・・フランス航空部隊・・

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26.夜勤明け

 管制塔の中には『緊急出動』に備えて待機する当直待合室や仮眠室。そして会議室などの設備が整っている。
 隼人達、メンテナンスのメンバーが揃って待合室につくと、藤波チームが集まっていた。

 待合室のテレビとソファーにパイロット達が集まって活気づいているところだった。

「これがさっき俺がやった『御園中佐の機体』だ。そして、これが先程御園中佐がやった『コリンズ中佐の機体』──よく見ていろよ」

 康夫が指揮棒を手にして、ビデオにてメンバーに説明をしていた。
 葉月も康夫の横で聞き入っている。
 自然とメンテナンスのメンバーもそこへ引き寄せられるように向かっていく。
 隼人の横にいたメンテのキャプテンも……そして隼人もだ。

 康夫が今見せているのは彼女が航空ショーに出たときの『小笠原コリンズフライトチーム』を撮影したビデオらしい……。
 コマ送りにして康夫が説明を続ける。

「先程は、俺がただ突っ込んだだけだ。つまり──このビデオでは、御園中佐の軌道を見定めてコリンズ中佐が入ってくる。一瞬のことだが見事に決まっている。御園中佐もただ突っ込んだだけじゃなくきっちりと決めた場所の軌道に乗ったからコリンズ中佐も入りやすかったわけだ……。要するに──。先程、俺はこのビデオで言う“御園機”の役だったわけだが、ライン取りが甘かったわけだ。それで、合わせる方の御園中佐がバランスを崩した。このような危険性があるのだが、中佐の後の対処の仕方は飛んでいた俺より見学していた者の方が良く見ていただろう」

 負けず嫌いの康夫だが、悪いところはちゃんと認めるのが良いところ……。
 そんな康夫の潔さに隼人も微笑みが浮かび、他の者達と同様に聞き入っていた。

「それで……」

 康夫の熱心な説明が続いた。葉月は口出しをせずに康夫の説明に頷くだけだ。
 今まで『できっこないキャプテンの一人走り』と、さして真剣じゃなかった藤波パイロットチームは、女性のアクロバットに感化されたようで、真剣に聞いていた。

そんなパイロット達の講習会が夜遅くまで続いていた。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

 今回の当直はスクランブル指令も何事もなく朝を迎えた。
 隼人は少しだけ仮眠を取った後、久しぶりのメンテのキャプテンと共に夜中起きて二人で色々話して朝を迎えたのだが……。

「あの二人大丈夫かよ? 誰か寝たの見たか?」

 メンテキャプテンがメンバーに聞いた。
 みんな『さぁ?』と首を振る。

 康夫と葉月は二人だけになっても、一晩中寝ずに昨日の成果やこれからの練習について話し合っていたようだった。
 ソファーにはたくさんのメモ紙が散らばっていた。どれも飛行図だった。

 その二人に隼人が『おはよう』と声を掛けると『え!? そんな時間!?』──と、二人揃って周りを見渡すので呆れたもんだ。
 『飛行バカ』と隼人は言いたくなった。
 昨日──顔を突き合わせて喧嘩腰に危険な訓練をやり合った割には、二人がいつも通りの仲なので『わだかまり』が残るんじゃないかと気を揉んだ隼人は馬鹿らしくなってきた。

 しかしそこで思う。

(これが長年の付き合いというものなのか?)

 ──隼人は二人を少し羨ましく思った。
 離れていても、異性同士でも、なんだか向かうところは一緒という感じだ。
 それに、寝ずにプランを立てる所なんか、やっぱり二人は将来有望視されている若き中佐だと感じることもできた。
 隼人だけでなく、当直解雇に集まってきたメンバー達もそう感じたようだった。

 康夫の『ライバルのお嬢さん』が来た途端に燃える姿にメンバー一同も戸惑っている様子。
 そして、そうさせてしまう『将軍の娘』であることにも。

 彼女は台風──。
 こうして周りが動いてしまう……のだ。

 

・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・

 

「さって。帰って寝るか」

 制服に着替えてロッカールームを出ると康夫があくびをしながら伸びをした。
 そして葉月だけに与えられた更衣室用の個室から彼女が出てくるのを待っていた。

「お待たせ」

 葉月も制服に着替えて出てくる。
 隼人と三人並んで管制塔を後にした。

 

 康夫は車で自宅へと帰る。
 隼人は自転車。
 葉月は徒歩。
 三人はそれぞれ向かう場所で『お疲れさま。また明後日、火曜日に』と別れることに──。

 康夫が車で『乗せていこうか?』と、彼女に尋ねたのだが……。

「自宅より向こうになるでしょ? いいわよ」

 彼女が笑顔で断る。
 康夫もそのお言葉に無理強いはしようとせずに『じゃあな』とあっさりと離れていった。

「じゃ。大尉もお疲れ様」

 そして葉月は隼人も手を振って、あっさりと警備口に向かっていく……。

(ま、いいか)

