59.帰国

 

 『ピッポー』

 一通のメールが届く──。

 

 緑の葉がさざめく音がする部屋で一人の少年がパソコンをいじっていた。

「あれ??見たことない人の名前?葉月ちゃんの仕事関係かな??

えっと??さ・わ・む・ら?聞いたことないよ…」

栗毛の少年は主がいないからそのメールはいじらずにそっとしておいた。

その内に部屋の向こうから野菜が炊ける匂いがして…

「はぁ!!しまった!!鍋かけたままだった!!」と元気良く部屋を飛び出した。

そっと鍋を空けると…焦げていないどころか…いい炊け具合…。

「えっと、ルーと? 牛乳を入れて?? OK♪ もう出来るね! 後は葉月ちゃんが帰ってくるのを待つだけ♪」

『シンちゃん??明日の夕方小笠原に着くからね。待っていてね♪』

やっと葉月がフランスから帰ってくる。

若叔母に二ヶ月会えなかったが今夜は一緒に食事が出来る。

御園真一は若叔母が大好きな『クリームシチュー』を作って驚かそうとワクワクして待っていた。

それと同時に…。

『探索』はもう思うように出来なくなった。

葉月が帰ってくるまでに『疑問』について探し回ったが…収穫はなかった。

(ま。いっか…その内に)

真一は疑問はさておいて…葉月が帰ってくる嬉しさで浮かれまくっていた。

暫くすると…

『ピーピーピー』

インターホンが鳴った。誰かがカードーキーを差し込んで『入室』をするときの音だ。

「葉月ちゃん!!」

真一は元気良く玄関に走り出した。

ドアがそっと開いて…スーツケースを引きずりながら…いつもの制服姿で

麗しい若叔母がニッコリ姿を現した。

「ただいま。やっぱり…上がり込んでいたのね?」

「だってさ!!素っ気ない甥っ子よりいいだろ!!俺待っていたんだからね!!」

真一はプッとふくれて唇をとがらした。

「ねえ、ねえ!! 早く上がってよ!!」

葉月が重そうに引きずっていたスーツケースを真一は軽々持ち上げたので

葉月は少しビックリ…。

やっぱりこの子は『大人』になりつつあるのだと…。

慌てて帰ってきたものの…甥っ子は何ら変わりがない様子。

葉月がいつも可愛がっている明るくて無邪気な男の子のままだった。

『義兄様の部下の彼が言っていたとおり…。まだ何も見つけてないようね…』

葉月はホッと胸をなで下ろし…やっぱり早く帰ってきて良かったと思った。

もし…何かを見つけていたら…こんなに元気なはずがない。

母が…男達に虐げられて真一だけは生んで自殺をしたのだから。

まだ16歳の少年に元気を偽る精神力はあるはずない。

いつも通りの真一を見て葉月はそう判断して安心を得る。

『葉月ちゃん早く!!』

リビングから甥っ子がせかす声。

葉月はやっと我が家に戻り、いつもの生活に戻れることに心が躍った。

リビングにはいると…いい匂い…。

「まぁ…。またキッチンを荒らしているの??」

甥っ子の姿がなく…キッチンで何かいそいそしているのが解った。

『うん!葉月ちゃん疲れて帰ってくると思って!シチュー!頑張って作った!!』

いじらしい甥っ子に葉月はジワリと来て…フランスで男と別れた苦みが消えてゆくように思えた。

『姉様…この子がいるだけで…私ぜんぜん違う』

葉月は制服の上着を脱ぎながら…可愛い甥っ子に心を癒されていくのが解った。

「そうそう。葉月ちゃんのメールの方に『さわむら』って人から何か届いていたよ?

仕事のことじゃないの? 見ておいてよ。今パソコン立ち上がっているから」

葉月はドキリ…と上着を脱ぐ手が止まってしまった。

そして…暫く迷ったが…。

甥っ子がシチュー作りに専念している間にそっと…パソコンがある林側の部屋に入る。

暗がりの中…パソコンだけが青くぼんやり浮かんでいた。

早速…メールボックスを開いて…『SAWAMURA』と記してあるメールを開けてみた。

『随分な事してくれたね。でもいいよ。解らないでもないから。

俺もこの前のことは大切にしておくよ。さようなら』

それだけだった…。

最後の『さようなら』に──。フランスに置いてきた我慢をしていた涙が、やっと出てきた。

葉月はそのメールをすぐに『削除』した。

暫く…とりとめもなく出てくる涙を抑えようとしていると…真一がひょっこり顔を出した。

「どうしたの?」

「ううん…なんでもない。シチューよそってくれる? 早く食べたいの」

「うん……。いいよ」

素直な返事。それでも真一は叔母の様子がおかしいと悟ってしまったようだ。

葉月は真一には見ないよう、『返事』を書いている素振りで、キーボードを訳もなく叩いてみた。

「お土産…。早く開けましょう?康夫と雪江さんもいっぱいシンちゃんにくれたのよ?」

「マジ!? たのしみ〜〜! 早く食べよう!!」

葉月はホッとして、パソコンの電源を落とした。

『メルシー。澤村大尉』

葉月は落ちるパソコンに、そして隼人の最後の『声』に、もう一度『サヨナラ』を唱えた。

甥っ子が作ってくれたシチューを囲んで葉月はいつもの自分に戻ってゆく。

もうマルセイユの陽気な風景はない。

葉月の自宅のテラスから見える海の風景には

見慣れた懐かしい漁り火が浮かぶ和風の風景。

甥っ子の笑い声に全てがかき消されてゆく。

美しいフランスの青い海は。

今度は葉月の中で一等に素晴らしい想い出となってゆく。