どんな男でも、極上の美女なら妻にと思うのだろうか。
数年前、岩佐を初めて見た日。彼は真っ赤なスポーツカーに乗っていたことを隼人は思い出す。
あれと同じようにステイタスとして? 今度の岩佐は、華子という美女を妻にしようとしている?
またもや隼人の顔が、それに同意することができないものになっていたのだろう。
ブランデーグラスを片手で煽り、横目でちらりと隼人を伺う岩佐。
「華が美女だからってわけじゃあないんですよ。まあ、昔の俺だけしか知らない人間からすると、そう見えるかもしれませんよね。特に大佐には。俺はそちらの家宝である指輪を手に入れようと躍起になったわけだし」
痛いところをつかれたのは、岩佐ではなく隼人だった。『昔の俺しか見ようとしない人間』。真っ赤な高級車に乗っていた男だから、美女を妻にと思う。
「じゃあ、岩佐君の本当のところを聞かせてくれないか。そうでなければ、華ちゃんには断るよう勧めるつもりだ」
御園大佐がそう言えば、本気でそうする。岩佐にとってまだ、完全たる味方ではない。それを十二分に身に染みているから、岩佐も真顔になった。
溜め息ひとつ、岩佐が話し始める。
「大佐に分かってもらえるかどうか。俺の勘だけですからね」
「勘? 華ちゃんにインスピレーションが働いたってことか」
「直感ですぐに華に惹かれた訳じゃないですよ。一言で言うと『この女、俺と同じ匂いがするな』ですよ」
同じ匂い? どんな匂いだと隼人は先を求める。
「俺も華と同じ感覚ですね。結婚に関しては。惚れた腫れたなんか生ぬるいんですよ」
「愛とか信じていないって……ことかな」
「まあ、そんな感じです。俺みたいな男は、起業家とは言っても、博打打ちみたいなもんですよ。保証なんて無いのに莫大な金を動かして、それだって借金背負って……ですよ。それをやりこなすことを生き甲斐にしている男には、恋愛は後回し。待っている女に応えている暇が勿体ないと思う、ぞんざいな男ですよ」
隼人はどっきりとした。『ぞんざい』。華子が岩佐はそう言う人間だと見抜いていた通り、岩佐も自身でそれを予測していた。二人の感覚がどこかでかっちり合っているような錯覚が起きた。
「そんな不安定な男のところに、父親に大事に育てられた上に男に幸せにして欲しいと夢見ているお嬢様を持ってこられても困りますね。親父さん達は良いでしょう。なにかしら利益になるだろうと俺を利用したいんだから。だけれど、宛われたお嬢様は、夫になった俺に放っておかれる孤独な女房になるだけ」
「そうなんだ。岩佐君は結婚しても奥さんを労ろうという気持ちは、今はないって言うんだな。じゃあ、華ちゃんもそのつもりで?」
「はい。きっと俺という男はそうなるでしょう」
きっぱりと言い切った岩佐に、隼人は言葉を失った。
だが。隼人自身、男としてわからないでもない――と、思う部分もある。
「岩佐君は、華ちゃんなら、その孤独に耐えられるとでも?」
「きっとね。孤独と言うより、彼女自身、そんなに男に守られることを望んでいないってことですよ。いや……愛に彩られる日々っていうのが、逆に『俺達』には嘘くさい。彼女は、今も何かに向かって戦っている。結婚してもあの戦いは終わりそうになさそうです。そういう女は結婚しても家庭には収まりませんよ。彼女自身が、愛に目覚めるまでね」
また隼人は驚かされる。『理想的な家庭を作れる妻にはなれない』と華が言っていたことを。今度は岩佐が見抜いている。
恋人同然の英太がプロポーズをしても、その気にはならない幼馴染みの華子。英太が誰かに夢中で余所を見ていてくれた方が丁度良いと、英太の長年の愛情も受けきらないでいる様子を岩佐は既に見抜いている。
そして岩佐は言い切った。
「そういう、生ぬるい結婚生活ではなくて、丁度良い暮らし加減を互いに維持出来る『パートナー』としては最適の異性ってところですね」
そんな目的で結婚が出来る男もいるのだなと――隼人は思わず吃驚のため息。
「正直、俺にはない感覚だけど。でも、よく分かったし、なんとなく……有りだなとか思えてしまったな」
