本当になんなのだとリッキーはひたすら溜息をついていた。
その隣にいる男も同じようだが?
同い年、同期生、就いている職も同じ主席側近である男二人。
未だに艦長室にいた。
呆れたジェフリーが『一族で積もるお話でもどうぞ。私達は業務にもどります』と、側近中佐を伴って出ていった後だった。
まあ、気を利かせてくれた部分もあるのだろうが、だいたいは見限られポイッと彼の視界から二人揃って放られたと言う感じだ。
やり手の青年中佐ふたり。
最近、大佐に抜擢されたやや年上であるトーマスには……適わなかった結果に。
「なんか俺達、すっげえ馬鹿に見られていたぞ」
マイクが頬を染めてぼやいた。
それは『お前が突然来ていたせいで』こっちも同じ気持ちだとリッキーも食いつきたいところを堪えたが、言っておきたい文句を一言。
「行くなら行くと一言、連絡よこせよ……! これから『嫌でも連携』していかないといけないだろう」
「悪かった」
マイクが素直に詫びてきたので、リッキーは驚いたりする。
彼は二世隊員のリッキーとは違って、裸一貫でがむしゃらに御園に尽くしてきた男だ。そのがむしゃらで、何故かいつもライバル視される。
リッキーとしてはマイクのことは、まあ出来る同期生ぐらいにしか思っていないのだが、マイクは元々一族との縁も一世単位なので、両親と共々御園と関わっている二世のリッキーにはすぐにムキになる。
その彼が素直に詫びた……。
「そんなにレイが心配だったか」
リッキーも心を滑らかに正して、長年の戦友とも言うべき同期生に静かに尋ねると、彼はここも素直に『ああ』と答えた。
その顔がなんともまた、フロリダ本部で一番の側近と言われている男とは思えない弱々しい顔だ。そんなライバルの顔を見て、リッキーは苦虫を噛みつぶす思い。
この男。普段は冷徹でやり手でリッキーだって認めているのに、『そうでないただの男』になると意外と『純朴すぎて』、その田舎から出てきた少年の頃を思わす姿を時々見せたりするのだ。そうするとちょっと情けなく思うのだが、実はそれが彼の良いところでもあったりする。
田舎育ちから本部一注目をされる秘書官に上り詰めた男が、その純朴な顔をしているのだ。
それだけ──心配だった、会いたかったと言うことになるのだろう。
そう思えたリッキーはもう鉢合った不手際に対して文句を言う気がなくなった。
「元気だっただろう」
「とてもいい顔になっていたな。想像以上だった」
『だろ』とリッキーも微笑むと、そこは同じ使命感を抱き続けているライバル、彼も同じように嬉しそうに微笑んだ。
「それはともかくとして──。レイに本当に顔を見せていくのか? まずくないか?」
マイクの心配に、まだ葉月と会っていないリッキーはううんと唸った。
だが、こちらもいろいろ思うところあってやってきたのだ。これでのこのこと帰ると小笠原で待っているロイとひときわ心配している美穂夫人にどやされる。
そうマイクにも言うと『はあ、なるほどな』と理解を示してはくれた。
やっと『昔馴染み』の心構えで、二人で話せるようになって、リッキーはマイクにふと尋ねてみた。
「最近、『先輩』からは……?」
「まさか。御園稼業を維持するために頑張ってもらっているのは変わらないが、先輩もある意味『勘当状態』だぜ。ママに合わせる顔がないんだ。ママ、サワムラ中佐を気に入っていたからな。『今更』でレイを持っていこうとしたこと、凄く怒っている」
マイクの報告に、リッキーも溜息をこぼす。
「ほんっとにあの先輩の『間の悪さ』には、昔からやられるな」
「ああ。もう、頭が痛くなるよな。小笠原もご苦労様だったよなー」
やっとマイクが労ってくれて、リッキーもほっとした笑顔を見せてしまった。
「まあ。俺達が『そうはならないだろう』と思っていた結果を出してくれた」
「そして、レイは今、輝き始めている──」
二人で顔を見合わせ、微笑み合う。
その昔、一人の勇ましい女性の為に精進することを誓った男二人。栗毛の男は幼馴染みと慕っていた兄妹同然だった女性のために。青い目の男は力無かった自分に強烈な勇ましさを見せつけた女性を越えるために。だが、お互いのそれぞれの目標を重ねたその女性が亡くなってしまい、一人は前衛的な若将軍の秘書官に、一人は御園本家の秘書官にとその地位を確かにしてきた。──お互いに目標を変えても、未だにその目標を達成できない虚無感のまま、ずっと走り続けてきた。そこはいつも張り合っても『誰よりも同志』だった。
