-- W×B【婿殿ライフ】 -- 

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2.息子です。

「あの、御園の家族の者なのですが、こちらに『父』が運ばれたと聞いて……」

 駆け込んだのは、隼人が辿り着いた病院の『救急窓口』。
 救急車が患者を搬入する為の専用出入り口。
 正面玄関から入ってみれば受付は夜間窓口だけが開いていて、そこの事務員が救急窓口に行けばここより直ぐに判ると思うと案内をしてくれた。そして、その救急窓口に、やっと来たところ。

「ああ。御園、さん……ですね?」

 しかし、慣れているのか救急窓口にいる年輩の男性は、とても落ち着いている。
 毎日、毎日、こうしてここにいるせいなのだろうか? 隼人に問われて、やっと手にした眼鏡を顔にかける仕草がとてもゆったりしていた。それで何かの名簿をじっくりと眺めている。その間のじれったさ。いや……やはり、隼人が慌てているのだろうか?

 ここに来るまで、どんな思いで来たことか……。
 受付の男性がゆったりとしている中、隼人の頭の中は、今、小笠原の家族はどうなっているかを思い浮かべる──。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 出張に出てきて横須賀の御園家に立ち寄るのは、いつものこと。
 仕事が残っていれば、今は誰も住んでいない義兄の家を借りるが、そうでなければ御園の両親と共に一つ屋根の下で過ごすこともある。
 亮介はスポーツの話をするのが大好きで、登貴子とは学問的な話を良くする。美味しいお酒に、おふくろさんの手料理。隼人が来れば、御園の両親はとても良くしてくれる。
 今日も、小笠原の特産物を手土産に訪ねてみれば、軍服姿の隼人を目にした管理人がすっ飛んできて『お父さんが運ばれていったよ』と教えてくれたのだ。
 それを聞いただけで隼人は息が止まるかと思ったのに、管理人は『お父さん、すごく痛がっていた』という様子まで教えてくれ、隼人はまずは一目散に、御園と谷村が独占したフロアへと急いだ。
 両親側の鍵は持っていない。だが、義兄純一の部屋の鍵はいつも預かっている。とりあえず、そこに入ってみたのだが……。以前来たまま、綺麗になっているだけで、リビングのテーブルにもダイニングテーブルにもそれらしき連絡事項はなく、隼人はあの登貴子でもだいぶ慌てて出ていったんだと判断した。それも当然だろう。亮介がなにかしらで痛がり、なんとかするなら、登貴子が全て一人でやらなくてはならなかったのだろう。そんな状態の中で、あの義母が『救急車を呼ぶ』と判断したのだから、後から来る娘婿のことを気遣う余裕はなくて当たり前だと隼人も思う。

 それでも──と、隼人は自分の携帯電話を確かめ、そして、義兄宅の電話に留守電が入っていないか確かめる。
 なにもない……。
 一時間。一時間も待てば、登貴子から連絡があるかもしれない。そう思って、隼人はとりあえず落ち着こうと、義兄宅のキッチンに入り、やかんを手にした。
 そのやかんの湯が沸くのを待つ間、割と自分も動揺していることに気が付いた。

「落ち着け。そうだ、待っている場合じゃない。なにかしなくては──」

 登貴子が一人で心細い思いをしているのではないか。
 こうしている間にも、亮介がどうなっているか。
 のんびりとお茶を飲んで待っている?
 登貴子が落ち着くのを待って、自分を思い出してくれるのを待っている?
 そうじゃないだろう!? と、隼人は火を止め、直ぐにこの家の電話に走る。
 そしてあちこちに問い合わせをし、亮介が搬送された病院を突き止める。

 タクシーに乗り込んで、やっと一息。これでなにか対処が出来るだろうという、少しだけ先が見えた僅かな安堵感。
 しかしそれも一瞬だ。こんな事で一安心なんかしている場合じゃない。
 タクシーの後部座席で、隼人は携帯電話を手にする。
 呼び出した登録は、『妻』。葉月の携帯電話へとかかる番号……。

(いや、違うな……)

 妻へと電話が通じるボタンを押そうとしていた親指が離れる。
 この時、隼人の脳裏に浮かんだのは、妻の笑顔、そして驚く顔。
 きっと今日も、夕方まで子供達と散々遊びまくっていたはずだ。その光景が苦笑いと共に浮かんだ。
 いや、苦笑いといってもあの『有様』は『片づけ役のパパ』としては流石に困りものであるだけで、妻が幼い子供達と一緒になって童心に返っている姿は、隼人はとても好きだった。
 あの、無感情で大人びた顔を作って、笑顔をほんの少しだけ浮かべて、泣きたい時にも平坦な冷たい横顔を見せ、どんな時だって『将校嬢』であったあの妻が、今でも軍隊ではそれを仕事の顔、大佐の顔として保っていても、隼人と言う夫と結婚してからの家庭ではあんな無邪気な顔を子供達と一緒に見せてくれるようになって……。

