなかった。でも。

 その後すぐの、訓練終了後の甲板でのこと。
 いつもの氷の女将軍の横顔を崩さない葉月さんの、訓練終了後の総評を終え、解散をした時だった。
 先輩達と共に、艦内に入って、連絡船に乗り陸に戻る。その時、『英太は残って』と葉月さんに呼び止められたのだ。
 訓練では以前とまったく変わらず、彼女は手厳しいまま冷徹だった。特に英太には突き詰めるところまで突き詰めた要求に指示をし、徹底的に指導される。今でも英太はたまにぶち切れて、葉月さんと口喧嘩をする。でもそれも今となっては同じ感覚を持つパイロット同士の真っ正面からのぶつかり合いと言えた。だから今でも甲板では、彼女とは張りつめた関係だった。なのに。
 『英太、この前のブラックリボンのチョコレートご馳走様。あれ、すっごく食べたかったの。並んでもすぐに品切れになって翌日待ちでしょう。なかなか横浜までいけないし、いつ食べられるかと思っていたの!』、『すっごく美味しかった!』。――葉月さんが甲板で、あの姉貴の顔になってくれたのだ。逆に英太が面食らった程。
 そして葉月さんの背後にいたラングラー中佐は密かに笑いを噛み殺していたし、ダグラス少佐は素直に笑い『ミセスは昔からチョコレートには弱いですね。ミセスを制するなら、極上のチョコレート。今日の勝者は英太だな』なんて冗談を飛ばしてくれたのだ。

 そんなことがあったものだから、英太は今日も頑張って並ぶ! また美味しい笑顔になってもらうんだ!

 どんなに女の子達が『あんな背が高い軍人さんが並んでいる』とくすくす笑っても英太には、見えない見えない。と唱えて列にいる。

 そんな英太の後ろにも次々と女性客が並んでくる中、男性の声が聞こえてきた。

「ほら、親父。なに怖じ気づいているんだよ。親父が買わないなら、俺が買ったって『葉月ちゃん』に言うからな。自分で並んで買わないと意味ないだろ」

 英太が並んでいる後には数人の女性客。その後尾にまた長身の男性が現れた。
 だが英太が反応したのは、その男性が発した言葉。『葉月ちゃん』? なんか偶然かな?

「ほら、親父の他に男性だって並んで……」

 しかもその男性と目があった。小柄な女性客の頭を幾つか飛び越えて、長身の青年同士で目が合う。
 その青年を見て英太は思わずドキリとした。『葉月ちゃん』と言った男性の髪の色が、栗色。葉月さんとそっくりの栗色、しかも瞳も栗色。その上、彼も英太を見て『あ』と驚いている顔。

「横須賀の隊員さん……ですか?」
「いえ、小笠原の……パイロットですけど」
「マジで!」

 彼が驚くと同時に、周りの女性達も『パイロット』の一言で英太に注目したので英太もびっくり。
 しかし敢えて『パイロット』と付け加えたのは、妙にヒヤッとする一致感に襲われたから。
 葉月さんに似ている? えっとでも誰かにも似ている? そんな奇妙な感触。
 するとその栗毛の青年が、後ろにいる誰かを慌てて呼んだ。

「親父、なにしているんだよっ。小笠原のパイロットさんだって!」

 親父って。親子でこれまた英太のように女性客の中に飛び込むって。どんなにチョコレートが欲しい親子? と思っていたら。栗毛の青年に呼ばれて、やっと姿を現した男性を見て今度こそ英太も『あ』と声を出してしまった。

「た、谷村社長!」

 渋々と女性客の中に並んだ男性は、黒いスーツに英太よりも背が高い人。谷村社長だった。

「英太ではないか」

 社長も驚いていた。だが、英太はそこに谷村社長が現れて、もっと驚くことに気が付いた。
 すぐに英太の目が追ったのは、先程目があった栗毛の青年。

「え。じゃあ、こちらの方。葉月さんの……!」

 そしてまたもや目が合った彼は英太を見て、改めてにっこり。

「そうでーす。ミセス准将の甥っ子でーす」

 それは似ているはず! 笑った顔、似ているもん!!
 そこには、葉月さんが絶えず笑っているかのような憎めない笑顔を放つ御園顔の男性がいつまでも、にこにこしていた。

 

 

 

 

 

Update/2010.4.22
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