-- エースになりたい --

TOP | BACK | NEXT

 
 
1.空の浮気現場

 

「あまりの見事さに、あらゆる意味で嫉妬するね」

 空部隊本部隣にある、空部隊システム管理室。
 葉月はそこで、この日に集まった訓練データーを眺めていた。
 するとここの管理責任者である『ブライアン=ミラー大佐』が、葉月の背後で腕を組み、溜息をついていた。

 システム管理室のパソコンモニターで、葉月は先ほどの『6、7号機』が攻め側に回った時の演習をリプレイして眺めていた。
 ただじいっと。何度も再生して……。その背後を眺めていたのだろう。ミラーがなにか堪りかねたかのように声をかけてきた。

 葉月はちょっと不機嫌に言葉を返す。

「何故、嫉妬ですの? この子は貴方が現役だった時ほどの実力もなければ、テクニックも判断力もまだまだ。貴方を超える事など到底先だわ」

 空部隊が出来た時に、夫の御園大佐が『システム管理室』なるものを設置した。
 訓練で叩き出されたデーターがここに一括される。今までは各中隊の空軍管理班がやっていたことを、空部隊本部として統轄してからはシステム管理室という呼称にて、一括管理される事になった。それにはもう一つの目的が。工学科がこつこつと開発しているもののデーター収集をする手間を省く事と、さらには、厳重に機密に管理したいが為にひとつのまとめたのだ。
 空部大隊を統括している本部の中の内部署ではあるが、部屋は隣に分けてあり、そこは大佐に昇進したミラーががっちりと守っている。

 葉月も本来なら側にある准将室にいるのだが、このシステム管理室に入り浸っている事が多い。
 その為ミラーが、『ここはお嬢さんのサボタージュ専用室じゃないんだぞ。俺より偉い人がいるのは困る。俺の仕事とらないでくれ』などとぼやく。ミラーという現役室長がいるのに、葉月がここでデーターばかり眺めているので、時にはミラーがやりにくいことも起きるのだそうだ。──なのに。じゃあ、お邪魔なら暫く行くのをよそうと控えていると、内線がかかってきて『今日のデーターは確かめなくていいのかな』なんて誘いがある。結局は、コックピットを降りても、二人は元パイロットとしての感覚を通じ合わせて一緒に歩いていないと心許ないのだ。

 そして今日の葉月は、『白昼の稲妻』と口にした7号機の降下映像を眺めていた。

「ついに言ったな。君の口から『まさに白昼の稲妻』。隣にいた俺もそこまで聞かされて、どんな思いだったか分かるかな」
「分かりません?」

 ワザとそう言ってやった。当然、ミラーの頬が引きつったのを葉月は見る。

 実際、自分でも『うっかり』言ってしまっていたのだ。……ということは? 心から出てしまった言葉なのか? 自分でも、今も、分からない。
 ただ『妙な嫉妬』をしているミラーの手前、惚けているが、『今日のあの子はすごかった』。これは紛れもない本心だ。
 ところが、葉月がこの本心を悪気なく素直に口にすると、なにかとやっかいなのだ。特に、この地位についてからは『本音』を言う事がプラスになる場合とマイナスを招く場合があるのでとても慎重を要する。まあ、以前からそれほど本心を口にする葉月ではないのだが、信頼している同僚や部下にもそんな気持ちを抱くような場面が増えてくると、やや憂鬱になる。

「とぼけても無駄だ。空となれば、君と俺はパートナーだ。そうだろう」
「そうですよ」
「それ、貸してくれ!」

 幾ら問いかけても相も変わらず淡々としている葉月に業を煮やしたのか、握っていたマウスをミラーに強引に奪われる。
 彼がカチカチと操作をし、葉月が何度も再生していた7号機の演習映像をリプレイする。葉月が英太を包囲したところから。

