・・フランス航空部隊・・

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8.サボタージュ

(あ……)

 お互いがそんな顔をしていた。
 皆が勤務中か、訓練中の昼下がりに裏庭にいること自体が怪しいのだから。
 おまけに見られてしまった!──と、いう顔を彼はしていた。

 眼鏡をかけて、艶やかで少し硬そうな張りのある黒髪の男性。
 くっきりとした目鼻立ちだが、どう見ても日本人だった。
 向こうの彼は、葉月のことを、たぶん日本人とは確信していないのだろう。

(丁度いい。御園葉月は日本人。私とわからないようにフランス語で通しちゃおう)

 葉月はそう思って……『ボンジュール』と、にっこり挨拶をしてみた。
 すると、彼は戸惑いを隠せない苦笑いを浮かべながら『ボンジュール』と、返してきた。
 一応、癖なのだが階級を見定めるための肩章を見ようとしたが、彼も上着を脱いでいた。

「あなたもサボり?」

 葉月は、訓練校で叩き込まれたフランス語をサラッと使ってみる。すると──。

「まぁね。そんなところ」

 彼の方は日本語で返してきたので、ビックリ面食らった。
 その上、じっと葉月の反応をうかがい、何かに構えているようにも見えた。

「あ……日本語! やっぱり日本人ね!」

 そんな彼に対し、葉月はそうして返すことしかできなかった。

 葉月が問いかけたフランス語が解っていて、何故日本語で返事をする? と、葉月は戸惑った。
 葉月も日本語が解ると知ると、彼はちょっと硬い表情に変わった。

(ええい。めんどくさい)

 葉月は、ここで『じゃぁね』と、別れてはせっかく見つけたベストな居場所を離れることになるので、にっこり笑って彼の横に腰をかけた。
 すると、彼が葉月の尋ねに返答してくる

「ここでは日本人は珍しくないよ? 君は?? 日本人? みたいだけど……」

 最後の語尾が消え入りそうなお尋ねであった。
 『ここで煙草を吸う女性もあんまり見かけないけどね』と、最後に来て、葉月はどきりとした。
 ここには葉月のような女性はいない。どこから来た? と、いう質問だったからだ。
 小笠原から来たといえば、『栗毛の日本人は御園の娘』と、繋げられるのを恐れた。  
 『御園の娘』と、言った途端に彼の態度が変わるのは嫌だった。

「少しね……。気晴らしよ。こんなにお天気がいいのに、ばっからしいわよね」

 本当にそう思っていたので、ふてくされながら二本目の煙草をくわえて火を点けた。

「そうだね」 

 色無い淡白な返事と共に、未だに彼の視線が固いので葉月はヒヤリとした。

「日本から何をしに?」

 まだ日本から来たとも言っていないのに、彼はもうそう決め付けたらしくて、葉月は『やりにくい人』と、再びドキリと表情を固めてしまった。

「え……と、その……。あ! 上司に付いてきただけ。今、上司が仕事中で私はフリーなの!」

 めいっぱいの取り繕い笑顔を浮かべて答えてみる。

「だから! サボりは内緒よ!! 本当はこんな所にいるんじゃなくて、中で大人しくしているはずなんだから!」

 とも……付け加えてみた。

 すると、眼鏡の彼がやっとにっこり微笑んだ。
 葉月はふと、その笑顔が何処かで見覚えのある笑顔でドキリと……ときめいてしまった。

「そうなんだ。通訳? もしかして秘書室所属? それとも事務系秘書科?」

 秘書室とは、将軍クラスに専属でついている『側近部署』の事──エリートが多いレベルの高い仕事が望まれる。
 なのでそうでなければ『事務系秘書科』。女性が多い部署で『通訳ぐらいの付き添い』ならここから連れて行かれる事も多いのだ。

「え……? ん──。そうなの」

 彼のその問いに、葉月は『それは良い言い訳だ』と思いながら、彼がそう思うなら、そういう事にしておこうと葉月もニコリと返しておく。
 すると、彼は再びにっこり微笑んで、手元に開いていた本を読み始めた。
 その姿にホッとしたと同時に、彼の黒髪に葉月が吸っている煙草の青白い煙がたなびいたのでハッとした。

