58.仕返し
『ふぁぁ…』
隼人はベッドでむっくり起きあがった。
ものすごい緊張を自分もしていたのか葉月が帰ったあと
腹ごしらえをしてやっぱりすぐに寝付いてしまった。
シーツを身体から剥がすと…昨日の香り…。
葉月に贈った香りが随分と隼人の寝床に移っていたようだ。
『うーーん』
隼人は昨日の余韻に浸りながらも…腕組んで今から葉月に逢うことに…
戸惑っていたが…二日も休むわけには行かず渋々ベッドから降りた。
朝食を食べて…身支度をしてアパートを出る。
すると??
赤い自転車が隼人の自転車の横に繋がれて停まっていた。
「あれ?どうしたんだよ。まだ返さなくてもいいのに」
初めてアパートに来たついでに置いていったのかと隼人は赤い自転車を撫でる。
自転車に乗って基地の道路沿いに出る。
葉月が泊まっているホテルアパートに差し掛かる。
ママンがいつも通りカウンターで食事を作っていってスッと厨房に消えていった。
隼人はその隙にガラス窓を覗いたが…葉月はいなかった。
(自転車がなきゃ…徒歩か…早く出たんだな)
だったら…その内に歩いている彼女と出会うだろう…と走ったが…逢わなかった。
警備口でIDカードを出して基地に入る。
すると…隣の警備窓口は車専用なのだが赤いアウディが入ってきた。
ジャンだった。
隼人は『おっす!』と明るく手を振ると…ジャンが何かしらいぶかしんで隼人をジッと見つめていたが…
次の車が入ってきて慌てて駐車場に向かっていった。
「???」
何か…いつもとは違うしっくりしない朝だ…。隼人はそう思った。
自転車を止めて棟舎の中に入り廊下を歩き始めると…。
「隼人!!」
ジャンが追いかけてきた。
「ボンジュール。なんだよ。さっき俺の顔じろじろ眺めてさ」
するとジャンは…また驚いたように隼人を見下ろすのだ。
「なんだよ?」
「おまえさ。案外元気で驚いたよ。さすがだな。冷たい男だ」
「は?なんのことだよ」
またジャンが隼人の反応に呆れてため息をついた。
「御園中佐が帰国して…少しは元気なくすと思ったんだがな。相変わらずお前は冷静だな。」
「は?彼女が?」
「お前の所にも自転車返しに行くって…昨日挨拶回りに来たぜ?
お前が二日酔いで休んでいるから絶対会いに行ってくれって俺頼み込んだんだけどな。
来たんだろ?自転車返しに…。彼女も行くって言っていたし俺…。安心していたんだけどな
ちゃんとお別れしたんだろう??それとも??良いことありすぎて別れも辛くなかったってか♪」
ジャンのからかい笑顔に隼人はスッと青ざめた。
今朝の…朝の異様な感じ…。
その予感は…。
隼人はサッと走り出してまっすぐに本部を目指した。
「おい!?隼人??」 ジャンの声はもう聞こえなかった。
(くそ!!嘘だと言ってくれ!!)
そう言えば…昨日の葉月はおかしかった…とやっと気が付いた。
何かに追い立てられるように思い詰めた顔で感情をむき出しにして…。
まさか…あの後…すぐに???
隼人は階段を駆け上がって本部に滑り込んで中佐室を開けた。
誰もいなかった。
葉月が使っていた応接テーブルは綺麗に片づいて…
葉月の持ち物がなくなっていた。
(あれが…『さよなら』のつもりだったのか???)