隼人自身、葉月に出会うまでの青年期がまさにそれだったからだ。女はもういい、結婚なんてしない。家族なんて……。だから孤独に浸りすぎる岩佐に華のその絶望感もわからないでもない……。
すると硬い面持ちで語っていた岩佐が、緊張が解けたかのように嬉しそうに笑ったではないか。
「あ、良かった。少しでもそれが分かってもらえたなら。いえね、御園大佐って奥さんを溺愛しているでしょう。こんな打算でする結婚なんて許さないとか怒られるかと。でも御園夫妻のような結婚を、俺だって羨ましいと思いますよ」
「いや、俺達は、ほら……」
「あ、そうですね。それまでのご苦労も篠原会長からお聞きしています。というか……俺は分かり合えたお二人が羨ましいとか、愛し合える関係が羨ましいとか、そういうのではなくてですね。そんな結婚生活へと、乗り越えられた奥さんが一番羨ましいかな」
「うちの、葉月が?」
「ええ。俺、初めて葉月さんを見た時思ったんですよね。あ、この冷たい目、この表情のなさ。俺や華と一緒だったんじゃないかなって」
思わぬことを言いだした岩佐。
しかしここまでの流れで、華と葉月がどこか似ているのがなんなのか。隼人より先に岩佐が気づいているような気がして、そのまま彼の言葉に聞き入ってしまっている。
「奥さんもそうだったんじゃないかな。『愛し合うだなんて、なまぬるい。信じられない。それで本当に幸せになれるの?』。だからビジネスに全てを投じる。きっと、結婚される前は空に、戦闘機に賭けていたんでしょうね」
その通りだった。
まさか。この岩佐の言葉にすっかり飲み込まれてしまうだなんて。多くの言葉を返す気もなくされてしまった隼人。彼を説き伏せるどころか、この男はやはり眼があると認めざる得ないことになっている。
「華も同じだと思いますよ。彼女、幸せを信じていないから。それなら俺と一緒に、『夫妻というビジネス関係で行こうじゃないか』ってことです。彼女、機転が利くし度胸もある。いつまでも夜の蝶ってわけにもいかないでしょう。でも今はそう言っても、彼女も『冗談じゃない』と突っぱねるでしょうね。だから正面攻撃はこれから。でもきっと、くらいついてくると思うんですよ」
だって、俺達『同類』だから。
言い切った岩佐にも、隼人は何も言い返せなくなっていた。
・・・◇・◇・◇・・・
翌日の夕方。隼人の心は急くように小笠原の海へと向かっていた。
島に到着した後、工学科の科長室に寄って何も滞りがなかったかチェックしてから帰宅する。
その心は急くばかり。すぐさま車に乗り込み、基地を出た。
『分かってくれたなら、華に協力してやってくれませんか。それが俺にとっても助かりますから』
昨夜、部屋に帰ろうとするその時まで、岩佐に何度も念を押された。
だが隼人は即答ができなかった。もし、岩佐と華だけの問題なら。そういう間柄を取り持っても、もしかすると『同類』というなら良い縁になるかもしれない。
しかし隼人が即答出来なかったのは、英太のことがあったからだ。
「あいつ、うちの女房に惚れているくせに。あんなに可愛い女の子を捕まえられずに、うだうだしているわけか」
妙な、悔し紛れの呟きがふいに出ていた。
自分の女房にどれだけ惚れてくれたって構わない。そんなことされたって、この俺が絶対に手放さないし渡さないからだ。もう二度と離さない。一度手放した時、それは自分も彼女も、それどころか彼女の相手も巻き込んで大いに傷ついた、傷つけられた、傷つけ合った。それが良かったことも生んだが、損害も大きかった。あれを二度とやってはいけない。それには妻を二度と手放さないことだ。だからそれはいい……。でも、英太と華子のことは……。
夕暮れの帰宅路。海岸沿いを走る車。ハンドルを握っている隼人は、そこでまた、『境目が無くなった恋』を思う。
英太が華子と結婚しようと言う気になったり、ならなかったり。なのにそれを通り越すほどに葉月に恋をしていたり。
そして華子も。英太という男が一番しっくりしているはずだろうに。でも、一緒になれないでいる。
そこへ、岩佐という彼女にとっては妙に気になる男?
