・・フランス航空部隊・・

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9.ランチ

 眼鏡の彼につかまって、自転車にて葉月はとうとう基地の外へと出てしまった。

 彼を背中から肩越しの顔をじっと眺めて見る。
 甥っ子の父親──つまり……姉は結婚せずに甥を産んだのだが、相手の父親・葉月の義理兄に、いかほど似ているかと比べてしまった。

 髪は……眼鏡の彼の方が直毛で艶やかだった。
 甥っ子は、『御園の子』だから葉月と同じく栗毛だが、父親似のふんわりとした癖毛だった。
 顔は……亡くなった義理兄の方がいかにも日本人的。彼の方が彫りが深い。
 でも、甥っ子は、葉月の『四分の一、クォーター』に対して『八分の一、エイティス』とでもいうのか?
 鼻筋が、葉月に似ていてスッとしたやっぱり何処かエキゾチックな表情で、眼鏡の彼は、義理兄より彫りが深い顔立ちで、どちらかというと甥っ子に近かった。
 甥っ子は、義理兄譲りで、葉月の涼やかな瞳と違って、同じガラス玉のような茶色い瞳でもくりくりした可愛い大きな瞳なのだ。
 眼鏡の彼も、睫毛がピンとしていてきらっとした大きな二重の瞳であって……大人で例えるなら義理兄にも似ていて、顔つきは甥っ子に近かった。

 だから──子供で、今年十六歳の少年である甥っ子と、大人の眼鏡の彼がすぐには結びつかなかったのだ。

(どうしているかしら。シンちゃん)

 葉月は、小笠原に置いてきた可愛い甥っ子が急に気になってきた。
 甥っ子は、亡くなった父を見習って軍医を目指すべく、葉月がいる『小笠原基地』の中にある『医学訓練校』に、在籍していてた。
 訓練生は殆どが『全寮制』なので甥っ子は寮で日頃は暮らしている。
 時には、週末などは外泊許可をもらってきて葉月の自宅に泊まりに来ることもある。
 幼くして両親を亡くしたせいもあって、甥っ子の『真一』は母ともよく似ている葉月に、それはよくなついているのだ。

『葉月ちゃん! 二ヶ月もいないの?』

 研修や出張に行く度に甥っ子はふてくされる。
 16歳になっても両親がいない彼は未だに無邪気なままだった。

『夏休みがあるのに何処にも一緒に行けないじゃん!!』
『フロリダのお祖父ちゃんが何処か連れていってくれるわよ』

 葉月の父・中将の『亮介・りょうすけ』は、長女が残していった初孫を、それは目に入れても痛くないと言う程に可愛がっていた。
 葉月の両親……つまり、真一の母方の祖父母はアメリカを拠点に働いていたので、真一は父方の祖父母に預けられて日本で育った。

 13歳で『島』の基地へと『予備訓練生』(普通に例えると中学課程と同じ)として入学するまでは、父方の『谷村』を名乗っていたが、軍人生活を心に決めたので『御園』に姓を改めた。
 その方が、軍人としては血筋が良いから……と、いうのが大人達が決めたことだった。

 『谷村』と『御園』両家は近所同士で鎌倉にその家がある。
 『谷村』の真一の祖父は『内科・開業医師』であって、つまりのところ、真一は医者の家系育ちであるのだ。
 『御園』の鎌倉の実家は今は、国際派の長男に代わって、葉月の叔父・神奈川訓練校校長で准将の『京介』が守っている。
 姉と義理兄は幼なじみであったのだ。
 そんな縁で、真一が生まれたのである。