そして今、二人の青年秘書官が一緒に見守っているのは、その目標だった女性が守り残した『妹の行く末』だった。
小さなお嬢ちゃんも色々あった。
今、二人の男は共に黙っているが、その言葉を一緒に思い浮かべ、様々な苦難を思い返しているのがお互いに分かった。
そしてその様々な、苦しかったり哀しかった出来事を通り抜け──。その小さなお嬢ちゃんは、その昔、二人を和ませてくれた輝く瞳と笑顔を取り戻し、ひときわ美しく煌めく女性へと遂げようとしている。
それも嬉しいことに『彼女自身』が自分で手に入れたものだった。
誰かが守ってやらねば、その囲いから出ないのならそこで生きていくことが出来るように……という思惑を……破って……。リッキーはマイクもそう思っていることを感じ合いながら、その喜びに微笑みたいのに。そう思った時だった。
「どうしてだ──! 何故、このままと思えないんだ!」
「──! マイク」
マイクが急に苦悩するように黒髪を掻きむしりながらうなだれた。
そこも同じだ。リッキーがそう思いきれず微笑みが素直に浮かべられないのと同じように、マイクが叫んだ。
その『心配』が膨れに膨れて、彼がフロリダからわざわざ出てきてしまったのも──。もう、非難しようとは思わないほど、同感だった。
「あの男。早くひっつかまえて終わらせたい!」
マイクの表情が憎々しいという形相に変わる。
一族を苦しめた、そして未だに不安を色濃く残す男。
しかも『最初の事件』だけじゃない。こちらが軍人である以上、彼とは何処かで『鉢合う』ことも多々あった。
しかし鉢合うと言っても、彼の姿を見るわけでもない。事が片づいて調査をすると、その男が影にいたと判明したりすることが何度かあった。奴が手引きしていたと知った時の悔しさ。彼は分かってやっているのだろうか? 『あの一族』が悔しがっている姿を何処かで見てほくそ笑んでいるのだろうか? それだけなら『裏世界を探れば必然的に出会ってしまうこと』と割り切れる。問題はその男が、どれだけ一族を嘲笑い続けるために生きているかだった。
幽霊のような男。ロイは『執拗なゴースト』と呼んでいるぐらいだ。一族を呪い続けているかのような男だ。接触は試みなくても、彼の嘲笑いが聞こえてくる。彼が最初に皐月という美しい女性に白羽の矢を立てた時のように。そこに偶然いた愛らしいだけの汚れのない少女葉月を餌食にしたように。心の憂さを晴らすが為に姉妹をいたぶり、地獄を見せた時の快感を、今でも鮮烈に思い出してはほくそ笑んでいるかと思うと……。
「胸くそ悪い! どうしたら捕まえられるんだ」
リッキーも拳を握って頬を引きつらせた。
フロリダの御園も、そして小笠原の若大将であるロイも、どちらも尻尾を掴めずじまい。気が付くと損失を受けている始末。つまり『惨敗状態』なのだ。
そして──『黒猫』でさえも。
「連絡がないから、先輩もまだ見つけていないのだろうな」
マイクの力尽きるような弱々しい声。
リッキーも額を抱える。
「せめて『顔』が分かれば……」
リッキーが思わず呟いた言葉に、マイクが飛びかかってきた!
「なんだと!? お前、レイに思い出せって言うのか……!!」
「す、すまない。つい……。そんなことは!」
流石のリッキーも、ものすごい形相で襟首を掴みあげるマイクに反抗することが出来なかった。
そうなのだ。はっきりとした正体が判っていないのだ。
ロイがそう言っているように、『執拗な幽霊』という呼び方で存在しているだけ。
なのに彼は確かにこちらを見ているはずなのだ。いつもこちらは見られているのに彼は相手からは見えていないことに、見透かした笑いを浮かべながら『俺はなんでも解る』とばかりに優越感を噛みしめているだろう。
『何不自由ない裕福で幸せなはずの一族が、苦しんでいるぞ。お前達は何故、自分がこんな苦しみ方をしてしまうのか分かっちゃいないんだろうなあ』──『俺が教えてやるよ、裁いてやる』──何故、そんな声が聞こえるかって?
