・・フランス航空部隊・・

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27.ラ・シャンタル

 カフェの名は『ラ・シャンタル』。
 入り口の戸を開けると、コーヒーの匂いが薫り高くたちこめた。

 カウンターには白髪で白髭の恰幅のいいご主人。
 ランチに行った海辺レストランの寡黙な主人と違って、今度のご主人は二人を目にするなり『隼人の恋人か!』と、軽快に喋る男性だ。

 このご主人。元パイロットとかで、お店の窓辺から見える海の向こうにある基地の滑走路を眺めたいが為にこんな町はずれの渚にお店を建てたらしい。
 マスターが元パイロットと言うことと、美味しいお茶を入れると言うことで、町はずれに位置しているのに基地の若者が女性とのデートコースとしてくるらしいのだ。だから二人連れだとマスターは構わず『恋人?』と誰にでも聞くというのは有名な話。隼人は『挨拶みたいなもんさ。聞き流して』と店にはいる前に葉月に教えておいたから、彼女も今度は可笑しそうに笑って流していた。

 

 二人は、早速、窓辺の席を取った。
 朝早いのでお客はいなくて二人が一番乗りのようだった。

 マスターがオーダーを取りにやってくる。

「知ってるかい? 昨日の夕方。ちょっと変わった訓練をしているチームがあったけど。何処のチームだろうねぇ」

 マスターがオーダーを取りながらも夜勤だった隼人なら知っているんじゃないかと、探るように尋ねてきた。

「ああ。あれは──」

 『実は、目の前のお嬢さんが……』と言おうとしたら、テーブルの下で彼女にまた靴を軽く踏まれた。
 彼女がニッコリとこの上ない微笑みをわざとらしく向けてきて、『言っちゃダメ』と合図を送ってくる。
 それも『ランチ』の時と一緒だなあ、と、隼人は感じた。
 彼女はここでは何気ない一人の隊員でいたそうだったので、隼人は口をつぐみ……。言いたかったことと違う方向でマスターに話す。

「康夫が今、今年のショー選抜を狙って訓練しているだけだよ。彼女は康夫の中隊管理の指導で来ているって所かな? 訓練の見学もしているんだ」

 隼人がそう紹介をすると、葉月はただ微笑み、自分からは多くは語らない。

「なるほど。この頃女性の『キャリア組』も増えているらしいからね。それは優秀そうだね。『中佐』とは驚きだ」

 マスターは葉月が着ている上着の肩章へと視線を落としていた。
 キャリア組の中佐でも女性となるとあまりみかけない。だから、葉月は肩章を隠すことを忘れていたことに、しまったという苦笑いをこぼしていた。

(まったく。さっきまでのお転婆は何処に行ったんだよ)

 隼人は何故か変に人見知りをする彼女に呆れたりしていた。

「ハヅキ──と、言ったかな?」

 マスターがオーダーのボールペンでニヤリと彼女を指す。
 何かを見透かしたようなマスターの妙な微笑みに、葉月もちょっとおののいていた。

「パイロットの疲労に効くお茶をブレンドしてあげよう」

 二人は揃って『え!?』と漏らし、マスターの目利きにビックリした。
 今度のマスターは優しいにっこり顔。

「これでも、こういう仕事をしていると色々噂は聞くんでね。『女性パイロットが来た』という話は他の隊員がここにきては、盛んに話しているよ? それも、あの日本人パイロット、フジナミの所にって。隼人が見かけない女の子を連れてきたって事は、君はフジナミの所に来た『女性パイロット』の可能性が高いということになるけど、どうかな? 実はいつ来るか待ちかまえていたんだよ」

 『噂になっている』と聞いてやっぱり葉月は気に入らないのか憮然としていた。
 隼人も、彼女らしくて、ちょっと笑ってしまう。

「観念したら? お嬢さん」
「うう……。そ、そうです。マスター」
「素晴らしい事じゃないか。そんな細っこい身体で飛んでいるなんて男よりすごいと思うよ? 技能がなくては、体力的に女性は不利。昨日の夕方。『指導』していたのは『コックピット』の中だったのでは?」

 そこまでも見抜かれてしまい、葉月はもうすっかり観念した様子。

「昨日の夕方の訓練がフジナミチームだとしたら……。今までフジナミのチームがあんな飛び方をしていたのは見たことない。すなわち、よそ者が来ていたから『ちょっといつもと違っていた』ということだろ? ああ、いいなあ。もっと遅く生まれていたら私もこんな可愛い同僚と仕事が出来たのになあ。隼人が羨ましい」

 今度は、隼人がぶすっとする。
 そして、今度は葉月が『──らしくって』と感じたのか、隼人を見てクスリと笑い声をこぼした。

 それにしても、さすが『パイロットの先輩』。
 空を飛ぶ者同士の『匂いと勘があるのかな?』と、隼人は思ってしまった。
 葉月は、もう隠れるところがなくなったことと、『パイロット』として褒めてくれたことが嬉しかったのか、マスターにすっかり安心した笑顔を見せていた。