「あ……。煙草消すわね。私が後から来たことだし……」

 葉月は、あたふたと、芝が生えていない土の上に吸いかけの煙草をもみ消した。
 隣に腰をかけていた彼がそんな葉月を無表情に眺める。

「別に、構わないよ。俺も昔、吸っていて止めたクチだから」

 そして彼は、再び読書にいそしむのだ。

(取っつきにくい人)

 葉月はそう思ったが、根ほり葉ほり突っ込まれるよりかはずっと楽だと思った。
 葉月が空を眺めてぼんやりしていても、隣の眼鏡の彼は邪険にもせずに、黙々とその分厚い書籍を読み込んでいた。

(何を読んでるのかしら……)

 さすがに葉月も気になって、ふと、背表紙のタイトルを目にして息をのんだ。

「すごい!! それ……フランス語をきちんと理解していないと読めない原本じゃない! 100%日本人が理解するのは難しいのに!!」

 葉月が思わず出した声に、彼の方もビックリして、葉月の顔をじっと凝視したまま固まってしまった。
 その本は、航空学が特に発展しているフランス国産の『航空工学書』で、葉月がフロリダの特別訓練校で使った教材と一緒だったのだ。
 日常会話のフランス語を覚えたくらいでは絶対に理解できない。
 フランス人だって、難しいと言っていた『専門書』なのだ。
 だから、葉月はフランス語を徹底的にマスターせざるを得なかったし、そのようなカリキュラムを選択していた。
 隣の彼が、二、三年の転属でここにいるぐらいでは使いこなせない『代物』なのだ。
 しかし、ここは『航空部隊』の基地──。
 読んでいる者がいても不思議はないが、日本人が……と、いうのに驚いた。
 葉月もそれだけ苦労して使った教材だったのだ。
 勿論、それは彼も解っているようだ──だから彼もかなり驚いた様子で、葉月に詰め寄ってきた。

「これ……どんな本だか知っているの?」

 当然、パイロットかメンテナンサーでなければ知っているはずがない。
 若い“通訳専門”の女の子が知る『代物』でもないのだ。
 葉月もここで正体がばれてなるものかと、慌てた。

「あ……ええ。その、上司がね? いつもそう言って見せるものだから……」
「その上司は、パイロット? 男性だよね?」

 彼の妙に迫真に迫った質問に葉月は眉をひそめたが、つき始めた嘘は通そうと思ってとっさにロイのことを思い浮かべた。

「も、もちろん男性よ。アメリカ人。金髪のね。パイロットじゃないけど……詳しいの。パイロットの部下も結構いるから」

 これは、ロイに関しては本当のことなので、すらすらと言えた。
 その途端に、眼鏡の彼が急に表情を和らげた。

「この本はね。空軍にいるなら必読だよ」
(その通りです)

 葉月は心でつぶやいて口では『私の上司もそういう』と、取り繕っていた。
 彼が再びニッコリ笑ったのにまた、どきりとした。

(誰かに似ているのよ)

 そう思ったが、とりあえずこのまま彼を、『御園の娘』と驚かす事もなさそうでホッとした。

 葉月は時計を眺めた。
 基地内のカフェテリアで食事をとっていたのなら、もうそろそろ、康夫の元に帰らなくてはならない時間であった。
 しかし、何も食べていないし、帰ってもすっぽかされた身では、手持ち無沙汰な時間を過ごすし、バカみたいである。

 葉月がハァ……と、ため息をつく横で彼はやっぱり黙々と『専門書』を読み込んでいるだけ。
 まるで、葉月の存在などお構いなしの様子だった。

「あのぉ……。ここでね? 安くて美味しいランチが食べられるお店知っているかしら?」

 葉月は、人目の気にならない外へ行こうと心が傾いていた。
 勿論、それは職場放棄に近いことだったが、今は何ら気にもならい心境だった。
 すると眼鏡の彼は──。

「そうだね。カフェテリアは安いけど……美味しいとは言えないね」

 などと言いながら、隣の彼が本を読みページをめくりながら答えてくれたのに驚いた。
 『すごい集中力』と、葉月は唸る。

「行くなら外になるよ。無理だろ? 上司に叱られるよ?」

 本を読みつつ囁く彼。

「いいの! どうせ今は仕事の真っ最中でこうして私をほったらかしなんだから!!」

 葉月は、腹立たしさも手伝って半ば本気を込めて言い放っていた。
 すると、彼がやっと本から目線を外した。でも、なんだか複雑そうな表情を刻んでいるので、葉月は首を傾げてしまったのだが?