『男が、男が──私達を憎んでいる。幸せなのが許せないって憎んでいるの。なにも知らないで笑っているのが許せないって怒っているの。だから、だから私が泣いていると笑っているの、笑っているの!』
事件の直ぐ後、一命を取り留め、意識を戻した幼い葉月が、錯乱状態となりそう言ったからだ。
そう言いながら、一人の男がナイフを何度も振りかざし、笑いながら自分を殺そうとしたんだと──。
それっきり。彼女はそのことは言わないし、言ったことも覚えていない。そしてそんな『場面』は記憶の底に沈められたのだ。
つまりその男に『大方の予想』はつけてはいても、『本当は誰であるか』を確定できずにいた。
判っているのは、当時軍に所属していたある青年が事件の主犯格であるのではないかという『予想』と、時が流れ裏世界で名が知れているその『存在感』。そしてそれを一致させた『幽霊の噂話』だけだ。
そして唯一、『顔を知っている』一人であったはずの皐月が、たった一人のリベンジを決行し、返り討ちにあった。
彼女はたった一人でのリベンジを起こすため、『顔は覚えていない』と言い張っていた。愛している純一にさえ口を割らなかった。自分を辱めた男の顔など、知られたくなかったのだろうか? それとも怒りに燃える彼や親族が思いきったことをしないため、ずっと心に忍ばせていたのか。ともかく、彼女の死で最後の一人であるはずの男は『幽霊』となった。
そして純一が決意をした。自由に動ける世界『裏世界に身を投じる』と。生まれたばかりの息子を実家に残る実弟に託し、己は死んだかのように姿を消した。それを──誰もが見送ってしまったのだ。
『葉月には思いださせるな。俺が必ず捕まえる。皐月の敵を討つ』
それが『黒猫』という名を持つことになった男が去る時に言い切った言葉だった。
──『顔』。
それが判れば、容易い事になるのかもしれない。
だが今『顔』を知っている人間はたった一人だ。
その記憶をどこかに隠してしまった『葉月』一人だ。
それを思い出させない方向性のみで、幽霊を追ってきたのだが……。
「マイク! 聞いてよ!!」
『!!』
男二人の淀んだ静けさをうち破るように、艦長室のドアが開いた。
そこから騒々しく入ってきたのはマリアで、二人の青年中佐は揃ってハッと元の世界に帰らされた。
「マリー。どうした?」
「ひどいのよ! ひどいのよ!!」
半泣きのマリアがマイクに飛びついてくる。
それをマイクが思わず胸に抱き留めたので、リッキーは『おい』とおののいてしまったのだが。
「何があったんだ、マリー」
「だって……! 葉月から凄いこと聞いちゃったんだもの!」
「だから、それが……?」
『何年も想っていた女に振られて落ち込んでいる』と聞かされていたリッキーとしては、『女に懲りてないな』と鼻じらみたくなった。
だけれど、リッキーも顔なじみであるはずのマリア嬢は、リッキーなど見えていないかのようにマイクにすっかり馴染んでいるじゃないか? リッキーの記憶ではマイクはレイに対してしつこいブラウン嬢の事は敬遠していたと思ったのだが、これも『レイマジック』なのか。昨年の葉月の帰省で、どうやらこちら二人の関係はグッと距離が縮まったようだ。
マイクのこういうところが『純朴』というのだろうか? 最後にはどこか甘くなる。田舎から出てきた『ピュアボーイ』な部分が根底に残っている気にさせられる。何事にも割り切って秘書官を貫き通したい信念を親世代から受け継いでいるリッキーとしては、そこがライバルとしてちょっと憎々しいところ。
しかし、横目で眺めていると──『彼女、綺麗になったなあ』と、ふと思ってしまった。マイクの胸元でしおらしくしているせいだろうか? まだあの海野達也の夫人だったときの方が、醸し出している雰囲気は若妻というだけでまったくそんな女性らしい匂いは感じなかったぐらいなのに。
そんな麗しい眩いブラウン嬢の肩を撫でてなだめているライバルの顔も、まんざらでもない気がしてくるので、リッキーは再び、呆れた溜息をこぼしたところ──。ブラウン嬢が、やっと賑やかしく飛び込んできた訳を告げる。
「だって! 別れた達也に、新しい恋人が出来たって言うんですもの!」
「え!?」
「なんなのよ! 葉月のために一生やっていきたいというから送り出したのに!! 私が馬鹿みたいじゃない!」
その報告にマイクも驚いたのか……。
小笠原にいるリッキーに答えを求めるように視線を向けてきた。
「知らないなあー」
いや、知っているが。
まだ本人からも葉月からも報告を受けていないので、とぼけるしかないのだ。
ただ『噂』は立っている。
あの海野中佐がいる官舎に事務官の女性が通っているという『噂』だ。
リッキーの勘では『本当だろう』と睨んでいる。
葉月の側近と返り咲くために送り出した元夫の新しい恋の話。
しかしそれに狼狽えていたのは? もしかすると目の前で困惑顔になっているマイクかもしれなかった。
リッキーは思った。『これって二人とももうとっくなんじゃないか』と。恋人ではないようだが、親密な交流はしていると聞かされていた。だがお互いに別れたばかりの異性がいるからそこでとどまっていたのだろう?