『子供、頑張って産んで良かった。諦めなくて良かった』

 妻、葉月の結婚した時以上の笑顔を隼人は思い浮かべ、逆に額を抱えてうなだれた。

(勿論。こんな事だって、いつかは来る。俺にも、純兄さんにも……。誰だって来る試練なんだ)

 それでも、なにもやっと落ち着いた御園の義父に襲わなくても良いじゃないかと、隼人は歯を軋ませ拳を握る。
 いや、まだ亮介はそんな生死を彷徨う容態と決まった訳ではないが、それでも『最悪のケース』は事態を把握するまでは想定してしまう。

 この数年、御園の両親も落ち着いた生活をしていた。
 瀬川との裁判はスピード判決がくだり、彼は既に服役中。さらに隼人の元には、時々になったが『美波』からの近況報告も届く。だが、これは妻に直ぐには見せない。様子を見計らって、美波のことはさりげない近況報告に留めておく。
 瀬川親子のことに関しては、義兄の純一にだけ包み隠さず即座に報告する。隼人は妻の葉月の様子を見て報せ、純一は御園家当主である亮介の様子を見て報告してくれている。どちらも、裁判に関してはかなりの精神力を使い、傷つき、消耗していた。なにもかもをそのまま報告するか何処まで報告するかは、隼人と純一と二人で判断し、御園の両親と妻の葉月のこれほどまでにない痛々しい心を守ろうと努めてきた。
 そんな暗澹とした時期を乗り越え、長男の海人に続き年子で杏奈が生まれ、娘が言葉を喋るようになった頃、御園家は打って変わったような平穏を取り戻した。
 祖父母と、夫妻と、子供達。そしてそれに寄り添って日々を共にしている義兄親子。そして鎌倉御園家に横浜の澤村家。それだけじゃない。谷村の父母も。皆が、在りし日を取り戻したかのようと囁いていたのを、隼人は傍らでひっそりと聞き届け、安堵していた。
 その一族で念願だった鎌倉での花見も盛大に行った。
 あの日の御園家の人々は、皆、輝いた笑顔だった。その時に純一がふと漏らした。

『ああ、良かった。こんな日が戻ってくるなんてなあ……』

 缶ビールを傾け、隼人の隣で彼は遠い目で桜を眺めながら、一人で乾杯をしていた。どことなく目尻に涙がみえなくもなく……。その乾杯はもしや、亡くなってしまった花の義姉と祝っているのか……。隼人には、そう見えた。
 いつの間にか、義兄はいつでも隼人の隣にいた。逆に言えば、隼人も純一が何処にいるかいつも目で確認をしている。
 いつでも二人で動けるような態勢にし、いつでも二人でこの家の誰よりも先に動けるように心がけていた。
 どんなに御園家に幸せがやってきても、二人はそれを喜びつつも、決して安心はしていなかった。どんなことが起きるか分からないことは、嫌と言うほど身に染みている。そしてそれによる辛酸も散々に嘗めてきたからだ。そうした『幸せだからこそ、安心しない』心構えは、逆に『この幸せをいつまでも守るため』でもある。
 二人はそんなことについては、酒を交わし合う時でもじっくり語ったことなどない。いつのまにか、そうなっている。そしてどことなく通じているという感触は、『誰よりも同じ想いを持った人間同士』だからだと隼人は思っている。御園家を思う心も、以上に……妻を『同じように愛している』事も……だ。だから、ぱっと通じ合う。こんな『パートナー』はいないと思う。

「そうだ。やはり、こっちだな」

 タクシーの中、携帯電話を手にしている隼人の指は、妻ではなく『義兄』の電話番号を呼び出していた。
 彼は幾つか携帯電話を使い分けていて、隼人は殆どの番号を教えてもらっている。『お前の判断に任す』と言われ、どの番号がどの用途かも報されているが、ここはやっぱり『いつもの家族用番号』にかけている。

