-- A to Z;ero -- * きらめく晩夏 *

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10.若上司の恋

 小夜は、カフェにたどり着く。
 だけれど、今まで一緒に休憩を取っていた同僚達の姿はなかった。

「はぁ。すれ違ったみたい……」

 腕時計を確かめると、規定の時間割通りに休憩を取っている彼女達が帰った頃の時間だった。
 最近、大佐室に出入りするようになってから、この状態になることが増えた。
 時々、澤村中佐のお仕事を手伝った後に、彼と一緒に休憩を取る事もあったり……。
 それは一時期の自分の願望から考えると『願ったり、叶ったり』の瞬間なのだが。今となってはそれが飛び上がる程『嬉しい事』とは、もう思っていない。
 勿論、そんな直属の上司となりつつある彼と会話する事は、楽しい瞬間であるが、以前のようなときめきはない関係に落ち着いている。

 大佐嬢からもらったプリンとオーダーしたカフェオレを手にして、端に空いている席に小夜が落ち着いた時だった。

「小夜〜。今から?」
「ケイト。まだいたの?」

 亜麻色髪の『ケイト』は、小夜と同じ河上大尉が指揮している経理班の同僚だ。
 同い年で同期生。
 ずっと隣の席で仕事をしてきた。

 近頃、大佐室への出入りが多くなった小夜ではあるが、自席はまだ経理班にある。
 その為に、こうして『三時の中休み』もいつもどおりの『同性同僚』と一緒にカフェに来る習慣は残っているのだが。

「理香は帰ったの?」
「うん。帰ったわ」

 経理班で親しくしている同僚は、彼女ケイトの他に、もう一人いる。
 そのもう一人の彼女も同期生で、同じ日本人の『木村理香』。
 小夜は福岡訓練校の婦人科卒業生だが、理香は横須賀訓練校卒業で、この四中隊本部配属の時に出会ったのだ。
 丁度、二人とも新人で同い年。なんでも一緒にやって来た。
 助け合いもしたし、多少の言い合いだってしてきた、そんな長年の『友』でもある。
 そして──彼女も『澤村中佐』に憧れていた一人だった。
 どこか似ている者同士だったりする。

 逆にケイトは見た目も華やかな女性。
 今『四中隊本部』の中で、『ミスコン』をしたなら、きっと彼女が『ミス四中隊』だと例えてもいいぐらいに、男性にも良く声をかけられる。
 そんな彼女だから、いつだって『恋人』がいる。その移り変わりも結構、激しい。
 その通りで、声をかけてくれたケイトの背後には、金髪の青年が……。『新しいお相手』なのか、今、駆け引きを楽しんでいる男性なのか?
 そんな小夜の視線に気が付いたケイトが、にっこりと微笑んだ。

「うふ。彼、第一中隊の空部隊に転属してきた空軍管理員なの」
「あ、そうなんだ」

 小夜も『Hello』と一声かけると、爽やかな笑顔を見せてくれた。
 が、それだけで終わる。

「じゃあね。夕方、時間が合ったら、一緒に帰ろう」
「うん」

 『たぶん、無理』──小夜も彼女もそう思っただろうけど、それが今までのお約束だった。
 大佐室にいれば、定時なんてあってないようなもの。
 気が付けば、外が暗くなっているなんて良くある事だ。
 そんなケイトは、華やかな笑顔を振りまいて、金髪の青年と楽しそうに去っていった。

(いいわね〜)

 彼女はいつも楽しそうだ。
 ただそれだけで、楽しそうだ。
 小夜自身はまだ……今は楽しいとは思っていない。
 それはケイトが美人で恋を楽しんでいるから羨ましいと言う事ではなくて、自分が何をして『楽しいのか』が、分からない状態のような気がしている。
 彼も欲しいし、恋もしたいし、友達といっぱい遊びたいし、仕事でも認められたい。
 だけど、その『欲張り』が、今はとってもつまらなくて、そしてどれもない自分に寂しさを覚えたり……。
 自分がどうすれば、自分自身で納得が出来るのか、手探り中だから……。『楽しくない』のは、納得が出来ないからなのだろう?  それを分かっているからこそ、ケイトの『私はこれで納得、楽しいわよ』と言うのが、いいな〜と思ってしまえたのだろう。

『やめよ。そんな事を考えるの……!』

 気持ちを切り替える。
 一人きりの休憩──。
 それも最初は心もとなかったけど、だいぶ慣れた。
 そして思った。『休憩って、頭をからっぽにする時間だったんだわ』と。
 楽しいお喋りで気分転換をするのだって休憩だけれど、小夜は『からっぽになってみる』という休憩をした事がなかった。
 ずうっと誰かが側にいたし、一人にならない努力をしてきたものだ。