「英太は先週、このパターンで何度もロックオンされて終わっていた。俺も『そろそろ』だと思っていたよ」
「はあ。『そろそろ』ですか? なにがですか?」

 ここでもとぼけてみる。しかし、葉月の心の中はミラーと同じ事を感じ判断していた。ただ、今はまだ、『誰にも知られたくない本心』があるからとぼけているのだ。そんな葉月に対し、やはりミラーの頬がぴくりと動きはしたが、今度は無視をされた。さらに彼は流れる映像を葉月の横で共に眺め続ける。

「包囲された時の『落ち着き』、『判断力』、『瞬発力』。何度も失敗はしたがその『勘』が養われ、研ぎ澄まされていた」

 その通り。と、葉月は心の中だけで同意する。

「以前のこいつだったら、ここで即ぶっちぎれて君に喧嘩を売っていた。甲板に降りてきたらヘルメットを叩きつけて、最高司令官の君に恐れず刃向かって──」
「懐かしいですわね」

 ああ、そうだったなあと、葉月はふと微笑む。
 『彼』との真っ正面からのぶつかり合いはかなりのものだった。
 ──だが、そうせずにはいられなかったのだ。

「まあ、君がね。この青年に部下以外の感情を抱いていた事は、一時、不審を抱いたけれどね」
「申し開きできないわね」
「なんだ。もっと言い訳しろよ」

 でも、その『疑い』もいつの間にやら晴れていた。……しかも上手く取り持ってくれたのがこれまた『お世話大好きの夫』だったりする。

「やはり『サワムラ』には敵わないね。君と結婚しただけある……。君の本当の気持ちを聞いて、俺は、なんて言って良いか。君と英太にしか分からない気持ちがあると知って、なるほど? 俺如きでは間には割り込めないと分かったよ」

 7号機が四方の敵機を巧みに交わしている映像が映し出されている。
 やがて画面には、葉月と英太の交信が聞こえてきた。

『英太。だいぶ、苦戦しているわね』
『く、苦戦なんかしているものか!』

「相変わらずの、ツッパリようだな」

 二人の交信会話に、ミラーが小さく吹き出した。

「やれやれ。お嬢さんが好き好きで堪らないのに、いつだってこんな反抗的な口の利き方。若いね〜」

 ここで葉月はふてくされた。

「そのことについては、私の前では口にしないでと言いましたわよね。業務とは関係ありませんし、それがなにか表沙汰になるような大きな問題を引き起こした事もないのですから」
「いいじゃないか。若い男の子に熱烈に好かれてしまうとは、流石お嬢さん」
「あれは……! ……恋じゃないわ。あの子は気が付いていないのよ。そのことに」
「と、否定して。恋をさせてしまったお姉さんは逃げ出したい訳だ。惚れさせてしまったのは君だ。経験豊富な『はず』の君が責任を取るべきだ──」

 ミラーの妙な笑み。なんだか急にその笑みに葉月は迫力を感じた。なにか大きな釘でも刺されているかのような……。すこしばかり背筋が凍った。
 まったくその通りでぐうの音もでないのだが……。そこから逃げるなと、信頼している先輩からきつく諭されたようで。葉月はここで口をつぐんでしまった。

「まあ、いいだろう。君はあの『暴れん坊』をよく飼い慣らしたよ。俺達でも手こずったのになあ。その結果ついてしまった『恋』だから、今のところはそこを放置していることは、大目に見ようじゃないか?」

 不満げなミラーだがその話題はここで終わらせてくれた。
 再び彼の指先がマウスをクリックし、あるところで画像を停止させた。

「ここの隙間だな」

 彼が指さしたのは、3号機の左翼下。英太の目からは二時の方向、しかも下方。視覚ではニアミスを起こす感覚を覚える小さな隙間だ。

「君と甲板で7号機の映像を見ていて、俺もここだと思った」
「やはり私達は同じ感覚を持っているのね。お互いにコックピットを降りても、シンクロする感覚が得られるのは嬉しいわ」