「基地から東の方になるし、徒歩では遠いところにあるよ。地図を書いてあげるから、夜にでも明日にでも……行ってみたら?」

 彼はそういって、カッターシャツの胸ポケットからペンを取り、脱いで木の幹においていた上着からシステム手帳を出そうとしていた。

(夜と、明日じゃダメなの!)

 今じゃなきゃいけないのに……と、葉月は心で言い切っていた。

「もっと、近くでないかしら?」

 こうなったら葉月は、どうしても外に行きたいのだ。
 彼の方もそんな葉月に困り果てたようだったが……。

「美味しくないところはお勧めできない。俺が一番のお勧めはそこだから」

 冷たい表情できっぱりと言われたし、それが本当の心遣いだろうと、葉月は彼から頂く情報はそれ以上はない……と、諦めてうつむいた。
 それでも彼は黙々と破った白紙に地図を書き込んでいた。そんな彼を見ている内に──。

「いつまで……暇?」

 思わぬ事を口にしていた。いつもなら知らぬフリのはずの男性に。
 それも、この男性が葉月に素っ気ないし、空気の様だし無表情だったせいもあったからかもしれない。
 すると彼の方もちょっと躊躇していたが──。

「俺? 俺はねぇ……そうだなぁ……夕方まで。俺の方も上司が空けてくれた思わぬ時間でね」

 ペンを顎に当てた彼の方も、いやに疲れた表情でため息をこぼしていた。
 ──が、彼が急にはたと我に返った様子で、葉月を驚き顔で見たのだ。

「あ! それって……俺に『連れて行け』って事!?」

 彼が初めて素らしい声を上げて、葉月はその通りに見透かされておののいた。

「あら。強引かしら?」

 アハハハ……! と、葉月は恥じらって繕い笑いを浮かべていた。
 そうしたら、また彼が妙に見慣れたようなあの笑顔を浮かべたので、心の中の潜在意識を揺さぶられるように葉月は再びドキリとした。

「断ったら……。怒られかねない勢いだねぇ」

 彼が初めてクスクスと笑いだしたので、葉月は自分らしくない行動に出たが故によけいに恥ずかしくなってうつむいてしまった。

「いいよ。母国から来た女性には親切にしておかないとネ」

 眼鏡をかけていた彼が、にっこり。
 優しく微笑んで眼鏡をサラッとそよ風の中、外したのだ。

(あ──!)

 やっと、思い出した。
 そう……葉月の10歳年下の甥っ子に似ていたのだ。つまり……彼の父親に。
 葉月には10歳年上の姉がいたのだが、その甥っ子を20歳の時に産み落として亡くなっていた。
 その相手の父親もまた然り──体が弱い軍医だったのだが、甥っ子が5歳の時、葉月が15歳の時にこの世を去った。
 その父親に似ていたのだ。
 葉月が大好きだった優しい義理兄だ。
 その義理兄も甥っ子も眼鏡をかけているのだ。

「さて。それじゃぁ。俺の自転車に乗せて上げるよ」

 そうと決まると、いざとなって戸惑っている葉月とは反対に彼は先へと行動を取り始めた。

「実は、俺も昼飯、食っていないんだ」

 にっこりとした笑顔を浮かべる彼につられるように葉月が立つと……。日本人にしては結構、背が高い。葉月の頭を優に越している。
 葉月はそんな眼鏡を外した彼の後を歩き始めていた。
 お互いに上着を小脇に抱えて……。

「日本より暑いだろ?」

 そう言う彼が自転車の前に付けている、布製のバッグに上着をしまい込んでくれた。
 そうして葉月は、初対面にもかかわらず彼の後ろに腰をかけて遅いランチに……『サボタージュ』に出掛ける事となったのだ。

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