「マスター。美味しいお茶よろしくね」

 葉月がやっとリラックスした満面の笑みを送ってきたので、マスターも張り切って『ウィ! マドモアゼル』と去っていった。

「くっそ〜。モーニングが美味しくなくちゃ、こんな『カップル好き』のマスターの所なんかこないよ」

 隼人は何かにつけて『女性と一組』に見られることを不満に思い、そう吐き捨てると──目の前のお嬢さんがちょっと困った顔。

「別に──。私は何処でもよかったのよ?」

 彼女が気兼ねしていると分かり、隼人はハッとして取り繕う。

「言っただろう? 俺、美味しくないところはお勧めしないって。引き受けたからには、責任をもって『美味しい!』と、言ってもらわないと」

 『ただ、それだけだ』と──。
 いつもの自分になってしまうが、隼人はここでついそっぽを向く天の邪鬼。
 だけれど、それでも葉月は、もうそんな隼人もよく理解してくれているかのように、微笑んでくれていた。

 なんだろう?
 隼人はそんな気易さと気楽さを……彼女から感じ始めていた。
 そうしてただ微笑んで受け入れてくれることが、妙に心地よいではないか?

 ふと……目の前の女の子をなにげなく見つめてしまっていた。
 だけど葉月は、もう隼人ではなく、外を眺めていた。

 渚には日曜日のお散歩なのか、老夫婦が大型犬を連れて波打ち際を散歩している。
 葉月が頬杖をついてそれを透き通る瞳でそっと眺めている。

「なに? あれが気になるのかな?」

 隼人が直ぐに思い浮かんだのは──『ああいうのって、いいわよね。いつかは、あんなふうになりたいわ』──なんて言い出しそうな女がありきたりに夢見そうな、夢見がちな言葉だった。葉月もそんな顔に見える。そうだとしたなら、やっぱり女は一緒だなと、半ば呆れていた。
 勿論、それを夢見ることは悪いことではない。ただ隼人は『少しばかり、女性のそういう点が気に入らない』ところがあるだけ。
 だけれど、隼人のそんな『ありきたりな予想』を覆すことを葉月が呟いた。

「あのご夫婦にも『嵐』があったとしたらどんなことだろうと……」

 隼人は意外な返事が返ってきてビックリして、穏やかに散歩する渚の老夫婦を見入ってしまった。

「私が両親と住んでいたフロリダの自宅にもこんなふうに、側に渚があるの」

 『両親』と来て、隼人は『ノスタルジーか?』と思った。
 老夫妻を見て両親に思い馳せる、葉月のちょっと『お嬢ちゃん』らしいところに笑いたくなった。
 だが、隼人がそうして『若い女性の感覚』をちょっと馬鹿にしている気持ちとはうらはらに、彼女は途端にふっと哀しげにまつげを伏せ、渚からそして老夫妻から目線を外してしまった。
 その仕草は、決して『甘い物思い』からくるものではない。と、隼人は急にひんやりとする重いものを感じてしまった。
 暗く陰ってしまった葉月が、静かに呟く。

「私の親も、いつかはあんなふうになってくれるといいなって」

 そして葉月は、制服の胸ポケットから煙草を取り出してふてくされるように吸い始めた。
 まるで、何かを避けるが為、見たくないが為に。

「……。ご両親、将軍と博士だったよな? 失礼だけれど、ご夫妻は忙しくてすれ違いばかりとか?」
「そんなことないわよ? 仲はいいわよ。羨ましくなるぐらい。お互いが離れないように二人で同じ職場にいるんですもの。母が特に。父に合わせるように、父の側にいたいが為に日本の大学を出て『軍隊の研究室』に入ったようなものよ。どんなに忙しくても、休日は必ず一緒だし。二人でよく旅行も行っているわ」

 でも──そう言いながらも、彼女は暗く眼差しを伏せるのだ。
 幸せそうな夫妻、両親の姿を口にしていても、実際はそうではないものが含まれている気がする。
 だが、隼人としてはそこに少しばかりの興味が湧いた。
 実は──隼人側にも思い当たることがあったりする。

「そんなに仲が良いなら、既にあの老夫婦みたいにしているのじゃないか? それが、気に入らないのか? 自分だけ、日本で働いているから?」

 すると、葉月が苛ついたように吸いたての煙草を灰皿に押しつけた。
 その仕草は、今日まで考え改めさせてくれた彼女のイメージを元に戻しそうな程、やって欲しくない厳つい仕草だった。

「もう元には戻れないほどの哀しみを両親は抱えてしまったの。そりゃ。そうよね。長女が若くしてなくなってしまったんですもの。おまけに。小さい男の子を残して。父と母は自分たちだけ“幸せになれない”と思っているのよ」
「……その気持ちは分かるけど。親らしい気持ちだと思うけどなあ。まだ、お嬢さんという一人娘もいることだし、その男の子だって『孫』としているんだから。亡くなったお姉さんだって、息子を託したご両親にはいつまでも元気よく長生きして欲しいって思うんじゃないかな? お嬢さんだってそうだろ?」