 にこりと微笑み返したが、『おじ様』は許してはくれなかった。
 彼の指先が、再びクリック。映像を再生する。

『英太。右、3号機の左翼の下方よ!』

 モニターから自分の叫び声が聞こえてきた。
 そしてミラーも葉月の隣で腕を組んだ姿勢に戻り、一時呻っている。

「この時、英太は君に言われて3号機左翼下方へ舵を取った訳じゃない。俺には解る。君の声と英太の操作はシンクロしている。つまり……英太は君の指示などなくても、この隙間をみつけて既に感覚がそちらに動くように動作にも指令し終えている。あいつは自分の感覚で見事なまでの『勘』を手にしている。そして君とも見事なまでに『シンクロ』している」

 ミラーが押し黙る。一時だけ。

「そして、俺ともシンクロしている。つまり……こいつは『君と俺』そして『こいつ』の三人をあわせた物を、もう掴もうとしているんだ」

 映像は英太がニアミス寸前で傾斜体勢のまま急降下をするところ。

『よくやったわね。見えたわよ。白昼の稲妻──まさにそれだったわ』

 葉月は溜息をついた。
 何故、こんなことを口にしてしまったのか。

 そして隣にいるミラーも溜息をついた。

「こいつは俺達が持っていたものを手に入れ、さらに俺達が手に届かなかったことを手に入れようとしている」

 ミラーがその先にある『ひとこと』を口にしようとしている雰囲気が伝わってきて、葉月は緊張した。自分も少し……思っているからだ。
 だけれど、それを今はまだ口にしてもいけないし、司令官同士で認め合ってはいけない。まだ互いに心の中にしまって様子を見なくてはいけない。互いの間で明るみにしてしまうと、明日の訓練から感覚が変わってしまう。だが、葉月は既にミスを犯していた。──『まさに白昼の稲妻』。ついに口にしていた。それも自然と……。

「君が言うとおりまだまだだ。だが……もしかすると。近い将来……こいつは……」
「……言わないで。私が今日、うっかり言ってしまったような感情に流されるようなミスを、貴方だけはしないで。いつもの冷たい精密機械でいて」

 ミラーが言おうとしたその先を、葉月は強く遮った。
 だから彼もやっと口をつぐんでくれる。

 ミラーも。どこか興奮していたのだろうか。ふっと大きな溜息をついて、脱力するように葉月の隣のパイプ椅子に座り込んだ。
 彼の手が、今度はフレディの6号機が残したカメラ映像を何気なく流し始める。

「そうだな。まだ、言わない方が良い。大事に育てていくべきだ。特にこいつはまだ若い。やっかまれて潰れても困るしなあ」
「やっかまれる程度ではこの子はへこたれません。そして、この子はコックピットを必死で守るわ」
「だよな。こいつの生き甲斐だ──」

 そしてミラーは最後に言ってはいけない一言を言わなかった代わりに……。

「生き甲斐の持ち方が、現役だった君と同じでは、当分はどのような事があってもコックピットを降りる事はないだろう──。サワムラもそう言っていた」
「だからこそ。私はあの子に……違う乗り方をして欲しいんです」

 ミラーは『なるほどね』と妙に納得した頷きをしてくれた。

「しかし。君が『俺の跡継ぎの翼をみつけた』と言った時はまさかと思ったが。俺の後釜どころか、化けたなこいつ」
「ええ。いつもの感覚で申し訳ありませんが、一目見て、これはと……」

 葉月の脳裏に、少し昔の光景が蘇る。
 横須賀の晴れた日。青空の下。甲板……。

 そんな葉月を眺めているミラーが、さらに大きな溜息を落とし、妙に哀愁を滲ませる微笑みを葉月に見せていた。

「やはり嫉妬するよ。こいつの『稀なる才能』。『感覚』。『若さ』。そして君と俺と同じ物を持ち合わせ、こいつ一人で俺達二人分を補っているパイロットである事。今は……君の心を空に飛ばしているのも、俺ではなく、この青年だってこともね」