 今日もめいっぱい子供達と遊んで、大好きな義兄さんが様子を見に来て、そして一緒に食事をして……。妻の葉月はきっと、今は楽しい思いを噛みしめているはず。大佐嬢としての自分など、一切忘れられる『土曜の夜』。彼女の幸せなひとときなのだ。
 そんなときに、まだ容態も判らない実父の『救急搬送』は、崖から突き落とされる程にショックを受けるのではないかと……。勿論、妻はそういう『アクシデント』など、今まで何度も遭って、何度も乗り越えてきたのだから、しっかりとしてくれるだろうと信じている。それでも……だった。

 隼人の携帯電話から、向こうに繋がった呼び出し音が聞こえてきた。
 数回、いつもの間隔で、義兄の声が聞こえた。 

『ああ、隼人か。今、葉月と子供達と食事をして帰るところで……』

 思った通り。葉月だけじゃない、義兄の純一も楽しいひとときを過ごしたのだろう。声が楽しそうに弾んでいる。
 それはそれで隼人は安心した。そしていつの間にか緊張が解けそうになり頬が緩んでいた。──『見てくれたか? 兄さん。とんでもない有様だっただろう? 俺はあれを毎週、毎週、目の当たりにしているんだ。葉月はちゃんと兄さんの言うことを聞いたか? ああ、違った。子供達は……なのに。なんで俺達の葉月はいつまで経ってもお嬢ちゃんに見えるんだろう? ねえ、兄さん』──と、言いたくて、やっぱり今はそれどころじゃなくて、隼人はハッと表情を引き締めた。

「御園のお父さんが、救急車で運ばれた」

 簡潔に告げたその一言、電話の向こうで純一の息遣いがピタリと止まったのが隼人にも伝わってくる。
 そして、今、タクシーに乗っていて調べ上げた搬送先の病院に向かっていることを告げる。

『分かった。直ぐに俺も行く』

 頼んでいないけれど、純一は即座にそう言ってくれた。
 こういう判断の速さは、やはり兄さん。隼人はその『兄さんが来てくれる』と思っただけで、ふっと肩の力が抜けた。
 純一の直ぐ来るは、きっと妻も子供達も迷わずに連れてきてくれること、そして専属のセスナを飛ばして瞬く間に来ることを意味していると隼人には通じた。
 だから、多くは言わずに電話を切った。それもその乗っているタクシーが搬送先の病院に着いたからでもあった。

 

 そうして今、あのゆったりとしている年輩男性がいる救急窓口に、やっと辿り着いたのだ。

「ああ、御園さんは搬送後の検査結果が出て、『整形外科』に移ったみたいですね」
「整形外科?」

 まったく病状が判断出来ず……。
 隼人はつい、なにかもっと的確な答を教えて欲しいとばかりに、その受付の男性をただ直視し続けた。
 隼人のその心情もぱっと見抜いたように、その眼鏡をかけている男性の困った顔。

「私もそこまでしか判りません。整形外科は本棟の三階です。ナースステーションで問い合わせてくださいね」
「あ、有難うございました」
「お大事に」

 笑顔も浮かべてくれないが、口の端には穏やかなものを隼人は感じ取った。
 こうした場所だから、易々と笑顔を浮かべないよう心がけていると感じられた。
 隼人は一礼をして、受付を後にした。

 

・・・◇・◇・◇・・・

 

 院内では、携帯電話は使えない。
 結果が判ったら、公衆電話を使うしかない。
 隼人は来る途中、公衆電話がある場所を確認しながら、整形外科フロアへと向かう。
 それでもきっとセスナに乗ってしまったら、純一も携帯電話の電源は落としてしまうだろう。
 それまでに、判るだろうか?

 もう既に面会時間も終わっている時間帯。
 食後のゆったりとした就寝時間までのひとときを病室で楽しんでいるのか、患者の姿はまばらで廊下は静かだった。
 やっと整形外科の看板を見つけ、隼人はナースステーションのカウンターに立った。

「隼人君──?」

 その声に驚いて振り向くと、案の定、そこには登貴子が立っていた。
 隼人の胸がドキリとうごめく。見たところ、登貴子は憔悴している様子もなく、酷く打ちひしがれている様子もない。

「貴方、よく判ったわね!? 今から、待っているだろう貴方に連絡をしようとして……」
「お義母さん! お義父さんは!?」
「え? ああ、お父さんはね……」

 隼人は食いつくようにして尋ねたのに、登貴子は逆に隼人の勢いが不思議そうだった。
 そんな登貴子が教えてくれた。

「先ほど検査結果が出てね。『椎間板ヘルニア』ですって」
「え!? じゃあ、お父さんが痛いと言っていたのは?」
「ここのところ、お誘いに応じてゴルフに散々でかけていたのよ。腰が痛いって言いだして、いつもの『腰痛』かと思って放っておいたら、今日の夕方になって尋常じゃない痛がり方をしてね。私一人ではタクシーを呼んだとしても、あんな大きな体のお父さんを運べないし。貴方を待っているにしては、お父さんも我慢出来なさそうだったから、観念して救急車を呼んだの。隊員さんに運んでもらえたから助かったわ」