(もう、いっちゃえよ)
マイクのそういう、結局は恋には不器用で奥手なところが、またもや『純朴なピュアボーイ』と苛ついてしまうのだ。
それにブラウン嬢も、今はそんなふうに怒っても──。結局、今はもう、心は別れた夫になど微塵も残していないはず。そうして今、マイクを甘く見あげたように。
またもや、なんてなんてじれったいことを。
前の女の時も、別れた振りまでして彼女の思うままにして逃げ切られないように側に置いていたのかもしれないが、そこで強引にでもがっちりと捕まえておかなかったから逃がしたんだろう!
──と、リッキーがさらに苛ついた時だった。
「マリアさん──? ここ?」
「!」
まずい。やってきたのは賑やかしいマリア嬢だけでなく、愛らしい大佐嬢もそこにやってきた……が、既に遅し。隠れることなどできやしなかった。
「リ、リッキー!? どうしてここにいるの!?」
勿論、ものすごく驚いている葉月に、リッキーはいつものにこやかな笑顔を見せる。
「陣中見舞いかな」
「……マイクと同じ日に?」
「偶然だ。本当に偶然だ。艦長に聞いてみたらいいよ。俺達は別々に申し込んだんだ」
「ふうん? マイクが来ることを教官はわざと黙っていたぐらいに『共謀』していたみたいだけど〜」
リッキーも『教官とマイクと共謀したのでは』と、葉月が疑わしいとばかりに目を細め、横目でリッキーを見ている。
こういうところ、油断できないオチビちゃん。リッキーはどうやり抜けようかと頭の中で次なる言葉を探したところ……。
「本当だよ、レイ! このクソリッキーと鉢合って、胸くそ悪くて文句を言い合っていたところだ!」
マイクがいつもの調子で『助け船』を出してくれる。
言い方が気になるが、ここは乗せてもらわねばならない。
「それはこっちのセリフだ! なんで俺達がいちいち連絡を取り合って『レイに会いに行こう』なんて仲良く相談しなくちゃいけないんだ!?」
「ああ、そうだ、そうだ。こんな『見せかけニコニコ』な腹黒い男と一緒の輸送機に乗るだなんて、ムシズが走る!」
ワザと言ってくれていると判っていても、なんだかリッキーは本当に腹が立ってきて、思わずマイクを本気で睨んだ。
「ふん。結局女には弱い農村育ちのピュアピュアボーイが」
「! なんだと!? 農村を馬鹿にするな!! お前、その農村の産物ででっかくなったんだろうが!」
「もう、やめてよ! お兄ちゃま二人はどうしていつもそんな喧嘩をするの!?」
久しぶりに幼い口調になった葉月の叫びに、二人は口を閉ざす。
実際、本気であって本気ではなかった『誤魔化しの言い合い』をやっと止めてもらった気分だ。
「本当。信じられない。マイクがこんな子供っぽい言い合いをするなんて」
「マ、マリー! そうじゃなくて……」
噂の秘書官二人の言い合いに唖然としていたマリアがしらけた眼差しをマイクに向けた。
「そうそう。実はね〜マリア嬢。こいつが子供っぽいのは田舎から出てきた時からで。もう僕はそのころから彼に引き合いに出されてうんざりしているんですよ」
「まあ。そうでしたの? ホプキンス中佐……。なんだか、そんな気がするわ!」
「もう、彼のレベルに合わせるのが一苦労で」
「分かるわ〜」
昔馴染みであるリッキーの言葉に、マリアが妙に納得していた。
「普段は嫌味なくらいのポーカーフェイスをしているくせに、時々変なところが『大人げない』のですもの」
「そう! そうなんだよね。マリア嬢、分かってくれて嬉しいよ」
「なんだっ、マリー! 君まで……!」
マリアとリッキーは『お久しぶり』という挨拶もそこそこに、マイクを引き合いに意気投合。
二人で頷き合うと、マイクが本気でムキになっている。そう言うところが『まだまだなんだよ』とリッキーはほくそ笑んだのだが。
「──本当は何しに来たの」
『!』
葉月が本気で睨んでいた。
誤魔化せると思ったのに、マイクとリッキーは無駄でくだらなすぎる言い合いをしただけになったかと顔を見合わせた。
すると──真ん中にいたマリアが何かを悟ったのか、また、元の話を蒸し返し始める。
「達也のこと、許せないじゃない! 今、マイクにもそう言ったところよ。どういうことなのよ。葉月!」
