* ラブリーラッシュ♪ * 

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11.初めての恋人

 

 実は、彼との出会いも『葉月絡み』だったりする。

 パイロット訓練生の葉月とは、まったく畑が違う工科訓練生だったマリア。
 どちらかというと事務系の女の子達と付き合っていたが、やはり葉月が気になって、ちょくちょくパイロット訓練生が集まる校舎へ顔を出していたりしたのだ。
 当時、そんなマリアを疎ましく追い払ったりしていたのは、今日の花婿アンドリュー一派。葉月が避けているのだから近づくな、だった。
 アンドリュー一派には、彼の補佐役である冷静な男ケビンと、実はバイセクシャルの男だったと判明した美男のダニエル、そして葉月。この四人がトップパイロットになる訓練生として一目置かれていた。それに対抗していた一派が、このケインのグループ。こちらもトップパイロット有望視されていた一派。
 訓練では、アンドリュー一派とケイン一派で組まされる事が多く、彼等は喧嘩などはしないが、ライバル同然の火花を当時は激しく散らしていた。

 そんなアンドリューに疎まれていたマリア。
 ある時、泣きそうな顔で退散するマリアに声をかけてくれたのが、ケイン。
 その時、彼に聞かれた。『なんでハヅキにそんなにこだわる?』と。マリアは涙を流しながらもそんなことは決して教えはしなかった。だが、彼も同じような気持ちを持っていたと知る事になる。──『俺も気になっているんだよな。いくら女と組まされていて気を遣っているからって、アンディ達のあの過保護さは不自然すぎる。それ以上に、あの女、何を考えて生きているのか俺も知りたい』。利害一致というわけで、それからちょくちょく顔を合わせるうちに年頃の男と女、いつのまにかステディな仲になっていたというわけだった。

 周りの女友達にも騒がれた。
 同じ敷地内の訓練校にいるとは言え、工科と事務系の婦人学校がある位置とスケジュールにカリキュラムは、決してパイロット訓練生達とは噛み合う事はない。なんとかして知り合いになるのは大変な事なのだ。
 そんな中、マリアがハンサムで有望なパイロット訓練生を捕まえてしまったので、かなりやっかまれた。

 しかし、大人になったマリアは思う。
 あれはあの年頃特有の恋愛。恋に憧れるまま走っていた気持ちはあれど、そこに胸が痛むほど燃えるほどの愛はない。
 その証拠に、彼はパイロット、マリアが工科大学に進学したと同時に、二人は円満に別れたのだから。
 彼の傍にどうしてもいたかったわけでもなく、彼も……マリアがどうしても必要だったわけじゃない。
 まだ自分が一番可愛い時期。彼はトップパイロットになりたかったし、マリアは大好きな勉強を極めたかった。遠くに行ってしまうライフスタイルがあまりにも違いすぎる恋人はいらない。そこすらも利害一致。別れも『元気でな』『貴方も頑張って』とあっさりと綺麗に別れられた。

 そんなケインは、狙い通りに『トップパイロット』になった。
 フロリダではないが、シアトルの湾岸部隊で、あのトーマス大佐の下にいれば間違いなく『選ばれたパイロット』。

 熱血なアンドリューと違って、彼はケビンのようなクールな男。
 久しぶりに再会した彼は、大人の渋さを備えながらも、あの頃から見せていた落ち着きもちっとも変わらない顔をしている。

「変わらないわね、貴方」
「嘘を言うなよ。俺だって気が付かなかったくせに」
「でも思いだしたわよ。スーツなんて着ていたら分からないわよ!」

 ムキになって言い返すと、ケインはすぐに吹き出して大笑い。

「あはは! その気の強い言い返し方。そっちも変わっていないな!」
「なによ。これでもちょっとは大人になったのよ」

 あの頃の自分を思い返すと、『若い』の一言で流す事が出来ない程に自己嫌悪してしまう恥ずかしい事がいっぱい。
 特に、葉月を捕まえる為に、パイロット訓練生のカフェに何度も突撃していた事だって、今思い返せば目立っていただろうし恥ずかしい事だ。本当に後先考えずに突っ走っていたと思う。今は葉月も『マリアのそのパワーがあったからこそ』と微笑ましく流してくれるが、それが余計にあの頃の自分の『思慮深さの欠片もない若さ』を浮き彫りすることになり、その度にマリアはどこかに隠れたくなる。
 ケインは、そんなマリアの突撃と心情を一番知っている人。その男性に『気が強いところが、変わらない』と言われると、どうしてもあの頃の自分を真っ先に思い出さずにはいられなくなる。