 しかし、最初は寂しさを感じたし……今でも『皆、帰ってしまったのか』と思うとがっかりしたりはする。
 だけど、一人と分かったなら、その時点で今なら落ち着いてしまう。

 今、こうして、平気でお茶を飲んでいるように……。
 そしてからっぽの気分で、大きなカフェテリアを見渡す。
 いろいろな業務に携わっている隊員達が行き交っている。
 そうして見渡していると、中央の席のあたりで見慣れている女性が現れた。

『あ、テリーだわ』

 中央あたりに空いている席に、彼女が座ろうとしていた。
 彼女は葉月の言いつけで外回りの仕事に出ていたから、そのままこの時間に休憩を取っているのだと小夜は頭に浮かべる。
 彼女も一人だった。
 そう、彼女は……ずっと前から一人。
 本部員だったその昔も。通信科に所属していた時も。
 それが彼女らしい姿だ。
 だけど──時々、違う時がある。
 それは小池と言った彼女の元上司と一緒だったり、通信科の同僚と共にしている時が時々あった。
 それは本当に時々……『たまたま仕事の流れで一緒だった』と思わせる程度だ。
 すると、一人だと思っていた彼女の向かい側に男性が一人寄ってきた。

(ん? あれって?)

 テリーがハッとした顔をしていた。
 小夜から見ると、男性の姿は後ろ姿にしか見えないけれど、誰だか直ぐに分かった。

(柏木君じゃないー?)

 近頃、海野中佐と共に活動している彼。
 急に、身のこなしがスマートになり、大人びたような気がする。
 それまではちょっと線の細いひ弱そうなほそっこい男性にしかみえなかったのに……。
 側にいる海野中佐の影響なのか? と、小夜は思ってしまっていた。

 今までのテリーがそうであったように、仕事仲間の男性と、たまに、お茶をする。
 そんな光景であるはずなのに?
 見ていると、どうもいつもと様子が違う気がしてきた。
 どちらかというと、柏木君もテリーも無口な方なのに? 二人がもの凄く会話を交わしている雰囲気が伝わってきた。
 それに──! あのテリーが笑っていた? 一瞬だった気がするのだが、小夜はドキッとした。

 テリーは、前もそうだったが、周りの女性達より一線引いて落ち着いていた。
 仕事中は笑顔をみせないし、見ているこちらが息が詰まりそうになるぐらいの真剣さで取り組んでいた。
 それが鬱陶しい先輩もいたようだし、周りの雰囲気から浮いている感じや、もっと要領よく息抜きをする人と合わせられない彼女の真剣すぎる所も疎まれたりしていた。
 小夜もそう思っている所があった。──『もっと上手に人に合わせて、先輩や同僚と馴染んでいけばいいのに』──と。そういうの『協調性』という大事な事の一つだと思う。

 だけど──。だった。
 そう思った所で、小夜は葉月からもらったプリンを食べるのをやめて、テーブルに置いてしまった……。
 だけど──。だ。
 今はそんな彼女の『確固たる自分と落ち着き』が、羨ましかった。
 周りにどんなに言われても、浮いても、彼女は他の女性隊員がそうは簡単に手に入れられない『ポジション』を獲得していた。
 出る杭は打たれるって良く言うけれど、それだって、今の彼女なら『それが、なに。言われて当たり前だと思ってやっているのよ』と思わせてくれるぐらいの『平然と出来る強さ』を見せつけている気もした。
 そして彼女のそんな様子に、既に皆が平伏している気もしていた。
 『あれが、テリーだ』──。
 そうしていつの間にか、同世代の男の子達にもそう言わせ、彼等に溶け込んでいるのだ。
 男性同様……というのが羨ましい部分もあるけれど、小夜としては『あれがテリー』という彼女個人が認められている部分が、羨ましい気もしていた。
 小夜はといえば、その他大勢と一緒なんだと、ネームは知っていても、どれほどに『吉田小夜』と言うポジショニングが確立されているかという事だった。