すると葉月は、そこもちょっと飽き飽きした顔。だが、マリアのその騒がしさに、妙な鉢合わせでやってきた兄貴分二人のくだらない言い合いのことから目は逸れたようだ。
「──その女性が、すごすぎたのよ」
「どんなふうにすごいのよ!?」
マリアのその納得することが出来ない訴えに、葉月がとても遠い目をする。
するとマリアも燃え上がってしまった感情を少しは鎮めることができたようだ。
そして、マイクも……。葉月がどのようなことを告げるのかマリアのために緊張しているのがリッキーにも分かる。
そして、リッキーも『小笠原基地噂の真相』をやっと聞けると、耳を傾ける。
葉月が静かに呟いた。
そしてその告げる顔はとても女性らしさを想わせる柔和で暖かい微笑みを携えて……。
「相手を想っているから、自分の想いが報われなくても、相手のためになることならば、ただ懸命になれる。そんなひたすら真っ直ぐな想いをずっと持っていた女性なの。いざという時、その想いを強さに変えて向かっていける。私もあんなふうに人を愛したいと感動させてくれた女性よ」
──何故か。葉月が穏やかにそういうと、そこにいた三人は黙ってしまった。
少なくともリッキーには『あの信念強い達也』がその女性に想いを傾けたというだけで、その噂の女性事務官の人柄が伺えた気がしたのだ。
それに葉月は、その女性が体が弱いことと、その体を押して仕事を頑張っていることも三人の前で話してくれた。驚いたのは──達也とその母親の話だった。二十年以上も音信不通になっていた母親との間を、彼女が頑張って取り持ってくれたという話には、リッキーも驚いた。だが、そこはマリアが一番、驚いたようだった。夫妻だった時、彼女は夫のそこの問題も触れずじまいで流して終わってしまったということらしいから、自分が妻だった時よりも、そこを勇気を出して突き破った女性だと、痛感したのだろう。
それは元妻だったマリアにも『あの達也がそうなったほどの女性だ』と、分かったようで、彼女も神妙な顔で静かになった。その姿は少しだけ、情けなさそうにうなだれている気がする。その証拠に、そんなマリアをマイクがそっと肩を抱いて労っていたから。
だけど、マリアは次には吹っ切れた確固たる強い眼差しになって顔を上げた。そして一言、葉月に言う。
「葉月はそれで良かったの?」
その率直な質問には、マイクもリッキーも固まったし、葉月もやや面食らった顔をしている。
だけど葉月はすぐに、あの柔らかな微笑みを浮かべていた。
「──勿論、達也が幸せになるなら。でもちょっと寂しいけどね。だけど私達、これから一緒にやっていくことは変わらない」
「そう。葉月がそういうなら、良いわ」
そこで話が終わったかのように静かになった。
マリアはもうマイクを見上げて微笑んでいたし、マイクもそれを受け入れたようだ。
その二人の妙で曖昧な様子にはリッキーも苦笑いだが、雰囲気が和らいだところで、目的の一つを実行する。
「レイ。陣中見舞いだ。ほら」
リッキーはにっこりと側に置いていた荷物からいくつか重ねた箱を差し出す。
「チョコレートの詰め合わせだ。横浜で買ったんだ。女の子同士で分けたらいい」
「わあ! 食べたかったの〜! 女の子達に配るわね。味気ない航行生活、きっと喜ぶわ」
差し入れに笑顔で飛びついた葉月にほっとするリッキー。
だが、負けていない男がまた。
「あ、レイ。俺もお土産だよ。クッキーの詰め合わせだ。マリアと選んだんだ」
「わあ、クッキーもゲット!? 有り難う! マイク、マリアさん!」
葉月が沢山の箱を抱え、とても満足そうな笑顔。
『準備が良いな』
『ふん、そっちこそ!』
昔からそうだ。妹分へのお土産が重なる。
二人はまたもや睨み合って、今度は本気で顔を背け合った。
「このクッキー。マイアミで最近話題の菓子店で買ってきたのよ」
「有り難う。マリアさん──。甘いものが恋しかったの! 嬉しい!」
また途端に無邪気になり箱を抱きしめて喜ぶ葉月を見て、流石にリッキーもマイクもここは一緒に和やかに微笑み合う。