 淡々としている登貴子の報告に、隼人はがっくりとそこにあるカウンターに両手をついてうなだれた。
 すると、その背を優しく撫でてくれる感触が……。

「流石ね、隼人君。じっとしていても構わないのに、一生懸命になってここを探し当てて飛んできてくれるだなんて──。ごめんなさいね。書き置きでもなんでもしておけば良かったのに」

 登貴子の眼鏡の奥で優しく滲む眼差し。それを見せてもらっただけで、隼人は充分報われる。

「良かった……。お父さんに何かあったら、俺も葉月も、子供達も……。次にお祖父ちゃんとお祖母ちゃんに会えるのはいつだって話していたから……」
「まあ、嬉しいわね。今、お父さんも痛み止めが効いてきて、人心地ついたところよ。顔を見せてあげて」
「はい」

 そうしてほっとして登貴子と微笑み合ったのだが……。

「ああ、でもね。先ほど、お医者様から説明を受けたのだけれど、お父さんのケースは手術が必要で、暫く入院することになったのよ」
「え、それはまた大変じゃないですか。お義母さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫よ。いざとなれば、鎌倉の家族もいますからね。だから貴方達は小笠原のお仕事をしっかりするのよ」

 命に別状はなかったが、それでも暫くは不自由な生活になるらしい。
 隼人は心配ではあるが、義母の登貴子は余裕の笑顔を浮かべていた。
 ……笑顔を浮かべていたはずだったのだが、その笑顔を隼人に見せた途端に、登貴子が隼人の方に寄りかかるように倒れてきた。

「お、お義母さん!?」
「だ、大丈夫よ……」

 それでも登貴子はずるずると力を抜いて、ついには隼人の腕の中で力尽きてしまった!

「お義母さん! お母さん!!」

 隼人の声に気が付いたのか、看護師が一人『どうしましたか』と飛んできてくれた。

「母が急に……」
「先ほどいらした御園亮介さんの奥様ですね」
「はい」
「貴方は息子さんですか?」
「え? あ、はい、そうです」

 隼人の腕の中から、今度は看護師がそっと登貴子を起こしあげる。
 だがその時にはもう、登貴子は目を開いて自分の力で立とうとしていた。

「息子さんがいらして安心しましたか? 少しお休みしましょう」

 看護師の優しい笑顔に登貴子も安心したのか。それとも隼人が来て本当に気が抜けたのか……。
 ともかく、看護師に『処置室』で横にすると言われ、隼人もついていく。
 医師がやってきて、とりあえず診察をし、なにやら登貴子は点滴を打たれることになってしまった。

 ふと、隼人は在りし日の光景を思い出してしまった。

「隼人君……」

 ナースステーションの横にある処置室。そこに簡易的に用意されたストレッチャーに横にされた登貴子がか細い声で隼人を呼んだ。
 やはり心細かったのだろうと隼人は思った。それでもいつもの気丈さ冷静さをめいっぱいに保って、小さな身体一つで夫である亮介をここまで連れてきたのだから……。
 隼人は心細い顔を見せてくれた義母に、そっと微笑みかけた。

「なんですか、お母さん。また一人で気を張ってしまったんですね。覚えていますか? 俺とお母さんの初対面。フランス基地で、お母さんは葉月に会うために一人で頑張ってやってきて、やっぱり俺の目の前で倒れてしまったんですよ」
「そうね。そうだったわ……」

 素直に認めるところは、あのマルセイユでの初対面とは異なることかもしれなかった。
 それどころか、登貴子は目尻に小さな涙さえ浮かべていた。

「ごめんなさいね。歳なのかしら」
「いいえ。驚きますよね。俺だって管理人さんから痛がっていたと聞いて、どんな怪我か病気かと気が気じゃなくて……」

 そこで隼人はハッとする。
 そして面目なく黒髪をかきながら、登貴子に告げた。

「しまった。俺、お父さんがどんな状態か判らなくて……。小笠原の兄さんと葉月に知らせてしまいました。たぶん、もう……向かっている頃かと。あの兄さん、早いから」
「まあ、とんでもないわ! 大丈夫だって言ってちょうだい!」