 そんな落ち着き顔の彼女が、ふと、笑っているというのが珍しい気がした。
 そして、そんな彼女の『落ち着き』も、ちょっと羨ましい……。

 彼女と一緒に仕事をするようになり……。いいや、あの大佐室という独特の場に出入りするようになって、小夜はほんとうに身に沁みていた。
 『私ってどんなに落ち着きがないの?』と。
 さっきもそう──。慎重にやろう、やろうと思っている側から失敗する。
 同期生の中では、昔から筆頭株である『テッド』にいつも呆れられてしまう……。
 そして、次にどっきりするのは、海野中佐の遠慮ない大きな溜め息だ。
 澤村中佐は、全然素知らぬ顔だし、御園大佐に至っては『部下に任せている事には、我関せずところ』と言ったように、何事も起きていない顔をしている。
 それに比べると、テリーはなんでもそつなく淡々とこなし、それでいて各上官との接し方も慣れすぎているくらい堂々としている。
 特に、あの表情がない『よく分からない』大佐嬢とは気が合うようで、二人は時々微笑み合って少しばかりの会話を楽しんでいるよう?
 小夜がもし? 葉月と向き合っても、何を話して良いのか、まったく分からない。

(はあ〜)

 どこか落ち着かない。
 どこに自分がいるか分からないって、すごく不安。
 小夜は、ひとりになると……時々、こうしてグッとうなだれてしまうことがある。
 だから、そんな意味では、楽しいお喋りの時間を与えてくれる女同僚との時間は必要と思えた。

「へぇ。食べないなら、俺にくれよ」
「!」

 がっくりとうなだれていた所、そんな声が頭の上から聞こえて顔をあげると──。

「さ、澤村中佐!」
「外でランチをする時だって、デザートは絶対にオーダーするのに。こうして食べるのか食べないのか分からない状態にして……」

 急に現れた隼人に驚いているうちに、彼は小夜の向かい側の席に勝手に座りこんでしまった。
 その上、先程、食べようとして置いてしまったプリンを彼が手にしてしまった。
 小夜は思わず、慌てて……隼人の手からそれを奪い返していた。

「私が! 頂いたんですっ」
「アイツからもらったものなんて、『いらない』のかと思った」
「違いますっ! それに、もらって嬉しかったですよ!」

 頬杖をついて、シラッと横をむいた隼人の──『だって葉月の事、嫌いだろ』──と言わんばかりの嫌味な態度に、小夜は思わずムキになってしまう。
 確かにそうだったけれど、それってもう『以前の話』。
 変な対抗意識を取り払って仕事に向くよう、そんな姿勢に導いてくれたのだって、目の前の若上司なのに。
 それを知っているからと言って、彼は時々、こうした意地悪に未だに使ってくれるのだ。

 小夜はムッとしながら、やっとプリンを口にしていた。

「せっかく静かな気持ちで味わいたかったのに!」

 こんなむかついた気持ちで食べさせてくれるなんて、ほんっとに『意地悪い上司』!
 そして、彼はそんな小夜をみて、ケラケラ笑っているから、ほんっとに腹が立つ。

「美味しさ、半減! 責任とって下さいよね!」
「いいよ」
「は?」

 急に真剣な顔で『いいよ』と彼が言ったので、小夜は眉をひそめた。
 すると、また……隼人は頬杖をついて、シラッとした眼鏡の横顔を見せる。

「それ。どこのプリン? 今度、一人で本島に行ったら、土産に買ってくるよ」
「……」

 そんな隼人を見て……。
 小夜は『ニヤリ』と勝ち誇った笑顔を浮かべてしまった。

「知りません。『葉月さん』に聞いたらいいじゃないですか?」
「……」
「大佐が『このお店好き』って言っていたから、気になったのでしょう?」

 隼人が黙ってしまったので、小夜は『確信』を得て、さらににっこりと満面の笑みを隼人に見せる。

「ほんっと失礼ですよね。私へのお土産じゃなくて、大佐嬢へのお土産にしたいんだって素直に言えばいいじゃないですか」
「──それもあるけど。吉田に買ってこようって気持ちも本当だぞ」
「……」

 小夜は黙り込む。
 もっといつものように天の邪鬼な先輩の顔になって、小夜に言い合いをふっかけてくるかと思ったら……。仕事をしている時のような怖いくらいの真剣な顔で言われたので、『やる気』を削がれてしまったのだ。
 だから……小夜も急に素直に、その菓子店名を呟いていた。
 そうしたら隼人は、満足そうに微笑んで『サンキュ、吉田』と言いながら、彼らしく几帳面に手帳にメモしているのだ。

 『吉田』──隼人はいつからか、小夜の事を、そうして呼ぶようになっていた。
 『吉田さん』じゃなくて『吉田』。
 海野中佐が可愛いだけの女の子を呼ぶみたいな『小夜ちゃん』でもなくて、『吉田』。
 そこらの空軍管理官の後輩達を呼ぶような声で、はっきりとそう呼んでくれるのだ。 