『もう、イイよ! お仕事なんでしょ? フランス!? じゃぁ。康夫兄ちゃんの所なんだね♪』

 康夫は真一を幼い頃から可愛がっていてくれた。
 真一は康夫の所と安心してくれたものの、やっぱり出掛ける前の晩には無理に外泊許可をもらってまで、葉月の自宅に泊まりに来て『葉月ちゃん、葉月ちゃん』と、甘えっぱなしだったのだ。
 もう……小さいときのように肌に甘えてこないが真一にとっては、葉月は唯一女親に近い匂いをもっている大人なのだ。
 葉月も父のことは言えないほど、弟のようで、まるで子供のような甥っ子は可愛くて仕様がないのは確かなのだ。
 真一は子供の割には妙にしっかりしたところがあって、気まぐれにこんな行動を取る葉月を『あっぶねぇなぁ』と、いうようにいつも見張っているような所がある。
 今回も、彼は遠野の死を未だ引きずる若叔母が、異国の地で、自分の目の届かないところで『無茶』をやりゃしないかと心配しているのである。
 葉月が任務に出掛けて怪我でもしてこようものなら、彼は泣きそうな顔になって『もう、いっちゃダメ!』と叫ぶのだ。
 葉月が側で大人しくしていないと、真一は落ち着かないらしい。
 それほど、葉月と真一は一心同体とも言えた。
 葉月の甥っ子の可愛がりようは基地内でも有名な話であった。

「マルセイユは初めて?」

 甥っ子の真一の愛らしい笑顔を思い浮かべてる中、眼鏡の彼が自転車をこぎながら尋ねてきた。
 葉月もそこで現実に戻り、目に前に広がるコバルトブルーの海景色で目が覚める。

「え? ええ。前に二、三度」
「そう……。さすが“通訳”だね」

 風に送られてくる背中を向けている彼の声が明るくて、すっかり信じ込んでいる様子なので葉月はホッとした。

 

 彼が連れていってくれたのは、海辺に石を積んだ塀が並ぶ坂道の一角にある煉瓦造りの田舎料理店だった。
 そこで上着を羽織っていない二人が店内にはいると、レジにいたマスターらしき中年男性がニッコリ手を振って迎え入れてくれたが、葉月を一目見てビックリした様にも見えた。
 彼の方は、マスターの反応にお構いなし。
 無表情で手を挙げて、さっさと日当たりのいい窓辺の席へと葉月をエスコートしてくれる。

(彼女でもいるのかしら……? 悪い事したかしら?)

 そう思ったが『プライベート』な話も避けたかった。
 自分が聞き返されるのが嫌だからだ。

 マスターもオーダーを取りに来ても、彼の事を知り抜いているのか、からかいの一言もいわなかった。

「ここに来たんだから、魚介類がオススメだね。果物のソースとの組み合わせが特に。デザートは……今なら木イチゴのシャーベットかタルトかな?」

 地元の人のお薦めは聞くに限る。
 葉月はそう思うので、彼が選んでくれたメニューに同意した。
 フルコースではなく、日本でいう『定食』みたいなメニューだった。

 食事が運ばれるなり、葉月は目を輝かせる。

(おいしそう!!)

 期待以上のひと皿が目の前に現れたので、葉月はつい一人で感激をしていた。

 だが、そこで彼が“クスリ”と、微かな笑い声をこぼした。
 葉月はそんな彼が笑ったので、首を傾げる。なにが可笑しいのだろう? と。

「よっぽど、時間を持て余していたんだね。不機嫌は美味しいもので直してくれよ。俺もそうする」

 額にかかるちょっと長めの前髪をかき上げて、彼が面白そうに笑っている。
 どうやら、美味しいものを目にして案外喜びを見せる女の子の調子良さが可笑しかったらしい。

(そりゃね……。美味しいものは裏切ったりしないもの)

 葉月はしらっとした平坦な表情に戻した。
 だけれども、目の前の美味しそうな“誘い”には勝てない。

「頂きます!」 

 葉月がやっぱり嬉しげにナイフとフォークを手にすると、彼もにこりと笑って食事を始めた。

(うん。うん。おいし〜い)

 葉月は感情表現が上手くできないといわれているから、心の中で一人で喜んでいたりする。
 そこで、彼も“美味い?”──と、聞いてくるのかと思えば、ただ、ただあの無表情な顔で黙々と食している。

