車庫から二機の機体がメンテナンサー達の手により牽引車で滑走路に出される。
滑走路上に、メンテナンサーが慌ただしく動き始める。
「隼人。お前、御園中佐に付けよ」
同期であるキャプテンにそう言われた。
「なんでだよ」
「お前と今は『ペア』だろ? それにさあ、ちょっと怖いじゃないか。何かあってみろよ? 『将軍の娘』だぜ? 藤波中佐がたきつけたんだ冗談じゃないよ」
彼の不満も尤もだ。隼人は『解った』と葉月の機体に付くことに。
いきなり『賭』みたいな訓練をやりだしたのは中佐の二人である。
それに昨日──。何気なく手に持たせた緑の葉を『お守り』と持たれてしまっては、隼人も彼女が無事に帰ってくるよう祈りながら機体を離陸させ、着陸の出迎えもしてやらなくちゃいけない気になっていた。
康夫の機体がまず、メンテナンスの旗振りで離陸位置についた。
管制塔から『離陸許可』を得て、機体がエンジンの音を高める。
康夫が敬礼をして『グッドサインと敬礼』をコックピットから見せて走り始める。
まだ日が長くて沈まない海辺へと向けて康夫が空に飛び立った。
次はいよいよ──『じゃじゃ馬嬢様』だ。
「中佐。次、行きますよ」
『ラジャー』
通信マイクで葉月と確認を取る。
管制塔からのOK待ち。康夫が邪魔にならない上空に辿り着くまで待つ。
「離陸許可が出ました。誘導します」
葉月に畏れを抱いたメンテナンサー達に代わって隼人が先頭に立つ。
彼女が空を飛ぶ人間だとは解っていたが……。本当にこの娘は空に行ってしまうのか? と、未だに漠然としている感触のまま。
「いってらっしゃい。御園中佐」
『オーライ。大尉』
そんな隼人の合図と共に彼女が康夫と同じくグッドサインを突き出し、おきまりの敬礼を隼人に向けてきた。
ヘルメットをかぶってシールドで目が隠れている彼女の顔はもうお嬢さんには見えない。康夫が言うように“年若い男の子”を送り出すようだった。
彼女を乗せた機体は、空を切り裂く轟音を連れて行くようにして、夕暮れの空高く昇っていく──。
一直線にまっすぐ、あの雲の側まで、あの栗毛のお嬢様は本当に行ってしまった。
隼人だけじゃなく、見学のパイロット達も、メンテナンス達も、研修生も。皆、彼女の機体をジッと眺めて空を見上げていた。
その内に、二機は地上から見ても小さい黒い点になってしまった。
搭乗する前に事を決めた康夫と彼女は事細かく打ち合わせをしていたが、一度も手合わせをしていない『同じポジション同士』の二人が対称的に左右に分かれて滑走路上、地上すれすれで機体の腹を合わせるように交差する。
そんなこと出来るのだろうかと皆が固唾を呑んでいた。
コリンズ中佐の役はチームメイトである葉月の方が引き受けたらしい。
ということは、康夫よりも彼女の方がやや不慣れ的なポジションをこなすことになる。
(どちらも無事にこなしてくれよ)
万が一に備えメンテナンスのキャプテンは『火災』の警戒までして準備をしているようだった。
両機が上空で左右の位置を取ったようだった。
お互いの位置を確認してから左右対称に急降下してくる段取り。
二機がジェットコースターのように急降下してきた。
落ちてくるのも、地上すれすれで交差するのもマッハのスピードでは一瞬のこと。
その一瞬に二人の息が合わなくては命すら危ないのだ。
瞬く間に二人が同じ速度で落ちてくる。滑走路上にいる皆が身を乗り出した。
まるでステレオのように轟音が上空から左右に降りかかってくる。
『来た!』
益々皆が身を乗り出した。
機体一機分のスペースを空け翼が着いてしまうのではないかという程に、二機がアスファルトに対し横向きになる。
滑走路のアスファルトと平行線に飛ぶ二機が徐々にその距離を縮めていく!
その体勢になった途端に、一瞬にして二機が腹合わせですれ違った。
それも、二機の間はすれすれだ!
「ブラボー!!」
その瞬間の直後に響いた隊員達の声──。
その揃った歓声に固唾を呑んでいた隼人はハッと我に返る。
二機は既に腹合わせですれ違った後で、綺麗にまた滑走路の上を横飛びしている……!