 今、何故か──。
 そんな上司にはっきりと呼ばれる『呼び捨て』が、耳に心地よい。
 『お前は、俺の部下だ』と……言ってくれているようで。
 もしかすると、小夜の中で、今一番──『確かな物』のような気さえして……。

「分かっていると思うけど、この後は彗星システムズと工学科でミーティングだ。遅れないようにな」
「はい」
「達也と柏木が会議場の準備と案内をしてくれるようになっているんだが、柏木の手伝いをしてやってくれるかな」
「はい。かしこまりました、中佐」

 隼人は気が付いているかどうかわからないが、彼の肩越しに見える『奇妙な二人組』になっている柏木を、小夜はチラリと見た。
 だが、そこで目の前の隼人はひと息ついて、落ち着いたようだ。
 隼人の手元にも、カフェオレ。
 彼もそれを、静かに飲み始めた。
 そしてそこから去っていく気配はなく、彼は小夜の目の前で悠々とお茶を楽しんでいるのだ。

「それだけを言いに来たのですか?」
「え? そうだけど。他に何か?」
「……」

 ふと気が付けば、小夜も男性と向き合った休憩を取っているじゃないか? いつのまにか……。
 以前なら、遠い世界のように見えた光景が『なんだこれだけのことだったんだ』と思えた気がしてきた。

 そして、そんなよこしまめいた心根以上に、小夜は思った。
 先程、テッドに呆れられて尚かつ達也の気に入らないような態度に気が付いて落ち込んだ小夜の事を……気にかけてくれていたのだと。
 こうしていつもの『喧嘩スタイル』で小夜を感情的にさせて、忘れさせようとか、怒らせてでも元気にさせようとして、来てくれたのだと。

 この数ヶ月を振り返ると、小夜の周りも、小夜の内面も急激に変わっていた。
 そして『憧れの男性』と向き合うだなんて……数ヶ月前には考えられない事だった。
 その人が、今──憧れていた時に願っていた状態とは違えど、『一番、近しい人』になっている。

 どうしたことか、隼人はいつのまにかテリーよりも小夜を指名してくれるようになっていた。
 出張のお供は、小夜と決まってしまったも同然だった。
 テリーはと言うと、まだ隼人と密着したアシスタント業務はしているが、それは小夜が行き届く事が出来ないかなり専門的な空軍管理のサポートがほとんど。それだって、今は『シアトル行きを見越した予習』のように、澤村中佐が集中的に教えていると言った感じだった。
 それだけで──。それ以外の隼人のお手伝いは、彗星システムズも携わる隼人が一番力を注ぎ始めた工学仕事を始め、出張も含め、殆どが小夜にやらせてもらえるようになっていた。
 やり甲斐は出来たけれど、小夜が大それた突っ込みを大佐嬢にしなかったら? と、そう思った時──『テリーがやらせてもらえていたんだ』と、はたと我に返った。
 だから、テリーに恨まれるんじゃないかと思っていたら──。テリーは涼しい顔で『良かったわね、小夜。頑張ってね』と言い『存分に澤村中佐をサポートしてね。私は大佐の方が念願だったから、気にしないでね』とまで言ってくれたのだ?
 取り間違えると『中佐より大佐の補佐が上なのよ』とも聞こえそうだが、不思議と『あのテリー』だから、彼女はそんな気持ちで言わないで、ただ小夜に気持ちよく引き継いでくれたのだと信じていた。
 だから、存分に……そして出来ないなりにでも、一生懸命に澤村中佐のお手伝いに、精いっぱい勤しんでいる。
 失敗も多いから、隼人にはもの凄く叱られる。
 海野中佐に手厳しくお説教されることもあるが、隼人が本気で怒った時の方が数倍怖い。
 でも──隼人は本気で怒る分、小夜がちゃんと理解し飲み込み物にすると、うんと満たされた顔をしてくれるのだ。

 その時に、ちょっとだけ……今でも切なくなる。
 その顔は恋人としてでもなんでもないのに、やっぱり憧れていた人に、そんなふうに認めてもらえると、心の中ではもの凄く舞い上がっているのだ。
 でも、それで満足しない。
 それで女として見てもらいたいから、仕事を一生懸命やるのだなんて気持ちは、もうきっぱりない!
 だけど、隼人には絶対に見限られたくない!
 小夜の今の一番の達成感はそこにあり、一番の目標だった。
 『この人の、一番のアシスタントになる』!
 いわゆる『澤村個人秘書』だ。
 この手厳しい若上司に『お前じゃなきゃ駄目だ』と言わせてやるのが目標だ。
 まだ──全然、失敗ばかりで怒られてばかりだけど。

