-- エースになりたい --

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2.最後の訓練

 

 困った顔を見せると言う事は、それほどの逸材はいないということなのだろうか。

 まあ、いたとしたら横須賀側が手放してくれないだろうが、そこの引き抜き戦は後に考えるとして。「あら、横須賀の戦力を横取りしようと言う訳ではないのですよ」

 そう言っておかねば、なかなか手の内を見せてくれないだろう。
 こう言うところは基地対立が垣間見えるが、そこはそこで大人の顔で上手く付き合って行かねばならない。

「分かっていますよ。まあ、いつの時代もいろいろなタイプのパイロットがいるのは当然なのですが。どうもね。横須賀にいるパイロットは大人しいというか、大人というか。何を考えているかこちら管理側には見せてくれない者が多くてですね。イマドキの若者の特徴を物語っていますよ。でも、一部を除いては……かな」

 『一部ですか』と、葉月の心はどうしてかそこに動いた。
 葉月の隣では、システム手帳を片時も放さないテッドが毎度の如く、ペンを片手に何かを書き込んでいる。
 テッドはこうして葉月が誰と何を話したのか、きちんとメモを取っているのだ。もう完璧な秘書官だった。
 クリストファーは空を眺めている。今日の空を見て、彼は訓練の予感に巡らせる。若いアドルフはどっしりと無言で座っているだけ。護衛らしい構え方なのだが、実は『准将。俺、船が未だに苦手なんですよ。酔ってしまったら申し訳ありません』と乗船前に小さくなっていたので、酔わない為の呪文でも唱えているのだろうかと、葉月は小さく笑ってしまった。

 やがて、小型の船は空母艦に辿り着く。
 小笠原でもそうであるように、船を下りて甲板へと向かった。

 薄暗い鉄壁の通路は、いつもの如くひんやりとしていた。
 訓練官、長沼の背をついていくが、道筋は小笠原の空母と全く同じ。最後は鉄階段をあがってそこの開け放されている鉄のドアを出れば甲板だ。

「見つかると良いですね。日本人の若手パイロット」

 光がさす甲板へと出ようとした時、無言で付き添う事を鉄則としているテッドは小さく耳打ちをしてきた。葉月も『そうね』と微笑み返す。

 小笠原で選び抜いたベテランパイロット、そしてシアトルから譲り受けたパイロット、さらにフロリダから引き抜いたパイロット。だが、バランスが悪い。若手の、もっと初々しく熱い男が欲しい。出来れば、日本人で。
 葉月は探し回っていた。だが、ここ一年。見つからない。なるべくなら小さな空部隊で埋もれている人材をと思ったがなかなか。とうとう、大きな部隊を抱える基地を回り始めて暫く。めぼしい候補に目をつけてはいるが、葉月も共に判断をしてくれるミラーも『どうもしっくりしない』の繰り返しだった。そんな日々を経て、この横須賀基地が最後だ。

 甲板へと一歩踏み出すと、小笠原と同じように轟音が聞こえた。
 だが、その轟音がとても近く感じた。

「まずい! あれは……。葉月ちゃん、耳を塞いで!!」

 先に甲板に出た長沼が、昔ながらの馴染んだ呼び方で葉月に叫んだ。
 だが遅かった。葉月が甲板に出た途端だった。
 空母の真っ正面。それは葉月に向かって飛んでくるのではと驚かされるほどの至近距離。目の前に灰色の戦闘機が迫ってきていた!

『うわあっ』

 だが空母の上空にくると、その戦闘機は瞬時に機体を傾けた。そのまま横飛びの体勢で空母側面をすり抜け、ものすごい低空飛行で管制室を掠めるように飛んでいった! 飛び去っていった後の爆風に、甲板にいるメンテナンサー達が床に伏せ、訓練教官達もキャップが飛ばないように両手で押さえ身体をかがめていた。

「准将、大丈夫ですか!」
「だ、大丈夫よ。テッド。これぐらい!」

 葉月もテッドと一緒に、その爆風に強く煽られ、身体をよろめかせる。
 耳につんざく直接的な戦闘機の轟音は、まるで側で撃たれた大砲のようだった。

「ど、どういう訓練!?」

 葉月は唖然とさせられた。
 ああいう指示を出す、あるいはあれだけの状況に追い込むような切迫した訓練をしているのかと……。

「違いますよ。あれはあのパイロットの『飛び方』なんですよ」
「パイロットの、飛び方? つまり……」

『また来たぞ!』

 甲板から聞こえてきたメンテナンサーの声に、葉月はまたカタパルトの向こうを見た。

『こら! 鈴木、いい加減にしろ! 着艦させるぞ!!』

 訓練官がインカムに叫ぶ声。葉月の耳に初めてその名が焼き付く。

「鈴木というのね。あのパイロット!」

 葉月は甲板へ空の下へと駆け出した。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

『こら! 鈴木、いい加減にしろ! 着艦させるぞ!!』

 ふん、叫んでいるだけだろ。
 空母艦をすり抜けた上空で、英太はひとりほくそ笑む。
 いつだってそうだ。彼等は甲板でぎゃあぎゃあ喚くが、結局の所は誰も自分がいるこの空まで止めに来る事は出来ないのだ。
 くやしかったら、今すぐ、カタパルトに昔の戦友である旧型戦闘機に乗り込んで追いかけてこいっつーの。──いつだってそんな気持ちで飛んでいた。