 『稀なる才能』と誤魔化したかと、葉月はミラーを見つめた。
 そうだ。英太はもしかすると『天才』かもしれない。でも、まだそこには至っていない。まだ口にしてはいけない。私達の間でうすうす感じ取っていても。今はまだ……。

「この子はまだ荒削りすぎて扱いにくいわ。貴方の翼が恋しい」
「嬉しいねえ。嘘でも。まあ、俺もコックピットは恋しいなあ」
「嘘じゃありませんわよ。安定感では貴方は抜群でしたもの」
「でも、こいつほどの『天性的な勘』はなかったし、思い切りもなかった。リスクがある事にはつっこまなかった。でも、こいつはやる。そこは現役の君と一緒だと思う」

 ミラーにない物、葉月にはない物。それを合わせて甲板とコックピットで二人は暫くの間は空を一緒に飛んでいた。
 だが、この青年はそれを一人でやっている。
 葉月とミラーの飛行を、一人で。

 葉月もミラーのように思う。
 もし、この青年のように男だったら。もし、この青年のようながたいの良い身体だったなら。もし、この青年のように重力に耐えられるタフな体力があったら。
 そうしたら、私だって……今日の荒技に突っ込んでいた。迷わずに空の瞬時の隙間に飛び込んでいた。戦えていたのに。

 だからミラーの嫉妬とやらも分からないでもない。
 二人はもう戻れないところに来てしまったのだから。若さと体力だけはどうしても、降下していく年齢には敵わない。

「お疲れさまー。お邪魔するよ」

 それとなく訓練映像を眺めていた二人は、その声にハッとした。
 共に振り返ると、そこには夫の御園工学大佐がいた。どうやら日課の『データー採取』に来たようだ。
 そんな夫と目が合い、葉月は顔を逸らした。なんだか今日はちょおっと気まずい気分。

 だが夫はいつも通りだった。

「あ、ミセス准将。またここに入り浸っているんだな。またミラー大佐まで並んで映像を眺めっぱなしとは、ミイラ取りがミイラになっていたのでしょうかね」
「これは御園大佐。いらっしゃい。いやー、今日はすごい演習映像があるんだよ」
「聞いた。今、カフェで一服していたらパイロット達が騒いでいたもんでね」

 葉月は益々、ドキリとし顔を見せずに固まった。
 もうこのまま立ち上がってしれっと出ていこうかなと思ったのだが。

「観るかい。奥さんとパイロットの浮気現場」

 ミラーのその言い方に、葉月は飛び上がりそうになった。

「へえ。浮気現場。それはなかなかそそるねえ」

 そして夫の御園大佐も、ミラーの面白可笑しい煽りをいつもの余裕の笑みで受けていた。

「どうぞ。日本では痴話喧嘩は犬も食わないそうだから? 俺は退散するとしよう」

 葉月の隣に座っていたミラーがさっと立ち上がる。

「これはどうも有難うございます、大佐。それでは、今からみっちり……『空でのセックス』とやらを拝みましょうかね」

 『空で、妻と若いパイロットが浮気。そして感覚はセックス』
 流石の葉月も唖然とした。当然、カマをかけて『決して崩れない夫、工学大佐』を崩してやろうと挑んでいたミラーまでもが、隣で固まっていた。

「あ、貴方! いい加減にしてよ!」

 葉月はおかんむり。つい……職場だというのに、『貴方』と憤ってしまった。だが、ミラーは高らかに笑い飛ばしてしまった。

「あははは! 分かった、分かった。悪かったよ」

 御園氏にそこまで言わせてしまって悪かった。旦那が『空でのセックス』だなんて言葉を選んだのも、俺のかまかける言葉が悪かった──。ミラーが急に笑いながら詫びてくれた。