 それが目標となり、今の小夜を走らせている。
 本当に『新たな憧れ』はあれど、『以前の恋心の未練』は、きっぱりない。

 そんな気持ちに自分を納得させられたのには、ちゃんと訳がある。

 憧れの澤村中佐の『お側に行くようになって』から、分かった事──。
 それはやはり……憧れの男性の心には、もう、あの女性の事でいっぱいに埋まっていると言う事だった。

 海野中佐はあの通り、態度に出ているから、皆が周知の所なのだが。
 静かな風情でも、もの凄い気迫をヒンヤリと漂わせながら、ひたすら仕事ばかりこなしている澤村中佐は、いちいち『彼女を気にしています』という匂いを漂わせない。
 だけど、あまりにも側に一緒にいるせいか? 小夜は『ほんの僅かな彼の隙』を見てしまう事がある。

 例えば──。
 このように仕事を共していた隼人と一緒に休憩に行く事もある──。
 そこで葉月がコリンズ中佐やウォーカー中佐。時には細川中将や佐藤大佐や、他の中隊長大佐達と。時にはビーストームのパイロット達やミラー中佐。そういった彼女の『仕事で近しい間柄の男性』と話している姿を見かける時。
 『澤村中佐』は、気にしていないようで気にしている目をする時がある。
 眼鏡の奥で、ふっと彼女を確かめる姿。
 遠い眼差し。だけど、どこか柔らかくて優しい眼差し。
 向こうの『恋人』は、時には将軍・大佐クラスと言った気の抜けないおじ様達と硬い面持ちで『お仕事中』の顔をしているのに、澤村中佐ときたら『それって、恋人の目じゃない?』と言いたくなる目をしている。もっと言えば……小夜が『大好きな目』だ。

 そんな目で女性を見る男性が好きだった。
 仕事ではあんなに怖い顔をして、若い女性隊員にも容赦ない程に手厳しい若上司の彼が──。『好きな女性』には、そんな目をする。
 『恋人へだけ送られる眼差し』──。
 決して他では見せない。世界でたった一人への『とっておきの眼差し』だ。
 そういう女の子の憧れ。
 隼人は……それを持っていた。
 他の男性には垣間見れなかったそんな『ほんのちょっとの隙なんだけど、その瞬間がもの凄く熱い目』を、隼人だけから垣間見た。
 それにときめいた時……。その眼差しは既に『よく分からない女性』の物だった。
 その目が……『私の物だったら』
 ときめかずにはいられない毎日を送ってきた。

 やっとお側に来たら、小夜の甘い想像を打ち破る『意地悪』。
 そして『照れると直ぐに天の邪鬼』という、なんとも扱いにくい男性の顔ばかり見せられて、がっかりした。
 それにやっぱり『職務』となると、彼は手厳しいし、気を抜かない。
 側で念願のアシスタントをさせてもらう事になってからの毎日は、小夜にとっては『突然のマラソン』を走らされているような苦しさばかりの日だった。
 でも、一日の終わりになんとかゴールをすると、必ず……『よく頑張った』とか『助かった』とか『よくできた』と評価してくれる。
 それが……隼人だけじゃなく、達也の手伝いをした時も、そしてあの大佐嬢からも。
 その『苦しかったけれど、頑張った分の評価』を得られる日々の『充実感』が、小夜の『ささやかな恋心と未練』を粉々に打ち砕いてくれていた。

 そして──『決定的な物』を、小夜は知ってしまったのだ。

『大丈夫か?』
『……うん。大丈夫よ』

 なんのことか小夜には分からなかったが。
 大佐室で息抜きの会話を交わす暇もない二人が、ふっとすれ違った時に交わした短い会話。

 その時──。隼人は小夜が好きな目を眼鏡の奥から、まっすぐに大佐嬢に送り……。そして『あの大佐嬢』が隼人と同じように、その一瞬だけ、ふんわりと甘く緩めた瞳を彼に見せていたのだ。
 僅かに一瞬だけ漂う『甘い熱気』。だけど、その瞬時のアイコンタクトの眼差しは急速に冷めていった。
 けれど。急速冷凍された眼差しでも、どこかとても強く結ばれた『固さ』うかがわせる輝きを放っていた気がした。
 そして、二人は肩をすかしあうように背を向けて歩み去っていく。
 その時の二人の顔は、小夜がよく知っている『冷たい横顔』だった。