 どれ、もう一度、度肝を抜いてやるか。

 英太は再び操縦桿を強く握りしめた。

『鈴木。何故、指示通りの演習が出来ない。これ以上勝手を貫くなら、研修員から外れてもらうぞ』

 やれるものならやってみろ。

 英太は心の中で悪態をついた。
 もう、いい。誰も彼も自分が上に行きたいが為に人を陥れたりやっかんだり嫉妬したり恨んだり。もう沢山だ。
 本来、こういうチームでは心を通わせて、皆でひとつになってやることじゃないのか? それがなんだ。近年、平和すぎたのかよ。一番大事な最前線で、なんで仲間と争わなくちゃいけないんだよ。それを言いたいのに、それで前に出る俺をなんでお前等は叩くんだよ。

 こんな飛行機。もう、捨ててやる!

 英太は荒んだ心で操縦桿を再度きつく握りしめた。

 きっとこれで『除隊』させられるだろう。
 この研修に来た時から、所属部隊の隊長にも言われたぐらいだ。

『もう、お前は使えない。研修があるから、そこで根性をたたき直してこい。それで駄目ならお前は他のパイロットと飛ぶのは無理だ』

 ──これが最後だ。

 英太をこの研修へと放り投げた隊長の言葉。

 ……あんたを、信じていたつもりなのに。そのあんたが、あいつらより俺を切り離した。捨てたんだ。
 あの理路整然としているだけの野郎共が結束して、英太をなんども爪弾きにした。それも任務中の飛行中にだ。『鈴木に協調性がなさすぎる』と、そういう姿に映るよう仕向けたのは、あの野郎共だ。
 どうしてだよ。価値観が違う、性質が違う、そういうのが沢山集まって組織されているんだろう? そんな色々な奴らと横で繋がって初めて、互いに補うことができて、自分に出来ない事が出来るようになるんだろう? 仲間全員でそこにいけるんだろう?
 なのに。なんだよ。同じ性質の、同じ感触の、横並びで安心できる仲間だけで固まりやがって。ただ、同じ仲間で安心してたむろって、それで『俺達、防衛しています』だ? ふざけんな!!

 空母艦を目指し、英太はスピードを上げた。

『鈴木! 聞こえないのか! 三度目は許さないぞ!』

 もう、俺の中で終わったんだよ。この仕事、大好きだったけれどさ。このコックピットで青い空に出た時の気持ちは、今までの胸くそ悪い沢山の出来事、すっとばしてくれたよ。だけれど、もう、それも嬉しくなくなっちまったんだよ!

 これで最後だ。
 だから思いっきり飛んでやるんだ。

 英太の視界に『最後の空母艦』が、真っ正面に見えた。
 どんな飛び方をしようが、どうせ『弾かれる』のだ。どんなに好きでも『組織は組織』。はみだし者はどんなに懸命に独自に使命感を全うしようとも、マジョリティーの権威に排除されていくのみ。
 日本なんか特にそうだ。とにかくどこにいてもそうだった。例外なんかなかった。英太はそう思うから、今回も『大好きなコックピット』から別れを告げる決意を固めた。
 どんなに、どんなに、自分なりにやってみて前に進もうとしても……。駄目だったからだ。
 どうせこれからもたいして変わりはないはずだ。要領のいいおりこうちゃんが上手く生きていける世界、もしくはこいつらが権威を振るう世界に従することで自分を上手く押し殺して合わせていける奴らが勝ち上がっていくんだ。
 ──俺には出来ない。自分を殺すだなんて、出来ない。
 だから、もう。どうせやめさせられるなら、最後、好きなように飛ばせてくれよ!

 一度で良い。こんなアクロバティックな、ギリギリの飛行をやってみたかったんだ!