 自転車の後ろに乗せてやろうかと、一瞬頭に浮かべた隼人だが。たとえ乗せて帰っても誰かに何を言われるか解らない。
 おそらく、彼女もそう思っているだろうと、隼人もそこで彼女を見送った。

 ……のだが、自転車に乗って警備口を出ると、徒歩の葉月が歩いていた。
 またそこで、隼人は迷う。
 もう誰も見ていないから乗せてやろうか? それとも? さらっと挨拶だけで通り過ぎようか? ──などと。
 そうして迷っているうちに、彼女の背中が近づいてくる。
 その背中を眺めているうちに、昨日の汗を滲ませた彼女の痛ましい背中を思い出した。

 彼女の背に追いつく。
 隼人は、自転車を彼女の横で停めていた。

「後ろ。乗る?」

 しかし彼女は頭を振る。
 それもそうかもしれない。隼人ときたら、自分でも呆れる素っ気ない言い方。
 そんな自分と充分に分かっている本人でも、もっと他に言い方がないのかと隼人は思ってしまう。
 彼女がそんな素っ気ない男の気遣いなど、快く受けたいと思うわけがない……。

「私を乗せると重いわよ? お疲れは一緒でしょ?」

 そして、そんな強がり。でもそれが既に彼女らしい。
 今度は隼人が、ちょっとムキになる。

「一晩一睡もしていないくせに。何が一緒だよ!」
「だって……。勝手にしたことだし。夜勤は慣れているわ」
「そういうところ。可愛くないって言われないか?」
「それが私ですから」

 ムキになっている隼人に今度は彼女の方がニヤリと微笑む。

(このじゃじゃ馬めっ!)

 可愛くない生意気な余裕を見せる『女中佐面』の彼女に、隼人は益々ムッとする。
 こっちの気遣いまでも、そこは敵わぬ女中佐でかわされたようで……。
 だけれど、そんな彼女がふっと呟いた。

「でも、美味しいお店に連れていってくれるなら。別──」
「え?」
「また美味しいお店、教えてくれるなら。乗っちゃうかも?」

 葉月が、そう言って瞳を輝かせた。
 隼人はその瞳に弱くなっているのだ。
 だから……。

「ああ、いいよ。モーニングの美味しい所って事だろ?」
「ホント!? ダメモトで言ったのに!!」

 それでも、彼女が急に無邪気に微笑んだ。
 なんだかその顔でこっちを真っ直ぐに見られてしまい、隼人の方が気恥ずかしくなって俯いてしまった。
 いいや、ここでくるくるとお転婆な彼女にやられてばかりじゃいけない。隼人はハッとして顔を上げる。

「花より団子かよ。お嬢さんらしいな」

 なんて……また天の邪鬼が出てしまったのだが、それでも、彼女はなんにも気にせず──『その通り 』──と、元気よく自転車の後ろに横座りをしてきた。
 隼人がまたいでいる自転車が揺れ、後ろのタイヤがグッと沈んだのが分かる。
 それでも隼人はその後ろにかかった重心の感触が、なんだか急に……。

「ママンの朝ご飯も美味しいけど。たまにはね〜」
「ハーブティの美味しい所なんだ」
「ほんと!? ぐっすり眠れるお茶入れてくれるかしら?」
「ああ、きっと。そういうのあると思うな」

 隼人はその重みを丁寧に扱うように、そっと自転車を漕ぎ出した。

「大尉だって、花より団子でしょ? だって美味しいお店よく知っているもの!」

 背中から、彼女が元気に話しかけてくる。
 隼人はそんな彼女でいてくれると、ちょっとホッとする。
 戦闘機に乗って気迫をみなぎらせても、男を次々と投げ飛ばしても。
 初めて出逢ったあの日のままの彼女はちゃんといると分かるから……。

「生意気なんだよな! すぐにそうして言い返してきて」 

 『可愛くない』と吐き捨てつつ、また、天の邪鬼な自分だと隼人は思ったが──でも、なんだかそれが楽しくて笑っていた。

「いいでしょ? ホントの事じゃないの?」
「まぁね。女は面倒くさいからさ。お嬢さんだってそうだろ? 男って面倒くさいだろ?」

 彼女だと、こんな事も平気で言える。
 彼女はそう言っても笑い飛ばしてくれるのだ。
 比べるわけではないが、あの大和撫子の彼女は理想とプライドが高い女だった。
 こんな事言ったら、即口論になり兼ねなかった。
 だけど、後ろのお嬢さん中佐は──。