「まあ、今度また。一杯おごらせてくれよ」
「楽しみにしていますよ。ミラー大佐」

 ミラーは夫の肩をぽんと叩いて、室長席へと戻っていった。

 まったくこの『お兄さん達』は相変わらずだなあと葉月は呆れてしまう。
 葉月を変な餌にしたり、そして大佐同士らしい腹の底を探り合うようなやり取りをしているにもかかわらず、そこをとても楽しんでいるのはなんなのだと。

「どれ。噂の『浮気現場』でも眺めさせてもらうかな」

 しれっとこの場を逃げたかったのは葉月の方なのに、逆に夫の方がしれっと妻の隣に座った。
 なんだか嫌だなと葉月は思う。別に……。特にやましい気持ちなどないのだが、『今日のあれ』は……葉月にとっても確かに『裸』に近いのは間違いない。
 身体の裸を夫に見られる事でも恥じらいを感じる事はある。それと同様に、心の裸だって……。

 ミラーが立つ前に画面を停止していったのはフレディの6号機の演習映像。
 だがマウスを握った隼人はその画面を閉じてしまい、替わりに呼び出した画面が、7号機のものだった。

「ちょっと。まだ『どの機体の演習がすごかった』だなんて、私もミラー大佐も一言も言っていないのに、なんで英太の7号機を真っ先に選ぶのよ。他の機体が『すごかった』飛行をしたと思わないの?」

 迷わず、英太の演習映像を呼び出した夫。
 ──勿論。それぐらい読まれる事は既に承知のところなのだが、それでも葉月は『嫌味な兄貴達』にさんざん苛められた為に抵抗してみたのだ。
 だけれど、やはり隼人はにやっと勝ち誇った笑みを浮かべるだけ。

「空でお前と『セックス』が出来るパイロットは一人だけだろ」
「いくら私の夫でも、そんな言い方は許しませんよ!」

 本気で、上司の顔で怒ってみた。
 まあ、これぐらいじゃあ。私の旦那様は堪えることはないだろうと思いつつ。案の定、夫は今は御園大佐の顔ではなく『隼人さんの顔』で悠然と微笑んでいる。

「そんな子供っぽく怒るなよ。お前だって分かるだろう? 男の会話なんてある意味下世話なのは当たり前なんだよ。この前も、ミラー大佐と『男の右手は俺達の一生の恋人だよな』という話で大いに盛り上がったぞ」
「なに、それ……!」

 葉月はぎょっとさせられた。
 意味が分かってしまったからだ。しかも『私の旦那さんも、そうなの!? どっちなの??』と……うすうす分かっていてもそれは言わないで欲しかったと……見えないままにして欲しかったのにと複雑な気持ちに陥れられた。

「あれー。お前もお嬢さんの時は、マジで意味が分からなくてきょとんとしていたけれど。今は意味が分かる訳だ。つまり、そういうこと。お前もさ、意味が分かる大人なら、上手く流せる大人になれってこと。いちいち噛みつくなよ。余所の基地に行っても、下世話な会話でお前をいじくるスケベ上官もたまにはいるんだろ。そう言う時、噛みつくなよ。ミセス准将なら、さらっと格好良く流せよな」

 『分かっている、わよ……』と、葉月は小さく呟く。
 男にとって、男同士でそんなやり取りをするのは当たり前、それが挨拶みたいなものなのだと。
 若い頃、『お嬢』だった時は、周りの男性同僚も若く、それなりの恥じらいもあったのだろうか? 少なくとも葉月の前では紳士的な顔をしてくれる男性が殆どだったと思う。まあ、がさつな男の面を見せても、こういったセクシャルで下世話な言葉をあからさまに聞かせるだなんて事はなかった。
 だが、結婚してから妙に……そういった言葉を良く耳にするようになったというか。近頃は葉月はお嬢でもなくなったし、女でもなくなったからだというのだろうか。男達の、いや『おじさん達』のあからさまな会話に巻き込まれる事が多い。
 今日のミラーと隼人の挨拶もそんなものなのだろう?