「好きではない――。でも、気になって引き受けた。あれは彼女も岩佐君がひっかかりはじめているんだろうな」
隼人の中に、切ない思いが流れ込む。
もし、華子にとってこれが本当に新しい世界へと踏み出す良い縁だったなら。
英太はどうなるのだろう。本当に、このままにしておいて良いのか。
運転する車は、やがて丘のマンションへと差し掛かる。
義兄の顔が浮かんだ。いつもなら、華夜の会のような『家絡み』の出来事は義兄と議論し吟味し対処してきた。
だが隼人の心は、真っ直ぐに自宅に向かっている。
必ず義兄に報告はする。
でも、それは後で。
……妻に、妻に相談してみよう。
今回はそう思っていた。
やはり『英太』という青年のせいだろう。
・・・◇・◇・◇・・・
「ただいま」
腕時計を見ると、もう夕食の時間は過ぎていた。
そのせいか、家の中はドタバタとした賑わい。食事が終わると、息子の海人は晃と一緒に勉強をしたり、遊んだりする時間になる。どうやら息子達が騒いでいるようだった。
その賑わいが革靴を脱いでいる隼人の目の前へと迫ってくる。だいぶしっかり強く聞こえるようになった足音、二人分。
「大佐パパだ。お帰りなさい」
いつだって先頭にいる兄貴分の、晃。
「父さん、お帰り! お土産、ある?」
そして前にためらいなく出て行く兄貴分の晃の後ろを、黙って冷静に見てついていくのが我が息子の海人。
だけれど男の子らしいやんちゃは二人お揃い。今夜もその勢いで出迎えてくれ、隼人も心が明るくなる。
「これが土産。モンティーヌのシュークリームだ」
菓子箱を差し出すと、二人揃って『やった』と手が伸びてきた。
「お隣の泉美ママと八重子祖母ちゃんにも持っていきなさい」
それにも『わかった』と息子達は叫び、それを守るために早速、その箱を持ってキッチンの勝手口から海野家へと走っていってしまったようだ。
急に静かになった。
息子達に『ママは』と聞こうと思ったのに、素早いのなんの……。その元気さに気圧されてばかりの毎日。だが二階に気配を感じた。
「貴方、お帰りなさい」
二階からそんな声が聞こえ、隼人の頬はすぐにほころんだ。すぐ二階へ向かう。
葉月は寝室にいた。いつものようにアロマの香りを焚いて、海が見える窓辺にいた。
でも今日は、愛用のビューロの机を広げ、そこに座っていた。
「お帰りなさい。子供達の勉強を見ていたんだけど終わったから、この続きをしていたの」
白いティシャツに花柄のスカート。そして若草色のエプロン。そんなラフな姿で、葉月は机の引き出しを開けてあることをしていた。
窓の傍には葉月が丘のマンション時代から使っていたビューロの机。壁には木製のアロマオイル専用の棚。僅かなスペースだけれど、彼女が結婚してから『いっぱいの生きている私』を詰め込んでいる場所で、そしてそれを見させてもらっているのは同じ部屋で過ごしている夫の隼人だけだった。
そんなものだから、子供達がたまに『のぞきたい好奇心』で悪戯に来る。だが隼人はそこから何かを勝手に持ち出すことは許さなかった。
引き出しには、小さな布で出来た花柄の巾着や、リボンの切れ端、ビーズのブレスレット、壊れた腕時計、アロマの小瓶。綺麗なレターセットに可愛らしいメモ帳。先日、葉月の足の指に結んだ白いリボンもここから拝借したものだった。
葉月の引き出しは本当に女性らしく美しくなったと隼人もうっとりしている。その引き出しだけ『女の子であり、女性の世界』が凝縮されていた。