 隼人は、雲の上の『将軍一家の家庭内事情』に戸惑いつつも、葉月があんまり暗く瞳を伏せるので『ありきたりな言葉』しかでないが、それでも彼女に『まっすぐ無邪気なほどの元気』でいて欲しくなったから、必死に言っていた。
 目の前の葉月は先程自転車の積み台ではしゃいでいた『軽やかなお転婆さん』ではなくなっていた。別人で……そう、緑の葉っぱを『こんな感じ』と落とした歳を取ったような大人びた女性の顔をしていた。

 そして彼女は姿が遠くなった老夫妻の背中を再び見据えている。

「だから願うの。『嵐』があってもあんな風に何事もなかったように、散歩する二人になって欲しいと……」

 今度は、あの輝く瞳でニコリと微笑んでくれたので、とりあえずホッとしたが。
 隼人は、姉の死を『嵐』と言って彼女の暗くなってしまう表情とあの眼差しに対して、胸が早く鼓動をうっていた。
 それは『嫌な予感』のよう……。
 彼女の暗くなった眼差しの何処かに『気迫』みたいなもの、『恐ろしさ』のようなものを感じたのだ。

 でも、それも一時だけだった。
 葉月は再び、この頃見せてくれるようになった無邪気な笑顔に戻り、二度とその嫌な予感と胸の鼓動を早めるような顔にはならなかった。
 それだけ──重いものだったのだ。

 隼人の自分の思い当たるところとは全然違うものだった。
 もしかして、彼女が同じような思いを感じているかと思ったのだが……違ったようだ。

(それでも、彼女はちゃんと愛されて育ってきたに違いない。俺とは違う)

 そう思って、今度は自分が重いため息をついてしまった。
 でも、そこは隼人も『誰にも悟られたくない』ところ。目の前の彼女に感じ取られないように、元に戻る。

「なるほど。『嵐』があっても、後には穏やかにか。きっとあのご夫婦もそれなりにあったんだろうね。『嵐過ぎ去って』というヤツかな?」

 両親にはそうなって欲しいと思える彼女の暖かい家族思いな所が、ちょっと羨ましくなった。
 将軍の父を信じているからこうして彼女も軍人として向かっているのが伝わってくる。

「なんて。私がまだ嵐と思っているかも知れないわ? 父と母は」

 葉月がこんな時は生意気いっぱいニヤリと悪戯げに笑う。
 その方が『彼女らしい』。
 隼人も『それは言えているかも』と声を立てて笑った。

 元の明るい二人の空気に戻って、隼人はホッとする。

「なんだかんだ。仲が良いじゃないか?」

 マスターが両手にモーニングのトレイを乗せて、ニヤニヤとやってきた。
 こっちのそれまでの空気も知らないマスターのお気楽さに隼人が早速不機嫌になったので、葉月が苦笑いしていた。

「夜勤明けだろう? あれだけの『アクロバット』をしたら逆に『興奮』して寝付けなかったのではないかな。ぐっすり眠れるものにしたよ」
「メルシー、マスター! さすが元パイロットね。実は本当に一睡もしていないの。神経が逆立っているのかどうか分からないけど、身体が寝てくれないという感覚なのよね」
「わかる、わかる」

 その会話に隼人はビックリした。
 それで、葉月も康夫も起きていたのかと、パイロットの『生理的現象』だったのかと驚いた。
 それに、目の前の女の子が『身体が興奮』って…!? ──妙に顔が熱くなってきたりした。

 そしてマスターは隼人にも意味深な笑顔をみせつつ、トレイを目の前に置いてくれる。

「隼人には『女に強くなるお茶』を」
「よけいなお世話だよ!」

 お節介なマスターの変な気遣いに、隼人はプイッとそっぽを向いた。
 そんな隼人に、葉月とマスターは顔を見合わせて一緒に笑っている。
 だけれど食事を始めると、葉月は『美味しい! やっぱり隼人さん大正解ね』と大満足でモーニングを味わってくれる。
 隼人も──。変わらずに喜んで食べてくれる葉月を見て心が和んでゆくのが自分でも分かった。

「あちち!」

 結構、がさつなところがある葉月。
 慌ててお茶を口にして制服の胸にこぼしても、ハンカチで拭かずに手で払っていたりする。
 隼人はそんな気さくな彼女である方が、見ていて安心だった。
 やっぱり彼女は無邪気なじゃじゃ馬が、一番、良い印象だ。
 もう、あんな姿は見たくないと隼人は思ったけれど……。

 もしかすると──。
 避けられないことなのかも知れないと、隼人は少し、不安になる。

 窓辺に広がる海空にふと目を向けると、大空には雨がやってきそうな灰色の雲がものすごい早さで空を流れていた。

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