「うふふ! そうよね〜。それは悪かったわね〜!」

 ──で、軽く笑い飛ばして終わりなのだ。

 そして、何よりも。
 隼人がちょっと気を遣っただけなのに、彼女はそれを大切に受け取ってくれる……。
 小さな海辺のレストランでも、ママンのホットケーキでも。
 そして、ただ拾っただけの緑の葉っぱも。
 隼人は彼女が小さな事で喜んでくれるのが、自分としても嬉しくなっていた。
 隼人は、まだそれを自覚は出来ていなかったのだが……。

 藤波夫妻が『放っておけない』と言うこと。
 それを知らず知らずのうちに自分もしている……。

 隼人が一生懸命に自転車を町はずれに向かって漕いでいると、道路脇に海辺が広がってくる。
 すると、なんだか後ろの方が動くのだ。
 通りすがりの民家の窓ガラスに映る姿を確認すると……。なんと! 葉月が積み台に立ち上がっていたのだ!!

「コラ! 危ないじゃないか!!」

 隼人は前を見ながら大声で叫んだ。

「大丈夫よ! ホラ!!」

 ホラと、言われてまた民家の窓ガラスにフッと目を流すと……。

「コラ!! やめろ。落ちるぞ!! 座ってくれ!」

 隼人は自転車を停めようとしたが、葉月が立ち上がった上に手を離して翼のように横に広げていたのでかえって危ないと停めるに停められなくて、そのまま漕ぎ続けた。
 それでも不思議と漕ぎにくくないのだ。
 まるで、なんにも乗せずに走っているような軽さだった。
 彼女の『バランス感覚』が素晴らしいのだろう。
 さすがパイロット? と唸った。

 彼女の声が軽やかに朝の空気にこだまする。
 こんなに無邪気な彼女は初めてだった。
 その内に隼人も可笑しくなって、どうでもよくなりそのまま漕ぎ続けた。
 彼女がやっとすとんと座ったようだった。それでも、ちょっと振り返ると隼人とは背中合わせに座り込んで後ろ向きになっている!? それどころか大きくまたいで足を水平に上げて楽しんでいるのだ。
 面白そうに笑っている彼女。
 まったく──なんてお転婆なんだ。と、やっぱり呆れてしまった。

「このじゃじゃ馬!」
「あ! 初めて言った!」

 また、彼女がころころと笑う声。
 じゃじゃ馬嬢どころか『やんちゃ坊主』のようだ。
 その大胆さは『ランチに連れていって!』と言った彼女のまんまだった。

「あのね。大尉」

 そんな元気な彼女が、急に静かになる。
 そして──そよ風の中。妙に甘い声が隼人を呼んでいる。

「なんだよ?」
「大尉は私のこと。『お嬢さん』っていうでしょ?」
「あ……うん」

 必要な公然の場以外は『中佐』とは言わなかった。隼人も今気が付いた。
 康夫が『葉月、葉月』と言うのでお構いなしだった事もある。
 言われてみれば、職務人として失礼かとちょっと反省した。

 だが、葉月はとてもしおらしい声でこんな事聞いてきた。

「私も……。雪江さんみたいに『隼人さん』って、呼んでいい? それとも『兄様』がいい?」

 そこはなんだか、風に紛れて聞き取りにくい声だった。
 でも風の音の中、微かでも隼人はちゃんと聞き分けていた。

「兄様? そんな柄じゃないぜ!」

 令嬢らしい言葉に隼人は大笑いをした。
 ところが今度は──。彼女らしい元気な反応すら返ってこない。
 その隼人の背に伝わる人肌のぬくもり──。そこにいる女の子は今、何を思っているのだろう?
 何故、自分がそんな人が何を思っているのかいちいち気になるのかが分からない。
 それでも彼女の反応がないのは、寂しい気がした。
 その間が……こんなに長く感じるなんて……。

「“隼人”で……いいよ」

 隼人も、風に消されそうな声で返事をした。
 また風の音しか聞こえない……。
 だが、急に荷台がぴょこんと動いた感触?

「解りました。隼人さん! ねっ」

 そんな元気な声が頭の上から降ってきた。

「コラ! 立つなって言っているだろ!!」

 また彼女がころころと笑っている。
 隼人の肩に小さな白い手が柔らかく乗っていた。
 その……暖かさと柔らかさ。
 隼人の中で、小さな花が咲いたような感触が……。

 なんだか──。
 栗毛のお転婆な女の子に“隼人さん”と言われただけなのに。
 まるでマジックにでもかけられたようだ……。
 隼人は肩にしんなりと乗っている白い手を妙に意識してしまった。

 朝早い、潮風の向こう──。
 民家が切れて、道路の下には渚が広がる。
 その道の向こうに小さな渚のカフェがポツンと姿を現した。

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