上手くすれ違った……。成功したのだ!
湧き上がる拍手喝采の様々な歓声。
先ほどまで不安で、そしてなによりも葉月が女なのに本当にやるのかと半信半疑だった皆が一気にヒートアップしていた。
隼人は逆にヒンヤリとして額の汗を拭っていた。
(な、なんて嬢ちゃんだ!)
もうあれは、女じゃない! と思った。康夫が言うように軍人の時は『男並』なのはもう否めない。
それにふと周りを見ると誰もが彼女が女だと忘れているかのようだった。
中には口笛で興奮している者もいる。皆が空に拳を向けて彼女を讃えていた。
隼人は初めて『彼女は台風だ』と感じた。
既に引き込まれていた周りが……。
これがそうなのか、これが『じゃじゃ馬台風』なのか──! そう思えた。
だがそれも束の間、今度は周りから違う歓声が上がった。
隼人がハッと視線を元に戻すと一機が体勢を崩しているではないか……!
上手く交差出来たものの『やっと』と言うところだったらしい。
しかも体勢を崩しているのは葉月の機体だ! 康夫の方は難無く空へと上昇している。
葉月の機体はバランスが崩れ、空に上がるどころか、翼が地面にすれないように滑走路を真っ直ぐに飛び低く体勢を保っているところだった。
このまま上昇できねば、翼が地面に接触か、機体が傾き墜落──!? どちらにしてもその体勢は長くは続けられるものではない非常に危険な状態だ!
メンテナンスのキャプテンが『緊急体制』を発動しようとしていた。
「待った!」
隼人がそれを止める。
落ち着いて良く眺めていると、彼女の機体は滑走路と海を隔てる金網のフェンスをギリギリにかすめて広い空間に出るのを待っているように感じたのだ。
滑走路で逆に慌てて体勢を直そうとすると何にぶつかるか解らない。
そんな気が隼人にはしたのだ!
──案の定。彼女は滑走路のフェンスをギリギリに通り過ぎ、海上に抜けるなり空高く上昇していった。
誰もが安堵の溜息を、揃って漏らし、上昇していくじゃじゃ馬機を見上げていた。
一瞬のことだが……。深い安堵のため息をつきつつも、安心したなら、また興奮が冷めやらぬ様だった。
上手くいったから、もっと、手合わせをするのかと思っていたのだが、管制塔から『着陸要請があったから準備をするよう』との指示が来た。
空の二人は、この一回で切り上げる判断をしたようだった。
二機を難なく滑走路に着陸させ、無事に迎えることが出来た。
まず、康夫が着陸してきたのだが……。
「さすが中佐! 素晴らしかったですよ!!」
メンテナンサー達が機体に駆け寄って、康夫を迎え入れた。
キャプテンがコックピットから降りようとしているのを見たチームメイトも駆け寄って行く。
しかし康夫は地面に降り立つなり……。
「くそ!!」
そう叫んで、脱いだヘルメットを地面に叩きつけたのだ。
『キャプテン?』と戸惑うチームメイト達の声に構わず、康夫はズカズカと歩いて車庫へと姿を消してしまった……。
(悔しいだろうな)
隼人には康夫の気持ちが分かる。
隼人が見ていた限り、康夫の方が、彼女に合わせてもらっているように見えた。
すれ違った時、康夫が入ってくるタイミングに彼女が合わせてくれたのだ。
そこへ合わせるために、康夫の出方を測っていた彼女のほんのワンテンポおくれたズレが彼女の機体のバランスを崩したように感じたのだ。
言ってみれば、康夫はライン通りに突っ込んだだけ。
クロスの形が綺麗に決まったのは、彼女が軌道取りを上手く調整したからなのだろう。
きっと康夫はそれに気が付いたのだ。
彼女はこの『フォーメーション』は、チームメイトと何度となく練習してきた。
彼女の方が、一枚上手なのは当たり前と言えば当たり前なのだが、負けず嫌いの康夫にしてみればいくら『女じゃない』と見ていても、実際は年下の女性なのだからこんな時はより一層悔しいのだろう。
康夫の機体を迎え終わり、今度は上空を旋回している葉月が着陸態勢に入る。
隼人は彼女のコックピットに向かって、誘導灯を大きく振って迎え入れる。