 でも目の前の、格好良い大人の男になった元恋人は、懐かしそうな顔で呟いた。

「でも、俺は。そんなマリアだからこそ、つきあったんだぜ」
「そうね。あの頃、私の事を良く理解してくれたのは、あなただけだったもの」
「考え方がきっと似ていたんだろう。俺にとっては、マリアのすぱっと潔くて、はっきりとものを言うところが気持ちよかった。逆に、ハヅキのような女はさっぱり分からなくてお手上げだ」
「だからって、葉月の事、悪く言わないでよ! あれで彼女は彼女らしかったんだから!」

 そこも強く切り返すと、ケインは苦笑いをこぼしながら『参ったよ』と肩をすくめ、降参の顔をした。
 彼はそのまま、遠くにいる葉月へと視線を向けた。マリアも一緒に見つめると、葉月は隼人と並んで同期生達と楽しそうに食事をしている。

「驚いたよ。あのハヅキがあんなに女らしくなって笑っているだなんてさあ」
「彼女大変だったのよ。やっと掴んだ幸せなんだから。……シアトルのトーマス大佐の側にいるなら、ある程度は知っているんでしょ」

 つまり。御園家の事情に少しは通じている葉月の恩師の側にいれば、ある程度の『葉月の過去』を知っているのではないかという、マリアの探り。
 それでなくても、亮介が自主退官をしてしまったこと、軍が重宝していた契約傭兵だった瀬川が大罪にて逮捕された事件はフロリダ本部を震撼させた大事件だ。御園家になにがあったのか。横須賀基地の不正隠匿など、その噂は塞ぎようもなく軍人の誰もが耳にしたはず。
 それならケインも間違いなく、葉月が『実は多大なる被害を被った当人だった』という事情は知っているはずだ。

 そしてその通りだったようだ。
 彼はグラスの中にあるシャンパンを飲み干すと、溜息をつきながら、側のテーブルに置いた。

「大佐は口が固いから男だから、俺達部下にそんな簡単に言わないに決まっているだろ。だけれど、シアトルでもミゾノ中将退官に関する、契約傭兵逮捕の話は流れてきた。それで初めて、ハヅキがあの頃なにに対して『頑なに切羽詰まっていた』か、理解した」
「……理解したって?」

 マリアはそっと聞いてみる。
 互いに利害が一致した恋人時代。彼は常々『あの女だけは分からない』と頭を抱えていた。
 その中には『訓練であの女に勝てない事』が一番の重点。葉月に勝つには、彼女の心理に思考を知ろうとする。彼はそんな理論的なパイロット。
 だけれど、その理論がどうにも通用しないパイロットが葉月だったのだ。
 彼女はまさに天性の勘と感覚を持ち合わせたパイロットだと教官達も評価していたそうだ。勿体ないのはその身体。女性だと言う事。しかしそれをカバーしうる『パワー』を彼女は持っていた。
 その『パワーの源』をケインは知ろうとしたのだが、知る事が出来ずにいた。そしてマリアもそこにいた。『何故、葉月はあんなふうに自暴自棄に荒れてしまうのか』。
 本当の理由を知らなかった若い二人には、どうにも理解しがたい女の子だったのだ、葉月は。

 しかしケインは今になって、やっと答を見るける事が出来たのだろう。
 マリアが葉月とぶつかり合ってやっと知る事が出来たように……。

「あの頃のハヅキは、半端じゃなかった。俺達野郎共がトップパイロットになろうと、空での恐怖の境目『ここでギリギリ限界』とそこまで迫って踏ん張っているところを、彼女は簡単に越えて行ってしまう。俺達がびびっていた境目の向こうに……。そこは『死と破滅』を意味するものがあった。だが、ハヅキの飛行はまさにそれだった。女というハンディをカバーする為にその手段を使うなら、かなりのクレイジー。そんな命をお粗末にする手段で男に勝ちたい理由も分からないし、そんな手段を使う人間なんか尊敬も出来なければ、そんなやつと飛ぶだなんて絶対に嫌だったね。同じパイロットで同期生というのが許せなかった」

 それが学生時代、ケインが持っていた苛立ち。
 その苛立ちの中、同じように葉月と向き合おうと必死になって泣いている女を発見した。そして意気投合した。
 二人はあの頃も、葉月の話を沢山した。そして、やっぱり分からなかった。
 しかしそれを知る日がやってきたのだ。