 その『短き疎通』に気が付いた時の、衝撃!
 あの短い中に『甘い』も『熱い』も、そして『冷たくとも輝ける』結びつき……全てがその瞬間に! それが恋人同士だけが出来るなせるワザというのだろうか!?
 それ以上に、なんと言うべきか。あの大佐嬢の『女の美しき姿』を見てしまった気がしたのだ。
 隼人を好きになってしまった『あの目』を見た時以上に、胸がドキドキしてしまっていたのだ!
 よく分からない女性の、よく分からない姿を毎日感じていながら、そのよく分からない女性から『決定的に最高の物を見せつけられた』気分だった。

 なんて言えばいいのだろう?
 憧れの男性と、その男性が情熱を傾けている女性が返した情熱?
 憧れているのだから、その上等に感じている男性と『対等の情熱』を返している女性の姿を見せつけられては──なんだか『参った』という衝撃だった言う事になるのだろうか?
 なんだか、もの凄くステキな疎通を見せてもらったトキメキというのだろうか?
 そんなよく分からないジワジワとした『ショック』があったのだ。
 こう言ってしまえば、実は楽になるのかも知れない──きっと『二人がお似合い』──だって認めたのだって。

 それとは他に、小夜は葉月に対しても『不思議な感覚』を持ち始めていた。

 葉月のお陰で、こうして新しい仕事に就けるようになったのは言うまでもないのだが。
 それでも上司で隊長と言うよりかは、憧れの男を手玉にとっている『いけすかない女』と思って、対抗心を燃やしていたのは確かで……。
 敵わぬ女だと思っていながらも、隼人が一時とても疲れた顔で煙草を吸い始めていた姿がとっても痛々しく見えて……。それ程に『大佐嬢の為に苦しんでいる』のを知っていた。
 それが、見ていられなくて……。側にいけるなら、『私も頑張れば、私なら貴方にそんな苦しい思いはさせない。幸せに出来る女になれる』と言う事をアピールしたい気持ちが日増しに強くなっていた。
 でも──なんだか『同じ女なのに、女同士として張り合えない』物を感じてしまい、もし? 張り合ったとしても、するりと上手く交わされて終わる気がした。
 それもあの大佐嬢ときたら、『女としても、私の方が勝っている』というようなものではなくて、『ごめんなさい。私、女にはなれない……』と、言った感じなのだ。
 それは側にいられるようになって、初めて感じた事で『とても不思議な感覚』だった。
 なんというか……あの大佐嬢から『女らしい匂い』と言うものが、職場のせいにしては『あまりにもなさすぎる』と言うのだろうか?
 見た目はケイトと並んでも見劣りしない容姿なのに、本当に不思議だ。
 彼女が『大佐で隊長だから』という先入観? いいや……少なくとも、小夜は『お側に行くまで』は、女性として散々ライバル意識を燃やしていたのに。
 彼女は仕事は出来ても『私生活では』男を駄目にして不幸にする女。私は『私生活では』男性をいたわって幸せな気分にさせようと思っている女。と、そこで一人で張り合っていた……。
 それなのに、その『よく分からない女性』に──隼人も海野中佐も『夢中』なんだから。
 だから遠くから見ていると、余計にもどかしくて仕方がなかった。

 だけど、側に行ったら、それが無くなるなんて変な話だと、自分でも思っている。

 そして──もう、違う。

『大佐は、ここでは女性ではないのだわ』

 やっと、分かった。
 もし、今でも『女性』として張り合っていきたいのなら『ここ』ですべき事ではない──。
 だから小夜が女性としてぶつかっていっても、まったく違う姿勢で切り返されてしまい、『喧嘩にもならなかった』のだと。
 それに、逆に葉月には『奪われる』とか『損失させられる』とかの仕返しをされるどころか、『新しいもの』を与えてもらっていたではないか?

 だから──彼女がそういう姿勢で、全てを傾けている間は、澤村も海野も『男も女もない』間柄で、共に闘っているのだって。
 そして──その闘いの向こう側にある『素顔』の中では、誰も知らない『二人だけの情熱』が交わされているのだって。
 それを押さえ込んで仕事をしているのだから、それがぶつかったらどんなに激しいのだろう?
 小夜は、そう想像させられただけでも、なんだかドキドキした。
 例えば、だが! 大佐嬢の仕事での男性へ向かう気迫とか、周りを巻き込むエネルギーとかは誰もが知っている事。
 それを、一人の男性を対象に『熱愛』というエネルギーに切り替えたら……!? そう思っただけで、小夜は身体が熱くなってしまうのだ。

(それじゃぁ。きっと男も、ううん、今の私だって敵わないわね!?)