(それにしても、ここまでやりのけるとは……)
隼人は、葉月の力におののきながら、彼女の機体を空から無事に迎え入れた。
着陸して彼女がコックピットから降りてくると、今度は研修生達が駆け寄ってきた。
そして隼人も──。ヘルメットを脱いだ彼女に『お見事。お疲れさま』と、隼人は笑顔で労う。
しかし彼女も康夫と同じく笑顔はなかった。
そして、無表情に静かに人波をかき分けて車庫へと行ってしまった。
「中佐。あんなに汗かいてる……!」
彼女の機体へと駆け寄ってきた生徒の一人が呟いた。
結構、分厚い綿作りの飛行服の背中が濡れていたのだ……。
そこで初めて判る。彼女もそれなりに極限状態に追い込まれての飛行だったのだろう。
一歩間違えれば事故になりかねない状態だったのだと──。
二人のパイロットがいなくなった後。
隼人は、メンテナンスのキャプテンの指示で機体を車庫に移動させる。
康夫と葉月は何かしら『わだかまり』が残ったようで姿を現さなかったが、康夫のチームも、隼人の生徒も、何かしら活気づいていた。
二人の賭のような無謀な訓練は、周りの者を活気づけるには大いに良い影響になったようだった。
それでも隼人は──。
ふとそのまぶたを閉じる。
自分より小さな身体、華奢な身体で背中に汗を一瞬でにじませる彼女が『なにか目に見えない大きな物と闘っている』ように見えた。
それがなんだか痛ましいように感じてしまい仕方がなかった。
・・・*・*・*・・・ ・・・*・*・*・・・
その後、隼人は生徒達に一言二言の教訓を付け加えて、寮に帰した。
葉月が乗った機体を他のメンテ員と整備を済ませ管制塔にある当直待合室に向かう。
「すごかったな。どっちがレベルが上だと思う?」
隼人は久しぶりにあった同期生のメンテキャプテンと並んで通路を歩いた。
その彼が興奮気味に話しかけてくる。
だが、隼人は彼の興奮とはうらはらに、冷めた声で答えた。
「どっちもどっちだろ?」
「隼人らしいな。『俺には関係ない』って?」
彼が可笑しそうにクスリとした笑い声をこぼした。
「お前は俺にキャプテンの座を譲るために『教官に退いた男』だからな。何が上とか下とかになるとそうやってそっぽを向くんだ。嫌味なヤツ」
今度の彼は、ちょっと不満そうな苦笑いを浮かべている。
だが隼人はそっと笑って返す。
「別に。お前の方が何でも器用だろ。それに俺は、キャプテンなんてめんどくさいからな。やる気ないわけ。やる気あるヤツがやって当たり前だろ? だからお前こそふさわしかったんだよ。お前じゃなくちゃいけなかったんだ」
すると彼は納得していないような致し方ないといった笑みを見せ、何にもいわずに隼人の肩を叩いた。
「体勢は崩したけど……。御園中佐が藤波中佐に合わせたといったところらしいな」
栗毛でスポーツ刈りの彼がグローブをはずしながら、つぶやいた。
『ん、やっぱこいつには解ったか』と、隼人は思った。
若い奴らは『体勢を崩した御園より、藤波が上』とささやく者がいたのだが、この同期生はちゃんと見ていたようだ。
「悔しそうだったな。藤波中佐」
「でも、彼女は島で既にこなしてきたことだから、出来て当然じゃないのか?」
「ハハハ! 隼人はやっぱり女にも厳しいな」
「あれだけ飛べたら、女扱いする必要ないだろ?」
「まぁな。ちょっとショックだった。彼女みたいなヤツが島にはゴロゴロしているって事。それも、男の方がな。男なら、彼女より出来て当たり前だろうし……。メンテナンスチームも充実しているんだろうな」
同期生のやるせなさそうな微笑みに隼人はまた唸った。
ここにも一人。彼女が巻き込んだ男がいると。
『なんだか、引き込まれるんだよ。負けてらんねえってなって来るんだ!』
康夫の言葉がまた過ぎる。
(なんて事だ。彼女はマジで台風だ……!)
自分が恐れていたような台風ではなかったが、それでも驚きは隠せなかった。
そんな夕方の訓練だった──。