 目の前にマッハのスピードで迫ってきた空母艦。
 目印は、てっぺんのアンテナ。それをめざし、英太は操縦桿を切る。
 甲板の真上に着た頃、英太は片翼を下げ、機体を傾ける。下げた方向に甲板が見えた。
 これだけの高度を下げての、傾斜飛行は、おそらく甲板で指示している指揮官共も度肝を抜いているはずだ。
 この研修中、英太は指示を破って何度もこの飛行で『仕返し』をしてきたつもりだ。

 見ろ。甲板で気流に煽られている整備士達もうろちょろと慌てふためいているじゃないか。
 後方にいる訓練指揮官だって……。

 その瞬間だった。
 ハッとした英太はスピードを落としたい衝動に駆られたが今の状態では無理だった。
 一瞬だった。

(甲板に、見慣れないやつがいた?)

 だが機体はぎゅんっと一気に空母艦の上空を掠め、英太の後方へと過ぎていった。
 操縦桿を強く握りしめている手の力が一気に抜け、英太はコックピットから振り返ったが、もう小さくなっていく空母が見えるだけ。その者が見えるはずもなく……。無駄な振り返りと分かっているのだが、でも、振り返らずにはいられなかったほどの……。

「──制服、だった?」

 今、甲板にいる男共は皆、訓練に従している者ばかり。訓練服を着ていて制服でいるはずがない。
 一瞬だったが、英太の中に瞬時に焼き付いた僅かな残像では、栗色の髪だった……ような?

 急に胸の中でなにかがざわついた。
 今まで甲板にいる奴らを驚かせて不満を消化してきた英太の中で、その『栗毛の制服』が甲板のど真ん中にいることだけで、かなりの違和感を覚えた。

 この三回目の指令無視で、訓練指揮官も『もうお前は飛ばす訳には行かない、着艦だ!』と見切りをつけると思っていたから、これで最後だとあそこまでの無茶をしたのだが。
 もう一度、それが何であったのか英太は確かめたい衝動に駆られた。
 それに、訓練官の怒鳴り声も着艦命令も、ない。それどころか思ってもみない指示が届いた。

『鈴木。今の、もう一度、出来るか』

 英太は一人、驚いた。
 あんた達が怒る事を三度もやったのに? もう一度?

「言っている意味が……」
『やっている意味が分からないのはお前の方だろう。お前の、意味の分からない行動をもう一度見たいと言っているんだ』
「怒っているのでは?」
『あーあ、怒っている。だが、やってみろ。それとも? もう出来ないとでも?』

 困惑した。彼等が理解してくれないから、理解してくれないまま、自分の思うところを貫き通し、それで完全に切り捨ててもらおうと思っていたのに。
 初めて? 向こうがこちらの思うところに合わせてきてくれた?

 半信半疑だった。
 それに、どうしてか。彼等に認めさせたくて反発していたのに、だったらお前の言う事をきくからもう一度やってくれと言われて従うのにも妙な躊躇いが生じたりした。

『どうした。出来ないなら着艦しろ』

 それにもムッとした。
 向こうがどのような心変わりをしたのか判らないが、もう一度、あれをやって良いのなら、しかも許可付ならやってみたい。
 だが言いなりにはならない。また同じように飛んでも先ほどの違和感の原因が分からない。

「イエッサー。では、今から行きます」
『甲板のど真ん中に来い』

 指揮官のその指示に、英太は再び眉をひそめた。
 奇妙な指示だった。

 だが英太はもう一度操縦桿を握りしめ旋回。空母艦の正面を目指した。

 しかし、指揮官から許可が出たとは言え、同じように飛ぶつもりはなかった。
 今度の英太は、ゆったりと空母艦を目指した。これも彼等の指示には反する事になるのだろう? だが、同じコース取り、同じ操作で英太はじっくりと空母艦に近づいた。

『どうした。先ほどまでの怒り狂ったような乱暴な飛行は出来ないのか』

 うるせい。もう三度も見ただろうが!
 今度はそんな飛び方では、『制服』が確かめられないだろう?

 と、叫びたいが英太は心の中に収め、ここでも指示を聞かずにゆったりと甲板の上へと近づいた。
 とはいえ、戦闘機が通り過ぎるのだ。今、英太が飛んでいる真下では、やはり低空飛行で過ぎていく戦闘機の気流に煽られて甲板に伏せている整備員の姿が見える。皆が着ているセクション分けのカラージャケットがバタバタとはためいているのが見える。

 その時だった。

 いた!

 三回乱暴にすり抜けていった飛行と同じように、英太は甲板がコックピットから見えるように片翼を下げ機体を傾けた。

 女だ。制服の、栗毛の女。
 彼女だけが、毅然と甲板に立っている。
 気流に煽られて、彼女も今にも甲板に跪きそうなのだが、それでも立ってこちらコックピットを見ている。

 それでも一瞬だった。
 ビデオのコマ送りで、三コマ。そんな感覚。
 だがその一瞬でも、英太が過ぎ去っていく後方へと視線を動かしている動作に合わせるかのように、彼女も通り過ぎていくコックピットを同じような速度で目で追っている。

 これは動体視力が優れている者同士だけが分かる感覚?
 英太と同じ体質を持っている者が、英太と同じ速度で目線を合わせていた?