「あいつ、いつ死んでも良いって、本当に命を懸けていたんだな……」
「そうよ。貴方達に勝ちたかったわけじゃないのよ。葉月自身が自分を痛めつけて、でも、生きようとしていたのよ。彼女自身が空に向かって対決していたのよ」

 またケインは、どうしようもなさそうな重い溜息を落としていた。

「すごかったもんな。今でもゾッとさせられたあいつの飛行を覚えているよ。若僧の俺達には決して真似が出来ない飛び方だった」
「らしいわね。だからアンディは葉月から目が離せなかったんだと思うわ」
「なんだよ。俺だって事情を知れば、それなりに……」

 ケインがそこまで言って黙り込む。

「いや、やっぱり分からなかっただろうな。きっと誰も分からなかったんだろうな」
「そうね。私もそう思うわ」

 どうにもならなかった。
 二人は分からなかった事とは言え、当時、どうにも出来ず自分達も切ない苦い思いをしていたことを思い返す。
 無言で共に俯く中、確かめ合わなくてもまったく同じ事を考えているという懐かしい波長を感じた。

 だからいつの間にか二人で笑い合っていた。

「なんだ。懐かしいなこの感覚」
「本当ね。なんだか嬉しかったりして。あの頃も、本当に貴方が色々と話を聞いてくれて、受けとめてくれて……」

 私、貴方の事、大好きだったわ。

 そう言いそうになって、マリアは口をつぐむ。
 年頃の、誰もが通るような若い恋愛だったけれど、それでも彼に夢中になった。
 一緒に若い隊員が集まるパーティに参加する事にわくわくしたり、お洒落をしたり、彼とどこに旅行に行くか計画したり。

「楽しかったわ、あの頃」
「俺もだよ。このフロリダに久しぶりに戻ってきて、マリアと楽しかったことを真っ先に思いだしたもんな」

 マリアは思わず、頬を染める。
 この男も裏表なくテキパキとものを言う人。しかも無駄なことは言わない。必要な事だけすぱっと言う。遠回しな事もしない。
 だからこそ、彼が言い放った言葉は真っ直ぐに届くのだ。
 それもちっとも変わらないんだなと、だからこそ余計に、昔毎日感じていた『ケインな胸キュン』が復活。
 やはり一度好きになった男は、今でも素敵! かもしれない!? なんて思ったほどだった。

 だけれど、そんなケインがマリアの全身をじろじろと眺め始めている。

「でも……。俺も一瞬、マリアかどうか目を疑ったよ」
「え? 軍服じゃないから?」
「いや。地味になったなあと。この趣味になった心境の変化はなに?」

 それにもマリアはちょっと照れくさい思いで俯いてしまった。
 だけれど、ケインは不思議そうな顔。二十歳と言えば、まだまだ背伸びのマリア。逆に大人っぽい格好をしてみたり、派手な色を選んだり。それでも『それこそブラウン嬢』と皆が認めてくれていた。

「あの頃、マリアが一番目を引く女で、俺、自慢だったんだぜ。そりゃ、派手だったかも知れないけれど、着こなせる魅力があってこそだろ。マリアはまさにそれだったし、俺の恋人として紹介するのすげえ鼻高かったもんな。しかもお前、将軍候補のお嬢様だったんだぜ」

 当時、父リチャードはまだ大佐だった。
 だけれど、『フランク一派』の重要なメンバーだったため、その威光で父の存在は軍内でも知られていた。
 マリアは葉月同様に、軍内上官の二世お嬢様だった。葉月はまったく華やかな席には出てこなかったので、そんな意味ではマリアが一番目立っていたと思う。ケインはそんなお嬢様に選ばれた恋人でもあったのだ。
 まあ、でも。それも思えば、ちょっと気恥ずかしい今のマリア。

「あのねえ。もう私も三十越えているのよね。少しは落ち着きとやらを意識するわよ」
「それで、その格好!」

 ケインが大笑いをした。
 マリアはちょおっとムッとしてしまう。
 マイクは褒めてくれたのに! と。

「なによ! そっちだって、結構地味な格好じゃない」

 といっても、品の良い控えめな色合いで渋く決めているのだが……。
 しかしそんなマリアの気強い言い返しなど、この男にしてみれば『普通の会話、やりとり』。ちっとも相手にしてくれず笑っているだけ。