『姉様に教わって、こうして遊んだことがあるのを最近思い出したの』
ある時、葉月が開けた引き出しを見せてもらうと、なんとこの奥さんが『手芸道具』を忍ばせていたのだ。
愛らしいまち針が入っている小瓶に、かぎ針、そしてピンクや白のレエス編みの糸玉。隼人は幻かと目を疑ったほどだ。
今までこの彼女が女の子らしく手芸をしていた姿だって、それをしようと試みている姿だって見たことがなかったから。
しかし、そこで隼人も気が付いたのだ。『最近、思い出した』。そんな妻の言葉の意味に気付き、本心は一瞬、泣きそうになったほどだった。そんなお姉さんと女の子らしい触れ合いをしていたささやかな想い出すら、心の奥に沈んで思い出す余裕もない日々を送っていたのだと。
引き出しの中に、葉月が暇を見つけて編んだピンク色の小さな花のモチーフだけが、いくつも転がっている。編みかけのものもある。
いま、葉月が懸命にチャレンジしてるのは『娘にプレゼントする編みぐるみ』。ピンク色のウサギ。
ビューロの机を広げ、引き出しからかぎ針と細い手編み糸を出して、僅かな時間を見つけては編んでいる。夜、窓辺の机で安らいだ顔でレエス編みをする妻を、隼人は傍に座ってひたすら眺めていることがある。そんな彼女を見ているのが好きだった。
おそらく隼人も、そんな女性らしい人、母性を見せる人との縁があまりなかったからかも知れない。母は物心つく前に他界、育ててくれた祖母と過ごした時期も短かった。継母の美沙に恋い焦がれた為に、彼女を避け家を出た。母性と縁があるとしたら、マルセイユの母であるダンヒルのママン、マリーだろう。
そんな姿で夫を待ってくれていた。
それを見ただけで、隼人の心が緩んでいく――。
その手元は、彼女が近頃頑張っていたピンク色の編みぐるみ。ウサギの。
隼人はベッドに鞄を置いて、制服姿のまま、葉月の側に寄った。
葉月の机の横、窓辺にもう一つの椅子。それが、隼人が妻の手元を眺めるために置かれるようになった椅子だった。そこに座った。
「もうすぐ出来そうだな」
「うーん、でも。こことかここがデコボコなの」
ビギナーらしい、ぶきっちょな出来栄え。
隼人もそこを指先で触れてみる。
編み目が揃っていないところが、また愛おしく思えた隼人は、そこを何度も指でなぞった。
「なあ、葉月」
「なあに」
妻ののんびりしたこのテンポも、この寝室だからこそだった。そのくつろぎを濁しそうで躊躇ったが、隼人も意を決し……。
「お前、英太に恋人がいると思ったことあるか?」
それは意外な話題だったのだろう。桃色の糸を紡いでいた指先が止まり、葉月が丸い目で隼人を見ていた。
「どうしたのいきなり」
「うん、いろいろあって。お前はどう思って感じているか聞きたいんだ」
ある意味、夫妻の間で『英太の恋』については暗黙のタブーだった。
言いだせば、夫妻の間で彼は『期待を寄せるパイロット部下』ではなくなり、歴とした『男性』になってしまうからだった。
彼が妻に恋していることを夫は重々分かっており。そして妻も惚れられていることを自覚しても一線を守り、彼の恋心などあってないものとなるよう努めてくれている。
その均衡が崩れぬよう、夫であり妻であり、そして上官であることを夫妻で保ってきた。なのに、この日、隼人は初めて――。英太の男性としての話を妻に持ち出している。
葉月は暫く、隼人を見て考えあぐねているようだったが。