「でも、一歩間違えたらセクハラですからね。私は妻だからともかく、若い女の子に……」
「……言う訳ないだろ? 格好良いおじさんでいたいからねえ」
「そうであって欲しいわね。貴方の所にも、可愛い新人女性補佐官が入隊したようですから、苛めないでよ」
「苛めてなんかいないさ。苛めているのは、吉田じゃないか。あいつお局だから」

 『ひっどい言い方。女性の敵だわ』と、また葉月は憤った。
 だが、隼人はマウスを握って可笑しそうに笑っているだけだった。
 そして葉月ははたと気が付く。……また、いつのまにやら、ミセス准将ではなくて妻の葉月になっていると。基地でも二人きりになったら夫は意地悪な会話を突きつけてきても、そうして葉月の肩の力を抜いてくれる。また彼が青年だった時の気配りとは違うやり方だけれど、葉月はちゃんと気が付いていた。

 しかし、そうして余裕で笑っていた夫の表情が固まった。

『英太。だいぶ、苦戦しているわね』
『く、苦戦なんかしているものか!』

 ──始まった。本日の『私と若いパイロット』との絡み合いが。

 隣の夫が黙ってしまったところを見ると、やはり、それだけ気になると言うところなのだろうか。
 見て欲しくないような、でも、知っていて欲しいような。葉月はいつだってそんな気持ちになる。だけれど、どうしても、これだけは『夫』が出来ない事なのだ。空を飛べない男では駄目なのだ。それを夫の隼人だって重々分かっている。そして葉月もそれを隠そうとは思わない。だけれど、ここで葉月が如何に心をいっぱいに開いて接しているかを、夫はどんなふうに思っているのか……。ある程度の話し合いはしてきたが、今でもそれは気になる。しかも、今日に限っては──。

『英太。右、3号機の左翼の下方よ!』

 自分とあの子がシンクロした瞬間だ。
 だが、隣の夫は眼鏡の横顔で淡々としていた。表情を宿さずに、悠々とした姿勢で眺めている。
 肩についている肩章が立派になったせいか。年齢のせいなのか。足を組んで悠然と椅子に座っている格好が堂々とした姿に見えるようになった夫。腕を組んで顎を触りながら黙って見ている姿は、どこか義兄の純一に似てきたように思えてきた。そんな威厳を彼はすっかり備えていた。──『御園大佐』と呼ばれるようになって、彼はひとつの大きな部署の責任者であり、空部大隊の影の権力者でもあった。

 葉月には分かる。その横顔は、夫の感覚では決して観ていない。工学大佐の顔で観ているのだと──。

「また英太はカメラを使ってくれなかったのか。まあ、仕方がないかな。一瞬の判断を要する『勘』の世界では、カメラを一目するのもロスなのだろうな」
「そうね。でも、私ならカメラは切らないわ。一瞬の判断をする中で、役に立つ情報の線は残しておくわ。ミラー大佐も同じだと言っていたわ。英太もそのうちに気にならない使い方をしてくれるといいのだけれどね」
「無理強いすると、また吠えまくって噛みついてどうしようもなくなるしな。まあ、今はこれでいい」

『よくやったわね。見えたわよ。白昼の稲妻──まさにそれだったわ』

 その言葉がモニターから聞こえてきて、葉月は夫をちらりと見る。
 だが、表情はそのままだった。

「うん。カフェで騒いでいたのはどうしてか、よく分かった。有難う」

 隼人はそれだけ言うと、画面を閉じて立ち上がってしまった。

 なにも言うことはないの?
 葉月はふとそう思った。
 ここで、いつもの……さっきのような意地悪な言い方でも良い。なにか言って欲しいと思った。
 勿論、浮気現場などではないのだが、でも……自分の手の届かないところで妻か心をいっぱいに開いて、若いパイロットと通じ合っている事。なにもやましくないのだから、夫にも、お前はやましくなんかないよ。と、そんな反応をして欲しかったのだが。