「あーははは! まあ、大人しくなっちまったってことか」
「大人になったとは言ってくれないのね!」

 そこも彼は大笑い。
 マリアは益々ぷっくりと頬を膨らませた。

「まあ、そりゃ。当時のマリアを相手にしていた男としては『物足りない』気もするが……」

 でも、そこで彼が急に……マリアの耳元に唇を近づけて囁いた。

「いい女がいるなあって、それで目に付いたんだから許してくれよ」

 また。ドッキリ、きゅん……。
 マリアだと気が付かなくても、目に付いた『いい女』。
 そう言ってくれたのだ。

 それなら、まあ……許してあげようと、マリアは彼から顔を背けながら、落ち着く為に残っているシャンパンに口に付けた。
 やっと離れてくれた元恋人のケイン。だけれど彼は楽しそうに笑ったまま、まだマリアをみつめている。

「なあ、今、恋人とかいるのかよ」

 降って湧いてきたような問いに、マリアは固まった。

「えっと……」

 答に詰まる。

「え、もしかしていないのかよ? マリアなら誰かいるだろう」

 いるけれど。
 『恋人』──じゃない。
 ううん。申し込みはされた。
 でも、返事はしていない。もう、かなり時間も経っている。
 マイクもなにも言ってこない。そのまま、程良い男女関係が続いている。

 でも、ここで『恋人がいる』と言ってしまうと、マイクにも『恋人宣言』をした事になる。
 別に、それでも良いのに。状態は恋人以上の同居生活をしているのに。
 でもここでマリアは初めて気が付く。
 マイクの事を『恋人』と言いたくない自分がいる事を──。

 そしてケインがついに言った。

「俺さあ。三ヶ月ほど、こっちにいてアンディ達と色々と訓練するんだけれどさ。マリアさえ良ければ、その間だけどう?」

 まあ、なんと大胆な申し込み!?
 マリアはぎょっとさせられる。
 割り切っている彼らしい。三ヶ月だけの楽しいお相手。それを元恋人のマリアに真っ向から申し込んで来るだなんて。
 しかし。今のマリアの考え方だってそう変わらない。なんの特約も肩書きもない、異性関係はしっかりとある同居生活。
 まさか、ケインが考えている事と同じようなものをマイクに押しつけている?? そんな気にさせられた。
 もし、マイクがいなくて。もし、今、独り身だったら。マリアはもしかするとこの申し込みを受け入れていたかも知れない。そんな感覚が一致する同類男の考えている事だから、マリアも同じ考えなのかもしれない。

 すっかりその気の、色めいた目つきを見せているケインの微笑み。
 三十を超えた男の、どこか妖艶な空気は、OKと言えば直ぐにこの清楚なドレスを脱がされて裸にされそうな気持ちにさせられた。

 マリアはドリンクバーでお手伝いをしているマイクをやっと見た。
 ──彼と、目が合う!
 マリアがこの男性と話しているところを、彼が見ていた事に?
 だけれど、マリアと目が合うと直ぐに逸らされてしまった。

 マリアはやっとケインに答える。

「一緒に暮らしている人がいるわ」
「暮らしている!?」

 ケインの驚いた顔に、マリアはちょっと気後れをして微笑む。

「そうよ。離婚したの、知っているのでしょう。だから、今度は結婚はしないつもりなの」

 彼のがっかりした顔。
 そして『しまった』という、自分が思いきって申し込んだ事を笑って誤魔化すケイン。

「やっぱりな。いるじゃないか」
「うん。──特別な人。私の今の一番よ」

 頬が熱くなるのを感じながら、マリアは俯く。
 そんなマリアの柔らかな仕草を見たケインはそこも驚いた顔。

「へえ。本気なんだ」
「うん。大切にしたいの」
「なるほど〜。わかるなあー。大切にしたいから、結婚なんていらないって発想?」
「私にも分からない。でも、今はそうしたいの」

 ふうんとケインがどこか見透かした顔。

「でも。ってことは、フリーには変わりないじゃないか」
「気持ちはフリーじゃないわ」
「そうかな。俺が猛アタックしたら、ぐらつくかも」
「どういう自信よ。それ!」

 だがケインは諦めないとでも言いたそうに、ニンマリと顎をさすりながらマリアを見下ろしている。

「気持ちだけ。それほど『不安定なもの』はないからな。それになに、その男。マリアを側に置いて、そんな気長に手をこまねいて『待っている』わけ。俺なら、速攻、結婚を申し込んで『俺だけの物』にするぜ。それってもしかして、マリアに本気ではないのでは?」
「いいえ。彼は──」