マリアと葉月の関係も、今後は強き頼りどころになりそうで心強い。本当に『陣中見舞い』が目的でやってきたリッキーではあったが、初めて目にする『幼馴染み姉妹』を見て、これは良いものを見たなという気がした。
柔らかな様子で微笑み合う栗毛の女性二人。
そうだ。懐かしい。
栗毛の姉妹がそこに蘇った錯覚を起こした。
それはマイクもそうなのだろうか。彼も遠い目、そして見守るような眼差しで二人を暖かく見つめていた。
・・・◇・◇・◇・・・
なんだか腑に落ちないが──。
でも葉月は『それが目的だ』というマリアの母艦見学にマイクと付き合った。
リッキーは陣中見舞い。パイロットやウォーカー中佐、そして付き添い医師であるジャンヌに会いに行ったようだ。
彼女を管制室に連れて行き、航行中の空域パトロールなどの様子を見せたり、ジェフリーの許可を得て実務中である現役管制員に質問してメモを取ったりと、それは本当に『真剣』にやっている。それに耳を立ててマリアの質問を聞いていると、隼人が時々ぶつぶつと言っているような内容と似ていたので『同じ課題に取り組んでいる工学マン』なのだなと、妙に納得出来ていた。
それをマイクと一緒に葉月は遠くから眺めていた。
「こちらの日本の企業にも、女性が幾人かいるのよね」
「そうなんだ。それはマリーも喜ぶだろう……。いや、結構、ライバル心燃やしたりして」
「そうかも」
負けん気が強いマリアの性格を思い、葉月はマイクと苦笑いをこぼした。
でも……。である。
「だけどマリアさんは裏がなくてまっすぐだから良いのよね」
「ああ、目的には純粋にまっしぐらなだけだ」
彼女を暖かい眼差しで見守る青い目のお兄さんを見て、葉月は久しぶりに彼に向かって『うふふ』と意味深な笑い声を聞かせてみる。
彼がいつもどおりに、そんな葉月の『おしゃま』に構える硬い顔になったのも、葉月は楽しくて仕方がない。
「あら? マイクって結構、マリアさんのそんなところ嫌がっていなかった?」
「それはレイが嫌がっていたからじゃないか」
葉月は『う』と、痛いところをつつき返されて顔をしかめた。
そうだ。葉月がマリアの強い姿勢に逃げていたから、妹分に甘い兄様分のマイクが同調してくれていただけ。それがなくなれば、マイクも違う目で彼女を見ることが出来たのだろう。──つまり『葉月が悪い』のだ。
だが、それももう終わったことだとばかりに、マリアから目を離さないマイクが微笑む。
「まあ、俺も賑やかしい女性は好きじゃなかったけど。でも、マリーは根本が凄く優しくて、懐が広いよ。ちょっとした姉御肌だし、結構、頼りがいがある」
「うん。そうね。私もマリアさんのそんなところが大好きよ」
「きっとこれからもずっと、彼女はレイの強い味方だよ」
葉月は『うん』と笑顔で頷いた。
それにこうして眺めていると、彼女──とても『スマート』になった気がする。それは体型のことではない。何事にもぎらぎらと騒いでは周りを困惑させていた彼女ではなく、何事にも落ち着いてやんわりと接している姿のことだ。前の彼女ならちょっぴり管制員もたじろぐような突撃型の接し方をしていたかもしれない姿が浮かぶけれど、今目の前で見えるのは、管制員達もマリアの落ち着きある前向きな姿勢に快く丁寧に協力してくれている静かなやり取りだ。とてもスムーズで見ているこちらも安心する。と、隣のマイクが言い出しそうなほどの、彼女を見る目が誇らしそうなのだ。
(パパがほのめかしていたこと。こういうことだったのかしら〜?)
昨年、父の亮介から『マイクは最近、マリアと仲が良くて、工学科の人間とも親しくしている』と聞かされていたが……。もしかするといずれは……と、葉月も感じた。今はまだ、そこまでではない様子だけれど。
だけれど、マイクのこんな楽しそうな顔が見られてほっとした。昨年、葉月がフロリダに帰省し小笠原に戻る頃、この大好きな兄様は大失恋をしてとても見られたものじゃない落ち込んだ姿を見てしまったから……。心配はしていたけれど、でも、もしかするとそこは『賑やかしい彼女』がいつのまにか癒してくれたのだと葉月は思えた。
「マ・イ・ク! 今度の彼女にはどんなトワレを贈るの〜?」
またいつものようにおしゃまにからかってやろうとしたのだが、前ならちょっとは狼狽える青い目の兄様がこの日はにっこりと優しく微笑んだので葉月はどっきりとした。