 彼が時々『日本は今どう?』とか『マルセイユの食習慣』などについて話しかけてくるだけで、仕事のこと、基地のことなどは一切尋ねてこなかった。
 だから、葉月も気兼ねなく……黙々食べながら質問に答えて、聞き入って……そんな気にならない時間を過ごす事が出来た。

 彼はカフェオレ、葉月はミルクティーで。デザートを楽しみ終わる頃には、時計は十六時になろうとしていた。
 だが葉月にとってみれば、今日はもう“キャンセル”に近い仕事状況だし、康夫は解ってくれるという余裕もあって慌てなかった。

「俺……そろそろ戻らないと。いい加減ヤバイかな」

 彼が時計を見て、そうつぶやいた。
 眼鏡のない彼は、先程、甥っ子や義理兄に似ていると思わす雰囲気はもう無くて、別人の男性だった。

「お嬢さんはどうする? 大丈夫かい?」

 “お嬢さん”にドッキリとした。
 葉月の事は、小笠原の基地では『お嬢』と呼ぶものが多いのだ。
 ちょっとしたからかいでパイロット兄様の中では『嬢ちゃん』と言うものもいるし、将軍の中では『小娘』と呼ぶ者までいる。
 いやがってなかったりするが、時には嫌味だと『むっ!』とすることもある。
 特に、初対面のものにいわれると、速攻嫌味と取れることが殆どだ。
 でも……彼からは、どうしてかその言葉には抵抗感はなかった。

「ええ……私の方は……。定時には上司が戻って来いと言っていたくらいで……」
「そう。俺も、そうは急いでいないんだけどね。“空き時間”をもらえたとは言え、明日のことはチェックしておかないと」

 “じゃぁ”と言うことで二人は席を立って、基地に戻る事にした。
 その上、彼がおごってくれたので申し訳なくなってきた。

「あの……私が言い出したのに」
「あ……イイよ。俺の方も良い時間つぶしが出来たし。母国に帰っても日本人に“こんなにされた”って言われたくないしね」

 彼がニッコリ笑ったので、その笑顔には弱くなった葉月は何にも言えなくなった。

 

 彼と店の外に出て、自転車に乗ろうとした時だった。
 彼が、上から下まで葉月をジッと眺めてこう言った。

「俺に名前とか聞かないね。どうしてかな?」
「え?」

 葉月は今度こそ、答えに詰まった。

「そっちも名前を聞かれたくないから?」
(う……ッ。)

 無表情に冷たい視線が、上から降りてきてさすがに葉月は緊張してしまった。

「まぁ……いいけどね。こういう付き合いはこれぐらいで、丁度いい」

 彼が一人で結論を出したので葉月はまた、そう言う事にしておく。

 帰りに……自転車に乗って葉月は思う。
 初めて逢った男性に、腹立たしさ紛れに強引なお願いをしたのに、こんなにすんなり、嫌な思いもせずに一時が終わろうとしていることを不思議に思った。
 いつも、心の何処かで“令嬢”と言われ“七光り”と言われる自分に構えてどんな人にも警戒していた。
 上着を脱いだって、突っ込まれたらお仕舞いである。
 嘘をつくにも限界がある。
 例えば……『日本語をどうして覚えた?』とか『君はハーフ?』とか聞かれたら、誤魔化しきれない答えをその内にしていただろう。

 だけど、彼は何一つ聞いてこなかった。仕事のことも……。
 最初から、そんな雰囲気を感じたから『連れていって!』と、言ったのかもしれない。
 それで、こうして間が保ったこの時間は、葉月にしては『珍しい』──。
 いつもなら、ぎくしゃくした時点で『逃走』だ?

──上司にはお互い内緒──

 それを合い言葉に、葉月は基地の駐輪所で、さわやかに、そして笑顔で眼鏡の彼と別れたのである。

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