 どうしてかその続きが出てこなかった。
 マリアが愛している彼からの申し込みをあやふやにしているのに。 
 だけれど……。急に、ケインが言う事も『一理ある』と思った。何故なら、こう言われてマリアが真っ先に思い浮かべたのが『イザベル』だからだ。
 彼マイクは、あの時、あんなに泣き崩れて必死だった。それまで彼女を放っておきすぎたのは自業自得だったのかもしれないけれど、それでも最後は必死だった。
 あの必死さ。マリアには……見せてくれた事はない。
 言われてみれば、そう。……もしかして彼は、やっぱり『イザベル以上』に必死になる事はもうないのかもしれない。

 その時、マリアのグラスを持つ手から力が抜けそうになった。
 とてつもなく哀しいものが胸に襲ってくる。
 そしてやはり、あの男を深く愛している自分を知ってしまう。

「ほらな。不安になっただろう。つまり、いくらでもマリアを奪えるって事だな」
「もう一度言うわ。私、彼だけなの。どんなに誘ってくれても無駄よ」
「そう。肝に銘じておく。銘じておくだけな」

 まだ意味深な笑みで、マリアの顔を探っている。
 しかもどこか勝ち誇った顔。若い頃は見る事もなかったマリアの自信が無さそうなめげている顔が面白かったのだろう?

 そんな元恋人との再会の会話。
 いつの間にか目の前に、人がいた。

 紺色のシックなスーツ姿の葉月が、シャンパングラスを片手に立っていたのだ。

「ケイン。お久しぶり」

 葉月がゆっくりと優雅に微笑む。
 今度は隣の男が固まっていた。声をかけられたのが信じられない様子。
 今度はマリアがニンマリしてしまった。

「あ、いや……。大佐嬢、お久しぶり……です」

 同期生だけれど、彼女は今や若手筆頭の大佐嬢。彼等若手の男達も敵わない先頭にいる上官。
 同期生の頃は冷たい間柄でライバルだったせいもあってか、ケインは上官として丁寧に接するべきか、どうするべきか非常に戸惑っているようで、今度はマリアが大笑いをしたいが、楚々としたお上品な大人の顔で黙っていた。

「ふふ。やめて、大佐だなんて。いつも対戦相手だったとはいえ、同じ訓練をしてきた仲ですもの。あんまりお喋りをすることはなかったけれど、同じ釜の飯……の仲じゃない。あの時、貴方はハヅキってちゃんと呼んでくれていたわ」
「そ、そうだよな。ハヅキ……」

 でもケインの困った顔。
 あれだけ冷たい顔で素っ気なかった『恐ろしい』同期生が、こんなに女性らしくなって微笑みかけてくれているのが信じられないようだ。
 そんな葉月の隣には、にこやかに微笑んでいる夫の隼人が静かに立っている。だが、葉月がそんな夫を、ケインの前へと促した。

「私の、夫よ」
「初めまして、マシューズ少佐」

 落ち着いた紺色のスーツ。だけれど水色のシャツに、白いネクタイを利かせている隼人の格好はとても爽やかだった。
 そして隼人特有の、誰をも包み込んでしまうような柔らかい笑顔。
 それにもケインは固まっていた。

 隼人から颯爽と差し出された手をやっと握り返したケイン。

「初めまして、ミゾノ中佐。シアトル部隊でもお噂はかねがね……」
「こちらこそ。妻から訓練生時代からの貴方の活躍聞かされています。落ち着いていてそれでいて無駄のない鋭い飛行が出来るパイロットだとも──」
「いや、そんな。奥様の『怖いもの知らず』には当時から全く敵うところがなくて」

 あらまあ、どうしたことか。ケインは隼人に向かっただけで、妙に丸い大人になってしまったようだ。

(まあ、隼人中佐の得意技よねー)

 隼人が人をすぐにこうしてほぐしてしまうのはマリアも良く知っている。
 そんなに華がある男性ではないのに、ひとたび彼に接すると、妙に自分を改めさせられるような……。そんな物腰にさせられる、ある意味怖い柔らかさを彼は持っているのだ。
 ケインもそれにかかってしまったようだ。彼の前では『大人に成らざる得ない』。今、まさにそれ。