「あの子に付き合っている女の子がいるって。アンコントロールを起こした日に証明していたじゃない」
「そんなの二年も前の話じゃないか。今はどうなっていると思う?」
また葉月が迷っているように黙り込み、その代わりに休めていたかぎ針を動かし始める。
伏せた睫毛が、じっと指先に注がれていたが。なにか言いたげに黙っているのが隼人には分かっていた。
それを言えば、隼人が望む答。だけど隼人が困る答と思っている迷いに見えた。
「お前の考えを知りたいんだ」
その一言を聞いたからか、妻の口が開いた。
「今も、その子と付き合っていると思う……」
お前も、英太のそこはちゃんと分かっていたんだなと夫である自分と違わぬ目を持っていてくれてほっとしたのだが。
「どうして、そうわかるんだよ」
「女の子が側にいる匂いや雰囲気があるもの」
お前って、そういうところあるよな! と言いたくなった。
「お前、昔さあ。右京兄さんが香水を変えるたびに、付き合う女性が変わったって分かった――とか言っていたよな」
「うん。あと、マイクがイザベルとデートする時も香水を変えていくのも知ってたし、ロイ兄様が鼻歌なんかしていると、美穂姉様と喧嘩して仲直りした時とか。あ、リッキーも。紅茶がちょっと甘くなると特定の女の人と駆け引き中とか」
そうそれだ、と、隼人は思ったのだが。お前のそういうお兄ちゃま達に囲まれて研ぎ澄まされちゃった嗅ぎ分けっていうの? 相変わらずだなと思ったのだ。
「どこで、英太に今でも女の子がいるって分かったんだよ」
「あの子、ああ見えても、仕草がとっても女性に慣れているし。なのに根がすごく純粋で真っ直ぐだから、あっちこっちの女の子とつき合える要領なさそう。だから特定の女の子と長くつき合っているんだわって……」
「あー、なるほどー」
なんて感心してしまったのだが。
「待てっ。女慣れしている仕草ってなんだ、それっ」
つまり。英太が妻の葉月にもそう見られるような『仕草』を見せているってことだった。夫としてそれは知りたくなった隼人。
「他愛もないことよ」
「例えば?」
「例えば……。甲板での潮風ってたまにきついわよね。英太に個別に説教したり指導している時、私に向かい風が強く吹いてくると。あの子……さりげなく風除けになるように立ってくれたりね。あと空母の急勾配の鉄階段を一緒に下りる時も、さりげなく斜め下を先に行ってくれたり。私が躓いても落ちても、自分の背中で受け止められるようにとか」
「女を労れるっことか」
「うん。これは私だけじゃなくて、テッドも気が付いたのよね。無意識のうちに、女性を労れる。普段、そういう気遣いになれていないとなかなか出来ないって」
テッドのお墨付きまであったのでは、隼人も何とも言えない。
それだけ華子や叔母を男として気遣って生きてきたということなのだろうか。
「あとね、あの子の指の動きを見ても思うのよね。でもこれは、説明が出来ない私の感覚」
「旦那としては、それが気になるな」
「別に私を触った訳じゃないし。あ、隼人さんも今だってそう感じる時もあるし、出会った頃もそういう雰囲気あったわよ」
「え、どんな感じの時だよ?」
「うーん……。本当に僅かな仕草なの。隼人さんとは木陰で初めて話した時? 自転車に乗せてもらった時? ……既にそう思っていた気がする。とにかく、それしか言えないけど、それよ」
それを別の男に見て、でも夫にも見つけるってどんな感覚?