『また…明日ね。』
最後に聞いたあの一言が…葉月の言えなかった『さようなら』だったのかと…
隼人は暫く中佐室で茫然としていた…。
その内に猛然と腹が立ってきた。
あんな風に…隼人に柔肌の感触を刻みつけるだけ刻みつけて…
勝手に去ってゆくなんて!!!と。
しかし…その反対側で…全てを受け入れてあげられなかった自分のせいだと思った。
隼人こそ…。葉月に勝手に口づけを刻みつけた一番の先手を打ったのだから。
葉月の恋心をかき乱したのだから…。
葉月は最後まで…隼人に合わせてくれた。
最初にすっぽかしたときも…どんな時も…。
だけれども…最後は『私のため…』葉月自身のために…
どうしても隼人との想い出が欲しくて…そして…『さようなら』が言えなくて…。
隼人は手にしていたリュックをポトン…と床に落とした。
最初に自分がやった『すっぽかし』
最後は葉月が『すっぽかし』
これでお互い様…。いい仕返しをされたもんだ…と隼人は思った。
「う…っす…」
康夫がいつもより早くそれもションボリやってきた。
隼人は康夫の声を聞くなり振り返り…なりふり構わず彼の襟元をつかみあげた。
「彼女が乗る便は何処の何時だ!!」
康夫はびっくり…来るなり隼人につかみあげられて身体を固めた。
「何時って???」
「パリのシャルル・ド・ゴールか??」
「なんだよ。昨夜、葉月…」
すると康夫も急にハッとした…。
「隼人兄…もしかして??…昨夜…隼人兄と会ってきた後すぐに葉月は…」
「昨夜??」
隼人の反応に康夫はガックリうなだれた。
おまけに…『チッ!!じゃじゃ馬のヤツ!!』と憎々しそうに舌打ちをした。
「なんでだよ!!帰るのは土曜の夜じゃなかったのか??」
隼人が力任せに康夫を締め上げるので彼もカッとなって隼人を
力任せに腕を振り払って突き飛ばした。
「あいつもな!!いろいろあるんだよ!!仕方がなかったんだよ!!」
康夫は隼人が葉月の『トラウマ』を知っているとはまだ知らない。
だから、『母の死に疑問を持ち始めた甥っ子のために帰った』とは言えなかった。
康夫に突き飛ばされてよろめいた隼人もやっと我に返ったようだった。
二人は向き合って『フン!』と乱れた自分の襟元をただした。
「まったく…。やってくれるなあいつ。俺にこんな役押しつけやがって…」
康夫は呆れながらスラックスからキーを取り出した。
「だけど…こんなに慌てる隼人兄も初めて見た。壊すなよ。俺のスカイライン…」
康夫は微笑みながら隼人の手に車のキーを握らせてくれた。
「今すぐ…。近くの空港からパリにゆけば葉月が夕方に乗る便に間に合うはずだ。」
康夫がニッコリ肩を叩いてくれて…隼人はキーをギュッと握りしめたが…
『行ってどうする??』と…。急に冷静になってしまった。
だた一言…。『またあおうね』の『さよなら』を言うぐらいなら…。
それが嫌だったから…葉月は初めて自分の素直な気持ちを出し切って
隼人に『綺麗なサヨナラ』を言わせたくない…聞きたくないからこんな風に黙って去っていったのに。
隼人はもう一度キーを握り直し…。
「解った…もういい…」
康夫の手にキーを返した。
「いいって??それでいいのかよ??」
スラックスのポケットに手を突っ込んでうなだれながら自分の席にゆく隼人を追いかけた。
隼人が急にいつもの如くノートパソコンを開いた。
そして淡々と業務を始める。
康夫は…「なぁ??行って来いよ」と何度も隼人にまとわりついたが、隼人は知らぬ振りをした。
その内に康夫は先程以上にションボリして中佐席に着いた。
「あ〜〜あ。あいつってば…最後まで『台風』だなぁ。」
葉月がいなくなった中佐室を康夫は寂しそうに頬杖、眺めてため息をつきっぱなしだった。
『本当だな』
隼人は…フッと微笑んでいた。そして…。
『この仕返しはいつか返してやるからな!!』
隼人の中で生意気そうに瞳を輝かせているお嬢さんが笑っていた。
隼人は朝日が射し込む中。いつも通り…そして葉月が残していった仕事を始める。