「えっと……ハヅキ。まあ、いろいろと大変だったみたいだけれど……」
「いいえ、ケイン。私はただ誰にも言わなかっただけで、貴方が知らなかった事など気に病まれても困るわ」
「……そうだろうけれど。まあ、それならそれはハヅキ自身のみの問題だったということにして。それでも、『幸せ』を掴んだみたいで、これだけは言わせてもらおうか」

 『結婚、おめでとう』

 ケインからの祝福に、葉月と隼人が顔を見合わせる。
 もう結婚して暫く経つ二人だけれど、今でもその祝福を受けると嬉しいようで揃って微笑んでいた。

「有難う、ケイン」
「有難うございます。マシューズ少佐」

 快く祝福を受けた二人からの礼に、ケインも照れくさそうだった。
 程良くうち解けられたせいか、そこで葉月がケインに尋ねる。

「湾岸部隊はどう? こちらもトーマス大佐とは良く連絡を取っているの。貴方のこともちらほらと大佐は話してくれるわ」

 葉月がそんな話題を出した途端、隣で戸惑っていた男の顔が輝いた。

「そーなんだよ! 『あの話』、どうも進んでいるみたいだな。ハヅキから聞きたかったんだ。アンディ達もそのこと気にしている」
「やはり。貴方には『その話』の打診が来たのね。だったら間違いなく『復活メンバー』になれるのではないかしら」
「その話、ちょっと……あっちでしようか」

 葉月がウンと言う前に、ケインは強引に彼女の腕を引っ張りさらっていってしまった。
 唖然としているマリアの横で、隼人は楽しそうに笑っている。

「もしかして彼、今日の結婚式の出席。あれが目当てだったりして」
「え? さっきから『あの話』とか『その話』とか、なんのことなの? 隼人」

 妻がさらわれても可笑しそうに笑っている隼人に聞いてみた。

「あれだろ。大きな声で言えないけれどな、トーマス大佐が動き始めているんだよ。葉月もすっかりその気で、少しずつ動き始めている」

 トーマスと葉月。このパイロット大佐コンビが揃って始めているの一言で、マリアもピンと来た。

「まさか。フライト『雷神』復活の事?」
「ああ。その中にマシューズ少佐がメンバーに入っているらしくてね──。もし『雷神』が復活したら、きっと何処の基地でも話題になるだろう」
「葉月だけじゃなくて、トーマス大佐自身が動くならそれは実現するわ。だって、彼こそ『雷神にいた男』ですもの!」
「ああ、きっとな。葉月が空部隊を持つ頃に、雷神も復活。そうなったら注目間違いなしだ」

 その時、マリアが隼人の顔を見ると……。
 彼はシャンパンを味わいながらも、あの穏やかな笑顔を消していた。
 彼が見据えている向こうには、葉月。そして妻をさらっていったケインとその周りに既に集まっているパイロット達。
 彼等を怖いほどの眼差しで隼人は見つめていた。マリアはそんな隼人を知って『中佐、本気でやり遂げようとしているんだわ』と息を呑む。
 影に徹する補佐への道を決めた御園工学中佐。彼は妻の華々しい活躍の為に、既にそんな夢を思い描き、それを現実にしようと燃えているようだった。

「彼と仲が良いね。親しかったの?」

 途端にいつもの穏やかなお兄さんに戻った隼人。
 マリアはその問いにちょっと苦笑いだけして『古い知り合い』とだけ答えた。

「隼人も行って来たら。空の男達があれだけ集まっているんだもの。情報交換のチャンスじゃない」
「そうだね。そうする」

 実は、隼人も仲間に入りたくてうずうずしていたのか、妻や同期生達が賑やかに集まった輪へ行こうとしていた。
 なのに、隼人は一歩踏み出して、マリアに振り返った。

「あ、そうだ。平気な顔をしているけれど、マイク兄さん、結構、気にしていたみたいだよ」

 マリアは『え?』と驚いた。
 隼人はそれだけいうと走り去っていったが、マリアは呆然としていた。

 それってつまり、知らない男性とマリアが話していた事を……マイクが気にしてくれていたって事??

 マリアはまた、マイクがいる方へと視線を向けた。
 今度もばっちり視線が合う。
 そして今度のマイクはじいっとマリアを見ている。

 笑みさえ浮かべずに……。

 

 

 

Update/2008.1.23
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