「じゃあ、これで失礼」

 夫は、いや、御園工学大佐はそれだけ言って、葉月の隣の席から去っていった。
 ミラーですら、葉月にくどくどと『君と英太は空では特別なんだ』とちょっと嫌味なカマをかけてきたというのに。
 彼はなんの反応も示さなかった。

 それはそれで、なんとも思わなかったからなのかもしれないが。
 それはそれで、何かを思っているから、意地悪も言えないのかと葉月は勘ぐってしまう。

 あの子と私の空での関係を一番良く知っているのは貴方じゃない?
 貴方、何か言ってよ。
 また意地悪を言って笑い飛ばしてよ。

 でも昨夜はあんなに愛してくれた。
 それを思うと、葉月の心ももちなおり……。それを思うと、昨夜愛されたところが熱く疼いた。

『英太が来たから。結婚後のお前の生き様を、俺も見る事ができたと思っているよ』

 彼がそう言ってくれたのを、葉月は信じている。
 でも、それをもう一度、言って欲しい。
 近頃はそう何度も思っている。

 葉月はもう一度、7号機の演習をリプレイさせる。
 夫がどのように感じ取ったかを今度は探るように──。

 

『よくやったわね。見えたわよ。白昼の稲妻──まさにそれだったわ』

 

 まさか。あの子がこんなに飛べるパイロットになってくれるとは。
 葉月はそう思う。確かに、見つけた時もとんでもない青年だったが、今はもう……。

 

 葉月の脳裏に、二年前の春。横須賀の晴れた『あの日』がふと蘇った。
 出会いは、甲板に吹き荒れた一陣の風──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 二年前、横須賀基地──。

 快晴の海原を連絡用の小型クルーザーが跳ねるように沖合へと向かう。
 輝く波間の向こうには、重厚でどっしりとした風貌を見せながらも、海上に君臨している空母艦。
 遠くから戦闘機の轟音も聞こえてきた。

 葉月は隣に側近のラングラー中佐と、訓練補佐官のダグラス少佐。そして新しく出来た秘書室に迎えた護衛のアドルフ=ハワード中尉を伴い、船内客室にいた。

「御園准将の眼鏡に適うパイロットがいると良いのですがね」

 向かいには、紺色の指揮官訓練服を着込んでいる四十代の男性がいる。訓練担当教官の長沼中佐。彼も元パイロット。その彼に葉月は礼を述べる。

「丁度、横須賀でパイロットの強化研修をしていると小笠原で聞きまして。急遽の見学申し入れを聞き届けてくださって有難うございました」

 訓練教官である中佐に葉月は頭を下げた。
 彼は葉月よりも歳が上、先輩であるのだから、どんな肩書きがついたところでも敬う心は忘れたくないと思い、葉月は自然と礼を述べているのだが……。でも、今や肩には将軍の肩章を得ている葉月にそうされると、流石の男性先輩でも戸惑うらしい。

「いえいえ。『雷神』のパイロットをと言われたならば、お断りできませんよ」
「本日の事は、パイロット達には?」
「告げておりません。ただ『小笠原から見学にくる』とだけ……」
「安心致しました」

 葉月が微笑むと、教官の彼もほっと安心したように笑ってくれた。

「今日は晴れて良かったですわね」
「そうですね。貴女の視力なら、きっと彼等の飛行が遠くてもよく見える事でしょう」
「あら、長沼さんの噂も小笠原ではよくお聞きしておりましたわよ」
「いえいえ。ビーストームやダッシュパンサーには敵わなかったですよ」

 少しばかり先輩だが、同じ時代に空を飛んだパイロット同士。二人は『懐かしいですね』と笑い合う。

「お勧めのパイロットはおりますか?」

 葉月の問いに、長沼は少しだけ困った顔を見せた。

 

 

 

Update/2008.4.14
TOP | BACK | NEXT
Copyright (c) 2000-2008 Yuuki Moriya (kiriki) All rights reserved.