 やはり娘には負担をかけたくないのか、そこは登貴子が飛び起きそうになって、隼人は慌てて止めた。
 隼人の手が止めると、登貴子は大人しく横になってくれる。
 そんな登貴子に、隼人はやっぱり微笑みかける。

「この際、良いじゃないですか。どちらにしても葉月は明日も休日ですし。それにお母さん、きっと海人と杏奈にも会えますよ。会ってやってください」
「あの子達も……。それじゃあ、きっとお父さんの方が大喜びね」
「そうそう。それでいいじゃないですか。葉月だって実際に目にすれば安心して帰りますよ」

 登貴子のほっとした顔。そして頬にも赤みが差してきた。

「嫌ね、こんな寝込んでいるお祖母ちゃまなんて……。孫が来るまでに元気になっておかなくちゃ」
「そうですよ。だから、ここで一休みしておいてください。後は俺が看護師さんから指示をもらって、必要なことはしておきますから」

 そういうと、登貴子はついに目尻から涙を一粒こぼしていた。
 隼人はどうしてか、胸が締め付けられる思い……。いつもは気丈で御園家の誰よりも落ち着いているお母さんは、隼人も純一も頼りにしていることがある。だからこそ、そのお母さんが弱々しくなると、なんだかとても切ない気持ちになってしまうのだ。

「隼人君……。いつも有難う」
「何を言っているんですか。俺はお母さんの……」
「ええ、息子よ。本当にそう思っているわ」

 隼人は口をつぐんだ。
 先ほどは看護師に咄嗟に聞かれ、あれこれと説明する間もないから『はい、息子です』と答えたが、実際は『このお母さんの婿です』と言うはずだった。そして今も、登貴子の目の前でもそう言うつもりだった。
 だが先ほどの咄嗟のやり取りをしっかり聞き取っていたからなのか? 登貴子から『息子』と言ってくれた。
 隼人の胸に、結婚後、そうして寄り添ってきた家族としての重みを改めて感じさせてくれた感動する一言だった。

「だったら、お母さん。今、ここでじっくり休めますよね? 俺に任せてください」

 登貴子がこっくりと頷き、やっと目を閉じた。

 隼人はそんな登貴子の傍に暫く付いていた。
 ……おかしいと思った。
 気が動転して目眩を起こしたにしても、こんな点滴なんてするだろうか?
 透明な液がゆっくりと落ちてくる点滴の袋を隼人はふと見上げる。
 そして登貴子は、ぐっすりと眠ってしまったようだ。

「御園さん、よろしいですか?」

 看護師に呼ばれ、隼人は眠った登貴子から離れる。
 隣のナースステーションに連れてこられ、そこにいた白衣の医師と向き合った。

「お母様の方は、まあ、過労ですね」
「過労? 気が動転してですか?」
「まあ、それもありますでしょうが? 寝不足かな? 目が疲れているようでしたし。ゆっくりとした休養が取れていないと思います」

 ……思い当たることは、いくつかあるが?
 そんな、登貴子が思い詰めることがここ最近あっただろうか?
 隼人は先ず、そう思った。
 医師には礼を述べ、登貴子の元に戻る。彼女はすっかり寝入っていた。それを目にすると、本当に眠っていなかったように見える姿だった。
 よく見ると目元があまり明るくない。やや隈ができているように見えなくもなく……。

 まだ、娘の死や裁判のこと。娘達を苦しめた男の正体が判って、やりきれなかった怒りのぶつけ場が見つかったとして、余計にやるせない怒りと向き合っているのか……。
 考えられるとしたらそれだった。
 それは妻の葉月が未だに直面してしまう物と、同じような苦しみであることだろう。
 だが、ここ最近はそんなことは顔には出ていなかったと思っていたのだが。

(なんだか嫌な予感がするな)

 御園の両親が揃って体調を崩す。
 それが気になり始めた。

 改めて亮介に顔を見せようと病室を訪ねると、こちらも激痛と戦った後故か、痛み止めが効いている効果か、ぐっすりと眠っていた。
 そうして間が出来たので、公衆電話から純一の携帯電話に連絡をいれると、やはり既に飛び立った後か、携帯電話には繋がらなかった。
 看護師にまた呼び止められ、隼人は登貴子の代わりに、亮介がこれから入院する手順や、とりあえず直ぐに必要な物などを聞かされ、その準備に走った。

 隼人の予感はあたる。
 御園の両親は、子供達が気が付かない気苦労を抱えていた。
 それは純一が到着してから知ることになる。

 

 

 

 

Update/2007.4.10

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