そんな妻の感覚は……英太を見ている感覚を知ることが出来た気はした。
なにも感じていない振りをして、結構彼女なりの繊細なアンテナがあることを知って。それであの青年が、自分に恋をしていてもそれとはまた別に『青年期らしい恋愛を他にしている』ことはちゃんと知っていたようで安心はした――。
それなら相談しやすい。
「俺、いままで。英太が好きなように生きていけばいいと思っていた。今だって。あいつが後悔しないよう、自分に納得出来るよう、前みたいに自分を無意味に捨てたり痛めつけないよう、逃げないよう。見守ってきたつもりだ」
「そうね……。私が出来ない分を、貴方が英太に良くしてくれているって思っているわよ」
そうだった。妻は女として惚れられてしまったから、昔の自分のように案じている英太にしてやりたくてもすることができなくなってしまったのだ。
だから。隼人がそこはまるで男親のようにして、英太を妻の代わりに気遣っていた。そして、自分もそうしたくなってしまう理由があった。それはまた他の話になるのだが。
「英太になにかあったの?」
いつにない話題だったから、葉月がすぐに察してくれた。
「実は……」
妻に相談をする。
何故なら、『英太』という青年が二人にとって互いの思いを込めて接している青年だからだ。
妻は、自分と同じような、命を損なわれそうになった傷を持つ同士として。先に生きて乗り越えてきた者として彼を案じる。姉のような気持ちで。
隼人は、自分と同じような孤独な青年時代を過ごしている彼を案じる――。以上に……。隼人はそこでも我がことのように胸が痛くなる『英太との共通点』を持っていた。
十以上も歳が離れている女性に、叶わぬ恋をしてしまったこと――。これが共通点だった。
隼人は継母に。人妻で父親の妻だった人に。
英太は上官の女性に。同じく人妻で、彼が恋い焦がれていても、隼人や葉月自身のことを思って懸命に耐えている姿を知っていた。
焦がれている女性の敵わぬ相手がこの俺自身ということが、また隼人の胸をより一層痛めていた。
――『親父も、こんな思いをしたのだろうか』。
息子が妻に思いを寄せていることを知っていたはず。知らぬ振りをして何事も無いように振る舞う。隼人にとって英太はまだ他人で部下だから、思い切って拒否したり切り捨てることも出来るかもしれない。でも横浜の父の相手は、息子だった……。
そんな思いで、片親で育ってきた隼人以上に両親共に亡くしている英太が、叶わぬ恋や孤独に健気に耐えて空を飛んでいるのを見ていると、若い時のなにもかもが綯い交ぜになって隼人に覆い被さってくる。
そんな時、隼人が選んだ道は――。兄貴のように慕って、彼が少しでも健やかに歩けるように導くことだった。
そんなことを思いながら。嘘をついて出て行った出張の訳を妻に話し、さらに英太に華子という深い関係をもつ恋人であってそうでない女性がいること、その女性との出会い、そして頼まれたこと、岩佐のこと。全て話した。
その上で、隼人は葉月に改めて聞いた。
「どうして良いか分からなくなったんだ。岩佐君に協力すると、英太から華子ちゃんを取り上げるような気にもなるし。でも華子ちゃんは岩佐君の依頼を引き受ける気はあって……」
俺とお前が一緒に育てているパイロット。
だからお前に相談した。どうする?
たった一人の肉親の命が儚いいま、家族同然で過ごしてきた彼女が本当に英太の側からいなくなったら。それこそ本当に孤独になる。
隼人の話をひらすら黙って聞いていた葉月が、手にしていた手芸道具を引き出しにしまった。
そんな葉月が言ったことは。
「それなら、蘭子さんに協力してもらったら。私からもお願いしておくから」
隼人は驚き妻の顔を見る。
それは華子と岩佐がやることに協力すると言っているからだ。英太は? 英太はどうするんだ、葉月?
Update/2010.4.14