「グランサンボンかな」
躊躇いもなく、そして葉月に気づかれても良いとばかりに、マイクがはっきりと答えたので、葉月はついに固まった。
『グランサンボン』という香水は、マイクが昨年の葉月のバースデープレゼントに贈ってくれた香水『ジバンシーのプチサンボン』とお揃いで、『ちょっぴりお姉さん』というコンセプトで作られた同じくジバンシーの姉妹品だ。
そのお姉さんトワレは、『花』の香りだった。
そう……先ほど、彼女と再会した時に香った匂い。
──と、いうことは!? 葉月はひたすらマイク兄様を見つめてしまった。
そんな驚き顔の妹分を見ても照れることなく、マイクは微笑む。
「だけど、そろそろ。きらきらしている彼女には彼女だけの香りをプレゼントしたいね。今度は『調香オーダー』にしてみようかな」
「素敵ね、それ。いいなー」
「レイは、サワムラ君に作ってもらいな」
「えー。兄様からはもう、もらえないの?」
するとマイクが笑った。
「兄様も忙しくなりそうでね。ごめんな、レイ」
去年はなんでもかんでも葉月に構ってくれて、甘やかしていろいろと買ってくれた兄様だったが。それはもう『卒業』という顔をされてしまった。
だけど、葉月は『かなり残念!』と言いながらも、そこまで言い切った彼の言葉に『これは降参』と最後に呟く。こらからは兄様の新しく芽生えている気持ちを、そっと心の奥で応援することにした。
まあ、からかい話はここまでだ。
マリアがまだ真剣にメモを取っている間に、葉月は元の大佐嬢に戻って話を始める。
「それで。ブラウン大尉のそういうパワフルな『やる気』をちょっと見せつけたいのよね」
「──なにか?」
マイクも中佐の顔になって、葉月のニンマリとした顔に首を傾げている。
「あれこれ考える間がなくなるほどの、新しい形での『女性同士だからこそ生まれるポテンシャル』をめいっぱい刺激しまくって引っかき回して、引き出して欲しいのよ」
「……なんだ? レイ。今度は何を考えているんだ? やめてくれ。二人が手を組むと結構、手強い」
あら、認めてくれるのと葉月は笑った。
マイクはその経験者。昨年、女の子二人の間で散々振り回されたことを思い出したのだろう。苦笑いをこぼしていた。
「ああじゃなくちゃ。日本の女性の型は破れないわね。どちらの女性にも上手くやり遂げてもらいたいのよ」
「なんのことやらだけど? まあ、そういう女性の話ならマリアに話してみたら良いだろう。彼女なら、その点ではまっしぐらにやり抜くと思うよ。フロリダでは女性隊員にも結構支持され始めている姉御さんだから」
「ええ、勿論。期待している。協力してもらわなくちゃ」
やや思い描いていたことが、今日、マリアに会って輪郭がはっきりしてきた気が葉月にはしていた。
これは会えて良かったと──。
「すごい参考になったわ! ねえ? 葉月も指揮官として何か思うところない?」
その質問。少し前に『青柳佳奈』からもされたなと、葉月は微笑んだ。
あの時は漠然として答えられなかったけれど──。
「私も一緒に飛んでいるような気分になれる通信が欲しいわ」
そんなこと、不可能だと分かって言った。
だけどマリアは『無理』とは言わなかった。『なるほどね』と真剣な顔でメモに取ってくれる。葉月はなんだか感激した。だから、もっと言葉にして彼女に伝える。
「そして、攻めるのではなく、誰をも守れるシステムがあったら……嬉しい」
「うん。私もそう思うわ。だから立ち上がったんだから。撃ち合いの時代は終わったのよ」
それで彼女は『銃器工学』から『空軍工学』に移行したのだと達也から聞いていた。
だからこそ。彼女は葉月の漠然とした『希望』でも、真面目に受け入れてくれている。
きっと彼女なら。葉月の漠然としているこの思いを具体化し実現してくれる。そんな気にさせられて、葉月は嬉しくなってきた。
彼女もきっと、これから羽ばたいていく。
葉月にはマリアの背中にも翼が生えてきているように見えた。
自分の背中は今、どうなっているのだろう?
純兄様が見つけてくれた『羽の芽』は、どれだけ成長したのだろう?