(あの女。俺が見えている?)

 目が合った。
 そんな感覚だった。

 気が付くと、空母艦はとっくに通り過ぎ、無意識に上空へと舵を切っていたのかいつもの高度をなんとなく飛んでいた。
 どうしてか英太の身体が熱くなっていた。何故なのだろう?

『もういい。着艦しろ』

 その声に英太はやっと我に返る。

 ついに来たのか。二度と飛べなくなるピリオドを打つ上官の声。
 覚悟をしていた事だ。二度と飛べなくなる決意だから荒れ狂っていたのに。なのに英太は思ってもいない感情に囚われていた。

「ラジャー。今すぐ……着艦……します」
『なんだ。もういいのか。素直じゃないか』

 そのまま着艦体勢に入った。

 これで最後の空。名残惜しいはずなのだが、今は甲板に戻って『あの女は何者』なのか。

 それが知りたい。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 着艦をした英太は、この研修の訓練官に呼ばれた。
 ついに、その時が来たかと思ったのだが。

「まったく、お前という男は。自分が何をしていたのか分かっているのか」
「勿論です」
「では、所属部隊の橘隊長が何故、この強化研修にお前を委ねたか。その理由をお前は理解できたのか?」

 己が維持すべき部隊から追い出す為。だろ?
 俺は捨てられたんだ。この研修で『除隊』を中佐から言い渡されるのを願って……。

 それを言いたいが、英太は意地でも口を閉じる。
 そんな言い訳、まるで負け犬、負け惜しみのようで嫌だったからだ。

「覚悟、出来ているのだろうな。指揮官に逆らえば、ある程度の処分は免れない。特にお前は問題が多すぎる、『これまでも』──」

 中佐の溜息。
 だが、彼はそこで長い間黙り込んでしまった。
 そんな上官を見て、英太はその隙に気になっている事をついに口にしていた。

「あの、甲板に制服の女性が見えたのですが」

 そう言った途端、彼がとても驚いた顔をした。

「お前、『あの人』が見えたのか?」
「一瞬ですけれどね。俺には栗毛の、制服の女性に見えましたが。違いましたか? 自信はありません」

 彼が絶句した顔。
 そして何かを諦めたかのように、彼が微笑んだ。

「なるほどね。なるほど?」

 急に笑い出す中佐。そして彼が英太に告げる。

「お前はもう、この甲板に戻ってくる事はないだろう」
「……はい」
「もういい。空母を今すぐ降りて、陸の基地に帰れ」
「……はい」

 最終通告。これで空ともコックピットとも、そして甲板とも、基地ともおさらばだ。

「基地に戻ったら直ぐに、空部隊本部の『長沼中佐』を訪ねてくれ」

 その指示に、英太は呆けた。
 長沼中佐と言えば、横須賀の空部隊本部を担う大隊長の優秀な補佐官だ。何故、そんなお偉いさんのところにいかねばならない?
 それとも? その人から本当の最終通告をされるのとでも?

「何故、大隊本部なのですか? あの、除隊言い渡しなら直属の橘で充分……」
「いいから。とにかく行ってくれないか。これが俺からの最後の指示だ。それぐらい、言う事を聞いてくれないかね!」

 この指揮官はいつでも冷静な方だったと思う。
 その彼が初めて苛ついた顔を見せた……。それも急な違和感。英太を厄介払いをしたいという有様を垣間見せた事はないから少しは言う事を聞いてきたが、全面的に信頼した事など一度もない。でも彼は今まで丁寧に接してくれていた方だと思う。だとしても、最後と決していた英太にはどうでも良い存在だったが……。

 だが、その彼が英太に言った。

「お前が羨ましい。いいか、鈴木。コックピットにいられる栄光は短いぞ」

 はあ? なにが言いたいんだと英太は首をひねった。
 だが、今度の彼は哀愁を漂わす顔。

「俺も。もう少し若くて、まだコックピットにいられたらなあ……」

 何故か彼は、笑顔で空を見上げていた。
 意味が分からないが、英太もつい一緒に空を見上げていた。

 もう二度と飛ばないだろう空を──。

 すると彼がやっと教えてくれた。

「長沼のところに行けば、『あの人』がいると思う。行ってこい」

 それだけ言うと、彼は英太に背を向け、指揮台に戻っていく。
 そして英太の心臓がどくりと大きく動き、鼓動を打った。

 あの女が本部にいる?
 一体、何者?

 名残惜しいはずの甲板を、英太は早足で去っていく。
 なにかそこに新しい衝動を感じていた。

 

 

 

Update/2008.4.24
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