 『無感情令嬢』と言われているけど、実は……そのストッパーみたいな物があってそれが外れたら『もの凄い情熱的な女性』だったりして! と、小夜には思えて仕方がなくなったのだ。
 あんなに『女として綺麗な瞬間』を持っている彼女なら……。小夜ではどうにもならない目の前にいる上手すぎる男性が、『夢中』になるのも──当然か?
 ──と、ある日突然、ぽろりと憑き物が取れたように、ふっと熱が冷めてしまった感覚を覚えた瞬間があったのだ。

 だからといって『大失恋』という落ち込みもなかった。
 むしろ『自分に納得』の、清々しい惨敗みたいな爽やかさが残っていたぐらい──。

 それに今の小夜には……。
 今回、海野中佐の新しいチームメンバーに一緒に選ばれた同期生──テッドに柏木君にテリー、そしてクリストファー。
 大佐室をずっと支えてきた先輩達──フランク中佐に山中中佐、ワグナー少佐に、河上大尉。
 その上に君臨する、澤村中佐と海野中佐。
 そして──御園大佐嬢。
   既に『大佐室で全力をそそぐ人々』の中に巻き込まれていた。
 そんな人たちと、何かをひとつずつ一緒に乗り越えていく日々の充実感は、もう小夜の中にも染みついてしまっていた。

 そんな訳で……小夜には、もう、前進という気持ちはあっても『恋のしがらみ』は、何処にもないのである。

『ふふ』

 手元で味わっているプリンが、だんだん美味しくなってきた。
 なんだか嬉しかった。
 あの大佐嬢が、あんな暖かい笑顔を見せてくれるんだって……。
 頑張れば、頑張る程──あの人は小夜を燃えさせてくれる道に導いてくれた『女先輩』。
 女性同士のしがらみだって、なくなりはしないけれど、覚悟次第ではテリーのように『確固たる自分』と言う物を手に入れて、自分の事を『誇らしく思える女性』になれるんだって、教えてくれた気がした。
 今はそんな『喜び』に小夜は満ちているのだ。

 彼女自身にお返しをする程の実力は、まだまだだ。
 だけど、その彼女を支えている男性の仕事を、支えていく事で返す事も出来るはず。
 下でも下なりに上が落ちないようにしっかりやれば……だ。

 だから──『澤村中佐の第一補佐』になるのが、目標なのだ。

「俺の事、考えていただろ?」
「!」

 目の前に、またあの『意地悪中佐』の嫌味な笑顔。
 小夜は早速、舌を『べっ』と出してやった。

「やっと、俺の事、諦めてくれたんだ」
「あんなに熱烈に彼女をみつめている男性に? 冗談じゃないですよ」
「俺が? 熱烈? それこそ冗談だろ?」

 仕事場では、絶対にそんな甘さは見せていないと、澤村中佐様は自信がおありのようだ?
 小夜はそこで『フフン』と鼻を鳴らしてみる。
 隼人が一瞬──構えたように表情を固めた。

「知らぬは本人だけってね。中佐、隠しても無駄ですよ? ほんっとうに大佐の事、好きで好きでたまらないって。いつも顔にかいちゃって」
「大人をからかうんじゃない」
「その『大人』が、なっていない事を知らないんですから。一番側にいる私が教えてあげているんじゃないですか?」
「……」

 ついに! 上手の若上司が表情を固めてしまった。
 勿論、殆どは小夜の『はったり』で、隼人が一生懸命にその熱愛を職場では封じ込める努力をしているのは完璧と言っても良いだろう。だが、彼も彼で『側にいる後輩』に、ここまで強気に言われると『心当たり、有り』と思ってしまったのだろう。
 いつもやられている分、小夜はここぞとばかりに言ってやる!