久しぶりに、そんなことを振り返っていた。
・・・◇・◇・◇・・・
日は沈み、空母艦の周りは暗闇に包まれる。
マリアと一緒に夕食をとり、艦長室でジェフリーも兄様二人も交えて、楽しいお茶の時間を過ごした。
乗員達が交代で休息に入る時間帯がやってくる。
その頃、賑やかな時間を運んできてくれた三人が同じ輸送機で帰る時間がやってきた。
「葉月、頑張ってね」
「来てくれて嬉しかったわ、マリアさん。本当、有り難う」
夜になると風は止んでいて、粉雪がちらつちているだけになっていた。
その穏やかな夜空を見せる甲板で、女性同士柔らかに抱き合った。
葉月よりマリアの方がなかなか離してくれなくて、最後はとてもきつく抱きしめられる。
この時も葉月はふとマリアのその強い想いに違和感を感じたのだが──。
「レイ、元気で。何かあったら俺にだけでも遠慮せずに言っておくれよ」
マイクも別れ際となるととても寂しそうな顔をしてくれる。
葉月はその兄様の優しさに微笑み返す。
「マイクにも会えて嬉しかった……」
そして葉月は家族同然の兄様に勇気を出して伝える。
「パパとママにも……。私は元気だって伝えて。来年になったら時間を作って会ってくれなくても会いに行くわ」
「レイ──」
「彼と一緒にいる今はすごく穏やかだわ。私、彼と生きていきたい。そう思えるようになったの。『こんな幸せ、初めてだ』と──伝えて」
それを伝えてくれるだけで良い──。
自分が変われたから今すぐ許して欲しいわけじゃない……。ただ、もう、心配をかけたくないだけ。元気であることだけ知ってもらえれば。そして少しでも安心してもらい、父にはゴルフに行ってもらいたいし、母にも気晴らしのお出かけが出来るようになって欲しい。葉月は心配そうに見守ってくれているマリアを気にしながら、マイクにそう付け加えた。
そんな葉月のすがるような眼差しに、マイクは『ちゃんと伝える』と安心させてくれる穏やかな眼差しを見せてくれた。そしてマリアもほっとした顔になってくれる。
「じゃあ、葉月。See you──」
「See you マリア」
親しみを込めて彼女の名を呼んだ。
彼女から満足の笑顔が広がり、葉月も微笑み返す。
青い目の兄様、マイクも葉月をひとしきり抱きしめると、背を向けた。
彼女とマイクが粉雪の中、肩を寄せ合い、照明の下で待機している小型輸送機へと向かっていった。
「じゃあ、レイ。頑張って成果をあげていること、連隊長に報告しておくよ。思った以上の評価も耳に出来て、同じ小笠原隊員として鼻が高かった。きっとロイもそう感じるだろう」
「リッキーも有り難う。チョコレート、女の子達、喜んでくれたわ」
「それはそれは。女性達のお役に立てて嬉しかったよ」
「女の子達、リッキーのことを『素敵ーっ』て騒いでいたわよ」
「まあ当然かな」
額の栗色の毛先を、彼がピンと指ではじいてちょっと色めいた目つき。
リッキーの変わらずの余裕に葉月は笑い出す。
「あと一ヶ月半、頑張って。無事に終了することを祈っている。パイロット達を頼むよ、大佐嬢」
「うん」
こちらの兄様の顔は既に中佐だった。
マイクのように抱きしめてはくれないけれど、リッキーは極上の笑顔だけ残し、直ぐに彼等の後を追っていった。
「一緒の輸送機なんて乗りたくないって言い合っていたのに」
結局、昔なじみで信頼し合っているのだと、葉月は一緒の輸送機に向かう兄様二人の背を見て、微笑んでいた。
三人が輸送機に乗り込む前に、もう一度手を振ってくれる。
見送りに出てきていたジェフリーとテッドと一緒に、彼等に敬礼をした。
「良い気分転換だったのでは?」
「大佐嬢、楽しそうでしたもんね」
ジェフリーとテッドがそう言う。
葉月は『勿論、楽しかった』と笑顔を見せた。
輸送機が真っ暗な日本海の夜空へと、赤い光を点滅させながら上昇していく。
やがてそれは遠くなり、一つの星のように小さな赤い粒になって消えていった。
残ったのは、また……寂しい風の音。
「さあ、今夜も冷えるぞ。中に入ろう」
いつまでも見送っている葉月をジェフリーが促す。
彼の後をついて艦内に戻った。
「なんとか無事にすごせたな。お前と鉢合って冷や冷やした」
「だからこっちのセリフだと言っただろう」
上空に落ち着いた輸送機の中で、リッキーは再びぼやいていた。
だがそこもまたマイクがやり返してくる。
それを間にいるマリアが『いい加減にして』という渋い顔で溜息をついたので、男二人は黙り込んだ。
そんなマリアが夜の闇で見えやしない下界の海を見下ろしながら呟いた。
「葉月。大丈夫よね」
それにも男二人は何とも言えず無言だった。
それでもマリア嬢は哀しそうな眼差しを伏せる。
「……私も協力するから、何でも言って」
急に差し迫ったように強く言いきるマリアに、リッキーとマイクは顔を見合わせた。
そんな彼女がこちらに振り返った時、マイクはおろかリッキーも息を呑む。彼女がものすごい闘志を込めた燃える目をしていたからだ。
そのマリアが叫んだ。
「皐月姉様の敵をとってよ! マイク……!」
そして彼女は葉月の前では堪えていたのだろうか?
そんなことを言い切ると泣きながらマイクの胸に飛び込んできた。
リッキーもそれを見て、暗闇へと視線を馳せる──。
「ああ、絶対にとるんだ。俺達が……勝つんだ!」
兄妹同然だった彼女を殺されたと知った時の悔しさをリッキーも忘れてはいない!
そんなリッキーの叫びにも、マイクとマリアは一緒に強く頷いてくれていた。