「──『大人』なのに、『大人になれない』から、本当の恋愛をしているって事なんですね〜。だって『恋をし、同時に賢くあることは不可能なり』って言葉があるじゃないですか?」
「そ、そうだったかな……?」

 いつも冷静沈着な若上司が、なにかを誤魔化すように、手元のカフェオレをグッと慌てて飲み始めた。
 小夜はそれを見て、さらに加速する。

「ああ……本当の恋ってそういう物だったのだわって。『大人の』澤村中佐の側にいて教えてもらいました。あーあ。もう中佐の事は綺麗さっぱり未練はなくなったけれど。こんなにあてつけられちゃったら、私も『あんなに熱く見つめてくれる男性』に早く出会って、『おうち』では、もうめちゃくちゃに愛されたいな〜」
「そうなると、いいな。じゃぁ、これで──」

 途端に、淡泊な言い方で無表情になった隼人が逃げるように行ってしまった。
 ああいう顔になったら『こっちのもん』。
 だんだんと『意地悪な若上司』の事が分かってきた気がする。
 小夜は『してやったり』と、一人でニンマリとほくそ笑んでしまった。

 だけど、素っ気ない言葉を残して背を向けた隼人が急に踵を返して、戻ってきた。
 小夜は何か言い返されると思って、フッと構えたのだが……

「吉田には男として何もしてやれなかったけれど。でも、俺はこれからのお前を応援するよ。幸せになれるようにな──」
「!」
「ごめん。こんなふうにしか、俺には言えない……」

 もの凄い真顔でそれだけいうと、またサッとそこを隼人は去っていく……。

 やっぱり小夜は……。
 憧れ続けてきたその頼もしそうな先輩の背中を、切ない気持ちで見送っていた。
 一緒にいるようになってからの方が、本当にこの人には『葉月』しかいないのだと、痛感させられた。
 上手くいっていない、苦しんでいる、傷つけ合っている『幸せそうじゃない恋』に見えていたのに……。
 でも、もの凄く『燃えている』懸命さを見せつけられる結果になった気がしていた。
 そして──近頃、二人はそれを乗り越えたのか、とても良い雰囲気に落ち着いてきているのが、側に来たからこそ伝わってくるように……。
 自ら、未練は断ち切れど……やっぱり隼人の事は素敵な人だって小夜は思っているから……。
 でも、ある日の、彼の言葉が蘇る。

『吉田と話していると、嫌な事も忘れるぐらい、元気になれるな』

 隼人は小夜と言い合っていると、それまで息詰まっていたものが、ふっとなくなってしまうぐらいになれて『楽しいよ』と言ってくれた。
 その時は、ある意味不純な動機で不当に近づいた女であれど『疎まれていない』と分かって、とっても嬉しかった。
 でも──『嫌な事』ってなんだろう? と勘ぐってみた時……。直ぐに思い浮かべてしまうのは未だに『葉月さんと上手くいっていないのかな?』なんて思ってしまう瞬間がある。
 そんなとき、割り切ったはずの自分が嫌になる。
 そして、僅かに切なく胸が疼く。
 やっぱりあんな男性に、うんと愛されてみたい願望はなくならない……。

 澤村中佐は、今は厳しくて意地悪な若上司。
 だけど時々……とっても切なそうな遠い目を見せて、時々……熱っぽい眼差しで恋人を見守っている。
 そして二人はぎゅっと熱愛を抑えて、男女の壁がない場所でも固い絆を紡いでいる。

 あんなに苦しそうな時があっても、それでも愛し続けているのは、『苦しくてもやめられない』そして『相手がいない方がもっと苦しい』からなんだと思った。
 そんな二人はきっと『愛』の下でも『闘ってきた』のだろう? だから……人も羨む『熱愛』を分け合っていて、感じ合っているのだと。
 仕事場以外でも、そんなに懸命に生きているあの人達に……。
 小夜はまだ胸を張れる程、自分を誇ってはいなかった。

 でも、小夜は……去っていくそんな憧れの背中に微笑んでいた。

『その元気で前向きな所は、吉田の一番良い所だ。それで皆を元気にしてあげな』

 好きだった人にもらえたその言葉で、小夜は頑張ってみようと思っていた。
 大佐室で、沢山、知らない事を知るようになった。
 そこにいる先輩と同僚に、与えてもらった影響はかなり大きい。
 きっとここで頑張れば、一生の財産になるはずだ。
 小夜はそう思って、今は失敗だらけでも、踏ん張っている。

(頑張ろう──)

 最後のひとくちになったプリンを頬張った時だった。
 今度は、小夜の目の前に女性が立っていた。

「随分と楽しそうだったわね。澤村中佐と」
「テリー……」

 彼女に仕事以外でこうして話しかけられたのは、初めてだった。
 そして、やっぱり彼女はとても冷たい顔で小夜を見下ろしているのだ。

 何故か、小夜の胸はヒヤリと凍り付いてしまっていた……。

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